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全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 9月12日(月)21時22分36秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-8-5 【創大・学園合同研修会】

■  一、創価大学と創価学園の合同研修会、大変にご苦労さま!
 きょうは日本全国、そして全世界の教育界・学術界に光を送りゆく、創価大学、創価学園の首脳が集われた。
 教育者は、全世界の父であり、母である。ゆえに教育は、人間を創り、平和を創り、文化を創る力である。
 今、創価教育に対して世界から大きな関心と賞讃が寄せられているのは、皆様がご存じの通りである。
 各地では、創価同窓の友の活躍も光っている。また、未来を担う若き後継者の育成に尽力する皆様にも、この場をお借りして、深く感謝申し上げたい(大拍手)。

■ 私の青年時代は苦闘の連続だった。事業に失敗した戸田先生を支えるために、私は夜学を断念せねばならなかった。
 本当に大変な毎日だった。華やかな青春など、なかった。
 その私に対して、先生は毎朝のように個人教授を行い、万般の学問を授けてくださった。「私が教えてやるからな」と言われ、世界に通用する実力をつけてくださった。
 ありがたい先生であった。世界一の師匠であった。この先生の薫陶があったからこそ、今の私がある。
 先生は語っておられた。
 「教育は、知識を教えるのみではない。長い人生を、生き生きと生き抜いていく力を育むことが大切である」
 知識だけでは駄目だ。人間としての力、豊かな人生を生きるための智慧をどう育んでいくか。
 ここに教育の眼目がある。
 また、先生は、こうも述べておられた。
 「日本の教育の普及は、明治以降、急速に進んだ。
 戦後、大学も増大した。しかし、それが人間の幸せに本当にはつながっていない。
 大学生の数は増えても、人格も、智慧も、見識も乏しい人間が増え、学歴自体が目的になってしまった」
 本当に鋭い先生であられた。
 学歴至上主義は、人間を狂わせてしまう。
 「いい大学を出たから、私は偉い」。そうやって庶民を見下すような人間を生み出すだけならば、何のための教育か、わからない。
 大学は、大学に行けなかった人たちのためにある──私は、この信念でやってきた。庶民に尽くす指導者を育てるのが、真実の大学なのである。

●牧口・戸田先生の悲願を実現
 一、中国・華僑大学の呉承業(ごしょうぎょう)学長は昨年、創価大学で語られた。
 「大学の理念は大学の魂です。理念を持たない大学は魂のない肉体のようなものです。
 強い理念を持った大学は、学生だけでなく、その理念を持った民族を育てることができます」
 私立大学の「魂」は何か──。
 それは「建学の精神」である。「創立の原点」である。
 「創価教育の父」である牧口先生、そして戸田先生は、命を賭けて軍国主義と戦われた。ともに牢獄にまで行かれた。
 私も、戸田先生に命がけでお仕えしてきた。そして、牧口先生、戸田先生の悲願であった創価教育の学舎を創立したのである。
 世界の平和に貢献し、民衆の幸福に尽くす指導者を育成する。これが創価学園、創価大学の理念である。

■ ともあれ、創価学園をつくり、創価大学をつくる。それが、どれほどの難事業であったか。どれほどの障害があったか。
 しかし、私は「師弟の道」に徹し抜いてきたがゆえに、すべてに打ち勝ってきた。あらゆる苦闘を越えて、世界に広がる創価教育の大城を築いてきた。
 この「師弟」の闘争こそが、創価教育の大勝利を成し遂げた力なのである。
 皆様は、教育者である。師弟の重要性を、だれよりも知るべき方々である。どうか、この「師弟」という一点を深く心に刻んでいただきたい。

● 教職員が先頭に
 一、私はこれまで、創立者として、人間としての「一番、大事な道」を多くの人々に語ってきた。何より、自分自身が、その道を歩み抜いてきた。
 戸田先生は語っておられた。
 「教育は、どこか特別な場所にあるのではない。身近な振る舞いの中にある」
 口でどんなに偉そうなことを言っても、行動が伴わなければ教育者として失格である。学生や生徒も、教員の振る舞いを厳しく見ているものだ。
 例えば、自分がお世話になった恩人、自分にとって大切な人に対して、どのような姿勢をとっていくのか。
 大きな恩を受けておきながら、自分の力だけで偉くなったかのように思い、傲慢になる。偉ぶる。
 悪に対して、見て見ぬふりをする。ずる賢く立ち回り、本気で戦わない。それでは、本当の人間教育など、できるわけがない。
 また、アメリカの教育哲学者デューイ博士は述べている。
 「教育者は、他のどのような職業の人よりも、遠き未来を展望することを重視している」
 未来を創るのは教育だ。人間を育てることが、輝く未来を築くことになるのだ。
 創価大学、そして創価学園でも、新たな校舎などの建設計画が進んでいる。
 創価教育の発展は、いよいよ、これからである。皆がさらに心を合わせ、団結していけば、学園も、大学も、もっともっと伸びていける。
 どうか皆さんが先頭に立ち、新しい時代を切り開いていっていただきたい(大拍手)。

● 陰の力に徹する
 一、教育は人間性を開花させる。その根幹に「師弟」がある。
 戸田先生は、創価教育の父である牧口先生に、弟子として仕え抜かれた。牧口先生が戦いやすいように、あらゆる手だてを尽くして支えられた。
 戸田先生は振り返っておられる。
 「私は、牧口先生の膝下に拾われた人間である。牧口先生は、私を、校長をしておられた小学校に引き取って、訓導(=教師)の任命の手続きを行ってくれたのである」
 この牧口先生の恩に、戸田先生は一生涯、報いていかれた。師を讃えることによって弟子が光る、その模範であられた。
 また、師である牧口先生は、戸田先生に全幅の信頼を置かれた。
 牧口先生の大著『創価教育学体系』は、戸田先生が編集から発刊まで労を尽くされた、いわば"師弟の合作"である。戸田先生は述べておられる。
 「涙ぐましい師弟の結びつきのおかげで、創価教育学体系が出版されたのである。
 陰の力であった私のことは、誰一人ほめなかったが、私は一人、笑顔であった」

● 師弟の道に生き抜いた人は幸福
 一、当時、校長職にあった牧口先生を怨嫉し、退職に追い込もうとする勢力と、戸田先生は戦い抜かれた。
 戸田先生の教え子であった青年たちも、牧口先生を守る戦いに連なった。
 彼らの姿を見て、戸田先生は述懐されている。
 「教えた子どもたちが、これほど私を慕ってくれてうれしい。また、これほど立派に育ったかと思うと、教壇に立ったわが身の幸福をつくづくありがたいと思う。私の教えが、このように深く、若い心の中に入ったのだと思うと、しみじみと、偉大な教育の力を感じたのである」
 私は、この先生のお気持ちがよくわかる。
 いつの時代にも、師弟の道に生き抜いた人は幸福である。
 創価教育の指導者は「創立の精神」「建学の精神」と一体でなければならない。
 創価教育さえ盤石ならば、未来は明るい。民衆の指導者を陸続と育てながら、さらに世界へと平和の大道を広げていける。

■ 一、永遠に、教育の城だけは、断じて守り抜かねばならない。
 将来、創立の魂を汚す人間が出てきても、だれ一人、抗議しない。声をあげない──そうなれば、もはや、そこに創価教育はない。悪い勢力に乗っ取られたも同然であり、心ある人たちが皆、不幸になる。私が創価学園・大学をつくった意味は、無くなってしまう。
 牧口先生は叫ばれた。
 「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ。
 利害の打算に目が暗んで、善意の識別の出来ないものに教育者の資格はない。
 その識別が出来て居ながら、其の実現力のないものは教育者の価値はない」
 格好ばかりの"同志"は必要ないのである。戦うべき時には、堂々と悪を弾劾するのだ。
 いざという時に戦えない、保身と増上慢の"才能ある畜生"になってはならない。
 皆、「いい人生」を送ってほしい。そして抽象論ではなく、具体的に「いい大学」「いい学園」の建設を、さらに一段と推し進めていこう!
 私と一緒に!(大拍手)

● 教育者は最も素晴らしい仕事
 一、デューイ博士は共著の中で論じた。
 「良心、道徳的な考えぶかさは、それが勇気からきりはなされるやいなや、われわれを臆病にしてしまう」(久野収訳「倫理学」、『世界大思想全集』所収、河出書房新社)
 勇気こそ、知性や良心を最大に力あらしめる柱である。真実の教育者は、真実の勇者でなければならない。
 デューイ博士は、こうも言った。
 「成長は片手間に仕上げられるようなものではない。それは絶え間なく未来に進んで行く過程なのである」(松野安男訳『民主主義と教育』岩波文庫)
 教育こそ、未来を創り、時代を創り、希望を創る力である。
 ゆえに、教育者こそ全世界で最も素晴らしい仕事である。
 そしてまた大学、短大、学園といった教育機関こそ、人間として最高に誇り高い、最重要の機関であると私は申し上げたい。
 ともどもに創価教育の「誓いの同志」として、心一つに進んでいこう! 長持間、ありがとう!(大拍手)

 

HA?DОC様

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月12日(月)20時43分14秒
  随分とひどいしうちを受けられたのですね。情けない組織になったものです。

活動なしでも金だけは持ってこい、ということでしょう。哀れなものです。
財務は1000円でもできるそうなので、小生は今年ためしにやってみるつもりです。

小生にも、査問、処分された友人がいます。
その友人も、活動はしてはいけない、学会員と会ってはいけない、会館に行ってはいけない、

でも、財務はOK、というばかばかしい処分を受けています。

査問された友人も、「異体同心の創価学会の団結を乱す行為をした」というので、「何の事でしょう?」と聞くと、
「宿坊の掲示板に投稿したから」というものでした。

そもそも、このネット時代に、個人の掲示板に何を投稿しようが、全く個人の自由なのですが、
何故か、「宿坊の掲示板」だけはダメだそうです。(笑)

原田怪鳥様のクビが曲がっているのは、私見ですが、ガン治療のためと考えております。

今の創価学会の中では、幹部批判も、公明党批判も、執行部批判も、「言ってはいけない」雰囲気が充満している様に思います。

この板では、何でも言えると思います。
まあ、対策室のゆみタンや、関西のおーいクンに監視されてますから、自重するべきは自重して・・・(笑)

追伸
遠藤文書も教学レポートも、手に入れることができますので、ぜひ勉強してみてください。
小生の拙文にお返事頂きありがとうございました。

 

大城様 皆さま

 投稿者:HAMDOC  投稿日:2016年 9月12日(月)20時09分1秒
  大城 様 皆様

改めまして、宜しくお願い致します。

返信が遅くて申し訳ありません。
私は、デスクワークではないので、なかなか書けずにすみません。


処分は、活動停止ではなく、会館と拠点の出入り禁止なんです。

処分が言い渡された当初、地元の幹部に「活動はしていいか?」と確認したところ、
「活動はしてもOK。選挙も活動して良い」という返答でした。

いざ、選挙活動が始まっても、誰からも音沙汰なし、パンフも資料も何ももらえない状態で、
完全に無視されている状態でした。Fの報告もなしです。

幹部は私には何も言ってきませんでしたが、かつて私と一緒にF取りに回っていた方に
「HAMDOCと一緒に行ってはいけない」と言い、その方は激怒したそうです。
こんなおかしな組織なら、もう役職も下りていいと言っていました。

当然、選挙以外の活動も、何も知らされません。

たとえ、拠点や会館に行けなくても、活動はしていいことになっているのだから
今まで活動の連絡がその都度あったのなら、財務の申し込みに来てもも当然の流れだと思いますが、
財務以外、何の連絡もありませんでしたし、こちらが確認したことでメールしても返信もありませんでした。
新聞啓蒙できた時に連絡したら、「責任もって取りに行きます」と言ったくせに来ませんでした。
(他圏の友達にあげました)

