座右の銘はあなたの生きる道しるべ
「座右の銘は何ですか?」
サイン帳やプロフィールを書く欄によくこの質問がありますよね。
すぐ答えることができましたか?わたしは小さいころ、いつも悩みました。とくに気に入っている言葉もないし、四字熟語とかそういうのが、かっこいいのかな、なんて思いながら、しかし心に響くものがなく、空欄にした覚えがあります。
しかし人生を歩むにつれ、挫折をし、くじけそうになり、前に進むことが辛くなったとき、出逢った言葉たちがありました。そのたびに励まされて、勇気をもらいました。
座右の銘などと大げさなものではないかもしれないけれど、苦しくなったとき、思いだします。不思議なことにその言葉はいつも同じ人が発していたものだったり、このように生きたいと憧れる人のものでした。
わたしの心に強く響いた言葉をご紹介したいと思ったのは3つの理由からです。
- ある人の記事を読んで過去を思いだしたから
- 記事を書いて、じぶんの嗜好が一貫していることに気付いたから
- ブログを書くようになっていろんな価値観の人と出逢い、自分が何を大切にしているのかを改めて感じたから
この3つからご説明させてもらってから、心に響いた言葉を書かせてください。そして今日はてなブログをはじめて2か月が経ちました。
「祝!2か月」を記念して感謝の心を伝えたいと思います。みなさんのように収益については書けないので、じぶんのことを少しばかり語ってもいいでしょうか。ご興味のない方はここで(笑)
ある人の記事を読んで
ここで彼女はこのようにまとめています。
20代=理想や夢
30代=理想と現実の間
40代=現実
つまり、20代は仕事や恋愛、生き方などを模索しながらも、まだ理想や夢にあふれていて失敗してもいいから挑戦できる時。
40代は現実が見えてきて、環境や自分の才能によってできることとできない事がわかり、現実的に生きるようになる時。
30代はその間。20代で様々な経験をしながら人生を模索し、失敗経験から自分を知り、可能性を知ります。30代ではその20代で得た事の中から自分はなにを選択して生きていくのかを決める時なのです。その30代で選択した事で40代以降の人生が決まります。
引用:28歳の今、絶対に読んでおくべき本『30代にしておきたい17のこと』(うさみ)
わたしは30代後半です。過去を振り返ってみました。
20代は挫折感を味わいましたが、将来に希望をもち、夢をもち続けていた気がします。
30代前半、うさみさんの記事にもあるように、可能性を知り、他にも選択肢があったのかなと悩んだこともありました。
35歳を過ぎると、いろいろ吹っ切れました(笑)生きるのが楽になりました。
手にできなかったものの代わりに手にしたものがあると気づくことができました。そして与えられたものに感謝ができるようになりました。今あるものがとても愛おしくなりました。
40歳になるともっと人生が楽しくなると思っています。感謝の心を忘れなければ、心はいつも満たされているのだと知ったからです。
「ありがとう」の心が幸せにつながります。
ここまで書いて思ったのですが、楽しいこともうれしいことも同じぐらいたくさんありました。苦しかったり辛かったりしたときに、励まされた言葉があったのでご紹介させていただきたいなと。
じぶんの好きなものはそうそう変わらない
ブログを始めて、「おすすめ〇〇選」の記事をいくつか書かせていただきました。その中で、いろいろ考えるのですが、どうしても多くのジャンルではなくて、偏ってしまうのです。自分の嗜好がはっきりと反映されてしまって、おすすめというより、わたしの好みという色が強すぎて、どうなのかなと心配しながら、書いたものです。
ここでわかったことは、わたしはこだわりがとても強いのです。1つ好きになったら、他のものは目にも映らないということです。好きではないものに関しては全く興味をしめしません。
同じ作家の作品を好みます。好きなブランドはずっと好きです。
たとえば人間関係においてもです。好きな人、とくに気にならない人と区別がはっきりしています。
じぶんが好きになった人、友人でもそれほど親しくない人でも有名人でもです(笑)その人に嫌われるのを極度に恐れます。そしてその人たちの言動にとても影響され、心が揺らぎます。
皆に好かれたいというよりも、じぶんの好きな人に好かれたいという気持ちが強いのです。
それに気がついて、腑に落ちました。面白いですよね。
じぶんの好きなものは、そうそう変わりません。
そしてわたしが理想とする生き方をしている人はどこか共通しているのです。彼らの言葉が心に強く響くのです。
価値観の違う人との出会い
ブログを書くようになって様々な価値観の人と出逢いました。共感することもあったり、どうしても納得ができなかったりいろいろですが(笑)
価値観が違うのは当然のことです。何に価値をおくかという基準は違って当たり前です。でもだからといって、じぶんの価値観を押し付けたり、相手を不必要に攻撃したりすることはしたくないです。違うということ前提で、受け入れて、どうしても受け入れられないものはスルーするしかありません。
グレーの部分に対して
わたしたちは型にはまらない存在です。白黒つけることができません。
20代は自己分析をしなければいけない時期が多くあります。就職活動のときもそうでた。じぶんは「~の人間です」とアピールしなければなりません。
白黒はっきりつけることなんて不可能なんですよね。グレーの部分のほうが多いくらいです。でも自己分析をする際、グレーな部分があるとやっかいです。決めなければいけません。
そして知らず知らず、じぶんはこういう人間ですといい続けていると、それがほんもののようになってしまいます。
