続く“拉致”の衝撃 ~揺れる在日朝鮮人社会~
“拉致”の衝撃
在日韓国・朝鮮人の人たちが全国で最も多く暮らす大阪。
東大阪で朝鮮総連の分会長を務めるコ・コンボさんです。
地域の45世帯を取りまとめ、総連の方針を伝えてきました。
青年団の代表としてピョンヤンを訪問した時の写真です。
コさんは総連の学生組織で母国語や歴史を学び、北朝鮮を支持するようになりました。
この写真を撮った時には、故キム・イルソン主席と握手を交わし、祖国への思いを強くしました。
コさんは拉致はないと信じ、周囲にもそう公言してきました。
今、地域をまとめる活動家としての責任を痛感しています。
東大阪 柏田東分会 コ・コンボ(高健輔)分会長
「今まで拉致なんて絶対ないんだって、どこへ行っても声を大にして言ってきましたからね。
結果として、自分はそうやって嘘をついたことにもなるし、逆に私がそう言うから、きっとそうなんだろうって思ってた同胞たちもいるわけですからね。
そういう同胞たちに対して、裏切ってしまったという思いはね、やっぱりありましたね。」
1955年、朝鮮総連は北朝鮮を支持し、差別や貧困に苦しむ在日の人たちの生活を守るとして結成されました。
地域に置かれた支部や分会は、冠婚葬祭や仕事の世話をするなど、在日の人たちの日常生活を支えてきました。
半世紀にわたり在日と北朝鮮を結び付けてきた朝鮮総連。
拉致についても本国の主張に沿ってでっち上げと主張してきました。
北朝鮮が拉致を認めると、総連は両国の間で解決されるべきで、総連が関わる問題ではないとしました。
記者会見が開かれたのは、日朝首脳会談の2か月後のことです。
朝鮮総連中央本部 ナム・スンウ(南昇祐)副議長
「本国の最高指導者がね、この問題を誠意を持って解決をすると言ってる以上、これに関しては、本国の発表する、説明することを信頼していくのが私たちの基本的立場です。
それ以上はございません。」
しかし、在日の人たちからは、総連の対応は不十分だという声が相次ぎました。
支部や関連団体の若手活動家23人が、実名で執行部に提出した意見書です。
“急速に同胞社会における脱総連現象が起こっている。”
“根本的な改革をすることが、一番重要な使命である。”
こうした声が組織内部から公然と巻き起こるのは極めて異例です。
続く“拉致”の衝撃
●拉致事件への対応が不十分だとして起きている総連離れ どんな形で現れているか?
総連への寄付の持ち込み、職員の給与の支払いが滞っているところもあるということです。
また、長年保ってきた朝鮮籍を韓国籍に変える人も増えているんです。
まずこちらをご覧ください。
朝鮮総連は、中央本部・地方本部・支部・分会という形で統制されていました。
しかし今回声を上げ始めたのは、在日の人たちの声を直接聞いている分会や支部の活動家たちなんです。
総連離れを目の当たりにして、このままでは組織は立ちゆかないと強く感じている人が多く、組織に対して改革を訴えているんです。
●総連が拉致に関わったということはないのか?
