お仕置きから始まるミステリー


 某月某日某時刻。今日も今日とて私は門前に立つ。
 名前は紅美鈴。ほんめいりん。ほんめーりん。決してべにみすずやくれないみすず、ましてや中国とかいう名前ではない。いくら言っても誰も呼んでくれないので最近は諦め気味なんだけども。
 と、そんな愚痴はともかく。今日もいい天気、そして暇だ。
 元々この紅魔館には、門番はあまり必要ないと思う。それを言っちゃあ私の存在は何なんだ、ってなるんだけど……。
 紅魔館にはメイド長の咲夜さんを始めとして、パチュリー様、レミリアお嬢様、妹様、とまともに弾幕って勝てるとは思えない方々が揃っている。お嬢様への畏怖と尊敬の念から、弾幕勝負を挑んだり命を狙ったりする輩がいない事もあり、訪れる者は”ほぼ”いない。
 しかし妖霧発生事件以降、たった一人だけ――”ほぼ”に該当する人物が頻繁に紅魔館を訪れるようになった。

 そして今日もやって来たようだ。湖から水飛沫を上げ、魔力を迸らせながら高速で接近してくるモノがひとつ――白と黒のモノクロが特徴的な、自称普通の魔法使い・霧雨魔理沙。
 またか――と私は深い溜息をひとつ吐き、迎撃の為に空へと上がる。
「ストーップ!」
「よお、中国。今日も暇そうだな」
 会うなり失礼なヤツだけど、魔理沙の言葉にいちいち突っ込んでちゃキリがないから後半はスルーしておく。
「だから私は中国じゃなくて……まぁいいや。いつもの事なんだけど、アポ取ってない人は通せないよ」
「そんな堅い事言わずに、通してくれよ。咲夜には黙っといてやるぜ」
「いや、それじゃほんとに門番の意味がないんだけど。そういう訳で、今日も邪魔させて貰うわ」
 そう言った直後、魔理沙の口元がニヤリと歪んだ。直感と周囲の魔力の密度で魔理沙が臨戦態勢に入った事を悟り、私も構えを取る。
「じゃ、今日も負けて咲夜に叱られてきな! マジックミサイル!」
 距離は僅かに5メートル。近いけど、放たれたのはたかがマジックミサイル。私は身体を横に流してそれを避ける。
 そのままの体勢で、私は胸元から一枚のスペルカードを取り出す。様子見と共に一度距離を取る為に最適なスペルだ。

 ―華符「セラギネラ9」―

 カードを高々と頭上に掲げ、私はスペル名を宣言する。
 するとカードに込められた妖力が顕現し、私の周囲に虹色の弾幕が雑然と並ぶ。
「いけぇっ!」
 その掛け声と共に、弾幕は一旦私を中心に収縮した後に螺旋状に拡散、眼前の魔理沙へと襲いかかる。
「へぇ、いきなりそのスペルか。それなりに本気、ってことか中国。だが甘い、甘いぜ!」
 魔理沙が吼えた直後、一瞬で私との距離は元の距離の三倍程まで開く。そして懐から一枚のカードを魔理沙は取り出した。――まずい、アレはっ!!
 既に何度も弾幕った相手。この場合に何をするかは経験から理解してしまう。
「何度も言ってるだろう。弾幕は数じゃないぜ、パワーだぜ!」

 ―魔砲「マスタースパーク」―

 読みどおり、魔理沙は自身に襲い来る私の弾幕をマスタースパークで消し飛ばし一気に勝負をつけにきた。
 ソレを察知していた私はすぐに符を解除し、迫る魔砲を後方に下がりつつ左側へと避けた。
「毎回毎回、無茶苦茶なんだからアイツはっ!」
 そう毒づきながら、私は魔理沙へと視界を戻す。
 だが既にその視界に魔理沙の姿はなく、代わりに幾つもの翠の矢が映っていた。
「くぅっ!?」
 避けきれないと判断した私は、もう一枚スペルカードを胸元から取り出す。

 ―幻符「華想夢葛」―

 宣言が終了すると同時に展開される、蒼白一色の弾幕。
 華想夢葛の圧倒的質量はマジックミサイルを打ち消し飲み込み、視界を弾幕で埋め尽くす。
 展開された蒼白弾は、何処かに居る魔理沙へと殺到するするだろう。そう思い、私は目を凝らして周囲を見渡し魔理沙を探す。
「ほんと、今日はいつにも増して頑張るじゃないか」
 姿は見えず、声だけが私の耳に届く。余裕の伺える声色からして、無事なのだろう。
「さすがにそう何度も負けられないからね。今日ぐらいは勝っておきたいとこなのよ」
 正直なとこ、私に余裕は殆ど無い。今も周囲の気配を探り、魔理沙の位置を知ろうとしているのだし。
 ――どうせ魔理沙からも私は見えていないだろう。
 そう思い、平静を装った私は魔理沙にそう言い放つ。
「私も勝たないとパチュリーんとこに行けないし、今日も負けて貰うぜ。とりあえず楽しくなってきたとこだけど、私もそう暇じゃないんだ。そろそろ終わりにするぜ」
 魔理沙がそんな勝手な事をのたまった直後、声のした方向から、ぱんっ、ぱんっ、と炸裂音が響いてきた。おそらく、何らかのスペルでこの弾幕を消しているのだろう。
 この弾幕が晴れるまでに魔理沙の行動を読み、対策を講じなければ私は負ける。そう直感し、私は先手を打つ事にした。場所は声と最初の炸裂音で既に割れている。
 方角は現在位置より北北東、距離は大まかに20メートルから25メートル。
 私は胸元から、最後のスペルカードを抜き放つ。

 ―彩符「極彩颱風」―

 名の通り、鮮やかな彩色の弾幕が周囲に顕れる。
「反撃が解ってて何もしない訳には行かないわ。往け、彩色の嵐!」
 魔理沙のいると思われる場所を指差し、私は周囲に停滞する弾幕を向かわせた。正面位置の弾は最短距離で、外側の弾は弧を描き標的を包囲するように殺到する。

 数秒の後、私の放った弾幕は蒼白の海へと全て消えていった。
 どうなったかは皆目、見当がつかない。私は正面の弾幕の海を見つめる。弾幕の向こうからは、相変わらずぱんっ、ぱんっ、という炸裂音が響いている。私の最後のスペルカード「極彩颱風」はどうなったのか。魔理沙に命中したのだろうか。――疑問は尽きない。
 十秒程経った頃だろうか。漸く弾幕が薄くなって空の蒼が滲み出してきたその時、魔力が膨れ上がるのを感じた。そしてそれがこちらに向かって来ている事も、私は同時に感じ取った。

 その”感じ取った”瞬間――

「――っ!?」
 私の全身を物理的衝撃と魔力的衝撃の両方が襲った。
 肺に残っていた酸素はその衝撃で殆ど失い、私の口からは呻き声すら洩れる事はなかった。
「ブレイジングスターまで出させるとは、ほんと中国にしちゃ頑張ったな。咲夜に叱られるお前さんが不憫でならないが、私はパチェんとこに行かせて貰うぜ。じゃあなー」
 不憫って思うなら素直にアポぐらい取ってから来い、なんて思いつつ私の意識は闇に沈んでいった。

 それからどれくらい経っただろう、私は意識を取り戻した。
「痛ぅっ!? あたたたたた……」
 身体を起こした途端に激痛が全身を襲い、堪らず、私は身体をくの字に折り曲げて暫し痛みに身体を震わせた。
「う〜……今日は頑張ったのになぁ……」
 数秒程経ち漸く身体が痛みに慣れた後。そう一人ごちた私は、うな垂れ大きく溜息を吐いた。
 正直、負けたことを悔やむのはいつもの事だからいいとして……いや、まぁ良くはないんだけど。ともかく、これからが憂鬱だ。私が負けた事なんてすぐに咲夜さんの耳に入るだろう。そうなれば、どんなお仕置きをされるか……はぁ――。

「そうねぇ。今日は頑張ってたわね、ちゅ・う・ご・く?」

 そんな風に僅か先の未来に想いを馳せていた所為だろうか、私は背後の気配にまったく気づいていなかったらしい。
 恐る恐る、私は背後を振り返る。そこにはメイドに支給される靴を履いた足が一対。まぁ、声を掛けられたんだから誰かいるのは当然として。
 問題は声の主だ。
 そもそも誰の声かなんて、私の頭はとっくに理解している。
 ――ただ、認めたくないだけで。
 あの人じゃない、あのメイド長じゃない、と愚にも付かない事を願いながら私はゆっくりと視線を上へと移動させる。
 脛から膝、太腿と順に辿っていき、「あ、今日は紫なんだ」なんてちらりと見えた暗がりの中を追い越し更に上方へと視線を這わせていく。支給のメイド服のエプロンから僅かに起伏の見られる双丘を通り、いよいよ問題の顔へと視線は辿りつく。

 そこには予想通り、というかある意味で予想を超える素敵なメイド長の笑顔が在った。

「だけどね、どれだけ頑張っても結果が伴わなきゃ意味はないのよ」
 その咲夜さんの言葉に、私は「あは、あはは……」と乾いた笑いを零すばかり。度を過ぎた恐怖を目の当たりにすると笑うしかなくなるってほんとなんだなぁ、なんて益体の無い事を頭の隅で考えたところで事態は好転する筈も無く、むしろ悪化してしまう訳で。
「今日で何度めかしらね、侵入を許したのは。答えられる?」
「えぇっと、そのぅ……」
 私自身、何度負けたかなんて解らない。故に答えられる筈は無く、咲夜さんの全身から立ち昇る怒気のオーラに気圧され思わず口篭ってしまう。
「貴女が負けた以上、紅魔館に於いて魔理沙は客として扱う必要があるのは解るわね? そうなると私は図書館までティーセットを運ばなきゃならない し片付けもしないといけない。すると結果的に時を止めないと他の仕事が後回しになる。つまり、貴女が勝たないと私に余計な仕事が回ってくるのよ。大体、あ れだけ負けてるのになんで勝てないのかしらねぇ。以前、貴女と同じく魔理沙に負けた私が言っても説得力はないかもしれないけど云々――」
 そのまま私は正座させられ、咲夜さんのお説教は延々と続いた――。

「――で、私としても非情に心苦しいんだけど、やらざるを得ないわね」
「……へ? え、えええぇぇ!! それってもしかして……!?」
 途中から空が暗くなってきたりお腹が空いたり足が痺れたりで咲夜さんのお説教を右から左に聞き流していたが、その一言で私の意識はそちらに強制的に引き戻された。何をやるかは何となく解る。解りたくないけど、解ってしまうのが悲しい。
「そう、察しの通り。お仕置きよ」
「やっぱり……」
「と言っても、今まで通りのだと結果は変わりそうにないし……。そうね、今日一日考えるわ。明日の朝一番に私の部屋にいらっしゃい。いいわね?」
「はいぃ……」
 その悲哀の篭った私の返事で一応満足したのか、咲夜さんはくるりと反転し館へと歩き出した。
 歩き出す直前に私の耳に飛び込んできた「何がいいかしら、楽しみねぇ……うふふ……」という台詞は聞かなかったことにしようと思う。深く考えたらどれだけ恐ろしい想像になるかわかったもんじゃないし。
 とりあえずこの場で何かしらのお仕置きを受ける事は免れたものの、明日まではまだまだ十分に時間がある。一体どんなお仕置きをされるのやら……。むしろ、この場で何かされた方がよっぽど気が楽だったような気もする。

