中編 双華の三週間戦争

 視界がかすむ。昼間だと言うのに周囲がよく見えない。
『触手が来る、双華。いつも速度が速いよ、体勢を整えて』
 左耳のイヤホンから、遠くの山頂から望遠レンズで双華の戦いをモニターしている転送員、雪子が警告してきた。
「眼がかすむ、よく見えない。方向指示頼む」
『了解、向かって右側から回り込んで、4時の方向から接近中』
 顔を向けると、霞んだ視界の向こうから、数本の、先端にタコのような吸盤が付いていてさらにその奥に目玉のような物がある、触手が迫ってきた。
 双華は左腕に装備している挟むための鋏、挟鋏(きょうきょう)のハサミを動かすグローブ状のレバーを握ってみた。しかし挟鋏のハサミに反応がない。同じ く右腕に装備している斬るための鋏、斬鋏(ざんきょう)のハサミを動かすグローブ状のレバーを握ってみるが、同じく反応はない。
 挟鋏と斬鋏はカニ斎の両バサミから作られている。
 そもそもカニ斎の腕の蟹部分は肘から続いているのだが、実際カニ斎の人間部分の腕は、ハサミの根元部分まで続いており、蟹部分の外骨格がその上に被さる形になっている。その先は指先から伸びている血管が蟹肉とハサミの外骨格に、神経が蟹肉にそれぞれ続いているのだ。
 斬鋏と挟鋏は以下の順序で作られる。
 初めカニ斎に全身麻酔をかけた後、肘部分から始まる蟹部分から、人間部分の下椀を引き抜く。
 ちなみにカニ斎の、蟹部分から引き抜かれた人間部分の、下椀は、表皮からぬるぬるした体液が染み出しては瘡蓋のように固まるという事を繰り返し、ハサミ の付け根部分までの蟹部分を形成する。そしてハサミの付け根部分までの蟹部分を形成し終えると、今度はその先端から小さなハサミがはえてきて、その小さな ハサミが徐々に大きくなる事で再生は完了する。
 次にハサミから、ハサミの根元から肘までの部分を切り放す。
 三番目にハサミの蟹肉のみを特殊な薬品で解かす。
 四番目にハサミの血管に鋼線を通し、その鋼線の先端を強力な接着剤でハサミの外骨格に接着する。
 五番目に、ハサミの中に溶かした蟹肉の代りに人口の筋肉繊維を詰め込み、神経と繋げる。
 六番目にハサミの根元に、弐C特性の、気を電気信号に変換するグローブ状のレバーを取り付け、そのグローブの指先に鋼線と神経を接合する。
 最後にハサミと、最初にハサミと切り放したハサミの根元から肘までの部分を、籠手状に加工したものを接続する。
 挟鋏と斬鋏のハサミを動かすには、グローブ状のレバーを握ることでハサミの外骨格に接着された鋼線を引くだけでなく、練った気をグローブによって電気信号に変換しハサミの神経に伝える必要があるのだ。
 しかし今の体調では、気を練ることができないため、挟鋏と斬鋏のハサミを動かすことができないのだ。
 挟鋏をいったん地面に突き刺し、左腕を挟鋏から抜いて、腰のベルトに複数取付けられている拳大の小袋の内の一つ、左側に付けてある煙玉が入れてある物に 手を伸ばす。煙玉が入れてある小袋はそこがわざと抜いてあり紐で閉じている。その紐を引き抜くと、煙玉が盛大にこぼれ落ちて、周囲が煙に覆われてしまっ た。
 双華は挟鋏を装備し直してから煙幕の中でうつ伏せになり、ガニジラの通り道のすぐそばに生えていた大木があった方向目指して、転がっていった。
 ここ一週間はろくに寝ていなかった。3時間戦っては、食事と休憩込みの1時間の休みを取るというサイクルを取り続けていた。今日にいたっては6時間、不眠不休で戦っていたため、もはや立っていることすら困難なのだ。
 狙いどおりに大木に行き当たり、大木の根元に座りこんだ。
 右腕の斬鋏を地面に突き立て右側の小袋の一つを取り外し、中身の弐C特製の保存食を口の中に放り込む。
 双華は今回の作戦のために、弐C兵站部に過酷な状況下においても日持ちし、しかも食べやすく消化もしやすいもの、という注文を出しておいた。時間は少な かったが、弐C兵站部は双華の全ての注文どおりの保存食を、見事作り上げてくれた。そのかわり味は破壊的だったが……、それでも自分で調理した料理よりも おいしいので少々腹が立っていた。
 双華は食料を飲み込んだ後、吐き気をおさえるために左手で口をおさえながら、右手で気付け用の丸薬を取り出し、口の方へ持っていく。しかしすぐには飲まない。
 煙が晴れていくにつれ、さっきまで自分が居た場所で、触手群が右往左往しているのが見えてきた。やがて触手群は気付いたようだ。双華のかすんだ視界でも、全ての触手がこちらに先端を向けるのがわかった。
 と、同時に気付け用の丸薬を口に含み、一気に噛み砕く。効き目は抜群で、さっきまで霞んでいた視界が一気に鮮明になった。
 すると遠くにあった小山のようにしか見えなかった物が再びはっきり見えるようになった。
