おそらくカープとサンフレッチェの選手にとって広島は、やりがいが感じられる土地であり環境なのだろう。ファンの熱烈な応援があり、その期待に応えようと頑張れば好成績もついてくる。そして優勝すれば町全体が盛り上がる。そんな好循環にあるのだ。
サンフレッチェ広島は2013年、2015年と年間優勝。15年はクラブワールドカップで3位に入る健闘も見せている。今季は第1ステージ4位、第2ステージは現在8位とチャンピオンシップ進出が厳しい状況にあるが、強さを維持していることは確かだ。カープは今季リーグ優勝。どちらも好循環のなかにあるといっていいだろう。
ただ、カープの歴史を見ると、地元広島生え抜きの人物が重要な部分を支えてきたこともわかる。
そもそも球団創設の構想は、原爆による壊滅的被害から復興を目指す象徴として「広島に広島出身者だけのプロチームをつくろう」という呼びかけから起こったものだ。そして1950年に球団が結成されると、初代監督に広島商出身の石本秀一氏が就任。広陵高出身の白石勝己氏が主力としてプレーした。
1960年代は下位に低迷していたが、広島商出身の山本一義氏が活躍。
そして1975年、悲願のセ・リーグ初優勝を成し遂げる。この時は山本浩二氏、大下剛史氏、三村敏之氏という3人の広島出身のスターがいた。山本氏は廿日市高、大下、三村両氏は広島商出身だ。1979年には日本シリーズを制して初の日本一に。翌80年はセ・リーグ連覇(日本一も)。この時は山本氏、三村氏が活躍。
1984年(日本一も)、1986年に優勝した時は山本氏に広島商出身の達川光男氏、PL学園出身だが広島市生まれの小早川毅彦氏がいた。1991年の6度目の優勝をした時も達川氏がプレー。こうして見ていくとカープには常に地元広島出身の選手がいたし、優勝にも欠かせない存在だったことがわかる。
その意味で今年の優勝では新井貴浩が重要な存在だったわけだ。レギュラーでは唯一の地元生え抜き選手。カープの歴史を彩ってきた広島商ではなく県立広島工の出身ではあるものの、地元の選手がいることはファンにとっても大きな求心力になる。
全員が広島の色に染まるチームにあっても欠かせない存在感を示したのが、誰もが親愛を込めて「新井サン」と呼ぶ新井だったといえるのでないだろうか。