 痺れた足を庇いながら門番詰め所へと戻り、椅子に座って一休み。それから夕食を済ませてから入浴。明日は早く咲夜さんの部屋に行ってさっさとお 仕置きとやらを済まそうと思い、私は早めに寝る事にした。どうせ起きてると明日の事を考えてしまって気分は益々沈んでしまうだろうし。という訳でサッサと 寝て忘れ……忘れちゃいけないか。とにかく寝さえすれば明日にはなる。朝になれば覚悟も決まるだろう。
 そう思って布団に入り目を閉じた直後、私は心地よい眠気に包まれた。思いのほか疲れていたらしい。そのまま、私の意識は睡魔に飲み込まれていった。

 そうして、私はトンデモナイ夢を見た――

「お早う、美鈴。随分早く来たのね」
 ソファーに腰掛け足を組んだ格好の咲夜さんはそう言い、私を少し冷ややかな目で見つめている。その瞳に僅か背筋が震える。それを隠すように、私はゆっくりとした足取りで一歩前に出る。
「お早うございます、メイド長。先日の言葉に従いやって来ました。お、お仕置き、お願いします……」
 思わず、最後の方は声が震えてしまった。
 それがきっかけになったのかもしれない。私の身体は小刻みに震えだす。頭を垂れ、足元を見つめながら私は咲夜さんの言葉をじっと待つ。
「気が早いわねぇ……。まあいいわ。こっちにいらっしゃい」
 咲夜さんの言葉に従い、下を向いたまま私はゆっくりと歩き出す。数歩歩いた所でメイド支給の靴が視界に入り、歩みを止める。
「すぐそこに椅子があるでしょ。それに座って」
 咲夜さんの言葉にもう一度従い、私は傍の椅子に腰掛ける。
「そんな俯いてちゃ、話がしづらいわ。さ、顔を上げてこっちを見なさい」
 明らかに場違いというか、雰囲気にそぐわない、どことなく優しい口調に、私はビクッと身体を震わせ硬直させてしまう。しかしすぐに咲夜さんの言葉を思い出し、ゆっくりと顔を上げて咲夜さんの顔を恐る恐る見やる。
 その表情は呼び出された理由とは裏腹に、柔らかく見える。
 咲夜さんはゆっくりと立ち上がり、私を見下ろした。その行動の意図が読めず、私は阿呆みたいに咲夜さんの顔を見続ける。
「眼を閉じなさい」
 指示に従い、私はぎゅっと目を閉じる。頬を叩かれでもするのかなぁ、なんて思ったその瞬間、両頬に掌の感触と唇に柔らかい感触、口内に温かい吐息を感じて私は思わず目を見開いた。
 しかしそれも一瞬のことで、直ぐに唇と口内の感触は消えた。それの代わりに、私の眼前は咲夜さんの顔で埋め尽くされた。
 私の身体はどうなってしまったのか……その行為に対してまったく動こうとはしない。ただ呆然と、視界いっぱいの咲夜さんの顔を見つめているだけ。
 ――数秒程だろうか。漸く私の身体は硬直から解き放たれ、右手人差し指でそぅっと唇に触れた。そして私の頭は漸く理解する。その、行為を。
「え? さく、や……さん?」
「今からする事はどんなに嫌がってもやめないから、覚悟しなさい。いいわね?」
 眼前でそう言った咲夜さんは、妖しく微笑っていた。頬は紅潮し、双眸は私の眼を捉えて離さない。
 ――その、まるで捕らえた獲物を眺めているような視線に囚われたのか、私は咲夜さんの問いに答える事もなければ何か行動を起こす事も無い。
 脳の処理機能はどうなってしまったのか――今の咲夜さんの問いを何度も何度も反芻しているものの、一向に答えを出してはくれない。
「美鈴、聞いてるの? 何も答えないなら勝手に始めるわよ」
「え? え、えぇっと……その……おねが、い、します……」
 咲夜さんの言葉に漸く脳が再起動してくれたのか、その言葉が口を突いて出た。
 ほんとは覚悟なんて瞬間で出来る筈も無く、ただお仕置きなんてモノをさっさと終わらせたいだけ。何をされるのかは先ほどの咲夜さんの口付けでおおよそ解る。何をされたとしても、ただ耐えるしか私には出来ないだろう。

「ん、んぅ……」
 私の言葉が引き金になったのか、それともただ私の言葉を待っていただけなのか。分かりはしないが、咲夜さんはもう一度唇を重ねてきた。ただ、先ほどのような合わせるだけのキスではなかった。
「ふ、ん……んぅぅっ!?」
 口内に咲夜さんの舌が侵入してきたのがすぐに分かり、私は思わず身体を硬直させ舌を引っ込めてしまう。咲夜さんはそれに気づき、更に唇を押し付け、追いかけてくる。狭い口内でそうそう逃げられる筈も無く、すぐに咲夜さんの舌は私の舌へと辿りつく。
 二度三度私の舌を突いた後、咲夜さんの舌は私の舌に絡みつきだす。
「ん……んちゅ……ふ、ぅぁ……ん……んく……」
 咲夜さんの柔らかな舌は生き物のように蠢き、私の口内を蹂躙する。歯を、歯茎を裏表満遍なく撫ぜ、舌に絡みつき、口内全体を舐め尽くす。
 その行為に私は興奮してきたのだろうか、だんだんと頭がぼぅっとしてきていた。
 ただされるが侭だった私はおずおずと舌を動かし、咲夜さんの舌に触れる。一瞬咲夜さんの舌が硬直し硬くなったものの、すぐに意図を汲み取ったのか再度蠢き、私の舌に絡み付いてきた。
 顔を動かして舌の挿入角度を変え、私達は更に深く繋がる。口の端から垂れた唾液はお互いの口元と顎を濡らし、胸元に垂れ服さえも汚し始める。
「ん……んちゅ……ちゅる……ちゅ……んぅ……ふ――んうぅっ!?」
 何となく、頭の片隅で息苦しさを感じ始めた時だった。突然胸に何か感触を感じ、背筋を電撃が駆け抜けた。
 その突き抜けて脳を痺れさせるような感覚に、私は思わず口を離してしまう。
「ぷはぁっ……んく、ん、ぁ、さ、咲夜さ、ん……やめてくだ、さ……んぷっ!?」
 自身の艶っぽい声で頬がかぁっと熱くなるのがわかったが、それにかまう事無く私は懇願する。それを遮る形で咲夜さんは再度唇を合わせてきた。先 ほどの焼き直しのように、行為は再開された。いや、焼き直しとは少々異なる。私の標準を遥かに上回る大きさの胸に置かれていた咲夜さんの手は、下から持ち 上げるようにしてやわやわと揉み始めたのだから。
 口内の甘い感覚とくちゅくちゅという淫靡な音と胸から伝わる咲夜さんの手の感触、それによってもたらされるじんわりとした快感に私は酔いしれ、頭にはだんだんと霞がかかっていく。
 そうして何も考えられなくなったところで、私の意識はぶつりと途切れた。

「ちょっと待て私ィーーーーーーーーーーッッッ!!」
 その直後、私は叫びつつ飛び跳ねるようにして覚醒した。
「はぁっ、はぁっ……。なんて夢を……」
 まだ夢の余韻でも残っているのか、私の息は全力疾走した直後の様に荒い。額を拭った手の甲にはびっしょりと汗が張り付いていて、寝巻きと下着は寝汗を吸ってぐっしょりと濡れていた。
 息を整えたところで漸く頭が働き出し、私は身体に違和感を感じた。気分を無理やり落ち着かせ、身体の内側に意識を集中。すると、僅かながら体の芯に疼きを感じた私は、まさか、と思い股間に右手を伸ばした。
「ん……」
 我ながらはしたないなぁ、なんて思いつつ指で確認。予想通りというか何と言うか……汗とは違う液体の泥濘を指先で感じ取り、多少の自己嫌悪に陥った。ほんと、トンデモナイ夢を見たもんだ……。
 そうこうしていてもどうしようもないので、私は時間を確かめようと時計を見やる。時刻は午前六時過ぎ、いつもよりかなり早い時間帯に起きたよう だ。時間に余裕があると分かり、何となく沈んだ気分のまま、私は服と下着を脱いで詰め所に備え付けられた風呂場へと入る。それから桶に冷水を溜め一気に頭 から引っ被った。火照ったままだった私の身体は急速に冷やされ、それで漸く心と体は落ち着きを取り戻した。
 ふぅっとひとつ息を吐き、私は風呂場を後にする。
 身体を拭いて下着を身に着け、いつもの緑色のチャイナ服を着て帽子を被り姿見の前で身なりを整え、私は詰め所を出て紅魔館の本館へと向かう。正確に言えば本館内の咲夜さんの部屋へと向かうのだけど。

「お早うございます。起きてますか? 咲夜さん」
 咲夜さんの部屋に辿りついた私は扉をコンコンとノックし、中に向かってそう尋ねた。
「お早う、美鈴。起きてるわよ。入りなさい」
 すると、中から咲夜さんのいつもの余裕を感じさせる声が聞こえ、私は「失礼します」と一声掛けて扉を開けた。
 中に入ると、探すまでもなく咲夜さんの姿が視界に飛び込んできた。咲夜さんは足を組んでソファーに座り、こちらを見つめていた。その姿が今朝の夢と重なり、思わずドキッとしてしまう。
「……? どうしたの? なんか顔が赤いけど」
「あ、い、いえっ、何でもありませんっ」
 どうやら顔に出ていたらしく、顔の前で両手を振ってそう言って慌てて取り繕う。
「そう? まぁいいわ。もう少し近くに来なさい」
 その言葉に従い、私は咲夜さんへと歩を進める。これに加えて咲夜さんの表情も夢と同じで柔らかく見え、何となく一抹の不安を感じてしまう。
「さて、何で呼び出されたかは分かるわね?」
「は、はい。その……お仕置き……です」
 咲夜さんのその質問にまたも夢を思い出し、私は「お仕置き」というフレーズで多少どもってしまった。
 それに何かを感じ取ったのか、咲夜さんは僅かに形のいい眉を顰めている。けどそれも一瞬の事で、すぐに元の表情へと戻った。
「一晩考えた結果、いい手を思いついたわ」
 ここで夢とは違う展開になり、私は少しほっとした。ただ、咲夜さんの声が何故だか弾んでいて、私はそれに先ほどまでとが違う不安を感じた。はてさてどんな無茶な事を言うのかと、私は咲夜さんの言葉を待つ。

「すぐにぱんつ脱ぎなさい」

「……へっ?」
 その、あまりにも予想不可能な言葉に、私は思わず素っ頓狂な声を出して硬直してしまった。
「だから、ぱんつ脱げって言ってるのよ」
 咲夜さんのその言葉にも、私は何も反応せずただただ硬直するばかり。むしろ硬直しない方法があれば教えて欲しいとこである。

「ええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーッッッッ!!」

 数秒程だと思うけど、硬直が解けた直後に私は咲夜さんの目の前でそう叫んでしまった。
「うわっ――ちょっと、目の前で大声出さないでちょうだい。耳が痛いから。ま、驚く気持ちはわかるけどね」
「つまりアレですか、ぱんつ脱がせさせて無理やり押し倒して嫌がる私を陵辱するんですかお仕置きってそういう事でぐえっ!?」
「誰もそこまで言ってないでしょーがっ!」
 命令内容に対して思わずトリップしてしまった私の鳩尾に一発いいのを入れてくれた咲夜さんは、いつもの瀟洒さを微塵も感じさせずにそう言った。
「まぁ貴女がそういうお仕置きをして欲しいんならいいけど」
 今の一撃に身体をくの字に折り曲げて痛みに耐える私は、咲夜さんのその若干呆れた声色での言葉にどうにか首を横に振って答えた。今朝の夢が正夢になっては何と言うか、色々堪らない。
「そう。ちょっと残念だけど、まぁいいわ。分かったならさっさと脱ぎなさい」
 前半部分に空恐ろしいものを感じながら、私は咲夜さんの言葉に従いその場で下着を脱いだ。脱いでる最中、咲夜さんから妙に熱い視線を感じたけ ど、それは一応気のせいという事にしておいた。そうしておかないと、身の危険を感じるどころかその場から逃げ出しかねないので。逃げたらそれのお仕置きと かで、きっと私は咲夜さんの毒牙にかかる。よしんばそうじゃなくても、ナイフが顔面に飛んでくるとかいう危険極まりない展開になるに決まっている……恐ろ しや恐ろしや。
「じゃあその下着は私が預かるわ。お仕置きの内容は『一日下着を穿かないで過ごす事』よ。いいわね?」
「えーっと、あの、咲夜さん……」
「何?」
「それだと弾幕勝負の際に、その、見える恐れが……」
「分かってないわねぇ貴女も。だから『お仕置き』なのよ」
 私のその危惧も、咲夜さんはその一言の元に切り捨ててしまった。
「はぅ……分かりました……」
 結局私はそれ以上何も言えず、素直に脱いだ下着を手渡した。
「確かに受け取ったわ。一応言っておくけど、詰め所に戻って下着穿き直すとか野暮ったいズボン穿くとかした場合、色々目も当てられない事するから気をつける事ね」
「うっ……わ、わかりました……。それじゃ、失礼しました」
 回避策を先に潰され、私はうな垂れた格好のまま咲夜さんの部屋を後にした。出る間際に「あ、その下着使って妙な事しないで下さいね」と言った ら、閉じた部屋の中から明らかに焦った声で「そ、そんな事しないわよーっ」という台詞が聞こえた。もしかして図星だったのだろうか。その予想に、私の背筋 を悪寒が走り抜けた。

「はぁ……。今日は来ないで欲しいなぁ……」
 部屋を出て廊下を歩きながら、私は溜息を吐いてそうぼやいた。
 ぼやいたところで、アイツ――あのモノクロ魔法使いはやって来るだろう。
 実験で来れないという確率の低い望みを抱きつつ、私は本館を出て時間を確認しに一度詰め所を訪れた。
「あ、先輩お帰りなさい。何処行ってたんですか?」
 中に入ると、後輩の門番の子がいた。この子は裏門側の門番で、朝と夜ぐらいしか顔を会わせる事はない。元々メイドとして紅魔館で働いていたが、 そそっかしく不器用で力の加減が苦手、という事で門番へと転属されられたらしい。何故裏門なのかと言うと、裏門から入ってくるような妖怪は大して強くな く、大抵が夜討ち朝駆けで命を狙う姑息なやつだからだ。故にそんなに強くないこの子が裏門を担当しているという訳だ。
 基本的には素直ないい子で私に懐いており、、関係は概ね良好である。
「えーっと……。ちょっと咲夜さんに呼び出されて、ね……」
「あ、もしかしてまたお仕置きとかですか? あれ、でも怪我はない……。何か他の事ですか?」
「いやまぁ、色々あるのよ。あまり気にしないで」
 さすがに何があったか言うわけにはいかず、私は曖昧な返事でその話題を終わらせた。
「――? やっぱり何かあったんじゃないですか? 様子がおかしいですけど」
「いや、ほんと何もないからっ。気にしないでっ、ね? それよりもうそろそろ時間じゃない?」
「はぁ……。それじゃ、あたし先に行きますので」
「うん、今日も頑張ってね」
 私の態度が余程不審だったのか、訝しがりながら詰め所を出て行った。私は一応軽く手を振りながら笑顔で見送ったものの、その笑顔はぎこちなかったかもしれない。
「はぁっ、ばれなくて済んだ――か」
 扉が閉まったのを確認し、私は椅子に座って安堵の吐息を零してそう呟いた。
 今日一日こんな気分を味わい続けなければいけないのか、と思うとつい気が滅入ってしまう。外に出れば風も吹くし、弾幕勝負となれば当然空へと上 がる事になる。上空の風は結構強く、正直言って隠し通す自信は絶無。なんせ上空に上がったら速攻で捲れ上がるし。つまり魔理沙が来た場合、私は地上戦―― つまり弾幕格闘に持ち込まなければならない。上手く魔理沙をそうなるように仕向けなければならないが、これはもう出たとこ勝負しかないだろう。
 そう結論付け、私は立ち上がって気合を入れる為に両手で頬を軽くパチンッと叩いた。そして何とも気苦労の多くなるであろう今日一日を乗り切る為に、私は扉を開けて正門へと歩き出した。

 そうして今日も門前に立つ。
 時折吹きつける湖の水気を含んだ涼しい風も、今の私にとってはあまり爽やかさは感じられない。何故なら風が吹いてチャイナ服の裾がひらひらと揺 れる度に慌てて手で押さえ、周囲に誰もいないか確認しては安堵の息を吐くという事を繰り返しているからだ。というか、中がスースーして落ち着かない事この 上ない。そのせいか若干寒さを感じて、幾度かくしゃみをしてたりする。
 意識したら確実に頬どころか顔全体に熱を感じるので意識するわけにもいかず、私は必死に平常心を保ちながら魔理沙の来訪がない事を祈り続けた。

「はぁっ、はぁっ……んっ……」
 それからどれ程経っただろうか――気づくと、私は荒い息を吐いていた。熱にでも浮かされたのか、私の頭は霞がかかったようにぼうっとしている。
 足元がふらつき、たまらず私は地面に座り込む。
「はぁっ……んぅ……何、これ……? 私、いったい……?」
 自分の身体の変化に戸惑いを隠せず、私はそう呟く。しかし周囲には誰もいない為、その呟きは空気に溶け込み消え去っていった。
 しばらくの間……と言っても、実際に時間の感覚がないのでどれ程経ったのかは判らない。私は鳩尾の辺りから腕を交差して自分を抱くようにして、この異常な感覚に耐え続けていた。
 やがて座っているのさえ億劫になり、私は身体を地面に横たえた。
 土の冷たい感触は火照った肌には心地良く、それで漸く私の心は僅かだけ落ち着いた。
「ふ、ぅ……はっ……ぁ、ぅ……。くる、し……」
 息苦しさを感じ、呼吸を楽にしようと胸元を弛めた。しかしこの程度が限界だったようで、再び私は苦しさに喘ぎ始める。

「おいっ、どうした中国! しっかりしろ!!」
「……ぇ?」
 それからどれだけの時間が経っただろう――やはり私にはわからないが、自分を呼ぶ声が聞こえ、私はか細い声で返事を返した。
「ぇ……だ、れ……?」
「私だ、魔理沙だ! わかるか!?」
「まり、さ……? どうして、ここ、に……?」
 全身を蝕む熱にでもやられたのか、私はそんな間抜けな質問をしてしまっていた。
 ――やけに声が近い。そう思って身体にに触れる感触から、漸く自分が魔理沙に抱きかかえられている事に気づいた。
「どうしても何も、いつもは突っかかってくるお前が出てこなくて、おかしいと思って降りたら門のところで倒れてたんだよっ」
「も、ん――? ああ、そうか。私仕事中だったっけ」
 魔理沙の慌てた声と言葉に、私は今の状況にまったくそぐわない事を思い出してしまった。朝考えた事もそれと同時にぼんやりと思い出し、身体に鞭打って私は立ち上がった。
「こら、無茶すんなって」
「――」
 魔理沙のその言葉に何も答えず、私は無言で構えを取る。
「今日は、どう、しても……通せないのよ……。魔理沙も構えを取って……はぁっ、ふっ――」
「何があったかは知らないが、どう見ても満身創痍じゃないか。無理せず、今日は休め。咲夜を呼んでくるから、お前さんは寝るか座るかして待ってろ」
 しかし立って構えを取るだけで精一杯の私には魔理沙の言葉をまともに聞く余裕はなく、無言で首を横に振って答えとした。
「仕か――ない――強――に眠――――ぜ。普段――効きゃし――け――今のお――になら――だろ――な」
 朦朧とする頭はとうとう聞こえた筈の言葉をまともに処理しなくなり、魔理沙の言葉をどうしても理解する事が出来ない。
 それから、不意に魔理沙はこちらに向かってゆっくりと歩み寄ってきた。
 ――歩み寄ってきたという事は私の望み通りになった筈、なのに――どうして私の身体は動かないのか……。霞みだした視界ではよく分からないもの の、既に魔理沙は至近距離にまで来ている。拳を突き出せば確実に当たる――頭は解っている筈なのに、身体は頑としてそれを理解しない。
「――」
 相変わらず霞み続ける視界では距離などよく解らないが、魔理沙は目の前でピタリと歩みを止めた。そして掌を私の眼前に突き出して何やら呟き始めた。
 そしてその掌から淡い光が顕れた瞬間――視界が闇に覆われ、私の意識はぶつりと途切れた。

「起きてる? 美鈴」
 漸く休憩時間となり、私は洗面器とタオルを片手に携えて美鈴が眠る門番詰め所の扉をノックした。
 何故私がお昼の休憩時間に此処を訪れたかと言うと、仕事中に魔理沙から事の経緯を聞いたからだ。魔理沙が言うには――

「中国が熱出してぶっ倒れたぜ。いじらしくも職務を全うしようとしてたもんだから一応魔法で眠らせて詰め所のベッドに寝かせておいた。後は頼む。私はパチェんとこ行くぜ」

 との事だ。
 やったらやりっ放しなとこが魔理沙らしいと思うけど、ぶっ倒れたのはうちの門番。今回ばかりは言い返す言葉がなく、私は「そう、分かったわ」とだけ答えておいた。
 それから魔理沙と別れた私は日傘を持って裏門からこっそり出ようとしたお嬢様を呼び止め、経緯を話してどうするか判断を仰いだ。