 それはカニだ。でっかいカニだ。胴体は丘のようにでかいが、その丘からでっかい二つのハサミとその丘を支えている八本の足がはえていた。大きさはともか く形はカニだった。しかも身体中がトゲトゲで覆われている毒々しいカニだった。しかし、双華を襲っている触手はそのカニの両ハサミの関節部からはえてい た。あれはでかいカニではなく、でかい怪物だ。カニはでかくても、触手を関節から生やしたりはしない。
 触手は双華に向かってきたが、その動きはさっきよりも明らかに遅かった。
 丸薬を飲んで息を取り戻した双華を警戒しているのではない、遊んでいるのだ。
 双華は出撃前に、ガニジラの痕跡を追っていた調査隊に紛れていた弐Cの研究班の、最後の音声報告を聞いていた。
 その報告は1時間の長さがあったが、ほとんど悲鳴や絶叫で構成されていた。
 謎の怪物、ガニジラが男性を食料にし、女性に対してある事をすることはわかっていたが、その音声報告によって、すぐに行為を始めるのはなく、追い回すなど恐怖を与えてから事を始めることがわかった。
 ガニジラは双華を明らかに格下と見なし、彼女が疲労するまで悠々ともてあそぶつもりなのだ。
 双華は激しい怒りを覚えたが、必死にたかぶりをおさえ、斬鋏を振って触手を牽制することに専念した。
 なぜなら一番最初の戦闘で彼女の攻撃がガニジラにきかないことはわかっているからだ。
 それは一週間前のことだった。

 双華はガニジラから離れた痕跡上に転送されると、ガニジラを追跡し始めた。
 ガニジラの速度は人の足では追いつけないほどだが、風が匂いを運ぶ距離まで近づけば、後はガニジラが引き返してくる事が、調査隊の残した最終レポートの分析でわかっていた。それにその日は風が強く、通常より早く匂いがガニジラに届くはずだった。
 そして推測通り、痕跡の彼方からカニの怪物が土煙をあげて引き返してきた。
 双華の任務はカニの姿を見た時点で、痕跡をさかのぼり、カニを出来るだけ逆戻りさせることだったのだが、カニの姿を眼にした途端双華の頭は怒りでいっぱいになった。
「認めない、認めない。おまえがあの師匠の一部から生まれたなんて私は認めない」
 そのカニの姿は初めて眼にするが、双華には見慣れていた。
 なぜならそのカニの甲羅の質感は双華がその身にまとっている鎧と挟鋏と斬鋏と同じものだからだ。カニ斎のカニ部分とは違い、ガニジラは身体中が刺で覆わ れていたが、色合いなどはまるっきり同じだった。双華の鎧は、若かりしカニ斎が脱皮した、殻から削り出したものだ。挟鋏と斬鋏にしては、カニ斎の両バサミ を切断し、加工して作られている。カニ斎から作られた武器と防具と、カニ斎の細胞から作られたガニジラの甲羅が同じ質感を持っていることは当然のことだな のだが、双華にはそれが認められなかった。
 双華は左腕に差している挟鋏を地面に突き刺し、左手で鎧の右胸部分にある三本あるカプセル入れの内の一つから一本のカプセルを抜き取り、口で栓を抜いて右腕の斬鋏の刃に振りかけた。
『ちょっと何をするつもり、双華』
 雪子が注意を発してくる。
 双華は、雪子を無視し、地面に突き刺した挟鋏を再び左腕に装備した。
「我は形象蟹人拳の双華。我が祖から受け継がれしこの形象蟹人拳でその呪われた身体を砕いてくれん」
 双華はカニの怪物に名乗りを挙げて突進していった。
 雪子はさらに警告した。
『ダメ、双華。引き返して』
「大丈夫!いつもどおりに倒すだけ!」
 双華は5年間、御先祖であるカニ斎に代わり末期獣を倒してきたのだ。末期獣は普通の武器では倒せないが、カニ斎の強化白血球で濡らした武器なら倒すことができた。ガニジラも末期獣と似たような出自なら、カニ斎の強化白血球で倒せると信じたのだ。
 カニの怪物が、大木を切断できそうなほど大きい、左のハサミをゆっくりと伸ばしてきた。双華は構わず突っ込んでいった。カニの怪物は女性に対して必ずいたずらを仕掛けてくるとわかっていたからだ。双華は心の中で、今回その習慣がおまえの命取りとなる、と叫んでいた。
 双華は振り下ろされたカニのハサミを掻い潜り、カニの左列の大木ほどもある足へと向かった。
 どんなに敵がでかくても、動きを鈍くすることができれば、勝機を掴むことができるはずだ。そのために足を一本でも多く先に潰すことが先決なのだ。
「形象蟹人拳奥義、突鋏剄!!」
 発剄という打撃系最大の攻撃力を持つ素手による突きの動きを、剣による突きに応用した形象蟹人拳最大の突き技だ。
 本来の蟹人拳の突鋏剄はカニ斎の背中からはえたカニの足を使って助走をつけるのだが、形象蟹人拳の突鋏剄は跳躍とハサミの侵入角度を調節することによって本家より足りない威力を補完するのだ。
 狙い通り斬鋏はカニの怪物の甲殻を突き破り、足に刺さった。
 攻撃の基本は一撃離脱だ。
 双華はカニの足に刺さった斬鋏を支点にして、身体を持ち上げ、屈んだ姿勢でカニの足の表面に両足を付けた。そして、えいっ、と気合いを込めて身体を伸ば すことで斬鋏をカニの足から一気に引き抜き、その反動で宙を跳び、一回転して地面に降りた。そしてカニの怪物に背を向けて一目散に逃げ出した。
