先日の話なのですが、母のコーラス定期演奏会に行ってきました。
定演というやつです。そこまで大きいホールではないですが。
母は、高校時代からコーラス部に所属しており、
カラオケに行ったらダメ出しをしてきたり、
一緒に音楽番組を観ていたら批評をはじめたり、そんな人です。
歌うことがとにかく好きなんですね。
車の中で流れるのは、母の合唱団のメドレーだったりするわけで。
ぼくの大好きな奥田民生なんて、流れることがないわけです。
まして、星野源?だれよそれ。みたいなことまで言われたり。
就職活動をしていた頃、母がいつも、ぼくに言ってきたことがあります。
「好きなことを仕事にできてる人なんて、ほとんどいないよ」
コピーライターになりたくて、死人のような顔をしている就職難民に、
母は現実を投げつけてきました。
なんで、こんなことを言ってきたのか、ぼくには分かっていました。
分かっている気がしました。
何度も聞かされていたから。
音大へ行きなさいと、学校の先生から背中を押された母を、
父親(ぼくのじいちゃん)が猛反対して短大へ行かせたって話を。
だから、自分の経験もあって、
ぼくにもちゃんと現実と対面させようとしてたんだろうって思ってたんです。
就職先が決まった時から、ぼくは母親と話をすることをやめました。
出てくる言葉が、ぜんぶ、
「会社で一生懸命働いて出世しなさい」ってメッセージに繋がることだったらです。
絶望を抱いている大学生に、残り3か月しかない大学生に、
この言葉はきつかった。
正直、まだあまり心から笑えていない自分がいます。
どんな話につけても、仕事の話を聞いてくるから。
いま、ぼくは何かを変えようとしている。
仕事は毎日しんどいし、コピーを書くことばっかり考えてもいられない。
会社や、両親に内緒でコピーライター養成講座に通ったし、
家に帰ったら資格の勉強をせずに、宣伝会議を開いている。
後ろめたさがないって言ったら嘘になる。
寝ているときに、たまに夢に見るんです。
堂々と「コピーライターになりたいんや!」って言ってる自分を。
でも言えない。
小さい声でしか言えない。
だから、ここでいつも、こっそり自分を文章にしているんです。
去年の宣伝会議賞。
ぼくは、自分の書いたコピーを母に見せた。
ゆうちょ銀行の課題で書いたコピー
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母をまかせる銀行です。
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すぐに返信がきた。
「すごいやん!その本どこで売ってるの?」
書いた内容については、深堀はされなかったけど、
“母”という言葉が入ったコピーを、母に贈った。
夢を諦めきれず、地方銀行で働いている経験を、
込めたコピーだった。
あとで、母から聞いた話だったが、
フェイスブックなんかに載せたりしてたらしい。
ぼくは、家族とは誰ともつながっていないのだけれど。
結果を見せることが、母を認めさせる手段だと、
ぼくは思っていた。
ほんとにそうなのかもしれないけれど。
でも、なんとなく違うような気もしてきていた。
その数か月後、
公募ガイドという雑誌のコンペに、ぼくのコピーが載った。
渡辺潤平さんという憧れのコピーライターのかたが、
毎月講評をくださるコピトレという場所に、ちいさく。
お題は、卒業式のキャッチコピー。
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卒業式は、あなたの両親の表彰式です。
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すぐに、ぼくは両親にその写真を送った。
高校時代に、学校に行くのが嫌になった時、
母親にビンタをされたことを思いだして書いたコピーだった。
どう言われたら、ぼくは卒業式を肯定できるだろうか。
そう考えたときに、両親への感謝が出てきたからだった。
まぁ、母親はすぐに返信をくれた。
そして、たぶん、フェイスブックに投稿しただろう。
次に会った時に、母の口からこんな言葉が出てきた。
「あんたのコピー、知り合いのコピーライターの人が良いって言ってたよ」
初めて、母から夢を肯定する言葉をもらえた瞬間でした。
ちょうど2週間ぐらい前の話。
就職してから2年目の夏。
知り合いに、そんな人おるなら早く言えよって思ったけれど、
すごく嬉しかった。
即座に、「でも、趣味は趣味で楽しみなさい」って言われたときは萎えたけど。
母親の定期演奏会は、定期的に行われる。
当たり前だけど。
いつも誘われる。
おいでよ、おいでよって。
いつも断っていた。
いそがしい、いそがしいって。
でも、行ってみることにしたんです。
なにか、感じることがあるかもしれないって、
もっと、向き合ってみようって、そう思ったから。
ホールには、お客さんがビッシリはいっていた。
小さいホールではあるが、演者の家族がいっぱい来てるかもしれないが。
親の大声を聴いたのはいつぶりだろうか。
怒声じゃない、楽しそうな声。
ソロパートまであったりした。
やっぱり、いい声をしているなぁって思った。
もし、母が音大に行ってたら、ぼくはいまココにいるんだろうか。
そんなことまで考えたりしていた。
趣味を趣味として、全力で楽しんでいる母の姿は、すごく輝いていた。
さいご、母親に拍手を贈った。
ほかの知らない、ええ声の人と、指揮者の人にも。
演奏の終了後、出口で母に会ったとき、
そのときだけは久しぶりに目を見て笑えた気がした。
なんとも、うまくできた話かもしれないけれど。
だけど、お母さん、話に出てこなかったお父さん。
ごめんなさい。
やっぱり、ぼくは諦めるわけにはいきません。
どうしても、やりたいことをやりたいから。
書くことで、誰かの人生を応援したい。
その世界へ、ぼくも行きたいから。
だから、今年は、
ぜったいに結果をだそうと思うんです。
いつか、この記事を、
なにも知らない母親が呼んでくれることを願って、
今日のそれっぽい話は終わりとします。
諦めのわるい、駄作と申します。
以後、そんな人いたなって、ちょっとだけ気にかけてくれたら、
すごくしあわせです。