「あーそう、大変ねぇ。それじゃ咲夜に任せるから。お願いね」

 よっぽど急いでいたのかそれとも気持ちが逸っているだけなのか、お嬢様は早口でそう捲くし立て裏門を出て行ってしまわれた。個人的には後者だと 思うのだが、上司としてもうちょっとまともに対応して欲しいものである。あとお嬢様に毎回口止めされてたらしい裏門の門番はその場でシメておいた。
 とまぁそんな訳で。能力をフル活用して大半の仕事を休憩時間までに終わらせて今現在に至る。
 十秒程待ってみたものの、中から返事が返ってこない。どうやら、美鈴はまだ寝ているらしい。
 こうして居ても仕方なく、私は扉を開け詰め所に入る。そして後ろ手にドアを閉め、(魔理沙の言葉通りなら)美鈴が寝ているベッドへと向かった。
 そしてベッドの脇に辿り着いた私はベッドの中を見やる。
「うわっ、なんで胸元はだけてるのよこの娘……」
 そこには、胸元がはだけて下着に包まれた不必要なぐらいの大きさの胸を惜し気もなく晒した美鈴の姿があった。犯人は魔理沙かそれとも自分ではだ けさせたのか――分からないが、どちらにしてもある意味でこれはまずい。何がまずいかと言うと、この姿は嫌でも自分の胸の小ささを自覚させられて腹が立つ からだ。思わず引っ掴んで握り潰したくなってしまう。
 とりあえずその衝動を抑えつつ、私は美鈴の顔に視線を移す。その表情は熱に浮かされてるのか、とても苦しそうだ。吐く息も同じく苦しげで、額には玉の汗が浮かんでいる。顔全体が真っ赤に紅潮している事から、熱が高い事が伺える。
 それを確認し、私は備え付けの炊事場に向かう。そして蛇口を捻り、洗面器に冷水を溜めてタオルをそれに浸す。そうして準備を終え、再び美鈴の元へと向かう。
 ベッドに戻り、傍の机の上に洗面器を置いてから椅子を引き寄せてベッドの傍に置いてそれに座る。
 それから私は机の上の洗面器からタオルを出し、軽く水を絞ってから4回折り畳んで額の大きさに合わせ、美鈴の額に乗せた。
 美鈴はタオルの冷たさに一瞬顔を顰めたものの、すぐに柔らかな表情になった。水の冷たさが熱で火照った顔には気持ちいいのだろう。呼吸も落ち着 いてきたようで、今はスースーと寝息のそれとほとんど変わらなくなっていた。思ったより酷くはない様子に、私はほっと安堵の吐息を洩らした。

 それから幾度か熱で温まったタオルを水に浸して絞り、再び額に乗せるという事を繰り返していると、美鈴の瞼がひくひくと動き出した。どうやら気が付いたらしい。
「やっと気が付いたか。どう? 気分は」
「……え? えと、私……どうしてここに……? 咲夜さんも……」
「仕事中に倒れた貴女を魔理沙がここまで連れてきたらしいのよ。で、私はお嬢様から貴女の看病を任されたという訳」
 魔理沙が魔法で眠らせた事などは端折り、私は簡単に事情を説明した。
「ああ、そうだったんですか。その、ご迷惑をお掛けしてすみません……」
「いいわよ、こういう時は仕方ないから。それより、気分はどうなの?」
 やたらしおらしい態度で謝る美鈴に内心驚きつつも、私は再度そう質問する。何と言うか、普段の妙に卑屈に謝るのとは全然違ってて正直対応に困る。
「気分はまだ良くないですけど、動けない程じゃないと思います」
 美鈴はそう言って、身体を起こしてベッドから立ち上がろうとした。あーもう、なんでこの娘は無茶するのよっ。私は慌てて美鈴の肩を押さえ、ベッドに押し付けた。
「動いたら悪化するに決まってるでしょこのお馬鹿! 大人しく寝てないっ。いいわね?」
「だって……仕事……」
「仕事って、そんな状態でまともに仕事出来るわけないでしょ。いつも言ってるじゃない、門番が侵入者に負けたら意味がないって」
「それでもやらないと――表の門番は私しかいないんですから……」
「別に一日二日門番がいなくたってこの紅魔館がどうにかなるわけないわ。メイド達だってそれなりに強いし、パチュリー様も妹様もいるわ。それぐらい、貴女なら解るんじゃなくて?」
「それは……解ります。だけど、門番じゃない私なんて何の意味もありません。門番じゃなかったら此処に居られな――」
「正直、貴女が何を考えてそう言ってるかは私には分からないわ。けど、病気で一日二日仕事休んだ程度でクビにする程お嬢様は冷たくないわ。従者として傍にいる私にはそれが分かる。だから、貴女は安心して病気を治しなさい」
 尚も何か言おうとする美鈴の口に人差し指を当てて無理やり黙らせ、私はそう諭す。自分でも驚くぐらい優しい声だった辺り、私はこういう手合いに弱いのかもしれない。
 それで一応納得してくれたのか、美鈴はどうにかベッドに戻ってくれた。
「とにかく、最低でも今日一日は寝てること。いいわね? 幸いそう酷くもないようだし、風邪か何かだと思うわ」
「……はい」
 さっき美鈴が起き上がった所為で布団の上に落ちたタオルを拾い、洗面器に浸しながら、もう一度念を押す意味で私はそう訊ねた。対する美鈴の返答は、簡素ながらも響きには柔らかなものが感じられた。
 うん、観念して私の看病を受ける気になったようだ。
 それからタオルを絞ろうとした時、私はふと視線を感じてそちらに顔を向けた。視線の主はベッドに横たわる美鈴。そして美鈴は何故か顔を半分まで 布団で隠して鼻から上だけを出した格好である。妙に嬉しそうな視線と相まって何か可愛らしい――いやいやそうではなくて、何故この子はそんな視線を私に向 けるのか。
「……なんか妙に嬉しそうだけど。何か面白い事でもあった?」
「いえ、そういう訳でもなくて……。その、咲夜さん優しいなぁって思って」
 布団の中で喋ってる所為で声がくぐもり、微妙に聞こえづらいのはこの際無視するとして。どうやらこの娘の私に対する印象は余程冷たいらしい。
 館のメイド達にはその方が教育や統率の面で都合が良いものの、この娘は門番。これは改めさせなくてはいけないだろう。というか、そういう印象にした原因の大半はこの娘にあると思うのは私の偏見だろうか。
「あのね、いくら私でも病人相手に冷たい態度は取らないわよ。それより、喋らず大人しく寝てなさいな」
「はいっ」
 私の返答がお気に召したのか、美鈴の返事は視線同様嬉しさに満ちていた。
 ついさっきまで私の言う事を聞かずに仕事に戻ろうとしたのに――なんというか、切り替えが早いのかなんなのか。ああ、そうだ、こういう場合は子供っぽいと言うんだっけ。
 タオルを絞りながら布団を押し上げるふたつの膨らみに視線だけを向けつつ、中身はこうなのになんで身体は必要以上に育ってるのか、と私はひとつ溜息を吐いた。
「咲夜さん、どうかしました?」
 どうやらこっちを見ていたらしく、視線に気づいてしまったようだ。それに私は「何でもないわよ」と答え、絞ったタオルを長方形に折り畳んでから美鈴の額に乗せた。

 それからは特に会話もなく、私はタオルが熱で温まっては水に浸して絞り、また乗せるという事を繰り返していた。
 普段の業務とは違い、非常にゆったりとした時間で居心地とかはいいのだけど……終始私に看病されてる病人はこっちを嬉しそうに眺め続けていたりする。
 正直、この視線だけは落ち着かない。気にすまい気にすまいと思うけど、どうしても気になってしまう。
 しかしそれにもいい加減耐えづらくなってきた訳で。
「容態はどう? 辛い?」
「いえ、大分落ち着いたみたいで、今はそんなに辛くないです。えへへ……」
 敢えてこっちから話しかけて気を紛らわせる事にしたのだが、この娘は視線どころか声にも嬉しさが混じってきていた。
 相変わらず美鈴は布団で顔の半分を隠してこっちを嬉しそうに見ている上に、額に乗せた濡れタオルの所為か余計に眼が目立つ。その視線や鈴のよう に綺麗に響く声は、その、精神衛生上色々と宜しくない。普段の厳しさや態度はすべて窓の外にでも投げ捨てて、めちゃくちゃに甘やかしてしまいそうで。
「そう。なら一度寝なさい。症状は改善に向かってるんだし、体力さえ回復すれば治ると思うわ」
 そういうのをすべて半強制的にシャットダウンする事にした。
「ぁぅ……そうしたいんですけど、その、問題が……」
「……問題って、何?」
 美鈴の予想外の言葉に、私はそう訊き返す。と、同時に”グゥゥゥゥゥ”と何処かで――というか、誰にでも覚えのある音が部屋に響いた。私に自覚はないので、発信源はおそらく美鈴だろう。
 成る程。そういえば此処を訪れたのはお昼の休憩時間。私はお昼は既に摂ったものの、この娘はさっき起きたばかり。空腹を訴えるのも当然だろう。
「はぁ……分かったわよ。お昼作るから、台所借りるわよ」
「すみません、お願いします……」
 美鈴の言葉を適当に聞き流し、私は台所へと向かった。

 病人にはやはりお粥だろう、という事でお昼はお粥にする事にした。
 あまり待たせるのも悪い気がしたので能力を使って実際の調理時間を零に。我ながら段々美鈴に対して甘くなってきたなぁ――と思いつつ、私は作ったばかりのお粥小皿蓮華一式を盆に載せて美鈴の元へと戻った。
ちなみに普通の塩のお粥ではなく梅粥にした。
「はい、作ってきたわよ」
「え? もう作ったんですか? ついさっき台所に行ったのに……もしかして、能力使いました?」
「そうよ。貴女だって待たせられたくないでしょう?」
 そう言ってから私は椅子に座り、盆を膝に乗せる。
「それぐらい待てますよぅ。子供じゃないんですから」
「――ぷっ」
 さっきから子供みたいに私を見てたくせに、と内心思ったせいか微笑ましく感じ、私はつい吹き出してしまった。
「むっ。なんでそこで笑うんですかっ」
「あはっ、あはははっ……いや、何でもないわ。それより、起き上がらないと食べられないわよ」
 私が笑ってるのがお気に召さないのだろう、美鈴は憮然とした顔のままで上体を起こした。素直に従ったところから、空腹には勝てなかったらしい事が伺える。
 と、ここでひとつ思い出した事があった。
「あ、そうそう。もう呼吸が楽になったんなら胸元締めなさい。身体冷やすわよ」
 私は再び表れた大きな谷間を指差し、努めて冷静な声で忠告をした。ちなみに何故「努めて」なのかと言うと、ここで抑えておかないと手元が狂って そこのでかいゴム鞠ふたつにお粥をぶちまけかねないからだ。病人にそんな事やっては、完全で瀟洒なメイドでなく恐怖の鬼メイド長になってしまう。それは避 けたいとこである。
「……へ?」
 どうやら本気で気づいていなかったらしく、美鈴は素っ頓狂な声を上げた。それからゆっくりと視線は下に向かっていく。
 視線が胸元に辿りついてから、私が能力を使ったわけでもないのにこの場の時間は凍るように止まった。
 それから数秒後――