 最初はカニが追ってくる気配はなかった。
 当然だ。双華は、ガニジラが追ってこないのは足の傷がいっこうに治らないので気が動転しているからだ、と思っていた。しかし、雪子の警告に驚いて振り向いた。 『治ってる、双華。ガニジラの足が治った』
「なんでよ、なんで治っているのよ」
 双華が付けた傷はすでに治っていた。
 普通の末期獣は強化白血球で濡らした刃で切り裂くと、傷口が塞がらず、手傷を負わせれば倒すことができるのだ。
『双華、無理。ガニジラはカニ爺から摘出した要塞胞を基にして作られているから、カニ爺の強化白血球は効果が無いってブレーンちゃんが言ってた』
「違う、違う、あんなの師匠とは違うものよ」
 双華は、人間は誰しも生まれながらに動物の本能という欲を持っていて、しかし決してそれらのみで構成されているわけでなく、生きていく中でであった人々 との交流することにより、その中で生きていく規律を身に付けていき、個人の人間性とは欲と規律の折り合いの付け方で示されると……などと漠然と考えてい た。
「師匠はいつも自分を律している立派な人よ」
 ガニジラの行動はカニ斎の人間性を構成しているたくさんの要素の中から、たった二つだけを取り出してさらけだしたものなのだ。極端に言えば、人間が誰しも抱えている暗部だけを指摘してそれがおまえの正体だ、と言われているようなものだ。
「それに比べてあれは何?」
 そのようなものを見せつけられたカニ斎は、いつもの頼もしく感じる傲岸無双の態度が消え失せ、意気消沈していた。
 その姿を思い出した途端、双華は再びガニジラに向かって突進した。
 カニ斎は今や双華にとってたった一人の肉親で、と言ってももはや御先祖と言うほど代が掛け離れているが、大事な人間だ。
 双華が初めてカニ斎と出会ったのは、今から14年前の彼女が6歳の時、彼女の両親が末期獣に殺された夜のことだ。それから前のことはショックで忘れてし まい、未だに思い出すことはできないが、自分に襲いかかろうとした末期獣を真っ二つにした頼もしいカニ斎の姿は今でも覚えている。当時はクラブマンという 紙芝居が流行っていて、そのヒーローが自分を助けてくれたという喜びが、両親が動かなくなったという悲しみから、まだ死を理解できない幼い少女を救ってい た。
「師匠は弱い私を助けてくれた」
 ガニジラは双華が再度近づいても何の反応も見せなかった。
 頭に血がのぼった双華はガニジラの様子を警戒することもなく、再びガニジラの足に接敵し斬鋏で切りつけながら、小さい頃のことを思い出していった。
 カニ斎に助け出された後、双華は弐C内で育てられることとなった。
 大きくなってから教わったが、通常は、生存者は催眠暗示により事件の記憶が消された後他の事故の被害者として扱われるのだが、少女は催眠暗示が効きにくい体質だったらしく、彼女がカニ斎の子孫だったこともあり、それは特別な処置だったらしい。
 小さい頃は、カニ斎といつも一緒に居たわけではなかったが、同じ組織に居たこともあり、たまたま会うこともできた。そんな時は双華はカニ斎に両親のように甘え、カニ斎は戸惑いながらも精一杯対応していた。
「師匠はこいつとは違う優しい人だ」
 弐Cは病魔対抗組織という名目上双華と同年齢の子供は皆無だった。職員にも子供は居たが、家族には弐Cの存在は内緒だったからだ。そんな双華にとって職 員は家族のようなものだが、年若い職員は双華のことを気持ち悪がっている者が少なからず居た。もう少し大きくなってからある日のこと、それは双華がカニ斎 の子孫であるから気味悪がられているからだ、という事がわかった。双華は万斬斎が病魔に感染する前にできた子の子孫なのであるが、若い世代はそれがわかっ ていても避けてしまうのだった。それから一時期カニ斎を避けるようになった。カニ斎はそんな双華に無理に近づこうとはせず、むしろ自ら出会わないように気 を使っていた。
「小さい頃私は師匠を避けてたことがあった。師匠はそんな私を嫌うどころか、私を気遣ってくれた繊細な人なんだ」
 しかし双華は思春期に入る頃になって、カニ斎が突然病魔に感染して家族から引き離され、また今でも組織の人間からけんえんされることがあるという、自分 よりもつらい思いをしていることに気付いた。そのことに思い至った直後、双華はカニ斎に抱きついて、避けてきた間のことを、泣きながら謝った。そんな双華 をカニ斎は抱きしめるだけだった。
「ひどい仕打ちを受けても大きく構えることができる強い人なんだ。そしてそれを許してくれる心の広い人なんだ」
 それから少し後のことカニ斎の身体の変調に気付いた双華は、カニ斎が築いた蟹人拳の流派を継ぐと言い出した。しかしカニ斎は頑としてこれを拒否した。カ ニ斎はその理由は、双華は催眠暗示による記憶の消去が不可能であるという理由で弐Cの中で暮らしてはいるが本来は民間人であるからだ、と言うのだ。