それなのに、財務の申込書だけは持ってきました。。。

それが、今年初めての活動の連絡です。

「なぜ財務だけ?」と聞くと「今までやっていたから」との返答。
選挙も他の活動もずっとやっていましたけどね・・・。
わけがわかりません。

処分理由についてですが、明白には教えてもらえないのです。
私は、査問もありませんでした。
私は休みは不定期で決まっていないのに、なぜか知っていたようで
休みの日に自宅で唱題していると、突然、地元の幹部と学会本部の方が来られ、
最初、にこやかだったのが、玄関に入りドアを閉めるなり、険しい形相に変わり
淡々と処分内容を言い渡し、「何か動きを見せたら、更に厳重な処分をくだします」と
一方的に言いたいことだけを言って帰って行かれました。
理由は?と訊いても「組織に迷惑をかけた」としか言われませんでした。

こんな処分が下るには、何かとんでもないことをやらかしたのだと思われるかもしれませんが、
信じて頂きたいのは、決して、犯罪を犯したとか特別奇異な行動を取ったということではないのです。


色んなことの積み重ねだと思います。
例えば、ある壮年部の方が協議会で、ご本尊に関してとてもおかしな発言をしたので、
不思議に思い突っ込んでと訊くと「僕はそう思う」と言い切るので
「御書のどこにあるのですか?」と訊いて怒らせてしまったり
地区婦人部長が、ある婦人部さんを皆の前で小馬鹿にして悪口を言ったり、海外旅行へ行った人の悪口(嫉妬?)や、
女子部をバカにしたりなので
私が「いい加減やめてください」と言ってしまい、色々口論になりました。
それから、地区婦人部長は私を嫌い、上へあることないこと私のことを告げ口していました。
私が言ってもいないことを「こんな酷いことを言われた」と報告をあげていました。
昔から、よく嘘をつく人なんです。
地区婦人部長って、ある意味すごい権力を持っていますし、平気で嘘をつくタイプの人を敵に回すと
終わりですよね。止めようがありません。
地区婦人部長の取り巻きの人にも足踏まれたり、散々酷い目に遭わされました。
最後に参加した座談会で決意発表をした時は、テレビでは絶対に放送できないような言葉も投げかけられました。

地区の皆も「絶対におかしい」「人殺しでも話聞いてもらえるのに、何も聞かず、幹部の一方的な報告だけを信じるのはあり得ない」
と言ってくれています。
ただ、幹部に向いては言ってくれませんけどね。。。次のターゲットになりたくないのだそうです。


他にもっと細々としたことがたくさんあるのですが、
あまり長文になると申し訳ないですし・・・(もうなってますかね?)
それに、ここは弓谷さんが監視されていて、投稿内容から身元の割り出しに従事されているのでしたよね?
だから、あまり詳しくは書けないです。上記の内容で十分にバレてしまったかもしれませんが。
除名になるかもしれませんね。


出入り禁止なら、なぜ、本幹へ行っているのだとお思いになられることと存じます。
それと言うのが、「本幹は県外、座談会は、圏外なら行っても良い」のだそうです(笑)
だから、毎月、片道2時間くらいかけて本幹行っています。

本当に笑ってしまいます。
「組織に迷惑かけたから出入り禁止処分」と言うくせに、他県や他圏は言っても良いとは。。。?
思わず「他県には迷惑かけてもいいという意味なんですか?」と訊き返してしまいました(笑)

処分言い渡しの1ヶ月後、偶然バッタリと他圏の友人に出会い、経緯を話すと
「それなら、是非、うちへ♪」と声をかけてくださり、今年はずっと、そちらの座談会へ参加させてもらっています。
みなさん、いい方で平気で悪口や暴言を吐く人もいません。レベルが高いんです。(これが普通か?)

これは、私にとっては、すごくありがたい功徳なんです。
地元が異様なところなので、「行きたくない。行きたくない」といつもご本尊に泣きながら訴えていました。
それでも行っていたのは、他界された方なのですが、ずいぶん昔に、池田先生の次にと言っても過言ではないくらい恩ある方に
「何があっても座談会を本幹だけは行くんだよ」と激励していただいたことがあり、それを遺言として絶対に護り通す決意で
苦しくても一歩も引きませんでした。

気付いたら、「何があっても座談会と本幹だけは出席する」という自分の決意は護り通せていました!

処分を下す時の卑劣なやり方や、財務の時だけ会いに来るという無礼な態度には今でも腹立たしいですが

気分が悪くなる座談会に行かなくて済むようになったのは、本当にありがたい功徳です。

ドライブは大好きなので、他県まで本幹へ行くのも楽しいですよ♪


財務の申し込みしました。
随分前に、こちらの掲示板に財務は1000円でもできたという書きこみありませんでしたっけ?
とても気になります・・・

年明けて地元の会館にはお世話になっていないので、本幹参加させてもらっている他県の会館で
広布基金を精一杯させていただこうかとも考えております。


不眠解消のアドバイス、大変にありがとうございます。
アロマやってみたりしたのですが、イマイチ効かなくて・・・
牛乳とは、いいこと聞きました。ありがとうございます。

私も、ジョーカー様の投稿、大好きで、よく楽しみにしています。


実は私、遠藤文書とか教学部レポートとか、何にもわかってないので
また教えてくださいね。

本当に長くなりました。

自分の話ばかりで、ごめんなさい。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/56044
 

八尋みのる様

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年 9月12日(月)20時01分14秒
  鹿せんべい大井という人物は奈良の人ですか? 何歳くらいでしょう?
大学の先輩で奈良から神戸まで通っている同姓の方がいましたが、もしやと思っています。
他の面々は全く知りません。

森井昌義については、
・誰彼となく暴力を振るう短気で粗暴な性格
・創価班制服の購入代金を着服した
・尼崎でのお守り御本尊バラマキ事件

このあたりが断片的な情報でしか伝わってきていません。
詳細が分かればいいですが、むしろ何でこんな男があれほどの横暴を許されているか、
背景も不透明で解しかねるところです。

イケディアン氏や私に悪態をついてこの板を去ったあの方はいろいろ知ってそうだと思ったのですがねえ。。
 

カンピース 様

 投稿者:HAMDOC  投稿日:2016年 9月12日(月)19時53分23秒
  初めまして。いつも拝見しております。宜しくお願い致します。

会長の「三変土田」は、カンピース様には、「さんぺんどてん」と聞こえたのですね。
私には、「さんべんどてん」に聞こえました。「さんぺん」ではなく「さんべん」と。
アクセントもかなりおかしかったです。
「三遍」と同じアクセントでした。

その後、「どてん」と言って更に大間違いをやらかしてるので、
「さんぺん」でも「さんべん」でも、もうどっちでもいいですね(笑)

原田会長は、首が痛かったんですか?
確かに変な体勢でした。

ファーストクラス症候群ですかね?(笑)

http://6027.teacup.com/situation/bbs/56034
 

先生の御指導

 投稿者:大城  投稿日:2016年 9月12日(月)19時45分30秒
  暴力による肉体的迫害や、処罰や処分という社会的制裁、脅迫や情実などの精神的圧迫、利益をちらつかせる経済的誘惑などにより、個人の信心を破壊し、退転させるのは、魔の常套手段

魔民とは、魔界の衆生、魔に魅入られた魔の眷属のことである
他化自在天にあやつられ、その思いのままに踊らされる愚かな魔の手下である
いかなる人であっても、一度魔に魅入られてしまえば、それは魔の眷属であり、正常な生命とは言えない
それは、いわゆる「悪鬼入其身」の姿であり、悪魔の所作となる
しかも、悪鬼は誰にとりつくかは自在であり、地位や役職にも関係がない
これまでも、まさかあの人が、あの幹部が、
と思うような人が、正法に反逆していった

自在に衆生に取り入り、悪の眷属としていくのが、魔の本質である
少しも、驚くことはない
むしろ、広布が進んでいく証左である
それで信心が動揺するのは愚の骨頂

リーダーであるほど、魔の働きも強い
従って、惰性に陥り、広布への戦いを忘れた場合は、魔に負けて、「悪鬼入其身」となってしまうであろう
その実例が日顕である

悪人に屈してはならない
魔とか、卑怯者は、こちらが怖がれば、つけこんでくる
強く出れば逃げていく

善と悪、仏と魔は常に一緒に現れる
気をつけないと、見分けがつかなくなる
魔ほど恐ろしいものはない
その魔を見極めるのが、仏法である
魔と戦い、勝つ為の仏法である
見極める力、勝つ力は命がけの信心からしか生まれない
魔を見極めなければ、本当の戦いはできない
 

太ちゃんさんへ

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 9月12日(月)19時12分25秒
  太ちゃんさん


 私は、撹乱の人間でもありませんし、ネット対策でもありません。
 >そういうマネをするから一人のSGIさんの話の裏づけになってるんでしょうがさ(投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編   投稿日:2016年 9月12日(月)17時13分54秒 )<
 への「これ、見過ごせませんね」にお答えください。ことは、人格の問題に関わっています。それが、分からない人ですか。


 

反板

 投稿者:大樹  投稿日:2016年 9月12日(月)19時07分33秒
  反板に投稿している人間が投稿しています
適切な判断をお願いします
 

当該事案は以前に解決済みです。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月12日(月)18時52分53秒
  外郭壮年さんは、大井町の鰻屋さんですか?
管理人様、ipの確認の上、ご対応を。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/16369
 

忘恩の輩は何をするか?(4)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月12日(月)17時27分14秒
  さて、レ・ミゼラブルの続きです。映画では、ジャベールの執拗な追跡を逃れて修道院に逃げ込みました。その場所も分からず、人影を訪ねてみたら、それは映画のシーンにもあった馬車の下敷きになったフォーシェルバンでした。ジャンバル・ジャン=マドレーヌ氏はとっさにその怪力で馬車を持ち上げてフォーシェルバンを助け出しましたね。その光景を垣間見たジャベールは、あのトゥーロン徒刑場で帆柱を怪力で持ち上げたジャンバル・ジャン(映画の初め部分に出ています)を思い出し、マドレーヌ氏=ジャンバル・ジャンだと疑いをかけるわけです。

助けられたフォーシェルバンは、マドレーヌ氏が命の恩人であり、どんな事でも受け入れる心が有りました。そして、暫くの間、ジャンバル・ジャンは、修道院にあっては、フォーシェルバンの弟として庭師として働き、コゼットは特待生になって教育を受けて成長していきます。

レ・ミゼラブル2  豊島与志雄訳  岩波文庫のP.356以降に、恩を報ずる者についてユゴーは、書いています。

P.364最期の部分、『それからまた彼は、生涯の二つの危機に際して相次いで自分を迎え取ってくれたものは、二つの神の住居であったことを考えた。第一のものは、すべての戸が閉ざされ人間社会から拒まれた時に彼を迎えてくれ、第二のものは、人間社会から再び追跡され徒刑場が再び口を開いた時に彼を迎えてくれた。第一のものがなかったならば、彼は再び罪悪のうちに陥っていたであろう。また第二のものがなかったならば、彼は再び苦難のうちに陥っていたであろう。彼の全心は感謝のうちに溶け去り、そして彼はますます愛の念を深くした。幾年かがかくして過ぎ去った。コゼットもしだいに成長していた。』

