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カプリスのかたちをしたアラベスク

小説とか映画とかアニメとかサブカルな文芸批評のまねごと。すぐにおセンチな気分になる。ご連絡は machahiko1205★gmail.com(★→@)まで。

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【第23回短編小説の集い(のべらっくす様)への参加】テーマ「虫」

創作小説

「短編小説の集い」に初参加させていただきます

小説を書きはじめてからたぶん6年くらいになるのですが、ここ3年はほとんど何も書いていないに等しく、ひとに読んでもらうこともなかったことを気にしていたのですが、おもいきって習作を公開してみようかと思い立ちました。

 

川添さんや卯野さんが参加されている「のべらっくす」さんには前から興味があったのですが、募集要項や他のひとの作品を見ると、ぼくの書くものはかなり迷惑になるんじゃないか…とかなりビクビクしているのですが、読んでいただけるとうれしいです。

文章を書く体力がまだまだないので、規定より短めの小説ですが、ご容赦ください。

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

お題「短編小説の集い「虫」」 - はてなブログ

 

 

題名「バグの心得」 ※初回です

 

 虫かごに入れば虫らしい。

 その定義は辞書によってまちまちであるけれども、たとえば余白のじゅうぶんな紙に重ならないように円を4つ描いてみる。その円にそれぞれ人類、獣類、鳥類、魚類と名付けてみると、どうやらあまった場所がいまのところ虫の住処とされている。しかしいささか乱暴すぎるこの余事象的な分類に、数学者の岡崎忠邦は「捕獲可能性」という概念をあたえた。それが後年「虫かご理論」とよばれるもので、直径10センチメートルの穴を潜り抜けることができ、かつ1ミリメートルの隙間を通り抜けられないもの初期の段階では定義されていたが、10センチメートルだの1ミリメートルだのといった数字じたいにはそれほど意味はなく、玄関から入って窓から出て行かないという行儀ただしさについて、さかんに議論された。

 

 京都帝大を卒業後、単身パリへ渡って以降の岡崎忠邦の足取りはつかめない。論文の発表も最低で10年の間隔がひらく程度には寡作であり、かれの所属が記されていることもない。その割には死亡時の情報は年月日だけでなく秒単位の時刻までグリニッジ標準時で記録されていて、かれの子どもによって報告された。この子どもについてはひとこと「学者」と記されているだけで、それが職業なのか名前なのかについて立ち入ることはゆるされておらず、学者という生き物だということで識者たちによる見解は統一されている。

 とにもかくにも、岡崎忠邦は実体の捉えきれない数学者として知られていた。もっとも当然といえば当然だが、順番としては岡崎自身の話よりもその研究内容のほうが先にそのように認知されている。

 渡仏当時に出会った多変数複素函数論を生涯の研究の軸として、かれはその活躍の場を表現論、トポロジー、数論、複雑系へと広げ、最終的にはそれらの横断的な議論を展開していく。そして業績のなかで到達点とされる研究が、農耕を議論する空間の23の公理を打ち立てたというもの。この論文を発表する13年前に発表したかれの研究では、コシヒカリの栽培を例にとることで、農耕空間を108次元であることを証明してみせたのだったが、そこから二毛作へと発展させることで農耕空間を7次元までさげてみせ、その空間ではたらく文法を整備した。

 岡崎の研究にただらならぬ関心を寄せたのが、フランスの匿名数学者集団ニコラ・ブルバギであり、かれらが岡崎に接触した痕跡がのこっている。どうやらブルバギは岡崎を自身とおなじ匿名数学者集団と見当をつけていたようで、最初に出版社を通して岡崎のもとへ送られた手紙には、ブルバギと岡崎の合流を示唆する内容が散見される。それに対する岡崎の返事はもっぱらブルバギの数学原論の矛盾点の指摘に終始している。それを受けてのブルバギの二度目の手紙は、指摘箇所の修正を主軸としながらも、結びに群論の基本をなす概念を隠喩的にもちいながら「K. OKAZAKI」という存在についての疑問を添えた。そして岡崎は可換性を虫とり網に、空間を虫かごに喩えながら、「K. OKAZAKI」と「ニコラ・ブルバギ」の独立性を定式化してみせた。これを最後に岡崎とブルバギの接触は途絶えている。時代は第二次世界大戦へ突入し、岡崎の生活を支援していたと自称する多くのユダヤ人がアウシュヴィッツへと送られた。

 

 20年の沈黙を経て、岡崎忠邦はあらたな論文を発表する。その2ページだけの簡潔な速報論文では、ブルバギへ送った数式に関するものだった。もちろん、二毛作により特定に成功した「農耕空間23の公理」の延長線上に位置づけされる成果であるが、その内容を強引に言い表すならば、「匿名性を考慮することにより、任意の農耕空間はその内にひとつ以上の閉じたミクロシステムを持つ」というものである。そしてブルバギに送ったあの数式が匿名性演算子を導出し、農耕空間に右から作用する。岡崎のいう「閉じたミクロシステム」はこの演算により吐き出されるものを指していて、世界中の数学者たちは最終的に現れた数式を下から覗き込むことで深いため息をついた。余談ではあるが、この数式を覗き込む角度で数学者としての力量が定量化できる、などといったジョークもまた同時に冷戦の壁を軽々と越えて広がった。

 ちなみに岡崎はこの論文を最後に世を去った。

 いまではもう知ることはできないのだが、かれにとってはたいへん不本意な結果であっただろう。世界各地でかれの死を追悼しての学会が開催され、それぞれがおもいおもいの岡崎の顔を空想の内に描きながら涙した。もちろんかれらのいう岡崎の顔とは、あの数式を下から覗き込んだときに見られる図形である。ひらいた口は光をも逃さないふかい闇へ続き、網目のような無数の目はこまかく見開かれ、蝶塚の鼻は燃えた遺骸の煙を放つ。煙は農耕空間を漂い、涙の湿気を吸うと雨となって大地を濡らし、卵になる。やがて殻を破って稲穂を這うと羽を伸ばして宙を舞い、いくつもの世紀をまたぎながら数多の数学者のことばで編まれた虫かごをすり抜けていった。

 

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