「女の子を戦場に立たせたがらない昔かたぎの頑固な人なんだ」
 カニ斎に弟子入りを断られると、双華は打って変わって弐Cの外で暮らす許可を得ることを申し出た。もう大きくなった双華は昔と違ってたった一人の外出も 認められていたので、許可はすんなりおりた。カニ斎は双華の自立を歓迎してみせたが、気落ちしているところを隠し切れていなかった。しかし双華はしばらく した後、戦闘部門の要員としてスカウトされ、正式メンバーとして帰ってきたのだ。実は双華は組織を出る前に、弐Cの職員のスカウト場所とその方法を調べ上 げ、カニ斎には内緒で、渡りを付けていたのだ。そうして双華はカニ斎に、蟹人拳を常人にも使用できる形象蟹人拳として自分に伝授することを、認めさせたの だ。
「それでも努力をすれば認めてくれる人なんだ」
 それから今に居たる。双華は、その間ずっとカニ斎を御先祖だからという事だけなく、師匠として、人間として尊敬してきた。
 そんなカニ斎の人間性を侮辱するようなガニジラの存在を双華は看過することなどできないのだ。
 双華は刻んだはなから復元していくガニジラの足を見て、さらに躍起になって斬鋏をガニジラの足に向かって振り回し続けた。しかし雪子のせっぱつまった警告で冷静になった。
『出てきた、触手。ガニジラのハサミから触手が出た!!来るよ!!』
 双華はガニジラから背を向け、叫びながら走り出した。
「女性にいたずらするようなおまえは師匠とは違うんだー!!」

 それが一週間前のことだった。
『双華、仕掛けの準備完了。丘の上に』
「了解」
 丸薬の効果は長続きはしない。しかも効果が切れてから少しの間、軽い倦怠感がおそってくる。
 今までは、ガニジラは、副作用が切れるまで、明らかにわざと攻撃に手を抜いて仕掛けてきた。
 だが今回は薬の効果がきれたと見ると、さきほど隙を見て襲ってきた時を上回る速度で触手を伸ばしてきた。
 しかし、気付け薬の副作用でふらついていたはずの双華は、急に息を吹き返したかのように側転を始め、その場から離れた。触手はその双華の動きについていけず、双華がそれまで立っていた地面を突き刺すだけだった。
 双華はガニジラが地面に刺さった触手を引き抜いたり、新たな触手を繰り出したりする前に、丘をかけのぼった。
「おまえはやっぱり師匠とは違う。師匠はいつも用心深いんだ」
 双華は今までわざと気付け薬の効果が切れる前に切れたふりをしていたのだ。そうすることで、薬の継続時間を通常より短く見せと、副作用が残る時間を通常より長く思わせたのだ。
 双華が丘に登ると、塹壕のような溝があたり一面に掘られているのが目に入った。
「何だ、これは?これで身を隠せと?」
 しかし、双華が溝の下を覗き込むと、底に黒い液体が湛えられていた。鼻にツンと突き刺さるような匂いが漂ってくるところから、どうやら黒い液体は重油らしい。
「双華さん、回り込んでここまで来てくださいな。そこにいらっしゃったままですと、消し炭になりますわ」
 溝の向こうに軍から弐Cの転送員に配属されたばかりの炎燕(えんえん)が立っていた。
「炎燕!!あんたが援護要員なの?まだ弐Cに入ったばっかりじゃない」
「ハハッ、援護要員?このあたしが真打ちよ。あんたら拳法家の時代は終わりよ。とにかく早くこっちにいらっしゃい」
「わかったわよ」
 双華が炎燕のところまで行き着いた時、ガニジラが丘を登り始めた。そして触手を先に双華たちのところへ真っ直ぐ伸ばしてきた。
「来るよ、炎燕。何をする気なの?」
「まずはこうするのよ」
 炎燕はマッチをすって、溝の底に投げ入れた。すると溝の底に湛えられた重油に火がつき、一気に燃え上がった。ちょうど溝の上を伸びてきた触手が炎の熱さに耐えられず、炎が届かぬ上空へ逃れた。
「ちょっと、炎燕、この炎で足止めしようって言うの?けど炎を避けてこられたら意味ないじゃない」
 丘に上がってきたガニジラは燃え上がる炎をまわりこんで双華たちのところへ近づいてきた。
「ほら、ね。炎燕は早くここから逃げたほうがいいわよ」
「ふっ、このあたしが軍時代にどこに所属していたか忘れたの」
「いや、もとから知らないし」
「なら教えてあげるわ」
 炎燕は短剣を抜くと、右手の人差指の指先を切り裂いた。
「ま、自分の血を見て舌舐めずり。こわいこわい、ひょっとして軍時代は狂戦士部にいたの?」
 双華は他人をからかうほうではなかったが、高圧的かつ遠回し的な炎燕の物言いについいらだってしまった。
「そうそう、こうして血を見てると興奮するのよね」
 炎燕は右手を真上に掲げると、指先から伝ってくる血をじっと眺めた。
「てっ、あたしに限ってそんな訳ありませんし、軍にも狂戦士部なんてありませんわ」
