―蝶を捕らえたる青年の話―


 夏の博麗神社。
 一昨日は暑かった。 
 昨日も暑かった。
 では今日は涼しいかといえばそのような事も無く今日もまた―――。
 
 昼下がり、太陽はほぼ真上に位置し己の存在をこれでもかと主張している。
 ―――この暑さが妖怪の仕業であればいい、と。
 博麗神社の巫女である博麗 霊夢は思った。
 何故ならその場合、その妖怪を退治してしまえば涼しい日々が訪れるであろうからだ。
 けれどもこの暑さは狐狸妖怪の類の仕業ではない、その事ももちろん霊夢には判っている。

 堂内で蒸される熱気に耐え切れず日々の勤めを早々に切り上げる。
 屋外に出れば多少の風で僅かに涼も感じられるが、その代償としてさえぎるもののない日光
にじりじりと肌だけでなく魂ごと焦がされる気分に襲われる。
 つい、打ち水の為に汲んだ井戸水を頭から被りたくなったが、かろうじてこらえる。
 もう一度汲みに行きたくないからだが。
 裏庭に回れば陽光に陰影を強くした向日葵の群れと命を燃やすかのような蝉の声。

 凛―――と、澄んだ音を立て風鈴が揺れる。

 その音に引かれるよう瞳を巡らせば、風が通るよう庭に面した障子が開いている、おそらく
博麗神社の中で一番涼しい部屋、その中に黒い塊が見えた。
「…なにしてるの」
「見て判らないか?涼んでるんだぜ」
 そういってごろりと黒い塊、霧雨 魔理沙は体ごと霊夢に向き直る。
「そうじゃなくて、何でココに居るのよ?」
「屋敷にナメクジが大量に涌いてね、避難してきた」
「去年もそんなこと言ってなかった」
 口元は笑みの形。
 掛け声一つで上体を起こすとその勢いで日陰の中、くすんだ色の金髪が舞う。
「打ち水だろ?かわるぜ」
 視線は霊夢の手元に注がれている。
「………何の冗談?魔理沙らしくないわよ」
 答える霊夢は軽い驚きを隠していない。
「らしくないが『そういうもの』だろう?」
「そうね『そういうもの』ね」
 魔理沙は口元の笑みを深くして霊夢を見る。
 逆光の中、霊夢の口元は魔理沙とは違う意味の笑み。



 カラン―――と、琥珀色の液体で満たされたグラスの中、溶けた氷が歌う。

「まあ麦茶なんだけどね」
「誰に向かって話してるんだ?」

 風が草木を僅かに揺らし、撒かれた水がゆらゆらと陽炎を上らせる様を無言のまま眺める。
 不意に。
「魔理沙、こういう話を知ってる?」
「聞かなきゃ判らないぜ?」



  昔々
  一匹の蝶に心奪われた青年が居ました
  青年はひらひらと舞う蝶を眺めているだけで幸せでした
  けれど
  いつしか青年はただ眺める事だけに耐え切れず
  蝶を自分だけのものにしたいと思い
  その蝶は籠の中へ
  けれど
  青年の心は曇っていました
  『欲しかった蝶はこの蝶のはずなのに、この蝶では無い』
  ―――と
  理由の判らぬ青年は悩み苦しみました
  やがて蝶は少しずつ弱っていき
  ぽとりと
  籠の中、偽りの地面に落ちます
  その時青年は気付いたのでした―――


