あずさジャーナル
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31歳最後の夜に思うこと

2016.09.10

31歳最後の1日に、最近自分を励ましてくれる存在についてと、その背景について思うことを書き記しておきたいと思う。

いつもお世話になる美容室に髪を切りに行ったら、おそらく10歳ほど年の離れた、とても若い女性美容師さんが担当して下さった。

これまでは他の美容師さんのサポートをなさり、カット前の髪の洗い流しやカット後のドライヤー、切った髪の片付けなどをしておられた人だった。あどけなさの残る笑顔はとても可愛らしくて、明るい色に染め上げた短い髪が少年のようにも見えた。

前回も彼女が髪型のセットをしてくれたのだったが、急いでいた私が「40分後の電車に乗りたいので」と言って席に着くと、「わかりました」とにこっと笑った彼女はとてもスピーディに仕事をこなし、決して慌てることなく丁寧な仕上がりにたどり着いて、「出来ましたよ」と再び笑顔を見せてくれた。

彼女のおかげで私は洗いざらしのぼさぼさ頭から変身して予定通りの電車に乗り、余裕を持って出かけることが出来た。その夜は自信を持って仕事関係の人と会うことが出来た。
ものぐさな私は普段、髪の毛をセットすることなどあまりないが、この日は「きちんとしてみよう」という思いになり、これからは自宅でちゃんと身だしなみの点検をするのが良いかもしれない、などと考えながら帰宅した。自分のなかの良い変化で、それは彼女のおかげのような気がした。

その彼女が今度はカットを担当してくれたのだった。
「前回はセットでしたね」と微笑みかけてくれ、こころのほぐれた私は彼女と様々な話をした。仕事の話や、最近のまちの様子のこと、美容師の国家試験の話や、メイク技術の話、テレビの話や芸能人の話など。

彼女に限らずだが、美容師のかたは話し上手で気さくな人が多いように思う。この美容室のスタッフの皆さんはどの人もとても感じが良いので感謝している。
プロだから当たり前か、と思うなかれ。

私は過去に他の美容室で「怖い美容師さん」に当たってしまったことが何度かある。お願いした長さと違ったり、「こうしたほうがいいっすよ」と勝手にイメージを変えられてしまったり、悲しい気持ちで鏡を見つめた経験があるので、「感じの良い美容師さん」にはとても救われるのだ。ありがたく、嬉しい思いでお店を出ることができる。彼女に切ってもらった、短めの前髪も気に入っている。

美容師さんの仕事ぶりを通して、自分の感情をコントロールしながら働くということ、仕事を通して誰かのこころを楽にするということの難しさとありがたみを思う。

サービス業は感情労働である。私が過去にほかで出会った「怖い美容師さんたち」も、嫌なお客、うるさいお客にうんざりしながら日々働いているのだろう。最新の流行を研究してサービス提供を考えていても、私のような芋くさいお客がまるでセンスのないオーダーをしたり、似合っていない髪型を要望されて辟易したりもするのだろう。そんな苛立ちをやり過ごしながら、経営の心配もしながら、路上でチラシを配ったり、カットのアンケートを取ったりもするのだろう。

カッコよくおしゃれにセンス良く、の美容師さんたちは、技術を磨くことのみならず、当意即妙な話術も、相手の気分を察する敏感さも身につけねばならないのだろう。大変な仕事である。

カットをしてもらっている最中、2人の女の子が鏡の横に現れ、並んでペコリとお辞儀をして行った。「あれ?」と驚くと、ハサミを動かしている彼女が「職場体験なんですよ」と教えてくれた。市内の中学生が職場体験に来ているのだった。
彼女たちは美容師の仕事をどんなふうに見つめただろうか。憧れの仕事の厳しさを感じたか、あるいは未知の仕事の面白さを見つけたか。進路選択の手がかりや、働くということを自分なりに捉えるきっかけになればいいなと思う。

もうひとつ、書き留めたくなる出会いがあった。
ファミリーレストランのアルバイトの女性のふるまいが、とても気持ちの良いもので深く励まされた。

彼女も若く、もしかするとまだ10代ではないかと思われる。私がひとりで入店すると、広い店内はまだ客がまばらだった。厨房で食器を洗っていた彼女が私に気づき、パッと手を拭いて軽やかに現れ、まっすぐな姿勢でお辞儀をして「お席は喫煙、禁煙、どちらになさいますか」と尋ね、禁煙席に案内をしてくれた。

