かにしる VS ガニジラ 東洋之 合成獣 前編 弐Cの招待

「ボウズ、ボウズ……起きろガニ。」
 セルは微睡みの中で自分を呼ぶしわがれた老人の声を聞いた。
 うっすらと目を開けると、微睡みでぼやけた視界に、しかしはっきりとした特徴を持った人影が見えた。
 そのぼんやりとした人影は、人間の腕の変わりにカニのハサミを肘からはやし、背中からはカニの足を生やしていた。間違いない。その人影は旅立ったはずのたった一人の妹、ウラシル、改め、かにしるのはずだ。
 セルはウラシルが完治した後、ネコシル、モーシル、ウサシル、かにしる、計4体の強化白血球を他の研究者に貸し出していた。そしてその4体が帰ってきた 後、ウラシルは一番評価の高かったかにしるの強化白血球をその身に戻し、かにしる型強化白血球の基礎能力をさらに向上させる為、かにしるとなって修業の旅 出に出たのだ。なぜならば強化型白血球と言えどもしょせん個人の免疫に過ぎず、白血球の基礎能力を向上させるにはその持ち主自らの身体能力を鍛え上げるほ かなかったからだ。
 セルは目を擦りながら、声をかけた。
「かにしる、帰ってきたのか。どこかのおじいさんと友達になって連れてきたのかい?」
「寝惚けているガニか、坊主ガニ。かにしるは今出かけているガニ」
「え……?」
 セルは徐々に視界が鮮明になっていくにつれ、顔を青ざめさせていった。
 なんと、目の前に居たカニ型の人影は、かにしるではなく、白い髭をヘソあたりまではやし着物を着た、老人だったのである。
「なっ、知らないおじいさん?その姿は?」
「ワシはカニ斎ガニ。昔々、ボウズの妹さんと同じ病魔に侵されたことがある者ガニ」
「何だって?かにしる……いやウラシルと同じ病魔に?けど文献を調べたって同じ症例は載ってなかった」
「当たり前ガニ。ワシの症例は当時の軍によって秘匿されたガニ」
「軍によって?」
「そうガニ。そしてボウズが連れてこられたここは当時の軍から独立することで作られた組織の本部ガニ」
「僕が連れてこられたって?あれ!ここは?」
 セルはようやく自分が見慣れた我が家ではなく、見知らぬ部屋で寝かされていたことに気がついた。彼は買い物の時、いきなり後ろから羽交い締めにされた後、意識を失った事を思い出した。おそらく、薬か何かを使われたのだろう。
「ここは病魔対抗組織弐キャンサー、通称弐Cの本部ガニ」
「弐C……?弐の意味は?」
「ワシも知らんガニ」
「それに病魔対抗組織って、組織を作らねばならないほど、あんな病魔が流行っていたんですか?」
「ここしばらくの間は人間以外だったガニ。人間であの病魔に侵された者は、ワシが病魔に侵されてから約150年の間、ウラシル嬢だけガニ」
「ちょっと待ってください。150年って」
「どうやらDNAを強化されると寿命も飛躍的に延びるらしいガニ」
 セルは突然の聞かされた話を黙って整理していたが、突然あることに思いいたった。
「そういえば、かにしるは今出かけているとおっしゃってましたね。ではさっきまでは居たのですか?」
「居たガニ」
「どうして?あなた方が病魔対抗組織と名乗っているからには、かにしるをあなた方に協力させるためですか」
「そうガニ。しかし、元病魔感染者といえども、かにしるは民間人ガニ。通常ならワシ等が守る側の人間ガニ。ウラシルが病魔に感染した時も、本来ならワシ等 が出動すべきだったガニ、こちらに病魔が人に感染したという情報が入った時、すでにボウズがウラシルを治していたガニ。ワシの時は昔とはいえ、軍のトップ レベルの軍医が結集されたというのに、長い時間がかかったガニ。それなのに、君は一人だというのに、ワシ等と同じ治療法を導きだし妹を救ったガニ。兄妹愛 の力ガニ」
「通常なら……というと、かにしるがここに居るのは、あなた方が通常扱ってきたケースとはまったく異質な事態が発生したということですか?」
