投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. アルベア論(677)
  2. ひらがなプロジェクト(137)
  3. 正義のあかし(45)
  4. 掲示板の注意事項(1)
  5. 虚構の大石寺疑惑(0)
  6. 2015年安保法制(977)
  7. アラシ行為記録(21)
スレッド一覧(全7)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


僕もヘルニアの痛みが消えました。

 投稿者:改め シナモンゴー  投稿日:2016年 9月14日(水)13時08分44秒
  幸せな人さま
腰痛の快癒、おめでとうございます。
かく言う私も、ここ最近のヘルニア痛がピタリと止まりました。これも信濃町モンスターとその配下と戦う決意の結果だと確信しています。池田先生の世界を取り戻すために更に頑張って参ります。宿坊の掲示板の皆さま、今後とも宜しくお願い致します。
 

師弟不二アーカイブより 【問答無用 対話なき処分】 【23】【24】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年 9月14日(水)13時00分20秒
  陽光様の【問答無用 対話なき処分】のシリーズをお送りしています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆問答無用 対話なき処分 23


今まで三回のアピールを提出したがこの2ヶ月半以上何の返事もなかった。ようやく、2016年1月5日に東部方面の壮年部長の●C氏より一通のメールが届いた。

●C氏とは面識がないが、東部方面の壮年部長と言う事は知っていた。
私の処分問題は、何も分からないフロリダ・ゾーンの幹部では対処できないので、私のメールを彼に転送したものと思う。責任の丸投げである。

処分の手紙はフロリダの幹部の署名付きで受け取っているのだ。ローカル幹部は上からの命令を忠実に実行しただけで、何故私が処分を受けたのか、彼らの言動から、その本当に理由は彼ら自身が分かっていない。手紙に署名した本人が返事もしないで、その責任を上位の幹部に丸投げする。これでは植木等の「無責任一代男」ではないか。


ナチス政権下でのアウシュビッツ収容所の所長、ルドルフ・アイヒマンを思い浮かべた。彼は数百万のユダヤ人を虐殺したが、彼はその言い訳として「上官の命令に従っただけ」という究極ともいえる言い訳をする。「人」を「人」と見ずに「モノ」と見る。現今の学会組織の上意下達方式はこれに類似している。


2016年1月21日付の●C壮年部長から手紙が1月28日に私の手元に届いた。彼は、SGI-USAのレターヘッドを使い、手紙のハード・コピーを普通郵便で送ってきた。

その手紙には、私が2015年10月18日付で婦人部Mさんにメールした文面のハード・コピーが同封されていた。

私が婦人部Mさんに書いたメールは日本語である。●C氏は日本人ではないので、その同封された文面は果たして理解できるのであろうか。

誰か翻訳をして彼に渡した者がいるのであろうか。もし、その手紙や添付ファイルを翻訳して読めば私の真意は伝わる筈だ。


彼の手紙には・・・・・会則第68条のアピールについて方面懲罰委員会で検討した」とある。そして、


「貴殿の6か月間の謹慎処分は妥当であると判断する。
・・・・・
今回、貴殿はそれを反省して信心を深め、責任ある行動を取り、貴殿の人間革命い勤しんでいただきたい」とあった。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=9990

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◆問答無用 対話なき処分 24

彼の手紙は大変に矛盾を含む内容のものであった。私の処分は既に2015年9月の段階で決まっていた。

婦人部Mさんに充てたメールは10月18日午後11時に送信した。その日は、日本語勉強会があり、我々が去った後にゾーンの懲戒委員会が私の処分を決める会議を行ったのだ。
私の処分の手紙は10月19日付であった。その後に私のメールを入手したことは容易に理解できる。

従って、結論ありきで、処分を決めて正式な手紙を書いた後にその理由・証拠固めとして、いろいろなメンバーに当たっていることは明白である。本末転倒なのだ。すべての理由は後ズケなのだ。


また、私がアピールに書いた質問等(NO 21で説明)には全く答えない。すべては上からの目線で一方的な内容であり、言語道断である。

真摯に私のメールや添付ファイル等を読めば、そのすべてを理解しなくても「相当におかしい事」に気が付くはずである。


また、私がいろいろな人と意見や情報を交換したり、掲示板に投稿するのは相手を著しく誹謗しない限り言論・表現の権利が世界の多くの国で認められているのだ。


1948年に採択された基本的人権に関する宣言書の第19条ですべての人の意見や表現の自由は認められている。人権に関するアメリカの条項第13条で言論の自由が制定されている。下記の権利は人びとに保証されているのである。しかも、それはアメリカの国のみならず、日本、ヨーロッパ、アフリカ等、国際的に制定されているものである。

1.情報とアイデアを求める権利
2.情報とアイデアを受け取る権利
3.情報とアイデアを与える権利

http://sgi-shiteifuni.com/?p=10022





 

師弟不二アーカイブより 王城会(支部長)との会話②

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年 9月14日(水)12時44分18秒
  【投稿者:男子部タケシ】
投稿日:2016年 5月12日(木)15時18分51秒


王城会(支部長)
「ホンマやのぅ、最近の男子部の最高幹部は腰抜けやのぅ。笑」

タケシ
「言論戦だぁぁぁぁー ! なんて勇ましく言うてるけど、男子部長としてなってないッスねぇ。やっぱり、ボンボンで甘やかされて育ったヤツはあきませんわぁ」

王城会(支部長)
「そうやな。デマならデマやと機関誌があるんやから、はっきりと書いたらエエだけの話や。

・・・・・


王城会(支部長)
「それは会合の前に『ここで見たものはしゃべってはいけない』って注意事項があったし、やっぱり日本人は長いものに巻かれろで、周りの顔色うかがうからな。池田先生は『間違っていることに対して声をあげなさい。そういう権威権力に従ってはいけない』と指導されてきたのになぁ・・・・。

・・・・・(詳細は)

http://sgi-shiteifuni.com/?p=11332
 

師弟不二アーカイブより 王城会(支部長)との会話①

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年 9月14日(水)12時41分42秒
  【投稿者:男子部タケシ】
投稿日:2016年 5月12日(木)15時09分58秒

王城会(支部長)
「お―い、タケシ― ! 久しぶりやなぁ」
タケシ
「あれッ !? 今日は任務ですか。久しぶりですねぇ」
王城会(支部長)
「おぅ、任務や。ところで何や、今日は会合か ?」

・・・・・

※竹岡全国男が昔、大阪の会合で話した内容

★ネットの「宿坊の掲示板」というサイトで「教学レポートや遠藤文書」など、根も葉もないデマ文書を使って内部を攪乱している

・・・・・

タケシ
「でしょう ! 笑 以前に掲示板にも書いてあったけど、竹岡男子部長が『教学部レポート』や『遠藤文書』がデマ文書なら、聖教新聞の紙上座談会であれはデマだって明言すればいいんですよ。それを工作員を使って、何とかしようなんざぁ姑息ですわ」

(②へつづく)

(詳細は)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=11330
 

螺髪さん テヘラニアン対談 

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 9月14日(水)10時58分55秒
  螺髪さん、すみませんがもう少し詳しく、お聞かせくださいませんか。
先日の赤胴鈴之助の三番は脳髄にしみこみました。

私には、今世で誓った・・・しなければいけないことがあったことを思い出しました。
ちなみに、私の母は10歳の時に不慮の事故で亡くなりました。

引用失礼します。
>テヘラニアン 「神話は、身分制度のような圧制の正当性を示しうるイデオロギーにもなりうるのです。
 一見、『霊魂』を説かない仏教とは、対照的に、アブラハム系の宗教は、人間は肉体と霊魂を具備しているとしています。そして、肉体は滅びるけれども、霊魂は永遠に不滅であるとされているわけです。
 しかし、最初に申し上げたように、言葉の表面上の違いにもかかわらず、この教えの深い意味は、仏教の輪廻説が深いところで意味するものと、通じていると思います。
 善と悪の行動が審判される日まで、人間の魂は煉獄のなかで運命の決断を待つのです。=以下略=」<

・・・・・・・・・・・・
>仏教の輪廻説が深いところで意味するものと、通じていると思います。
>善と悪の行動が審判される日まで、人間の魂は煉獄のなかで運命の決断を待つのです。<

恥ずかしながら・・・。私はこの対談集を残念ながら読んでいません。
このあと池田先生は、どのように答えられたか知りたいのですが・・・。
まず、私の思うところも書きますね。
宇宙根源の神が裁くという考えには同意できません。仏法は因果倶時と説いています。
螺髪さんは、いかが、でしょうか。
 

源流

 投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2016年 9月14日(水)10時36分20秒
  池田先生が初めてインドの地に降り立った1960年  1人も学会員が居ませんでした。
今の新 人革の舞台である昭和54年  40名のインドの同志の源流は昨年  111,111の地湧の陣列を達成。
《現地の同志が頑張った結果であり、日本の会長がバンザイしているクリアファイルなんぞ   言語道断!!》

そのインドの同志は皆  口を揃えて こう言います。
「私は、山本 伸一です」と。

まさに  「出でよ!  10万の山本伸一!!」
との先生の叫びに呼応して 出現した弟子達です。

私はこの話を聞いて 感動しました。

日本で 「私は山本伸一です」なんて言ったら・・・・
先生気取りと悪口を言われるでしょうね。間違いなく。
師弟不二と言いながら  それを目指すと 潰される日本の組織。

今日の名字の言。
呼び名は変えてみたけれど  遅々として進まない任用申し込み。
なんとか現場が教学に力が入るようにとのインド広布発展は教学に力を入れたからとの話になっていましたが、発展の源流は 「私は山本伸一です」と戦う同志がインドにはたくさんいるからではないでしょうか?



本日の新 人革
日蓮大聖人の仏法西還の確信を挙げ、
「でも、それは、自然にそうなるということじゃないと思う。誰かが使命を自覚して、行動を起こさなければ、その実現はない。」
 

信濃町の人びとさんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 9月14日(水)10時28分17秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/56255

やりとりはアメーバでなされていたのと、この掲示板での接点で最後です。
その後はお互いにスルーの状態ですから。

僕を「ストーカー」とするには『都合の悪いもの』の情報はネット対策なら知り得てるはずですけどね。
それとも忘れたままなのか別人になって知らずにいるのか知らんけど。
そもそも「ストーカー」とする話になった経緯はおそらくまだネット上に誰でも見れる形であるはずですから(それをいえば困ることになるのはストーカーを言い出した本人ゆえ信仰上プラスになるかという観点から僕は言うつもりはないです)。
その経緯の情報を出せばいかに反板がマヌケか明白ですけどね。
ちゃんと調べる気のある人なら見つかるでしょうけど(それなりに時間かかるだろうけど)。

けど「肝心な部分」はすでにネット上にはないでしょうね。
そもそもの接点の部分です。
やりとりしたほとんどは特定のブログでしたが、そのブログはすでに閉鎖でネット上から消えてますから。
閉鎖時期は、僕がこの掲示板でコメントしだしたより以前のタイミングです。
ネット対策ぐらいならその閉鎖されたブログを見ていた可能性は否定しないけど、それでも「コメント欄の魚拓」でもしてなければソースの提示は不能でしょうね。

ちなみに、反板はもう見てないので何を書いてるか知らないです。
信憑性や信仰上プラスになるかという点では、普通の学会員さんからも相手にされてない様子でしたからね。
放置でいいと思ってますよ。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

今年の11・18は、世界総本部建立を目指しマス!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月14日(水)09時49分50秒
編集済
  だから、これから毎年、特別財務を行いマス。また、諸事情により明年からの広布部員申し込みは、新規申し込み以外、各会員の預金口座より自動振替される琴になりました。
既に、聖教珍聞購読口座を登録されている方は、併用でき簡単便利になりマス。今後は、毎年ご捺印頂く用紙のみの配布となります。用紙は、口数欄とご捺印欄のみです。この用紙に手書きにて口数を書き、捺印して提出するだけの簡単に分かりやすい申込書となりました。

また、財務は一口一万円以上との原則を一口三万円以上と致しました。これは、先般開催された全国総県長会からの強い要望(財務部員制度開始から半世紀にわたり、一口1万円は、そろそろ変えた方が良い)により、本部責任役員会を開催して全員一致承諾(決定事項)として、会員の皆さまにご案内する次第です。つきましては、明年以降から一口三万円、目標は一人100口でお願いします!口数が多いほど、功徳倍増です。会員皆さんで競って下さい。

さあ、明年から始まる世界総本部建設に向けて、マイ聖教の拡大、多部数購読による外部への贈呈、町内会の友人・知人宅への聖教投げ込みと、ますます聖教投げ込み拡大、広布拡大の戦いを宜しくお願い致します(-_-)

なんて、琴を宣言するようで恐い~のですが、皆さまは、今年の11・18をどのように見てますかぁ~(-_-)

昨年のコッソリ発表です。↓



え!! 日蓮世界宗創価学会 発表してるじゃん!?投稿者:九州人
?投稿日:2015年11月17日(火)23時09分48秒
創価学会公式サイトより
会則(1)

池田先生は、創価学会の本地と使命を「日蓮世界宗創価学会」と揮毫されて、創価学会が日蓮大聖人の仏法を唯一世界に広宣流布しゆく仏意仏勅の教団であることを明示された。
そして、23世紀までの世界広宣流布を展望されるとともに、信濃町を「世界総本部」とする壮大な構想を示され、その実現を代々の会長を中心とする世界の弟子に託された。
http://www.sokanet.jp/info/kaisoku01.html
?