第一の神の住居とは、映画の通り、徒刑場を出て、行く先も泊まる処も無く、空腹で墓場で横たわっているところを、ミリエル司教に発見されて食事とベットを提供される。深夜にその教会の銀の食器類を盗み逃げ出して警察に捕まり、ミリエル司教の面前で警官が、犯罪があったか確認するが、何とミリエル司教は、『それは、彼に差し上げたものだ。この燭台も忘れている。持って行きなさい』と警察を追い払い、逆にジャンバン・ジャンに約束をする。『これを差し上げるのは、あなたが、正しき人になるため、約束しましたよ』と。
第一の神の住居(ミリエル司教の教会)、ここから、ジャンバル・ジャンは大きく変ろうとします。そしてマドレーヌ氏となって企業を起こして成功して行く。この過程は、映画に出てきませんが、どなたか、解説できたらお願いします。

そして、大成して市長にもなったマドレーヌ氏に転機が訪れる。ジャベールがマドレーヌ氏=ジャンバル・ジャンではないか?と調べ始めた。ところが、全くの別人がジャンバル・ジャンとして逮捕されて、それをジャベール自身がマドレーヌ氏に告白する。
ジャンバル・ジャン=マドレーヌ氏は葛藤します。それはミリエル司教との約束、『正しき人に』になるとは?どうしたら良いのか?工場も捨て、貧民救済も、コゼットを救い出す事も止めて、自身がジャンバル・ジャンで有ると、裁判所ヘ出向く事が正しき人か?結論は、映画の通りになります。

そして第二の神の住居(修道院)へと導かれるわけですね。もし、あの時に裁判所にも出向かずに、黙ってマドレーヌ氏のままでいたら?その逡巡のところが、何処かに書いてあったように思いますが、後から調べてみますね。

 

牧野です。

 投稿者:フラフラ  投稿日:2016年 9月12日(月)17時17分23秒
  はげ様。牧野光氏です。元、副会長ですね。  

秋晴れさんへ

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 9月12日(月)17時13分6秒
  秋晴れさん


 レスポンス、ありがとうございます。これ以上、申すことはありません。戦いの真っ最中でしたから、多少の行き違いはあるものです。また教学どころか、人格もしっかりされた方であることが、これではっきりしました。
 ……。詳しくは書きませんが、いいですねぇ。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/56113
(投稿者:秋晴れ   投稿日:2016年 9月12日(月)14時21分49秒)

 

フラフラ様、その人って

 投稿者:はげ  投稿日:2016年 9月12日(月)16時56分37秒
  牧さんじゃないですか?熊本総県で副総県長にいますけど。たしか大分にいた人だよなあと。
恩師記念室で説明を聞いたことがあります。また人間革命の学習会で地元に来たことがあります。
その学習会では資料を読むだけで、支部の人に聞かせられるような話はなかったですね。独特のイントネーションがあって某理事長のような。私にはちょっと聞きづらかったです。
 

師弟不二アーカイブより 【永遠の師弟の原点】随筆抜粋

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年 9月12日(月)16時00分55秒
  【投稿者:河内平野】
投稿日:2015年 3月 4日(水)15時04分17秒     通報


「3・16」の儀式が終わった翌日の一般紙で、急に首相が帰京した真相が暴露されていた。
それは、偏見や嫉妬に凝り固まった政治家たちの”横槍”によるものであったのだ。
私たち青年は、権力の魔性がうごめく政治の世界の狡さ、汚さ、陰険さに激怒し、改めて、恩師の万鈞(ばんきん)の警鐘を噛みしめたのである。

「青年よ、心して政治を監視せよ!」と。

この傲慢な政治家たちは、汚職事件等の問題に絡んで、最後はわびしく政界から消えていった。
権力には魔力がある。その魔酒に酔わされては絶対にならない。

・・・・・(続きは)

http://sgi-shiteifuni.com/?p=5059
 

そうです。はげさま。

 投稿者:フラフラ  投稿日:2016年 9月12日(月)15時15分28秒
  責任をとらされました。それと、S56年に大分の県長だった牧野氏は
問題をおこしまくって、他県に幽閉されてるそうですよ。
 

カンピース様

 投稿者:宝冠  投稿日:2016年 9月12日(月)15時09分20秒
編集済
  同感です

可能性はかなり高いという話です
そして、もしそうだとしたら、問題なのではないか?という問題提起です

真相は?
是非原田会長、笠貫女史と一緒に南米を訪問した「南米訪問団」の方、教えてください

なんでもありの本部では、益々会員の心は離れます

小池都知事は
豊洲移転問題、オリンピック会場問題
情報公開して、その上で議論していくそうです

学会もそうするべきです
腐敗堕落の温床とならない努力をしていくことは当たり前のことではないですか?

それとも、仏意仏勅の団体だから、絶対腐敗堕落しないと思っていますか?

5老僧の姿、日顕の姿は教訓にならないですか?

情報公開
自由な論議をするべきです
 

フラフラ様、ご指摘ありがとうございます

 投稿者:はげ  投稿日:2016年 9月12日(月)15時05分54秒
  山本武氏と由元氏は私の記憶違いのようでした。申し訳ございません。
それと山本恵二氏は例の「大分の乱」の責任を取らされて外郭へということでしょうか?
 

真実様

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月12日(月)14時56分51秒
  筆が先走った感がありますので、一言訂正しておきます。
まず、南米訪問団での通訳の方と今回の人事で通訳翻訳部長になられた方が同一人物であるという確証はとれていません。
もし同一人物ならば、という仮定のもとで発言したものです。

また、今回通訳翻訳部長になられた方の前役職も確認しておりません。
その意味では、一通訳という表現は誤解を招くと考えますので、この場を借りて謝罪致します。


しかしながら、もし、同一人物であるとしたら、これほど重大なことはないでしょう。
怪鳥に付いたものは、何らかの利益を得るということになるわけですから。

真実を知る者は、当事者しかいません。
その当事者が、自らの利益のため、口を噤む、もしくは他者を貶める。
これは「信心の世界」ではなく、「パワーバランスの世界」と思うのは小生だけでしょうか?

もし、真実を知る方、情報を持たれる方がいらっしゃいましたら、ぜひ投稿をお願いしたいと考えております。

 

小悪人の情報募集してまーすw

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 9月12日(月)14時53分43秒
編集済
  この板でも話題の関西の小悪人w
いろいろ調べてわかってきたwww
情報募集中ね~

元関西広宣局?か現関西広宣局長か?

・ヌンチャクこと田坪、(タクボ?)

・鹿せんべいこと大井

・海老蔵こと河崎

・ダンテスこと稗田
ダンテス氏の会社は?E○フーズ株式会社

森井と一番パイプが太いのは海老蔵なのか?ww
 

螺髪様へ

 投稿者:秋晴れ  投稿日:2016年 9月12日(月)14時21分49秒
編集済
  螺髪様、こんにちは。遅くなりました。(謝)

http://6027.teacup.com/situation/bbs/55983

抜粋『法を見る者は我を見る』⇒法即人
抜粋『我を見る者は法を見る』⇒人即法
抜粋『法を見る者は我を見る、我を見る者は法を見る』⇒この全文でもって人法体一と思います。
抜粋『我を見る』の『我』とは、根本的には『永遠の法』と一体となった『永遠の仏』です。
⇒先生のご指導は『我』(よく先生は「大我」と言われていたような。)こそ、人法体一として力点を置かれていると思います。つまり自身の中に仏界があるからこそ、ご本尊様に対面しお題目を唱え境地冥合出来るということだと思います。

抜粋『五百塵点劫以来の『久遠実成の釈尊』のことだが、その指向しているのは無始無終の『久遠元初の仏』です。
 釈尊が悟った『永遠の法』即『永遠の仏』は、あらゆる仏が悟った『永遠の大生命』であった。過去・現在・未来のあらゆる仏は、ことごとく釈尊と同じく『久遠元初の仏』を師として悟ったのです。
それが久遠元初の自受用身であり、南無妙法蓮華経如来です。

⇒日寛上人の教学を根底に語られていると思います。

----------------------------

螺髪様、私が安易に言葉として中古天台本覚思想と出してしまったが為の今回のお書き込みだったのでしょうか?
螺髪様、http://6027.teacup.com/situation/bbs/54935を読ませて頂きました。
私は、日寛上人の教学は、中古天台本覚思想の影響???云々の話というときは、日蓮本仏論云々を指しております。
ご存知の通りに、これは、大聖人を菩薩とし、三宝にあっては大聖人を僧とし、ご本尊様を三宝尊とする日蓮宗側の主張です。
 

ちなみに、

 投稿者:フラフラ  投稿日:2016年 9月12日(月)14時19分50秒
  山本恵O氏(元九州男子部長)は、外郭に飛ばされたっすよ。
東京にいらっしゃると。
 

九大?

 投稿者:フラフラ  投稿日:2016年 9月12日(月)14時16分20秒
  はげ様、、山本総九州長は、大分大学ではなかったですか?
由元氏も、創価大学だったと思います。
 

南米訪問団

 投稿者:宝冠  投稿日:2016年 9月12日(月)13時52分25秒
  南米訪問団にどんな人がいるのだろうか?
写真を懸命に見ました

日本人は原田会長と笠貫さん以外殆ど見当たらない
しかし、その中に背広姿の長身の男性がいつも写っていました
先生が海外に行かれた時、スペイン語の通訳をしていた男性ではないか?と思って見ていました
先日の聖教新聞で人事が掲載されていました
南米訪問団の通訳として参加されている方にそっくりでした

世界には似ている人が何人かいるそうですので
違っているかもしれません
しかし、よく似ている人がなりました
同人かどうか?
確認は難しいでしょう
なんと言っても「謎の南米訪問団」ですから
 

太ちゃん様へ

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2016年 9月12日(月)13時50分30秒
編集済
  太ちゃん様

ありがとうございました。
投稿の編集で直せました。
一度投稿してしまったものは、もうさわれないのかと思っていました。
どうもテクノロジーは苦手で困っていますが、又一つ勉強になりました。
これからはまちがっても、あまりあわてなくてすみそうです。(笑)

管理人様 ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
 

カンピース様

 投稿者:宝冠  投稿日:2016年 9月12日(月)13時34分42秒
  賛同致します

先生のスピーチのレーニンとの写真を偽造したスターリンの話を彷彿します
独裁者は皆、同じ道を辿ります

嘘つきは泥棒の始まりとは名言です

この板には教学に長けている方がたくさんいらっしゃるので、教えてください

最近よく、執筆年が訂正されることが多いです
今回の教材 可延定業御書も、大白で、
これまで、弘安2年のご述作とされてきましたが、最近の研究では、文永12年説が有力です
と記載されています

訂正する根拠が全く記載されないまま、いつも「最近の研究」の一言で訂正されていることに疑問を感じています

勿論、根拠を示めすには、難解で何ページにも渡るのかもしれません
しかし、一言位、分かり易い説明を入れるべきではないか?
そう思います

そして、最近の研究という一言で訂正されているのですが、納得できないことが多い
今回もそうです
文永12年というのは、納得できないでいます

理由はこのお手紙を頂いた時が、長年介護していた姑が亡くなった後か?
亡くなる前、介護中なのか?
ここが大きいと思っています

介護中に病魔に襲われたら
「頑張ろう」と思い、嘆く余裕はないのではないか?
連れ子も立派に育ち、大聖人の弟子となり、伊予房となる
長年介護してきた姑も安祥として旅立った
ホッとしたら、病が悪化している
今度こそ、もうダメだろう
でも、それでいいと諦めていた
その時に大聖人が下さったお手紙
そんな風に思うのです

また、次ページに富城殿御返事があります
「尼御前御寿命長遠の由天に申し候」
このお手紙も年号は分かっていません

しかし、弘安2年11月に下さったお手紙に
富木殿女房尼御前御書があります
このお手紙では
尼御前が元気になられたことを喜ばれると同時に熱原の法難が起き、大聖人の弟子を匿うよう依頼されています

当時は姑が生きている間は姑が最優先され、嫁は具合が悪かろうが、あまり気にされなかったように思います

そういったことを考えると
姑が逝去した建治2年より後で、弘安2年より前のお手紙ではないか?と思うのですが、皆さんのお考えはどうでしょうか?