「その通りガニ。まずワシ等が扱ってきたケースを教えるガニ」
 セルはカニ斎から数枚の写真を受け取った。
「こっ、これは……まるで怪獣!クラブマンに出てきた怪獣みたいだぁー!!」
 クラブマンとはセルが子供の頃から流行っていた幼児向け紙芝居で、かにしるの様な体型をした巨人が怪獣と戦うという物語だ。クラブマンに出てきた怪獣は 馬の足をはやした蛇や、ワニの尾を持つ羊など簡単なデザインの合成獣、いわゆるキメラだった。セルが渡された写真はそのキメラそのものだったのだ。
 セルは幼少のおり、いや今でもクラブマン関連のグッズが出回るとそれがパッチモンでも集めずにはいられなかった。
「クラブマン……ガニ。懐かしいものガニ。当時は隠滅処理が未成熟だったガニ、不確定な目撃情報がだいぶ出回ってしまい、そんな物も作られたガニ。まっ、内容が内容だけに、大衆には信じられずに紙芝居だけですんだガニ」
「えーぇ!じゃあ、クラブマンとは実話をもとにして作られた……」
「そういえるガニ。ワシ等が普段相手にしてきたのは人間以外の生命体があの病魔に感染し、末期を迎えたものガニ。ゆえにワシ等はそれらを末期獣と呼んでいるガニ」
「あの病魔に侵された末期症状がこんな怪獣になることなんて……」
「感染源はいつも謎ガニ。ワシ等が感染に気付くのは病魔に感染した個体が末期獣となった後ガニ。ワシ等はゴシップ雑誌や民間人の口コミなどに目を光らせ、末期獣らしい情報にぶつかる度に調査し排除してきたガニ」
「しかし今回は違うと?」
「それはわたくしの方から説明します」
 セルが寝かされていた部屋に美貌を知性で包んだような女性が入ってきた。
「彼女は弐Cのブレーン、ミスフォレストガニ」
「初めまして、医師のセルです」
「初めまして、ミスターセル、わたくしは弐Cでメインブレーンを勤めてさせていただいているフォレストです。あなたのすばらしい功績はこちらでも話題を独占していますよ」
「いいえ、ウラシルががんばってくれたからですよ。私はその手伝いをしただけで……。えーと、そうだ今フォレストさん達が直面している異常事態とはいったいこれまでのものとどう違うんですか」
「それを説明するにはまず病魔に侵されたミスター万斬斎の治療過程から話さなくてはなりません」
「万斬斎さんって、もしかしてカニ斎さんの治療前のお名前ですか?」
「そうガニ。ワシは病魔との合戦前は大佐だったガニ。しかし、昇進して間もない頃、それまで大病を患わなかったワシが頻繁に高熱にうなされるようになったガニ。そこで軍医に見てもらった時初めて奴ら……病魔のことを知ったガニ。その軍医の子孫が彼女ミスフォレストガニ」
「そう、私の先祖ミスターフォレストが最初に彼らを発見しました。わたくしがこの職に就いたのも彼に影響されたからです。話は戻しますが、ミスターフォレ ストは医療チームを組織し、あなたと同じ治療法を導きだし、実践しました。そしてミスター万斬斎が完治した時点でミスターフォレストが組織したチームは解 散するはずでした。しかしその治療過程でミスター万斬斎がネコ斎、モー斎、ウサ斎などに変異した時の並外れた戦闘能力に魅了された軍はこともあろうに人工 的に兵士達を病魔に侵して、病魔感染者を量産することを強要してきたのです。ミスターフォレストが率いる医療チームはこの命令を拒否しましたが医療チーム の中に裏切り者がいたらしく、秘密裏にミスター万斬斎のクローンを量産し、彼らを刷り込みによって軍の司令部の支配下に置き、そして密かに培養していたネ コ斎、モー斎、ウサ斎型の強化白血球を彼らに投与して、遺伝子改良部隊を作ってしまったのです。軍は医療チームの解散という名目で彼らが保持していた強化 白血球を処分させた上で、遺伝子改良部隊を使って残る医療チームやその家族を秘密施設へ幽閉し始めました。しかしミスター万斬斎はカニ斎型強化白血球に愛 着を持ちそれを密かに保持していました。ミスター万斬斎は、遺伝子改良部隊の魔の手が自分に迫ったことで軍の計画を知り、カニ斎型強化白血球を再び自らに 投与することでカニ斎となり、遺伝子改良部隊と戦い始めました。そして多勢に無勢ながらもカニ斎の実戦に適していた潜在能力を引き出すことで勝利を重ね、 ついに軍司令部の中で非人道的な主張するグループを打倒したのです。弐キャンサーが作られたはその事件が終わった後です。そして軍にあった彼ら遺伝子改良 部隊のデータはその事件の中ですべて処分されたはずでした」
