後編 かにしる VS ガニジラ
双華は、雪子が待機しているはずの遠くの山頂から懐中電灯のライトのような円錐形の転送光線が双華たちの近くに降り注ぐのを、目にした。
その転送光線は、双華たちの戦争が終わった事を意味してした。
円錐形の転送光線の中心に、人型のひときわ強い光が現れた。そして転送光線が消えると、人型の強い光が十代後半らしい年かさのサングラスをした少女として残った。
ガニジラは、その少女が転送されてくると、ガガニガニガガガ、と吼え、双華と炎燕を拘束していた触手をほどいた。
「あら、かにしる……ではありませんこと。ですけど、はて?普通の少女にも見えますわ。かにしるはカニ斎のように背中からカニの足をはやしていたり、両腕がハサミになっていたりしませんでしたかしら?」
「あの娘は確かにかにしるよ。今あの子はノンクロークラブ形態なの」
「ノンクロークラブ?」
「私が最後に見たのはまだ子供の時だったけど、師匠もあの姿になれたのよ。師匠は食事をしてから2時間経てば、脱皮をしてた。あの姿は、脱皮の時、カニ部分のDNAを全て一箇所に凝縮することでなることができるんだって」
「一箇所に……ってどこですの?あれじゃまるっきり普通の娘さんじゃありませんのよ」
「サングラスをしているように見えるでしょ。実はあれ、サングラスじゃないの。唯一カニ部分であるカニの目玉が残った箇所なのよ」
「では、あのサングラスがカニ部分のDNAを凝縮した部分ですの?」
「違うわ。あれはどちらかというと、名残りのようなものね。カニ部分のDNAを凝縮した部分は……、ほら、かにしるの右手を見れば、カニを握っているのが見えるでしょ」
「まあ、本当。見たこともない種類ではありますが、確かにカニですわね。ではあれが……」
「そう、あのカニがカニ部分のDNAを凝縮したもの、器ガニよ。ここからじゃ見えないけど、甲羅に人面があるの。ノンクロークラブに脱皮すると、あの器ガ
ニも一緒に出てくるのよ。脱皮は食事をしてから二時間経たないとできないし、一回の脱皮に一時間もかかるらしいけど、緊急時にあのカニを食べれば……」
その少女は右手に握った人面ガニを口に持っていった。そして一口に頬張った。
ヴァリ、ヴァリ、ヴァリ、ヴァリ、ヴァリ、ヴァリ。
甲殻を噛み砕く音が聞こえてきた。
「うわ、もどしそうですわ。おなか減ってますけど……、胃液が……」
ゴクンと音をたてて飲み込むと、その少女の中心にヒビのような線がはしった。いや、ヒビのような線ではなく、それはヒビそのものなのだ。そのヒビから少
女は割れ、新たな少女が誕生した。その少女はカニの甲羅のような鎧をまとい、背中からカニの足を生やし、そして人間の腕の代わりにカニのハサミを生やして
いた。
「かにしる……参上……カニよ」
ガニジラは、ガガニガニガガガニニガガ、と吼えると、身体中の刺の幾つかを周りにばらまいた。
ばらまかれた刺は小さな、と言ってもあくまでガニジラの大きさと比べてであって人間サイズはある、カニとなった。
かにしるは双華たちの方を見ると、ハサミを後ろに振り上げた。
「あらま、あのデガニあんなこともできましたのね」
「戦ってもいないのに、あの娘に脅威を抱いたというの。しかし、ガニジラには無限の再生能力がある。おそらくあのカニ達にも同じ再生能力が……」
「大丈夫カニよ〜ん。対策は万全ガニよ〜ん。待たせたカニな。さがっているカニよ〜ん」
「なんか、生意気ですわ」
「師匠が言ってたけど、まだ若い時にカニのDNAが顕著になると、性格と口調が20代若返るらしいわ。ほら行くよ。炎燕」
「あら、そうなるとあの娘生まれてもいませんわよ」
「師匠の50代の頃の思い出話よ」
「それ全然若くありませんですわ」
「今にしてみればまだ若いでしょ」
双華と炎燕は話しながら、かにしるの後ろに下がった。
「では行くカニよ〜ん、『シュブブブブ』」
かにしるは向かってくる人間サイズのカニの軍団に向けて泡を吹き始めた。
「あの娘大丈夫ですの?なんか泡みたいのを吹き始めましたけど」
「泡みたいじゃない。実際あれは泡なのよ。あの泡一つ一つにカニ型強化型白血球が1小隊ずつ待機してるの」
かにしるが吹いた泡は人間サイズのカニ軍団の上に降りかかった。
その時双華たちの近くに再び円錐形の転送光線が降り注ぎ、カニ斎とミスフォレストと見知らぬ男が転送されてきた。
「師匠!!」
「ガニ。双華、ご苦労ガニ」
「いえ、師匠」
炎燕は見知らぬ男が気になった。どこか頼りなさそうな雰囲気もあったが、ちょっと理知的な気がする。
「あ〜ら、そのお兄様はどなたかしら」
「紹介するわ、彼がドクターセルよ」
「ドクターセル。ではかにしるのお兄様……」
「え〜と、双華ちゃんだね。三週間も大変だったろう」
「いえ、師匠に鍛えらえ……」
炎燕が双華の話の途中で、双華を押し退け、セルの前に顔を出した。
「あ〜ら、心配なくってよ。一週間目からわたくしも一緒でしたから。ちなみにわたくしはこの拳法バカよりも年下ですのよ」
「は、はあ」
「確か、炎燕だったガニな。急な配置換えにもかかわらず見事な働きぶりだったガニ。よく双華に力を貸してくれたガニ」
「あ〜らこのくらい年下としては目上の方の手助けをすることは当然のことですわ」
「おかげでかにしるの修業はほぼ完了したガニ。見るガニ、ワシがたどりつけなかった究極の蟹人拳を……」
皆が視線をかにしるに移すと、かにしるがカニ軍団たちの表面に降り掛かった強化型白血球たちに号令を出すところだった。
「強化型白血球、ビッグ器ガニ摂取カニよ!」
