まだまだ残暑の厳しいこの頃ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。筆者は楽しかった夏も終わり少し寂しい気持ちもありますが、食欲の秋、スポーツの秋ということで、秋もアクティブに過ごして行きたいと思います!
「LGBT」という言葉への、当事者たちによる違和感を訴える声
最近メディア等でも「LGBT」という言葉がよく聞かれるようになりました。これらはセクシュアルマイノリティの可視化に繋がる点では歓迎すべき流れではあります。
しかしながら、こうしたメディアの動きに比例するように、当事者の中からもある声が聞かれるようになってきています。それは、「LGBT」という属性へ、自分がカテゴライズされることに対する違和感や反感の声でした。今回はその「違和感」の正体について探って行きたいと思います。
「LGBT」は、純然たる性的少数者の呼称とは受け止められていない!?
こちらの記事をご覧の方には釈迦に説法かもしれませんが、LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字を取った、性的少数者の総称です。
友人たちとの気軽な会話でも、自分たちのことを「ゲイ」とか「(レズ)ビアン」とか呼ぶ人はいても、LGBTを自称する人はほとんどいません。それどころか、テレビなどで「LGBT」という言葉が流れても、自分たちのことを語られているという感覚すら持てない、という声さえ聞かれます。
それは、この「LGBT」という言葉が使われている文脈に起因しているものと思われます。
主にこの「LGBT」という言葉は現在、大きく分けて2つの文脈で使われている言葉と考えられます。そのひとつは、「LGBTビジネス」「LGBTマーケティング」などと言ったお金儲けの文脈と、もうひとつは「LGBTの人権」などと言った権利獲得運動の文脈の2つです。
前者においては、マーケッターなどの非当事者が外側から性的少数者をマーケットと定義するときに使われていて、後者は一部の活動家の方々が特定の政治的主張をする際に、性的少数者の「連帯」を求めるときに使われているという印象を持たれているのではないでしょうか。
つまりこの「LGBT」という言葉には、お金儲けの臭いや、特定の政治的な主張の意味も含まれていて、LGBT業界(?)での金儲けにも、LGBT絡みの政治活動にも無関心なフツーの当事者たちには、それが「純然たる性的少数者の総称」と捉えられていないのではないかと思います。
L、G、B、T、がそれぞれ抱える問題を見えにくくしている?
そもそもレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーが抱えている問題はそれぞれ大変複雑である上、それを「LGBT」という言葉で連帯させたことだけでもかなり無理があるのに、今度はそのLGBTを「可処分所得の多い経済的に豊かな階級」に定義したと思ったら、今度は「被差別者」「被福祉対象者」と定義するなど、かなり混沌とした状態に当事者たちも混乱している様子が伺えます。
筆者は、こういった無理な連帯や混沌とした現状は、LGBTそれぞれが抱えている問題や困難を余計に見えにくくしているのではないかと考えています。
例えば、日本で働く女性は、男性がもらっている給与の約6割程度の賃金で働いている事実があります。こうしたことに照らし合わせると、生涯レズビアンとして結婚もせずに一人で一生を全うしようとすると、経済的な面では男性同性愛者よりも困窮状態に陥りやすいリスクなどがあります。
また、バイセクシュアルは同性愛者のコミュニティ内でも異端者扱いされるという阻害や排除の問題もありますし、男性同性愛者の場合はSTD(性感染症)の問題と常に隣り合わせにあります。
これよりも更に複雑なのが、トランスジェンダーの方々が抱える問題です。