1,5月ドーナツは知っている
小6の教え子が二宮金次郎のように、本を読みながら歩いてきたので、何やら勉強熱心だなあと思っていたら、少女漫画テイストのイラストが表紙の、いわゆる子ども向けのラノベみたいな本だった。
ああ、最近の小学生が大好きな、「青い鳥文庫」ってやつだ。
伝記から映画のノベライズ、かつて発売していたラノベの復刻、一般小説までもを扱う、児童向けの文庫。しかし文庫といいつつ、形式は新書に近い。
その教え子が持っていた小説のタイトルが「5月ドーナツは知っている(妖精チームG事件ノート)」であった。勿論全く知らないが、表紙のイラストからして、少女漫画の延長上にあるものであると思った。タイプの違うイケメン3人と、主人公であると思われる女の子の可愛らしいイラストがあった。
そして別の子どもは「知らないの?これ今流行ってるんだよ」という。読んでいる子どもも、あまり深くは語らないが、「読書楽しい!」と誇らしげに俺にその本を見せてきたあたり、本当にいま眼の前の本が面白くて仕方ないんだろう。そして読書自体が面白いと思えているのだろう。
2,そういえばと想い出す、ここ数年のラノベのタイトルの酷さ
matome.naver.jp
こんなまとめも出来るほど、ここ数年の(俺の感覚では2008年くらいから)のラノベのタイトルの酷さが、世間を騒がせている。
単純に、長いというより、もはや名詞ではないといことに異常さを感じる。
もちろん今まで長いタイトルといえば、こちら葛飾区亀有公園前派出所であったりとか、さまざまあったが、ただ名詞であったことには変わりない。ドラゴンボール、ハイスクール奇面組、幽遊白書。ラノベで言えばフルメタル・パニック、スレイヤーズ、GOSICKなどなど。きちんとその小説の「呼び名」として機能している場合が多い。
しかし振り返って、2008年頃から出てきた小説のタイトルはどうだろう。
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」「僕は友達が少ない」など、単なる主語動詞がそろう文章になっている形式が多い。しかも、呼び名としてはその略称の「おれいも」「はがない」などを使う。作者もそう呼ばれることを想定している。
勿論この流れが、ジョジョの「ダイヤモンドは砕けない」からはじまる、「ブギーポップは笑わない」シリーズから来ているのだという指摘は多くある。しかし、あくまで「~ない」という形式が流行ったというだけでは説明がつかないほど、最近はそのタイトルの文章化に幅がある。
・やはり俺の青春ラブコメはまちがっている
・うちの娘の為ならば、俺はもしかしたら魔王も倒せるかもしれない。
・「勘違いしないでよね!アンタの事なんか大好きなんだから!」呪いで本音しか言えなくなったツンデレお嬢様
・ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか
・恋人にしようと生徒会長そっくりの女の子を錬成してみたら、オレが下僕になっていました
・ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?
・下ネタという概念が存在しない退屈な世界
・名門校の女子生徒会長がアブドゥル=アルハザードのネクロノミコンを読んだら
・この家に勇者様もしくは救世主さまはいらっしゃいませんか?!
・誰もが恐れるあの委員長が、ぼくの専属メイドになるようです。
・青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない
・魔法少女オーバーエイジ「私たち、もう変身したくありません」
・普通のOLがトリップしたらどうなる、こうなる
・おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!
最近のラノベタイトルの傾向ワロタwwwww:わんこーる速報!
これらは某まとめサイトに掲載されている最近の売れ筋ラノベの例。
もはやタイトルというより、帯のコメントに近い。
帯のコメントなどは通常、小説の中身を簡潔にまとめ、その作品をわかりやすいようにしたものが多い。つまりは手に取りやすくするためのものであるが、もはや日本の小説は、帯コメントがタイトルと化しているのが現状である。
3,必ずしも内容を理解させようとしていないタイトル
そしてさらに恐ろしいことは、ラノベのタイトル=帯コメントという単純な図式には収まりきらない、複雑なタイトルになっているという点だ。
先述の「5月ドーナツは知っている」というタイトルは、まさしく典型的になにを言っているかわからない。タイトルだけでは何を表しているかわからない。おそらく5月とドーナツが、物語のカギを握るのだろう。
「砕け散るところを見せてあげる」でも、このように含みをもたせたタイトルをあえて付けることで、読者の興味をひく。そしてタイトルの意味とはなにか、を考えさせるために敢えてつけているのだ。
ちなみに調べてみると、この5月ドーナツはシリーズ物で「妖精チームG事件ノート」シリーズと呼ばれるいるらしい。
他には「本格ハロウィンは知っている」「妖怪パソコンは知っている」「クリスマスケーキは知っている」「星形クッキーは知っている」などなど、知っているという動詞で名付けられているのだ。
これを見ると、一貫性はあるかもしれないが、もちろんこのタイトルが本の概要を説明してるわけでもなく、かと言って呼び名として、固有名詞として機能してるかというと、そうとも言えない。結局この小説を語るとき「5月ドーナツが一番面白かった~」とか「クリスマスケーキのやつがいいよね」などと、略すはずである。