歴史家になるつもりはないので、本来は、どっちでもいいのですが、
今回の教材を読むと病魔だけでなく死魔に犯されている尼御前を大聖人が懸命に励まされていると思うのです

姑が生きていたら、死ぬ訳には行かないと思うでしょうから、病魔だけだと思います
今回は、病魔だけの激励ではなく、死魔への激励に思います
死魔に犯されているから定業も延ばすことができると励まして下さっているように思います

皆さんはどう思われますか?
特に女性陣の方のご意見を教えて頂けると幸甚です

富木尼御前の時代は姑さんを大事にしました
今は色々なので 笑
例えば、自分に連れ子がいた
立派に育ち、職員になった
生活になんの心配もない
実母も長生きし長年介護してきた
無事逝去した
自分は元々病みがちだったが、更に悪化して、寝込んでばかりいる
こんな状況になったとき、病気の姿をした死魔が襲ってきた
そんな時に大聖人が下さったお手紙
それが可延定業御書と思うのですが、
どうでしょうか?

 

カンピース様 通訳が昇進?理由は南米旅行の口封じかw

 投稿者:真実  投稿日:2016年 9月12日(月)13時14分6秒
  これ誰でしょうか?事実かどうか確かめるに誰か知りたい。

>>一通訳が通訳翻訳部長。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56104


>>おそらく、国際部通訳翻訳部長に昇進?したのであれば、昇給もし、本人も名誉を手に入れる。その昇給した分が「口止め料」なのではないでしょうか。
<<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56091


>>南米訪問団(?)にいた通訳らしき人が今回国際部通訳翻訳部長になったように思います<<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56072
 

危惧

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年 9月12日(月)12時44分12秒
  信濃町のネット対策チームの対策様、JACK様

信濃町のネット対策チームの対策さまからは地元での対応状況、JACK様からは疑問をご提示いただきありがとうございます。

○剛堂は僧俗和合の時代より、都内においては(都内だけではないかもしれませんが)、日蓮正宗の末寺の近くに建てられているケースがあります。現在は、宗門との攻防の砦とされていることもありますので、○剛堂が潰れてしまうということはあってはならないーそういった背景もあることも理解はできます。

しかし、ある特定の業者が会館内に入り、多数訪れる会合に狙いを定めて、販売用のチラシを配布する。会館内に入った際に、SとGが対応しているはずですが、対応から察するに会館職員ないしは総区単位でゴーサインを出しているものと思われます。

外郭団体もスリム化を行われている中で、信仰に必要な仏具を特定の業者に販路拡大のために会合を利用することはあってはならないと私は思います。
学会の一部権力者(上位役職者)と○剛堂の癒着も起こりうるからです。
細かな所ですが、学会員は、金銭に関してこと「広布のため」という一点になると、お金に疎くなるところがあります。
「払って当然」という感覚は、こうした所から綻びが出ると私は危惧を抱かざるを得ません。
 

そういえば

 投稿者:はげ  投稿日:2016年 9月12日(月)12時37分56秒
  秋谷さんは全国を「ぜんごく」と言っていましたね。深い意味でもあったのでしょうか?

九州方面幹部は、九州大学卒で固められていますね。
 総九州長 山本武、九州総合長 田村隆夫、九州長 新名浩司。
 今回総福岡長も九大卒の早田氏が任命されました。九州副書記長(だった?)に以前この板で話題になった由元氏も。総福岡長前任の砂原氏は創価大卒。北九州総県には創価大卒の梅村氏もいますね。九大閥で固めて創価大卒外し?
 もう一人九大卒の山本恵一さんだったか恵二さんだったか?はどうしてるのでしょう?
 

歴史に学ぼう

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月12日(月)12時23分2秒
  残念ながら、現在の創価学会は「信心」の団体ではなく、「パワーバランス」の団体になってしまったと思わざるをえない。

すなわち、自分に従う者には報奨を、逆らう者には降格をといった図式が見えすぎる。

かつて教学部の一員だった方が、今ではSGI教学部長。
一通訳が通訳翻訳部長。

政教誌上では、よく人事の記事があるが、では今までの方はどうなったのか? また、前任はどうだったか?

疑問に感じる今日此の頃である。


残念ながら、原田怪鳥は「信心」ではなく、「力」が頼りの独裁者になってしまったと思わざるをえない。
昨今の昇格人事、降格人事もその一端であろうと考える。

しかし、独裁者の内側にあるのは、結局のところ「猜疑心」であることは、歴史が証明している。

スターリンの側近で、粛清を繰り返した者(名前は失念)は結局、粛清された。

原田独裁政権で、すり寄っていく者は、はじめは重宝されるだろうが、最終的には、独裁者の
猜疑心により、降格、処分される事を知るべきであろうと考える。
 

カンピース様

 投稿者:宝冠  投稿日:2016年 9月12日(月)11時26分31秒
編集済
  教学部 3人中2人は粛清
1人だけ残り、大抜擢
東大卒、師匠は池田先生と絶対言わない不思議な森中さんが浮かびます

師匠を裏切り、同志を裏切り、自身の出世の為、魂も売っていく
そんな人ばかりが幹部では学会は終わります

原田会長の周りはそんな人ばかりになっているのでは?
そんな人でなければ、生き残れなくなっているのでしょうか?

1人も残らず幸福に
これが池田先生始め代々会長の精神
その精神を無くした人がリーダーになると、どうなってしまうのか?
まざまざと見せつけられています
そして、東大卒はダメだ
結局、自己中
自分さえ良ければいいという考えから抜け出せない

やはり5年任期、再選なしは大事です
長くやると会長たりといえどもわがままになる
結果、こうなる

多選は廃止するべきです

真実様
同意ありがとうございます

根拠があって、3年前の写真ではないか?と推測しています

おそらく、真実様も同じ理由でしょう
あえて黙っています



 

「法匪」の言に速攻で反応(笑)

 投稿者:佐武 誠  投稿日:2016年 9月12日(月)11時17分13秒
編集済
  信濃町の人びと様

こんにちわ。レスありがとうございます。

>男子部最高幹部とバックにいる葬儀社一味とは
ズバリ、竹岡父と北林、法匪八尋のことですw


↑信濃町の人びとさんが、あまりにもズバリ指摘するものだから、
今日の「日記」で早速反応してますな。可愛げはありますな(苦笑)

 

一人のSGIさんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 9月12日(月)10時09分5秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/56093

このURLをクリックしてみてください。
コメントの下部に【この記事を編集する】のボタンがありませんか?
あればそのボタンをクリックすることで修正することができますよ。

ちなみに、コメントのタイトル部分をクリックすることで、そのコメントひとつのみを表示する掲示板のシステムになっています。
その画面で【この記事を編集する】のボタンがあればクリックして修正できます。

もし無い場合には、URLのみで順番の一覧にしたコメントを新たにされればいいのではないでしょうか。
管理人さんはコメントを削除できても、文面の編集はコメント本人でないとできないんじゃないかとf^^;

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

師弟不二アーアイブより 【問答無用 対話なき処分】 【21】【22】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年 9月12日(月)09時58分12秒
  陽光様の問答無用 対話なき処分をお送りしています。
(シリーズの21、22を抜粋)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◆問答無用 対話なき処分 21


学会を何としても本来の清浄な組織にしなければならない。仏法を正しく広めるのは、仏意仏勅の大聖人のご遺言なのだ。そのために三代の会長がこの世に現れたのだ。

戸田先生が言われた「敵は内部だよ」との言葉が今はよく理解できる。

これは三類の強敵の中、僭聖増上慢が権力を持って現れたのである。そして、池田先生はすべてを弟子に託された。

先生は膨大な指導を残されている。それを私達は忠実に実行して行けばいいのだ。今現在、私は健康で生きている。そして、遠離塔寺の難の処分を受けた。

権力を持った僭聖増上慢が現れ、人類の平和を乱そうとしている。現在の組織は権威主義・官僚主義・組織主義に陥って、相当に行き詰まっている。腐敗・堕落している。

その時に、この蘇生の戦いに参加できることは、大いなる喜びと福運、そして名誉なのだ。3000年に一度咲く優曇華の花の如く、仏法史上最高の「時」に巡り合ったのだ。

2015年11月4日に第一回アピールを・・・メールした。
そのメールで私が受け取った処分の内容は会則第64条は全く私には当てはまらない旨を主張した。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=9986

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◆問答無用 対話なき処分 22

新理事長およびフロリダの幹部からも何の返事もなかった。12月1日付で再度同じ文面の二回目のアピールを新理事長およびローカルの各幹部に送信した。

新理事長を始めローカルの幹部達も「遠藤文書」「教学部レポート」が何であるか全く理解していないので、両書の要約を翻訳した。また、日本宗教学会で講演した宮田教授のスピーチの一部を付け加えた。彼らは何も分からずに上からの命令だけで動いているので内容を把握して欲しかった。

2016年1月1日(元旦)の日付で、第三のアピールを送った。

1991年10月17日に行われた関西幹部会での先生のスピーチ(池田大作全集79巻)の一部を翻訳して送った。「権威主義に陥った者は対話なく人を処罰する」という内容のものである。


幹部を見て来て感じていることであるが、幹部はまず反省することがない。間違ったことをしても心から謝る事はない。

また、不味い事が起こると、説明はしない。対話もない。・・・ダンマリを決め込んでしまう。このような思想や振る舞いが広宣流布したらとんでもないことになる。

組織から処分されるという事は村八分になるということである。学会内で私のあることないこと噂をばら撒き、評判を落とす・・・同じ言動を何度も繰り返すのである。ご苦労な事ではある。

質問があれば私を会合に呼んで詰問すれば良い事なのだ。

陰でコソコソとコマ鼠の如く動き回り、メンバーにコソコソと伝える。実に陰険なやり方そのものなのだ。
これらの行為は・・・十四誹謗・・・仏子の悪口を言いふらすことは怨嫉になるのだ。処分された者は十四誹謗にはあたらないとでも思っているのだろうか。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=9988
 

宝冠さん。同じく大誓堂落成前の時ではないかと思う!

 投稿者:真実  投稿日:2016年 9月12日(月)08時53分51秒
  ウマク切り取ってゴマかそうとしたのかねw


>>
DVDの最後に原田会長と婦人部幹部が先生、奥様と一緒に勤行している写真が出ました

その写真には笠貫女史も写っています
まさか、その写真で、先生、奥様に南米訪問の報告をしたと思わせようとしているわけではないですよね?

