2016年09月11日

◆ 豊洲市場の盛り土の問題

 豊洲市場の盛り土の問題をめぐって、小池都知事や世間が混迷状態にある。そこで人々の勘違いを指摘しよう。

 ──

 豊洲市場では、土壌汚染があったので、土壌に盛り土することになっていた。ところが、実際には盛り土がなされていなかった箇所があった。これをもって、「問題だ!」「説明不足だ!」というような批判が湧き起こった。
 一方、「問題ない」という声も生じたが、掻き消されつつある。
 どうも、世間の人々は(工事上の)問題の有無よりも、「説明がないのがけしからん」というふうに脇の方からケチを付けているようだ。
 そこで、私が解説しよう。

 ──

 この問題の根源は、盛り土という工事の意味だ。その意味は、下記にある。
  → 豊洲市場土壌汚染対策|TOKYO ICHIBA PROJECT

 ここに、次の説明がある。
  1. ガス工場操業時の地盤面の下約2mまでは、すべてきれいな土と入れ替えます。
  2. その上に厚さ2.5メートルのきれいな土壌を盛ります。
  3. ガス工場操業時の地盤面の下約2mより下の土壌から、環境基準を超える操業に由来する汚染物質を取り除きます。

 さらに、次の図もある。

toyosu2.png
出典:資料 PDF


 同様の図は、下記にもある。


 この図からわかるように、盛り土した上に、建物が建設されるはずだった。
 ところが、このたび判明したところでは、建物の下には盛り土がなかった。かわりに、コンクリートで囲まれた地下室があった。

 同様の図は、下記にもある。
  → 小池知事、安全性検証へ 豊洲市場の施設:朝日新聞
  → 豊洲市場、盛り土されず…小池都知事緊急会見 : 読売新聞

 これらの図を見ると、先の図にあった「盛り土」の箇所が消えて、かわりに、コンクリートの地下室(空洞)があるとわかる。現況は下記だ。


 これを見て、批判が生じた。
  ・ 盛り土がない! 
  ・ 事前説明と違う! 
  ・ 変えたことの報告がない!
  ・ 盛り土をするはずの費用が不要になったはずだ。
   その金はどこへ行った!  


 かくて、こういう疑問を小池都知事が出して、その尻馬になった人々が騒ぎ出した。

 このあと、これをたしなめる意見も出た。
  → 小池百合子都知事、突然「都庁全職員を粛正」ヒステリー発言の波紋

 ここに書いてあることは最もなのだが、理解されなかった。
  ・ 文章が長すぎて、理解するのが大変なので、理解されない。
  ・ 「ヒステリー」という悪口ばかりが注目されて、批判された。


 というわけで、上記の批判は理解されないまま、小池都知事の素朴な批判ばかりが世間に出回ることとなった。

 以上が、現状だ。

 ──

 そこで、私が本質を解説する。

 この問題の核心は、次のことだ。


 盛り土というのは、土壌汚染を解決するためではない。そもそも、土壌汚染の土は、もともと削除されて、搬出されてしまった。また、その上に砂利の層で蓋をされた。さらには、(盛り土を含めて)地面の表面にはアスファルトの蓋がかぶさる。だから、盛り土は、土壌汚染の防止策としては、ほとんど意味がない。何の意味があるかというと、地盤を高めることだけだ。(上記)
 ただし、最初はその予定だったが、途中で工法が変更された。建物の下に限って、盛り土をすることをやめて、頑丈なコンクリートの箱を「台」として据えることにした。なぜか? 
 その理由は、どこにも書いてないが、私が判断するなら、こうだ。
 「盛り土なんかをすれば、数年後には地盤沈下を起こして、建物の下が空隙になってしまう。下手をすると、建物が傾く」