じぶんで決めてしまった型にはまっていきます。型にはまる方が楽なことも多いからです。
それでは可能性が摘み取られてしまいます。
ストレス耐久性について
ストレスをあまり感じない人は、このグレーの部分を気にしません。どうでもよいことはどうでもよくて、選択しなくてよいものは気にもとめません。傍から見ると、イライラすることもあるでしょう。わたしもあります。「どっちなの?」って(笑)
優柔不断とは違います。決めなければいけないことはきちんと決めます。ただ決めなくてよいことやどうでもよいこととの区別がはっきりしています。
それがおそらくストレス耐久性がものすごくある人なのでしょう。
精神的に強い人は、グレーの状態でも、べつに心が揺れたりしません。決めないことに何もストレスを感じません。楽しむことさえできます。
価値観がまったく違うひとの対応の仕方
価値観の違う人と出逢ったら、先にジャッジすることはやめて、どっちつかずの立場をとるようにしています。グレーでいると、受け入れることができます。こういう人もいるんだと軽い気持ちでいられます。
その方が何倍も心が穏やかでいられます。価値観の違いを受け入れることができて、攻撃することもなく、なるほどなるほどと客観的に眺めることができます。
討論を否定しているのではありません。価値の違う人と討論することで得られることもあります。相手の意見に反対の意を表示る場合は、必ずそれに対しての代替案が必要だということです。そうするとじぶんの考えの未熟さもわかり、高めあうことができます。
ここでいうジャッジをしないというのは、単に非難するだけならしないほうがよいということで、スルーをすることで心に波風が立ちません。そういうふうにできるようになりました(笑)
この意見もみなさん、様々だと思います。
心に響く言葉 わたしの人生の指針となる
やっと本題に入らせていただけます。前置きが長くなり、失礼しました。これは単なるわたしごとの記事です(笑)誰の役にも立たない、じぶんのことをだらだらと書いたものです。2か月記念にはいいですよね。
たった2か月ですが、ブログを書くようになっていろいろ考えることがありました。上に書かせていただいた理由で、つらいとき支えになってくれたり、励ましてくれたり、いさめてくれた言葉たちがたくさんあったことを思いだしました。
わたしの人生の指針となる言葉です。もしひとりでも心に響いて、心が穏やかになってくださるとうれしいです。
はじめて心がふるえたもの
中学生のころに出会った詩です。星野富弘さんは、事故で肩から下の機能が低下して、口を使って、詩を書いていらっしゃいました。わたしも妹も彼の詩が大好きで、よく読んでいました。その中でもとくに心に響いたものをご紹介いたします。
「きく」
よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする
強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする
しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集まった方が
愛に近いような気がする
「なずな」
神様がたった一度だけ
この腕を動かしてくださるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れる
ぺんぺん草の実を見ていたら
そんな日が
本当に来るような気がした
「すいせん」
幸せという花があるとすれば
その花の つぼみのようなものだろうか。
辛いという字がある。
もう少しで
幸せになれそうな字である。
「クローバー」
はしゃいでいるとき
どこかで もうひとりの私
泣いている
淋しいとき
どこかでもうひとりの私
笑っている
逢いたいなあ
もうひとりの私
「くちなし」
鏡に映る顔を見ながら思った
もう悪口をいうのはやめよう
私の口から出たことばを
いちばん近くで聞くのは
私の耳なのだから
「日日草」
今日も また一つ 悲しいことがあった
今日も また一つ うれしいことがあった
笑ったり 泣いたり 望んだり
あきらめたり にくんだり 愛したり
そして これらの一つ一つを柔らかく包んでくれた
数え切れないほど沢山の平凡なことがあった出典:星野富弘 “鈴の鳴る道” “花よりも小さく” “速さのちがう時計”
挫折したとき
アメリカの神学者であるラインホルド・ニーバーが書いたものです。これは学生のころに、プリントで配られて知りました。「ニーバーの祈り」という名の詩です。
God, give us grace to accept with serenity
the things that cannot be changed,
Courage to change the things
which should be changed,
and the Wisdom to distinguish
the one from the other.出典:Reinhold Niebuhr "The Serenity Prayer"
神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
(翻訳者:大木英夫)
変えることができるものと変えることができないものがあり、その識別する知恵が必要なことを知って、理想と現実の間で苦しんでいたときの支えになりました。
孤独を感じたとき
さみしくなったとき、思いだす詩です。
Footprints
One night I dreamed a dream.