 炎燕はさっと、炎に向かって右手を振り下ろした。その弾みで血が炎に向かって飛んだ。そして雑音のようなはっきり聞き取れない声を口にした。
 それは精霊語でこのように言っているのだ。
『我が血を贄にして、炎の精霊、サラマンダーよ形を成せ』
 炎燕の血が炎に飛び込んだ途端、指ぐらいの大きさのトカゲとなった。
『サラマンダーたちよ、我が用意した炎の舞台を舞え』
 炎燕が呼びかけると、トカゲが炎の中で縦横無尽に舞いだした。
『我が同盟者よ、我がしもべの舞いをそなたに捧げる。さあ、その姿を見せい』
 トカゲ……サラマンダーの動きが激しさを増し、その軌跡が無数の光の輪にしか見えないほどになった。たくさんの光の輪が次第に重なり合い、光の円柱と なった。するとその光の円柱の中にしゃがんでいる人影が現れた。人影が立ち上がると炎の勢いと高さが増した。そして光の円柱が消え去ると共に、両手にそれ ぞれレイピアを握り締めた4メートルの巨人が炎の中に現れた。
『僕は最近イフリート進級試験に合格したばかりの無冠の炎の巨人。ま、レイピアは得意だけど……それだけかな』
「なに……こいつ」
「あたしが軍時代に所属していたのは特務呪撃隊。そして彼はあたしが契約しているイフリート。その名はゼランサス」
『普通は魔人の打ち手……とか称号があるんだけどね、僕はイフリートに成り立てなんでただのゼランサス、まあゼラって呼んでよ。本当は彼女みたいな人は称号持ちと契約したがるんだけど、彼女は初めから僕のような成り立てを狙ってたね。まあ青田刈りというところかな』
「ゼラ、よけい事を言うことはありませんわ。あなたのその見事な剣技であのカニを焼きガニにしておやり」
『OK、まっ、剣技だけは得意だからね。けど僕らイフリートが使う剣は、僕のような成り立てが持ってるナマクラでも人間が使う炎の剣に相当する力を持っているけどね。じゃ、やるよ、陽炎疾風撃』
 ゼラの腕が消えた。すると炎が風も吹いていないのに揺らぎ、ガニジラの方へなびき、ガニジラを炎に包んだ。双華はガニジラを包む炎の中に幾すじもの光の 軌跡をめにした。ガニジラの甲殻の表面に幾つもの割れ目がはしった。どうやら光の軌跡の一つ一つがゼラの剣によるものらしい。
 ブクブブブク。
 ガニジラはたまらず泡を吹いた。
「すごい……」
 双華は戦いを初めて以来、ガニジラが苦しむさまを初めて眼にした。
「どう、おわかりかしら。もうあたしの時代なのよ。今度からあなたが援護役よ」
『それはどうかな。どうやら逃げた方がいいよ』
「なぜよゼラ。あなたの剣技の前で無事でいるものなど皆無だわ」
「いえ、逃げた方がいいね。見て」
「何よ」
『気づかないのかい。ほら、あのカニ傷付けたはなから修復していく。足止めくらいにはなるけど、炎燕は僕の存在をそう長く維持できるわけじゃないでしょ』
「ちょっとお待ちになって。あたしは君を呼んでいる間は動けないのよ」
『けど動かすことはできるでしょ』
「わかった。ここ頼みますね、ゼランサス。さあ、行きましょ、炎燕」
「ちょっと待って。何するのよ」
 双華は炎燕を担ぎ上げると、一気にガニジラの痕跡をさかのぼり始めた。
『炎燕を頼んだよ。さて、僕はもう少し運動を続けるかな』
 ガニジラは炎から逃れようとしたが、炎が足にまとわりつき、切られはしないものの削られ、その胴体を地面につけた。
「どう、ゼランサスをどのくらい維持できそう」
「彼、張り切ってるから一時間くらいね」
 二人のイヤホンに雪子が話しかけてきた。
『じゅうぶん。かにしるを『噴氷の大河』から本部に回収した。一時間もあったら、君たち二人を一個前の中継地点に転送するぐらいのエネルギーを充填できる。双華、転送し終わったら、一日中休憩取れってさ』
「冗談、いつもどおり、一時間休憩で再開する」
『ダメよ、今回は六時間以上ぶっとおしだったんだから』
「そのとおりですわ。あなた少し熱っぽいですわよ」
「わかったわよ」
 一時間後、双華たちはその日の戦いを終えた。

 双華は炎燕と共に、『神々の顎門』へ向かおうとするガニジラを誘い出しては戦闘を仕掛け、撤退しては休憩するという事を繰り返した。
 そして炎燕が援軍に加わってから二週間後、双華たちの戦いは終局を向かえた。
『双華、炎燕、用意はいい。今度転送したら、六時間ぶっ続けで戦ってもらうわよ。あなたたちの戦いはそれで最後。もうひとふんばりよ』
「こちら双華、了解」
「こちら炎燕問題なく、了解!」
『じゃ行くよ、転送』
 双華たちが転送されると、ガニジラが間をおかずしてその姿を土煙あげて現わした。
 双華は挟鋏と斬鋏の先端を炎燕に向けた。
「炎燕、頼むよ」
「お任せなさい」
 挟鋏と斬鋏のそれぞれの二つ刃には赤い塗料で呪句が書かれていた。さらにそれぞれのハサミの片方の先端には灯油を染み込ませた布が巻き付けられていた。炎燕はその布に火を付けた。
 炎燕は右手の人差指の指先を短剣で切り、流れ出た血を、双華の挟鋏と斬鋏の刃先の炎にふりかけた。