世界総本部建立って、きっと凄くお金がかかると思います(-_-)
 

池田先生の無言の指導

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 9月14日(水)08時34分46秒
編集済
  全世界で行われている理不尽な査問。
査問により処分をされ除名になった会員もいます。

査問の内容は酷く、人権侵害とも言える内容もあるのです。
その非人道的な幹部のふるまいに怒りが湧いてきます。

>問答無用 対話なき処分:あとがき(陽光さん)  投稿者:太ちゃん@まとめコメント<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/54443

>清水の舞台から跳ぶ思いで  投稿者:サンプラー座ナカノ<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/39302

問題は、「池田先生が、査問について何もご発言されていないから、ご了承されている」と思っている幹部がいないだろうか?
査問の実態は酷く、国民を守る公明党職員や学会員を守る創価班委員長までが、査問を行っているのです。

自分は池田先生の過去の指導に照らし、先生が査問を了承していないと強く断じます!

~~~~~~~~~~~~
池田SGI会長 ~四季の励まし~
「慈愛の声」が「勇気の連鎖」に

どんな人も見放さない。
決めつけない。切り捨てない。
信じ抜き、手を差し伸べて、仏性を呼び起こす。
これが仏法の人間主義だ。

2016年2月14日
~~~~~~~~~~~~

池田先生の指導を読めば明確ではないか!これが人間主義です。
査問は権威主義であり組織主義である、非人道的な行為と断じます!
ならば、池田先生がご発言されないことが「了承した」とは成り立たなくなるのは明確です。

さて、過去に安保法制の決議で「池田先生が何もご発言されていないから了承された」と言った幹部に問いたい。
はたして、池田先生がご発言されない事が「了承された」と言えるのでしょうか。
先生がご発言されない事を、組織に都合よく解釈していないだろうか。

池田先生がご発言されない事に深い意味がある。
それは無言の指導として、会員一人ひとりが真摯に受け止めて行くべきです。



 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 9月14日(水)07時56分7秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-8-20 【8・24記念各部合同協議会】

■  一、未来を開く協議会、ご苦労さま! 役員の皆さんも、ありがとう!(大拍手)
 いよいよ、新しい時が来た。
 いずこにあっても、「地より涌き出でんとする」ごとく、新しい地涌の人材が、生き生きと躍動し、登場している。
 「人材、人材の創価学会でいけ!」とは、わが師・戸田城聖先生の叫びであった。
 先生も、どれほど喜び、見つめてくださっていることか。
 インドの詩聖タゴールは、戯曲の中で、民衆の代表に、こう語らせている。
 「王様はわれわれの一人一人を、王冠をかぶった王になさっているのだ」

一方、でっち上げの王を、こう戒める。
 「偽りの王よ。あんた自身があんまり尊大ぶりを発揮されたのですよ。あんたの頭はもうすぐ塵にまみれるでしょう」(姥原徳夫訳「暗室の王」、『タゴール著作集第6巻』所収」第三文明社)
 真実の王は、民衆一人一人を王にする。
 偉ぶって、自らを飾るのは、偽りの王だ。
 我らは信仰の王者である。折伏をしている人が偉い。それを下に見たら、罰を受ける。
 リーダーは威張ってはならない。本当に偉大な人は謙虚である。外面を繕い、虚栄でわが身を飾る人間が、上に立ったら大変だ。
 仏法者ならば、根底に慈悲がなければならない。その上で、「強敵には強く」「弱者には温かく」「同志には優しく」。そのように私は心してきた。
 これを戸田先生は見逃さず、「それが、お前のいいところだ。ほかのだれにもできないな」と、おっしゃってくださった。
 まずリーダー自身が人間革命するのだ。そこから一切の勝利は始まる。
 明るく朗らかに、誠実に、皆と調和して、守り合い、尊敬し合って、素晴らしい歴史を築いていただきたい。
 何でも語り合い、励まし合いながら、気持ちよく、ともに広布へ前進していきたい。

● 平和と文化の城は今、全世界に
 一、御本仏であられる日蓮大聖人は、「諸法実相抄」に仰せになられた。
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」(御書1360ページ)
 この御聖訓の通り、末法濁悪の現代に妙法を唱え弘めゆく「地涌の菩薩」を、先頭に立って呼び出されたのが、初代・牧口常三郎先生であり、2代・戸田先生である。
 蓮祖が示された「地涌の義」のままに、私は、願い求めた師匠である戸田先生と巡りあって、広宣流布の大願へ、勇猛精進を開始した。
 それは、昭和二十二年(1947年)の8月のことであった。
 今年で六十一年となる。
 戦後間もなかった当時、西神田にあった旧学会本部は、木造で3階建ての小さな建物であった。
 それが信濃町に移って、この秋で55周年。日本中、また世界から多くの友が集い来る、喜び光る宝城となった。学会の会館は日本だけでも約1200になり、あの国にも、この国にも平和と文化の城がそびえ立つ。
 これらもすべて、一切をなげうって師匠に尽くし抜いた福運である。尊き同志の信心の結晶である(大拍手)。

● 師と「同じ心」で
 一、法華経は、「不惜身命」であり、「死身弘法」である。
 牧口先生は、法難の獄中で、殉教なされた。
 戸田先生は、その牧口先生にお供したことを、最大の喜びと感謝された。
 勇んで、その弟子となった私である。「三障四魔」「三類の強敵」との戦いは、もとより存知の上であった。
 仏法のために、師が命がけならば、弟子も命がけで戦う。それでこそ「不二」の境涯となる。師と「同じ心」で戦うから、いかなる障魔をも打ち破っていけるのだ。

● 「師恩」こそ正道
 一、人間として歩むべき正道は何か。
 「開目抄」には、こう仰せである。
 「聖人・賢人といわれる二種の人たちは、孝の家から出ている。まして仏法を学ぶ人が、どうして恩を知り恩を報ずることがないことがあろうか」(御書192ページ、通解)
 仏法においては「師恩」を重視している。
 私自身、戸田先生のために、尽くしに尽くし抜いた。
 先生のおっしゃられる一言一旬に感謝しながら、すべてを前進の力に変えていった。
 先生は、何かあるたびに「大作!」と私を呼ばれた。
 生涯の願業を成し遂げられ、亡くなられる前に先生は「本当に、いい弟子をもった。おれの最高の幸せだ」と喜んでおられた。美しい師弟であった。
 一方、忘恩こそ、人間にとって最も恥ずべき行為である。
 ドイツの文豪ゲーテの指摘は鋭い。
 「冷やかな無関心がしだいに優位を占め、ついには、恩恵者を無縁の者の如くに見、時によっては、自分の益にさえなれば、恩恵者の害になるようなことでも企てかねないようになる。これこそが真の忘恩と呼ばるべきものである」 (山崎章甫訳『詩と真美』岩波文庫)
 忘恩は「無教義な人間」が陥る。報恩は「すぐれた人間」だけに生ずる。こうもゲーテは書き残した。

 一、私は青年を信じる。青年が頑張れば、学会は明るくなる。
 戸田先生は、ある時、女子部の友に語られた。
 「信心が中途半端、人生も中途半端であったなら、何にもならないよ」と。
 その通りである。
 中途半端は、絶対にいけない。自分自身が損をするだけだ。
 いったん「やる!」と決めたならば、一生懸命戦う。断じて勝利する。そこに幸福の土台が築かれ、大きな喜びの花が咲く。
 勝つための仏法なのである。

■  一、日蓮大聖人は仰せである。
 「御みやづかい(仕官)を法華経とをぽしめせ、『一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず』とは此れなり」(御書1295ページ)
 妙法の世界は、あまりにも大きい。日々の仕事も即、信心である。ゆえに仕事で勝っていくことが即、仏法の勝負の証しとなる。

● 「師のため」に徹したから大発展
 一、その後も戸田先生は、ご自身の事業を大きく興隆させ、創価教育学会の財政面を担い支えられた。
 ただただ師匠のために──この一点に徹し切った戸田先生は、飛躍的な事業の大発展を成し遂げていかれたのである。
 戸田先生は語られている。
 「牧口先生も、財務部の事を心配されましたが、当時、理事長の位置にありました戸田が『一人でお引き受けいたします』と申し上げ、牧口先生にご心配をおかけしなかったのです」
 「当時の理事長としての私の覚悟は、会員にはいっさい心配をかけない、金はぜんぶ自分がつくるという気持ちのなかに楽しさを感じていた」と。
 戸田先生の事業は、ひとすじに広宣流布のためだったのである。
 先生の戦前の事業は、ことごとく成功した。しかし、約2年にも及ぶ、社会と隔離された獄中生活が、先生の事業家としての冴えにも、微妙な影を落としたことは、否めない。戦後の事業は、悪戦苦闘の連続となってしまった。
 ありとあらゆる次元で、戸田先生にお世話になったにもかかわらず、ひとたび先生の事業が破綻すると、卑怯な弟子たちは、恩知らずにも、先生を見限り、逃げ去った。そして、戸田先生を軽んずる幹部に追随した。
 恩知らずの人間というものは怖い。一番の功労者を、簡単に貶めるのである。

● 今に見ていろ!
 一、そのとき私は、戸田先生の弟子として、師子奮迅の力で先生をお護りし抜いた。
 「今に見ていろ!」「必ず戸田先生を、世界中が知る戸田先生にしてみせる」「偉大な学会にしてみせる。わが身を犠牲にしてでも」との思いであった。事実、その通りにやってきた。波瀾万丈の日々であった。師匠に仕えることは、全学会員に仕えることと同義であった。
 すごい先生であられた。怖い先生でもあった。不正に対する先生の怒りは、言語に絶するほど、すさまじかった。
 どんな時でも私は、「何の心配もございません」と申し上げることのできる態勢を整えた。
 先生を支えるために夜学も断念したが、「戸田大学」では、万般の学問を授けていただいたのである。

■ 一、「私は戸田先生の弟子です!」
 「今日の学会をつくったのは牧口先生、戸田先生、そして私の三代の師弟である。
 "牧口先生にお供して投獄され、そして戦後の創価学会を再建なされた戸田先生を護ることが、日蓮大聖人の仏法の命脈を護ることである。広宣流布の命脈を護ることである"。このことを私は、一点の曇りもなく確信していた。
 そして、牧口先生、戸田先生の学会精神を受け継ぎ、戸田先生の苦境を脱する道を開き、第2代会長就任の道を開いていっだ。
 ある時には、「アメリカとも交流を深めて、必ず創価教育の大学をつくります」とお約束した。
 先生と学会に対して悪意の非難を浴びせたある団体を相手に、一人で抗議に行ったこともある。「私は戸田城聖先生の弟子です。真実は、こうです!」と訴え、相手も最後には「わかりました」と非を認めた。
 師匠のために戦った。ゆえに私は何の悔いもない。わが人生に誇りを持っている。
 第3代までは、信心の極理を貫いてきた。この流れを絶つ動きがあれば、絶対に許してはならない。師弟の歴史を甘く見れば、必ず失敗する。
 今は経済的にも恵まれている。人もいる。だからこそ、広宣流布の邪魔をする人間、威張る人間が出てきたときには、毅然と戦わねばならない。
 きょうは、この私の心をだれよりも深く知っている同志が集った。創価の命脈を永遠に厳讃し抜いていっていただきたい。諸君もまた、決して負けない、"本物"の人生を歩んでほしいのである(大拍手)。