「しかし、残っていたんですね」
「当たらずも遠からずです、ミスターセル。弐Cはミスターカニ斎を中心に、その頃から目撃されるようになった末期獣を退治し始めました。しかし激務がたたり、ミスターカニ斎の身体は異常をきたし、ガンのような病気を発症してしまったのです」
「『ガンのようなもの』というのは本当のガンとは違うんですか」
「はい、『ガンのようなもの』という言い方は例えです。ガンは細胞が無秩序に増殖する病気です。しかしカニ斎が発症した症状は厳密に言うと、耐性菌に近いのです」
「耐性菌に近いとは……もはや病魔が……」
「病魔そのものの強さには変化はありません。ただ病魔は細胞に手を加え、難攻不落の要塞、言わば要塞胞を作ってしまったのです。要塞胞に籠城している病魔 は、いかにカニ斎強化白血球を投与しても退治することができませんでした。そこで患部を外科的手段によって摘出するという手法をとったらしいのです。手術 は成功し、カニ斎は完治しました。しかし、その際摘出された要塞胞が軍に残った元医療チームの研究者に渡ってしまったらしいのです」
「らしいのです……と言うと……?」
「ここ数日前に辺境にある町からの音信がいっさい途絶えるという事件がありました。そこで警察を中心とした調査隊が送られました。我々弐Cもその調査隊に 民間人の研究者として潜り込んでいました。現地へ向かう途中で巨大な物体が破壊しながら移動したような痕跡に出たと連絡が入りました。調査隊はそこで二手 に分かれ、一隊はそのまま町に向かい、もう一隊は痕跡をたどっていきました。我々弐Cの研究班も二手に別れました。町に向かった班からの連絡によると、町 の建物が破壊尽くされているという情報が入りました。 それからすぐに生存者が発見されました。生存者はすべて女性でした。しかし……詳しい事柄を話せる状態ではありませんでした。ただ何人かがうわごとのよう に『カニが……触手が襲ってくる』、『みんな食べられていく』などと言っていたようです。また生存者から病魔が検出されました」
「病魔が……!生存者は全員感染してしまったのですか。では彼女らにDNA改造治療を施さなくては……」
「その必要はありません。我々は長年に渡る研究により病魔に感染しても一カ月以内ならば、不活性強化白血球を投与することにより、治療できることを突き止めております」
「不活性……強化白血球ですか?」
「はい、強化白血球をバラバラにしたものです」
 セルは、かにしる型強化白血球がハサミや頭や胴体がバラバラになった、グロテスクな光景を連想した。
「強化白血球の投与は拒否反応、及び遺伝子の書き替えという危険を伴いますが、不活性強化白血球の投与ならばそれらをおさえ、病魔を駆除することができま す。調査隊に混じっていた我々弐Cの研究員が、感染者に不活性カニ斎強化白血球を投与する処置を施しました。我々弐Cはこの時点では単なる大規模な末期獣 災害が発生したとしか考えておりませんでした。町をひととおり調べ終わった調査隊はさらに痕跡をさかのぼっていきました。すると大規模な研究所のような廃 虚を発見したそうです。その廃虚では女性と思われる餓死した遺体が発見されました。彼女らは検死解剖によると、破壊された町で発見された女性達と同じ状態 だったそうです。そしてその廃虚からある資料を回収しました」
