1867年3月、渋沢栄一は徳川昭武の随行として、まだ工事中だったスエズ運河を通過し、マルセーユへと向かったが、このとき渋沢を心底驚かせたのが、スエズ開削のような巨大なプロジェクトが国家によるのでなく、フェルディナン・ド・レセップスが創ったスエズ運河株式会社によって担われている事実だった。
このとき以来、渋沢は株式会社というものの巨大な潜在可能性に思いを馳せ、これを封建制度打倒の武器にしようと考え、帰国後は、まず明治政府の官僚として、次に一民間人として多くの株式会社の設立・経営に邁進し、最後は、日本資本主義の父と仰がれるようになったのであるが、しかし、いまから考えてみると、民主主義や議会制度と同じように、この株式会社もまた日本に輸入されて定着する過程で、「土着化」という変容を被らざるをえなかったことがわかる。
核家族が株式会社を発明した
では、渋沢による移入から今日にいたるまで、株式会社は日本においてどのような土着化を被ったのか、またその変容の原因となったのはいかなるものなのか?「株式会社」を辞書などで引くと、その起源として大航海時代にイギリスやオランダ、フランスなどが東インド会社やレヴァント会社をつくったのが始まりとされている。巨大な資本を要する航海を支えるために、リスク分散のために資本を株式というかたちで小口に分割し、社会全体から広く資金を集めることにしたのだが、じつをいうと、株式会社を発明したイギリス、オランダ、フランスという国は、エマニュエル・トッドの家族システム論に従うなら、すべて「核家族」の国に分類される。すなわち、イギリスとオランダは絶対核家族、フランスは平等主義核家族といって微差はあるのだが、核家族の国であることに変わりはない。核家族とは、子供(とくに男子)が結婚するとかならず親から独立して一家を営む類型で、兄弟への遺産が不平等分割なのがイングランド・オランダ型の絶対核家族で、平等分割なのがフランス型の平等主義核家族である。
これに対して、株式会社を遅れて取り入れたり、あるいは自己流に変容させて土着型の資本主義を作り出したのはドイツ、スウェーデン、スイス、日本、韓国などだが、これらの国々は直系家族に分類される。直系家族とは、男子が独立し、家庭を持っても、そのうちの一人(多くは長男)は親と同居するというタイプで、親・子・孫が同一世帯に同居するのを特徴とする。遺産はこの跡取りの長男がすべて受け継ぎ、次男以下は相続に与れずに家から出ていく。
また、株式会社や資本主義というものに拒否反応を示し、共産革命を成しとげたロシア、ユーゴ、中国などは共同体家族といって、長男ばかりか次男以下も結婚後に親と同居する家族類型に属する。
さて、以上の家族分類と株式会社(以下、省略して会社としよう)の受容の関係を見てみると、会社を発明し発達させたのが核家族の国、遅れて取り入れ、変容させて土着化したのが直系家族の国、会社の受け入れに拒否反応を示し、共産革命に走ったのが共同体家族の国ということになり、会社と家族類型はかなり関係がありそうだとわかってくるが、では、その関係はどのように説明されるのか?
トッド理論に従うと、家族類型というものはそう簡単に変わるものではなく、少なくとも、英・仏・独などでは近代化が始まる20世紀まで、ほぼ500年間にわたって同じ家族類型だったということになる。なかでもイングランドとフランスにおいては、最新刊『家族システムの起源』(藤原書店)でトッドが解明したところでは、500年どころか、紀元1000年頃から核家族のまま変わっていないのだ。イングランドとフランスでは、農地の所有形態が大荘園制で自作農が少なかったため、農地の分割を避ける必要がなかったので、ずっと核家族で通してきたのである。これに対し、自作農の多かったドイツ、スウェーデンでは農地分割を避ける工夫として中世に核家族から直系家族に変わり、これが20世紀まで続いていたのである。日本も、院政期から江戸期にかけて、核家族から農地分割回避のため直系家族に変わったと思われる。
とはいえ、20世紀に入って工業化社会が訪れると、直系家族だったドイツ、日本、スウェーデンなどでも英仏のように核家族化が進んできたことは確かである。
家族類型が宿命化するのはなぜか?