あの写真は大誓堂が出来て、先生、奥様が初めて行かれた時の写真だと推測します

DVDの他の画像はいつのものか?
年月日が記載されていました
最後の写真だけ、何故か、年月日が記載されていませんでした

おそらく、3年前の写真
青年幹で、何故か婦人部と一緒の写真を最後に流す

南米訪問の報告をしたのか?との声が上がっているので、古い写真ー
原田会長、笠貫女史が同席している写真を持ちだし、報告しているかのように見せているのではないか?と邪推しています
今だに聖教には記載がないのはなぜですか?
<<
 

本部幹部会

 投稿者:misfitメール  投稿日:2016年 9月12日(月)08時33分24秒
  余り行く気のしない本幹衛星放送に行き、池田先生の感動的なスピーチに改めて青年時代の決意を思い出しました。
しかし、その後の原田会長の指導とはとても言えない「三変土田」をさんぺんどてん発言に組織は頭から腐るとの牧口先生の言葉を思い出しました。
魔に完全に乗っ取られたような相に恐怖を感じます。
帰宅して一時間しっかりご本尊の前で祈りました。
 

管理人様

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2016年 9月12日(月)08時04分38秒
  すみません。
先に投稿した「三諦と三身についての考察 1/ 」のナンバーがきちんと打たれてないのに
投稿になってしまいました。
最初のは 1/7  2番目のは 2/7です。
もし、管理人様の方で訂正できるのでしたら、よろしくお願いします。
お手数おかけします。
 

三諦と三身についての考察 3/7

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2016年 9月12日(月)07時55分16秒
  <円融の三諦>
一つの生命において「空」と「仮」と「中」の三つが、ばらばらという事はありえません。
「中」という「法(実相)」は、「空」と「仮」という個々の生命(諸法)の外には存在しません。

法華経の智慧 第八回 「諸法実相の心」


名誉会長:大切なことは、たとえば地獄界なら地獄界の衆生も、自己の真実の姿(実相)、

     すなわち“汝自身”を知れば、実は輝かしい宇宙生命と一体であるということです。
     しかも、その宇宙生命は、ほかならぬ地獄界という自身の現実に即して開顕する以外にない。
     「実相」という永遠の生命世界は、いつ、どこにあるか。「いま」「ここに」ある。

     それを悟れば仏、悟らなければ九界です。ゆえに、菩薩界が仏界に近いのでもなければ、

     地獄界が仏界から遠いのでもない。平等に、自己に即して仏界を開くことができるのです。

     「個々の生命(諸法)」は即「宇宙生命(実相)」である。しかも「宇宙生命(実相)」

     と言っても「個々の生命(諸法)」を離れては存在しないのです。
     こういう「諸法実相の生命の世界」を、大聖人は、こう表現されています。
     「心すなはち大地・大地 即 草木なり」(御書 p1597)、白米一俵御書)と。

     「心」は宇宙生命と言ってよいでしょう。
     法華経以前の経典では、まだ哲学が浅いゆえに、“心(宇宙生命)から万法(個々の生命)

     が出生する”等と説いた。心は大地のごとく、万法は草木のごとしと。心と万法が別々です。
     しかし法華経は、そうではない。心がすなわち大地であり、大地はすなわち草木である。

     実相と諸法は一体である。分けられない。月も花も、ひとつひとつが、宇宙生命の全体

     と一つである。
     「月こそ心よ・花こそ心よ」(御書 p1597)です。

斉藤:  多くの哲学が「現象の奥に」真理を見ようとしたり、「現実の根底」

     に根源の一者を立てたりしました。しかし、法華経は、そうではないのですね。
     この白米一俵御書には「まことの・みちは世間の事法にて候](御書 p1597)との有名な

     御言葉があります。「世間の事法」という現実(諸法)に即してこそ、「まことの道」

     すなわち実相の智慧は発揮されるわけですね。

遠藤: 法華経法師功徳品(第十九章)では、法華経を受持する人に六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)

    が清浄になる功徳があると説きます。その中の意根の功徳をこう説いています(法華経 p561)。
    ?-法華経を受持する人が説くことは、すべて実相に背かない。世間の書物や、治世の言葉や、

    経済の営みについて説いても、みな正法に適っている。
    これを受けて天台は「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」と述べています。

名誉会長:法華経の偉大な功徳です。また、法華経を信ずる人のあるべき姿です。法華経を信ずる人は、

    善は善、悪は悪として、正しいことを説かなければなりません。それでこそ「実相と相違背せじ」

    となる。

遠藤: 次元は違うかもしれませんが、中国の古典に「一葉落知天下秋(一葉落ちて天下の秋を知る)」

   (唐庚『文録』)とあります。
    「一葉が落ちる」姿を見て、「秋」の到来を知ることができる。あえて諸法実相に置き換えれば、

   「一葉が落ちる」姿は諸法、「秋」は実相でしょうか。

名誉会長:見えない「秋(実相)」は、見える「一葉(諸法)」に自分を映し出すのです。

    諸法は実相の顕れです。また諸法に顕れない実相はありません。


 

フク会長より上の人間

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 9月12日(月)07時53分54秒
  について、昨夜以来、はて? と考えている。


坂上たち夫婦が折伏していない事は、育てた先輩の方々がそういうのだから事実だと思っている。
こんな投稿では手ぬるい。名指しで書いてやれ、と、私は言われたのだ。


ショクインとやらは、浄財から給料をもらい、生活しているはずだが、
折伏は、やってきたんだろうか?
かけ声かける立場で、現在進行形で、やっているんだろうか?
疑問が消えない。

遠い昔の武勇伝(それも、わずかに記録されているのみで、相手は退転していたりね)だけで、
または、他人の折伏成果を自分の名前に書き換えたり(私も3世帯やられたから事実だ)して、
成果を出してきたと、威張っているのではあるまい?

折伏といっても、組織へのかけ声だけになっているのが、真実なのだろうか?

そして、新聞啓蒙も同様なのだが、折伏の「成果の数字」を本部に出せば事足れりという、
お寒い内情が真実ではないのだろうか?

その辺を、「明瞭な状況報告」をもって、公開するべきではないのか?

とにかく、我々には、上の方がやっていることが見えない。

はらだーは、あの、1年前の「一兵卒」宣言といい、折伏の進展報告といい、
あれから何もないのは、どうなっているのか、知りたがっている会員は実に多い。

このモヤモヤした、霧が晴れないうちは、もう、幹部が何を言っても、何を号令かけても、
「まただ。勝手に言ってろ!」と
組織の中の白けた空気と、会員に幹部が横目で白眼視される状態は、深刻さを増すだろう。

当然である。

四人組は、54年当時、池田先生を辞任させた張本人とその一派である。
もともとが、大馬鹿者なのだ。
もともとが、世俗的な野心、権力欲、金への執着等で動く別次元の人間達だ。

池田先生がいらっしゃるのに、池田先生が悲しまれるような、嘆かれるようなことばかりしているタワケ者。
会員のハンドリングに長けることが最上とばかりに、それにはズルくアタマを使う。

このタワケ者達には「広宣流布」など、会員を動かす魔法のキーワードでしかないようだが。

今までもしてきたことを、より一層、「自分達色」でしているだけなのだが、
それにしても、査問・除名、こればかりは絶対に許してはならない。


 

三諦と三身についての考察 2/7

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2016年 9月12日(月)07時51分33秒
編集済
  <中 如是体>

仏法の目から見ると、宇宙に存在する全ての生命は法則に則って、秩序正しく生きています。
その法則とは、単に物理的な法則ではなく、生命の妙を演繹的に悟った仏の智慧によって明らかにされた、不変常住で
全ての生命に普遍的な真理です。
永遠の生命、因果の法則、生死不二、色心不二、依正不二、煩悩即菩提、、、つまるところ「一念三千」に集約します。
その「法」を中諦(如是体)といいます。草木から動物、宇宙に存在する全ての生命はこの「法」に則って、
永遠の生命を生きています。
(注;「法」といっても、諸法という場合の法は変化相であり空や仮を意味し、又、三諦全体、つまり生命全体も法で
あるのでそれを示す時もある)
この「法」自体は当然として完全無欠(円満)でありますから、堕落して、退歩することも、滞ることもありません。
又、逆に昇華したり、啓発や練磨する必要もありません。
すべての生命の奥深くにあって、それぞれの個の生命を崩れないように支えています。
生命というものは、この法によって、永遠に変化を続けながらも、因果が途切れる事も完全に他と混ざって個の特性を
失う事もありません。

<空 如是性>

もとより「法」は中立に存在しているので、現実の個々の差異は空諦(如是性)と仮諦(如是相)に現れます。
智慧や境涯の差、宿業など、目には見えないが確実にそれぞれの生命に差を与えている性分は空の性質を持っています。
空である、性分、性質、宿業などは一刻一刻変化しているという点で、固定して存在しているわけではないので
有るとも無いとも言えないが、それでいてしかも、個の生命を顕現しています。

<仮 如是相>

そしてその個々の持っている空諦(智慧や境涯の差、宿業や性分、性質)が、色(仮)心(空)不二として仮諦としての相(姿、形)に表れます。
その表れ出でた体を以て自分の宿業を生き、仏の智慧を開発し、悪業の宿命転換をするか、その逆かは本人の一念にかかっている。


この三つが私達が朝晩唱えている勤行の方便品第二の、諸法の十如是の内の最初の三つの「如是相、如是性、如是体)です。
つまり、人間だけではなく、全ての生命はこの三つの側面をもっており、その生命の内部に秘めているエネルギー(力)と又、環境と相互作用(作)を
しながら、瞬間瞬間、十界のいずれかの因果(因、縁、果、報)を創造しながら、生死生死と生きています。
こんなに簡単に書いていますが、実はとっても奥が深く「唯(ただ)仏と仏」だけしか理解できない、と書かれていますから、
私もより一層勉強しなくてはと思っています。
最終的にはこれも御本尊の事でもありますから。

舎利弗。取要言之。無量無辺。未曾有法。仏悉成就。止舎利弗。不須復説。所以者何。仏所成就。第一希有。難解之法。唯仏与仏。乃能究尽。
諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。

舎利弗、要(よう)を取って之を言わば、無量無辺未曾有(みぞうう)の法を、仏悉(ことごとく)く成就(じょうじゅ)したまえり。
止(や)みなん、舎利弗、須(すべか)らく復(また)説くべからず。
所以(ゆえん)は何(いか)ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解(だいいちけうなんげ)の法なり。
唯(ただ)仏と仏と乃(いま)し能(よ)く諸法の実相を究尽(くじん)したまえり。
所謂(いわゆる)諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。
 

三諦と三身についての考察 1/7

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2016年 9月12日(月)07時49分14秒
編集済
  「円融、円満(総)の、空(性)仮(相)中(体)の三諦(くう、け、ちゅうのさんたい)」 と
「三身即一身(さんじんそくいっしん)一身即三身の、法報応の三身(ほっ、ぽう、おうのさんじん)」について

考察してみました。
又、いろいろなご意見のある方はよろしくご意見されます様お願いいたします。


衆生に有る時には此れを三諦と云い仏果を成ずる時には此れを三身と云う一物の異名なり
   三世諸仏総勘文抄 p573

通解
 われわれの生命は、本来、空仮中の三諦を具備している。だが、仏果を成ずるときは、空諦はそのまま報身に、
    仮諦はそのまま応身に、
  また中諦はそのまま法身にと転ずるのである。


<空、仮、中の三諦>

まず空、仮、中の三諦とは、生命の三つの側面を説明しています。
浅い例えではありますが、それでも例えていえば、中が空洞の円柱があったとしますと、その円柱を、
上から見れば円く、横から見れば長方形で、中をみてみれば空洞だという様なもので、
しかもそのすべてがその円柱の一部を表しているようなものです。