「その資料とは例の要塞胞のデータですか」
「そう、例の要塞胞と、それによって作られた怪物のデータだったのです。それによると軍に残った元医療チームは要塞胞と、とある細胞を融合し、あの怪物、ガニジラを生み出したらしいのです」
「ガニ……ジラ?」
「はい、それが怪物の名前らしいです」 「で、とある細胞というのは……?」
「それに付いての詳しい内容はわかりませんでした。信憑性はかなり低いですが、その研究所の職員のメモと思われる紙片が見つかりました。それによると、とある化石から採取されたもので、一部の細胞にまだ生体反応が確認された……と書かれていたようです」
「確かに信憑性は低そうですね。しかし現にガニジラが誕生している」
「ええ、とある細胞がその化石から採取されたものかは不明ですが、ガニジラが誕生したことは明らかに事実です。また町の生存者から採取された病魔のDNA に、以前ミスター万斬斎に感染した病魔のDNAと一致した箇所が複数認められました。少なくとも、要塞胞がガニジラの誕生に関わったのは確かめられまし た。ともかく、元医療チームはとある細胞と病魔を互いに牽制させることにより、発生したガニジラを制御する方法を立案したようですが、どうやらうまくいな かったらしく、つい最近までその研究所に放置されていたらしいのです。ですがウラシル嬢が病魔に侵され、ミスターセル、あなたがあの治療を始めたのと時を 同じくして、昔作られたガニジラが突如暴走した事が、職員の研究日誌によって明らかになりました」
「ちょっと待ってください。私があの治療を始めたのは150年前に比べれば確かに最近のことかもしれませんですが、それでもあの時からずいぶん経っていま すよ。しかしガニジラがその研究所から出て暴れ始めたのは数日前のことと言ってましたよね。ガニジラが私があの治療を始めるのと同時に動き出したとするな らば、しばらく研究所に留まっていたという事になりますよ。そんなに長い間ガニジラはいったい何を……」
 そこまで言ってセルは破壊された町の生存がすべて女性であることと、彼女らの詳しい状態について伏せられていることに気がついた。
「まさか……ガニジラは女性を……」
「我々から離れた元医療チームは人間の任意の感情のみを細胞に残留させる技術を開発していたらしいのです。そして彼らがガニジラの基となった細胞に残留さ せた感情というのが、欲、二つの欲らしいのです。どうやらその二つによってガニジラを制御しようという考えだったらしいのですが……」
「あなた方はガニジラを倒すために、民間人であるかにしるの力を借りようと言うのですか。彼女は確かに常人を超える力を持っていますが、女性であることに は変わりありません。ガニジラは放置すれば確かに危ないかもしれませんが、ガニジラを監視して人里に危険及べば避難すればいいじゃないですか。無理に倒さ なくても、経済的な損失よりも人の精神的な後遺症の方が回復は難しいんですよ。かにしるをそんな危険なめにあわせるのは僕は反対です」
「ええ、ガニジラの行為は肉体的な損傷はほとんど皆無ですが、確かに精神的な損害は軽微と言えるものではありません。しかし……」
「ちょっと待ってください、人によってはたった一つしかない貴重なものを失うことになるんですよ」
「ええ、肌に残された跡は年齢によっては消えるまでに時間がかかりますが……」
「肌に跡って、いったいガニジラは女性に何をするんですか」
「触手の先端に付いている吸盤でペッタン、ペッタンするらしいです」
「どこを?」
「主に額や足の裏、そして腹部などです」
「そのような行為で精神にダメージを?」
「ささいな行為であれ、その行為がその人物を侮辱する目的で、手足を拘束された上で、延々と行なわれれば、ノイローゼにもなります」
「確かにそうですね」
 セルは初等部の学生の時、いじめられたことを思い出した。