すると、さっきのかにしるが器ガニを食べているのと同じ音が反響して聞こえた。強化型白血球たちがビッグ器ガニを噛んでいるのだ。そしてゴクンというのみこんだ音がした後、泡にしか見えなかった強化型白血球たちが小人サイズとなった。
「撃破カニ!!」
小人サイズの強化白血球は人間サイズのカニ軍団のカニたちを、その右腕のハサミで切り刻むことで、次々と撃破し始めた。
「オホホホ、素晴らしいですわ。アタシたちの攻撃が効かなかったというのに」
「本来、末期獣を含め、病魔を宿すものに対して、いかなる攻撃は無意味です。ただ唯一有効なのは、強化型白血球によって目標体内の病魔を撃破することだけ
です。しかしガニジラはその体内に要塞胞を持っています。要塞胞はカニ斎の強化型白血球を洗脳してしまう力があります。そのため強化型白血球をガニジラの
体内に侵入させても、それを無効にしてしまうのです」
「わかりましたわ、フォレストさん。かにしるの強化型白血球ならば要塞胞の影響を受けないという事ですわね」
「しかし師匠、あのように強化型白血球があそこまで巨大化するとは聞いたことがありません」
「あれはワシがたどりつけなかった蟹人拳の極致の一つガニ。ワシがまだ若い頃、蟹人拳を極めきれていなかったから、巨大で強力な末期獣を相手にするには、
体質面を強化することで対抗する必要があっただったガニ。その頃に発見したのが、いろいろな食材を食べ合わせる事で、その組み合わせに応じたさまざまな形
態に脱皮できる体質ガニ。そしてノンクロークラブに脱皮する事で、その形態情報を器ガニに保存できることも発見したガニ。また強化型白血球も、本体である
ワシと、同じ体質を持っているはずであることが、理論上確かめることができたガニ。だが実際強化型白血球の器ガニを発生させることはおろか、強化型白血球
を脱皮させることさえできなかったガニ。しかし今回、ガニジラと対するには強化型白血球の潜在能力を開化させることが不可欠だガニ」
「ええ、我々がドクターセルをお呼びしたのは、ミスウラシルに協力を要請する事を彼女の保護者である彼に了解を求めるだけでなく、強化型白血球を脱皮させ、強化型白血球用の器ガニを発生させる方法を発見してもらうためでした」
「まあ、素晴らしいですわ。ドクターセル。弐Cの皆さんが150年以上もの時間を費やしても発見できなかった事を、たった二週間で突き止めてしまうなんて」
「いや、弐Cの150年に渡る基礎研究があったからできたんだが……。全てカニ斎さんが、かにしるに蟹人拳の基本を習得させる為、行なった猛特訓コースを参考にしただけだがね」
二週間前、弐C本部の転送室の中で氷柱から出てきた時、かにしるはノンクロークラブに脱皮し、ノーマル器ガニを発生させていた。
元々かにしるやカニ斎たちの蟹人の脱皮は、開始は意識的に始められるものの、カニ部分の体質が自動的に、表皮の内側で新たな肉体を形成するなどの、制御をすることで行なわれている。脱皮をするには、カニ部分の体質を活性化させることが不可欠なのだ。
かにしるを『噴氷の大河』の中に投げ入れたのは、生存本能に働きかけることにより、カニの体質の一部であるエラ呼吸をマスターさせることで、水棲生物であるカニ部分の体質を活性化させる目的があったのだ。
また、ノンクロークラブに脱皮するには、新たな肉体を形成する時、気をコントロールすることによって、カニ部分にまわる血流をおさえ、人間部分の血流を速める必要があった。
かにしるを氷柱で封じ込める必要があったのは、カニ部分の血流の流れを滞らせ、生存本能に訴えることで気のコントロールに目覚めさせ、それにより人間部分の血流を速めさせることで、擬似的にノンクロークラブに脱皮する条件を整えさせる目的があったのだ。
セルは強化型白血球に器ガニを発生させるには、あの時のかにしると同じように、かにしるの体内から採取した強化型白血球を水に投入した後、急速冷凍すれば、本体と同じように器ガニを発生させる事ができると考えたわけだ。
その後は、器ガニを発生させた強化白血球を体内に戻し、骨髄で増殖させるだけだ。
「本当はガニジラを倒す武器を開発できれば良かったんだが、オレは妹を戦場へ送る準備の手伝いしかできなかった」
「それは違うガニ。ガニジラのことがなくても、あの娘が病魔に感染してしまった以上、自分自身の病魔を克服できたとしても、他の病魔トラブルに巻き込まれ
る可能性は高いガニ。病魔に感染するという事はそういうことガニ。それら病魔トラブルと対決する道を選ぶにしろ、回避する道を選ぶにしろ、病魔の試練の中
で押しつけられる潜在能力を発掘することで得られる力は大きな助けになるガニ。その潜在能力の探究の中で、研究という手段で助けとなる者はいても、精神的
な助けとなる者はなかなかいないガニ。しかし一番必要なのはその精神的な支えガニ。ボウズはあの娘に対して最も必要な精神的な助けになっているガニ」
「すまんな、カニ斎さん。あんたと違って、ウラシルが病魔に感染してもオレたち兄妹は一緒にいられるというのにな……」
カニ斎は病魔に感染してから別れも言えないまま家族と引き離され、双華と出会うまでは、たった一人で百年以上過ごしてきたのだ。
「いや、ワシには弐Cの人間もおったし、何より今は近くにこいつがおる」
カニ斎はそういって、双華の頭に左のハサミを乗せ、ゴシゴシと擦った。
双華はそのカニ斎の言葉がうれしかったが、不安でもあった。
カニ斎は人前で自分の心情を、特に双華に関することを、吐露することなどなかったからだ。ポーカーフェイスを気取っているくせに、表情を隠し切れない事はあっても、口に出すことは全くなかったと言っていい。
まるでカニ斎が、今言っておかないと今後伝えることができない、と思っているように感じたのだ。