 時 は 動 き 出 す 

「え? ええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
 予想通り、美鈴は驚きで叫び声を上げた。声も思いっきり裏返っている。
「あーとりあえず言いたい事は分かるけど、落ち着きなさい」
「だ、だって、なんで胸元が全開になって――? あーそうだ、ぼんやり思い出しました。確かあまりにも苦しくて自分で開けたんでした」
「そう。ちゃんと思い出してくれて嬉しいわ。思い出さなかったらお粥を鍋ごと口に押し込んで黙らせるところだったわよ」
 一応自分で思い出してくれたらしく、いちいち説明する手間が省けたのは嬉しい。
 しかし我ながら、空恐ろしい事を口にするものだ。胸の件が尾を引いているのかもしれない。
「いつもより優しいと思ってたのに、やっぱりいつもの咲夜さん……」
「そうでもないわよ。いつもだったら何か言ってる最中に突っ込んでるところだし。それより、お腹空いてるんでしょう? 食べなさい」
 自分でもいつもと違う態度を取っているという自覚があるのに、この娘にはいつもと同じに見えるらしい。その事にちょっとムッとしつつも、未だに膝の上にある盆を持ち上げて美鈴に差し出す。
 しかし差し出した盆を何故か美鈴は受け取ろうとしない。
「どうしたのよ、食べないの?」
「その、食べさせて欲しいなぁ、なんて思って……」
 などと、熱で赤い頬を更に紅く染めてこの中国娘はぬかしてくれた。いくらお嬢様から看病を任されたとはいえ、私にそこまでする義務はあるだろうか。いや、ない。
「どこまで甘える気よ、貴女は。食べるぐらい出来るでしょ」
「むー……咲夜さんのけち」
 どうやら病人という立場を利用してとことん甘える気だったらしい。私は美鈴の言葉に適当に「あーはいはい」と返し、勝手に美鈴の膝の上に盆を置いた。
 しかし美鈴は相変わらずお粥の鍋には一切手をつけない。というか、こっちをむーっと膨れっ面で睨んでいる。その表情や行為はやはり子供っぽさが際立ってしまい、怖さなどは微塵もない。むしろ可愛らしい。

「はぁ……わかったわよ。食べさせてあげる」
 結局、その視線に根負けしてしまった。
 何というか……この娘の可愛らしさに頬が緩み始めてしまったようで、正直顔の筋肉を無表情に維持するのが辛くなってしまった。
 ちなみに美鈴はさっきまでの膨れっ面から一転、にこにこと嬉しそうである。
 その笑顔を見ていると、これはこれで良かったかもしれないなぁとさえ思ってしまう。
 ……どっちにしろ、可愛らしさは同レベルだったらしい。
 私は再度美鈴の膝から盆を取って自分の膝の上に戻し、美鈴の額に乗せるのに使っていたタオルを布巾代わりに使って鍋の蓋を開けた。途端に、梅のいい香りが室内に満たされた。
 それと同時に聞こえる”グウウゥゥゥゥゥゥゥゥ”という空腹を訴える独特の音。どうやら、香りが美鈴の胃を刺激してしまったらしい。
 思わず音の方に顔を向けると、そこには飢餓収縮の音が余程恥ずかしかったのか、熱や先ほどのおねだりとはまた違う意味で頬を紅く染めた美鈴の顔があった。
 美鈴は私の視線に気づいたのだろう、すぐに顔を俯かせた。
 位置としては私はベッドのすぐ横に座っていて、美鈴はベッドの上。俯かせたところで横顔は見えてしまう。美鈴はそれに気づいたのか、頻りに視線だけをこちらに向けてくる。
「くす、くすくす……いいわよ。お腹空いてるんだから仕方ないわ」
 その様子が何故だか可笑しくて――微笑ましくて、私は忍び笑いを零しながらそう言った。
「ほら、いつまでも俯いてちゃ食べられないわよ」
 蓮華で一口分お粥を掬い、素直に顔を上げた美鈴の口の前に運ぶ。そして口を開けたのを確認し、私は口の中に収まるよう蓮華をもう少しだけ前に突き出す。美鈴はすぐに口を閉じ、私は蓮華を引き戻す。
「美味しい?」
 もぐもぐと咀嚼して飲み込んだのを確認し、私はそう訊く。
「はいっ、美味しいです」
 つい今しがたの羞恥に染まった顔はどこへいったのか、美鈴はにぱっと満面の笑顔でそう言った。
 ……正直なとこ、さっきから私の調子は狂いっぱなしだ。いつもは何とも思わない美鈴のひとつひとつの挙動が、何故だか可愛いと思えてしまう。
 それに、こうも無邪気な笑顔を向けられると、正直困る。何が困るのかというと、頬が緩むのを顔の筋肉を引き締めて耐えたり、顔に朱が差しそうになるのを平静を保って押さえつけたりしなければならないから。胸の動悸も何故か速いし。
 弱った女の子の看病をしてときめくなど、私のキャラクターじゃない……と、思う。そう思いたい。
「あのー、咲夜さん……どうかしました?」
「へ?」
「なんだかボーっとしてたみたいですけど……」
 不意の美鈴の言葉で心の中の葛藤から現実に引き戻された私は、思わず素っ頓狂な声を出してしまっていた。
 美鈴の表情は怪訝そうで、それが私の葛藤していた時間がそれだけ長かった事を物語っている。
「ああいや何でもないのよ、何でもっ」
 そう慌てて弁明したが、美鈴の表情はまったく変わらない。
「顔が少し赤いし……もしかして、うつりました?」
 ――どうやら、平静を保って抑えてたものが取り乱したせいで顔に出てしまったらしい。
 言われてみると、確かに頬に多少の熱を感じる。
「ああもうとにかくっ。私は大丈夫だから、心配なんかせずに大人しく看病されてなさいっ」
 私はそう早口で捲くし立て、蓮華をお粥の鍋に突っ込んで持ち上げ、それを美鈴の眼前に突き出した。自分でもこれが照れ隠しだという事がわかってしまい、頬は更に熱を帯びてしまう。こんな顔を美鈴に見られるのは屈辱的な気がして、自然と顔は俯いてしまった。
 そうして一向に頬の熱も引かず精神状態も平静に戻らないまま、私は俯いたままで蓮華でお粥を掬っては美鈴の口元へと運ぶという事を繰り返していた。
 いつしか鍋の中は空になり、気まずい食事の時間は終わりを迎えた。その間私は一切口を開かず、また美鈴も何も言葉を発しなかった。……まぁ、私の勝手なペースで食事が進んでたから、声を出す暇が無かったのかもしれないが。
「じゃあこれ片してくるから、貴女は寝てなさい」
 私は一切美鈴の方を見る事なく盆を持って立ち上がる。声が心なしか冷たくなってたものの、気にする余裕もなく部屋を出て台所へと向かった。

 台所に着き、私は鍋や蓮華を洗い始める。その最中、幾度と無く私は溜息を吐いていた。
 溜息の理由はまぁ、先ほどの事だ。
 看病を始めてからというもの調子はずっと狂いっぱなしで、美鈴の言葉や仕草に振り回されている。勿論本人はまったく自覚はないだろうし気づいて もいないだろう。――まぁ、病人という立場を利用して他人に甘えたがるのも解らない事もないし。結局、原因が美鈴だとしても振り回されてさっきのような態 度を取ってしまったのは私が悪い訳で。
 この調子では、まともな看病が出来るかどうかは怪しい。それは仕事を完璧にこなす”完全で瀟洒な従者”という肩書きを台無しにしてしまうだろう。メイド長として、私個人としてもこれは見過ごせるものではない。
 ――そう、調子が戻らなくて何か失敗するのならば無理に戻す事もない。開き直ってベタベタに甘やかす看病をすればいい。美鈴も、このまま冷たい態度での看病を受けるよりその方がずっといいだろう。
 自分でもどうかと思う論理だが、生憎他の解決策は出てこないので仕方がない。
 そうして結論と覚悟を決めた時、丁度洗い物も終わった。鍋や蓮華、盆を所定の位置に戻して一度大きく深呼吸をしてむんっと気合を入れ、一度周囲を見渡す。冷蔵用の箱は流し台のすぐ傍にあり、屈み込んで蓋を開ける。
 目的の物――林檎は丁度一番上にいくつかあり、ひとつだけ取り出す。自前のナイフで皮を剥き、一口サイズ計十六片に切り分けてからガラス製の器に盛る。その中のひとつに爪楊枝を刺して準備完了。
 それを持ち、私は台所を出て再び美鈴の元へと向かった。

「お待たせ美鈴。まだ起きてる?」
「え? ああ、はい」
 努めて明るい声でそう呼びかけると、すぐに返事が返ってきた。
「それより、さっきはすいませんでした」
 美鈴は上体を起こすなり、頭を下げてそう謝ってきた。
「えっと、どうして貴女が謝るの?」
「私が我が儘言っちゃったせいで咲夜さんの機嫌損ねちゃったかな、と思って、それで……」
 なるほど、と私は思った。美鈴は私に対しては何かとすぐ謝ってしまうようで、さっきの事も自分に非があったと思ったのだろう。確かにそれも原因の一端ではあるが、ベタベタに甘やかすと決めた以上、その謝罪を聞き入れる訳にはいかない。
「何言ってるのよ。貴女は何も悪くないから、謝る必要はないわ。それより、林檎剥いてきたから。食べる?」
 にこっと微笑み、爪楊枝に刺さった一切れを持ち上げる。
「うぇ? え、えぇっと、その……」
 よっぽど私の言葉が意外だったのだろう、美鈴はあわあわとうろたえている。
 その気持ちは良く分かるし、うろたえている姿が中々に面白いので落ち着くまで放っておく事にした。
「……その、なんで急に優しいんですか? さっきまで機嫌悪そうだったのに……」
 数分程経って漸く落ち着いた美鈴は、そう問いかけてきた。まぁ、その疑問は最もだと私も思う。
「なんというか、まぁ……正直に言うと照れくさかっただけよ。あまり気にしないで頂戴。それより、林檎はどする? ご飯食べたばっかりだから食べたくない?」
 疑問にはめちゃくちゃかいつまんだ説明だけで済まし、私はもう一度微笑んで美鈴に林檎を勧めた。というより、疑問をはぐらかす意味の方が強い。
「ぁ、ぅ……い、頂きます……」
 語尾が尻すぼみになりながらも、美鈴はそう答えてくれた。
 未だ動揺が抜けないのか、それとも何か恥ずかしいのか、それなりに戻っていた顔色はまた真っ赤に戻ってしまっていた。ともあれ、こうなれば主導権はこっちのもの。林檎を受け取ろうと伸ばしてきた美鈴の手をさっと避け、私はもう一度にこっと微笑む。
「さっき貴女から言ってきたでしょ、私に食べさせて欲しいって。ほら、口開けなさい。あーん」
「あ、ぁーん……」
 美鈴は相変わらず顔中を真っ赤にしたまま、目を閉じて恥ずかしそうに口を開けた。私がその口の中に林檎を入れると、美鈴はぱくっと口を閉じた。
「美味しい?」
 咀嚼し、飲み込んだのを確認してからそう訊くと、美鈴はこくんっと首を縦に動かして肯定の意を示した。
「そう、良かったわ。それじゃもう一口。あーん」
 新しい林檎に爪楊枝を刺し、先ほどと同じ要領で美鈴の前に林檎を持っていく。そして美鈴が林檎を口の中に収めたら爪楊枝を引き、また新しい林檎 に突き刺す。咀嚼して飲み込んだらまた林檎を差し出す。そういう事を繰り返して十五回、ガラスの器は空っぽになった。ちなみに美鈴の顔は終始真っ赤に染 まったまま。
「お粗末さまでした。片付けてくるから、ちょっと待っててね」
「あ、はい、ご馳走様でした」
 そう言って、美鈴はぺこりと頭を下げてきた。
「いいわよ、そんな畏まらなくても。今日一日は甘えなさい」
 そっちの方が楽だし、と心の中で付け加えておく。
「じゃあ、その……早速なんですけど……」
「何?」
「それ下げたら、ついでに少し熱めのお湯を沸かして貰えますか? 体中汗でべとべとで気持ち悪くて……」
「分かったわ。能力使ってすぐに用意してくるわ」