■  一、創価の道、師弟の道を、誠実に、完璧に進めば、その人は皆、生々世々、大福運の境涯となる。
 「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書254ページ)とは、有名な「観心本尊抄」の一節である。
 どうか、強盛なる師弟不二の信心、広宣流布の信心を、昇りゆく太陽のように輝かせていただきたい。
 そして「随緑真如」の智慧の光で、混迷する社会の深き闇を、明々と照らしていただきたい(大拍手)。

■ 一、思えば、私が戸田先生と初めてお会いした翌日は、インドがイギリスの植民地支配から独立した日であった(1947年8月15日)。
 戸田先生は「東洋広布」を強く訴えておられた。インドに日蓮仏法が西還することは、戸田先生の悲願であった。その悲願も、私は成就した。
 また私は、これまで歴代の首相や大統領をはじめ、インドの指導者や識者と多くの語らいを重ね、友情を結んできた。
 私は、わが愛する同志とともに走りに走り、今日の1千万の創価の大陣列を築き上げた。全世界への妙法流布の道を開いた。
 日本を見ても、もはや学会に匹敵するほどの民衆の大連帯はない。創価学会は、まさに「宗教界の王者」、そして希望の「世界宗教」として、威風も堂々と輝いているのである(大拍手)。

■ 一、牧口先生、戸田先生の願望であった、創価学園・創価大学も、世界的な学舎として大発展を遂げてきた。
 アメリカ創価大学も、「教育の世紀」の希望の旭日として期待されている。
 弟子が勝ち栄えてこそ、師匠の偉大さは光彩を放つ。
 栄光と勝利で迎えた「8月24日」を、牧口先生も、戸田先生も、心から喜んでおられるに違いない。
 創価の三代は、皆様とともに、勝ちに勝ったと申し上げたい(大拍手)。

 ◆師とともに学んだ「平家物語」

■  一、戸田先生のもとで、男子部の「水滸会」でも、女子部の「華陽会」でも、共に学んだ一書がある。それは古典の『平家物語』である。
 その冒頭は、あまりにも有名だ。
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ」偏に風の前の塵に同じ」(杉本圭三郎訳注、講談社学術文庫を参照)
 「平家にあらずんば人にあらず」と豪語し、栄華をほしいままにした、平清盛らの権勢は、30年も経たずに、もろくも滅び去っていった。

● 宗教弾圧の権力は、必ず滅びる
 一、『平家物語』では、歴史を俯瞰しながら、国を滅ぼす愚かな指導者の共通点が、浮き彫りにされている。 それは──
 「自分が仕えていた主君や皇帝の統治に背く」
 「自らの快楽を求め、人の諌言を顧みない」
 「世の中が乱れることもわきまえず、庶民の憂いや苦しみに無関心である」
 などの点である。
 つまり、「忘恩」であり「背信」である。「傲り」であり「慢心」である。そして「油断」であり「無慈悲」である。
 指導者の心の狂いが、国や組織を滅ぼすというのである。まことに重大な、普遍の法則といってよい。
 あの壇ノ浦の合戦で平家が滅び去ったのは、1185年。
 大聖人が聖誕される37年前のことであった。
 蓮祖は、平家の興亡の歴史を、つぶさに凝視された。御書でも、平家の没落の本質を"傲り"であると喝破されている。
 また、その滅亡の根底には、平家の横暴な宗教弾圧があったことも指摘された。(御書1429ページ)
 「宗教弾圧の権力は必ず滅びる」──これは歴史の鉄則であることを、青年が師子吼していくのである。

● 「傲る平家」になるな!
 一、戸田先生は、語っておられた。
 「源頼朝は、平家を滅ぼした後、場所を移して鎌倉に都を築いたのが良かった。そうでなければ、平家と同じく、すぐ滅んだであろう。
 事を成就してから、堕落し、惰弱になりやすいから、気をつけなければならない」
 傲りを排したところが勝つ。
 学会は、永遠に「傲る平家」になってはならない。幹部の堕落・油断を絶対に許してはならない。峻厳に律し、誡めていくことだ。これが、戸田先生の遺誠であられた。
 だからこそ、私心のない、高潔にして絶対に信頼できる、人材の核を固めていかねばならない。その根本は、師弟不二であるかどうか、である。

● 金銭の緩みが滅びの元凶に
 「19世紀に活躍した、「南米解放の父」シモン・ボリバルが、「最も得るのが難しい」と考えていたのは、どのような人材であったか。
 それは、財政の指導者であった。
 なぜなら、「祖国の命運がかかっている」問題を任せることのできる、立派で有能な人物でなければならないからだ。
 ボリバルは、あのフランス革命を引き起こした主な原因に、“財政の不健全さ”があったと述べている。
 当時の王朝では、累積した赤字、貴族らの悪政、乱費によって深刻な財政難が起こっていた。それが国王の統合力の破綻を引き起こし、王朝の滅亡へとつながっていったのである。
 金銭の緩みは滅びの元凶となる。これは、歴史の重要な教訓だ。
 二十二歳のボリバルが、欧州ローマの天地で、師匠ロドリゲスのもと、祖国の解放を誓ったのは、1805年の8月15日であった。
 若き日のボリバルには、400万ドルもの財産があったといわれている。彼は、この財産を祖国解放の戦いに捧げ尽くしていった。
 やがて南米各国の独立を勝ち取り、指導者の立場となっても、ボリバルは公費からの収入を得ようとはしなかった。
 むしろ公共の目的のために私財を使い、借金までした。そして赤貧のなかで亡くなっていったのである。〈ホセ・ルイス・サルセド=バスタルド著、水野一監訳、上智大学イベロアメリカ研究所訳『シモン・ボリーバル』春秋社、神代修著『シモン・ボリーバル』行路社などを参照〉

● 「私の願いは祖国の幸福」
 一、この「ボリバルの家」の壁には、亡くなる1週間前に彼が残した「私の最後の願いは祖国の幸福にある」との遺言が留められていた。
 トーレス館長は、凛として語られた。
 「ボリバルは理想主義者でした」
 「南米統一のために、私心なく、人々に尽くし、自分が勝ち得たすべてを与えた生涯でした」
 私は、トーレス館長に申し上げた。
 「(四十七歳で亡くなったボリバルは)短い一生と言えるかもしれません。
 しかし、人間は、『どれだけ生きたか』以上に『どれだけの仕事を残したか』が大事です。
 私の恩師も、決して長い人生とはいえませんでした。しかし永遠の業績を残しました」と。
 そして、「『世界の宝』を守る大切なお仕事です。大切な人生です」とお伝えしたのである。
 民衆のために、すべてを捧げ尽くしていく指導者の一念は、永遠に不滅である。
 牧口先生も、戸田先生も、そして私も、創価の三代の師弟は、一切を広宣流布のため、学会のために捧げてきた。
 だからこそ、世界に広がりゆく今日の創価学会が築かれたのである。
 この学会を、師弟不二の心で永遠に勝ち栄えさせゆくことを、わが後継の地涌の友に託したい。

● 世界が舞台だ
 一、私が長野研修道場を初めて訪問したのは、昭和54年(1979年)の8月であった。
 その4カ月前に、私は第3代会長を辞任していた。会長辞任を発表した4月24日、自宅に帰ると、妻がいつもと変わらぬ様子で、微笑んで待ってくれていた。
 そして、“本当にご苦労さまでした”“これでまた、大勢の会員の方に会えますね。海外の同志が待っていますよ”──そう語ってくれたのである。
 5月3日、実質的な会長辞任の総会となった八王子での本部総会の後、私は神奈川文化会館へ向かった。
 “神奈川には海がある。いよいよ、世界を舞台に戦うのだ”──私は、そう深く決意していた。
 神奈川文化会館で、ある幹部が教えてくれた。
 この5月3日付の読売新聞に、日米の国民の意識調査の結果が掲載されていた。
 そこには、日本人が「最も尊敬する」日本人の名前が上位20人まで挙げられており、私の名前も出ているという。
 〈吉田茂、野口英世、二宮尊徳、福沢諭吉、昭和天皇と続き、第6位が池田名誉会長であった〉
 学会攻撃の非道な嵐が吹き荒れていた時である。
 こうした形で私の名前が挙げられたことを、わが愛する同志たちは、心から喜び、誇りとしてくださった。
 一方で、創価の師弟に嫉妬し、なんとしても私を追い落とそうとする人間たちの姿は、誠に浅ましい限りであった。

● 大恩を忘れない
 一、創価の三代の師弟も、誇り高き師弟の道を歩み通してきた。
 戸田先生は、日本の広宣流布の基盤を築き、軍国主義と戦って殉教された牧口先生の仇を討たれた。
 私は、戸田先生のために死力を尽くして戦った。先生をお守りするためには、わが身を顧みなかった。
 弟子として、師匠のために何ができるか──ただ、そのことだけを考えていた。
 そして、先生亡き後は、全世界に平和の連帯を広げ、恩師の偉業を宣揚することで、戸田先生の仇を討った。
 これが、本当の「創価の師弟」である。「弟子の道」である。
 私と対談集を発刊した、オックスフォード大学のブライアン・ウィルソン博士は、こう語ってくださった。
 「池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の言葉には、いつも、恩師への敬慕と心からの感謝が、あふれています。戸田第2代会長から受けた恩の深さを、決して忘れることはありません」
 「本当に偉大な変革者や指導者は、先人や過去の業績を讃えるものです」
 私は、今も、胸中の戸田先生と対話をしながら、世界広布への指揮を執っている。
 皆様も、この「師弟の大道」をまっすぐに進み抜いていただきたい。断じて勝利の人生を飾っていただきたい。
 「君よ、生涯、わが誓いに生き抜け!」と申し上げて、私のスピーチを結びたい。
 長時間、本当にありがとう!(大拍手)

 

人事責任者の資質

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 9月14日(水)07時32分11秒
編集済
  >戸田先生はつねづね、「人事が大事だ」と語っておられた。
「人事を失敗したら、皆が、どんなに努力しても、生かされない。皆が不幸だ」とも言われた。
自分の″子分″をつくろうとする心根の幹部には、戸田先生は厳しかった。<

>戸田先生は、人事に関しては、たいへんに厳しかった。
いくら人前でいい格好をしていても、地道な信心の実践がない人間、同志愛のない人間、
広布ヘ戦う学会精神が燃えていない人間が、万が一にも幹部になれば、広布の前進は停滞してしまう。
皆がいやな思いをする。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56226

信濃町の人びと様、おはようございます。
池田先生の、人事に関するスピーチのご紹介頂きまして誠にありがとうございました。

池田先生の指導に基づけば、今の人事に問題があるのは明確です。
人事は上に問題があります。
上をたどれば、人事責任者は谷川事務総長になるのです。

自分は以下の事例から、谷川事務総長が人事担当者として資質がないと断言したいと思います。

①矢野裁判の和解

池田先生の敵と手打ちをした事実です。池田先生の正義を勝ち取れなかった事実です。
仏敵との戦いに弱い人物が、広宣流布のリーダーを任命できる資質があるでしょうか?
仏敵との戦いに弱い人物が、人事の責任者であれば、創価学会が弱くなるのは目に見えています。

②波田地氏の刑事告訴

組織内の問題解決が対話で出来ず、最終的に裁判に頼ってしまった事実です。
ましてや、内容は個人的な名誉棄損で裁判を起こしてしまいました。
これは、組織内における問題解決能力が低いと言わざるを得ないからです。
組織内の問題解決能力が低い人事責任者は、組織を衰退させてゆく原因です。

この2点だけでも、谷川事務総長に人事担当の資質がない事は明確です。
更に言えば、このような人事を放置する原田会長の責任は、日々重くなってゆくと思います。



 

わが友に贈る 2016年9月14日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年 9月14日(水)07時28分41秒
  昼夜の温度差が
大きくなる時期。
体調を崩さぬよう
万全の注意と対策を!
信心即生活の賢者たれ!
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、昨日は何してたんですか~?