『我が血を贄にして、炎の精霊、サラマンダーよ形を成せ』
 双華の挟鋏と斬鋏の炎に炎燕の血が飛び込んだ途端、その血がサラマンダーに姿を変えた。
『サラマンダーたちよ、我が用意した血領にて遊べ』
 灯油を染み込ませた布で燃えていた炎が、赤い塗料で呪句が書かれた部分に燃え広がった。
 挟鋏と斬鋏の刃の呪句は、炎燕の血で書かれていたのだ。
「しばきまくってやる」
 双華は左腕の挟鋏を眼前に垂直に構え、右腕の斬鋏を水平に広げて構えてガニジラに向かっていった。

 ガニジラは、炎燕が援護に入ってから1週間以上たったころから、触手の伸ばし方がだいぶ巧妙になってきた。それまではスタミナが切れなどの隙を狙ってき たことはあったが、一方向から伸ばしてきたり、本数を十本前後に限ったりと、単調だった。ここ最近は、倍の本数の触手を二方向にわけ、同時に、または時間 差をつけ、襲いかかってきていた。
 双華は炎燕の協力で挟鋏と斬鋏にサラマンダーを召還することで対抗した。
 武器に精霊をまとい付かせると、攻撃力を増強する効果がある。
 しかし、並外れた回復能力を持つガニジラは、その触手さえも切断することすらできないため、攻撃力の増強は意味がない。
 だが、精霊を武器にまとい付かせる事で得られる効果は、なにも攻撃力の増強だけではない。精霊をまとい付かせた武器を振り回す素早さもあげることができるのだ。また他にも武器にまとい付かせた精霊に物見をさせることもできる。
 双華は挟鋏にまとい付かせたサラマンダーたちを物見に使い、斬鋏にまとい付かせたサラマンダーを素早さ増強に用いた。

 双華は触手が間近に迫ってくると、立ち止まった。
 触手は双華にすぐに向かってこず、距離をおいて左右に分かれた。
 おそらく死角から仕掛けてくるつもりなのでしょう。
 双華は挟鋏にまとい付いているサラマンダーたちの視線に集中し、斬鋏を挟鋏と交差させるように構えた。
 双華は待った。
 挟鋏のサラマンダーたちは一向に反応を示さない。しかし、双華はそれでも挟鋏のサラマンダーたちから視線を離さなかった。そして待ちに待ったサラマン ダーたちの反応は今まで見たことのないものだった。なんと挟鋏のサラマンダーたちだけではなく、斬鋏にまとい付いてるものたちまで後ろに気を取られている のだ。
 これはただ単に触手が後ろから近づいてくるという事ではない。双華はある考えに行き着き、背後の炎燕にゆっくりと振り返った。
 はたしてガニジラは触手を炎燕へと伸ばしていたのだ。
 だが双華は静観することにした。炎燕は今まで後方支援に徹していたが、軍時代は特務呪撃隊に所属していた、と言っていた。おそらくそれなりの戦闘能力を有しているはずだ。
「オホホホホ、遅い、遅すぎますわ。あんなオバサンを相手をするより、もっと早くこの若いアタシを相手にするべきだったのですわ」
「誰がオバサンだと。私はまだハタチだ」
「オホホオ、知らなかったのですか?20代を過ぎれば皆……。それに比べてアタシはまだ十代の若さを保っていますのよ」
 双華は黙って、19歳ぐらいだなと判断した。
 炎燕はガニジラの触手が間近に迫ってくると、懐からガソリンの入った小ビンを取り出し、自分にふりかけた。そしていまだ人差指の指先から血が流れ落ちる右手で懐からマッチを取り出した。
『我が血を贄にして、炎の精霊、サラマンダーよ形を成せ』
 詠唱をしながら、マッチを擦った。炎燕が炎に包まれると同時に、サラマンダーが炎燕を覆う炎に舞った。
 それを見た双華は思わず、「趣味悪ー」と感想を漏らした。
『フォームアップ、武装召還フレームアーマー』
 炎燕を包む炎が勢いを増し、両肩から翼のように広がっている肩当てが特徴的な鎧の形となった。
 ガニジラの触手は炎燕を先端の吸盤で捕えようとしたが、炎の鎧の中のサラマンダーたちに押し止められた。
 ガニジラは、ガッガッガガガガニガニニ、と吼え、炎燕の方へ伸ばしていた全ての触手を双華に向けた。そして双華の周囲を、一定の距離を開け、取り囲んだ。ガニジラは、がっガニガニに、と吼えると、触手を双華に向けて一斉に伸していった。
 双華は中腰になり、重心を半歩後ろに出した左足にかけ、右足を半歩前に出し、挟鋏と斬鋏のハサミを、それらを取り巻く炎が地面に届くように構えた。
「炎燕、あれを頼む」
「本気、どうなっても知らないわよ『駆けよ、サラマンダー』」
 二つのハサミを取り巻く炎に宿っていたサラマンダーたちの内のそれぞれの一匹が地面に足を付けて、走るように足を動かし始めた。だが、双華が走ろうとし ているサラマンダーが宿っているそれぞれのハサミをわずかに持ち上げることでサラマンダーの足の力を地面に伝わりにくくしたり、重心を後ろに傾けるたりし たことで、土を掻くだけに終わった。双華はだんだんと両方のハサミを地面に下ろすにつれ、徐々に双華を引き摺り始めた。そして重心を半歩前に出している右 足に移すと、勢いよく滑り始めた。