又、戸田先生は次の様に、分かりやすく説明されています。

空仮中の三諦などというと、ちょっとわからないでしょうが、これは空諦、中諦、仮諦と、仏法哲学において、この世の中の実相が
どういうものか、われわれの命がどういうものであるか、ということを考える考え方を根幹として、「空仮中の三諦」というのが
あるのです。これは、天台大師の師匠である南岳(なんがく)大師が考えだした哲理なのです。
このなかで、私がこうして生きているのは、仮の実体です。私はこのままかといってもそうはいかないでしょう。
もう十年もたって、私がもし生きて六十七歳にもなったら「先生、ずいぶん変わりましたね」ということになるでしょう。
しかしこれだって、私は二十歳のころは美男子だったのです。そしたらその美男子と、いまのように美男子でないのと、
どちらがほんとうなのか、それはどちらもほんとうです。
ですから仮の実体というのです。いまのは仮の実体としか見えません。これを仮諦といいます。
空諦とは、あるといえばある、ないといえばない、こういうところのものを有無にかかわらず、真の実在をば空諦というのです。
私の生命も空諦です。おまえはおじいさんの時があるといえば、それはいまはないでしょう。
たしかにおじいさんではない、私は青年です。しかしおまえは赤ん坊の時はなかったかといえばなかったのではない、あったのです。
そうなると生命は空であります。
それであって戸田城聖は中道法相(ちゅうどうほっそう)、戸田城聖は厳然として永遠にそなわっている、これが中諦であります。




 

宝冠様

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月12日(月)07時40分35秒
  おそらく、国際部通訳翻訳部長に昇進?したのであれば、昇給もし、本人も名誉を手に入れる。

その昇給した分が「口止め料」なのではないでしょうか。

その方が誰かは存じませんが、是非、真実を明らかにしてもらいたいものデス。
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 9月12日(月)07時26分59秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-8-1 【青年部代表研修会】

■ 一、青年部代表研修会の開催、おめでとう!(大拍手)
 いよいよ8月8日から、北京オリンピックが開幕する。
 うれしいことに、わが創価の青年も、日本の代表として、多くの競技に出場することが決まっている。
 全員で、大健闘を祈り、大声援を贈りたい(大拍手)。
 〈男子棒高跳びの澤野大地選手、男子サッカーの森本貴幸選手をはじめ、男女の代表選手の活躍に大きな期待が寄せられている〉
 今回、ブラジルの女子部であるホザンジェラ・コンセイソンさんも、女子レスリング(72キロ級)でオリンピックに出場する。
 さらに先ほど、イタリア男子部の本部長であるジリ・ヴルチェクさんが、レガッタ(ボート競技)で、オリンピック出場が決定したとの朗報が届いた。
 今、日本で世界で、わが青年部の活躍と貢献が光っている。スポーツ界にも、新たな人材の流れが大きく広がってきており、私は本当にうれしい。
 今回の五輪出場も、それを勝ち取るまでには、どれほどの努力があったことか。厳しい練習に耐えてきたことか。身を切るような辛い試練を乗り越えてきたことか。
 その目には見えない、地道な陰の労苦をこそ、私は讃えたい。
 その挑戦の心、負けない心に、青春の「勝利の栄冠」は燦然と輝くのだ(大拍手)。
 〈イタリア代表のジリ・ヴルチェクさんは「私の目標は勝利すること、池田先生のお心に少しでも近づくこと、広宣流布に、この身を捧げることです」と決意を語っている〉

● 希望の祭典に!
 一、本年9月、私が「日中国交正常化提言」を行ってから40年の節目を迎える。
 〈1968年(昭和43年)9月8日、1万数千の青年を前に名誉会長は日中の国交正常化を提言。当時まだ両国関係が険悪だったなか、勇気をもって行われた提言は、「百万の味方を得た」(日中友好の草分けの政治家・松村謙三氏)、"池田会長の友好への提唱が、うれしい"(周恩来(しゅうおんらい)総理)など国内外に反響を広げ、4年後の日中国交正常化を大きく推進した〉
 日中友好は牧口先生、戸田先生の願いでもあった。私も一民間人の立場ではあるが、一つ一つ可能なかぎり、手を打ってきたつもりだ。
 批判や中傷の連続であった。しかし、日中友好を推進してきたことの正しさは歴史が証明している(大拍手)。
 「平和の祭典」である五輪の中国開催についても、私は、アジアと世界の友好にとって深い意義があると思い、中国の首脳と語らいを重ねてきた。
 〈名誉会長は、中国での五輪開催を展望していた周総理の心を心として、1990年に李鵬首相と五輪開催について語り合う。開催決定後も中国人民対外友好協会の陳昊蘇(ちんこうそ)会長、中日友好協会の宋健(そうけん)会長、歴代の駐日大使らと語らいを。昨春の温家宝(おんかほう)総理、今春の胡錦濤(こきんとう)国家主席との会見でも話題となり、胡主席からは、名誉会長の北京五輪への支持に対して、深い感謝の言葉が伝えられている〉
 また、先の四川大地震の被災者の皆様方に重ねてお見舞いを申し上げ、北京五輪が復興への「希望の祭典」となることを心からお祈り申し上げます。
 一、もう一つ、五輪に関して、創価の青年の活躍を栢介したい。
 北京のメーンスタジアムをはじめ、各会場に映像・音響設備を提供するプロジェクトを推進している一人は、創価学園・創価大学出身のメンバーである
(大拍手)。
 〈関西創価高校16期生の千原陽一郎さん〉
 一、今、若き門下生たちが、師弟の無限の力を発揮して、世界の大舞台に躍り出ている。頼もしいかぎりだ。
 人類貢献の人材をさらに育成しながら、「青年の世紀」「人材の世紀」を力強くリードしてまいりたい(大拍手)。

● 恩師の師子吼
 一、きょうは青年の皆さんに私の青春時代のことを語らせていただきたい。
 恩師と二人して築いた、師弟の真実の精神を、後継の青年部に託しておきたいのだ。
 昭和26年(1951年)5月3日。
 恩師の戸田先生は、第2代会長に就任され、生涯の願業として「75万世帯の達成」を師子吼された。
 私の青春時代の夢。、それは、戸田先生の「75万世帯達成」という夢を実現すること、ただ、それだけであった。私は走った。
 昭和27年、蒲田支部の2月闘争。
 昭和28年、男子部の第1部隊の拡大。
 同じく昭和28年、文京支部の大前進。
 当時、文京の折伏成果は低迷していた。
 戸田先生の懐刀として文京に派遣された私、1年を待たずに文京を第1級の支部へと発展させたのである。
 戸田先生は厳しく言われた。
 「広宣流布のために、いかなる戦いも断じて勝ち取れ! 何をおいても絶対に勝つのだ」──これが、仏法の指導者の強い決意でなくてはならない。

● 皆を勝たせたい
 一、昭和30年(1955年)4月、民衆のための政治を願い、学会として初めて支援活動を行った統一地方選挙。
 27歳の私は、東京の大田区(都議選)と神奈川の鶴見区(市議選)を坦当した。
 "皆を勝たせたい"──当時の日記に、私は記した。「負ければ、本人も、家族も、応援した多数の人々が悲しむ。可哀想だ。負ける戦は、させてはならぬ」と。
 「勝つ」ために、私個人のことは一切、犠牲にした。
 結果は、大田も、鶴見も、見事にトップ当選!──信頼する同志は歓喜に沸き返り、戸田先生も拍手喝采して喜んでくださったことが、私は、本当にうれしかった。

 ◆札幌夏の陣"事前の準備"に全力
 ◆スタートダッシュで決まる

 一、昭和30年8月には、「札幌・夏の陣」に挑んだ。
 戸田先生の命を受け、札幌の夏季折伏の主将として、真夏の10日間の短期決戦で、「388世帯」という日本一の折伏を成し遂げたのである。
 当時は、北海道に行くのも列車であった。
 上野駅を午前10時前に出発。青函連絡船を乗り継ぎ、札幌駅に着いたのは、翌日の午前11時過ぎ──。
 駅で迎えてくれた札幌の同志に、私は笑顔で語りかけた。
 「戦いは勝ったよ!」と。
 いかなる戦いも「事前の準備」が大事だ。
 短期決戦であれば、なおさらである。
 私は、約1カ月前に主将に任命されてから、札幌の責任者と手紙などで綿密に連絡を取り合い、下種の拡大、会合の計画などを完璧に進めていた。
 準備は万端。スタート・ダッシュも鮮やかに決まった。北海道の同志と私は、勝つべくして勝ったのだ。

 一、戸田先生は、御義口伝の「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790ページ)を拝されて、次のように指導された。
 「この御書は、絶対に命に刻んでおけ。学会の闘士は、この一節を忘れるな!」と。
 わが一念に計り知れない辛労を尽くすのだ。題目をあげてあげ抜いていくのだ。師の心をわが心として、死にものぐるいで、広布に行動していくのだ。
 そうすれば、だれ人であろうとも、無敵の「仏の生命」を厳然と涌現できるのだ。「師弟不二」の、わが心の力こそ、最強の武器なのである。

● 夕張の天地で
 一、北海道といえば、昭和32年に起こった「夕張炭労事件」にも、一言、言及しておきたい。
 北海道の夕張の地で、当時、絶大な勢力を誇っていた炭労が、組合員である学会員を不当に弾圧する事件が勃発したのである。
 "信心をやめないとクビにするぞ!"──信仰ゆえの学会員へのいじめが陰険に繰り返された。
 「泣く子も黙る炭労」とまでいわれた時代だ。
 戸田先生にお願いして、私は急遽、北海道へ飛んだ。
 そして、勇敢なる青年たちとともに「信教の自由」を護りゆく正義の雄叫びを轟かせたのである。

■ 一、戸田先生は、いつも、一番大変なとこに私を行かせた。
 経験豊かな幹部は大勢いたが、しかし、先生は私を指名した。
 「大作、頼む!」
 「大作、行け!」と。
 一番、大事なのは青年である。
 こうした先生と私の関係を快く思わず、"何とか失敗させてやろう"という意地悪な先輩幹部もいたが、私は、師匠のため、同志とともに悠然と聡明に戦った。
 勝負は、臆病では勝てない。労を惜しんでは勝てない。
 私は、命をかけていた。肺病だった。壮絶な二十代の闘争であった。毎日、本当に疲れていた。
 戸田先生は「これでは大作は三十歳まで生きられない」「大作が死んだら、どうするのだ」と慟哭された。
 それほどに私は、師匠に仕えた。学会をつくってきた。

 一、ともかく、私は勝った。
 一切は、魔との戦い、天魔との戦いなのだ──これが広宣流布である。
 だれも頼れる人はいなかった。しかし、私は戦い切って、勝った。「師弟不二」の心で勝ち抜いてきたのである(大拍手)。

■ 人生に必要なものは、勇気だ。
 勇気のない人間は、慈悲がない。本当の喜びもない。卑怯になる。
 仏法者の真髄も、勇気なのである。
 私自身、若き日から勇気を胸に、すべてを勝ち越えてきた。
 あれは、昭和28年(53年)のことである。
 東京の福生(ふっさ)で、学会員の御本尊が、他宗によって、たびたび強奪されるという事件が起こった。
 青年部の私が、相手と直談判し、厳しく糾弾した。それ以降、こうした動きはなくなっていったのである。
 大切な同志が、不当にも、いじめられたならば、ただちに反撃した。徹底して戦った。
 まず、自分が「行動」を起こすのだ。
 「勇気」の二字で!
 「誠実」の二字で!
 心すべきは、これだけだ。
 青年部、頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉

● 結果を勝ち取れ
 一、使命ある若き指導者の皆さんに、恩師の言葉を贈りたい。
 戸田先生は、厳として叫ばれた。
 「まず自分自身が変わることだ。絶対に人を頼るな! 自分自身が戦え!」
 これが根本だ。
 私自身、「師匠のために何をしたか」──この一点を、わが心に問うて、戦ってきた。
 将来も同じだ。真の功労のない人間が上に立てば、そこから崩れていってしまう。
 ゆえに私は、人材を見極めている。どう学会を発展させるか、その方途を考えている。
 私は真剣だ。少しでも判断を聞違えれば、大変であるからだ。
 さらに、戸田先生は強く言われた。
 「敵の動きを見ていなければ」戦いには勝てない。甘えや気取りを捨てよ! 結果を勝ち取れ!」
 気取りがあったら、戦には負ける。
 「自分は偉いんだ」とか、「自分は人気がある」などと思い上がると、力は出ない。
 どんな立場になっても、心をピンと張り、きちっと自分を律して勝利していく。これが信心の力である。
 人はどうあれ、わが使命の仕事に徹していく。これが、新時代のリーダーに不可欠の要件といえよう。