「さ、今はかにしるの戦いを見守ろうガニ」
「強化型白血球、ビッグ器ガニ&ダッシュ器ガニ摂取カニよ!」
小人サイズの強化型白血球たちは鎧の懐から、ビッグ器ガニとダッシュ器ガニを取り出し、食べ始めた。そして、次々に脱皮し、両バサミが普通のハサミより細く、背中に生えているカニの足にロケットエンジンのような空洞が開いているのが特徴的なダッシュクラブとなった。
ダッシュクラブは、カニ斎の記録映像を全て見た双華でさえ、初めて見た形態をしていた。
「ダッシュクラブ……ドクターセル、もしかしてあれはあなたが見つけた……」
「ああ、そうだ」
ミスフォレストが説明を継いだ。
「元々我々が把握していたのは、全部でノーマルクラブ、ノンクロークラブ、ビッグクラブ、ディフェンスクラブ、スラッシュクラブ、プレッシャークラブの全部で6つの形態のみでした。我々はあらゆる食材の食べ合わせを試し、その上で6つの形態しか発見できませんでした」
「ではなんでドクターセルはダッシュクラブなる形態にゆきつけたのです?」
「我々弐Cは全てノーマルクラブのみの調査結果を記録していました」
「だがオレは6つの形態において、それぞれ試してみたんだ。するとノーマルクラブ時における結果と他の形態におれるそれが違う食べ合わせがあることがわ
かってよ。また形態の変化によって噛む力が変動することに気がついて、通常、生き物が口にする事ができない物を強化型白血球に食べさせてみたんだ」
本当はたとえ強化型白血球だとしてもウラシルにそっくりな彼女らを実験台にするのは気が進まなかった。だがかにしるの潜在能力を限界まで引き出せずして、ウラシルがガニジラのオモチャになってしまう様な事はもっと嫌だった。
「そしたら見つけられたって訳さ。いや〜、おかげで楽勝で勝てそうだな。良かったよ」
セルはかにしるの戦いに目を戻した。
「ダッシュして、ガニジラに取り付けカニよ!!」
小人サイズの強化型白血球たちは背中のカニの足で大地に立ち、カニの足に開いている穴からガスを噴射することで、横方向にダッシュしてガニジラへ向かった。
ガニジラは、ガガニガガニガ、と吼え、全身の刺から光線を照射し、近づいてくる強化型白血球たちを迎撃した。何人かは光線が命中し、消滅させられたが、ほとんどがガニジラに取り付くことができた。
「強化型白血球、ビッグ器ガニ&サウンド器ガニ摂取カニよ!」
ガニジラの身体中にしがみついている強化型白血球たちは、左のハサミが身長と同じくらいあるが、それ以外はノーマルクラブと変化のないフォルムをしているサウンドクラブに脱皮した。
「強化型白血球、音波計測開始カニよ!」
強化型白血球たちは左のハサミでガニジラの甲殻を叩き始めた。反響を分析することによって、要塞胞の位置と大きさを特定するのだ。
しかし、それのためには、今しばらくの時間が必要だった。かにしるは、その時間を稼ぐために、ディフェンス器ガニを食べディフェンスクラブに脱皮し、さらにあることをすることにした。
『ガニガガガニガニガニニニガ』
「何ですのあのカニ娘が出しているあの声は?」
「あれは召還師に習ったカニ語ガニ。普通召還師の勉強は人外の言語を学ばなければなら為、発音やら文法やら大変らしいガニ。しかしカニのDNAを持ってい
るワシやかにしるなら簡単な文法を覚えるだけですむガニ。ま、この年では、ワシはもうそれすら覚えることは大変ガニが……」
『汝は太古と現在を繋ぐもの、いでよ、カブトガニ』
かにしるの呼び声に応え、次元の狭間を開いて、ガニジラの大きさに勝るとも劣らないほどのでかいカブトガニが現れた。そしてカブトガニはガニジラに悠然と向かっていった。
ガニジラの体に変化が起きた。腹が口元を支点としてオルゴールのように開いた。その中には折り畳められた人型の足があった。
「何ですの、アレは!」
と、炎燕。
「人型の足ですって」
と、ミスフォレスト。
ガニジラは人型の足を地面に下ろした。そしてその人型の足を伸し、カニの胴体を持ち上げた。人型の足を完全に伸し終えると、開いた腹を閉じた。
「あいつ、立ったぞ」
と、双華
「あれは本来カニ斎の、人間の細胞が混ざっているんだ!人型になってもおかしくないかもしれない」
と、セル。
ガニジラの頭部が割れてピーナッツのような丸い物体が現れた。それは人の頭部だった、それも皆が見知った者に似ていた。
「あれは、そんな、ワシか?ワシ……ガニか!!」
甲殻の表面が刺で覆われていたりなどの多少の違いはあるが、ガニジラは今や巨大なカニ斎となった。
「違う、違うよ、師匠。外見が何です。中身は全く違うものです」
双華は消沈しているカニ斎を抱きしめた。
変形したことでガニジラの体表にしがみついている強化型白血球たちのそれまで音波計測のデータは無駄になってしまったが、強化型白血球たちは気落ちすることなく左のハサミでガニジラの甲殻を叩き続け、作業を続けた。
カブトガニはガニジラに近づくと、鋭い牙で噛みつこうと飛びかかった。しかしガニジラは跳躍してよけた。そしてそのままガニジラはカブトガニの背後に着
地し、その着地の勢いを乗せて右のハサミをカブトガニの丸い背に叩き付けた。だがハサミはカブトガニの固い甲羅に止められてしまっていた。今度はカブトガ
ニが鋭い刺のような尻尾でガニジラをの胸を突いた。尻尾はガニジラの胸を突き刺したが、尻尾が傷から抜けると、すぐに何事もなかったように再生を果たし
た。ガニジラの攻撃はカブトガニの固い甲羅に阻まれ、カブトガニの攻撃はガニジラの再生能力の前に無力だった。