 炎燕が双華の挟鋏と斬鋏の炎に宿るサラマンダーにかけた呪文は、元々輸送用の呪文だった。だが双華はその呪文で走るサラマンダーを水面を走るモーターボートの様に使い、まるで水上スキーをするように地面を滑った。
「あらま、器用なことですわ」
 双華は正面から迫ってきた触手に目前まで近づくと、右腕の斬鋏を地面から少し持ち上げることで斬鋏に宿る走っているサラマンダーの足の力を地面に伝わり にくくさせることで、挟鋏と斬鋏のそれぞれの走るサラマンダーが引っ張る力の合力を左に傾けさせ、左に曲がることですれすれに触手を避けた。
 双華は、挟鋏と斬鋏の炎に宿る暇そうにしていた他のサラマンダーたちがキョロキョロと振り向くようにして、しきりに双華の後ろを気にしだした事に気づ き、彼らの動向に注目した。そしてサラマンダーたちが目を前足で覆ったり、首を激しく左右に振り始めたりとさらに不安な様子を見せたので、中腰だった姿勢 を伸し両腕を真上に上げた反動でジャンプした。すると、後ろから触手がその下を物凄い速さで通り過ぎた。双華はその触手の上に着地し、その触手を挟鋏と斬 鋏の間に挟んで、それぞれの炎に宿っているサラマンダーを触手とそれぞれのハサミの間に挟むことで触手に押しつけ無理矢理走らせ滑り始めた。
 ガニジラは触手を、双華を包囲するように配置していたので、双華が滑っている触手のすぐ近くに、別の触手があった。双華は次々と近くにある他の触手へ飛び移っていった。そして触手の包囲網から脱出し、ガニジラを中心として反時計回りに回り始めた。
 ガニジラは、ガッガガニガッガ、と吼え、ハサミの関節から倍の数の触手を新たに出し、今度は炎燕の方へ伸した。ガニジラは触手を隙間なく密集させることで、炎燕を閉じ込めるように、円柱を作った。そして徐々に触手で作った円柱を狭めてきた。
「オホホホホ、これで閉じ込めたつもりかしら」
 炎燕は両手を左右に広げた。
『サラマンダーたち、投擲の準備せよ!!』
 炎燕がまとっている炎の鎧に宿っている全てのサラマンダーたちは、その右の前足に自らが宿っている炎を収束させ、炎の槍を作った。
『フルバースト!!』
 炎燕がまとっている炎の鎧から無数の小さな炎の槍が周囲に放たれた。
 炎燕を閉じ込めている触手で作られた円柱の内壁に幾つもの小さな爆発が起き、触手が千切れはしないものの、触手の密度にムラができる事を防げなかった。
 炎燕は最も触手の密度が薄くなっていそうな場所に当たりをつけると、手の平を合わし、その場所に指先を向け、腕を伸ばした。
『フォームチェンジ、武装召還、フレームガントレット!!』
 炎燕の全身を覆っていた炎が彼女の両腕に集中し、炎の籠手を形作った。
『サラマンダーたち、投擲の準備せよ!!一転集中、ファイアー』
 炎燕の両腕の炎の籠手から、彼女が触手の密度が最も薄いと目星をつけた場所へ向け、巨大な炎の槍が放たれた。
『フォームアップ、武装召還フレームアーマー、駆けよ、サラマンダー』
 炎燕は巨大な炎の槍が命中するのを待たず、再び炎の鎧をまとうと、その場所へ向け、両足の裏のところにいるサラマンダーたちを走り出させた。
 炎燕を閉じ込めていた触手で作られた円柱の一角から炎が噴き出し、その中から炎燕が飛び出した。
 炎燕は円柱から脱出すると、双華と同じように、ガニジラを中心として反時計回りに回り始めた。
 ガニジラは両バサミを真上に上げ、ひとしきり、ガッッガッガガニガニ、と吼えた後、両バサミの関節から膨大な本数の触手を出し、双華と炎燕に向けて伸した。
 しかし双華と炎燕はサラマンダーの機動力を活かし、悠々と触手の隙間を縫うように駆け抜けてみせた。
 その二人のイヤホンに雪子が話しかけてきた。
『ちょっと、二人とも、まだ30分も経ってないんだよ。そんなに張り切って後6時間も持つの』
「オホホホ、こんなのは訓練にもなりませんわ」
「全く全く、地道に自分の足で走り回ってた頃に比べたら楽々」

 それから三時間後、ガニジラは未だ諦めず、触手で二人を捕えようとしていたが、捕まえられずにいた。
 二人は額に汗をにじませていたが、それだけで、その勢いを鈍らせることはなかった。
「飽きた、飽きた。おい、ガニジラ、もっとましな芸を見せてみせろ」
 双華がはやしたてると、ガニジラは、ガニガニガニッガガガガ、と吼えると触手を光らせた。
「何をするつもりだ、ガニジラぁ」
 触手が光るのをやめると、なんと全ての触手が複数に枝分かれし始め、一挙に数倍に増えてしまった。
「アラアラ、双華さんよけいなことを」
「炎燕、こっちも見せてやれよ。もうじゅうぶん舞っただろ」
「では行きますわよ、『我が同盟者よ、我が舞いをそなたに捧げる。さあ、その姿を見せい』」
 炎燕の炎の鎧の炎が、一気に膨れ上がり、いびつながら、巨大な人の姿となった。そしてそのいびつな巨大な人型の炎は炎燕から離れてガニジラへ向かっていき、触手郡の一部を掴んだ。
