【萬物相】「輸送報国」韓進海運の破綻

【萬物相】「輸送報国」韓進海運の破綻

 故・趙重勲(チョ・ジュンフン)韓進グループ会長が最初に海運会社を設立したのは1967年だった。その1年前、ベトナムで米国の貨物船から40トンコンテナが埠頭(ふとう)に降ろされる光景を初めて見た。「運ぶのに12人がかりで1時間はかかる貨物を2分で降ろすとは」。彼は韓国に戻るや、創業の準備に入った。「大きく前に進む」という意味を込めて社名を「大進」としたが、73年のオイルショックに耐えられず事業をたたんだ。それでもあきらめなかった。77年に韓進海運を設立し、再び挑戦を始めた。

 その志を継ぎ、海運事業を開花させたのは三男の故・趙秀鎬(チョ・スホ)会長だった。彼が代表取締役に就任した88年、韓進海運は大韓海運公社を前身とする大韓商船と合併し、韓国トップの地位を固めた。92年に売上高1兆ウォン(現在のレートで約932億円、以下同じ)を突破し、95年には巨洋海運を買収して欧州、中国にまで路線を広げた。2000年代には海外の海運会社と組み、グローバル同盟を構築した。彼は父のように「運送業は利益がなくても国の経済のために発展を続けねば」と語っていた。

 06年、趙秀鎬会長が53歳の若さで亡くなると「父子の執念」は趙会長の妻である崔恩瑛(チェ・ウンヨン)氏に引き継がれた。ロッテグループ創業者、辛格浩(シン・ギョクホ、日本名:重光武雄)氏の妹であるシン・ジョンスク氏の娘だ。崔氏は韓進海運会長に就任すると自身の考えを口にし始めた。船舶のチャーター契約を10年以上の長期で結び、事業の拡大にも力を入れた。攻撃的な経営手法から、一時は「スターCEO(最高経営責任者)」として注目を集めた。

キム・テグン論説委員
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