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右往左往するアラサ―女子の、気ままな備忘録・雑記です。

愛は、終わってみないとわからない

ただの日記

彼と死別して、半年が経とうとしています。
3か月ほど泣き暮らしながらも、うっかり絶対にGo liveするはずのない恋に手を出したり、結構まじめに結婚のオファーを頂いていたり、仕事は仕事でチャレンジの年なのでなかなかハードだったり、とまあ、自分の有限の生命をフル稼働しております。

他の誰かに恋をしたりなんだりしつつも、彼を思って泣かない日はない

  • ふっと声が聞こえたような、気配を感じたような気がした時。
  • 誰かが彼の口癖と似た言葉を言った時。
  • LINEのトーク履歴の一覧をスクロールしないと彼が出てこなくなったと気づいた時。
  • 夜のコンビニに、飲み物を買いに行く道すがら、自分の右側が空っぽな時。
  • アマゾンから届いたミネラルウオーターのダンボールを解体するのが面倒くさくて、むきーってなってる時。
  • 横で眠っている人が違う時。

亡くなった人を思って涙するのは、その人が自分の横に確かにいてくれた証

死別して1カ月は息巻いていて、こんな記事を書きました。
yuki-kuriyama.hatenablog.com

書いてからの数か月の方が地獄でしたね~。よくシャバに生還したと、我ながら思います。

なぜ生還できたかって?
えっちらおっちら憔悴した自分を引きずり生きながら、次第に、
「故人を思って涙するのは辛いけど、この悲しみというのはとどのつまり、その人が自分の横に確かに存在したという証を感じているということなんだ」と気づいたからです。

そして、
「これだけ泣けるだけの人を得られただけで、私の人生はなかなか素敵なんじゃないか・・・?」
と思うようになりました。
こうやって、「彼と死別した悲しみ」が、少しずつ「素敵な時間をくれた彼への感謝」に配分されてきたのは、ごく最近のことではありますが・・。

人間関係は続く限り、ナマモノ

生きている人間同士の関係性は刻一刻と変化します。
なので、いくら甘い日々があろうと戦いの日々があろうと、終わってみないと結果がどうだったかわからないのではないでしょうか。
(これは死別に限った話でなく、失恋・離婚とかも含め。)

だとしたら・・・
今、大事な人がいる皆さん。
おはよう、いってきます、行ってらっしゃい、おやすみって挨拶してね。
ごめんねとありがとうもちゃんとね。
あなたのこと大事だよって伝えてあげてくださいね。
今も1分1秒と、大事な人と過ごせる残り時間は縮まっているのですから。

人間関係はナマモノだということを絶望と希望のどちらでに捉えるかは、希望で捉えましょう!
そのくらいの勇気を持って生きた方が楽しいですよ。

愛は、終わってみないとわからない

私は彼との日々が終わって、予期せぬ終わりに泣き暮らした後、
「かわいい恋愛をしたな、それも全力だったな」
そう思いました。
100点満点じゃないけど、なかなかの愛だったと思っています。
この答え合わせは、50年か60年くらい先の天国で、彼をとっ捕まえてのお楽しみということで。

どんなに酷だって目をそらさないよ
全ての終わりに愛があるなら

桜流し

桜流し