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2008年3月27日
●山内キャスター 第1回

Photo   こんにちは、山内あゆです!
小倉弘子キャスター産休にあたり、ピンチヒッターとしてニュースを担当することになり、はや2ヶ月・・・。
小倉さんは無事ママになり、私は少しニュースの空気に慣れ、東京の桜も咲きました。

  相変わらず各方面にご心配・ご迷惑をおかけしながらの放送ですが、春ですし、明るい気持ちでお仕事しよう!と思っている今日この頃です。

  さて、小倉さんにも家族が増えたということで、私も今日は家族の話をしようと思います。 ターゲットは、父です。

  私の父はベトナム人です。母は日本人なので、私はいわゆる「ハーフ」ということになります。しかし、同じアジア人ゆえ顔つきはとってもジャパニーズ。苗字も名前も日本名なので、滝川クリステルさんや葉山エレーヌさんのようにパッとわかるはずもありません。お二人にならって改名すると・・・山内タイフォンです。なにかアイドル性にかけるような・・・。

  父は19歳の頃、ベトナムからの国費留学生として来日し、日本の大学に進みました。卒業後は帰国し、戦争で疲弊しきった祖国をよくしようという大志を抱いて、本当によく勉強したそうです。当時女子大生だった母とはダンスパーティで知り合い、大学院の時に結婚。まだベトナムは戦争中だったため、ふたりは帰国を断念し日本で新婚生活を始めました。それでも、祖国に平和が訪れたらすぐに帰国するつもりで、母はベトナム語を学び、サイゴンの気候にあった夏服をダンボールにまとめ、いつでも運び出せるようにしていました。

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  そして1975年、ついにベトナム戦争は終結します。明くる年生まれる私を連れ、家族5人でベトナムへ帰国します、と父はサイゴンの祖父へ連絡しました。しかし、祖父は反対したのです。今はまだ戻るな、と。ベトナムは貧しく混乱した状態であり、日本で暮らすほうが家族が豊かに暮らせると。

  翌年生まれた私に、父はベトナム国籍を選びました。私は「あゆちゃん」と日本名で呼ばれていましたが、それは通称であり、戸籍にはベトナムの名のみが記されていました。それこそがタイフォンちゃんです。朝の食卓では父によるベトナム語ミニ講座が開かれていました。

  時は流れ、私は二重国籍を申請し、ベトナム行きのダンボールは片付けられ、ベトナム語講座もいつしか開かれなくなりました。それでもベトナムは豊かにはならず、父は日本の永住権を取りました。

  いつ、どんな話し合いがあってベトナムに戻らないことになったのか、私にはわかりません。でも、時々考えることがあります。あったかもしれない、ベトナムでのもうひとつの私の人生。白いアオザイで通学していたのかしら? 日本語は忘れてしまっていたかしら? それとも母の国に憧れて、日本へ行きたいと願っていたかしら? そして父にはどんな人生があったのかしら、と。

  いまでは日本のジョークもわかるようになった父は19歳の想いをいくらか実らせ、日本とベトナムを往復しながら医療や公害問題の共同研究をしています。そんな父のささやかな夢は、ホーチミンに小さな家を持つことです。祖父も叔父も亡くなり、父には帰るべき家がなくなってしまいました。川には巨大な食べられるエビがいて、庭にはマンゴスチンやパパイヤがたわわになる家。まだ建ててもいないその家の話をして、「あゆも自由に使っていいぞ!」という父は、なかなかいいと思います。

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