● 悩んだ分だけ境涯は広がる
 一、スイスの思想家ヒルティは綴った。
 「苦難は人を強くする。歓楽(編集部注=ぜいたくな暮らし)は総じて弱くするのみ」(小池辰雄訳『ヒルティ著作集第4巻』白水社)
 仏法は「煩悩即菩提・生死即涅槃」を教え、「変毒為薬」と説く。
 悩んだ分だけ、境涯は大きくなるのだ。
 戸田先生のもとで、学会を再建してきた私は、痛烈なる人生であった。
 当時に比べれば、今は恵まれている。余裕綽々だ。それに甘えれば、弱くなる。
 血のにじむような苦闘を突き抜けなければ、真に偉大な指導者にはなれない。
 また、忠告する人がいないと、いい気になってしまうものだ。だから私は、核となる人間には厳しく言う。
 皆さんも、下から上へ、どんどん建設的な意見を出すことだ。

■ 「要」をつくれ
 一、私は、皆さんからいただく大切な報告に、一つ一つ、真剣に目を通し、大切にしている。すべてが、偉大なる世界広布の歴史であるからだ。
 きょうは、壮年・婦人部の代表の皆さんも参加されている。
 青年を支え、その成長を応援する地域は、未来へと伸びていく。
 とくに壮年は、若々しく生きるのだ。一人でツンとして、うれしいんだか、悲しいんだか、わからない。そんな指導者では、だれも、ついてこない。
 花の女子部と婦人部を最大に大事にしていくのだ。これほど心強い方々はいない。
 リーダーが、友の奮闘に深く感謝し、大誠実を尽くしてこそ、皆も奮い立つ。
 そして、「要」となる人材を、がっちりとつくりゆくことだ。
 壮大な広布のロマンを語り、学会歌を高らかに歌いながら、皆で仲良く、愉快に、新しい学会を築いてまいりたい(大拍手)。

■ 「大作を育てたから安心だ」
 一、先生が、心から信頼し、すべてを託した弟子は私一人であった。
 先生と私は、本当に師弟不二だった。親子以上の関係だった。
 私は先生に尽くし抜いた。広布のために死身弘法で戦い抜いた。
 それこそが「弟子の道」であることを、私は熟知していた。だからこそ、学会は、ここまで発展してきたのである。
 戸田先生は、「大作を育てたから、もう安心だ」と語っておられた。
 今、それほどの弟子がいるかどうか。
 立派な施設もある。会員も多い。学会は、堂々たる世界一の民衆の連帯となった。
 こうした中で、大きな苦労もしていない。広宣流布ゆえの中傷や迫害を受けたこともない──そんな人間が、学会の指導者になったら大変だ。
 だからこそ、青年部に頑張ってほしい。求めて大変なところへ飛び込んでほしい。
 労苦を避け、自分は楽をするような、ずるい人間には絶対になってはならない。
 多くの先輩を乗り越え、立派な指導者へと育ってもらいたい。

● 胸中の師匠と対話しながら
 一、昭和32年(1957年)12月、戸田先生の願業であった75万世帯の折伏は成就された。そして翌年の昭和33年4月2日、先生は安祥として霊山へ旅立たれた。
 その翌日の本部幹部会で、私は全青年部を代表して師子吼した。
 "師恩に報いる道は、ただ一つ。戸田先生が命をかけて戦われた広宣流布に邁進する以外にない"
 そして、1カ月後の本部総会で、「七つの鐘」の構想を発表した。愛する学会の同志に、未来への希望と前進の力を送りたかったのである。
 〈「七つの鐘」構想は、学会が創立(昭和5年)以来、7年ごとに"節"を刻み、発展してきたことから、7年を「一つの鐘」の期間として、広宣流布の歩みと構想を示したもの。七つの鐘が鳴り終わる昭和54年までの前進の展望を示した〉
 ともあれ、私は、戸田先生が逝去の直前に言われた「300万世帯」の弘教の達成をはじめ、先生の遺命は、ことごとく実現した。
 常に胸中の先生と対話をしながら、師とともに進んできた。
 先生が亡くなられて今年で50年。私は、真実の弟子として、すべてに勝利したと申し上げたい(大拍手)。

●「世間にへつらい正義を曲げた」
 一、日蓮大聖人が入滅された後、高弟であった六老僧のうち、日興上人以外の五老僧は皆、大聖人の教えに違背した。
 日興上人は、五老僧の一人で、身延離山の原因をつくった日向の本性について、次のように喝破されている。
 「世間的欲望が強くて、世間にへつらい、正義を曲げた僧で、大聖人の御法門を世に立てることなど思いもよらず、大いに破る者である」(編年体御書1732ページ、通解)
 世間からほめられたい。認められたい。そうした名聞名利を求める心のゆえに、五老僧は、大聖人の正法正義をねじ曲げてしまったのである。
 これまでの学会の反逆者の多くも、同様であった。
 また日興上人は、「『師を捨ててはいけない』という法門を立てながら、たちまちに本師(大聖人)を捨て奉ることは、およそ世間の人々の非難に対しても、言い逃れのしようがないと思われる」(同1729ページ、通解)と述べ、師に違背した者たちを厳しく指弾しておられる。
 仏法の「師弟の道」は厳しい。しかし、真実の師弟に生き抜く人生は幸福である。皆様は、創価の「師弟の道」を、まっすぐに歩み抜いていただきたい。
 「富士一跡門徒存知(ふじいっせきもんとぞんち)の事」には、「日蓮大聖人の例にちなみ、日興が6人の弟子を定めた」「この6人は和合して、異議があってはならないことを協議し、決定した」(御書1603ページ、通解)と記されている。
 〈日興上人は大聖入滅後16年目の永仁(えいにん)6年(1298年)に6人の高弟(本六)を定められた。さらに入滅前年の元弘(げんこう)2年(1332年)に新たに6人の高弟(新六)を定められた)
 広宣流布のために、弟子が一致団結できるかどうか。師匠の教えのままに、生き抜けるかどうか。

● 未来を頼む!
 一、ともあれ、若き皆さんは、晴れ晴れとした、師子王のごとき人生を歩んでいただきたい。
 ヤキモチの人生や、嫉妬の人生もある。
 また、暗い暗い、思案のみの人生、悪口雑言だけを言っている人生。人を陥れようとする悪意の人生、泥沼の人生もある。
 一方で、人を賞讃する人生、人をまとめていく人生。人に誠実に接し、幸福へ導く、誉れの人生がある。
 勝利、勝利の人生がある。
 人間の世界には、さまざまな人生がある。
 仏法は、この人生の正しいあり方を説いている。
 信心によって、私たちは、最高に価値ある人生を生きていくことができる。
 それが仏法の偉大さの証明なのだ。
 戸田先生は強く語られた。
 「これからは、青年部の諸君が、世界に向かって、まことの信心の力を示す時である」
 私は、この言葉の通り、全世界に大聖人の仏法と創価の師弟の真実を宣揚してきた。
 今度は皆さんの番である。
 「青年部よ、未来を頼む!」と重ねて申し上げたい(大拍手)。

● 師弟の道を歩む「負けない人」に
 一、8月は、戸田先生と私が出会った月である。
 牧口先生とともに軍部政府に抵抗し、投獄された戸田先生は、決して負けない「不撓不屈の人」であった。
 戸田先生は、偉大な師匠を護り、牢獄までお供された。牧口先生は獄死された。
 そして、生きて出獄された戸田先生は、牧口先生を讃えて、「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」と深く感謝されたのである。
 私は、先生のこの言葉を知ったとき、「すごい師弟だ」と感動した。そして先生の弟子として、すべてをなげうって戦う覚悟を決めた。
 この師弟の歴史が、創価学会の歴史の根本である。
 私は、ともに戦う、すべての同志に贈りたい。
 「立ち上がれ
 正義のために
 広布のために
 そして
 自分自身の幸福のために
 自分自身の勝利のために」と(大拍手)。

■ 臆病者では、戦にならない。「勇敢な信心」こそ、兵法の究極なのである。
 戸田先生は、少しばかりの非難中傷で退転してしまう人に対して、「そんな意気地なしは、学会にいてもらう必要はない。臆病者は邪魔になる!」と厳しくおっしゃった。
 また、「学会と生死を共にする者だけが真実の同志だ」と言われたこともある。
 この信念で生き抜いた師弟の闘争によって、今日の学会はつくられたのだ。

● 「害を除くのは急かねばならぬ」
 一、中国革命の父・孫文(そんぶん)は、国を衰亡させる愚行を呵責(かしゃく)し、「害を除くのはとくに急がなければならぬ(伊藤秀一訳「心理建設」、『孫文選集第2巻』所収、社会思想社)と訴えた。
 戸田先生も、まったく同じ思いであった。
 悪は早く見抜け!悪は早く追い出せ!──と。
 絶対に「後回し」にしてはならない。
 広宣流布を妨げる動きは、断じて排するのだ。隙を見せてはならない。
 悪が威張り、増長すればするほど、学会が行き詰まってしまうからだ。
 ウズベキスタンの大詩人ナワイーは巧みに綴っている。
 「毎日毎日、私利私欲の網ばかり編んでいる人は、最後には、自分が、その網にかかってしまうだろう」と。
 また、インドの非暴力の闘士ガンジーは「堅固さと勇敢さは、敵対者にも深い印象を与えないではいないものです」(田中敏雄訳注『南アフリカでのサッティヤーグラハの歴史2』平凡社)と述べている。
 諸君は生き生きと、民衆の中で光る大指導者になっていただきたい。強い信念をもって、堂々たる姿で、悠然と生き抜くのだ。

■ 一、長時間、ありがとう。役員の方々の真心の運営によって、そして婦人部の方々の強き祈りに包まれて、有意義な研修となっている。本当に感謝しています。
 厳しい暑さが続く。体にくれぐれも気をつけてください。
 皆さん、お元気で。勝利の人生を送ろう!(大拍手)

 

紙?

 投稿者:tesuto  投稿日:2016年 9月12日(月)06時38分34秒
  当時の紙は 和紙ですよね 貴重品です ですから 「スキカエシ」をして 再利用していますよね  

赤胴さんへ

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 9月12日(月)05時32分49秒
編集済
  >私が青年部の時50年前は、こんな疑問を徹夜で話し込んだものですが、今の青年部のため、螺髪さん お付き合い願いますか(投稿者:赤胴鈴之助   投稿日:2016年 9月12日(月)01時24分27秒 )<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56081

 いやですよ(笑い)、赤胴さんは博学だもの!

