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当事者意識の欠けた人とおまえの言い方が気に入らない教の人

web日記 弱者と強者に思うこと

ブコメやブログ通知をぜんぶ読まない派だと以前にも書きましたが*1、通知されるエントリーのタイトルと信頼しているブックマーカーブコメは追いかけることがあります。なのでここ数日おまえの言い方が気に入らない教の人たちと、差別問題は当事者が先頭に立て主義の人たちが、方々で何かいっているというのはおぼろげに見ました。

 

わたしはアイヌではないので、アイヌの問題に口を出す権利はありません。アイヌの政治、文化、宗教、和人とどのように関わるべきかなど、すべてアイヌの方々が自主独立して決定することです。

 

わたしは当事者なので当事者として語っています。つまりわたしの民族が国土を共有するアイヌの方々を不当に辱めているということについてです。アイヌ差別はアイヌの問題ではなく、アイヌを軽んじ、不当に虐げている和人の、わたしたちの問題です。

 

黒人差別は白人社会の問題、女性差別は男性社会の問題、いじめはいじめっ子の問題、DVはDV加害者の問題であり、DV被害者の問題ではありません。解決すべきは強者、マジョリティの認識の欠如、想像力の欠如、そして自らの存在が少数派や弱者を脅威に陥れているという現実認識の欠如です。好みの話なら聞いてやる、不愉快なら拒絶するのは個人の自由という発想は当事者意識の欠如であり、加害構造の加担にほかなりません。

 

自分の民族が国土を共有する少数民族を、それも残忍な迫害し、いまなお不当な差別で踏みつけている民族に対して、軽々しく殺すと発言する人をどう考えるかは、わたしたち和人の問題であって、被害者がアウティングの危険を犯して自主的に発言するまで穏便に待つべきと悠長なことをいっている場合ではないとわたしは考えます。

 

南北戦争奴隷解放を現実化したのは黒人ではなく白人のリンカーンでした。奴隷制度を作ったのは白人だったからです。ではアイヌを差別しているのは誰ですか。

 

「そんな態度じゃ聞いてもらえない」

差別問題になると必ず出てくる意見はこれです。

格差や差別を無視するときにやりがちな言動 - はてこはときどき外に出る

「そういう言い方だといつまでも差別のことを理解してもらえないよ?」という謎の上から目線もよく見かける。

2016/09/04 18:52

b.hatena.ne.jp

これがどれだけありふれたパターンなのかは、このコメントに星が集中していることからもわかります。

 

わたしは理解を最優先するべきだと思いません。痴漢を見たら「突然失礼します、女性の権利と生理的、情緒的感受性についてのお話を聞いていただけますか」と尋ねたりはしないで、とっとと引きずり出す派です。踏んでいるならまず足をどけろといいます。

 

マジョリティの苦境を告発する場面で「加害者は責められると臍を曲げる」「無知な加害者を啓蒙するには」とアドバイスすることがいかに的外れなのか、LGBT差別について長い間貴重な資料を翻訳、紹介してこられたみやきちさんが「差別と共生の社会学」から引用しておられました。

そこに差別があることを告発し、差別の何たるかを懇切丁寧に説明し、「マジョリティ」の<無知>――指摘されるまで見て見ぬ振りしていること――を解消するのは、まるで被差別側「マイノリティ」の役割でもあるかのように、誤解されてきた。「マジョリティ」は、「(教えてもらわないと)わからない」を繰り返す。この「マジョリティ」の<依存>は、「マイノリティ」というアイデンティティの消費/搾取である。良識派たらんとする「マジョリティ」こそが、実は、差別を告発する「マイノリティ」を、依存対象として必要としている。

 

差別と戦う主体となり、差別をなくす上で、社会的義務と責任を全うすべきなのは、むしろ、差別する側の人々なのであって、被差別者ではない。それを、「マジョリティ」が「マイノリティ」を<支援>すると言った途端、その責任は巧みに「マイノリティ」側に転嫁され、「やってあげる」「やってもらう」という上下関係が生じて、再び「マジョリティ」側が有意に立つ。これでは差別構造の上塗りとなるだけだ。 

 

 『差別と共生の社会学』(井上俊 et.al. 岩波書店) p. 26-27

「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」派の皆さまへ - みやきち日記

 

このような態度に出る人に対して、わたしはみやきちさんの以下のお考えに同感です。

本当に「わかりたい」と思っていらっしゃるのなら、「赤の他人がなぜか自主的に時間や労力というリソースを費やして、怒らず優しく懇切丁寧にものを教えてくれる」という奇跡など待ったりせず、まず書籍という知の集合にあたりそうなものだと思うのですが。こういった方々のお住まいの近くには、図書館や本屋さんはないのかしら。

