内閣官房長官、自民党幹事長などを務めた元衆院議員の加藤紘一(かとう・こういち)さんが死去した。77歳だった。

 外務省出身。1972年の衆院選で旧山形2区で初当選。当選は13回を数えた。党内派閥の一つ、宏池会会長を務め、長く首相候補と目されていたが、2000年11月のいわゆる「加藤の乱」で、野党提出の森喜朗内閣に対する不信任案に同調しようとして失敗。派閥は分裂し、総裁候補としては事実上失脚した。12年衆院選では落選し、政界を退いた。