ガニジラとカブトガニの戦いがこう着状態に陥っている間に、ガニジラの体に取り付いたサウンドクラブ形態になっている強化型白血球たちの音波計測の結果が出た。かにしるは強化型白血球たちが送ってきた手バサミ信号を解読して、要塞胞の位置と大きさに当たりをつけた。
かにしるはカブトガニを戻した。召還を続けている間は、精神集中を続けなければならないため、身動きできないからだ。
ガニジラはカブトガニが消えると、かにしるに向き直った。
「強化型白血球、スラッシュ器ガニ摂取カニよ!そしてガニジラの右足のアキレス腱を集中攻撃するカニ」
ガニジラはかにしるの方へ歩き始めたが、右足のアキレス腱を強化型白血球に突然切断されてしまったため、土煙をあげうつぶせに転んでしまった。
かにしるはダッシュ器ガニを取り出し、咀嚼すると、ダッシュクラブとなった。
そして手バサミ信号で遠くの山頂から中継されてくる映像でモニターしているはずの本部の転送室に居る蒼子に高振動粒子呪符と転送マーカーを送ってくるように要請した。
手バサミ信号を送ったとたん、転送マーカーと高振動粒子呪符が送られてきた。
かにしるは右バサミの先端に転送マーカーを取り付けた。さらにかにしるは右バサミの横に高振動粒子呪符を貼り付けると、ガニジラへ向かっていった。
かにしるの接近に気付いたガニジラは、上体を起こし、左のハサミをかにしるに向かって叩き付けた。
しかしかにしるは、そのハサミが叩き付けられる直前、カニの足に開いている穴からガスを噴射し少し前に出ることでかわした。かにしるの背が、地面にめり
こんでいる、左のハサミに接しているほどギリギリだった。かにしるが前に出るのがもう少し遅ければ、背中を削られていたことだろう。
「蟹人拳奥義、蟹足登攀カニ」
かにしるは背中から生えているカニの足を使って、ガニジラの左のハサミを伝うように登り始めた。
蟹足登攀、それはカニの足を使い、落ちるような速さで崖を登る奥義だ。
ガニジラはかにしるが左のハサミを登っている時、左のハサミを振ってかにしるを払い落とそうとした。しかしかにしるは強靱なカニの足でガニジラの左のハサミをしっかりと掴み、ガニジラの頭の上まで登り切った。
ガニジラは無事な左足だけに体重をかけることで、まっすぐ立ち上がった。
かにしるは左バサミをガニジラの頭皮の上に突き刺し、高振動粒子呪符を半ばからちぎりとった。
高振動粒子呪符は張り付けた物品の粒子を振動させ、その物品に触れた物質を、物品を構成する粒子の振動で、分子結合ごと断切ってしまうすごい呪符だ。し
かしまだ実験段階で制御が難しく、発動させるとどんどん短くなっていく性質を持たせることで、呪符の長さで発動時間を調節する方式を取っているのだ。
かにしるは、発動している間に自然落下をして要塞胞に行き着くように、呪符の長さを調節したのだ。
次にかにしるは右のハサミで自分の左のハサミを、付け根から切り取った。呪符の効果範囲はハサミ一個分ぐらいしかなく、効果範囲とそうでない箇所が繋がったままだと下手にダメージを受けてしまうからだ。
「呪符よ、震えろ」
かにしるはガニジラの頭部から飛び降りつつ、呪符を発動させた。途端、ガニジラの頭皮に突き立たされていたかにしるの左のハサミは、まるで水に沈むかの
ように頭皮をもぐっていった。かにしるの調節が正確だったら、おそらく要塞胞に左のハサミが触れるくらいの位置で呪符の効果が切れるはずだ。
かにしるは、地面に激突する前に背中のカニの足の開いている穴からガスを噴射することで落下速度を軽減し、無事着地した。そして手バサミ信号でおそらく
要塞胞と接触しているであろう左のハサミに付けられた転送マーカーとその周囲にあるものを転送するように蒼子に要請した。
転送マーカーは転送制御玉や転送端末玉と同じ材質で作られた1センチほどの球だ。たとえそれを付けられた対象が転送端末玉を持った転送員の目に見えなく
とも、転送端末玉から1キロメートル圏内にあれば、転送マーカーを中心にある程度の範囲にあるものを転送することができるのだ。
はたして円錐形の光りがガニジラにふりそそぎ、次の瞬間ガニジラとは離れた場所に円錐形の光りがさした。そして円錐形の転送光線の中心に、人間ほどの大
きさのコンペイ糖のような形をしたひときわ強い光が現れた。そして転送光線が消えると、人間ほどの大きさのコンペイ糖のような形の強い光が異様な肉塊とし
て残った。ガニジラは、ガニガガガガニガニ、と吠えると、再びうつぶせに倒れてしまった。
かにしるは背中のカニの足で大地に立ち、右バサミを相手に向ける突鋏剄の構えをとった。
「蟹人拳奥義、突鋏剄カニ!!」
かにしるは異様な肉塊、要塞胞に突鋏剄を放った。その突鋏剄は、ダッシュクラブの特徴である、カニの足の噴射口からガスを噴出して加速しているため、カニ斎の突鋏剄よりも数倍の破壊力があった。
かにしるの攻撃が命中した直後、かにしるは激しい衝撃を受けた後、自分が宙を跳んでいることに気がついた。姿勢を整えて、足から着地したが、接地後勢い
をころしきれず、数メートル滑ったした後尻餅をついてしまった。要塞胞を見てみると、傷一つ与えることはできなかった。どうやら突鋏剄の威力を跳ね返され
てしまったようだ。右の鋏が根本から折れてしまっていた。
「エクスクロー器ガニ、イートイン!カニよ」
かにしるの懐から黄金の器ガニが出てきて、かにしるの口元目指して登り始めた。
左の鋏は自分で切断し、右の鋏は折れてしまった。しかし器ガニは望めば、自分から食べられることもできた。
「何ですのあの器ガニは」
炎燕は黄金の器ガニに思わず興奮した。
「なに、あれ、力……を感じる?」
双華は黄金の器ガニに何かを感じた。
「あれこそワシらが思いも付かなかった、究極の、さらにその上を行く形態ガニ」
ミスフォレストがカニ斎の言葉を解説した。