 

わたしは…ボランティアで優しくあなたがたを教育・啓蒙するためでも、それによって理解・支援「してもらう」ためでもありません。ましてや差別を「やめてもらう」ためでもありません。何か勘違いして権力勾配の上座から「もっと優しく教えて我々を納得させよ(大意)」などとおっしゃる方々に伝達したいことなどはなから何ひとつないし、逆に、意を伝えたい人たち、すなわちセクシュアリティを問わずわたしが勝手に「わたし(たち)」と思っている大事な人たちには十二分に伝わったという手応えを、わたしは感じています。

「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」派の皆さまへ - みやきち日記

 

反差別は博愛主義ではない

差別について書いてるのに人によって態度が違うとか、悩みに優先順位をつけているとか、態度が不遜だとかいってくる人がいます。博愛主義は尊いことですが、「人を差別しない」を「誰にでも平等に礼儀正しいこと」とするのは勘違いです。反差別はすべての人を受け入れ、愛すことではありません。対等な関係はお上品なマナーがなくても成り立ちますし、対等であっても揉め事が起きるのは当たり前です。そもそも相手の反応の責任を全面的に引き受けることは誰にもできません。わたしは人が傷ついたかどうかで善悪を判断しません

 

男性であれ、女性であれ、どこの民族のどのような性的志向を持つ人であれ、また重い障害、深刻な病気、その他どんな苦労をしていようが、わたしは自分の権利を侵害されることをゆるしません。属性を根拠に相手を拒絶すべきでないと考えて痛い目を見る人が、もっと減っていけばいいと思っています

あの夜、僕の胸を撫でた同性の先輩は児童買春で逮捕されていた - ジャンプ力に定評のある前田

 

属性を根拠に人に好意を強いる権利は誰にもありません。誰を愛し、誰を受け入れ、誰を憎んで拒絶するかを自由に決める。これは人として当然の権利です。誰にも自分を愛す義務、受け入れる義務を負わせることはできないし、自分が誰を受け入れ、愛すかは自由に決めることです。

 

けれどもわたしは人が属すグループの評価をもって、個人の人格や権利が、他者から規定されることを不当だと考えます。*2「女は滅びろ」という暴言に「おまえはくたばれ」と返している人を見ました。前者と後者の違いが理解できない人は差別やヘイトスピーチについて道徳の時間のお行儀以上の理解が必要だと思います。坊主と袈裟の区別をつけてください。

 

嫌いな理由 

最後に、なんだか知らないけど、どうしても、どうしても、はてこがフェミでミサンドリーで全方位に男を嫌ってるはず、そうでなきゃやだやだみたいな人がいるので、おまけにわたしが嫌いな男の話しとくわ。*3

 

まずわたしは男社会が嫌い。女性蔑視で階層主義的だから。そして構造の問題じゃなく個人的に嫌いな男は、わたしにとって嫌な奴だわ。男だから嫌われてんじゃないの*4。嫌な奴だから嫌ってんの。ひとを子供か部下のように扱ったり、面識ないのに飲み屋で話すような説教してくりゃうんざりするの。そういう男に絡まれるウザさと消耗度を知りたい人は紀貫之ならってネカマ活動をおすすめする。そして女性に期待される役割を押し付けられるめんどくささを経験してみてほしい*5。女装して町に出てみるのもいい。

女装して分かる痴漢の真実 - 小汚いオカマ日記

 

あなたもいるでしょ? 嫌いな人。人を嫌う権利は人権のひとつだからしゃあないよね。レイシズムのない世界にも片思いは存在すると思うし、お互い存分に行使しよ。最近ははてサとか人権家とかまでいわれて、ほんとカテゴライズするの好きだなと思うわ。はてなも左翼も人権家もよく知らないから、ちょっと勉強しとくね。

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:id:コールも全レスしないしコメント承認も忘れがち。

*2:ゲーマーだから、オタだから、非モテだから攻撃される!って自分で貼ったレッテルをこっちに転嫁してわーわー騒ぐ人がよくいるけど、わたし一回もそんなこと書いてないじゃん。属性どうこうじゃなく、その中の行儀悪い連中の行動が嫌いなんだわ。属性隠れ蓑にしないでほしいんだわ。

*3:こゆこという人って、もちおが女だと思ってんの? これまでブログに引用したり登場したりした男性って、実はみんな女だと思ってんの?

*4:男が怖いと加害者扱い!被害者ぶってる!とかとんちんかんだわ。夜道で襲われないよう警戒しろとか自意識過剰だとか言われず生きてると、こんなに呑気になるのかね。

*5:対等な立場にあるはずの男と話してんのに、「母親が子供にきつい言い方をしたらどうなるか」と一方的に母性を求められたりね。