 こういうことは、埋め立て地ではよくあることだ。こんなふうに。

jibantinka.gif
出典:すみれアドライフ コンサルティング事務所


jibantinka2.jpg
出典:写真共有サイト「フォト蔵」


 埋め立て地や、盛り土の土地では、地盤がゆるいがゆえに、時間がたつと、こういう問題が発生する。
 では、その問題を防ぐには、どうすればいいか? 盛り土をやめて、そこをコンクリートの箱で覆えばいい。それが、今回の対処だ。つまり、正しい対処がなされている。

 結局、問題は、こうなる。
 「元の設計は、盛り土の上に建物を建設することだった。しかし、その設計は、欠陥建築の設計だった。そのまま建築すれば、時間がたつと、地盤が緩んで、建物が崩壊しかねない。それでは大変だ。そこで、盛り土をやめて、コンクリートの箱に設計変更する必要がある。しかし、そんなことをいちいち報告して許可を求めていたら、1年も2年も時間がかかって、とうてい予定期限には間に合わない。だから、現場の一存で、勝手に設計を変更した。欠陥品を正常に直すのだから、何も悪くはないはずだ、と思ってのことだ」
 ここまでは良かった。現場の人々が良心的だったと言える。
 ところが、これがのちに問題視された。現場の人々が何をしたのかを、人々はまったく理解できなかった。かくて、人々はこう批判した。
 「勝手に変えたのはけしからん! 盛り土がなくなったのはけしからん!」
 しかしこれは、素人が専門知識を欠いている、というだけのことだ。仮に、盛り土のままにしたら、欠陥設計のまま工事され、欠陥建築ができてしまって、数年後には崩壊してしまう。下手をすれば傾いて倒壊する。そうならなくても、建物の下に空隙が生じて、建物に入るときに段差ができてしまうので、市場としての利便性に大幅な問題が生じる。
 
 ──

 話をまとめれば、こうだ。
 専門家のやった善意を、素人は理解できない。放置されたままでは、ひどい目に遭うところを、専門家の機転で救われた。なのに、救われたということを理解できずに、「何で勝手な変更をしたんだ、何で放置しなかったんだ」と文句を言う。




 [ 付記1 ]
 ここから、教訓を得ることができる。こうだ。

 「良かれ」と思って、愚か者を救っても、感謝されるとは限らない。愚か者は、自分が救われたことを、理解できない。そして、「どうして救ったんだ、余計なことをしやがって」と文句を言う。


 こういうふうに、愚か者は救いがたい。救ってもらわなければ、死んでしまうとしても、そうなる方をあえて求めたがる。自分が救われることよりも、自分の好き勝手にすることの方を、望むのだ。
 これを一言でまとめれば、こうなる。
 「馬鹿は死ななきゃ治らない」
 
 [ 付記2 ]
 私としては、提案したい。次のいずれかにするべきだ。
 (1) 救われたことを理解して、ただちに騒ぎをやめる。かわりに、専門家に感謝する。
 (2) 救われたことを理解しないで、怒り狂う。そして、コンクリの地下室を撤去して、盛り土に作り直す。その後、数年後に地盤沈下を起こして、建物が傾いたら、そのときになって、「私たちは愚かでした。騒がなければ良かった」と反省する。

 後者の (2) をやるなら、ちょうど東京五輪のころに、地盤沈下がひどくなるかも。東京五輪の真っ最中に、地盤沈下を起こした豊洲市場を見学してもらうといい。そして、小池都知事が世界に示すといい。
 「ここは本来は何も問題が起こらなかったはずなんです。でも、私が大騒ぎして、正しい工事を作り直して、元の欠陥建築に戻しました。だから今では、このように地盤沈下を起こして、建物は倒壊寸前です。これほどひどい改悪をなしたのが、私の都知事としての最初の成果です。どうぞ皆さん、五輪のついでに、ご覧くださいね。これでこそ、東京ボロリンピックと言われる価値があります」

posted by 管理人 at 18:32| Comment(0) | 一般(雑学)4 | 更新情報をチェックする
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