鬱屈した毎日から逃れ、新しい世界へ旅立ちたいという思いは誰にでもある。おとなになってしまうと、そんなに冒険もできない。後先を考えてしまうからだ。大人と子供の境目である14歳は、冒険にもちょうどいい年齢なのだろう。二人が作ったクルマは、ログハウスの形をしている。ふたりきりで過ごす「家」の中。なかなか寝付けないダニエルに、テオが優しく話しかける。テオもまだ子供なのだが、おそらく置かれてきた家庭環境のせいだろう、少し大人びて見える。
作文の宿題では、個性がどこから生まれるかを書かされていた。テオはすぐに書き上げるが、ダニエルは出来ない。テオが代筆し書き上げた作文は良い点をもらう。テオがダニエルのことをかなり理解しているのだと言える。テオは「自立している奴だけを選ぶ」と言う。ダニエルは自分の個性がどこにあるのかがわからず、人に流されやすいことを悩んでいる。自立心という意味ではテオの好む人間ではないように見える。それでもテオが彼に惹かれたのは、ダニエルが、自分にはない特技(絵を描くこと)を持っているからだろうと思う。それだけではないのかもしれないが、テオがダニエルの絵を高く評価していることはよくわかる。絵の展覧会でのテオの行動は、この映画の中でも特に印象的だ。
ふたりの旅は、過ぎていく一瞬のきらめきを残す。いつまでも子供でいる人もいない。青春映画に常に「成長」を求めるのも間違っているように思う。でもこの映画も成長するんだよね。それがテーマとして描かれやすい理由ってなんだろう。成長したいという願いがあるからか。大人になっても、まだ先があると思いたいからだろうか。『グッバイ、サマー』を、少年の成長物語だと断じて終わらせるわけにはいかない、何かが、私の中にある。たしかに彼らは成長した。二人の旅は、夢の世界の出来事のようだ。夢は、いつか覚める。
順調と思えた旅にピンチが訪れる。そこで初めてテオがダニエルに対して声を荒らげる。お前は自分のことしか考えていない、俺に一度でも質問したことがあるか?と。テオもまたダニエルに「わかってほしい」と思っていたのだ。親友というのは依存関係では成り立たない。
ラスト。テオは父親の言いつけでまた転校することになる。過ぎ去ったあの思い出を残しつつ、ダニエルは大人になっていく。ミシェル・ゴンドリーは実際には旅をしていないらしい。これはミシェル・ゴンドリーが自分の14歳を再構築しようとした作品なのではないか。得られなかった夏の思い出を。果たせなかった思いを。もうおとなになってしまった寂しさを、乗り越えるために。
作文の宿題では、個性がどこから生まれるかを書かされていた。テオはすぐに書き上げるが、ダニエルは出来ない。テオが代筆し書き上げた作文は良い点をもらう。テオがダニエルのことをかなり理解しているのだと言える。テオは「自立している奴だけを選ぶ」と言う。ダニエルは自分の個性がどこにあるのかがわからず、人に流されやすいことを悩んでいる。自立心という意味ではテオの好む人間ではないように見える。それでもテオが彼に惹かれたのは、ダニエルが、自分にはない特技(絵を描くこと)を持っているからだろうと思う。それだけではないのかもしれないが、テオがダニエルの絵を高く評価していることはよくわかる。絵の展覧会でのテオの行動は、この映画の中でも特に印象的だ。
ふたりの旅は、過ぎていく一瞬のきらめきを残す。いつまでも子供でいる人もいない。青春映画に常に「成長」を求めるのも間違っているように思う。でもこの映画も成長するんだよね。それがテーマとして描かれやすい理由ってなんだろう。成長したいという願いがあるからか。大人になっても、まだ先があると思いたいからだろうか。『グッバイ、サマー』を、少年の成長物語だと断じて終わらせるわけにはいかない、何かが、私の中にある。たしかに彼らは成長した。二人の旅は、夢の世界の出来事のようだ。夢は、いつか覚める。
順調と思えた旅にピンチが訪れる。そこで初めてテオがダニエルに対して声を荒らげる。お前は自分のことしか考えていない、俺に一度でも質問したことがあるか?と。テオもまたダニエルに「わかってほしい」と思っていたのだ。親友というのは依存関係では成り立たない。
ラスト。テオは父親の言いつけでまた転校することになる。過ぎ去ったあの思い出を残しつつ、ダニエルは大人になっていく。ミシェル・ゴンドリーは実際には旅をしていないらしい。これはミシェル・ゴンドリーが自分の14歳を再構築しようとした作品なのではないか。得られなかった夏の思い出を。果たせなかった思いを。もうおとなになってしまった寂しさを、乗り越えるために。
JUGEMテーマ:映画