さらに、これらの小説はもともと1,990年代にコバルト文庫から発売されていた「kz少年少女ゼミナール」シリーズの復刻版らしく、コバルト文庫から出てた時のタイトルは「友愛クエスト」「親友アイテム」「初恋プロセス」というちゃんとした名詞だった。このことからも時代が移り変わって、タイトルが文章化したことがわかるだろう。
4,一般小説、ドラマにまで侵食する文章タイトル
月9ドラマのタイトルを思い出して欲しい。「HERO」「ラブジェネレーション」「トングバケーション」「東京ラブストーリー」これらすべて、固有名詞として機能している。ちゃんと呼び名として、個別性を持っている。片仮名が多いが。
さて、昔の大ヒットドラマはこうだった。現代のドラマのタイトルはどうだろう。
「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」「大切なことはすべて君が教えてくれた」「好きな人がいること」などなど、典型的にはこれらの作品だろう。
さらに「デート~恋とはどんなものかしら~」「PRICERESS~あるわけねえだろ、んなもん!」など、これらは副題が文章で、主題は固有名詞である。このように、固有名詞としての機能と、文章としての機能を兼ね備えた作品もある。
さらに小説では有名なのが「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」であるが、このようにライトノベルと一般小説の中間にあるような小説にも、文章タイトルは広まっている。まあもちろん「桜の森の満開の下」のオマージュであるという見方もできるが。
ちなみに、明治大正昭和時代の小説は、勿論名詞である。詩ではあるが「君死に給うことなかれ」などは、思いつく限り唯一の文章タイトルである。
さて、ここまで一般小説やドラマの例を挙げてきたが、俺が知らない、もしくは忘れているだけで、世の中に文章タイトルは氾濫している。やはりこの流れは、ライトノベルという狭い世界の中だけで起こってる問題では無いのだ。
5,料理のメニューには、居酒屋の戦略として明確に存在してる
www.ajinomoto.co.jp
居酒屋業界では、「ネーミングは、経費0円の販売促進」と言われているほど、メニューのネーミングを大切にしてる。
「とりあえずタコ入りポテトサラダ」が「箸休め 豆板醤の夏仕立て タコ入り士幌ポテトサラダ」となる。これが現在の居酒屋のメニュー。たしかに後者のほうが、具体的にイメージが湧きやすく、産地も書いているのでアピールになる。これもやはり、情報を取捨選択して、セールスポイントをできるだけタイトルだけで説明し、イメージをもたせるという手法の一例である。
この傾向は、やはりどんな業界でもとどまることがないのだろう。
6,いいんだけど、大丈夫?
ところで何が問題無の?と聞かれれば、明確に応えることが出来ない。確かにライトノベルのような文章タイトルは浸透しつつある。もはやそれに違和感を覚える人間は少ないだろう。
ただ、考えたいのは、そもそもタイトルってなんだっけ?ってことである。
なんの目的で、作品にはタイトルがあるんだろう。
もちろん固有に名前を与えられることで、他の作品と区別するためである。Aの内容の小説が、Bの内容の小説と混同しては困るからである。
だとしたら、タイトルはなんでもいいのか?という疑問が浮かぶ。区別さえ出来れば、どんなタイトルにしてもいいのだろうか。極端に言えば、文章が文章のタイトルになってもいいのか、という問題である。
これはつまり、物の名前、人の名前すら、文章であってもいいと言ってるようなものだと、俺は感じる。名前とは名詞でなくていけないはずで、文章で表すべきではない。「隣に住んでいる【林原さん】なんだけど」が「隣に住んでいる【お兄ちゃんなんて全然すきじゃないんだからね】さんなんだけど」であっていいのか。
まあ、昔そういう落語があった気がするが、そこれこそネタとして面白がられていたわけで、現在はこれが普通になっている。
あまりにネタが氾濫し過ぎると、それが普通になってしまって、もはや面白みも何もなくなる。ドラマにまで侵食してきたのがいい例で、もやは文章タイトルは、一般化しつつあり、なんらネタ性を持っていないのだ。
日本人は、もう少し固有名詞と文章の違いを意識するべきではないか。というか、こんな特殊なタイトルをつけているのは、日本人だけであってほしい。外国人までこんなことしてたら、ちょっとビックリだけど。
先述の子どもは、その本を図書室から借りてきたと言っていた。つまりは学校側すら、そのような小説になんら違和感を感じていないのだろう。
「砕け散るところをみせてあげる」の記事を書くときも、何度も砕け散るところみせてあげるとタイピングするのが疲れた。それと同じで、貸し出しカードにいちいち5月ドーナツは知っているって書くのが大変だろう。そういう問題もあるんじゃないかな、と思う。
妖精チームG事件ノート 5月ドーナツは知っている (講談社青い鳥文庫)
- 作者: 住滝良,清瀬赤目,藤本ひとみ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/05/13
- メディア: 新書
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