 小林正弘さんだったか、晩年の紙の供給の一端は富木常任氏が担っていたようであるとの記述がありましたが、これも確定ではありません。遊学資金も、托鉢もあったであろうし、清澄寺の師・道善房の支援、それに母・梅菊の工面というのは当然、考えられます。母の子を思う心は絶大ですから。

 どうですか、赤胴さんがまとめ上げてみるというのも、ひとつの方法です。赤胴さんならできるというのが私の印象です。こういうことは、いくら議論していても、始まらないし、終わらない。誰かが、調べるよりないのではないでしょうか。

 赤胴鈴之助の3番はこうでした。

 山は夕やけ 一番星は
 母によく似た きれいな瞳(ひとみ)
 つらいときにも 勇気を出して
 正しい事を やりとおす
 おう! がんばれ 強いぞ
 ぼくらの仲間 赤胴鈴之助

 参考本の著者の中にあった梅原猛氏も有名です。日経新聞だったか、連載記事なんかも切り取ったぐらいです。宮本武蔵の吉川英治氏も、かつてむさぼり読んだ超優秀な作家です。だが、二人ともどういうわけか、浄土宗です。方等部の教えは、こうした知識人の陥る“狭間”でもあるようです。

 新人間革命の「清新50」(いまのすぐ前の章です)にこうありました。

 「時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、“もう、何をしてもだめだ”との思いをいだき、“この苦しい現実からなんとか逃れたい”と考えてしまいがちなものだ。
 そして、今いる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。

 それは、鎌倉時代における、『西方浄土』を求める現実逃避、『他力本願』という自己努力の放棄などと、軌を一にするとはいえまいか。いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ、苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。
 つまり、人は、念仏的思考を生命の働きとして持っているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである=以下略=」

 「念仏的思考を生命の働きとして持っているからこそ」の「弱さ」という洞察に、とくに共感致しました。


 

忘恩の輩は何をするか?(3)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月12日(月)03時33分50秒
  そして、囚人番号9430号となってトゥーロンの徒刑場(造船所)に送られたジャンバル・ジャンに転機が訪れます。修理のために造船所に入港していた軍艦オリオンで作業中の水夫が帆先で逆さま宙吊りになり、身動きできない状態となった。周りの船員も水夫も誰も怖がって助けに行こうともしない。

その時である!以下はユゴーが書いている通り
『その時、突然山猫のような疾さで一人の男が船具をよじ登って行くのが見られた。その男は赤い着物を着ていた。徒刑囚である。緑の帽子をかぶっていた。無期徒刑囚である。樟櫓の上に達すると、一陣の風がその帽子を吹き飛ばして、白髪の頭がみられた。青年ではない。』

映画では、白髪になっていませんでしたが、小説では、裁判所に自ら出頭するか悩み苦しむうちに、髪の毛が白くなり、フォンテーヌを見舞った際に、看護師から指摘されていますね。一人の男(自分と誤解されて裁かれる者)の無実を証明するか、それとも何も言わずにマドレーヌ氏でこのまま生き抜くか?皆さんならどうします?創価村貴族なら間違いなく後者です。現世安穏・後生悪処(-_-)

さて、続きです。
『~彼はそこでちょっと力を回復されるために水夫を抱きとめ、それから小わきに抱え、帆桁の上を横木の所まで歩いてゆき、そこから更に樟櫓までいって、そこで彼を仲間の人々の手に渡した。
その時、群衆は喝采した。老看守のうちには涙を流す者もいた。女たちは、海岸の上で相抱いた。一種の感極まった興奮した声で、あの男を許してやれ!と異口同音に叫ぶのが聞こえた。そのうちにも、彼の方は、また労役に従事するために、義務として直ちにそこから降り始めた。早く下に着くために、彼は網具のうちを滑り降り、そこから下の帆桁の上を走り出した。人々の目は彼の後を追った。ところがある瞬間に、人々はハッと恐れた。疲れたのかまたは目が回ったのか、彼はちょっと躊躇しそしてよろめいたようだった。と突然、群衆は高い叫び声をあげた。囚人は海中に落ちたのである。』


ここまできて、あの映画のところに結びつきます。そして12月24日のクリスマス・イブの夜に、フォンテーヌに約束した通り、コゼットをテナルディエ夫婦の元から救出する事になります。あとは、 映画の通りですが、小説はかなり紆余曲折があります。ちゃんと読んでください。
 

大石小石さん

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 9月12日(月)03時23分34秒
  大石小石さん、私の投稿にコメントして頂いてありがとうございます。

>一部マニアックな連中に受けた<
私がこの一部の面白が大好き人間なんです。
状況証拠で一つの本を書くということは、すごいことだと思いますよ。
真実は一つ、大石小石さん、「最蓮房は日興ではない」という本を書いてくださいよ。

北林氏がどんな人か知りませんが、トンデモ我説は・・・わたしは受けたのですよ。
このことに対して佐藤氏は懇切丁寧に反論しているのですか。
「日蓮―われ日本の柱とならむ」 ですか・・・?? 普通のべたな題です。

私が気にしている本は、「日蓮の思想と生涯」の下巻が日蓮大聖人の修行時代・・・
御書に書かれていない時代にわたって考証されているのか・・・。
それを知りたいと思っています。

御書講義の本は池田先生の講義に尽きますから・・・。


日蓮の真実(小林正弘)、永遠のいのち(日蓮)(梅原 猛)題名だけで、引き付けます。
 

赤胴さん

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 9月12日(月)01時50分45秒
  ぜひ、この本もおすすめします。

日蓮―われ日本の柱とならむ (ミネルヴァ日本評伝選) 単行本 ? 2003/12
佐藤 弘夫  (著)

ここでも有名なあの北林が(笑)最蓮房は日興上人とのトンデモ我説?がごく一部マニアックな連中に受けたもので気をよくしたものの、誰も相手にしてもらうはずもなく、そのせいか(笑)やけに粘着気味で反論しています。

佐藤さんはもちろん相手にすらしていません。

そういう意味でも面白いですよ。
 

忘恩の輩は何をするか?(2)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月12日(月)01時46分8秒
  レ・ミゼラブルの続きです。
『マドレーヌ氏の結んだ糸目は乱れて切れてしまった。人々はその方法をごまかし、製品を粗悪にし、信用をなくした。販路はせばまり、注文は減少した。職工の賃金は低下し、工場は業をやめ、破産が到来した。もはや貧しき者らに対する助けもなくなってしまった。いっさいのものが消滅した。
国家の方でも、どこに何びとかがいなくなったのを感じてきた。重罪裁判所がマドレーヌ氏とジヤンバルジャンとは同一人であることを判定して徒刑場を肥してから、四年もたたないうちに、モントレイュ・シュール・メールの郡においては収税の費用が倍加した。そしてド・ヴィレール氏は、1827年2月にそのことを国会で述べている。』

この事件をジュールナル・ド・パリー紙ではこのように扱っているとユゴーは書いています。
『その悪漢は巧みに警察の目を逃れ、名前を変え、北部のある小都市で市長となるまでに成功した。彼はその都市にかなり顕著な一商業を興したのであった。しかし、検察官の不撓なる熱心のために、彼はついに仮面を剥がされて逮捕された。一人の醜業婦の妾があったが、彼が逮捕さるるとき驚きのあまり死んだ。~』

ほとんど、デタラメな新聞が出されていたとユゴーは書いています。妾とは、フォンテーヌの事です。なんか、聖教珍聞みたい?にならないよう(-_-)なかなか、読み応えがありますね。
 

螺髪さん 太ちゃんさん

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 9月12日(月)01時24分27秒
  太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編 さん、活動体験止まり(河合師範の講義) の投稿
ありがとうございます。
螺髪さん、コメントありがとうございます。

托鉢も比叡山に行くためには、なされていたことであろうことは、考えましたが、
御書に、托鉢のことが、書かれていませんが・・・。
旅をするのに、常に野宿ですか、雨も降りますけど・・・、
どこでも僧侶は無料で泊めてもらえたのですか。
書写するのに紙もいりますが、当時は貴重でした、安くはありません。

・・・・・・報恩抄講義録より
、第31章 清澄山 時代の 日蓮 大聖人
ここで、日蓮 大聖人が 幼少のころ、道善房を 師匠として 修学された 清澄時代の
ことを、若干のべてみよう。日蓮 大聖人は 承久の乱後、まだいくばくもたたぬ
 承久 4年(1222)2月16日、安房国 東条の郷、小湊の 漁家に御誕生になった、
父は 貫名重忠、母は 清原氏で 梅菊と申し上げた、御幼少のころから、ひじょうに
英邁 剛毅で あられたことが、じゅうぶんに うかがわれる、残念ながら 当時の
資料は、ほとんど 残っていない、しかし、日蓮 大聖人の 出家の 動機については、
御書を 拝すると、つぎのようなことが 考えられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
1、以上の文を読んで、「小湊の 漁家に御誕生」「父は 貫名重忠、母は 清原氏で
 梅菊と」と記されていますが、信じられますか・・・・?。私の御書では貫名重忠は
出ていませんが・・・。

2、10歳や12歳の子供をどうして、「ひじょうに 英邁 剛毅で」・・・なにをもって、
英邁と言えるのでしょうか、剛毅と言えるのでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・

まず、当時 盛んに 信ぜられていた 念仏を 唱える人が、みな 悪相を現じて 苦悶に
みちた 死に方をしていたことである、幸福に なるべき 仏法を 信じて、地獄に
 おちていくさまを 見て、ひじょうな 疑惑をもたれたことである、また 当時、日本に
仏教が 八宗、十宗とあるが、いずれが 真に 正しい 仏教であり、幸福になるべき
教えか という点にあった、さらに 承久の乱において、なにゆえに 朝廷方が 破れて、
三上皇が 島流しに あわれたかという 疑問もあられた。
かくして 日蓮 大聖人は、一刻も 早く これらの 疑念を一掃して 一切衆生を 救済
したいという 念願で、天福 元年(1233)5月、12歳の 御時に、出家を 志され 清澄山に
上って 習学、剃髪は 16歳であった、
・・・・・・・・・・・・・
3、「幸福に なるべき 仏法を 信じて、地獄に おちていくさまを 見て」とありますが・・・
・・・・・・・・・・・・
小湊の漁家の子供、12歳の少年が、そのようなことを考えたという、文証はあるのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・
私が青年部の時50年前は、こんな疑問を徹夜で話し込んだものですが、今の青年部のため、螺髪さん
お付き合い願いますか。
 

Re:【柳原氏の妄想1 】佐武 誠様

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月12日(月)00時49分22秒
編集済
  >>柳原氏は、波田地さんのことばかり云々して、
この男子部最高幹部や葬儀社についてはコメントは一切なし!<<

肝心な部分を触れずに誤魔化す姿勢。柳原氏がししゃり出てきた理由を暗黙に物語っています

なにしろ、大切なお仕事の依頼先です。(笑)
アンタッチャブルなのですから弁解も苦し紛れ。
元職3人の攻撃に特化しつつあり撃沈した模様です。

男子部最高幹部とバックにいる葬儀社一味とは
ズバリ、竹岡父と北林、法匪八尋のことですw

*********************
柳原氏の妄想1 ?投稿者:佐武 誠
?投稿日:2016年 9月 9日(金)08時21分25秒

http://6027.teacup.com/situation/bbs/55904


あの当時の男子部最高幹部で
「波田地さん、チョロチョロするな。そんなに手柄があげたいのか」なんて言いそうなのは、、
あの方しかいませんね(笑)

「俺に全部任せろ」と言った――ここが特に重要だと思います。
これで、勝てる裁判を負けたとしたら、当然、100%、あの方のせいでしょう。

柳原氏は、波田地さんのことばかり云々して、
この男子部最高幹部や葬儀社についてはコメントは一切なし!

実際のところ、どう思っているんですかね?

~~~~~~
【柳原氏の妄想2 ?投稿者:佐武 誠】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/55905

**********************

八尋みのるさんの以下の投稿も関係性をよく物語っています。

【柳原が偽名で書いた本、浩ちゃんの手羽先ってどうよw ?投稿者:八尋みのる 】

http://6027.teacup.com/situation/bbs/55893
 

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