「それだけではありません。被害者の中には友人や近親者である男性を亡くされたことによって精神的ダメージを受けた方もいます。しかしそれらの被害も、ミ スターセルの言うとおり、ガニジラを監視することによって防ぐことが出来ます。ですから我々もガニジラが何の目的もなくたださまよっているだけならば、下 手な手出しを進んで仕掛けようとは考えません」
「では、ガニジラはどこかへ行こうとしているんですか?」
「ええ、そうです。ガニジラはある一点を目指して進んでいます」
「その一点とは……?」
「この大陸にある一番巨大な噴火口……『神々の顎門』です」
「なんでそんな所へ……」
「あれは病魔をその身に宿しています。その病魔の存在理由は生命体に感染すること……」
「まさか……」
「そうです。あれはこの世界に感染しようとしていると考えられます。ガニジラの生命力なら『神々の顎門』からこの世界の中心までたどりつけるかもしれません」
「そんな……バカな……」
「ワシはそんな考えが当たっているかどうか知らんがな、今ワシの子孫が一人で時間稼ぎをしとガニ」
「そんな……そんな怪物相手に時間稼ぎなんて、その人は男性ですか、それとも……」
「まあ野郎ならあっという間にあれの食料にされるガニ……」
「あなたの子孫なんでしょう、カニ斎さん」
「そうガニ。普通の人間の身体しか持っていないガニが、ワシの数多くの血縁者の中で始めて、ワシの技をすべて形象蟹人拳として受け継いだたった一人の子孫 ガニ。できればあの子には任せず、ワシ自ら戦いに出たいガニ。しかし今のワシの身体はさすがにガタがきて、もとの万斬斎の身体にも戻れないありさまガニ。 いまさらノコノコこの老ガニがでしゃばったところで、あいつに吸収されて力を与えることになってしまうガニ。ただオナゴならあいつは本気を出さないガニ。 アイツを足止めできるのは、あの娘しかいなガニ」
「それにもう一つ我々弐Cがミスウラシルに頼らざる得ない理由があります。それはガニジラがミスター万斬斎から摘出された要塞胞を基に作られたと推測でき る事に起因します。今まで我々弐Cは末期獣を、カニ斎型強化白血球で濡らした武器によって末期獣を傷付けることにより末期獣の体内にカニ斎型強化白血球を 潜入させ、末期獣を動かしている病魔をその体内から駆逐することで、倒してきました。今回の怪物も体内の病魔を駆逐できれば倒すことは可能と思われます が、カニ斎型強化白血球では要塞胞内の病魔を倒すことはできないのです」
「かにしるの強化白血球ならばそれが可能だと」
「それはわかりませんが……まだ若いかにしるならばミスターカニ斎の戦闘技術を初めとしたさまざまな技術を習得できれば可能性があると思われます」
「……わかり……ました。しかし、かにしるはもう承知しているのでしょうね。あの子なら……」
「その通りガニ。今かにしるはワシの修業の真っ最中ガニ。付いてくるガニ」
 セルはカニ斎の後に続き部屋から出た。
 廊下はコンクリートがむきだしにされており、いかにも秘密基地といった作りだった。
「カニ斎さん、かにしるはいったいどんな修業をしているのですか」
「ワシはこのカニ斎になってからもともと習得していた拳術に上乗せし蟹人拳という流派を極めたガニ」
「蟹人拳?」
「その通りガニ、人間とカニの体質をそれぞれあわせもつワシだから使いこなせる拳術ガニ。今かにしるにはその蟹人拳の習得に必要な鍛練を猛特訓コースでやってもらっているガニ」
「猛特訓コース?」
「そうガニ。蟹人拳の習得には自分の意志で自分の身体能力をコントロールすることが最低限必要ガニ。しかし、このワシのような身体を得たとしても元々人 だったため、カニとしての体質をすぐにはうまく使いこなせないガニ。人間とカニのDNAをあわせもったことで新たに加わった体質ならばなおさら無理ガニ。 ワシはその身体能力コントロールを会得するまでに30年以上はかかったガニ」
