地震・津波の研究 東大名誉教授の阿部勝征さん死去
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日本を代表する地震と津波の研究者で、防災や情報伝達の仕組みづくりにも尽力した東京大学名誉教授の阿部勝征さんが今月9日、亡くなりました。72歳でした。
阿部さんは東京の出身で、昭和43年に東京大学理学部を卒業したあと、北海道大学やアメリカのカリフォルニア工科大学などで地震や津波の研究に取り組み、平成元年から平成19年まで東京大学地震研究所の教授を務めました。
この間、津波のメカニズムの解明に力を注ぎ、津波の広がり方から地震の規模を推定する「津波マグニチュード」という計算手法を初めて提唱するなど、世界の研究者に影響を与えました。
また、政府の地震調査委員会の委員長や中央防災会議の委員などを歴任したほか、気象庁の緊急地震速報の実用化に向けた検討会で座長を務めるなど、防災や情報伝達の仕組み作りに尽力しました。平成20年からことし3月まで、気象庁長官の諮問機関である東海地震の判定会の会長を務めたほか、最近では内閣府の検討会の座長として、南海トラフで想定される巨大地震の津波や揺れの新たな想定を取りまとめました。
阿部さんは国内外の災害の被災地で熱心に調査活動にあたっていたことでも知られ、昭和61年には、伊豆大島で調査中に遭遇した噴火の様子を間近から撮影し、貴重な研究資料を残しました。
一方で、社会に役立てることが重要だとして、大地震が発生したときにはメディアからの取材にいつでも応じて、地震のメカニズムから被害の規模の推定、防災上の注意点などをわかりやすく解説し、防災に貢献してきました。
阿部さんは2年前に肺がんと診断されて手術をし、体調は一時回復していたということです。しかし、その後、がんが脳に転移していたことがわかり、入院をしていましたが、今月9日に亡くなりました。
この間、津波のメカニズムの解明に力を注ぎ、津波の広がり方から地震の規模を推定する「津波マグニチュード」という計算手法を初めて提唱するなど、世界の研究者に影響を与えました。
また、政府の地震調査委員会の委員長や中央防災会議の委員などを歴任したほか、気象庁の緊急地震速報の実用化に向けた検討会で座長を務めるなど、防災や情報伝達の仕組み作りに尽力しました。平成20年からことし3月まで、気象庁長官の諮問機関である東海地震の判定会の会長を務めたほか、最近では内閣府の検討会の座長として、南海トラフで想定される巨大地震の津波や揺れの新たな想定を取りまとめました。
阿部さんは国内外の災害の被災地で熱心に調査活動にあたっていたことでも知られ、昭和61年には、伊豆大島で調査中に遭遇した噴火の様子を間近から撮影し、貴重な研究資料を残しました。
一方で、社会に役立てることが重要だとして、大地震が発生したときにはメディアからの取材にいつでも応じて、地震のメカニズムから被害の規模の推定、防災上の注意点などをわかりやすく解説し、防災に貢献してきました。
阿部さんは2年前に肺がんと診断されて手術をし、体調は一時回復していたということです。しかし、その後、がんが脳に転移していたことがわかり、入院をしていましたが、今月9日に亡くなりました。
防災対策進むよう病をおして活動
阿部名誉教授は、地震学を社会に役立てることが重要だとして、大地震が発生したときにはメディアからの取材にいつでも応じて、地震のメカニズムから被害の規模の推定、防災上の注意点などをわかりやすく解説し、防災に貢献してきました。
家族によりますと、大地震があった場合に備えて「できるだけ東京を離れたくない」と話していて、家族で遠出したのは東京大学地震研究所を退官した際に、インドネシアのバリ島に旅行に行ったぐらいで常に地震のことを考えていました。
ただ家庭では、ほとんど仕事の話をすることはなく、週末になると唯一手伝うことのできる家事だといって、趣味のように包丁を熱心に研いでいたほか、好きな焼酎やウイスキーをたしなんでいたということです。
2年前には肺がんと診断されて手術を受け、去年11月には、がんが脳に転移していたことがわかったということですが、治療を受けながら国の検討会の座長を続け、翌12月には南海トラフの巨大地震の際の長周期地震動の揺れの想定を取りまとめました。
報告書を渡す際はみずからの手で、当時の防災担当大臣に渡し「必要な対策に結びつけて欲しい」と訴えるなど、少しでも日本の防災対策が進むようにと病をおして意欲的に活動を続けていました。
ことし3月31日付けで8年間務めた東海地震の判定会の会長を退任した後は、都内の病院に入院して、療養生活を送っていたということです。
家族によりますと、大地震があった場合に備えて「できるだけ東京を離れたくない」と話していて、家族で遠出したのは東京大学地震研究所を退官した際に、インドネシアのバリ島に旅行に行ったぐらいで常に地震のことを考えていました。
ただ家庭では、ほとんど仕事の話をすることはなく、週末になると唯一手伝うことのできる家事だといって、趣味のように包丁を熱心に研いでいたほか、好きな焼酎やウイスキーをたしなんでいたということです。
2年前には肺がんと診断されて手術を受け、去年11月には、がんが脳に転移していたことがわかったということですが、治療を受けながら国の検討会の座長を続け、翌12月には南海トラフの巨大地震の際の長周期地震動の揺れの想定を取りまとめました。
報告書を渡す際はみずからの手で、当時の防災担当大臣に渡し「必要な対策に結びつけて欲しい」と訴えるなど、少しでも日本の防災対策が進むようにと病をおして意欲的に活動を続けていました。
ことし3月31日付けで8年間務めた東海地震の判定会の会長を退任した後は、都内の病院に入院して、療養生活を送っていたということです。
後輩の平田教授「大変残念」
阿部名誉教授が所属した東京大学地震研究所の後輩で、政府の地震調査委員会の委員長を務める平田直教授は「阿部先生は津波マグニチュードを提唱されたり、地震には多様性があることを研究されてきて、学問的な功績も大きいですが、同時に科学的な知見をどのように社会に生かしていくべきかを常に考えておられていたので、その姿勢を見習いたいと思っていました。病気で療養されているとうかがっていましたが、お元気になって戻ってくることを期待していたので大変残念です」と話していました。
今村教授「科学と社会との懸け橋になられていた」
津波のメカニズムが専門で、阿部名誉教授と海外の津波被害の調査にも同行した東北大学の今村文彦教授は、「学生のころから教えて頂いたが、地震学の立場から津波の分野を研究される方は当時は少なく、津波研究の進展に大きく貢献された。さらには、科学者として現象を突き詰めるだけでなく、社会のためにどのように発信をしたらよいかを考えられ、いわば科学と社会との懸け橋になられていた。5年前の巨大地震のあと、科学者の役割はより重要になっているが、常にわかりやすく、シャープな言葉で発信される阿部先生が亡くなられたのは残念でならない」と話しています。