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月14日(水)07時05分25秒
  おはようございます。原田怪鳥様、本日一面に怪鳥様の記載がありませんでした~。
何されてたんですか~? 11・18に次期怪鳥サマにどう禅譲するか、御思案はまとまりましたでしょうか?(笑)

一面の「御書と歩む」デスが・・・、先生の指針の言葉として、
「信心深き女性を、諸天善神は必ず守る」の一節があります。

部署がない(笑)教学部の皆さん、森中SGI驚愕部長サマ、いいんですか~? 諸天善神は御観念文から削除したんでしょ~。

先生は諸天善神はいるとおっしゃってます。
宮田驚愕部アドバイザー様は、諸天善神のような、目に見えないものは、合理的でなく信用できないという立場ですよね~。

一体どちらが正解なんですか~? 教えてください(笑)

名字の言にも、「日本では今、25日の青年部教学試験2級を目指し、各地で若き友が研さんに汗している」
とありますケド・・・
「人本尊」「法本尊」の記載のない「開目抄講義」をどう学ぶのか?

考えれば、考えるほど、わけのわからない珍聞でした~。(笑)
 

輪廻説!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 9月14日(水)05時45分36秒
編集済
   おはようございます。

テヘラニアン対談   投稿者:見込みない人びと   投稿日:2016年 9月13日(火)22時53分31秒

>過去ログ読むのに追いついていませんが、一人のSGIさんの考察に大変に感銘を受けています。
指摘されているテヘラニアン対談該当部分 P180-182 を自分でも確認してみました。
輪廻は否定されていますが宿業が否定されているとは解釈できなかったです。
2013年大白蓮華のSGI提言も見てみなきゃですね。<

 偶像崇拝の宗教と区別する点で、重要なことかも知れません。文字化しておきました。

 以下投稿原稿(写真)より
*******************

 弟子たちによって「不老の境地」と表現されているのですね。
 池田 「ええ。釈尊自身、伝道の開始に当たって次のように述べています。
 『不老不死への門は開かれた』(『律蔵』「大品」第五章第十二節)
 『暗闇の世において不死のドラムを打とう』(同、第六章第八節)
 釈尊も『不死』の語を自らの教えに対して使っているのです。
 この『不死』とは何を意味しているかが重要となります。もちろん、文字どおり、肉体が不老不死ということではありません」
 テヘラニアン 「そうです。そう受け取るべきではありません。実際、ゴーダマ・ブッダは死んだのですから」
 池田 「また、霊魂不滅説――肉体は霊魂の器であり、霊魂は人の死後霊魂は肉体を離れ、他の肉体に移る――を、仏教が完全に否定していることはいうまでもありません。
 ゆえに『不死』は霊魂不滅説でもありません。輪廻説も同様です。事実として輪廻するかどうかではなく、先ほど博士がおっしゃった『象徴的意味』を理解しなければなりません。大切なことは、輪廻説を確信することによって、どのような意識を変革でき、また人生をどのように変革できるかです。

 テヘラニアン 「そのとおりです。仏教の『輪廻説』が教えているのは、霊魂不滅説ではなく、人間は他の動物と等しく自然の部分であり、他の生物に対して支配的立場にあるのではない、と思うべきであるということでしょう」
 池田 「そうですね。実際にどうか、という次元を超えて、例えば、あそこにいる鳥はもとは自分の親族だったかもしれない。ここにいる犬は菩薩が修行のために、願って苦しむ生を選択したのかもしれない。そう思う人は、鳥や犬たちを軽蔑できません。慈しみの心が出てきます。
 そのように思うことによって、生き方が変わっていきます。
 自分が非常な苦しみの立場に生まれてきた。そこで『私は過去世に、同じ苦しみの人を救うことを誓って、この人生を選んだのだ』と確信すると、生き方が変わるのです」
 テヘラニアン 「非常によく理解できます。『輪廻思想』は、あらゆる生あるものを親族として敬うことに結実していかねばならないのです。
 また、勇気をもって苦しみと対決することに結実していかねばならないのです。
 しかし、その『輪廻』の物語を象徴としてではなく、文字どおりに受け取ると、厳格なカースト制度を維持するイデオロギーにもなりかねません」

 池田 「そう、その通りなのです。文字どおりの輪廻思想はバラモン教で説かれています。
 バラモンたちは輪廻思想を吹聴し、過去に積んだ悪業のゆえに現在の身分が決定している。したがって、身分の低い人間は社会にその責任があるのではなく、その人が悪いのだと主張していたのです」

  いまの一瞬に無限の生命を生きる

 テヘラニアン 「神話は、身分制度のような圧制の正当性を示しうるイデオロギーにもなりうるのです。
 一見、『霊魂』を説かない仏教とは、対照的に、アブラハム系の宗教は、人間は肉体と霊魂を具備しているとしています。そして、肉体は滅びるけれども、霊魂は永遠に不滅であるとされているわけです。
 しかし、最初に申し上げたように、言葉の表面上の違いにもかかわらず、この教えの深い意味は、仏教の輪廻説が深いところで意味するものと、通じていると思います。
 善と悪の行動が審判される日まで、人間の魂は煉獄のなかで運命の決断を待つのです。=以下略=」
*******************

 私個人としては「その『輪廻』の物語を象徴としてではなく、文字どおりに受け取ると、……」に着眼したいですね。「物語」はどこまでいっても「物語」ですから。「比喩」です。「区別」しないと、権力者に悪用されてしまいかねません……。


 

今年の11・18は、ポケモンGO!にあやかって会館へGO!だ?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月14日(水)05時05分6秒
  昨年の11・18は、『とても明るい安村さん』にあやかり、あの有名な日蓮世界宗創価学会の刺繍入り勝負パンツが、創価村地下ゴールデン街にて販売されて、万一、会員から『日蓮世界宗創価学会なんて聞いていない。それは何だ?』と詰問された場合に、壇上患部全員が、『安心して下さい、穿いてマスよ!』と、皆,ズボンを下げてお尻を見せるウケ狙いを考案していました。

今年は、『会館GO!』次いでに『広布基金持ってGO!会館こい!』が、創価村の流行語大賞ですね。

心の財よりは、身の財、蔵の財が第一なりと、教義改変した創価村では当たり前の話です。
財務ジャブジャブ使って、スマホで題目1万遍ゲット!とか祈らなくても簡単にやった気分になれる有料サイト。アクセスするたびに課金され、毎月のパケット代から天引されます。
 

あ。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2016年 9月14日(水)04時23分36秒
  四人組撲滅を祈ってたら、ずっと痛かった奥深い腰の痛みが消えました。  

Re.11.18

 投稿者:tesuto  投稿日:2016年 9月14日(水)04時09分33秒
  祝電「新会長のもと ミンナヨクイク 総本部」?  

柳原君、明日こそ「連続コラム日記」期待に応えてね~

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 9月14日(水)02時29分2秒
  なんだ?もう少し核心を突いてくると期待していたのだが。オマケにトーンダウンしてるしw
主たるネタ元が反板では仕方ないか(笑)

大山クジラ室長もがっかりだわ。

ところで文章があの不破優に似てきたね。

以上
 

Re.11・18

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月14日(水)02時25分32秒
  それは、亡霊のような話ですが,原田会長が病気治療に専念するとして、筆頭主任副会長であられる谷川佳樹さまに禅譲して、神々しくて刺繍入り糞タレ勝負パンツを穿いて登場!何ていう感じですかね。暗い目つきで、天井見上げながら大宣言でしょうか?

何年か前の、大誓堂落成の音楽隊・鼓笛隊総動員があった華やかな舞台ですね。やつばり、暗くジメジメした雰囲気ではなく、華麗に舞台に登場してほしいです。全国,全世界の会館は祝賀ムード一杯、紅白まんじゅう(金剛堂謹製)配り放題で大散財する。もう動地驚天(東大卒の大川隆法並に)!世界総本部建立目指して頑張りマスか~(-_-)私はやりませんよ!
 

11.18

 投稿者:窮状辞任させられた元?長  投稿日:2016年 9月14日(水)01時42分48秒
  谷川新会長、佐藤ヒロシ理事長誕生  願います。  

太ちゃん 一点だけ

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月14日(水)00時50分58秒
編集済
  元さち村の村民はことつるでしょう。
あまりにも酷い粘着性と気持ち悪さ、見苦しい態度から間違いないでしょう。

査問と同様と言ってしまうと、査問を受けた方に失礼になるほど、査問とは酷い人権侵害です。
だから、私は査問と同等とは思わないが、元さち村の村民のやり方はあまりにも酷すぎる。

彼が、また、反板がどのような根拠を持っているのか。
仮に事実を押さえないで、ネット上にあるものを使い、宿坊板を攻撃する材料として、1人の人間に対して事実と確認しないまま誹謗中傷を繰り返す行為ならば、それこそ仏法者として許し難い行為です。

反板も、ここぞとばかりに拡散している様で、この時点で彼等の言論に信用性は全く無いと言えるでしょう。
学会員として、本部職員関係者として恥ずかしくないのか。と言いたい。

私は客観的に、中立的な立場で双方に確認しました。
元さち村の村民(ことつる)は、根拠を示すことができなかった。

この時点で彼は謝罪すべきでした。

今後は、管理人様に元さち村の村民に対して、ことつるかどうかの確認を行なって欲しいと思います。

ことつるならば(ほぼ間違いないのですが)、またか。になります。彼は人として、学会員として終わってます。残念な人です。発想がアンポンタンのクジラ某にそっくりです。
どこかで影響を受けたのでしょう。クジラ某の無責任さも同罪です。

 

みなさんありがとうございます!

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 9月14日(水)00時12分4秒
  この度はみなさんありがとうございますm(_ _)m

「査問」と同様のものがネットでなされた感じですし、それぞれの方が同様な仕打ちを受けたから他人事に思えなかったんじゃないか、そう感じます。

ぶっちゃけた話、こういうハートを持った人がいたなら僕は組織から離れることはなかったですよ。
秋谷会長時代には、事実をいえば僕は信心をわかる状態にないのを痛感したのと、そのまま組織に留まったとて、わからないままただ空転していくのが目に見えていたので、個人で補習するよりなかった状態から今日に至ります。

結果論だけど、これまでの自分の人生は、まさに今のこの時期のためにあったと感じてるんです。
僕のいろんな失敗した経験は、僕自身で伝えることで、他の人は同じ失敗はせずに済むからです。

ともかくもありがとうございますm(_ _)m
非常にありがたく嬉しかったです。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

認識の違いがあったみたいですね

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 9月13日(火)23時50分14秒
  >私が憤慨したのは、ひとりのSGIさんを引き合いに出したことです。彼女は、純粋に教学を研鑽しようとしている人。その人の投稿の腰を折ることは、許されないことです。解って下さい。<

一人のSGIさんはそういう面もありますね。
一人のSGIさんは「まさしく実践者」という方が合ってるように僕は感じてるけど。
体験談からそのように感じてます。
こんな凄い人が掲示板にいるのは嬉しい限りです。
こんな状態でもなければなんの接点もないまま知らずにいたことでしょう。

それで、一人のSGIさんを文面に出したのは、そのちょっと前に僕は一人のSGIさんへコメントしていたからです。
その後のタイミングに撹乱行為であったことから、僕を利用して一人のSGIさんと「仲違い」させる目的なのか?と感じてのあのコメントです(というより、一人のSGIさんに限らず、掲示板参加者同士仲違いさせて勝手に自滅させるよう仕向けてるんでしょうけどね)。

けどどうやら真実さんの話が事実なんでしょうね。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56162
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56167


>「高度」であるかどうかは、分かりませんが、二人とも未来の教学に向けて挑戦していることは事実です。いまの学会教学で表現できないことまでも表現しようとしているのです。そのチャレンジは、おそらく何十年後の研鑽者は分かるでしょう。その思いで投稿しているつもりです。ああ、この時代にこんなふうに考えている人もいたんだ、というようにね。安心して、自分の思索を進められるじゃないですか。私たちの時代にはいませんでした。<

あの・・・お二人のしてる教学研鑽の「意味」があまりわからない状態なのでf^^;

『二人とも未来の教学に向けて挑戦していることは事実です。いまの学会教学で表現できないことまでも表現しようとしているのです。そのチャレンジは、おそらく何十年後の研鑽者は分かるでしょう。その思いで投稿しているつもりです。ああ、この時代にこんなふうに考えている人もいたんだ、というようにね。』

というのは言われないとわからないんですけどf--;
何を話してるのか「意味」がよくわかってないからだけどf^^;

けど、僕自身はわからなくとも、話の感じから掲示板のプラスになってる内容というぐらいの「雰囲気」は感じていますよ?