 それから美鈴に言った通り、能力を使って時間を止めている間にお湯を沸かす。そして洗面器に移し、新しいタオルをその洗面器の中に放り込みすぐに美鈴の元へと戻った。
「一応手を入れて調節したから、温度は大丈夫だと思うわ」
「――ええ、丁度いいくらいです。ありがとうございます」
 確認の為に美鈴も手を入れたが、大丈夫だったようだ。
 美鈴がお湯から手を出したのを見て、私は入れ替わりに手を入れてタオルを引き上げぎゅっと絞る。
「あ、あのっ」
「ん? 何?」
「これぐらいは自分で出来ますからっ。ちょっと部屋から出ていって貰えればそれでいいです」
 美鈴は慌ててそう言うが、残念ながら私はとことん甘くすると決めている。当然、それは却下だ。
「何言ってるの、一人じゃ背中拭くのとか大変でしょう。遠慮せず甘えときなさい」
「さすがに裸を見られるのは恥ずかしいんですけど……」
「女同士だから見られたっていいでしょ、減るもんでもないし」
「いや、でも……」
「でももヘチマもないっ。いいからサッサと脱ぎなさいっ」
 美鈴の躊躇する様子が焦れったくなり、私は実力行使に出る事にした。まぁ無理やり脱がすのだが。
「いやーーーっ! 咲夜さんの変態っ! 痴女ぉー!!」
 美鈴の失礼な言葉も右から左へ敢えて聞き流し、私は上半身をどうにか剥く事に成功した。
 と、同時にぷるんっと揺れて現れる大きなゴム鞠がふたつ。ゴム鞠基巨乳。
 普段の服と同じ緑色の下着に包まれていながら尚も存在を主張する、その圧倒的なボリューム感に私は思わずピタリと行動を停止してしまった。
「……相変わらずムカつくぐらい大きいわね……」
「そんな事言われても……」
 美鈴の表情は若干不満げで、視線は明らかに私を睨んでいる。
 確かに、無理やり脱がされた挙句でかい胸がムカつくなどと言われては怒りもするだろう。
 私も無理やり脱がされて胸が小さいと言われたら、ブチ切れて「夜霧の幻影殺人鬼」を仕掛けて「ソウルスカルプチュア」をそれに重ねて挙句に「咲夜の世界」を発動して追撃を重ねてしまうだろう。むしろ五体満足で済まさない。
 そんな戯言はともかくとして、今は本来の目的を遂行することとしよう。

「まぁとりあえず、後ろ向いて下着外しなさい。背中拭くから」
 未だにこちらを睨んだままだったが、よっぽど汗が気持ち悪かったのだろう。渋々ながら美鈴は私の指示通りに後ろを向き、下着を外した。
 今のやり取りですっかり冷たくなってしまったタオルをもう一度洗面器に浸し、絞る。そして掌で扱いやすい大きさに畳み、美鈴の背にそれを軽く当てた。
 美鈴はその熱の感覚に一瞬身体を強張らせたが、すぐに緊張を解いた。
 美鈴の背中は女の子の身体らしく、タオル越しでも分かるほどふにふにと柔らかい。その感触のせいか、私は壊れ物でも扱うように優しく拭いていた。
 二回程洗面器に浸した程度で背中を拭き終わり、次は前を拭こうと私はそのまま手を前へとまわした。と、同時に、とてつもなく柔らかい感触をタオル越しに感じた。
「ひゃうっ!?」
 美鈴の裏返った悲鳴から、私は手を置いた箇所が胸だと理解した。
「ちょっと咲夜さん! 前は自分で拭くからいいですっ!」
 そう言うと美鈴は私の手を掴み、持ち上げようと力を入れた。その拍子にタオルは手から落ち、私の掌は直接美鈴の胸の上に置かれることとなった。
「まぁまぁ遠慮しないの。全身隈なく隅から隅まで優しく拭いてあげるわよ」
 ――口調は何故かのんびりとしているが、言ってる事は自分でも分かるほどまずい。
 まずいのにまったく訂正しようとしない程、私の頭は混乱している。
 早く手を離さないといけないのは理解しているが、何故か私の手は離れない。
 手を目一杯広げても到底収まりきらない大きさにも関わらず、肌のしっとりとした感触と乳房特有の柔らかさが妙に気持ち良く、汗の吸着力も手伝ってか手は離れようとしない。
「やめてください揉ま、揉まないでくださいーっ!」
「いやまぁ、私も解ってるのよ。だけど何というか……凄く気持ちいいもんだから……」
「解ってるならもう勘弁してくださいぃーーーーーっ!!」
 自分の言い訳めいた言葉で無意識の内に手が動いていた事に気づいた。
 私のあまりに理不尽な言葉のせいか、美鈴は上半身を捻ったり屈めたりして必死に逃れようとし始めた。
「うぅ、もうやめてくださいぃ……これ以上は、ほんとに――」
 体調不良のせいか、美鈴の抵抗はすぐに弱弱しくなった。
 次第に美鈴の息遣いは荒くなっていき、声も言葉での抵抗も次第に小さくなっていった。
 これ以上は本当にまずいと思う一方で美鈴のその姿を可愛いと思っており、その思いはもっとその姿を見たい、もっと先を見たいという欲求に換わり始めていた。
 そしてその欲求はすぐに理性を頭の片隅に押しやってしまった。

 私はもっと楽な姿勢になろうとベッドに上がり、美鈴の背中にピタリと身体を寄せる。そして空きっぱなしになっていたもう片手を躊躇うことなくもう片方の胸に押し当てた。
「ひぅっ!?」
 その瞬間、美鈴の上半身はびくんっと跳ねた。その反応に気を良くした私は、更に両手に力を加える。
 その時、掌に押し上げるような感触を感じ取り、美鈴が感じ始めている事に気づいた。
「いやぁっ、だめ、だめぇっ!」
 美鈴の嫌がる声も今の私にはまったく効果はなく、むしろ加虐心に火を付けるだけに過ぎなかった。
「ふふ、何を言ってるのよ。嫌がってる割には気持ち良さそうじゃない。乳首、立ってるわよ?」
「だ、だって、咲夜さんが……」
「私がどうしたの? 言って御覧なさい」
「その、胸……揉むから……」
「くすっ、素直ね。可愛いわよ」
 生憎背中越しで顔を見られないものの、耳朶や首筋まで真っ赤になっており、声の調子から羞恥に染まりきっているのが見て取れた。
 それは私の背筋をゾクゾクと這い上がる快感を与え、情欲をますます燃え上がらせる。既に頭の中には、美鈴に快感と羞恥を与え弄びたいという思いしかなく、”止める”という選択肢は存在し得なかった。
 私は美鈴の耳に顔を近づけ、耳朶を唇だけで挟み込む。美鈴はそれに身体をびくっと硬直させ、私に快感がある事を伝えてきた。
「あ、ん……いあ、あ……ひあっ!?」
 そのまま二度、三度と軽く食んで柔らかさを堪能し、舌先で耳朶の端を突つく。
 美鈴は本来触れられるべきでないモノで触れられた感触に驚いたのか、小さく悲鳴を上げた。
 私はそれに構うことなく今度は舌先ではなく舌の上で耳朶全体を舐めあげる。
「いやっ、あ、あんんっ、ふああっ! そ、んな……耳、たぶが気持ちい、なんてぇ……」
 美鈴は耳から伝わる感覚に戸惑い、同時にその快楽にじわじわと溺れ始めているようだ。その証拠に、私の手の上には美鈴の手がいつの間にか置かれていた。耳への愛撫に集中するあまり、手の方が疎かになっていたのだろう。
「どうしたの? 胸をどうかして欲しい?」
 一度耳朶から唇を離し、小さくそう囁いた。
「お願い、します……」
「お願いって、何をどうして欲しいの? ちゃんと言いなさい」
「あ、ぅ……」
「言わないとやめるわよ?」
「……揉んだり、弄ったりして、気持ちよく……してください……。お願いします……」
 僅かに躊躇ったものの、私の言葉で美鈴は途切れ途切れに、しかしはっきりとした声でそう答えた。もっとも、やめる気など毛頭ないが。
 美鈴に快感を与える――それは私自身の現在の欲望であり、この行為の原動力。この言葉はつまり、同意を得たという事であり、私の僅かに残っていた理性を駆逐するに至るものだった。
「分かったわ。存分に喘ぎ乱れなさい――」
 その言葉と同時に私は美鈴の右乳首を親指と人差し指で挟み、ぎゅっと潰れる程に力を入れた。
「くあぁっ!?」
 その悲鳴混じりの嬌声が切欠となり、行為は一気にエスカレートした。
 両手で乳首を挟み抓り上げ、捏ね繰り回し、乳房全体を力任せに揉みしだき、首筋に舌を這わせ、片手で顔をこちらに向けさせ唇を強引に奪い、押し付け、舌を挿れ、口内を舐め上げ舌を絡ませ、与えるだけでなく自身への快楽さえも求めた。
「んぅ、ふ、んぷ……ちゅる……ちゅ、ん……」
 お互いに舌を絡ませ合い、喉に流れ込んだ唾液を嚥下して飲み干す。最早唾液はお互いのが混じり合っていたが、それは脳の奥をじんじんと痺れさせる。
 しかしそれも長くは続かず、息苦しさから私は口を離した。酸素を求めてはぁはぁと呼吸を繰り返し、どうにか安定させたところで私は一度美鈴の顔を見やる。
 顔はすっかり赤く火照り、涙に塗れた瞳は酔ったようにとろんとしている。哀願するような視線はもっとして欲しい事を訴えてくる。私は一度だけ唇を重ね、右手を美鈴の下腹部へと伸ばした。
「ひああっ!?」
 そこに触れた瞬間、美鈴はびくんと身体を跳ねさせた。
 その時、私はふとある事を思い出した。
「そういえば、今朝言ったお仕置きはちゃんと実行しているようね」
「ん……だって、ちゃんと守らないと……これ以上のお仕置きは嫌だから……」
 美鈴ははぁはぁと荒い息を吐きながらそう答えた。
 きちんと私の命令に従っていたという事実に、私の背筋はぞくりと震えた。
「そう、偉いわ。お仕置きに対してご褒美っていうのもおかしいけど、さっきよりもずっと気持ちよくさせてあげる」
「あああ! ひあ、ふ、んぁ、はう、ああ、い、いいいっ!」
 私はすぐに秘所に置きっぱなしになっていた指を動かし、胸への愛撫も同時に再開させた。美鈴の秘所は既に十分すぎる程潤っており、指をスムーズに動かすのに何の支障もない。
 爪先で軽く引っ掻くようにして刺激を与え、同時に乳首を指で弾く。ますます垂れてきた愛液を指で掬い取り、そのまま少し上の肉芽に塗りたくり乳首と連動するようにして弄る。
 美鈴は私の腕の中で身体をびくびくと跳ねさせ、嬌声を上げて気持ち良さそうに喘いでいる。脚はだらしなく開いていて、ソコがどうなっているのか容易に見て取れる。
「ふふっ、どう? 気持ちいいでしょう?」
 美鈴は既に喋る余裕がないのか、しきりに首をこくこくと縦に振る事で答えを示してくる。
 私は更に激しく指を蠢かせる。乳房を弄び、乳首を弄り、時折反対側に手を移して同じようにして刺激。秘所を弄る指は肉芽を摘み、擦り、膣口を擦り上げる。ちゅぷちゅぷと湿った音が室内に響き、その音がますます私を高ぶらせる。
「聞こえる? いやらしい音がしてるわよ」
「はぁ、ん……だって……気持ち、いいから……はぁうっ!? ん……はぁ、はぁ……もっと、もっと弄って、気持ちよくしてくださぁい……」
「あらあら、いやらしい娘ね。――いいわ、もっともっと気持ちよくしてあげる。もっとはしたなく、いい声で鳴いて楽しませて頂戴」
 中指を立て、ぐっと押し込む。私の中指は愛液のおかげでほとんど抵抗もなく、つぷりと第二関節半ば程まで沈み込んだ。
「ああああっ!!」
 その瞬間、美鈴は悲鳴とも嬌声ともつかない声を上げて全身をわななかせた。
 私は思った以上の反応に思わず指の動きを停止させてしまう。
「もしかして、痛かった?」
「はぁ、はぁ…。いえ……いきなり違った感覚がきただけで……大丈夫です。だから、やめないでください」
 そう言って、美鈴は私の唇を求めた。私はそれに答え、唇を重ねる。
 その時、胸にじんわりと暖かい何かが拡がった。
 心地よく、気持ちのいい感覚。
 私はそれを欲し、更に唇を押し付ける。
「ふぐぅっ!?」
 美鈴のくぐもった悲鳴が聞こえたが無視してじっと動かず、体勢を維持する。
 そうしていると先ほどの感覚が大きくなり、満たされるのを感じた。しばらくそうしていたが、生憎と息苦しさを感じ始める。名残惜しく思いつつ、私は唇をゆっくりと離す。つぅっと糸を引く唾液はそんな私の想いを表しているかのよう。
「咲夜さん――ひあぁぁぁっ!!」
 何か言いかけた美鈴を遮る形で私は挿れていた指を抜けるぎりぎりまで引き抜く。
 多分――訊かれる事が何か、私には分かっていたのだろう。だから意図的に遮った。今の私はどう答えるかは分からない。その場限りの嘘を吐く可能性だってある。だからこそ、訊かれないようにと行為を再開した。
「ふあ、あ、咲夜さん、咲夜さん――っ!」
 遠慮などなく、私は指の出し入れを繰り返す。美鈴は喘ぎ、ひたすらに私の名を呼び続けている。それに答える事無く、私は行為に没頭する。
「ひぅっ、んく……あ、ああ――咲夜さん、私、もう――」
 美鈴の感極まった声から、そろそろ現界が近い事を悟る。指をきゅっと締め付ける感覚からも、それが窺える。私はそれに呼応するようにして更に指の動きを速める。
「あああ、くる、きちゃうっ。咲夜さん、咲夜さんっ!」
「我慢せずイきなさい。――ほらっ」
 私は最後の一突きとばかり、指を更に奥まで押し込む。
「好きです、好きです咲夜さんー―ああああああああああああ――――――!!」
 美鈴は絶頂を迎え、一際大きな嬌声を出して全身を引き攣らせた。
 数秒程そうしていたが、突然美鈴の身体が私に圧し掛かってきた。波が過ぎ去ったのだろう。
 それと共に、それまで私を支配していた感情や熱がすぅっと引いていった。