「猛特訓コースとは、あなたが30年以上かかって会得したものを短期間の内に会得させようというものですか?」
「その通りガニ」
「そんなことが可能なんですか?」
「30年掛かったと言っても、必要な切っ掛けは掴んだガニ。かにしるにはその切っ掛けを体験させているガニ」
「その体験とは?」
「この世界で火の精霊と氷の精霊が最もせめぎあう場所の一つ、『噴氷の大河』に飛び込んで生還することガニ」
「えっ、冗談でしょう」
「冗談ではないガニ。本部の転送装置で、かにしるを『噴氷の大河』の真上に送ったガニ」
「転送装置ですって、しかも『噴氷の大河』に!」
 セルは新聞で、転送装置の理論が発表された、という記事を読んだことはあっても、実験が成功したという話は聞いたことがなかった。
 またかにしるがその転送装置で送られた場所はとんでもない所だった。
 南北のそれぞれの高緯度の大地は氷の精霊に支配されており、氷に閉ざされている。しかし北の高緯度の大地には火山『煙山』があり、『神々の顎門』よりは 規模が劣るものの、地下水を熱し地表に間欠泉として噴き出させる程の力はあった。地表に噴き出た間欠泉は、氷の精霊に支配された大気に晒された表層から 凍っていき、地面に落ちる頃には氷の混ざった水となっているのだ。その様はまるで地面から氷が噴き出しているようにも見えることから、『噴氷の大河』と呼 ばれているのだ。
 『噴氷の大河』から流れた川は中流になると完全に凍ってしまうのだ。
 もし『噴氷の大河』に飛び込んでしまうと、あまりの寒さにショック死するか、もしくは溺死、その二つをまぬがれたとしても最後には氷に閉じ込められてしまうことになるだろう。
「そんな所に飛び込んで、生きて帰ってこれるわけがないじゃないですか」
「ボウズが目覚めるほんの少し前に、氷に閉じ込められたかにしるを転送する準備が整ったという連絡があったガニ。もうそろそろこの本部に転送室されるはずガニ」
「そんな……」
 セルはあわててかけだした。
 カニ斎はそんなセルを追いかけながら説明を続けた。
「もし流されているうちにカニの体質の一部であるエラ呼吸をマスターできれば大丈夫ガニ。そして凍りつく前に気の制御に目覚め血流の速度を速めることにより体温を上げることができれば心配ないガニ」
「ムチャです。かにしるは気のコントロールなんかできませんよ」
「気をコントロールするということは身体能力をコントロールすることと同義ガニ。ウラシルは病魔との戦いを経験してるガニ。あの経験は身体能力のコントロールを向上させる効果があるガニ。かにしるにはすでに気をコントロールするために必要な下地がそろっているガニ」
 セルは転送室というプレートがドアに張られた部屋に入った。  その部屋は、他の場所の照明と違う、青白い光で照らされており幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「この青白い光は……」
 セルが思わずつぶやくと、部屋の奥の暗がりから若い女性の声がした。
「上を見てみてよ」
 上を見上げると、天井の中央に直径2メートルほどの水晶のような透明な玉が半分ほど埋め込まれており、青白い光はその玉から出ていた。
「これが転送術の起点となる転送制御玉(てんそうせいぎょぎょく)でーす」
 部屋の奥の暗がりから黒髪の女性が出てきた。
「はじめましてかな?セル君。わたしは転送技師の蒼子よ。あなたもこれでここに連れてこられたんだよ」
「初めまして、蒼子さん。あれ?蒼子さんの持っている水晶玉も、天井の玉と同じものですか?」
 蒼子と名乗った女性は直径50センチほどの水晶玉を持っていた。
「そっ、これは転送端末玉。この球を持っている者が、転送制御玉を中心にして2キロ圏内にいれば、ほら」
 蒼子が天井の転送制御玉の方を向いて手を振るうと、転送制御玉に外の光景と思われる映像が映し出された。
