遠い面影

 

この作品のモチーフになったカーイシのイラスト(by一風堂様)

 

 「…まぁったく、腹が立つったらありゃしねぇ…。」
天下無敵号の一室で、カーシュがブツブツとぼやいていた。ゾアは、相変わらず寝付きが良く、すでにいつものように高いびきだったが、カーシュも、そして、一緒にこの部屋に泊まることになったイシトも、到底眠れそうもない気分だった。
 神の庭での、ヤマネコ、フェイトとの決戦の後、龍達の思惑にまんまと騙されたと知った面々は、皆少なからず気分を害していた。また、キッドを取り戻すことはできたが、彼女は眠ったままだった。
「だが、リデル嬢の言葉を待つまでもなく、このままって訳にはいかないからね。"凍てついた炎"の存在を確かめるという、私の目的のひとつは果たされたわけだが、乗りかかった船だし。」
イシトがなだめるように、言葉を継いだ。カーシュは憮然とした表情のまま、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。彼はフーッと大きくため息をついた。
「…判ってるよ。このままにはしておけねぇ。なんとかして、あの塔に行かねぇとな。」
天井を睨みつけているカーシュに、イシトは苦笑して頷いた。カーシュは、勢いを付けてベッドに起きあがると、ニヤリと笑った。
「まぁ、ぶつくさ言っててもしょうがねぇな。おい、約束だ。呑もうぜ。ムシャクシャするときは、呑むに限るって!」
そう言いながら、カーシュはさっさと酒瓶を取りに棚へ歩み寄った。イシトは、ちょっと迷った。確かに、神の庭へ行く前夜、戻ったら飲もうと約束した。だが、こんな時に酒なんか呑んでていいのだろうか。不謹慎な気もした。だが、カーシュはお構いなしに、もう、コップに酒を注いでいる。イシトは苦笑しつつ、カーシュに向き合って座った。
「とりあえず、"運命"ってヤツには勝ったんだ。憂さ晴らしだ。乾杯!!」
カーシュがやけくそ気味に掲げたコップに、イシトも仕方がなさそうに自分のコップを軽く当てた。カーシュは一気に一杯目を飲み干した。イシトは一口飲んだだけだったが、カーシュのコップが空いたのを見て、小さくため息をついて酒を注いだ。
「お、ありがとな。なんだ、おまえもどんどん飲めよ。今夜は飲み明かす約束だぜ。どうせ、しばらくはあの塔へ上がる手を探すしかねぇんだ。二日酔いになったって、用は足りるさ。」
「あの女の子、キッドを救う方法も、見つけないとね…。」
イシトは静かに言った。
「ああ、小娘、な。小僧は、それでラディウスじいさんのとこへ行ったのか?」
カーシュはコップに口を付けたまま、目だけ上げてイシトの方を見た。
「そう。セルジュも気の毒に。あんなに一生懸命なのに、運命は彼に冷たく、過酷だ…。」
イシトは少し眉を寄せた。カーシュはそんなイシトを、ニヤニヤしながら見つめていた。
「おめぇは、小僧には甘いんだな。」
イシトは意外そうにカーシュを見た。彼はセルジュの、一途な眼を見るのが好きだった。その眼を見ていると、運命が彼を選んだわけが判るような気さえした。だが、だからといってカーシュの言うように、セルジュに対して甘やかすような態度をとった覚えはなかった。
「そうか?そんなつもりは無かったんだが…。」
カーシュがニヤリと笑った。
「いや、可愛がってるって言うのかな。…弟みたいに思ってんのかな?まぁ、俺も人のことは言えねぇな。グレンなんか、ホントの弟みたいに気に掛かって仕方がねぇし。」
イシトは思いがけないことを言われた、と言うような顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「ああ、そうかも知れない。うん。私は姉ばかりだから、弟が欲しかったのかもな。」
カーシュはふうん、と曖昧に答えて、またごくごくと酒を飲んだ。彼は本当に、今夜は徹底的に飲むつもりらしい。イシトも腹を決めて、飲むペースを上げた。
「…そういやぁ、おまえさぁ、国に女とか居るのか?」
突然のカーシュの問いに、イシトは思わず酒を吹いてしまった。
「ブッ…。な・何をいきなり…。」
「あー、きったねぇなぁ。人の顔に吹くなよ〜。」
カーシュはそう言って袖で顔を拭いつつも、可笑しそうに笑った。イシトは顔を赤らめてカーシュを睨んだ。
「そっちが急に変なことを言うからだ。」
「だってよぉ、おまえ、もてるだろ?それなのに、まったく見向きもしねぇし、国に決まった女が居るのかと思ってよぉ。」
カーシュは相変わらずニヤニヤしてイシトを見ている。からかわれている。イシトは表情を堅くしてカーシュから目を反らした。だが、カーシュはますますおもしろそうに、イシトに絡んだ。
「それにしては、国に帰るの嫌そうだしな。…じゃ、あれか?軍隊によくある、男色ってヤツ。」