 美鈴は私に全身を預けてはぁはぁと荒い息を吐いている。全身は汗でしっとりと濡れ、肌の色は熱を帯びたままで、ピンク色に染まっている。
 ――なんというか、冷静になった今――いや、それなりに混乱してはいるが、正直どう声を掛けていいか分からない。
 何故あそこまでやってしまったのか、とか、未だにどきどきと胸の鼓動が速いのはどういう事なのか、とか――何より、美鈴の最後の言葉が私に次のアクションを躊躇わせている。
 呼吸が落ち着けば美鈴の方から話しかけてくるだろうし、それまでにどうにか頭の混乱だけでも収めないと、何を言ってしまうか分からない。

 ――すぅ、すぅ

 そう考えていたところで、私の耳に穏やかな寝息が聞こえてきた。寝息の主は当然、私に身体を預けている美鈴。
 どうやら心配は徒労に終わったらしい。その事にほっと安堵するとともに起きたらどう対応しようという心配事が浮かんできたものの、一先ず保留しておく事にした。
 今は――美鈴の身体を拭いたり事後処理したり服着せたりするのが先だし。ちなみにちゃんと下も穿かせる予定。もうこうなってはお仕置き云々はやめておきたいし。
 そうして諸々を終えた私は、汗等で汚れたシーツの換えを持ってくる為に一度本館へと戻った。ほんとはこの門番詰め所にも換えのシーツぐらいあるのだろうけど、生憎と私はその場所を知らない。
 詰め所はそう広くない為、探せばすぐ見つかるとは思ったものの、どう謝ろうかとか、そういう事を考える時間が欲しいので敢えて遠回りの方法を執る事にした。

 全身に若干の気だるさを感じながら、私は目を覚ました。
 上半身を起こしたところで自分の格好がいつもの寝巻きになっている事に気が付く。
 何故そうなっているのか解らず、私の頭にはハテナマークが飛び交う。
 えぇっと、自分で着替えた覚えはないし、そもそも咲夜さんに身体を拭いて貰うってことで脱いで――。
 と順を追って思い出していったところで、かなり恥ずかしい事まで思い出してしまった。咲夜さんに無理やりされた、というか途中から私から求めちゃってたけど、とにかくその事を思い出して頬がかぁっと熱くなる。
 部屋を見渡しても咲夜さんの姿はなく、この場にはいない事がわかった。その事にほっとし、私は身体を後ろへと倒した――ところで、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「おぉ..起きてる? 美鈴」
 その向こう側からは若干動揺の混じった咲夜さんの声。その声にドキンッと心臓が跳ね上がるが、冷静に冷静に――
「はははははい、おぉ起きてます起きてますよーっ」
 出た声は全然冷静じゃなかった。
「そ、そう。じゃ入るわね」
 ガチャリと扉が開き、入ってきた咲夜さんの手には白い布が一枚。
「咲夜さん、それは?」
「ああ、新しいシーツよ。汚れてて気持ち悪いだろうと思って」
 次に出た私の声が割と普通だったせいか、咲夜さんの声も先ほどに比べて落ち着いていた。思ったより普通に話せそうな事に、私は少しだけ安堵した。
「すぐ換えるから、ちょっとだけベッドから出て貰える?」
 咲夜さんの言葉に「はい」とだけ返し、私はベッドから立ち上がる。
「え――?」
 途端、視界がぐらりと揺れた。突然の事に驚き、私はそのまま前のめりに倒れ込んでしまう。
 が、いつまで経っても私の身体は地面に着くことはなかった。かわりに感じられるのは人の体温と柔らかい感触。思わず顔を上げると、そこには少し驚いた咲夜さんの顔があった。
 視界いっぱいの咲夜さんの顔に、胸がどきんと高鳴る。頬がかぁっと熱くなる。
 何故そんなになるのか分からず、私は顔を俯かせてしまった。
「だ、大丈夫? 美鈴」
「――あ、はい、だ大丈夫、です」
 そう言うとともに、私はぱっと咲夜さんから飛び退いた。その時に少しだけ眩暈がしたものの、ぐっと踏ん張って耐えた。
「あ、ちょっと」
「いえ、大丈夫ですから……あ――」
 踏ん張っていた足から突然力が抜け、私の身体はすとんと地面に崩れ落ちる――筈だったが、今度も私の身体は地面に着く事はなかった。
「まだ快復してないんだから、無理しちゃ駄目よ。シーツ引き直すから、椅子にでも座って待ってなさい」
「――すみません」
 そのまま咲夜さんに支えられながら、私はベッドの傍に置かれた椅子に座らされる。
 その後咲夜さんは手際良くベッドメイクをこなし、私はまた布団の中へと戻った。
 換えられたばかりのシーツはサラサラとした感触が肌に心地よく、高鳴る胸の鼓動やぼうっとした頭を落ち着けてくれた。
 横から小さく”きぃっ”という軋むような音が聞こえ、その方向に頭を向けると椅子に座った咲夜さんの姿が視界に映った。その膝の上には汗等で汚れた筈のシーツが綺麗に折り畳まれた形で置かれていた。置く場所が分からないのかもしれない。
「汚れたシーツは今度洗濯するので、何処かに置いていてくれればいいですよ」
「いや、いいわよ。このシーツは洗って本館の方でそのまま使うから。そのシーツはここで使いなさい」
 そういう訳ではないらしい。
 つい数十分程前にあんな事があったばかりだと言うのに、それを感じさせない咲夜さんの落ち着いた口調と空気に少しほっとする。
「ちょっと訊きたい事があるんだけど、いいかしら?」
「え、いいですけど」
「その、ね……。何というか、さっきの事なんだけど――」
 ほっとした途端の咲夜さんの言葉に、心臓が一気に跳ね上がる。顔全体がかぁっと熱くなる。きっと私の顔は真っ赤になっている事だろう。
「あ、う……えぇっと、さっきの事というと、その、さっきの事、ですよね?」
 大きくうろたえながらも、どうにかそれだけを返す。さっきの事とさっきの事じゃどの事を指しているのか分かるとは思えないが、気にする余裕はない。
「まぁ、そうなんだけど……」
 別の事であって欲しいという私の願いも虚しく、咲夜さんの言葉は肯定を示している。
「えっと、何と言えばいいのか……。とにかく、ああいう事態になっちゃったのは私が全部悪いから。だから、まぁ、出来るだけ早く忘れて。それと、ごめんなさいっ」
 そう言い、咲夜さんはぺこっと頭を下げてきた。
「そ、そんな謝らないで下さいっ」
 咲夜さんは気にしていない訳じゃなく、むしろ逆で、私以上に思い詰めていた。
 私はがばっと上半身を起こして咲夜さんの方を向き、そう早口で捲くし立てた。
「別に嫌だったとかじゃなくて、あ、いや最初はちょっと嫌でしたけど……その、気持ち良かったから大丈夫ですっ」
 瞬間、勢いに任せて本音まで吐いた事に気づき、私の顔は更に熱を帯びてしまった。
 特に後半部分は恥ずかしすぎる上に何が大丈夫なのか分からない辺り、かなり混乱していたようだ。
 羞恥で咲夜さんの顔がまともに見れなくなり、顔を俯かせてしまう。ちらりと上目遣いに咲夜さんの顔を見ると、私同様顔全体が真っ赤になっている。
 お互い恥ずかしさ等で気まずくなってしまったせいか、場は重い空気に包まれた。
「――それで、その、貴女が最後に言った言葉、なんだけど……」
 どれ程その沈黙が続いたかは分からないが、先に沈黙を破ったのは咲夜さんの方だった。
「えっと、最後に言った言葉、ですか?」
 しかし、咲夜さんの言う”私が最後に言った言葉”というのがイマイチ分からず、私は頭を上げ、そう訊き返す。
「え、ええ、そうよ。――その、貴女がイった瞬間、なんだけど……」
 若干躊躇いながらそう教えてくれたものの、正直最中に何を言ったかなんてまともに覚えていなかったりする。
 必死に思い出そうとするものの、その部分の記憶は霞がかかったようにぼやーっとしていてさっぱり分からない。
 しばらく腕を組んで思い出そうとしたが、不思議そうな咲夜さんの視線を感じて、非常に言いにくいが言う事にした。
「あの、非常に言いにくいんですけど……私、何か言いました?」
「――へ?」
 おずおずとそう切り出すと、咲夜さんは素っ頓狂な声を上げた。表情は鳩が豆鉄砲を食らったような感じで妙に面白い。
「もしかして、覚えてないの?」
「あの最中は自分で何を言ったかなんて全然覚えてなくてあたっ!?」
 言い終わる瞬間、頭頂部にごつんっと鈍い衝撃が走った。
「いたたた……ちょっと何するんですかいきなりっ!」
 瞬間的に咲夜さんに殴られたんだと悟り、私は頭を抑えつつそう抗議の声を上げる。
「はぁっ……。覚えてないならいいわ別に」
「いや答えになってないですよ咲夜さん」
「こっちが散々悩んだ末に意を決して訊いたのに貴女があっさり覚えてないなんて言うから、ちょっとカチンときただけよ」
「そんな理不尽な――いえ、何でもないです」
 殴られた理由の納得のいかなさに尚も抗議しようとしたものの、これ以上突っ込むなとばかりにギロリと睨まれ、あっさりと引き下がる。
 納得はいかないものの、普段の空気に戻ったのは正直ありがたい。
 と、ここで私はふとある事に気が付いた。
「ところで咲夜さん」
「何?」
「もし良ければなんですけど、私が何を言ったか教えて貰いたいなーって」
「教えられるような事ならとっくに教えてるわよ」
 咲夜さんは若干呆れ顔でそう答えてくれた。内容を教えてくれないという事は、どうやら私はとんでもない事を言ったようだ。
 自分が何を言ったのか知るのが怖くなり、結局追求は断念した。――追求したらしたで殴られるどころかナイフが飛んできそうで怖いし。
「それより、喉が渇いたからお茶でも入れてくるわ。貴女も飲むなら用意するけど、どうする?」
「あ、はい。お言葉に甘えさせて頂きます」