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2016年 9月13日(火)23時45分34秒
  今晩は、
皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

同盟題目23時より開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月13日(火)22時57分19秒
  本日もよろしくお願い致します。池田先生、奥様のご健康を祈っていきましょう。  

テヘラニアン対談

 投稿者:見込みない人びと  投稿日:2016年 9月13日(火)22時53分31秒
  過去ログ読むのに追いついていませんが、一人のSGIさんの考察に大変に感銘を受けています。
指摘されているテヘラニアン対談該当部分 P180-182 を自分でも確認してみました。
輪廻は否定されていますが宿業が否定されているとは解釈できなかったです。
2013年大白蓮華のSGI提言も見てみなきゃですね。
 

収穫終わって暇なのよw

 投稿者:藤 稔  投稿日:2016年 9月13日(火)22時43分31秒
  朝から晩までネットに張りつきwww  

管理人さん、太ちゃんさん

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 9月13日(火)22時40分58秒
  管理人さん、太ちゃんさん


 ここが、編集機能のいけないところですね。人によって「時間」を変えていますか、管理人さん、教えて下さい。

追伸:
管理人さんが復元しなくとも僕は話を聞いてみたいと思ってますよ。
螺髪さんのコメントからは、どうやら削除されたコメントの内容は「思っていたことが表面化されたもの」と認識してる様子が伺えるからね。
削除されたコメントからのみで判断してるわけでないなら「ずっと感じていたこと」なんでしょう?
とりあえずは何が言いたいのかちょっと意味がわからずにいるけどf^^;
実際の文面はキッカケがそういう現象になってるだけと感じるから。

それよりも主張したい趣旨が重要なんじゃないのか、そう感じられるから。
たぶん内容は「年長者からのアドバイス」の趣旨なんじゃないかと直感してるんですけど。


 

太ちゃんさん、妖刀さんへ

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 9月13日(火)22時33分49秒
  太ちゃんさん、妖刀さんへ


 私が太ちゃんさんから聞かれて、知らんふりすることはないじゃないですか、まったく。
 まぁ、いろいろの世間の情勢もありますから、深くは聞かないとして、妖刀さんへの以下は本心です。

>>彼は、非常に心が綺麗な人物ですよ。また、彼には彼を非難する連中の生命の変革を信じているとおもいます<<
 >そうだと思います、いや、そうだったんですよ。ところが最近は変わってきています。いい意味なのか、悪い意味なのか、彼は「意志」を持つように努めているのです。それが、あの空白の何週間だったのでしょう(これはあくまでもこちらの推測)<

 私が憤慨したのは、ひとりのSGIさんを引き合いに出したことです。彼女は、純粋に教学を研鑽しようとしている人。その人の投稿の腰を折ることは、許されないことです。解って下さい。

 >螺髪さんと一人のSGIさんとの教学研鑽は僕には高度で、基礎知識がしっかりできてないとあまりわからないぐらいは察したから、実はあまり読んでなかったりだけどf^^;<

 「高度」であるかどうかは、分かりませんが、二人とも未来の教学に向けて挑戦していることは事実です。いまの学会教学で表現できないことまでも表現しようとしているのです。そのチャレンジは、おそらく何十年後の研鑽者は分かるでしょう。その思いで投稿しているつもりです。ああ、この時代にこんなふうに考えている人もいたんだ、というようにね。安心して、自分の思索を進められるじゃないですか。私たちの時代にはいませんでした。

 それに、「生命の世紀へ」の大聖人仏法の展開は、池田先生の独自の構想として欠くべからざるべきテーマです。これからもっともっと真剣に取り組まなければならないことです。どなたがその投稿をしているというのです。「自身と創価学会の発迹顕本」も、実はそこにあるのではないかと思っているのです。


 

JACK様

 投稿者:うーこメール  投稿日:2016年 9月13日(火)22時27分59秒
  暖かい励ましありがとうございます(^-^)本当に何枚舌を持っているやら。同じく今月の会合の日程がポストに入ってました。私は会合にはでません。御本尊様と会合をします。昨日友達と久しぶりにに合いお互いの近況報告をしたり楽しい対話になりました。外部の人の方が優しいですね。主人は入会してませんが毎日が座談会です(^-^)主人も組織の事は信用していません。車も直りました。代車の時は一度もイタズラされてません。今も毎日車は確かめてます。ドライブレコーダーもつけてます。主人と話しましたが、やはり車のイタズラは内部の人だと思っています。残念ですが。婦人部長の岩のような硬い頭を少しずつ対話しながらほぐしてあげたいです。  

似たようなことが起きていますね

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 9月13日(火)22時01分20秒
編集済
  うーこ様
こんばんは。
体調はその後いかがですか?
急に秋らしくなりましたね。

対話をした地区婦人部長は、財務の依頼に来たのですね。
対応お疲れ様でした。
地区婦人部長は、うーこ様に一方通行の連絡をした自覚はあるのですね。確信犯とは、この事。

7月、8月は、座談会の案内が来なかったのですか?
もしそうなら、私と全く同じですね(笑)
9月になった途端に、財務と座談会の連絡が来ました(笑)

そして地区婦人部長は、「公明党支援に反対する人は、座談会に出さない」と言っているのですか?
もしそうなら、うーこ様のおっしゃるとおり、「差別」です。
信心は信心、選挙は選挙です。
池田先生が、はっきり、何度もおっしゃっています。
うーこ様の考えは、何も間違っていません。

「師匠は池田先生ですよね」と聞かれて、そうですと肯定した同じ口で差別とは、どこの妖怪の二枚舌でしょう。
今度来た時は、舌が何枚あるか是非数えてみてください。
二枚では済まないかもしれません。
自分に負けた、実に気の毒な境涯の方ですから、これからも慈悲の心で、ビシビシ言って差し上げてください。
この地区婦人部長にとって、うーこ様の存在は福運です。
勇気を持って、正しいことを言い切ってくださるうーこ様の存在は、本当に福運です。
発信機の質が良くても、受信機の質が悪ければダメなんです。
お互いに、相手の心に巣食う、魔の働きを破る祈りと共に、頭をすくっと上げて、また対話をしていきましょう。


HAMDOC様
はじめまして。
拝見して驚きました。
財務のお金は欲しいけど、それ以外の用はないという、随分露骨な態度を組織はしているのですね。
しかも、他の地域なら行っていい…、ある意味で腐れた縁を切る機会なのかもしれません。
私も似たようなことが起きましたが、壮年部の先輩から、「お前は本当に、おかしな縁が切れてよかったなあ!」と、手放しで喜んでくれました。
確かにおかしな縁だったようで、今は思ってもみないような新しい世界の扉が開きました。
 

今年の11月18日創立記念日も、昨年同様 黙り記念行事無しの創価村?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月13日(火)21時52分47秒
  10月に11月の先駆け?意義付け四国総会を兼ねる本部幹部会開催!

やっぱり、11月は何か良からぬ悪巧みを考えているのでしょう(-_-)昨年は、コッソリ教義改変、会則改定。SOKAネットに秘かに『日蓮世界宗創価学会』の文言を忍ばせました。
以下参考

え!! 日蓮世界宗創価学会 発表してるじゃん!?投稿者:九州人
?投稿日:2015年11月17日(火)23時09分48秒
創価学会公式サイトより
会則(1)

池田先生は、創価学会の本地と使命を「日蓮世界宗創価学会」と揮毫されて、創価学会が日蓮大聖人の仏法を唯一世界に広宣流布しゆく仏意仏勅の教団であることを明示された。
そして、23世紀までの世界広宣流布を展望されるとともに、信濃町を「世界総本部」とする壮大な構想を示され、その実現を代々の会長を中心とする世界の弟子に託された。
http://www.sokanet.jp/info/kaisoku01.html
?
今年は、何をするのか?皆さんで意見をどうぞ!ネカマは、ダメですよ。ラカンさん、宜しく~\(^o^)/
 

螺髪さんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 9月13日(火)21時49分31秒
編集済
  スルーした理由です。

・ふだんコメントしてる「螺髪」さん本人か疑問に感じた
・何を言いたいのかわからなかった

まぁぶっちゃけると、「多重ハンネ」を疑ったからスルーしたんです。
螺髪さんと僕が過去にトラブったのは過去ログに残ってるでしょうね。
「螺髪」さんのフリして、僕と螺髪さんが再び拗れるよう「工作」してるんじゃないか、そう感じたのですよ。
なのでスルーしたわけです。

実をいうと、未だ螺髪さんが何を言いたいのかよくわかってないのだけどf^^;
もうひとつ事実をいうと、僕は基礎知識程度でしかないからね。
十界論と内外相対ぐらいのレベルだからf^^;
基礎知識すら完全でないレベルだし。

螺髪さんと一人のSGIさんとの教学研鑽は僕には高度で、基礎知識がしっかりできてないとあまりわからないぐらいは察したから、実はあまり読んでなかったりだけどf^^;
落ち着いて読む状況でもなかったのもあるけど。
それでも、掲示板なら記録の効果もあるからね。
今すぐにはわからなくとも、将来は参考になる時もあるとは直感してますよ。


追伸:
管理人さんが復元しなくとも僕は話を聞いてみたいと思ってますよ。
螺髪さんのコメントからは、どうやら削除されたコメントの内容は「思っていたことが表面化されたもの」と認識してる様子が伺えるからね。
削除されたコメントからのみで判断してるわけでないなら「ずっと感じていたこと」なんでしょう?
とりあえずは何が言いたいのかちょっと意味がわからずにいるけどf^^;
実際の文面はキッカケがそういう現象になってるだけと感じるから。

それよりも主張したい趣旨が重要なんじゃないのか、そう感じられるから。
たぶん内容は「年長者からのアドバイス」の趣旨なんじゃないかと直感してるんですけど。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

元さち村の村民は、琴ちゃん

 投稿者:妖刀  投稿日:2016年 9月13日(火)21時45分39秒
  もう、ソロ、ソロ、皆さん気が付きましょうか。

彼があのストーカー・本人でない琴を願いたいですね。



太ちゃんは、彼に書いてるんですよ螺髪さん。

この板の主論客の一人である螺髪さんに、そういう書き方はしませんよ。








 

元さち村の村民さん

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2016年 9月13日(火)21時35分6秒
  あんた誰なの?

正体を明かしてみな?

いや鏡を見てごらん?・・ん・・・ ?

あれドブネズミじゃんかヽ(^○^)ノ

ゴチャゴチャうるさいんだよ(# ゜Д゜)

あっち行け┐(´д`)┌

しかし執行部よ(# ゜Д゜)

東大出身者って自分のことしか考えられないちっちゃい奴多いな┐(´д`)┌

全部とは言わないけどね(-_-;)立派な人も居るんだろうけど間違いなくあんた達は高学歴馬鹿だよ

心根が卑しいし┐(´д`)┌

子分達にもこそこそドブネズミみたいなことさせないでちゃんとさせな┐(´д`)┌

余計に馬鹿にされるだけだよ(^w^)

わかった?