総連は拉致には全く関与していないし、内部調査の必要もないと否定しています。
しかし、こうした総連の対応に対しても、現場の活動家の中には、きちんと内部調査をして疑惑を晴らすべきだという意見ですとか、北朝鮮に真相究明を求めるべきだという声もあります。
“拉致”を謝罪した総連分会長
2月、大阪で開かれた拉致被害者の家族を支援する集会です。
この日、東大阪で分会長を務めるペク・ソンボさんが横田さん、有本さん夫妻に拉致を謝罪しました。
東大阪 小阪2分会 ペク・ソンボ(白星保)分会長
「当然、僕は拉致はないと思ってました。
その件に関しては、どう言うんですかね、僕の気持ちとしては非常にお詫びしないといけないという思いがあります。
恐らく横田さんも有本さんも、それは僕の謝罪は拒否されるかもしれませんけど、僕の気持ちは謝罪したい気持ちです。」
総連内では、拉致を謝罪すれば組織として関与したと受け止められかねない、謝罪すべきではないという見解が出されていました。
ペクさんは悩んだ末、その見解に反する行動をとったのです。
ペクさんは昼間は会社に勤め、夜や休日に分会長の仕事をしています。
祖国や総連が必要だと思う気持ちは変わりません。
しかし、在日朝鮮人が日本で暮らしていくためには、総連と北朝鮮の関係を見直す必要があると感じるようになりました。
東大阪 小阪2分会 ペク・ソンボ(白星保)分会長
「総連のあり方、本国との関わり方について、今問われてると思うんですよ。
ある意味では、全くそのちょっと一線を、朝鮮半島とは一線を置いた組織にならなあかんのじゃないかなという思いもあるんですね。」
ペクさんが集会への参加を表明したのは1月末でした。
在日の率直な思いを日本社会に伝えたいと考えたのです。
しかし、周囲の活動家からは、出席を控えるよう強く促されました。
出席すれば、分会長の職を解かれるなど、どんな処分を受けるのかペクさんにも分かりません。
ペクさんは、信頼している先輩に相談しました。
総連の関連団体で会長を務めるホン・ギョンウイさんです。
ホンさんは日朝首脳会談の1週間後、拉致を謝罪する声明を発表し、組織から厳しく非難されました。
総連中央から全国の組織に配付された内部文書です。
“ホン・ギョンウイの行為は、攻撃の矢を総連と我が同胞たちに向けさせる危険な害毒行為である。
さらに在日は植民地支配の被害者で、拉致事件の加害者ではない。
拉致事件は国家間の問題で、在日が謝罪する道理はない”と書かれています。
ホンさんはペクさんに、出席するならば相当の覚悟がいると忠告しました。
朝鮮総連人権協会 近畿地方本部 ホン・ギョンウイ(洪敬義)会長
「そういう場に総連の分会長が出てった時には、逆に北朝鮮憎し、総連つぶしっていうような今の風潮に逆に利用される危険性が大じゃないかと、そのあたりの心配が組織側にあると思うんですね。
今回に関しては、ある程度、慎重にやっぱり対応した方がいいんじゃないかなということで、僕自身もアドバイスしましたね。」
ペクさんが出席を決めたのは、集会が始まる1時間前でした。
東大阪 小阪2分会 ペク・ソンボ(白星保)分会長
「悩みましたね、だいぶ。
苦しかったですね。」
「決断の決め手は?」
東大阪 小阪2分会 ペク・ソンボ(白星保)分会長
「何でしょうか。
やっぱり自分の正直な気持ちを、やっぱり殺してまでいろんなしがらみにとらわれることが本当にいいのかなと思ったということですね。」
ペクさんは1人で決断し、会場に向かいました。
これからも在日朝鮮人として日本人と共に暮らしたい。
ペクさんはその思いで壇上に立ちました。
東大阪 小阪2分会 ペク・ソンボ(白星保)分会長
「我々は、もう帰らないわけですから、現実問題。
永住するわけですから、日本の方々とやはり理解して共生していきたいんですね。
我々がそれの問題に真剣に取り組んで解決することで、本当の相互理解が日本の方々と我々の間で結ばれて、より良い未来と言いますか、子どもに引き継がさなくてもいい時代が来るんじゃないか。
それは我々の使命なんじゃないでしょうか。」
組織の考えに反して行ったペクさんの謝罪を、拉致被害者の家族は重く受け止めました。
有本明弘さん
「かなり勇気いる言うたらええか、筋が通った考えでないとそれは言えんことやと思いますけどね。」
横田滋さん
「向こうの方から謝罪したいとおっしゃるんであれば、それはもう私たちは心から受け入れたいと思いますし、いろんな差別を受けられたことに対しては、こちらも謙虚に謝罪をすべきだと思います。」
ペクさんは、総連内部で厳しく注意されました。
しかし、分会の人たちからは、同じ気持ちだ、よく発言してくれたと励まされ、今も分会長の仕事を続けています。
東大阪 小阪2分会 ペク・ソンボ(白星保)分会長
「在日の問題ですから、在日で独自でやっていけばいいもんであって、共和国に何ら指示されるいわれもないですし。
共和国は共和国、在日は在日で自分の足場があるわけですから、僕は独立して、独立してというか、互いに独立してやっていけばええと僕は思ってますけども。」
揺れる在日朝鮮人社会
●在日朝鮮人は自立した考えで行動すべきだという考え方は広がっているのか?
