優勝会見 緒方監督「感謝の気持ちでいっぱい」
優勝が決まったあと、広島の選手たちは都内の宿舎に移動し、緒方監督と選手4人が記者会見を行いました。この中で、緒方監督は「うれしいというより、感謝の気持ちでいっぱいです。選手とそれを支えるコーチや裏方、そしてファンの皆さんの存在。皆さんに『ありがとうございました』と言いたい」と話しました。
また、今シーズンを振り返り、「序盤にけが人が続出し、限られた人数で戦わなければいけない中、投手も野手も頑張ってくれました。投打がかみ合い、力が付いてきたと感じたのは交流戦のころですが、選手たちはまだまだ成長途中だと思う」と話しました。
そのうえで、「リーグ優勝が最終目標ではないので、このあとも勝ちきって日本一を勝ち取りたい」と意気込みを話しました。
そのうえで、「リーグ優勝が最終目標ではないので、このあとも勝ちきって日本一を勝ち取りたい」と意気込みを話しました。
黒田「夢のようだ」
黒田投手は「夢のようで、できすぎという感じです。悩みながら、ことし1年間プレーを続けて、まさかこういう結末が待っているとは思いませんでした。監督やチームメートみんなに感謝したい」と話しました。
また、優勝決定後に涙を流していたことについて、「いろいろ考えることはあった。たくさん考えながら、こみあげてくるものがあった」と話したうえで、「これから短期決戦が続くので、今まで以上にチームが一丸となって戦っていきたい」と意気込みを話しました。
また、優勝決定後に涙を流していたことについて、「いろいろ考えることはあった。たくさん考えながら、こみあげてくるものがあった」と話したうえで、「これから短期決戦が続くので、今まで以上にチームが一丸となって戦っていきたい」と意気込みを話しました。
新井「ファンに感謝」
新井貴浩選手は「優勝できて夢みたいにうれしい。2位とのゲーム差はあったが、優勝が決まるまではずっとしんどかったので、苦しかったことや悔しかったことが頭の中を駆け巡りました」と話し、涙を流した理由については「黒田さんが泣いている姿を見て、僕ももらい泣きしてしまった」と笑顔で答えていました。
そのうえで、新井選手は、「今回の優勝はファンの皆さんへの感謝の気持ちしかない。自分は、広島に復帰した去年の開幕戦で初めて打席に入った時、思ってもいないほど大きな声援を受け、感動をもらいました。だから、なんとかファンの皆さんに喜んでもらいたいという気持ちだけでやってきたので、感謝の気持ちを伝えたい」と思いを語りました。
そのうえで、新井選手は、「今回の優勝はファンの皆さんへの感謝の気持ちしかない。自分は、広島に復帰した去年の開幕戦で初めて打席に入った時、思ってもいないほど大きな声援を受け、感動をもらいました。だから、なんとかファンの皆さんに喜んでもらいたいという気持ちだけでやってきたので、感謝の気持ちを伝えたい」と思いを語りました。
丸「一丸で戦ったことが大きい」
丸佳浩選手は、優勝が決まった時の気持ちについて、「相手の本拠地にもかかわらず、たくさんのファンの方が応援してくれたので、優勝が決まった時は、何とかその思いに応えることができて、ホッとした気持ちもあった」と話していました。
そのうえで、今シーズン好調な打撃については、「去年非常に悔しい思いをして、キャンプで今までにないほどきつい練習をしてきたので、それが報われた。ただ、シーズン中は全員がつなぐ意識をしっかり持ち、一丸となって戦ったことが大きく、自分が結果を出せない時も、みんながカバーしてくれた」と振り返っていました。
そのうえで、今シーズン好調な打撃については、「去年非常に悔しい思いをして、キャンプで今までにないほどきつい練習をしてきたので、それが報われた。ただ、シーズン中は全員がつなぐ意識をしっかり持ち、一丸となって戦ったことが大きく、自分が結果を出せない時も、みんながカバーしてくれた」と振り返っていました。
菊池「決定の瞬間 頭真っ白に」
菊池涼介選手は、「直前まではいつもと全く変わりませんでしたが、優勝が決まった瞬間は頭が真っ白になって訳が分からなくなりました。みんなで抱き合った時に優勝を実感しました」と、興奮した様子で話していました。
そのうえで、今シーズンの自身の役割については、「去年、期待されながら何もできずに悔しい思いをして、キャンプから徹底的に打撃を磨いてきました。バントを少なくした戦術など、これまででいちばん難しい2番バッターの役割でしたが、考え抜いて、自分を殺しても、みんなのためにと思って頑張りました」と振り返っていました。
そのうえで、今シーズンの自身の役割については、「去年、期待されながら何もできずに悔しい思いをして、キャンプから徹底的に打撃を磨いてきました。バントを少なくした戦術など、これまででいちばん難しい2番バッターの役割でしたが、考え抜いて、自分を殺しても、みんなのためにと思って頑張りました」と振り返っていました。