「我々弐Cは六つの形態しか発見できませんでしたが、究極の形態がどんなものか推測することができました。蟹人の初期状態であるノーマルクラブ、形態を器
ガニに保存するためのノンクロークラブ、巨大化するためのビッグクラブ、それら三つを除き、残る三つは全て蟹人の三つの要素、甲殻の強度、機動性、蟹肉の
筋力の内どれか一つを強化したものでした。そのことから、それら三つの要素を、最高に高め、さらにあわせもった究極の形態、言わばアルティメットクラブが
存在すると推測したのです。そしてドクターセルは見事、アルティメットクラブへとかにしるの強化型白血球を脱皮させることに成功したのです」
「しかし、師匠。さっき究極のさらに上を行く形態……とおっしゃっていましたね」
「うむ、ボウズはあの形態のさらに上を見つけたガニ」
「いや〜ね、アルティメットクラブらしいものを見つけられたんだけどさ、全てが最高って事は食べ物を噛む力も消化する力も最高って事だよね。それらをいか
せる食材って……言っても、もうカニも人間も食べれないものだから資源って言った方が良いのかな、とにかく、食材を探したのさ。ただ、それを見つけられ
たって話さ」
かにしるは口に入って来たエクスクロー器ガニを咀嚼した。
するとかにしるの身体の中心から亀裂が走った。そしてその亀裂から光りが漏れてくる。やがて脱皮が完了すると、そこにはハサミの代わりに二本の光の剣を
両腕に装備し、甲殻を模した光の鎧をその身にまとったかにしるの姿があった。光の剣の長さはノーマルクラブ時のハサミのそれよりも三倍もあり、背中に生え
たカニの足の長さと太さも二倍はあった。
「あれこそ二つのハサミを一つに合わせた究極の上を行く形態ガニ」
かにしるは二本の剣をハサミのように交差させ、背中に生えたカニの脚の関節からガスを噴出させ、要塞胞に向かっていった。そして要塞胞と真っ正面からぶつかり、まるで通り抜けたかのように素通りした。
かにしるが着地した後、要塞胞が真っ二つに避けた。するとそこに一体の病魔らしきものが現れた。らしきものと言うのは、病魔にしては余りに巨大すぎたからだ。その者は人間と同じ大きさだった。しかし病魔はミクロサイズだったはずである。
「グオオオ、口惜しいぞ。憎き強化型白血球の屍で作った要塞胞によって、強化型白血球どもを退けることができたと言うに、アヤツラに長年とらえられ、解放された時が我の最後の時とは……」
「ム、おまえは似ているガニ。ワシが最初に戦った病魔のアヤツに似ているガニ」
「おぉ、おまえは我が父が話しておった二人目の者か。そうか、おまえが我と我が要塞胞を……」
「違うガニ。おまえの後ろを見てみるガニ。おまえをやったのはあのかにしるガニ」
病魔らしき者は後ろを振り返り、かにしるを目にした。
「おぉ、あれは光の鎧、ついにあの力の片鱗を手にした者が現れたと言うのか。我が要塞胞が破れたのも無理はないこと。むぅ、そろそろ最後の時がやってきたようだ」
「ま、待つガニ。おまえワシが二人目だと言ったガニ。それはどういうガニ……」
「さらば……」
病魔らしき者の額から血が流れ始めた。やがてその血は鼻先からも流れ始め、徐々に下へ降りて、最後には股間へと続いた。そして次の瞬間その病魔らしき者は真っ二つに割れてしまった。
「むぅ〜ワシが二人目、さらにもう一人……まだ何かあると言うのかガニ?しかし、ワシにはもう時間が……」
「なっ、師、師匠、どういうことです。そのお言葉……」
「見るがいい、ガニジラを……ガニ」
要塞胞を見たミスフォレストが悲鳴を上げた。
「ああ、なんて事ガニジラがまた動き出そうと……」
「細切れにしてやるカニよ〜ん」
かにしるは再びガニジラへ向かっていった。
「無意味ガニ。あの細胞はどうやら無限の再生能力があるガニ。しかし要塞胞がない今手はあるガニ」
「待って、お願い待って、師匠!」
「何をするつもりカニ?師匠カニ」
「かにしる。よく見とくガニ。これからすることはワシが完成することができなかった蟹人拳究極奥義ガニ。ただおまえなら極められるガニ。セルや、おまえの
妹を危険な道に引き込んでスマンガニ。双華、今までありがとうガニ。家族と離れればならなかったワシにとって、おまえは再び持つことができた家族ガニ。双
華よ、これからは姉弟子として、かにしるの支えとなるガニ」
「師匠カニ」
「おい、待ってくれよ。カニ斎さんよ」
「師匠」
「よく見ろ、かにしるガニ。蟹人拳究極奥義……」
カニ斎はガニジラに向かって歩き始めた。かにしると双華とセルがカニ斎の後を追おうとしたが、どうしてか、足がすくんで動けない。
カニ斎の身体が輝き始めた。するとガニジラの身体も輝き始める。
「うぅあぁ……これは……なにカニ?身体が熱いカニ?アタシの強化型白血球が反応してカニ?」
かにしるは身体の全ての強化型白血球が何かに反応して、自分と同じように脱力しているのを感じ取った。
「これは気の光?ガニジラの中の強化型白血球がカニ斎の気に反応して光っていると言うの?」
ミスフォレストが分析した。
「カニ光セー……」
カニ斎とガニジラの身体から、強烈な光が放たれた。
光が収まると、そこには万斬斎と巨大な肉塊が残っていた。
「強化型白血球が気の力に耐え切れず、自滅したと言うの?しかしカニ斎、いや万斬斎あなたは今の齢で強化型白血球の力を失えば……」
カニ斎、いや万斬斎が仰向けに倒れた。
「師匠ー」
双華が悲鳴を上げて万斬斎に駆け寄った。
「双…華、最後に、おまえにこの姿を見せられて、ワシは満足しておる」
「ダメです、最後とは言わないでください、師匠」
