強姦(ごうかん)致傷容疑で逮捕、送検されていた高畑裕太氏が、9日午後、群馬警察前橋署から釈放された。
その釈放時の謝罪の様子が異常だと話題になっている。世間からも疑問の声が多々、挙がっているという。
その行動の一部始終を謝罪のプロ・心理分析のプロが徹底解説。
僕が感じていた違和感は、世間の方も感じていたようだ。また、専門家の意見ともおおむね一致していた。
人事コンサルタント 謝罪のプロ 増沢隆太氏
高畑氏「この度は皆さまに多大なるご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした!」
「謝罪時には、ちゃんと目をつぶって頭を下げている。この表情を見ると、ケンカをうろうとしていることではないのかもしれません。ただし、声の大きさと合わせて(30秒間のお辞儀は)普通じゃないことをしているなという印象ですね」
「異様に大きな声で、絶叫に近い。それと手の力と声が全部合わさると、怒っているのかなと、不満なんだろうなと、そんな印象になりますよね。」
「特に、最後、お詫びをしてから車に乗り込むとき、まだ周囲をにらむような視線を送っている。あれでは、周囲をいあつしているようにすらとらわれてしまいます。」
「謝罪をしたかどうかではなくて、謝罪がどういう風に伝わるかですから、これは伝わらないですよね」
「今回の件は、祐太さんだけではなくて、高畑家の問題だと思います。つまりお母さんです。お母さんへの影響を考えたら、こういう表現をすべきではなかった。私は0点に近いかなと思います。」
自分の非を認めるための謝罪であるはずが、それが伝わらないので、謝罪の意味がない。
心理分析のプロ 矢幡 洋氏
「自分の意思を持って謝罪をしていることはうかがえる。」
「直角謝罪時には、血管が浮き出るほど手にもすごい力が入っている。また、声が割れるくらいの怒鳴っているに等しい大声を出している。」
「これを観る限り、彼はどうも納得していない。実は、納得していない憤懣間を表現せざるをえなかったということだと思う。」
「腰を直角に曲げてのお辞儀30秒は姿勢としても苦しい。全体に、力んだところを見せることによって、自分は不満なんだけれど、この場としては謝罪の言葉を発するしかない。そのように見える」
「彼の目つきに関しては、彼が屈辱感を味わっていただろうと思います。屈辱感の反動で、挑戦的な態度が目線の鋭さに出てしまったんだと思う。」
「言葉とボディが表していることの間に明らかに矛盾がある。言っていることが本心ではない。声の大きさや体の動き、そういうところに出てしまっている。」
「自分を抑えきれない一面があるのかなという印象がある。」
警察署から車までの歩き方
心理のプロの見解
弁護士の後ろから湾曲した歩き方をし、報道陣の方へにじり寄り、睨むような視線を向けている。
この行動については
「報道陣に対して相当の怒りを持っていて、本当に怒りを抑えきれない、かなりの苛立ちを感じました。もしかすると、何か言いたいことがあったのかもしれないが、言えないために、ただ無言で報道陣ににじり寄っていくというアクションに出たかもしれない。」
強姦致傷罪と強姦罪の違い
強姦致傷罪
非親告罪にあたる。被害者の訴え無しでも起訴できる。
(無期または5年以上30年以下の懲役)
強姦罪
親告罪にあたる。被害者が訴えないと起訴できない。
(3年以上20年以下の懲役)
高畑氏の今後
高畑氏は所属事務所を解雇されている。今後、芸能界で活動することは不可能だろう。母親としては、付き人のようにして働かせたいと思うかもしれないが・・・
性犯罪者に対する世間の目は厳しいだろう。
まとめ
はじめは、「欲求を抑えきれなかった」と容疑を認めていた高畑祐太氏。ところが、弁護士のコメントでは「合意があったと考えていた可能性がある」という話になっている。
真逆のコメントになっている。また、示談が成立したことに加え、今回の釈放時の態度を見る限り、相手にも落ち度があったのではないかと思わされる状況だ。
ハッキリ言って、反省している様子には一切見えなかった。それよりもやり場のない不満や怒りを抑えきれずにぶつけたようにさえ見える。
余計なコメントできない分、行動で何かを訴えたということなのだろうか。
結局、有罪にならなかったというだけで、彼が無実だったというわけではない。
合意があったのであれば、相手は被害者ではないはずだが、相手の女性は現在も被害者と呼ばれている。
いずれにせよ、相手の女性にとって、大きな精神的苦痛を味わったことは間違いない。
被害者は精神的苦痛から精神を病んでしまったり、自殺したりすることも珍しくないという。
こういったことから、性犯罪に関しては親告罪をやめようという動きもあるそうだ。
被害者が法廷で大勢の前で証言をすることの苦痛は計り知れない。立ち直れないほどの傷を負うかもしれない。
そう考えると、今回のケースが不起訴で示談になったことは、なんらおかしくはないことなのかもしれない。
あまりに曖昧なことが多く、釈然としない幕引きとなりそうだが、ともかく、今後、被害者女性が安心して暮らしていけることを願うばかりだ。