若い世代の多くは、総連は北朝鮮の指示に一方的に従うのではなく、お互いに意見を言い合えるもっと自立した関係に改めるべきだというふうに考えているんです。
また、拉致事件だけでなく、北朝鮮の個人崇拝や軍事優先の体制に対しても疑問を感じると話しています。
●北朝鮮に追従する姿勢を変えない限り改革実行は難しいという声 総連中央はどう受け止めている?
NHKの取材に対して、総連中央の中央本部広報室は次のようなコメントを寄せました。
“祖国があってこそ在日朝鮮人の生活や未来があるという信念には変わりはない。
朝鮮半島情勢が好転し、展望が開かれていけば、祖国に対する希望と確信が持てるようになると信じている”としていまして、基本的には祖国との関係は変えないということなんです。
また改革を求める意見が多く出ていることに対しましては、“建設的な意見については真摯に受け止め、政策や活動に反映させていきたい。
また民族教育と同胞の生活への奉仕を重視するという方向で改革を進めている”というふうにしています。
●北朝鮮の拉致事件への関与で失望も なぜ総連は北朝鮮との関係を変えられないのか?
総連の多くの人たちは、その差別と貧困に苦しむ在日を支援してくれたのは北朝鮮だけだったとして、北朝鮮に強い恩義を感じてきたんです。
そうした思いの強い1世や2世が総連の中枢を占めていまして、北朝鮮の関係を見直すのは難しいというのが現状のようです。
また、1959年から始まった帰国事業で9万人以上の人が北朝鮮に渡っていることから、北朝鮮との関係を変えれば、肉親に危害が及ぶのではないかという危機感もあるということなんです。
朝鮮学校の模索
大阪・生野区にある東大阪朝鮮中級学校です。
授業は朝鮮語で行われ、女性は民族衣装のチマチョゴリを着用しています。
朝鮮学校の運営は、総連が最も重要としてきた事業です。
これまで総連が指示する北朝鮮の方針に沿った教育が行われてきました。
しかし去年(2002年)8月、教室の正面に掲げられていた、故キム・イルソン主席とキム・ジョンイル総書記の肖像画を取り外す方針が打ち出されました。
この学校でも去年10月、すべての教室から肖像画が外されました。
今は代わりに教室の後ろに、故キム・イルソン主席と子どもたちの絵が掲げられています。
総連が教育改革を余儀なくされた背景には、生徒数の減少があります。
全国の朝鮮学校の生徒数は1万2,000人。
最も多かった時期の3分の1です。
東大阪朝鮮中級学校 プ・ヨンウク(夫永旭)校長
「朝鮮学校に行かせたいと、行かせたいけどどうしても肖像画があればね。
また書いてあるスローガンとかを見ればね、どうしても政治的な意図を感じるとか、いろいろ言われる方もおりました、事実そうですしね。
そういう意味で、これから我々は韓国から渡日した子女たちにも教育をやらなきゃいけない、施さなきゃいけない。
誰もが入れる学校なんだということを一番重点に置きたいということですね。」
今年(2003年)4月からは、歴史教育の転換も図られました。
3年生の朝鮮歴史の授業です。
歴史担当 チェ・ユギ(崔由紀)先生
「イ・スンマン(李承晩)、この人が大韓民国臨時政府の大統領です。」
従来この科目では、主に故キム・イルソン主席について教えられてきましたが、大幅に削除され、代わりに韓国の歴史が盛り込まれました。
教科書も改訂されました。
古い教科書では、「敬愛なる首領様」という書き出しが随所に見られました。
新しい教科書では、これまでほとんど教えてこなかった韓国側の民族運動にもページを割いています。