「そ、双華……、おまえに…、伝えねばならぬこと…が…ある。おまえに初めて会っ……た日のこ……と、お……前の両親が……末期獣に殺された日のことだ」
「師匠、お願い、今は黙っていて……。体力を温存するべきよ」
「末……期獣に民間人が……襲われるこ…とは…当時…めず…らしかった。そこでワシは……おまえの父の最後を……看取った後、すこ…し調べてみた。する
と、ほ…かにも家捜しした者が居た事に気……付いた。そして……かろうじて残って……いた資料から、おまえ…の父は、末期獣の事件の……記事を集めていた
ことがわかった。それ……が、おま……えたちが末期獣に襲…われる理由となったのかはわからない。そし…てもう一つ……おまえに言っておか……ないといけ
ないことがある」
「師匠、後で、後でいいでしょう。お願いよ」
「おまえの……父は……言っていた。おまえをその背……に隠し、もう一人……いると、もう一人いると、姉がいると……」
「姉が?私にそんなの知らない、私には師匠しかいない」
ミスフォレストは二人を見ていられなくなった。
彼女が弐Cに入ったのは14年前、双華が6歳で引き取られてから10カ月経った後だった。まだ6歳なのに催眠療法が効かない為、末期獣事件関連の記憶の
消去ができず、弐C内から出られない双華に対して、母性本能が働いたのか、それとも弐C内で一番年齢が近かったからなのか、ミスフォレストはよく双華と一
緒だった。それは彼女がよく迷子になり、その度に小さい双華に道案内してもらっていただけではない。
その頃はまだカニ斎と双華に血縁関係があることは知らなかった。弐Cでも幹部しか知らない秘密だったのだ。
ミスフォレストは飛び級で大学を出て、わずか14歳で弐Cに入った才女だった。
そんな彼女でも、入ったばかりの頃は、知らされなかった。しかしカニ斎が、時々、一人で遊ぶ双華をじっと見入っていたのを目にした。
カニ斎の誕生の経緯は、弐Cに入った当初にレクチャーを受けていた。病魔感染の治療が始まって以来、家族と別れねばならなくなり、それ以後独り身で生き
てこなくばならなかったカニ斎に、彼女は少なからず同情の念を持っていた。しかし、背中からカニの足を生やし、人間の腕の代わりにカニのハサミを持ってい
るカニ斎に対して、これまで彼が独り身で生きてきたからこその警戒心も持っていた。
そんな彼が小さな双華に対して何か良からぬことを考えているかも知れない。
そう思った彼女は弐C上層部に、双華をカニ斎がいないセクションで過ごさせることを提案した。
双華がカニ斎の直系の子孫であることを知らされたのはその時だ。
そのことを知ったミスフォレストは態度を百八十度変えて、カニ斎と双華がなるべく一緒に過ごせるように心がけた。家族と一緒に過ごせないと嘆く双華に、カニ斎が双華の先祖であることを打ち明けるように、彼を説得しさえもした。
ミスフォレストが万斬斎に寄り添い泣きじゃくる双華を見ていることができなくなったのは、ふと、あの時の行動は間違っているのかもしれないという考えが
浮かんでできたからだ。あの時ミスフォレストが行動しなければ、双華はいまだにカニ斎との血の繋がりを知らず、師弟関係を結んでいなかったかもしれないの
だ。そうしたら双華が今ほど悲しむことはなかっただろう。
ミスフォレストは二人から目をそらした。そしてぼんやり、双華が今泣くのはそれだけ幸せだったからであり双華がカニ斎とのことを知らないのはもっと不幸なことだと考えながらも、ガニジラの名残りである肉片の中にある物に気がついた。
「あれは……冬眠カプセル?」
『ビー』と音がして、冬眠カプセルが開いた。するとその中から、カニ斎とかにしると同じ蟹人が現れた。
万斬斎はフルフルとその人物の方を向くと驚いた。
「お…前はミスターフォレストジュニア?」
ミスフォレストは万斬斎の声を聞くと思わずキッと、新たに現れた蟹人を睨み付けた。
「あなたがあの弐Cの裏切り者にして、わたくしの先祖の面汚しなの?」
蟹人はまだ冬眠から冷めたばかりでまだ本調子ではないのか、ふらふらしながらゆっくりとミスフォレストの方を向いて、わずかだが驚きに顔を歪めた。
「おまえは、ミリアなのニカ?」
ミスフォレストはその名をどこかで聞いた気がしたが、すぐには分からなかった。
「違……う、ミリアは……もういない。彼女は……子孫だ」
「おまえは万斬斎!……そうか、おまえは最後の時か……、ミリアが逝って、お前も逝ってしまうのか。そうか、証明は……間に合わなかったなニカ。ハハハッハハハ……ニカ」
「何がおかしい、いまいましい蟹人よ。お前がわたくしの先祖を裏切らねば、彼はこうも苦しまなかったかもしれないのよ」
その言葉を聞いて、ミスフォレストの説明の中で、なぜか裏切り者の名が伏せられていたことにセルは気がついた。
「そうか、あんたが弐Cの……いや万斬斎医療チームの裏切り者か」
「裏切りだとニカ?私がニカ?人はいつも私をそう言ってきたニカ。その根拠は何ニカ。私がお前らと意を異にしてきたからニカ?私はいつも病魔との和平交渉
を望んでいただけだニカ。その私が万斬斎のクローンを軍事利用に使うだニカ?あのような怪物を作り上げるだとニカ?ふざけるニカ」
「しかし記録では軍の遺伝子改良部隊が襲撃してきた時、あなただけ所在が掴めなかった。あなたが当時の軍非人道的グループに加担していなかったと言うのな
ら、なぜあなたはその格好で、そこにいるのです。強化型白血球によって得られる力を絶対視し、なおかつ未知の細胞と病魔感染者の細胞を合成して生み出され
た怪物と一体化することで、自らを神格化しようとしたからではないのですか」
「なるほど確かに君は我が妹ミリアの子孫らしいニカ。君もミリアの様に能力は優秀らしいが、発想は幼稚だニカ。強化型白血球で得られる力を絶対視ニカ?あ
