2016年9月11日12時01分
25年ぶりのリーグ優勝を決めた広島カープ。前回優勝した1991年は、一人の選手のためにチームが一つになって戦った。「炎のストッパー」と呼ばれた津田恒実さんが、マウンドを降りて闘病生活を始めていた。恒実さんは2年後に亡くなり、その長男大毅さんはいま、27歳。リーグ制覇に「ようやく父の思い出と向き合えるきっかけをもらえました」と語る。
恒実さんは当時、脳腫瘍(しゅよう)を患っていた。91年4月、激しい頭痛に苦しみ、自宅のソファで起き上がることも困難なのにその夜のマウンドに立った。1死も取れずに降板し、入院生活に入った。
深刻な病状に、残った選手は発奮した。当時の守備走塁コーチ木下富雄さん(65)は「津田のために優勝しようと一つになったとき、見えない力が働いた」と振り返る。病室を見舞った監督の山本浩二さん(69)が「わしが優勝旅行に連れて行っちゃる」と誓った通り、7・5ゲーム差をひっくり返して優勝した。
このとき、大毅さんは2歳だった。2年後に恒実さんが32歳で亡くなったことも「記憶としては、ほとんどない」。だが、周囲にとっては「津田の長男」。野球を始めた大毅さんに、早世した剛腕投手の物語の続きを期待した。自然な流れで投手になったが、「『津田の息子』というのは重荷でしかなかった」。
大毅さんは中学生のとき、何か…
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