I was walking along the beach with my Lord.
Across the dark sky flashed scenes from my life.
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
one belonging to me and one to my Lord.
When the last scene of my life shot before me
I looked back at the footprints in the sand.
There was only one set of footprints.
I realized that this was at the lowest and saddest times of my life.
This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.
"Lord, you told me when I decided to follow You,
You would walk and talk with me all the way.
But I'm aware that during the most troublesome times of my life there
is only one set of footprints.
I just don't understand why, when I needed you most, You leave me."
He whispered, "My precious child, I love you and will never leave you
never, ever, during your trials and testings.
When you saw only one set of footprints
it was then that I carried you."出典:マーガレット・F・パワーズ、1996、「あしあと 多くの人を感動させた詩の背後にある物語」
「あしあと」
ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ね
した。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道にお
いて私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、
あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」(翻訳者:松平恵美)
この詩はこころの支えです。さみしくなったときに読みます。クリスチャンでなくても、心に響く詩ではないでしょうか。
いちばん辛いとき、誰もそばにいてくれなかったと絶望することがあります。でもじぶんが気がついていないだけで、こころに寄り添ってくれている誰かがいます。それは目に見えるものではないかもしれませんが、きっとそうだと信じたいです。
りんの座右の銘
まだ人生の半分も生きていませんが、ずっとこの言葉がわたしの座右の銘です。いちばんわたしが大切にしていることです。
何を1つとっても、丁寧に愛情を込めておこないたい。
いつも謙虚な心でいたい。
すべてに感謝したい。
It is not how much we do, but how much love we put in the doing.
It is not how much we give,but how much love we put in the giving.大切なのは、私たちがどれだけの行動をするのではなく、
それをするのに、どれだけ愛を注いでいるかです。
大切なのは、私たちがどれだけ与えるのではなく、
それを与えることに、どれだけ愛を注いでいるかです。(マザーテレサ)
「ニーバーの祈り」と「あしあと」の和訳は、とても好きなのですが、マザーテレサの和訳はあまり好きではないです。日本語って難しいですよね。ちょっとしたニュアンスなのに、うまく伝わらないときがあります。
尊敬するマザーテレサのその他の言葉
マザーテレサはわたしのいちばん尊敬する人です。彼女のような強さはないけれど、少しでも近づきたい。
If you judge people, you have no time to love them.
人を批評していると、人を愛する時間がなくなります。
We can do no great things, only small things with great love.
私たちは、大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです。
Be faithful in small things because it is in them that your strength lies.
些細なことに真心を尽くしなさい。あなたの強さは些細なことの中にあるのですから。
Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words;
Be careful of your words, for your words become your deeds;
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits;
Be careful of your habits; for your habits become your character;
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.思考に気をつけなさい、それは、いつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それは、いつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それは、いつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それは、いつか運命になるから。(マザーテレサ)
マザーテレサの言葉はわたしの宝物です。
感謝することがすべて
わたしの座右の銘、その他心に響く言葉をご紹介させていただきました。座右の銘というと、とても大げさですが、人生には苦しいこと、やるせないこと、悲しいこと、辛いことがたくさんあります。人はそれぞれ、痛みを抱えながら生きています。悩みのない人なんていません。そういうとき、生きやすいように支えとなる言葉があれば、いくらか楽になれると思います。
そしてわたしが今おもうのは、感謝することをつねに心がけることができれば、たとえ時間がかかっても、前に進める気がします。
Love can travel a thousand miles.
Life has no limit.
