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極上の犯罪小説『熊と踊れ』

 Q:なぜ熊に勝ったという証言ばかりなの?
 A:負けた奴は皆死んだ

 ニュースで聞く「ばったり熊と出遭ったが撃退した」という武勇伝は盛っており、実は警戒した熊が逃げたのではないかと踏んでいる。人と熊が闘ったら、勝てるわけがない。ところが『熊と踊れ』では、熊に勝つための方法が伝授される。

これはな……熊のダンスだ、レオ。いちばんでかい熊を狙って、そいつの鼻面を殴ってやれば、ほかの連中は逃げ出す。ステップを踏んで、殴る。ステップを踏んで、殴る! たいしたパンチに見えなくても、何度もやられれば相手は疲れてくる。混乱して、不安になってくる。ちゃんとステップを踏んで、ちゃんとパンチを命中させれば、おまえは熊にだって勝てる!

 もちろん、「熊」は敵のメタファーだ。暴力で解決する「敵」と、どのように闘うか。力技だけでは勝てない。ヒット&アウェイを繰り返し、攻撃を集中・分散させれば、強大な敵でも倒せる。いじめられた息子を鍛えるため、父から伝えられる、暴力の扱い方だ。母を殴る父を見ながら育った三人の兄弟は、やがて暴力をコントロールする術を身につける。軍の倉庫から大量の銃火器を盗み出し、完全武装した上で銀行強盗を企てる。このとき、「熊」は警察のメタファーとなる。

 生々しいのは、恐怖だ。“過剰な暴力”を振るう人の恐怖が、ほかに逃げ場のない強烈な悪臭となって、毛穴からにじみ出てくる。彼のこの体臭―――恐怖そのものが鼻に刺さるようにリアルだ。たいていの小説家は光景や音声を描写しようとするが、本書では上手いタイミングで嗅覚が刺激される。というのも、人が自分の臭いに気づくのは、我に返る瞬間だから。緊張の只中から冷静さを取り戻し、暴力をコントロールできる状態になるとき、自分の酷い臭いに気づく。すなわち、自分の悪臭に自覚的になるということは、いま直面している恐怖に自覚的になるということなのだ。

 さらにリアルにしているのは、カットだ。長くて一分間、短いと数秒の複数のシーンを重ねてくる。この演出のおかげで、追うものと追われるもの、暴力に満ちた過去と、暴力に満ちた現在が次々とつながり、ほとんど飛ぶように奔っていく。読み手は、振り落とされないように追うしかない。耳をふさぎたくなる悲鳴や、胸が裂かれるような痛みに苛まれつつ、読むことをやめられなくなる。

 畳みかけるカットバックの中、“過剰な暴力”が制御不能となり、内側から蝕んでいく様子が、まるでスローモーションのように垣間見える。リーダーのレオの心が(描写とは裏腹に)飲み込まれていくのがわかる。

 年齢が近いせいなのか、レオに人の殴り方を教える父親に共感する。そして、自分の中にそんな暴力性があることに気付かされて、愕然となる。欲しいものを手に入れるために、他人を支配するために、ためらうことなく拳を振るう父親像を眩しく思い、そんな自分に吐き気を感じる。と同時に、わたしの内側からにじみ出ている恐怖の臭いに自覚的になる。

 熊を相手にして、勝てるわけがない。熊は、闘うのではない。ステップを踏んで、殴る。ステップを踏んで、殴る。暴力と恐怖を抱えながら、ともに踊る相手なのだ。前代未聞の展開に仰天しながら、次はどうなる?  彼はどうする? 夢中になってページを繰っているうちに朝になる。

 今年のピカイチ・ミステリ。明日の予定のない夜にどうぞ。


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