ならば、これらの直系家族の国でも核家族的な思考になるのかといえば、そうではないというのがトッドの考えである。なぜなら、数百年もの間続いた家族類型はすでに各国の思考の枠組みを決定してしまっているので、近年、家族類型が変わってきたからといって、古い家族類型という枠組みにはめこまれた思考のほうはそうは簡単には変わらないからである。ただ、その理由についてトッドはあまり詳しく説明をしていないので、私見で補足することにする。
思うに、家族類型が国家の思考の枠組みにまで半永久的な影響を与えてこれを構造化してしまうのは、個人と国家を結ぶ中間団体のせいなのである。
思考の枠組みが家族類型によって作られる以上、個人も家族類型の影響を受けないわけはないが、しかし、個人というのは、思っているよりも家族類型の枠組みからは自由でもある。直系家族の国にも核家族的な考え方の人もいるし、その反対もありである。
これに対し、個人と国を結ぶ中間団体(宗教団体、軍隊、学校、官僚制度、ギルドや労働組合、会社)というものは、ひとたび家族類型の影響を受けて思考の枠組みが固定化されると、その構造を半永久的に保存する傾向にある。家族類型的思考が中間団体に入りこむと、それは集団的無意識と化し、今度は中間団体に所属する個人の思考まで規定するようになるということなのだ。
その良い例は、いわゆるリエントリー・ショックである。親の赴任で英・米・仏などの現地校に学んだ小学生・中学生・高校生は学校の中に保存された核家族思想の影響を強く受けるから、親の帰国で日本の学校に入ると、自我の主張が強すぎるということでクラスメートから仲間外れにされてしまうのである。英・米・仏の学校には核家族の自由第一、個性第一という思考の枠組みが強くあるから、子供はそれに影響されて同じ思考の枠組みを形成してしまうため、日本に帰ったからといってそう簡単にはそこから抜け出せないのである。
同じことが会社についてもいえる。核家族の国の会社は核家族的に、直系家族の国の会社は直系家族的に、共同体家族の国の会社は共同体家族的になるのである。
このうち、共同体家族の国の会社については未知数が多いので、とりあえず、核家族と直系家族の国の会社を比べてみよう。
核家族の国では、子供たちは独立すると自分の自由意志で配偶者を選び(つまり恋愛で結婚し)、独自に家庭を営むのが原則である。つまり、独立後は、自己責任のルールでことを処理することになっており、親は介入しないのが普通である。アラン・マクファーレンの『イギリス個人主義の起源―家族・財産・社会変化』(リブロポート)によると、中世イングランドにおいて親子間の相続を巡って訴訟が多かったのは、親が子供の独立に際して、自分の農地と道具や家畜などの財産を終身年金と引き換えに子供に売り付けることがごく普通に行われ、息子が複数いた場合にはお互いに競り合いをさせたことと関係している。というのも、息子たちとの相続交渉が決裂すると、親は息子ではなく他人に財産を売却するケースが少なくなかったからだ。なるほど、そういわれてみれば、シェイクスピアの『リア王』はリア王が三人の娘に自分の王国を競りで落とさせる話と読めなくはない。この相続習慣はフランスにもあり、バルザックの『幻滅』では、印刷業者の父親が息子に営業権と印刷機を高く売り付けようとする話が出てくる。核家族の国では、概して親子関係はドライで切れていたのである。
また、独立して結婚した息子も配偶者との関係がうまくいかなければ、簡単に離婚したし、妻も離婚が自由にできるように(あるいは簡単には離婚されないように)、夫には処分権のない持参金を持って嫁いだのである。夫婦関係もまた非常にドライで、結婚は愛情というよりも金銭と金銭の結婚であったのだ。
大航海時代に、会社という中間団体が成立すると、核家族のこうしたドライな関係はそのまま会社に投影される。そうした関係が象徴的に現れているのが、株主の有限責任と持ち株の自由譲渡性のルールである。これは、投資家と投資対象との関係を出資分だけにとどめて、それ以外のかかわりを一切排除することで、より多くの投資家を集めようとする核家族のメンタリティからうまれた経済装置であった。また、法人格という理念の発明も、責任を有限に止めてリスクを回避するための方策だったといえる。会社が倒産したとしても、責務を負うのは法人であり、個人ではない。よって個人は別法人を作って再チャレンジすることが可能なのである。
また、他人の会社に入社する場合も、入社時に労働契約が結ばれるから、条件があわなくなれば簡単に会社をやめられるし、また会社のほうでも契約違反を楯に容易にクビを切ることができる。核家族の絆の弱さ、および個人の自由が会社にもそのまま投影されているのである。ことほどさように、会社というものは、ウェットな部分を排除して関係を金だけに限る点において、核家族のドライな関係性をそのままトレースして生まれたものなのである。
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