「球を持っている人間が、転送端末玉をとおして見た光景を転送制御玉で見ることが出来るの。またその光景に、同じく転送端末玉を持った人が映っていれば……」
 蒼子がまた手を振るうと、転送制御玉に映された映像が別のものに切り替わった。
「その転送端末玉を持っている人が玉をとおして見た光景も見ることができるの。転送術は、転送制御玉が発するこの青白い光をあびている物体か、また術の行使時に転送制御玉に映っている光景内の物体にかけることができるんだよ」
「これを使ってかにしるを『噴氷の大河』まで送ったの?」
「そっ、『噴氷の大河』がある北の大地までとっても遠いから、その前に、転送員をたくさん転送しなきゃならなかったし、それに転送距離が遠くなるにつれエ ネルギー充填に時間もかかったね。まあ実験が終わったばかりの望遠鏡を使って術の効果範囲を伸ばす技術も導入したし、完成したばかりの大容量の充填術式も 導入したけど、転送員も時間もたくさんかかって大変だったね」
「転送装置は、他ではまだ実験も成功さえしてないのに、実用化だけでなく強化までしているなんて、弐Cの技術はすごいですね」
「元々弐Cの母体はワシ、万斬斎の医療チームだったガニ。そもそも医療チームは当時の軍の中から最高の頭脳を集められて作られたガニ。さて蒼子、かにしるの転送準備はできたガニ?」
「もう、ちょっとだね。さすがに『噴氷の氷河』まではきついね。これでも、もう6時間ぐらい充填してるんだよ。かにしるを転送し終わったら、双華のバック アップをしなきゃならないから、『噴氷の氷河』組の転送員の回収は修業を終えたかにしるをガニジラのところに送るまでおあずけだね」
「双華という子がカニ斎さんの子孫の子ですか」
「そうガニ」
「ところでこんな大事件なのにどうして軍に援軍を頼まないのですか」
「ガニジラと対するには対病魔策が必須ガニ。それに元々弐Cは病魔に関する技術を軍から守秘するために作られた組織ガニ。軍は門外漢ガニ」
「では弐Cには双華さんの他にガニジラを足止めできる人材はいないのですか」
「通常の末期獣は最大でも熊より一回り大きいものしかいないガニ。それに一度に出現する数は多い時でも3体程度だったガニ。ワシの現役時代も、戦闘員はワシ一人だったガニ。末期獣対策は元々戦闘面よりも諜報面が求められるガニ」
「よし、エネルギー充填完了。かにしるをロックオンするよ」
 転送制御玉に映された映像が次々と変わっていき、最後には流れに氷が混じっている大河を背景にして氷柱の映像でとまった。
「これがかにしるなのか」
「そうだよ、セル。ちょっと黙っててね。ロックオン、転送!」
 天井の転送制御玉の光が一瞬強くなった直後、その真下にでかい氷柱が現れた。
 はたして氷柱の中にかにしるの姿があった。
「かにしる!……あれ、かにしる?」
 しかし、その姿は見慣れたかにしるのそれとは少し違っていた。
「これは鎧、カニの甲殻のような鎧がかにしるの全身を覆っている」
「これで猛特訓コースの第一段階の前半は終了したガニ」
「ではこれがカニの身体能力の制御をマスターした姿なんですか」
「その通りガニ」
「それで気のコントロールは……この状態でかにしるは生きているんですか?」
「ちょっと待つガニ」
 カニ斎はかにしるに向かって、右手……右のハサミを向けた。すると右のハサミが震え出した。
「生きとるガニ。今かにしるの体内では血液が通常よりも倍の速度で流れているはずガニ。ボウズ、かにしるを呼ぶガニ。ボウズが呼べば、かにしるは答えるガニ」
「かにしる!!目を覚ませ、覚ますんだ。かにしる!!」
 かにしるを閉じ込めている氷柱の表面に、無数のひび割れがはしった。
「あと2週間少しガニ。あと2週間少しですべてマスターするガニ。双華それまで持たせるガニ」

話の続き/SSページ/トップページ