のような化物を神格化ニカ?あの時私がどこにいたか証明しろだニカ?ふっ、くだらん事だ、そもそも私を疑ってかかると言うことは、はなから私を信用してい
なかったという事だニカ。もしあの時私を信用していたら、視点を変えることで、お前らは気づけたというのニカ。なのに初めから他者を……私を疑うような輩
に証明せねばならないことなどなニカ。そもそも私がこの姿になったのは私がお前たちや彼らのような主戦論者とは違うことを証明するための時間が欲しかった
からニカ。私は、彼らがお前たちから入手した要塞胞に潜んでいた、病魔の主戦論者『ガニジラ』と面会するために彼らの基地に潜入したニカ。しかし彼らに捕
まってしまいあの怪物に閉じ込められてしまったという事ニカ」
「『ガニジラ』……カニ?『ガニジラ』とはあの化物の名前ではなく、あの要塞胞の中にいた病魔の名前カニ」
「おや、お嬢さんの姿はニカ?まだ若そうだが、君はその姿にどうやってなったニカ?」
「教える必要なないカニ。お前は今ここで私が倒すカニよ〜ん」
かにしるは要塞胞を真っ二つにしたあの一撃を再び繰り出そうと身構えた。しかし突然かにしるは全身から光を発し始めた。
「な、なにカニ。力が抜けていくカニ」
「どうしたんですの?ドクターセル」
「炎燕さん、オレにもわからん。あの形態を実戦で使ったのは今回が初めてなんだ」
光がおさまると、全裸となったウラシルが現れた。
「なっ、何でよー?」
セルはウラシルに自分の上着を羽織らせた。
「エクスクロークラブで戦うと強化型白血球が消えてしまうって事みたいだな」
「それがその形態の弱点ニカ。ところでさっきの質問ニカ」
「オレだ」
セルはかにしる……改めウラシルをかばうように彼女の前に立った。
「見たところそのお嬢さんはまだ若いようだが、病魔感染の治療を始めてからその姿にさせるまでどのくらいの期間がかかったニカ?五年、それとも十年ニカ?」
「ウラシルは生まれた頃から病魔に感染していたようだが、本格的な治療を始めたのはほぼ一年前からだ」
「これは驚いたニカ。お前はどうやら天才のようだニカ。あの当時お前の様な者がいたら、もっと別の方法も考えられたのに残念だったな、万斬斎ニカ」
「過ぎたことは……どうでも……いい。なにお前の……親父は……よくやってくれたよ。ところで、あれに……閉じ込められていた……のは、あの化物が……作られていたときか?」
「さあニカ?……眠らされていたからわからないニカ……。おやニカ?」
ミスターフォレストジュニアは、万斬斎の傍らにいる双華を見つめた。
「やるつもりか?我は形象蟹人拳の双華、我が祖から形象蟹人拳を受け継いだ者だ。あなたが私の先祖万斬斎を欺いた者と言うのなら、私があなたを倒す」
「おやおやさっきの私の話を聞いていなかったとでもニカ。それとも私のような者の話など信じられないと言うニカ。それはいい心がけニカ。そして親しい者の
話でも自分の目で確かめない内は、記憶の隅に置いておくだけにしておくとなおいいニカ。この私の様にニカ。私は君の顔を見たことである事実を確かめたニ
カ。それは私が冬眠させられてからたいして時が経っていないという事ニカ」
「な、私の顔を見て何がわかるというのだ?」
「冬眠させられる前にもう一人の蟹人と会ったニカ。実はそいつに負けて、冬眠させられたニカ。そいつは『カニ華01』と名乗ったニカ。どうやら君はあの娘
の双子の妹らしいニカ。それもまだ強化型白血球の洗礼を受けていないニカ。そのような君がまだそのような若い容姿をしているという事はあれからまだそんな
に時が経っていないという事ニカ」
「ウソよ、あの化物が作られたのは、研究所跡から回収された資料によると遅くても140年には作られていたわ。あなたは自ら怪物を作って、自分から冬眠カプセルに入ったのよ。でなければ、あなたが姿を消してから、140年も間、どこで何をしていたと言うの?」
「実は要塞胞の所在を探していたニカ。一人では時間がかかりすぎて、やっと140年後に見つけることができたニカ。ではもうおさらばするニカ。病魔『ガニジラ』と会談することはできなかったニカ、彼らと対抗する手段ぐらいは手に入れておくニカ。ではこれでさらばニカ」
蟹人は足下の肉塊を手にした。
「待て、あんたそれをどうするつもりだ?」
「天才君、これの使い道はただ一つニカ。私の強化型白血球と合成して頼もしい味方となる魂を宿らせるニカ」
「魂を宿らせる?アンタもガニジラみたいな化物を作るって言うのか」
「ガニジラ?ああ私が閉じ込められていた化物ニカ。違うニカ。あれは不完全な感情しか持たされなかった不完全な存在ニカ。私が魂に用意するのは完全な一個の感情を持った……いや、正しくは空っぽの容れものニカ」
「空っぽ?」
「あの化物、天才君たちがガニジラと呼んでいる、あれは、あの化物の体内に宿った魂が感情を形成させる前に、あらかじめ二つの要素のみを構成する記憶だけ
を植えつけられていたニカ。だからあの化物は食べる事と異性と戯れることしかしなかったニカ。私はそんな方法をとらず、空っぽの状態から生まれたものを育
てるニカ」
「そうすればあんな目茶苦茶な行動をとる化物にならないと?」
「さあ、私は子供を育てたことがないから、どう育つかわからないニカ。もしかするとあの化物のような行動をする同等の存在を止めてくれるかもしれないし、
もっと酷いことをするかもしれないニカ。とにかくこの世界をいろいろ体験させて、それに見合った行動を取ってもらうように心がけるニカ。さて、天才君お
しゃべりはここまでニカ。それでは最後にもう一段階上の形態を見せるニカ」
