昔からある、「メシを残したら悪い」みたいな風潮に納得がいっていない。
家族や恋人から出される「無償のメシ」はわかるにしても、「外食」ではいくらメシを残そうがとやかく言われる筋合いは無くないか?
ここからは俺がメシを残すとよく言われる3つの言葉に対し、俺なりの見解を書いてみる。
●「食事を満足に食べられないアフリカの子供達だっているんだぞ!」
アフリカの子供達を思うのならば、俺がさっき半分以上残した「ミラノ風ドリア」を、お前がそのアフリカの可哀相な子供達に届けてやればいいじゃないか。
それに、俺がメシを残さず完食したところで、そのアフリカの子供達の腹が膨れることはないじゃないか。
そりゃ俺だって、サイゼの隣のシートにボロボロのアフリカの子供がいたら、腹がいっぱいになって残したミラノ風ドリアを分け与えてやるし、何ならシナモンフォッカチオだって奢ってやるよ。でもそんな子は周りにいないし、何ならアフリカの子供達を直接見たことがあるやつの方が少ないだろ。観たことのない「可哀相な子供」を引き合いに出して、せっかくお金を払って満腹になっている俺に水を差さないでくれよ。
何なら、アフリカでだってメシを残してる奴はいるだろうし、アフリカの子供だって満腹になったらメシを残すだろ。
●「作った人に申し訳ないだろ!」
冒頭で書いたようにこれは「外食」での話ということが前提なんだけど、やっぱり出された料理(商品)に対して、きちんと料金を支払っているんだから申し訳無さは感じなくてもいいんじゃないか?
それでもなお、お前が料理人のことを可哀相だと思うなら、お前が代わりに食べてくれ。俺が残してグッチャグチャになった残飯を、米粒一つ残らず美味しそ~うに食べてくれ。それは俺からの奢りだから。
でもし、俺がメシを残したことによって、そのメシを作った料理人「本人」が悲しい気持ちになったのだとしたら、その料理人には向上心があるということだろうし、それなら完食してもらえるようにレシピを改善していくと思う。
逆にメシを残されたことに何の感情も湧かない料理人は向上心があると思えないし、そんな店はそのうち潰れる。結果、良い店が増え、日本の食文化はさらに向上する。
結局、俺が料理を残すことによって大きな不利益は生まれてないだろう。
●「食べれる量を注文しろ!」
嫌だよ。さっきも書いたけど、俺が金を払っている以上、俺がどんな食べ方をしようが自由だろ。
ラーメンの大盛りが無料だったら、とりあえず大盛りを注文しておいて、満腹になれば残せばいい。
スープの中に麺を隠し、かじりかけのチャーシューで上からフタをして、元気よく「ごちそうさん!」と言って笑いかければ「ドーモアリヤァース!」と言うルーチンボイスが返ってくるだろう。
そうして今日もメシを残した俺は、帰り道のコンビニでアイスを購入し、それも半分食べて残した。
誰かこれ、食べます?
中国の礼儀では食べきれない量を客人に出すのがマナーというしね