「ブーッ!」
イシトは今度は、思いっきり吹き出してしまった。カーシュの顔面は酒まみれだ。だが、カーシュは可笑しそうに腹を抱えて笑った。
「人で遊ぶな!人で!!」
イシトもさすがにカーシュに食ってかかった。だが、カーシュは悪びれた様子もない。
「あ?違う?じゃ、どうしてんの?ヨクボーとか、ヨクジョーとか…。」
イシトは、改めて顔を真っ赤にしたが、こほんとひとつ咳払いをして、自分を落ち着かせようと務めていた。イシトは切り返した。
「君こそ、どうなんだ?リデル嬢を慕っているのは明白だが、彼女に対して、ヨクボーとか抱いているのか?」
さすがにカーシュも口をへの字にして黙った。イシトは後悔した。
「…済まない…言い過ぎた…。」
カーシュはフンッと鼻を鳴らして、先ほど顔に吹きかけられた酒を、また袖で拭った。
「…自分でも気が付かなかった…。考えないようにしてたんだな…。リデル様は俺にとってそういう存在じゃねぇんだ。そうだな…もっときれいで、高いとこに在って…俺なんかが汚しちゃいけねぇんだよ…。」
イシトがつらそうな顔でカーシュを見つめた。カーシュはそれに気付いてヒラヒラと右手を振った。
「気にすんなよ。今に始まった事じゃねぇんだ。俺はダリオの代わりに、リデル様の幸せを見届けなきゃならねぇってだけだ。」
「…切ないな…。」
イシトがポツリと呟いた。その時、カーシュがいきなり、イシトの両頬を手のひらでむにっとつかんだ。それは照れ隠しだったのだろうが、イシトは思わず声を上げた。
「…たっ…!」
だが、カーシュは手を放さなかった。
「おい、放せよ。…君は酒を飲むと、人の顔に手を出す癖があるらしいな…。このあいだは鼻。今度は頬か…まったく…。」
イシトが顔をしかめたが、それでもカーシュは手を放さない。いや、そのままイシトの頬を挟み込むようにして、カーシュはイシトの瞳を覗き込んだ。北の空に掛かる、あの凍てついた星のように、シンとした趣を湛えた、その蒼い瞳。その瞳を見つめているうちに、カーシュは自分の胸の内も、シンと静まっていくのを感じた。カーシュはそのままゆっくりと顔を近付けたが、ふと動きを止め、小声で訊ねた。それは恐る恐るという方が正しかったかも知れない。
「…怒るか…?」
イシトは最初は戸惑っていたが、先程から、口元にわずかに笑みを浮かべてカーシュを見つめ返していた。イシトはわざと、いつもの冷静な声で答えた。
「時と場合と、相手によるな…。」
カーシュが、少し怒ったように、もう一度訊いた。
「だから、今の場合、怒るかって訊いてるんだ。」
イシトはクスッと笑いを漏らした。
「…その時になってみないと、わからない…。」
その言葉に弾かれたように、カーシュは更に顔を近付け、唇を重ねた。イシトはそっと目を閉じた。やがて顔を離したカーシュは、まだ両手でイシトの顔を挟み込んだまま訊いた。
「どうだ?怒ったか?」
イシトは小さく首を振った。
「別に。腹は立たないな。」
イシトはかすかに寂しげな顔で笑った。
「だが…私は、代わりか…?」
カーシュはその微妙な表情を見逃さなかった。彼はやっとイシトの頬から両手を放し、その手を、今度はイシトの背中に回して抱き寄せた。
「そうじゃねぇ。…こないだ、おまえ言ったっけな。不思議なもんだ。俺とおまえは、本当なら一緒に飲むことさえ、ままならねぇはずなのに。なのに…どうしてだろうな、俺はさっき、ずっとおまえの眼を見つめていたいって思ったんだ。」
カーシュは少し身体を離し、またイシトの瞳を見つめた。イシトは少し迷っていた。彼はカーシュに抱き寄せられて、嫌ではなかった。そして、嫌だと思っていない自分に戸惑っていた。カーシュの言ったように、軍隊には男色はよくあることだ。だから、そういうことにあまり抵抗はない。だが、カーシュのことを思うと、ただそれだけと割り切れない気がしていた。彼は自分の気持ちに困惑していた。
「…龍騎士団でも、男色ってあるのか?」
イシトは、自分をはぐらかすように、つい口にした。カーシュは顔を赤らめた。
「おまえ、顔に似合わず、即物的な物言いをするな…。」
「最初に言ったのはそっちだろう。」
イシトの反論に、カーシュは身体を離して頭を掻いた。
「ない訳じゃねぇよ。…だけど…俺は今まで、そういうのに関心を持ったことはなかった。」
イシトはわかった、と言うように小さく頷き、立ち上がってベッドに腰掛けた。カーシュも隣に座った。
「何でかな。俺は…。」
カーシュの言葉は、イシトが、その唇にあてた指先に遮られた。イシトは微笑んだ。
「必要なのは、たぶん言葉じゃないんだ。言葉では説明できないものが、今、ここにある…。」
カーシュは頷き、再びゆっくりとイシトに顔を近付けた。唇が重なり、そのまま、二人は重なってベッドに倒れ込んだ。

