料理ができることをほめてもらったり、作ったものをおいしいと言ってもらえると嬉しい。
そんなに手間のかかる凝ったものは作れないけれど、たまにブログにレシピも書くぐらいには、料理はできる方と自負してもいいのかなと思ってる。
裁縫もまあ、服作りはできなくても最低限、ボタンつけとかキャミソールの紐丈の調整とかそれぐらいはできる。
その他掃除・洗濯はほとんど機械がやってくれる。
そんなわけで私は家事に問題を感じたことがないので総合的に考えて「できる」部類に入るのだと思うけど、一方で学校の家庭科の授業は苦手で、成績が悪かった。
まずやる気がなかった
当時の私にとって家庭科とは本当に授業でしかなかった。
しかもずっと私立受験しかしてきていない身としては、家庭科は受験で全く評価基準に入らない「副教科」でしかなかった。
親も、受験教科さえできていれば副教科についてはおとがめなしだった。
そんなわけで私が真剣に家庭科に取り組む理由は全くなかった。
ミシンがとくに苦手だった
何度聞いても先生の説明や機械の仕組みがわからなかった。
でもみんな一斉にやるから自分だけそう先生を独占できないし、闇雲にでもなんとかしなければならなかった。
結果、壊した。
けれど与えられた時間内に完成しなければならないし、相変わらず先生に質問はできないし、散々だった。
結局最後まで仕組みがわからないまま、こっそり友達にほとんどやってもらってなんとか完成したため今でもさっぱりミシンの使い方がわからない。
家庭科と家事はちがう
家庭科の授業は窮屈だった
ボタンつけの実習では先生の言われたとおりのやり方じゃないと合格できなかったし、料理も大さじがどうだの小さじがどうだの、言われた通りにしなくてはいけなかった。
そういうのが慢性的にだるくて、料理実習はいつも率先してやってくれる子に任せて自分は各班のつまみ食いと皿洗いばかりしていた。
先に話したミシンもそうだけど、私が家庭科の授業で学んだのは家事スキルではなく、できなくてもその場を適当にしのぐコミュ力であった。
なぜ家事はできるのか
大学で一人暮らしをしてから、私の家事スキルはおおいに上がった。
友達も趣味も少ない私の数少ない暇つぶしが料理だったし、
「汚くしてゴキブリが沸いても一人暮らしで自己責任。」
というプレッシャーが、私を整理整頓と掃除に駆り立てた。
要は、必要に迫られればすぐにできたのである。
家庭科の授業はあくまで授業であって、私にとってはとくに必要なかったからいつまでも成績が悪かったのだ。
それに実際の家事は授業よりずっとおおらかで適当だ。
料理は大さじだグラムだなんて分量がわからなくても結果的においしければOKだし、ボタンだって先生の採点がないから服についてりゃOKである。
家庭科の成績が悪くても家事はできる
いつも家庭科の成績が悪いので女子力が低いと思っていたし、友達の間でもそういうキャラだったけれど、ふたを開ければ当時私の代わりにミシンでエプロンを作ってくれた友達より私の方が今は家事ができたりする。
友達は優等生だったけれど、実家を出たことがないのだ。
日常的に繰り返される「慣れ」が全ての家事を前に、家庭科の授業なんて意味を成さないのである。
いたずらに私に劣等感を植え付けて、家庭科の授業にはなんの意味があったのか、今でもよくわからない。
なので、もし家庭科ができなくて危機感を覚えている学生さんがいたら、そんなことより家の家事手伝いをするなり一人暮らしを目指してみてほしい。
でもうちの場合、家のことやろうとすると
「そんな暇あったら勉強しなさい。」
だったんだよね。
親も、私が家事や家庭科などできないことで「自分が子どもの勉強をサポートしている」という安心感があったのかもしれない。
そう考えると、未成年の立場っていろいろと難しいよね。