運動の指導者の写真も数多く掲載されました。
新しい教科書の編さんには、韓国の教科書や歴史書を参考にしました。
歴史担当 チェ・ユギ(崔由紀)先生
「これが韓国の教科書であり、これが中学です。
これが高校なんです。」
教科書の編纂委員を務めたチェ先生です。
今回の改訂に当たって、チェ先生たちはピョンヤンに行き、北朝鮮の教科書担当者に教育改革の必要性を説明し続けました。
歴史担当 チェ・ユギ(崔由紀)先生
「日本という立地条件を理解してくださいと、それはちょっと無理なわけなんです。
本国で教えていることが自分たちの正統なんですから。
だから、そこら辺でやはりいろいろやり取りもあり、そこに理解していただくためにいろいろとバトルがあり、そういう中で何日間も論争もして、そして我々は最終的には我々の意見を全部です、受け入れてくれたんです。
もう北にこだわらないこと。
そして我々のこの日本に住んでいるというこの立地条件をやはり考慮しなくてはいけないんだと。
我々の教科書を作らなくてはいけないと。」
新年度最初の参観日です。
多くの保護者が教育改革の行方に強い関心を持っています。
保護者(3世)
「過去のことよりも、時代のニーズにね、沿った授業。
当然、能力、いろんな部分ありますけど、そういう問題でこれからもっともっと革新してほしいと、そのように思いますけど。」
保護者(1世)
「長い間、ちょっと偏ったというのか、そういう教育をしとったもんだから、本来の原点に民族教育が戻ってきたと、そういう出発であるということで、非常に私はうれしいし。」
♪“「私たち」という言葉 どれほど大切なものか”
日本で生まれ、今後も暮らしていく在日の子どもたちに、どのような教育をしていけば良いのか、朝鮮学校は模索を続けています。
東大阪朝鮮中級学校 プ・ヨンウク(夫永旭)校長
「危機的状況ですからね。
どんどん我々も内から変えていかんことにはね、同胞たちのニーズに合ったような改革をしていかんことには、将来は何もないですよ。」
揺れる在日朝鮮人社会
●学校改革はどう進むと見られているか?
今回の改革に対しても十分ではないという批判も多く、例えば肖像画の代わりに掲げられた絵についてもなくすべきだという意見もあります。
また韓国への修学旅行や、朝鮮語の講師に韓国人を登用することなどを求める声も各地で出ています。
しかし、総連中央は今のところ、いずれも認めないとしていまして、朝鮮学校の改革も簡単に進むわけではないようなんです。
●生徒数の減少が学校改革を促したが、総連改革に影響を及ぼすことは?
私たちが取材した幹部は、組織への不信感が高まる中、在日朝鮮人の社会は、学校を中心としたコミュニティに大きく変わろうとしていると話していました。
保護者の強い要望を受けて学校の改革が進めば、組織も変わらざるを得なくなるのではないか。
それを期待する声も聞かれました。
●転換点に立たされた総連 在日朝鮮人たちを取材して感じたことは?
そうですね、やはり印象的だったのは、拉致を謝罪したペクさんを始め、今回取材した在日の人たちが、祖国と日本の狭間で悩みながらも、日本人と共に生きていきたいと真剣に考えていたことなんです。
これまで在日の人たちは、日本社会に強い不信感を持ち、独自に歩んできました。
一方で日本社会も、その実態に向き合おうとしてこなかったという現実があります。
ペクさんのメッセージをどう受け止め、在日の人たちとどのような関係を築き上げていくのか、私たちも考えていく必要があると思います。
(ペクさんのメッセージは私たちにも向けられたメッセージだと感じた?)
そうですね。