「『私が心奪われたのは籠に閉じ込められた蝶では無く自由に空を舞う蝶であったのだ』とね」
「………馬鹿な男だな」
 霊夢の膝を枕に双方を団扇で扇ぎながら魔理沙は心底呆れたように言う。
「ええ、馬鹿な男ね、眺めているだけで―――」
 ―――我慢していればいいのに。
「愛してやればよかったのに」
「え?」
 魔理沙は瞳を伏せ夢見るよう言葉を重ねる。
「捕らえた蝶も、自由に舞う蝶も、同じ様に愛してやればよかったのに。そうすれば…」
 その言葉に合わせるよう霊夢も瞳を閉じる。
「そうすれば、どうなるのかしらね」
「さあね、私は青年じゃないし、ましてや蝶でもないから……わからないぜ」
 くすりと小さく笑う。
「じゃあ…もし私が青年だったとしたら?」
 問いながら、そっと魔理沙の閉じた瞳の上に手を重ねる。
「全力で逃げるぜ」
「あら、どうして?」
「『壊れた』としても開放してくれそうにないからな」
 両手で魔理沙の頭を挟み、額が触れ合うほどに覗き込む。
「そうね、きっと壊してしまう、だからこそ………我慢してるのよ」
「代用品で?」
 魔理沙が瞳をゆっくりと開きどこか自嘲めいた笑みを浮かべる。
「そう代用品で」
 霊夢も同じ笑みを浮かべる。
 互いの瞳は道化の笑みを浮かべた二人を映しあう。
「ねえ霊夢、キスしようか?」
 からかいと嘲笑と。
 ―――ほんの少しの愛しさを笑みに。
「ふふ…そこまでは流石に虚しくなるから止めとくわ、それに―――もう飽いたの」
 そう言って霊夢は口の付けられていない、自分のものではないほうのグラスを手に取った。

 『 』―――と、硝子の割れる様な音は。
 風鈴が鳴ったのか。
 氷が鳴ったのか。
 それともそれ以外のどこかから響いたのか。



 箒に跨って飛ぶのは魔法使いである。
 さらにそれが黒い服を着て黒い三角帽を被っているならなおさらである。
 多少夏仕様になっているとはいえ、炎天下の中で黒い服装というのもどうかと思うが、彼女
が普通の魔法使いである以上、黒い服を着るのは当然のことなのだ。
 そんな訳で普通の魔法使いである霧雨 魔理沙は今日も箒に跨り空を飛ぶ。 
 日光を吸収する黒い服に汗だくになりながらも鼻歌交じりに。
 眩しさに瞳を閉じていても決して迷うことの無い飛びなれた空の道を。

「霊夢ー、よく冷えた西瓜持って来たぜっ」
 すとんと博麗神社の裏庭に着陸する。
 庭に面した部屋には空のグラスを手に霊夢が座っていた。
「あら魔理沙、今年は何が涌いたの?」
「あー、そうだな今年は鈴虫が大量発生したから避暑に来たぜ」
「あからさまに今考えたでしょ、それに鈴虫は季節が違う」
「細かいことは気にするなって、あがるぜ………おや?」
 許可を待たずに部屋に上がりこんだ魔理沙は足元に落ちていた紙片を拾い上げる。
 人の形を単純化して模した紙片。
 中央に書かれていたであろう文字は濡れ滲み既に読むことは出来ない。
「式か」
「ああそれね、廃棄にしたと思ってたら一つ残っていてね―――暇つぶしをしていたの、って
なんで懐に仕舞ってるのよ」
「だから細かいことは気にするなって、それより包丁無いか?」
「ああもう、しょうがないなあ、ちょっと待ちなさい」
 霊夢はそう言うと台所へ続く戸を開き、通らぬまま振り返り問う。
「ねえ、もし魔理沙が蝶で私が虫取りだったら………どうする?」
 対する魔理沙は胡坐を掻き霊夢を見上げた姿勢。
「あー?三食昼寝付きだったら捕まってやってみてもいいぜ」
「…それって今とどこが違いがあるの?」
 それもそうかと魔理沙は目と口で弧を描き笑みの形を作る。
「なんだ、気付かなかったぜ」
 かしげた首に従う様、日陰の中でもなお煌めく金髪がかすかに揺れる。
「私はとっくの昔に霊夢に捕まってたのか」

 閉ざした扉に背を預け、隣室の黒い魔法使いに聞こえぬよう紅白の巫女がつぶやく。
「どうせ」
 遠くには蝉時雨。
「するりと逃げていってしまうくせに」




                                    ―終― 
質問 ―蝶を捕らえたる青年の話―
良かった ふつう いまいち

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