わかんねーだろーなー(^w^)


 

8/20 横浜レポート ~木村草太教授の資料その2 ~

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 9月13日(火)21時27分15秒
  二  集団的自衛権と憲法

1  国際法の原則
武力不行使原則(国連憲章2条4項)

武力行使:国家又は国家に準ずる組織に対する実力行使



武力不行使原則の例外
●集団安全保障措置(憲章42条)
→発動要件:国連安保理の決議
●個別的自衛権の行使(憲章51条)
→発動要件:武力攻撃の発生(被害国独自の判断)
●集団的自衛権の行使(憲章51条)
→発動要件:武力攻撃の発生、被害国の要請(各国独自の判断)


2  憲法の原則
(1):作用法的な根拠規定の不在
憲法9条1項  国際紛争解決のための武力行使・戦争の放棄
憲法9条2項  軍編成権の否定、戦力不保持、交戦権の否定



第一論点:9条の禁止範囲は?
A説:「国際紛争解決のための」武力行使、戦力保有の禁止。
(「国際紛争解決のため」ではない武力行使は禁止していない。芦田修正説。)
B説:武力行使一般を禁じている。

↓B説を採る場合(日本政府・学界通説)。

第二論点:9条の一般禁止の例外はあるか?
B1説:例外規定は存在しない → 個別的自衛権違憲説
B2説:憲法13条が根拠となる → 個別的自衛権合憲説
憲法13条は、日本政府に対し、国内の安全(国民の生命・自由・幸福追求の権利)を保護する義務を課している。
↓ 他国防衛について、例外を許容した条文は?
存在しない。 → 集団的自衛権、国連軍参加は憲法違反。

*日本政府は、憲法9条の文言は「一見すると実力の行使及び保持の一切を禁じているようにも見える」ものだとする(注1)。
こうした憲法9条の理解は、安倍内閣の下でも維持されており、集団的自衛権の行使を一部容認したとされる2014年7月1日閣議決定でも、「憲法第9条は」「国際関係における『武力の行使』を一切禁じているように見える」文言であることを認めている(注2)。

―――――――――
(注1)平成15年7月15日 「内閣法制局の権限と自衛権についての解釈に関する質問に対する答弁書」(小泉純一郎内閣総理大臣名義)
※閲覧の際は、shugiinの前に、『http://www.』をつけて下さい。
shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b156119.htm
(注2)平成26年7月1日閣議決定
※閲覧の際は、casの前に、『http://www.』をつけて下さい。
(cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/pdf/anpohosei.pdf)。
 

「魔を破る」のと「仏になる」のは同じこと(法華経の智慧)

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2016年 9月13日(火)21時18分45秒
編集済
  「魔を破る」のと「仏になる」のは同じこと

池田 釈尊も絶えず魔と戦った。「魔と戦い続ける」ことと「仏である」こととは、じつは同じことと言っても過言ではない。

須田 はい。経典を読みますと、釈尊が生涯、魔と戦っていたことは明らかです。そして、魔が競うたびに、釈尊は魔の誘惑を斥けています。その武器は、「信」と「努力」と「智慧」とされています。

池田 そもそも釈尊の悟りそのものが魔との戦いです。釈尊が、菩提樹の下で成道した直後の言葉が残されているね。

遠藤 はい。熱心に修行している釈尊の生命に「法」が顕になった時、″悪魔の軍隊を降して″虚空に輝く太陽のように安立していた、とあります(「ウダーナ」)。

池田 妙法が己心に顕現し、我が生命は、大空の太陽のように悠然と輝いている。これが、仏界だね。「仏界が顕れる」ことと「魔軍を降す」こととは一体なのです。魔は、内にも外にもいる。しかし、それに勝つか、負けるかは自分自身の一念です。大事なことは、勝ち続けることです。立ち止まらないことです。決して魔に紛動されない自分自身を鍛え上げることです。

須田 釈尊は、悟りの時だけではなくて、その後も、絶えず障魔と戦い、魔の誘惑を斥けていたと言われています。中村元博士は、こう述べています。
「悪魔を撃退してからさとりを得たというのではなくて、悪魔を降すこととさとりを得ることとは、同一事実の表裏の関係になっている」(「ゴークマ・ブッダI」、『中村元選集』第十一巻所収、春秋社)
「ブッダたることは、誘惑を斥けるという行為それ自体のうちに求められねばならぬ。不断の精進がそのまま仏行(ぶつぎょう)なのである。さとりを開いて『仏』という別のものになるのではない」(『ゴータマ・ブッダ』1,『中村元選集[決定版]』)

池田 仏界とは、妙法と一体の境地であり、仏とは、妙法を師とする人です。妙法を受持しぬく境地そのものが仏界です。釈尊は成道の直後に、″妙法を師として生き続ける″ことを誓って、こう言っている。
「わたくしはこの法(dhamma)をさとったのだ。わたくしはその法を尊敬し、うやまい、たよっているようにしよう」(同前)。そして、その通りの生涯をまっとうした。

斉藤 入滅の時の言葉にも、「わたしは自己に帰依することをなしとげた」(『ゴータマ・ブッダ』2,同選集12)とあります。自己に帰依するというのは、内なる永遠の妙法に帰依するということですね。

遠藤 弟子たちにも、自分と同じように、「法と自己を拠り所とせよ」と遺言しています。

池田 「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(『六波羅蜜経』)ということです。自分中心ではなく、法を中心に生きるということです。広宣流布を中心に生きるということです。そうしていこうという心が信心です。

 

妖刀さんへ

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 9月13日(火)21時18分16秒
  妖刀さん


 投稿者:妖刀   投稿日:2016年 9月13日(火)21時01分2秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56236
>彼は、非常に心が綺麗な人物ですよ。また、彼には彼を非難する連中の生命の変革を信じているとおもいます<

 そうだと思います、いや、そうだったんですよ。ところが最近は変わってきています。いい意味なのか、悪い意味なのか、彼は「意志」を持つように努めているのです。それが、あの空白の何週間だったのでしょう(これはあくまでもこちらの推測)

> 落ち着いて、もう一度よく板の流れと、その当時の彼の投稿を読んでみた方がいいと思いますよ<
 そうなんです。だから管理人さんに彼の投稿の復活を求めています。あの一部のフレーズが示すように、そんな、感じではなかったですよ。
 >そういうマネをするから一人のSGIさんの話の裏づけになってるんでしょうがさ(投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編   投稿日:2016年 9月12日(月)17時13分54秒 )<
 なんて表現使いますか?
 鋭い「妖刀」さんですから、見逃しはしませんよね(笑い)。


 

天魔を守る天魔か!

 投稿者:男子部Nメール  投稿日:2016年 9月13日(火)21時12分9秒
  元さち村の村民さんへ

同志の根も葉もない事を書いて貶める天魔の輩なのか?

執行部の輩が、我々の前に来れるものなら、是非とも来てもらいたい。

食法餓鬼のまぬけな輩を、容赦なく徹底的に呵責しますよ!

同志のデマを掲示板に垂れ流すなら、最大の悪である富士宮の幹部による女子部に対しての暴力と本部執行部を絡めた隠蔽工作の責任とれるんだな!

誠に会員を護る心があるのなら、女子部への暴力事件の起きた富士宮で会いましょう!
 

螺髪

 投稿者:妖刀  投稿日:2016年 9月13日(火)21時01分2秒
  さん、大きな勘違いをしていますよ。

太ちゃんさんは例のバカな投稿をした人のことを言っているのであって、
そういう人は正に一人のSGIさんが書かれているようなと言う意味ですよ。
螺髪さんや、一人のSGIさんのことは言ってませんよ。

つまり、以下の内容のようなことでしょう。

>>そしてその個々の持っている空諦(智慧や境涯の差、宿業や性分、性質)が、
色(仮)心(空)不二として仮諦としての相(姿、形)に表れます。
その表れ出でた体を以て自分の宿業を生き、仏の智慧を開発し、悪業の宿命転換をするか、
その逆かは本人の一念にかかっている<<


彼は、非常に心が綺麗な人物ですよ。また、彼には彼を非難する連中の生命の変革を信じているとおもいます。

落ち着いて、もう一度よく板の流れと、その当時の彼の投稿を読んでみた方がいいと思いますよ。

 

カンピース様

 投稿者:うーこメール  投稿日:2016年 9月13日(火)20時47分1秒
  暖かい励ましありがとうございます(^-^)そうですね。会合や選挙で成仏はしませんね。この内容私の住んでる団地の方、以前メールがきました。その方も読んでると思います。私の住んでる団地は派閥があり、新聞をお願いしてる人はあの人だからダメ。昔純粋に私と年齢近い同じ階段の人を会合に一緒に誘いましょうと言った相手が何を勘違いしたのか新聞お願いしてるし、信心勧めてる人だから私には手を出すなと圧力をかけてきた幹部居ます。今も。SMAPファンを辞めろと言われた事もありました。私は住んでる団地で本当の信心とやらを教えてもらってません。以前公明党をがおかしいと教えてもらった方に一つ一つ教えてもらったのです。私の使命は今は解りません。でも、宿坊の皆様の無事故と幸せは祈ってます。私の居場所は宿坊です(^-^)  

一人のSGIさん

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 9月13日(火)20時40分50秒
   一人のSGIさん

 一人のSGIさんは、御懸念なくご投稿ください。何も遠慮はいりません。「考察」に正解、不正解はありません。問題提起するからこそ、考察です。何か、勘違いしている人がいますね。考察するからこそ、教学も前進します。



 

管理人さん

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 9月13日(火)20時22分44秒
   管理人さん、良ければ、ここのところを復元して下さい。

>そういうマネをするから一人のSGIさんの話の裏づけになってるんでしょうがさ(投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編   投稿日:2016年 9月12日(月)17時13分54秒 )<
 この太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編さんの投稿を再現ください。本人が削除していればその痕跡でもいいです。
 ひどいことをやっているのですよ。


>牧野です。   投稿者:フラフラ   投稿日:2016年 9月12日(月)17時17分23秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56123
   はげ様。牧野光氏です。元、副会長ですね。<


○○○○○○○○○○○○○○○○※ここです。


>秋晴れさんへ   投稿者:螺髪   投稿日:2016年 9月12日(月)17時13分6秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56121
   秋晴れさん
 レスポンス、ありがとうございます。これ以上、申すことはありません。戦いの真っ最中でしたから、多少の行き違いはあるものです。また教学どころか、人格もしっかりされた方であることが、これではっきりしました。
 ……。詳しくは書きませんが、いいですねぇ。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/56113
(投稿者:秋晴れ   投稿日:2016年 9月12日(月)14時21分49秒)<


 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 9月13日(火)20時14分28秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-8-15 【全国代表協議会】

■  一、暑い中、本当にご苦労さま!
 未来のために、きょうも語りたい。学会創立80周年の2010年に向かって、永遠の勝利の土台を、ともに築いてまいりたい。
 あれは、1951年(昭和26年)の年頭のことであった。
 師匠・戸田城聖先生の事業は、最悪の逆境が続いていた。一部の債権者からは厳しく追及されていた。
 死をも覚悟された、わが師に、二十三歳の私は、ただ一人、師子奮迅の力で、お仕えした。
 自らの病気とも闘いながら、阿修羅のごとく、一心不乱に奔走し、わが師をお護りする一日また一日であった。
 その悪戦苦闘の渦中である。
 朝早く出勤なされた先生は、「この本を君にあげよう」と言われ、一冊の本を私に手渡された。
 鮮やかな赤い布の装丁であった。
 その一書こそ、イギリスの作家ホール・ケインの革命小説『永遠の都』であった。
 小説の舞台は、西暦1900年のイタリアの都ローマ。
 若き革命児たちが、あらゆる試練を乗り越え、勝ち越えて、「民衆勝利」「青年勝利」の新時代を開き切っていく、壮大な物語である。
 この書は、1901年(明治34年)に書き上げられた。
 日本では、翻訳が1930年(昭和5年)の7月20日に改造社から発刊された(戸川秋骨訳)。創価教育学会の創立の直前である。
 師と仰ぐ牧口常三郎先生を、若き戸田先生が厳然と支えて、学会創建の奮闘を重ねている時であった。
 わが生命に刻まれた一書を、戸田先生は愛弟子の私に、後継の記別のごとくに託されたのである。
 先生は言われた。
 ──君が選んだ同志に、この本を読ませてあげてよい。
 みんなが読み終わったら、感想の発表会をもとうよ──
 私は電光石火、13人の同志を選び、表紙の裏に名前を言いて、一人2、3日ずつで読了し、回し読みをした。
 そして、本を手渡されてから1カ月余の2月8日には、戸田先生を囲んで、この書を通して、皆で誓いを語り合ったのである。
 これが「水滸会」の淵源となった。
 さらにまた、青年部の結成への出発も、ここにあった。