Go where you want to go.
Reach the height you want to reach.
It is all in your heart and in your hands.
愛とは、何千マイルも超えて旅をする。
人生には限界はない。
行きたいところに行きなさい。
望むところまで高峰を登りなさい。
全てはあなたの心の中にある、
そしてあなたの手の中にある。(スティーブ・ジョブズ)
感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく
(松下幸之助)
さいごに
座右の銘のご紹介でした。わたしの人生の指針となるものばかりです。こうしてリストにすると、また改めて心に響いてきます。
皆さんにもそんな言葉がございますか。よろしければ教えてください!
話は変わりますが、今日ではてなブログに引っ越しをして、2か月が経ちました。というか、毎月10日がわたしにとって記念日です。何を書くかは決めていません。収益は書けないし、その時に決めればいいですね。何でもグレーでOKです(笑)
わたしがはてなをはじめたころ、ツイッターで互助会というものが話題に上がっていました。何それ?くらいにしか思っていませんでした。しかし2か月経った今はわかります(笑)
最初のころ、ブクマをつけてくださる人がいると、誰だろうと思って、その人のブログにいって、お返しにブクマを、わたしもつけました。だんだんそういう相手が増えるとやっぱりうれしくて、またお礼にブクマをつけました。しかし、数が多くなると辛くなって、しかもさいごのほうはちゃんと読まずにブクマをつけるようになっていました。だんだんストレスになり、ブクマをつけるのをやめました。
当時から、仲良くしてもらっているつっちーに、ブクマをつけてもらったことったことが何度かあって、「ありがとう」と伝えたところ、「お礼はいいよ。おもしろいと思った記事にしかブクマはつけないから」と言われました。彼は厳しくてやさしい人だと思いませんか(笑)なぜか笑ってしまいました。
なるほど、おもしろいと思う記事にだけブクマをつければいいのかとふっきれたのです。あたりまえのことなのに気がつかなかったんですよ。
それからじぶんの好きなブログを読むようになって、好きなブロガーさんが増えていき、毎日読むようになりました。ブログはたとえまとめ記事や物販関係の記事であっても、その人となりが垣間見えるときがあります。そうするとまたまた好きになります。
理想とするまとめ記事を書いていらっしゃるCatKnowsさん。彼はオピニオン記事も書いていらっしゃいます。彼の価値観や考え方に共感し、尊敬しています。
ランキング形式というものすごく大変な作業を得意とされるコトリさん。ツイッターで丁寧に返事をくれるのですが、それがぶっきらぼうな感じなのです(笑)彼らしさが出ていて、すてきな人です。
人気ブロガーであるヒトデさんは、じぶんを演出するのがとても得意な人。とてもポジティブな明るいキャラですが、人一倍気を遣っているところが伝わってきます。とても繊細な人なのかなと感じます。
ブログのカスタマイズで困ったらゆきひーさん!助けられてばかりです。ていねいにコメントを返してくださって、ほんとうに感謝しています。
同じくブログ関連で検索するとかならずヒットするSHIJINさんは子供に話しかけるように、やさしい口調でブログを書かれています。ついつい甘えそうになってしまいます(笑)
たのしい関係が築きつつある変なおじさんとかわいこちゃんはわたしのともだち!
その他にも毎日拝読させてもらっているブロガーさんがいて、コメントを書くのがとても楽しいです。
さいごにSTAY MINIMALさんに伝えたいことがあります。
あなたがいなかったら2か月も毎日書き続けることはできなかったし、トラブル続きで半分あきらめかけていたアドセンスの挑戦もできませんでした。いつもわたしの味方であり、つねに応援をし続けてくれてありがとうございます。これからも仲良くしてくださいね。
わたしと関わってくださった方々、ほんとうに感謝を申し上げます。
ブログを書くことで、あらたな自分を発見して驚いたり、嬉しかったり、悩んだり、いろいろです。またこの歳で夢も見つけました。
人とのつながりがなくては何もなさないということを改めて感じました。人との出逢い、そして絆が、人生を豊かにしてくれます。
感謝のきもちを忘れずに、いつも謙虚でいたいと願います。
心に響く言葉 あなたの人生の指針となりますように。
おまけ
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。広いときもある。狭いときもある。のぼりもあれば、くだりもある。坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまるときもあろう。なぐさめを求めたくなるときもあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
(松下幸之助)
「この道しかない」といい切れるような生き方を望みます。
愛と感謝を込めて りん