『カニさんお久しぶり。また僕の剣の稽古に付き合ってよ』
 ガニジラを振り回した後、投げ飛ばした。ガニジラは背を下にして飛ばされたが、姿勢を立て直して、足から着地した。
『なかなかやるね』
 いびつな巨大な人型の炎はマントをはらうような仕種をすると、イフリートのゼランサスの姿となった。
 雪子が慌ててイヤホンから警告してきた。
『ちょっと、イフちゃん呼ぶの早すぎない?あれ一時間しか持たないんでしょう』
「大丈夫ですわ。彼を維持するエネルギーは、彼を呼び出すために舞った時間に比例しますの。もう3時間ぐらい舞ってさしあげましたから、この前と同じ運動量で、丸一日彼はガニジラ相手に稽古できますわ」
 ガニジラは触手郡を幾つかに球のようにまとめて、ゼランサス目掛けて投げるように伸した。その勢いはもはや双華と炎燕を相手にしていた時の比ではなかっ た。ゼランサスは触手で作られた球を、その両手に炎のレイピアを出現させて、そのレイピアで次々と跳ね飛ばした。ガニジラはしばらくその攻撃を続けていた が、急に触手を両バサミの関節へ引っ込めた。
「オホホホホ、アタシが見出したゼラに恐れをなしたのかしら」
 ガニジラは両バサミを口の前で合わせるように構えると、突然ゼラに物凄い速さで向かってきた。だがゼランサスはガニジラの目の動きを見て、いち早くガニジラの意図に気付いた。
『双華、彼女を……!!』
 双華は切羽詰ったゼランサスの声を聞くと、一目散に炎燕の元へと駆けつけ、炎燕を肩に担ぎ、その場を離れた。
「ちょっと、双華さん何を……」
 炎燕の抗議は、ガニジラのハサミがそれまで炎燕がいた場所に叩き付けられた事で、おさまった。
『考えたね。確かに契約者は僕の唯一の弱点だけどそうはさせないよ』
 ゼランサスは両手の炎のレイピアをいったん消し、ガニジラを背中からおさえつけた。だがガニジラは胴体を跳ね上げることで、ゼランサスを跳ね飛ばした。 そして炎燕を背負ったまま挟鋏と斬鋏の炎に宿る走るサラマンダーで水上スキーのように滑る双華を追いかけた。その速度は今までのものとは全く比べものにな らないくらい速かった。ゼランサスは飛ばされながら右手の炎のレイピアを出すと、ガニジラに向けて奥義を放った。
『一点千突』
 それはただ単に突きを出したかに見えたが、同じ箇所に千本の突きを放つという技だった。剣先から一筋の火線が伸びて、ガニジラの進行方向の地面を深くえぐった。ガニジラは急に止まることができず、いきなり開いた穴に足をとられ、前につんのめった。
 ゼランサスは着地すると、左手のレイピアも出し、動きを止めたガニジラに対して、前回、ガニジラの動きを止めるのに用いた陽炎疾風撃を再び放った。
 しかし、ガニジラは素早く体勢を立て直し、その場から離れることで陽炎疾風撃をかわし、再び炎燕たちに向けて走り始めた。
 ゼランサスは一点千突や陽炎疾風劇などを矢継ぎ早に出し、ガニジラの進行をくいとめた。
「ゼランサスの運動量、前より大きいんじゃない?」
「ン〜、3時間ちょいで時間切れかしら」
「ぎりぎりね、それじゃあ炎燕、ちょっといい」
 双華は炎燕を担いで滑りながら、作戦を話した。

 それから3時間が経とうとした時、突然、ゼランサスの姿が小さな火の玉と変わり飛び去った。
 ガニジラは、ガニガッガニ、と吼えた後、再び両バサミの関節から触手を出し、双華たちへ触手を伸した。炎燕を担いだまま滑る双華は遅く、触手との距離が 次第に縮まっていった。だが触手が双華たちに届く寸前、火の玉が双華に担がれた炎燕にぶつかった。炎燕にぶつかった火の玉は、炎となって炎燕を包み、炎の 鎧となった。
『駆けよ、サラマンダー』
 炎燕は双華の背から飛び降り、右へ曲がっていった。
 炎燕を降ろし身軽となった双華は、逆に左へ曲がった。
 結局、触手は誰も捕まえることができず、引き離されてしまった。
「オホホホホ、ゼラが消えたのは、時間切れになったのではなく、エネルギーを節約して再びこのフレームアーマーを装着するためにアタシの意志で帰ってもらったのですわ」
「このまま引っ掻き回してやる」
 だがそうはいかなかった。
 ガニジラは両バサミを真上に上げて、ガッガッッガニニニ、と吼えた後、弾丸のような速度で、触手を炎燕と双華に向けて伸していった。
『サラマンダーたち、投擲の準備せよ!!フルバースト!!』
「この、この」
 炎燕と双華は炎の槍や斬鋏を振り回して、触手を払おうとしたが、本数の多さと鋭い速度に対応できず、とうとうその手足を触手に絡めとられてしまった。
 その時、本部の蒼子から連絡が入った。
『双華!炎燕!転送制御玉、エネルギー充填完了!!かにしるを送るよ』

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