 

手を伸ばせば 届く処に あなたは居て
でも そこへは 永遠に 辿り着けない
指先が触れる
手を握る
それでも まだ あなたは遠い
抱き締める
頬が触れる
口づけを交わす
肌が触れ合う
触れても 触れても あなたには届かない
きつく抱き合い
これ以上できない程に
あなたに近付いているのに
あなたのそばに居るのに
まだ 遠い
あなたに近付きたい
心が 願う
身体が 願う
あなたとひとつになり
やがて溶け合うことを−

 

「…う…。」
カーシュはまばゆい陽射しに目を覚ました。窓辺で、イシトが振り向いて笑い掛けた。
「おはよう。いい朝だ。」
見ると、ゾアはもう起き出してどこかへ行ったらしく、ベッドは空だった。
「よく眠れたか?まさか、二日酔いじゃないだろうな。」
イシトは笑っている。カーシュは、頭を振って起き上がった。あれは夢だったのか?カーシュは、昨夜のことを思い出して、少し顔が赤らむのを感じた。イシトはいったい、どう思っているのだろう?見る限り、イシトは何事もなかったかのように荷物をまとめ、出掛ける用意に余念がなかった。だが、カーシュのそんな視線に気付いたのだろう、イシトはベッドに起きあがったままぼうっとしているカーシュに歩み寄った。
「…私は、君と出会えた、この必然に感謝しているよ。」
カーシュは顔を真っ赤にしてイシトを見上げた。イシトは腕組みをして笑っていた。
「まぁ、こんなことがあってもいいさ。人間、ぬくもりが欲しくなることもある。誰かの身体の重さが、心を落ち着かせることもあるんだ。特に、戦いを前にした我々には…。」
イシトは少し顔を引き締め、カーシュの布団をめくり上げた。
「さあ、さっさと起きろ。出掛けるぞ!今日の目的地は海月海だ。私の部下が消息を絶っているらしいのでね。」
その顔は、すでに完全に"黒き風隊長イシト"に戻っていた。
「へいへい。」
カーシュも笑ってベッドを降りた。新たな戦いに、心をはせながら。

 

FIN.

 

言い訳ったら言い訳!

なんで?どうして?私、何故こんなモノ書いちゃったの?

いや、大人しいもんだろうとは思う。この手のモノにしては。でも、今のところ、私にできる精一杯の表現ですよぉ。

うちのイシト、カーシュとは受けでも攻めでもない、対等な関係を望んでいるらしいです(笑)。

そういうのがあってもいいでしょ?

『出会い』を書いたとき、「神の庭から帰ったら飲み明かそう」って約束したからには、飲むんですよ、この人達。それをネタに、どう描こうかと思ったら、武士道とか軍隊とかに男色は付き物だって事を思い出したんです。あんまり意味無かった気もしますが、動き出すきっかけにはなったかな。でも、二人のやりとりが、書いてる自分でも微笑ましいというか、いいねぇ、この人達って思わせてくれて、楽しく書けました。

基本にあるのは、やっぱり友情というか、相手を尊重する気持ち。認めあう気持ち。そこに、プラスα(笑)。

たぶんこの後、普段は何事もなかったように振る舞うだろう二人ですが、時々はヨクジョーとかヨクボーとか(笑)安心を求めて、スリスリすると思う。で、また何事もなかったように…。

私のカーイシは、そういう関係です。…結局、「戦友」なんだろうなぁ。あんまりラブラブじゃなくて、物足りなかったでしょうか?済みません、初心者なもので(笑)。

(2000.3.29)