 それから咲夜さんの入れてくれたお茶――中国茶を飲みながら暫し雑談を交わしていたところ、私は若干の眠気を感じ始めた。
「あふ……」
 こうして話す機会は滅多にないからと眠気を耐えていたが、ついに眠気は欠伸という形で表に出てしまった。
「眠くなったの?」
「ん――そうみたいです」
 一度はっきりと自覚してしまうと早いもので、既に私の頭には霞がかかり始めている。
「そう。じゃあ寝なさい。夕食時になったらまた来るわ」
 目を擦りながら首を縦に一度振ることでそれに答え、私は上半身を倒してもぞもぞと布団に潜り込む。
「おやすみなさい、美鈴。ゆっくり眠りなさい」
 咲夜さんの声は何故だかとても優しく、同時に額に置かれた手の感触は心地よく、暖かい。
「はい、おやすみ―ーなさい、咲夜――さん」
 額から広がる全身を包むかのような暖かい感覚は、心地よい眠気を急速に大きくしていく。
 どうにかそれだけを言い終わったところで、私の意識は眠りへと引き込まれた。

 目が覚めると、すぐに私のお腹は”ぐぅぅぅぅぅぅぅ……”と音を立てて空腹を訴えてきた。
「お早う、美鈴」
「んぇ?」
 突然真横から声が聞こえ、私は間抜けな声を出してしまっていた。
「さ、咲夜さんっ。えと、お、お早うございます」
 若干動揺しながら、慌ててぺこりと頭を下げる。
 咲夜さんがいるという事は、既に夕飯の時間なのだろう。
 そう思い、顔を上げて壁掛け時計を見る。時間は七時半をちょっと過ぎたところだ。
「もうこんな時間なんですね」
「そうね。それより、お腹空いてるでしょ? って訊かなくても解るか」
「え?」
「お腹の音、聴こえたわよ」
 そう言い、咲夜さんはくすくすと口元を押さえて笑っている。
 対するこっちはお昼同様、恥ずかしさに顔を赤く染め、俯いてしまう。心臓の鼓動もどきどきと早鐘を打ち出している。
 お腹の音を聴かれるというのは何故こうも恥ずかしいのか……。
「それじゃ作ってくるから、待ってなさい」
 その声に反応して顔を上げると、既に咲夜さんは立ち上がって台所へと向かっていた。
「はぁっ――――」
 扉がパタンと閉まって姿が見えなくなり、私は大きく溜息を吐いた。それで漸く顔の熱は引き、早鐘を打っていた心臓の鼓動もどうにか落ち着いてくれた。

「出来たわよ」
 その落ち着いた瞬間、突然ガチャリと扉の開く音と咲夜さんの声が聞こえて私の心臓は再び跳ね上がる。
「ひぇっ!?」
「――? どうかしたの? 変な声出して」
「い、いえ、何でもないです何でもないですよ?」
 出た声は明らかな動揺。顔の前で両手をぱたぱたさせているから行動にも動揺が出ていて、正直説得力は無さそう。
 咲夜さんは鍋の乗った盆を持ったまま、訝しげな視線でじぃっと私の顔を見つめてくる。
 どうにも気まずい状態が続く。隠すような事とかはないしこっちが勝手に驚いただけだから非常にこの状況は不本意なんだけど……。「あは、あはは……」と乾いた笑いで誤魔化そうとするも、咲夜さんの様子は一向に変わらない。
「……まぁいいわ。それより、お粥が冷めるといけないし、そろそろ食べましょうか」
 いつまでも続くかと思っていたこの状況も、咲夜さんの発言で終わりを迎えてくれた。咲夜さんの表情が柔らかくなり、私はほっと胸を撫で下ろす。
 それから食事は始まったものの、正直あまり覚えていなかった。何故かというと、また食べさせて貰う破目に陥ったから。
 確かに一番最初に食べさせて欲しいって言ったのは私からだったが、正直アレは嬉しい反面かなり恥ずかしいものだった。故に最初は断ろうとしたものの――

「折角病人なんだから甘えときなさい。それに私から今日一日甘えろって言ったんだし、従っといた方がいいわよ」

 微妙によく分からない論理で押し切られてしまった。
 ともあれ、嬉しいやら恥ずかしいやらの夕食はつい数分前に終わり、咲夜さんは台所で食器を洗っている。部屋には現在私一人。
 漸く落ち着いたところで、あの時自分が何を言ったのか思い出す事にした。咲夜さんの態度が普段と比べるとあまりにも優しすぎる。もしかしたら、あの時言った事というのが起因しているのかもしれない――。まぁ、可能性はそう高く無さそうだけど。
 しかし相変わらずそこら辺の部分――というか途中から完全に靄がかかってしまっていて全然思い出せない。どうにか思い出そうと頭を捻るものの、靄は全然晴れず。
 結局、咲夜さんが洗い物を終えて戻ってきた為、思考を中断する事になった。
 それからはしばらくは雑談や世間話をして過ごしていたが、お嬢様がそろそろ戻られる頃だからという事で咲夜さんは本館へと戻っていった。
 今日一日は色々とあったせいかすぐに眠気は訪れ、この日は終わりを迎えた。

 次の日の朝。
 目を覚ますとすっかり体調は良くなっていて、退屈な門番の日常に戻る事となった。
 ちなみに裏門の門番の娘は時間になっても来なくて裏門を見に行ったら、何故か木から逆さに吊るし上げられてナイフで磔にされていた。やったのが誰なのかは一目瞭然だったものの、敢えて気にしない事にしようと思う。
 そしてこの日から、お昼や夜の休憩時間は必ず咲夜さんが訪れるようになった。
 一緒に食事を摂ったり話をする程度だったが咲夜さんは常に機嫌が良く、理由を訊いても「なんとなく、だから気にしないで頂戴」とか言われてはぐらかされるばかり。
 機嫌が良いなら答えてくれるかもしれないと思ってあの時私が何を言ったかを訊いても「貴女が自分で思い出さないと意味ないから頑張って思い出しなさい」と言われて全然答えてくれなかった。
 いくら思い出そうとしても相変わらず靄がかかっていてはっきりと思い出せず、ある日たまたま――というかいつも来てるけど、訪れた魔理沙に相談してみた。順を追って洗いざらい説明すると魔理沙はにやにやと笑いながら

「そうかそうか、私にゃ大体見当つくから咲夜を説得してお前が何を言ったか説明してくれるよう頼んできてやるぜ」

 と言って物凄いスピードで本館へと飛んで行った。

 数分後やってきた咲夜さんは、いつか見た笑顔の張り付いた鬼の形相で

 「夜霧の幻影殺人鬼」に「ソウルスカルプチュア」を重ねて空中に打ち上げられたところに「咲夜の世界」でこれでもかと言う程ナイフの追撃をかましてくれました。
 私が一体何を言ったのか誰か教えてプリーズ――げふっ。

-FIN-






―あとがき―

こんだけ書くのに1ヶ月はかかりすぎだと思いました投稿二度目ましてげふっ。
個人的にはこれまでで一番長くなっちゃったわけですが、当初はこの半分の量で終わる予定でした……が、色々と思いついて書いていったらあれよあれよと増えまくりました。ついでに18禁になったのも途中から(死
それなりに量あるのに内容薄いとかエロくねえとか色々言われそうですがとりあえず書いた方としては

_  ∩
( ゚∀゚)彡 咲×美!咲×美!
 ⊂彡

_  ∩
( ゚∀゚)彡 咲×美!咲×美!
 ⊂彡
このSSの大半はカプ萌えで出来ています。
長いけど楽しんで貰えたら幸いです。
それじゃちょっと吊って来ますノシ
質問 お仕置きから始まるミステリー
よかったふつういまいち

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