蟹人は懐から赤い器ガニを取り出した。一見すると、それはノーマル器ガニのように見えたが、それにしては赤い色が濃すぎた。蟹人は音を立てながら器ガニを咀嚼した後、脱皮を始めた。
「何だ、ヒビから炎が漏れてくる」
脱皮を終えると、一見するとノーマルクラブのようだが、甲殻から炎を出している蟹人が現れた。
「何ですの、炎の精霊の力を感じますわ」
炎燕はセルの腕にしがみついた。
「ハハハハハ……ニカ。天才君、もてもてニカ。これは蟹人は脱皮によって甲殻に炎の精霊を宿らせることができるという証拠ニカ。それではさらばニカ。万斬斎、安らかな眠りをニカ」
「まっ……待て。お……前が……裏切ったのでは……ないと……言うのだな」
「当然ニカ」
「ならば……ミスターフォレストに……お前で……はなかった……と伝えて……おこう」
「頼む……ニカ。……万斬斎、私の研究によれば、今すぐ強化型白血球を補えば、まだ間に合うかもニカ。可能性は少ないニカ」
「すま……んな……ワシは……もう生き……過ぎた。いい頃……合だよ」
「そうか、本当に証明は間に合わなかったのだニカ。では本当にこれでさらばニカ」
炎をまとった蟹人は、甲殻から炎を噴き出させ、空へ飛んでいった。
「そんな、あんなことができるなんて。これは夢」
「フォレストさん、夢ではありませんよ。どうやらあのようなことができるみたいですね」
「な……に、ボウズならば……セルならば……すぐにできる……だろうよ。とこ……ろで、セル、かにしるの強化型白血球を持っておるか?」
「ええ、ここに」
セルは万斬斎に強化型白血球の入ったビンを手渡した。
万斬斎はビンの蓋を開け、辺りに散らばっているカニジラ……あの化物の肉塊に振りかけた。
「ミスター万斬斎何をするの!」
「す……まん、フォレスト。しかし……最後に……あいつを信じて……や……りたいのだ。あの……時……信じてやれ……なかった代わり……にな。あいつ……
が正し……ければ、こ……れから生ま……れてくる者を……人間の赤ん……坊のように育……てれば、この……先に待って……いる難関を突……破する力と……
なってく……れるだろう。双華、よくぞ……形象蟹人……拳を習得した……な。しかしあ……れは蟹人専用……の技を常人の運動……能力で再現す……るため
の……代用品に過ぎない。そ……こで双華、お前……はワシが……カニ斎になる前……に所属していた道……場へ入門しな……おしなさい。そ……こ……でなら
人間のお……前でも、蟹人……拳以上の力を発揮で……きる流派を学……べる……はずだ。本来門外不出……の道場だが、ワシの……血を引くお……前なら入門
でき……るはずだ。本部のワシの……机の引き出しに入……っている封筒を宛……先に書いた場……所へ持っていく……がよい」
「わかりました、師匠」
「それか……らかにしる、い……やウラシル、お……前もウラシルの……ままで双華に付……いていくがよ……い。蟹人拳を完全に習得する……にはあの流派を
学……ぶ必要がある……。良いか、双華を……姉と思い双華の……言うことを……聞くのじゃぞ。それか……ら、人……間の齢を超えたら、絶対にあ……の形態
エクスクロークラ……ブになるんじゃない……ぞ。人間の齢を超え……た状態で強化型白……血球の力を失った……ら、ワシのよう……に死んでしまう。あい
つ……の言うことが本当だと……しても、可能性は低……いらしいからな」
「ごめん、先生。私破るよ、その約束。もしあの姿にならなければ大切な人を守れない事態に直面したら、私、破る。先生が私たちを守るために、私たちを置いていってしまうように」
「この……分からず屋め。最後に……双華、ワ……シのこ……とをおじい……ちゃんと呼……んでみてく……れんか。お前とワ……シとでは血縁者……とは呼
べ……んほど……代……が離れす……ぎておるが……、心の奥底ではお前のこ……とを孫……と思っておった。じゃがその孫……にどう接すれば……いいかわか
らん……かった。まだ実……の子供が小……さな時……に離れざるえなかった……からの」
「師匠、私もおじいちゃんと呼んでいていい?」
「おお、い…いぞウラシル。お前とは……短かったが、お……前もいい……弟子だった」
双華とウラシルは万斬斎に抱きつきおじいちゃんと呼びながら泣きじゃくった。
「よく泣……く、童ど……もだ。ご……覧、ワシの魂と……入れ代わ……りに新たな魂が……」
万斬斎が震える手で指さす先には、かにしるの強化型白血球をかけられたガニジラの肉片が赤子の形になろうとしている姿があった。ガニジラの肉片が赤子の姿となり終えると、それを指さしていた万斬斎の手が地面に落ちた。
双華は万斬斎の亡骸から離れ、赤子を抱きしめた。
「おじいちゃん、私誓うね。この子をちゃんと育ててみせる。普通の人間じゃなかろうと人間よりも人間らしく、笑って怒って泣いて許せる子供に……」
ウラシルは万斬斎が置いたかにしるの強化型白血球が入ったビンを手に取り、飲み干した。
そしてノーマルクラブのかにしるとなると、右のハサミを天に向けた。
「おじいちゃん、誓うカニよ。姉弟子双華の言うことを聞いてあなたの志を継ぐカニと。ウリャアア〜〜カニ光線!!」
かにしるの右のハサミから光線が天へ向かって放たれた。
かにしるはカニ光線を何度も何度も天へ向かって打ち続けた。
その場に残された者は、天へと消えていくカニ光線をいつまでも見続けた。
やがて星が瞬き始めた。万斬斎の魂が天にたどりついたことを知らせるように……。
かにしる VS ガニジラ 完
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