トップ > 中日スポーツ > プロ野球 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【プロ野球】

広島25年ぶりV 緒方監督も涙、7度舞った

2016年9月11日 紙面から

25年ぶり7回目のセ・リーグ優勝を果たし、胴上げされる広島の緒方監督=東京ドームで(七森祐也撮影)

写真

◇広島6−4巨人

 広島が逆転勝ちで5連勝を飾った。1−2の4回に鈴木、松山が連続ソロ。5回には鈴木が2打席連続となる2ランを放った。黒田が6イニング3失点で9勝目。9回は中崎が締めて、優勝を決めた。巨人は守りの乱れで連勝が4でストップ。

   ◇

 赤ヘル新伝説の幕開けだ!! 優勝へのマジックナンバーを1としていた広島は10日、東京ドームで巨人を6−4で下し、25年ぶり7度目となるセ・リーグ優勝を飾った。12球団で最も遠ざかっていた頂点。緒方孝市監督(47)は、就任2年目でのリーグ制覇を飾り、日本シリーズ進出を争うクライマックスシリーズ(CS)には10月12日に始まるファイナルステージ(6試合制)から出場。1984年以来32年ぶり4度目の日本一を目指す。

 止まらなかった。目からこぼれる涙。1歩、2歩、マウンドにできた赤い輪に緒方監督が歩みを進める。黒田の涙に、新井の涙が止まらない。中心に立つ指揮官は笑いながら、泣いた。1回、2回、25年ぶりのV7を祝して7度、高々と宙に舞った。夢は結実、思いは昇華した。

 「広島の皆さん、全国のカープファンの皆さん。本当に長い間お待たせしました。おめでとうございます!!」。涙するファンを前に声を張り上げた。今季を象徴する42度目の逆転勝利。インタビューで昨年の悔しさを問われ、「自分だけではない」と言うと、声を詰まらせて思いを巡らせた。

 一進一退の攻防を続けた5月下旬。交流戦前と後に佐賀の実家に戻った。父・義雄さんが体調を崩して緊急入院。最初は夫人にも明かすことなく単身で帰省した。81歳、病気知らずの人だった。

 「孝市が頑張っているから、オレも頑張らんといかんね」

 09年の引退試合観戦後、指揮官で戦う姿を生で見たことはない。何度か機会はあったが「気持ちは通じとる」と断った。見舞い後は周囲が驚くほどの急回復。活躍を伝える新聞、テレビ報道に、病床で血圧が上がるほど喜んだ。時を同じく“神ってる”快進撃でチームは11連勝。勇気を届け、励まされながら、歩みは力強さを増した。

 現役時代の99年。ある球団から獲得オファーが届いた。提示年俸は3年10億円。引退後は指導者の道も約束された。「優勝を経験してみたい」。心は激しく揺れた。

 「男なら勝負してもよかよ」。プロ入りに悩んだ18歳の冬、母・孝子さんに背中を押された言葉がよみがえる。95年に急逝。亡くなる前日、危篤の知らせに広島から急行した。話せる状態ではなかった母の手を握って数分間、無言の会話。翌日、母は他界した。

 「情のあるチームで優勝することに意味があるんじゃないか」。迷いはしたが、答えは一つだった。広島の年俸は遠く及ばなくても、交渉で金銭の話は一度も求めなかった。広島が、カープが好きだった。残留を決めた。

 91年の優勝はプロ入り5年目。主に代走で貢献した。あれから25年。監督として理想を体現した。伝統復活、これがカープだ。愛する広島一筋で夢にまで見た頂点。「クライマックスも勝ち上がって、日本一をつかみ取りましょう!!」。スタンドが赤く揺れる。夢の先に夢がある。次は32年ぶりの悲願、日本一だ。  (田中政行)

 

この記事を印刷する

PR情報

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