● 民衆とともに民衆のために
 一、「政治」の権力と「宗教」の権威──この二重の圧制に苦しむ民衆を断じて救わねばならないと立ち上がったのが、主人公の青年、デイビッド・ロッシィである。
 青年ロッシィは、
 「人間の共和」という理想の旗を高らかに掲げ、勇敢に独裁者に立ち向かった。
 彼は、民衆を愛し、民衆とともに、民衆のために行動しゆくリーダーであった。
 その瞳は、理想に輝き、全身には大情熱がみなぎっていた。
 小説には、こう描写されている。
 「それは燃えつきてやまない偉大な心を持った人間の表情であり、その人聞性に対する共感は炎となって燃えさかるものだった。
そして世を救おうとする熱情は燎原の火にちがいなかった」(新庄哲夫訳『永遠の都』潮文庫。以下の引用も)
 諸法は実相である。
 広布の指導者は、まさしく妙法蓮華経の当体として、生き生きと若々しく、わが生命を光り輝かせていくことだ。

● 新しい声から新しい前進が
 一、非暴力を掲げるロッシィの最大の武器は何か。
 それは「言論」であった。
 勇み集った民衆に、彼は声も高らかに叫んだ。
 「今夜、われわれがここに集まったのは、およそこの世で最も強力なものに──いかなる軍隊よりも、いかなる下院よりも強力なものに、いかなる国王よりも絶対的な力を持つものに──つまり、世の道徳的な支持と全世界の世論に訴えるためであります」
 誠実に語る正しき道理が、人間の心を打たないはずがない。
 命を賭した信念の正論が、民衆の生命に響かないはずがない。
 ロッシィは、「声」を力にして、叫び戦った。戦い叫んだ。
 対話の波で、一人また一人、友をつくり、味方を広げた。
 弁論の剣で、敵を責め、邪悪を倒した。
 そして、同志もまた「声」をあげて戦えるように励まし、勇気と確信と執念を贈っていったのである。
 彼は訴えている。
 「勇敢であれ。自信を持て。忍耐強くあれ」
 「諸君の叫び声は世界の果てまでとどろきわたるだろう」
 仏法では「声仏事を為す」(御書708ページ)と説く。この「声」は仏様の呼吸であり、音声である。「声」によって仏様の仕事を為すことができるのである。
 ゆえに、リーダーは「声」を惜しんではならない。「声」の限りを尽くして、語りまくり、しやべりまくっていくことだ。
 蓮祖大聖人は、あの重書「諸法実相抄」を「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(同1361ページ)と結ばれている。
 「新しい前進」──それは特別なことではない。「新しい息吹」で、「新しい声」を発するところから始まるのだ。
 いよいよ各地で、勢いよくスタートを切る会合が行われる。
 出発が肝心である。リーダーは、よく打ち合わせをして、来てくださった方が元気になるように、いい話をすることだ。全力をあげていただきたい。

● 雄弁は勝利の力
 一、「師匠」の声に応えて、「弟子」も声を上げていく。そこに師子吼がある。
 師弟不二の叫びこそが「師子吼」なのだ。
 この声に勝る力は絶対にないのである。
 〈御義口伝には「師子吼とは仏の説なり」「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書748ページ)とある〉
 戸田先生は、よく言われた。
 「ひとたび戸田の弟子となったならば、その日から、いかなる邪論、暴論にも屈してはならぬ。負けるような意気地無しは、戸田の弟子ではない。断じて破折し、打ち破っていくのだ」
 その通りに師子吼を貫き通してきたのが、私の青春であった。
 ともあれ、雄弁こそ「勝利の力」である。

■ 一、わが創価学園は、校訓の一つに、「自分の信条を堂々と述べ、正義のためには、勇気をもって実行する」と掲げている。
 うれしいことに創価学園は、弁論においても"日本一の名門校"と輝いている。
 先日も、創価中学校の「創価雄弁会」が見事、全国優勝を果たした(大拍手)。
 〈第十三回「全国中学・高校ディベート選手権」(主催=読売新聞社、全国教室ディベート連盟)で〉
 若き"二十一世紀の創価のロッシィ″が、はつらつと育っている。
 これほど、うれしく頼もしいことはない。
 一、正義の戦いを起こすならば、断じて勝つことだ。異体同心で進むことである。
 我らの目的は広宣流布即世界平和である。
 創価学会は、大聖人の仏法を奉持した仏意仏勅の団体である。
 我らの前進は、どこまでも信仰を根幹に、全民衆を幸福にしていくのである。
 民衆を利用し、民衆を苦しめる動きは、断じて許さない。
 今、時代は大きく変わってきている。
 まじめな庶民が馬鹿を見ない社会。
 一番、苦しんできた人が、一番、幸福になる世界。
 それを築くための戦いだ。
 戸田先生は、社会のだれからも見捨てられ、いじめ抜かれた人たちをも抱きかかえて、「本当にかわいそうだ。必ず救ってあげたい」と立ち上がられた。
 私は感動した。大慈悲の先生であった。その心を心として、きょうまで走ってきたのである。これが学会精神である。
 100年先まで考え、よく判断し、幸福と勝利の道をつくるのだ。賢明なる指揮をお願いしたい。
 民衆が栄える「永遠の都」を、ともどもに築いてまいりたい(大拍手)。

■ 一、『永遠の都』では、民主主義の理念がわかりやすく述べられている。
 「本来議会は人民の良心となり、政府はその良心の下僕となるべきであります」(戸川秋骨訳、改造社)
 「民衆こそ真の主権者であり、その民衆を抑圧する階層こそ唯一の反逆者なのであります」(新庄哲夫訳、潮出版社)
 この基本中の基本が、いつしか見失われてしまうところに、権力の魔性があり、毒気がある。
 「この世にあっては、世論こそ最高に強力な武器である。いかなる悪も、その面前で生きながらえることはできません」(同)
 創価の言論を強め、深めていくことは、民衆の幸福、社会の正義、そして世界の平和の確立に直結している。その自負と責任を、決して忘れてはならない。

 一、日興上人は教えられた。
 「ただ題目の五字を唱え、たとえ三類の強敵による難を受けても、諸師の邪義を責めるべきである。
 このことは、法華経の勧持品第13や常不軽菩薩品第20に明確に説かれていることであり、上行菩薩の再誕として出現され弘教された日蓮大聖人が、身をもって証明されたことである」(御書1614ページ、通解)
 法華経の敵を責めなければ、どれだけ知識を得ようと、社会的地位を得ようと、成仏とは関係ない。 邪義を責めなければ、大聖人の仏法ではないのである。

● 人間性をおとしめる輩を見破れ
 一、"内なる悪"と闘わなければ、"外なる悪"と闘うことはできない。
 『永遠の都』には、卑しい裏切り者の姿も厳しく描かれている。
 彼は、自らの野望から権力者の暗殺計画を立て、当初、ロッシィに取り入ろうとした。しかし、その意の本性を鋭く見破られ、追い出されてしまう。
 すると今度は、それを逆恨みして、権力側に立って、ロッシィたちに数々の陰謀を仕掛けてくるのだ。
 御書には「大慢のものは敵に随う」(287ページ)という歴史の通弊が喝破されている。
 結局、この卑劣漢は権力者からも見放され、逮捕され、惨めな敗北の末路をたどっていくのである。
 また、『永遠の都』では、真の指導者が依って立つべき正しき王座とは、「民衆の敬愛という広い基盤」(前掲の新庄訳)であると示されている。
 自らの野心から民衆を利用し、人間性をおとしめる輩は、必ず断罪される日が来る、と論じているのだ。

● 「艱難を受け止める覚悟」
 一、幹部は、役職が高ければ高いほど、同志に尽くさねばならない。青年ロッシィは繰り返し、厳しく自分を戒めた。
 「民衆のために一身をささげよう。自分と、人の世のために尽くすという仕事とのあいだには──たとえどんなことであれ割り込んでくる余地はないのだ」(前掲の新庄訳)
 「わが身に課した使命をつらぬくにあたって、いつふりかかってくるやもしれぬ艱難を受け止める覚悟ができていなくてはなりません」(同)
 「民衆の苦しみをわが苦しみとすることによって、われわれは『人間共和』の市民、召使として献身することを誓う」(同)
 また、次のようにも綴られている。
 「われわれは理想のために生きるべきだ。理想というのは、この世でたったひとつの生き甲斐あるものだし、もしそのために一命を賭すような羽目になったとしても、われわれは男らしく死ぬぺきだ」(同)
 この書を青年に読ませた、戸田先生の心の深さが、あらためて偲ばれる。
 師匠が師子ならば、弟子も師子とならなければならない。それでこそ、師子王の学会をより強くしていけるのだ。
 『永遠の都』で描かれた、民衆指導者の鑑の姿を、創価の革命児は厳然と示し、留めていただきたい(大拍手)。

● 勝つために師弟がある
 一、弟子として、私は、一心不乱に、戸田先生を護り、宣揚してきた。今も戸田先生にお仕えする心で生きている。
 師匠に何かをしてもらおう。そう思って待っているだけでは、成長はない。
 弟子が師匠のために何ができるかだ。
 師匠に喜んでいただける戦いをしよう。これが本当の弟子だ。
 その心に徹し抜いたからこそ、私は、熾烈な広宣流布の戦いを厳然と勝ち開くことができたのである。
 仏法は勝負だ。勝たねばならない。
 使命ある皆さんは、悔いなき人生を歩んでいただきたい。絶対に勝っていただきたい。
 そのために、師弟があるのだ。見栄とか飾りのためではない。
 仏法の師弟に生き抜く人生ほど、強いものはないのである。

● 光る女性の活躍
 一、さて、『永遠の都』では、美しく強き女性、ドンナ・ローマの活躍が、物語のクライマックスとなる。
 「人間性こそ、この世でもっとも神聖なものです」(新庄哲夫訳、潮出版社)とは、この物語の重大なテーマである。
 その「最も神聖な人間性」を最大に発揮していくのが、このドンナ・ローマである。
 戸田先生は、女子部に対して、「ドンナ・ローマの崇高な心から学んでいきなさい」と語りかけられた。
 物語では、ロッシィに代わって、一切の責任を担った彼女が、凛然たる姿を法廷で示し切っていく。その勇気に呼応して、全国の各州から、民衆が陸続と押し寄せる。そして、ついに革命は成就していったのだ。
 彼女は"政治家が百年かかって達成することを一日でやってのけた"とも評された。
 彼女は、勝利と幸福を得てまもなく、病で亡くなってしまった。しかし民衆は、彼女を「偉大な殉教者」と讃え、尊敬し、仰いでいったのである。

■ 一、ここで御聖訓を拝したい。
 日蓮大聖人は、ある女性門下(王日女)の真心の供養に心から感謝され、門下の信心を、次のように讃えておられる。
 「ある貧しい女性が(仏に灯を供養するために)自分の髪を剃って、(その髪を売って)油にしました。すると須弥山を吹き抜くほどの強い風も、その火を消すことはできませんでした。
 ですから、(あなたが真心から供養された)この二百文、三百文というお金は、日本国を治める人(最高権力者)が国を寄進し、七つの宝で飾られた塔を、?利天(=欲界の六っの天のうちの一つ。地上から八万由旬の高さ)に届くほど高く組み上げて供養するよりも、すぐれているのです」(御書1263ページ、通解)
 一人の女性の信心の真心ほど、強く尊いものはない。どんな権力も、どんな財宝も、絶対にかなわない。そう大聖人が御断言しておられるのである。

