aikoの初期に『二時頃』という曲がある。
男といい感じになったんだが、その男には本命の女がいたという歌である。まだ初期だから歌声に濁りがある。とくに最後、aikoは「思ってくれたかな」を「オボオてくれたかな」と歌っている。そこでいつも心を持っていかれる。
このあいだ出たアルバムの初回盤には再録が入っているが、そこでのaikoは『二時頃』をさらりと歌いこなしていて残念だった。「思ってくれたかな」と綺麗に歌っている。オボオ待ちをしていた私は肩すかしを喰らった。『二時頃』に関してはやはり最初の録音がよいと思う。
さて、ここから本題である。
この曲は歌詞も最高なんだが、とくに終盤、aikoが本命の女の存在に気づくところ、
本当は受話器の隣
深い寝息をたててる
バニラのにおいがする
タイニーな女の子がいたなんて
ここが最高である。
たしかに、「バニラのにおいがするタイニーな女の子」には勝てない。ものすごく説得力がある。だって普通、人間の身体からバニラのにおいなんてしない。汗の臭い、脂の臭い、酒の臭い、せいぜいが香水の臭いである。そのうえタイニーだ。背が低いのだ。おそらく華奢だ。肌は白い。そしていつもバニラのにおいがしている。私は人生で一度もバニラのにおいがするタイニーな女の子に出会ったことがない。そう考えると私の人生などろくでもないものに思えてくる。一度くらいバニラのにおいがするタイニーな女の子に出会いたかった。
「〇〇のにおいがする〇〇な女の子」というフォーマットを考えた時、「あたしが思いを寄せる人の本命の女」としてベストなのは、やはり「バニラ・タイニー」である。さすがはaiko、こういうところは的確にピシッと決める。最強の女の子はバニラのにおいがするタイニーな女の子なのだという説を私は提唱していきたい。最強の動物はアフリカゾウ、最強の昆虫はスズメバチ、最強の女の子はバニラのにおいがするタイニーな女の子だ。
バニラのにおいがするタイニーな女の子が合コンにくれば他の女はどうすることもできない。バニラのにおいがするタイニーな女の子は自己紹介でもとくに面白いことは言わずにチョコンと座っているだけだが、漂ってくるバニラのにおいは深い霧のようになり、男たちの視界から他の女の姿を消すだろう。男たちがトイレに立った時に洗面台の前でうわさするのは、明るい女でも、気配りのできる女でも、露出度の高い女でもない。
「一人、いただろ、あの……」
「バニラのにおいがする?」
「そう、バニラのにおいする子!」
「バニラのにおいする子いたよな!」
「いたよ!」
「でも俺、逆にいけないわ」
「俺も逆にいけない」
「俺も」
「俺も」
「バニラのにおいするんだもんなあ……」
普通の男はバニラのにおいがするタイニーな女の子に直面すると「逆にいけない」と弱音を吐く生き物である。自分との釣り合いを考えてしまうからだ。だからバニラのにおいがするタイニーな女の子には相応の男が求められる。それは何の努力もなしに平気でモテてきた男である。
クラスで一番カッコよくてスポーツもできて勉強もできて男友達も多くて女子全員がなんとなくいいなと思っているがそれゆえに誰も告白できない男子といつのまにか付き合いはじめているのがバニラのにおいがするタイニーな女の子である。どちらが言い寄ったわけでもない。風が草木に言い寄らず、草木が風に言い寄らず、ただ風と草木はともにあるように、二人は登下校をともにする。
他の男子・女子はそれを眺めることしかできない。手をつなぐ二人のうしろすがたを見ながら馬鹿のように口を開けている。対抗心を持つ気すら起こらない。アフリカゾウと張り合う人間がいないのと同じだ。全員、自分の身体をクンクンかぎながら、バニラのにおいがしないことを確認するだけ。恨むならバニラのにおいがする身体に生まれてこなかった自分の運命を恨め。それだけである。
aikoもバニラのにおいがするタイニーな女の子に敗北している。
『二時頃』はaikoの敗北の歌なのだ。
曲の前半においてaikoは浮かれている。
新しい気持ちを見つけた
あなたには嘘をつけない
恋をすると
声を聴くだけで幸せなのね
しかしaikoの喜びはバニラのにおいがするタイニーな女の子という無慈悲な鉄槌に粉砕される時を待っていた。
ひとつだけ 思ったのは
あたしの事 少しだけでも
好きだって 愛しいなって
オボオてくれたかな?
かくしてaikoの声は濁る。完膚なきまでの敗北がaikoのオモをオボ化するのだ。敗北したaikoが気にするのは「少しでもあたしのことを思ってくれていたのか?」という一点だけだ。1%でも自分は入りこめていたのかということだけだ。相手はバニラのにおいがするタイニーな女の子なのだから。
バニラのにおいがするタイニーな女の子は自分がaikoを打ちのめしたことを知らない。
恋愛の泥沼の只中で、静かに寝息をたてている。
ここがポイントだ。徹底的に無自覚であること。ここにバニラのにおいがするタイニーな女の子のバニラのにおいがするタイニーな女の子たるゆえんがある。バニラのにおいがするタイニーな女の子は自分が男たちの視線を集めていることを知らない。他の女たちの心をざわめかせていることも知らない。無垢ゆえにバニラのにおいは立ちのぼる。バニラのにおいがするタイニーな女の子はいまも世界のどこかで、周囲に無数の葛藤を引き起こしながら、深い寝息をたてていることだろう。
以上である。
最後に、この記事では「タイニー」と表記したが、実際のaikoの歌詞では「tiny」と表記されている。わかりやすさのためにカタカナで表記したことをご理解いただきたい。もっともバニラのにおいがするタイニーな女の子自身は表記など気にせず、静かに寝息をたているだけだろうが。