やれ「こうしたほうがいい」だの「この考えは間違っている」だの、あらゆる角度から精査吟味したコメントが山ほど付く。
返ってくるのがこんな回答なら自分は満足だ。
「なぜオナニーするのか?」と訊かれたときと同じなら何も文句はない。
しかし、「お前」はそうは答えない。「間違っていることを間違っていると指摘するのは当然…」みたいな、ゴニョゴニョしたことを言う。
世の中の間違いを正し、正しい考え方を伝えたいなら、なぜはてなブックマークのコメント機能なんか使う? まさかそれが自分の意見を伝える最適な手段だと思っているのか?
はてなブックマーカーのxevraという人はこんなコメントを書いている。
「棘があるのはそうしないと相手に届かないから仕方ないんですね。私のブクマ活動の目的は社会をより良くする事なので少しでも役に立てばうれしいです。」
こんな記事も書いている。
http://xevra.hatenablog.com/entry/2014/05/03/165034
要約すると、自分がはてブコメントを書く、しかも強烈に棘のある言葉で書くのは多くの人に強い印象を残すためであり、これを継続すれば社会が良くなっていくのだそうだ。
「もちろん、極微々たるものではあるが、こうやって毎日毎日メッセージを発信し続ける事で社会がほんの少しでも良くなれば、より住みよい社会になって私の人生も楽しくなる。
だから今後もこのスタンスは変えないし、日々、社会が良くなるにはどうしたらいいか考え続け、メッセージを工夫して発信し続けたいと思う。」
寝言は寝て言え、と思う。こんなことを1万年続けたって社会は良くならない。よしんば良くなるとしても、xevra氏自身の言うようにその効果は「極微々たるもの」だ。
なぜわざわざ「はてブ」を選び、そんな非効率的なことを続けるのか? なぜ微々たる効果に甘んじているのか? お手軽だからだ。似たような考えの人に安定して指示されるからだ。平均値よりそこそこ高い知能を利用すれば高確率で勝てるジャンケンゲームだからだ。気持ちよくなれるからだ。
特に最近のxevra氏は「先生」などと呼ばれて、一定のキャラクターを確立している。「同じことばっか書いてて頭おかしいけどちょっと憎めないよね」みたいな。「なんだかんだで言ってることは正論だよね。僕も野菜350グラム食べるようになりました」みたいな。これは閉じたコミュニティの中で生活するなら喉から手が出るほど欲しいポジションだ。何を言っても周囲が今までのキャラクター性と照合して解釈してくれるし、間違ったこと、人を傷つけることを言っても「まああの人はそういうキャラだから」というエクスキューズが成立する。自分専用の席が用意された世界ほど居心地のいい場所はない。
矛先がxevra氏に向いたのでこれを読んでいるxevra氏以外の人は安心したかもしれないが、問題は似たようなことを毎日やっている「お前」だ。自分がこれを「おまえら」としないのは、「でも、そうでない人も中にはいるし」という逃げを打たれるからだ。はてなブックマーカーという群体ではない「お前」の話をしている。
お前が毎日いろいろなネット記事に正論を貼り付けているのは、間違った考えの人たちに考えを改めて欲しいと思っているからなのか? それともただの楽しい井戸端会議のつもりなのか? もし前者だと少しでも思っているなら、もっと効率のいい方法はいくらでもある。文字数制限された1行コメントで変えられるほど世界は小さくない。「正しさ」を手札にしたゲームにのめり込めばのめり込むほど、数えきれない多くの問題をはらんだ世界のリアルさを忘れる。人ひとりが世の中に対して働きかけられることなんて微々たるものだが、だからといって1行のコメントを書き込むだけで「少しだけだが今日も善いことをしたな」と満足しないでほしい。もしブコメ以上に手間のかかることなんてしたくないと思うのなら、もう正しさを大切にしているかのような素振りを見せるのはやめてほしい。自分が気持ちよくなりたいという衝動に従っているだけだと自覚してほしい。
以上の文章はもちろん、増田の自分にも向けられている。なんでこんなこと書いたのか? やっぱり気持ちよくなりたいだけなのかもしれない。だってこれを書くことではてブ以上の何かをやり始める人なんてただの一人もいないだろうし、明日からもいろんな記事に同じようなコメントがつき続けるだろうから。正直こんな状況いやだと思っているが、これ以上の行動に移るのは、自分にはめんどくさい。