席にお冷やとおしぼりを運んでくれる際も、注文を取る際も、彼女は一語一句ハキハキと言葉にし、真剣そのものの仕事ぶりだった。決してマニュアル的でないと感じたのは、なぜだったのだろう。
他のお客に対応する様子をそっと窺っていてわかったのは、彼女がお客の顔をまっすぐ見つめながら話をしていることだった。

私たちはファミリーレストランというばしょでは、ある種の慣れというか、完成されたシステムのなかで匿名的にふるまう態度を身につけているように感じる。
それは慌ただしい都市生活のなかでは、自己と他者を意識的に切り離す機能としてはたらく側面もあるように思うが、やはり「何かを食べる」場所として、孤食や孤独そのものとの親和性が高くなってしまうのもいかがなものかと思う。

そんなことを考えると、この若い女性の接客態度には押し付けの煩わしい愛想は存在せず、かと言って機械的で無機質なものでは決してなかった。ただただそこには、「一所懸命働くぞ」という彼女の自己を律する意識と、お客の1組ひとくみに適切な対応をするのだという臨機応変さが感じ取れた。

目を合わせて注文をしてくれないお客もいるかもしれない。食べ残しを適当に散らかしたまま帰る人もいるだろう。それを洗うときに嫌な気持ちにもなるかも知れない。立ち仕事で足腰が疲労して、くたくたになって帰るのだろう。それでも彼女はきっと毎回「頑張るぞ」と出勤するのではないかと想像した。

同世代や自分よりも若い女性の働く姿。職種に限らず、彼女たちの真摯な横顔に励まされることの多い日々だが、特に最近は、サービス業において接客をこなす職種に深く敬服する。嫌なことがあるとすぐに顔に出てしまう私には、彼女たちのプロ意識に学ぶところが多い。

もちろん、励まされるのはてきぱきと働く女性たちの姿だけではない。ある居酒屋に行った際、疲労して土色の顔をした中年の男性が、力のない笑顔で微笑み、会計をしてくれた。頭には、季節のキャンペーンのものと思われるかぶりものをしていた。
「お疲れ様です」と声をかけたら、「申し訳ございません」と笑ってくれた。店内の喧騒がふっと遠のくような、物悲しさとやるせなさの漂う笑顔だった。

簡単な仕事などどこにもない。生きていくために働き、我慢し、落ち込み、立ち直ってまた職場へ行く。けれど私はいつも思っている。労働とは本来、喜びと活力、生産的なエネルギーに満ちたもののはずであると。そうでなければならないと信じている。

しかし現代、そうした喜びとともにある「仕事」はどれだけあるだろうか。多くの職種で感情労働を強いられる昨今、真面目でまっすぐな人が疲弊し、追い込まれていくケースが山のようにあることは、私たちも気付いている。しかしその「つらさ」は緩和されるどころか深まるばかりである。

先月23日の日本経済新聞社の報道によると、全都道府県の時給が初めて700円を超え、全国平均は現在より25円高い時給823円となったことで、上げ幅は比較可能な02年度以降最大。人口減の影響で深刻な人手不足に悩む地方は、最低賃金を引き上げて労働力確保を図る例が目立つという。

東京都の最低賃金は25円の引き上げ、時間額932円に改正するのが適当であるとの答申が東京地方最低賃金審議会から出されている。

「妊娠しちゃったら、その間働けないじゃん、そこはきついなって」。

カフェに入ると近くの席からそんな会話が聞こえてきた。見ると男性同士の客である。互いのパートナーの妊娠、出産の期間、生活が苦しいということだろうかと想像する。共働きの若い家庭なのだろうか。どんな雇用形態なのだろうかと考えてしまう。

最低賃金は上がっても、私たちの働く環境そのものが変わらなければ労働はつらいままだ。

「頑張るしかないよね」。
若い世代は自分に言い聞かせる。でもみんな、深く疲れているよねと肩を寄せ合いたい気持ちにも襲われる。
深夜の居酒屋で、かぶりものをしたまま淡々と会計をしてくれた中年の男性店員の笑顔がいまも頭を離れない。「頑張るしかないんだ」。そんなあきらめの笑顔ではなかったか。

働くということ、労働を介して他者とつながり、社会のなかに自分を位置付けて生活を営んでいくということ。その根本が問い直されるべきだと痛切に思う。

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