● 創価とは「正義の中の正義!」
 一、さらに『永遠の都』には記されている。
 「正義という永遠の精神が存在するのだ。諸君の子にそれを教えたければ、母親たちはそれを守らなければならぬ」(前掲の新庄訳)
 この一節の通り、正義の精神を体現して、日々、希望と幸福の連帯を拡大しておられるのが、わが創価の女性の皆様方である(大拍手)。
 戸田先生が、第2代会長に就任して、各部に先駆けて結成したのが婦人部であった意義は、あまりにも深い。
 「創価」とは、「正義の中の正義」である。
 この究極の「永遠の精神」を母から子へ、婦人部から未来部へ、厳として守り伝えていかねばならない。

● 「断じて同志を裏切るな!」
 一、インドの非暴力の闘士マハトマ・ガンジーは叫んだ。
 「魂は、良き同志なしでは枯渇する」と。
 その通りである。
 戸田先生が、『永遠の都』を通して、青年の生命に打ち込まれたことは、何か。
 それは二人の青年革命家ロッシィとブルーノが示した絶対の同志愛であった。
 断じて同志を裏切るな! 絶対に師匠を裏切るな!──この一点を、戸田先生は、青年の魂に刻みつけられたのである。
 清廉潔白の指導者ロッシィを、何とかして陥れようとする、数々の謀略の中で、逮捕された同志ブルーノ。
 しかし、ブルーノは、いかなる拷問を受けても、屈しなかった。
 陰険な虚偽の策略にも耐え抜いた。
 そして、ついに、指導者ロッシィの正義と真実を叫び切って死んでいったのだ。
 それは、戦時中、軍部権力の弾圧で投獄された牧口先生に、最大の感謝と喜びを込めてお供した戸田先生の真情と、深く響き合っていた。
 戸田先生は、獄中で"罪は自分一身に集まり、牧口先生は一日も早く帰られますように"と、祈り続けておられた。
 そして、牧口先生の獄死の知らせに、広宣流布の巌窟王となって、仇討ちに一人立ち上がられたのである。
 この峻厳なる「師弟不二」の結合の中にこそ、いかなる大難にも崩されぬ金剛不壊の正義の大域がある。
 ここにこそ、生死をも超えた、荘厳なる永遠不滅の生命の都が開かれるのだ。

● 常に師と共に!
 一、大聖人は、流罪の地・佐渡で、弟子の最蓮房に仰せになられた。
 「日蓮は、日本国の一切衆生に法華経を信じさせて、仏に成る血脈を継がせようとしているのに、かえって日蓮を種々の難に遭わせ、揚げ句の果ては、この島まで流罪した。
 ところが、あなた(最蓮房)は、日蓮の弟子となって付き従い、また難に遭われている。その心中が思いやられて、心を痛めています」(御書1337ページ、通解)
 「あなたは、過去の宿縁に運ばれて、このたび、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそ、ご存じであると思われる。
 『いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる』との経文は、決して嘘ではあるまい」(同1338ページ、通解)
 この御聖訓の真髄を身読なされたのが、戸田先生である。
 その戸田先生と不二の実践に徹し抜いたのが、私である。
 牧口先生と戸田先生、そして戸田先生と私が歩み抜いてきた、この「師弟不二の道」こそ、「絶対勝利の道」であり、「永遠勝利の道」なのである。

■ 一、今回、私は、デューイ協会のガリソン会長、ヒックマン前会長と、新たな対話を開始した。
 その中で、ガリソン会長が、ぜひとも語り合いたいと希望されていることがある。それは戸田先生と私の出会いに象徴される、師弟の「永遠性」である。
 師匠という大いなる存在と結びつくことによって、人は「永遠性」の次元に入っていくことができる。
 そしてまた、師弟一体で、未来の可能性を信じて行動していく中に、その「永遠性」を継続していく力があると、博士は洞察されているのである。
 世界の教育界の最高峰が、「創価の師弟」に人類の未来の希望を見いだしていることを、知っていただきたい(大拍手)。

 一、ともあれ、リーダーならば、大勝利の歴史をつくることだ。
 大きな会合で、人に号令するのではない。信心即行動で、小さな会合を回り、一軒一軒訪ね、一人一人と会い、信心の激励をして歩く。それが広布の大勝利の源泉である。勇気を奮い起こすのだ。
 「不可能とは、臆病者の言いわけである!」(『波瀾万丈のナポレオン』潮出版社)とは、常勝将軍ナポレオンのモットーであった。

● 立派な指導者に
 一、革命児ロッシィは、渾身の力で叫んだ。
 「知力を養え! 知力を養え! 団結せよ! 団結せよ! これがわれわれの合言葉であり、われわれの戦う武器なのであります」(前掲の新庄訳)と。
 師弟不二なれば、「随縁真和の智慧」は限りなく湧き出でる。
 師弟不二なれば、「異体同心の団結」は限りなく光り輝く。
 戸田先生は、「永遠の都」の建設を夢見て、一青年である私に託した。今、創価の永遠の都は、全世界に築かれた。
 イタリアにも、仏法は大きく広がり、師弟不二の青年たちが、ロッシィのごとく、ブルーノのごとく、ドンナ・ローマのごとく立ち上がっている。
 一人の青年が立てば、永遠の都は必ずできる。皆さんも、わが使命の天地で、歴史に残る広宣流布の指導者、創価学会の指導者になって、人生を飾っていただきたい。
 このことを誓いあって、記念のスピーチとしたい。長時間、ありがとう!
(大拍手)

 

太ちゃん

 投稿者:閲覧者  投稿日:2016年 9月13日(火)19時56分37秒
編集済
  こちらで第三者が絡んでも当事者同士でなければ
話は進まないのではないでしょうか。
まずは太ちゃんが被害者といわれいる方と直接話を進めなければ
こちらで色々と書込みされても事は解決しないかと思います。

太ちゃんの事はこちらの掲示板と趣旨が異なりますので
以後、被害者といわれてる方と直接連絡とってみてはどうでしょうか?
 

私が田愚痴です!ってか(笑)

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 9月13日(火)19時55分20秒
  柳原はん。コラム日記の更新はまだかな?このままだと御用ジャーナリストも反板も、騒げば騒ぐほどどこがバックか明らかになりますよ!

えっ?もうバレてるってわかっててやってるとな?

サイコパス←この意味、中田さんに聞いておいて下さい。
 

【Re:創価学会の人事革命 】虹と創価家族 様

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月13日(火)19時54分45秒
  ■池田大作全集94巻、東京・東海道・東北代表協議会 (2002年8月25日)より

戸田先生は、清浄な学会を守るために、徹して厳格であられた。「金銭問題、男女問題で皆に迷惑をかけ、非難を受けるような者は、幹部を解任し、追放せよ」と厳しく言われた。

組織を利用する悪人は厳しく糾弾し、断じて許してはならない。そうでなければ、新しい人材も、思うぞんぶん、伸びていくことができない。

戸田先生はつねづね、「人事が大事だ」と語っておられた。「人事を失敗したら、皆が、どんなに努力しても、生かされない。皆が不幸だ」とも言われた。
自分の″子分″をつくろうとする心根の幹部には、戸田先生は厳しかった。

■池田大作全集96巻、関東会・東京会合同研修会(3) (2004年8月14日)

第二代会長戸田先生は言われた。
「いかなる事業も、人材なくしては、あいかなわぬ。私の手駒となりうる人材の、一人でも多く輩出することを、青年部に期待します」

どう人材を育てるか。そして、一人一人がどう使命の舞台で、力を発揮していけるか。
大事なのは、人事である。どんな会社でも団体でも、そうである。

勝つか、負けるか。皆が幸福になるか、不幸になるか。発展するか、滅びるか。その大きな分かれ目は、人事にある。

戸田先生は、人事に関しては、たいへんに厳しかった。
いくら人前でいい格好をしていても、地道な信心の実践がない人間、同志愛のない人間、広布ヘ戦う学会精神が燃えていない人間が、万が一にも幹部になれば、広布の前進は停滞してしまう。皆がいやな思いをする。

創価学会は仏意仏勅の広宣流布の団体である。広布を進める人がいちばん偉い。その人を苦しめたならば、だれ人も、堕地獄を免れない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

人事についての池田先生の指導を2点あげました。
池田先生のスピーチには、人事の重要性を語っている箇所が多数あります。人事は適材適所、あらゆる人を活かす為にある。人事により組織の栄枯盛衰は決まります。あまりにも公平性を欠いた親分子分的な人事があれば、人心は失われます。そうあってはならない。創価学会を駄目にしてしまうからです。


http://6027.teacup.com/situation/bbs/56181

>>都合がいい人事の悪弊こそ断ち切らなければいけない。<<
>>HAMDOC様の組織の幹部は解任するべきです。このような幹部は、人事担当まで責任追及するのが世間一般の常識ではないでしょうか。<<


→学会本部は実態を調べてすぐに対応すべきです。第二、第三のHAMDOC様が出てからでは遅い。


>>HAMDOC様の組織や、栃木県の原状は、全国、いや全世界でもあるのではないでしょうか。<<

>>このような御都合主義の人事は、「上」に原因があるのは明確です。
上をたどってゆけば、人事権を持つ事務総長の人間性・師弟観・幹部としての資質に問題があると言えます。<<

→組織は長の一念が反映します。谷川事務総長に師弟はありません。彼の振る舞いを見ていてわかります。このような人物が最高幹部にいること自体が問題なのです。


>>残念ですが現在の創価学会には自浄作用がありません。<<
>>酒・金・女性問題を起こした幹部が、処罰を受けず学会本部に出入りをしている姿を見れば、自浄作用がないのは一目瞭然です。<<


自浄作用があれば何でもやり放題とはならない。丹治問題、丹治一派の問題しかりです。


>>なによりも、一日も早く、事務総長が変わる事を強く訴えます。<<
>>そして同時に、このような人事を容認した原田会長の責任追及も必要です。<<

放置すればするほど、原田会長の責任になります。原田会長は何か弱みを握られているのでしょうか?
 

執拗なしつこさ

 投稿者:妖刀  投稿日:2016年 9月13日(火)19時17分0秒
  犬次郎というのは実は君じゃないだろうね、琴ちゃん。
HNを次々と変えて執拗に出てくるしつこさ、君とそっくりだよ。

墓穴を掘らないようにね。
 

うーこ様

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月13日(火)19時15分9秒
  お気持ち、お察しいたします。

論戦、ご苦労様でしたとの思いと同時に、無慈悲な地区幹部への怒りが沸き起こります。

でも、心配なさることはありません。貴方には仲間がいるじゃないですか。

それに、信心といっても、
会合に出ることが信心でしょうか?  違います。
選挙活動が信心でしょうか?     違います。

信心とは「信・行・学」です。
会合に行かなければ成仏しないのか  違います。
選挙活動しなければ成仏しないのか  違います。

うー子様はうーこ様でなくてはできない使命があるのです。
それを果たすために、今を生きている。小生はそう思います。

もちろん、辛いとき、苦しいとき、嫌なとき、いろいろな状況があるでしょう。
でも、負けてはいけません。

先生の古い指導ですが引用します。
「負ける」と「敗れる」について、の指導です。

「解釈は同じようなものです。しかし、腹の決めどころが違う。戸田先生が会長になるのを嫌がって、
罰を受けて、事業に失敗された。そのときに「おれは負けたのではない。敗れたのだ」と、
おおせられたのを記憶しています。(中略)人間は立ち上がることができるかどうか、
もう立ち上がれないときは「負けた」のであり、立ち上がれるのは、「敗れた」のです。」
(昭和34年、当時参謀室長)
 

アラシ行為と断ずる琴しか出来ない。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月13日(火)19時04分3秒
編集済
  太ちゃんありがとう。
太ちゃんから明確な回答がありました。

この状況から、元さち村の村民は、何ら具体性なく裏付けを求めるも明確な回答なし。印象操作ばかりの誹謗中傷をしていた琴になるでしょう。

宿坊の掲示板を貶め、太ちゃん個人の名誉を棄損している。
猛烈な反省を求めたい。

また、反板の諸君!
君たちの行為により、反板はデマと嘘を重ねる信用性の無い、謀略板である琴が明らかになりつつあります。

仏法上の裁きは世法よりも厳しいよ。
掲示板には残念ながら本部職員関係者の関与も疑われている。
事実なら残念な琴です。
 

/1040