「君の名は。」を観た。映画としては面白かったが、監督の東京至上主義的発想がにじみ出ていて気分の悪い作品だった。以下ネタバレこみでどこが気持ち悪かったか書く。
まず、三葉が飛騨に住んでいるのに東京の話ばかりするところが気持ち悪い。飛騨は一応岐阜の一部であり東海地方である。テレビも名古屋のニュースが入るはず。ならば、まず三葉が向かうべき都会は東京ではなく名古屋のはずである。もちろん、東京と名古屋では都市の規模に明確な差があるけれど、「カッフェ」はたくさんあるし雇用も最低限はある。実家の様子を見に行くことを考えれば名古屋に就職するという選択肢も考えられるはずで、そこがすっぽり抜け落ちているのが不思議だ。小説版では三葉が名古屋のことを「大きな田舎」と表現する場面があるらしいが、当たり前だが飛騨よりは名古屋のほうが何倍も都会だ。三葉たちが困っていたのは「カッフェ」がないこと、雇用がないこと、訳のわからない因習があることだ。それらから逃れるためだけならば東京ではなく、岐阜市なり名古屋市なり富山市なり近くの地方都市に引っ越せばいい話である。(岐阜や富山は雇用が少ないかもしれないけれど)三葉が「田舎」を脱出したいという気持ちはわかるが、その向かう先が「東京」である必然性は感じられなかった。
次に、三葉たち糸森村の若者たちが最終的に三人とも上京するというのが気持ち悪い。繰り返し書くが、三葉たちが「田舎」から脱出するなら名古屋に引っ越すという手段もある。それなのに三人が三人とも東京に出てくるのはなぜなのか?また、百歩譲って名古屋が飛騨と同じレベルの「大きな田舎」だとして、「田舎」に彼らが残らなかったのはなぜか?糸森が消滅したとして、その地元に愛着があるなら欠点はあれど飛騨に残るという考え方も抱けたはずだ。特にテッシーは親父が土建屋でその跡を継ぐという選択肢も考えられたはずであり、岐阜で就職することもできたはず。東京に行った三葉と地方に残ったテッシーという対比もできたのに三人とも上京してしまうというのが腑に落ちなかった。
そして、彗星が墜落したあとの三葉とテッシー夫婦以外の糸森町民の姿が描かれないのも気持ち悪い。町は半分くらい吹っ飛んだが避難は完了したはずで、三葉の妹やおばあちゃん、親父さんは生き残ったはずである。それなのにせいぜい三葉の親父さんが週刊誌に載ったことがわかるくらいで妹やおばあちゃんの後日談はない。あたかも彗星によって三葉たち以外の糸森町民は抹殺されてしまったかのようだった。また三葉たちは生き残ったが、糸森という文化は彗星墜落によって消滅してしまった。これは瀧が過去を改変する前も後も実は変わっていないように思えた。田舎の文化や田舎に残った人たちを瀧は実は救えていないのではないか。
(そもそもおばあちゃんや妹は生き残ったのかという疑問もある。ラスト付近で瀧が彗星の被害について振り返ったとき、彼は「突然の避難訓練によって、奇跡的に『ほとんど』の町民が生き残った」といった。この言葉からわかるのはあの彗星墜落によって少なからず死者が出ていたということである。その死者の中にテッシーの親父や三葉パパや四葉が入っていた可能性も後日談が描かれなかったから十分ありうる。神社や土建屋といった「田舎の因習」の象徴である彼らを監督は観客にはわからない形で彗星で消し去ってしまっていたのかもしれない。)
①「君の名は。」の世界には「東京」と「ど田舎(=飛騨)」しか存在しないのが気持ち悪い。地方都市の存在を無視している。
②若者たちは必ず「東京」へ行かなければならず、彼らが抜けだしてしまった「ど田舎」は描く必要がないという思想が気持ち悪い。東京は必ずしも「地上の楽園」ではないし、若者たちが抜けだしても飛騨に残った人たちの生活は続いている。「田舎」は「東京」へ向かう若者たちの踏み台ではない。
この二つは監督の「東京至上主義」から出てきているのではないか。東京以外に日本に都会はなく、あとは全て「田舎」である。「都会(=東京)」は素晴らしく、「田舎(=東京以外)」はくそったれであり、若者は必ず上京しなければならない。自分は新海監督のファンではないので彼が今までどういう映画を撮ってきたかよくしらない。だけど、「君の名は。」を自分なりに解釈するとこういうメッセージがあるように思えて仕方ない。そしてこの発想は「東京以外」にすむ自分としては非常に気持ち悪い。セカイ系だなんたら言われてる人らしいがその手の批判もむべなるかな、と思ってしまうような映画だった。
東京コンプレックス強すぎだろ
作中に出てこないというだけでそこまで深読みできちゃうコンプレックスが怖い
普通に怖い
冷静に考えて、名古屋にしちゃったら、物語が上手く終われなかったんだろ。 最後に出会えなかったんだろ。 そういう大人の事情があることくらい、わかってやれよ。
飛騨地方北部に住んでる人が東京へ出る場合、名古屋を通る必要がない(高速バス→安房峠、新幹線→富山)ので名古屋が意識されない。 一方、飛騨地方南部と美濃地方に住んでる人は...