少し前にTwitterでこんなことをつぶやいた。
人間関係の寂しさって、興味のアンバランスさから生まれている。
— 桐谷ヨウ (ex-ファーレンハイト) (@fahrenheitize) 2016年8月22日
量ないしは質的に、自分が求めている興味が得られている人は寂しさを感じにくい。
自分は大量の人から興味を向けられることにほとんど価値を置かないけど(なくはない)、自分が惚れ込んでいる人には襟首を掴んで「こっち向け」とまでやりたくなる。いわゆるウザキャラである。
— 桐谷ヨウ (ex-ファーレンハイト) (@fahrenheitize) 2016年8月22日
それで自分の感覚的には「興味を持ってもらう」ってマジで大変なことだと思うので、興味を惹く自分であれという発想に10代後半で至った。
— 桐谷ヨウ (ex-ファーレンハイト) (@fahrenheitize) 2016年8月22日
そう、無条件で他人に興味を持つ人は聖人だと思う。そういう人をあてにしては自分が腐るという価値観です。
自分の10代は、人恋しさと向き合うことがテーマだったような感じだったんだけど、いくつかの変遷があって今はこんな感じで落ち着いている。
当時、思い知ったのは、自分が興味を持った人に「相手をしてもらう」という関係性は長く続かないということ。先方の好意に乗っかっている関係はいずれ破綻する。だから、興味を持ってもらう、もっといえば無視できない存在に自分がならなくてはいけない。そんな風に考えていくようになりました。
俺は知り合いは多いけど、友人は少ない方で(こういう人はけっこう多いのでは)、その数少ない友人はみんなこういったことを大前提に持ってくれている気がします。よく言われるリスペクトがある関係というのは「なんでもすごい」と褒め合うことではなく、「その人が何をやっていても信頼して見守る」という心構えなのではないか?という風に思うのです。
そして、恋愛は「自立した二人の惹かれ合い」と言っているように、友人関係でもそれは該当すると思うんですよね。その人がその人であることを尊重する。その姿を見せてもらうだけで、自分も刺激を受けたり、楽しいなと思える。同時に、相手にとっても自分がそうである。
これが成立していれば、寂しさを相手に埋めてもらわなくても人間関係というのは成立する。
自分もやってしまうときがあるのだけど、気軽に「面白そうな人に会いたい」とのたまう人はダメだと思う。
— 桐谷ヨウ (ex-ファーレンハイト) (@fahrenheitize) 2016年8月22日
会ってもらうに足る何が自分にあるのか?という視点がないと失礼じゃないかな。
ただ、「興味を持ってもらう」というのは人間関係の上下関係ではない。マッチングの問題だったりする。
— 桐谷ヨウ (ex-ファーレンハイト) (@fahrenheitize) 2016年8月22日
相性問題…マッチングに左右されるとは、歯がゆいことよ。
で、「興味」がコネクションの接着剤であるとして、興味がある人が興味を持たれない人に対して優位性を持っているかのように感じがちなんだけど、きっとそうじゃなくて、単に接着剤がないんだよな。双方向の。一方通行でくっつかれているような状態というか。
そして、その関係をどのように扱うかはその人の振る舞いにすぎないんだよな。カドを立てたくない人は好意的に振る舞うのでしょう。
あとはやっぱマッチングの問題はあって、つながりそうな人でもつながらない場合って単純に「合わない」って一言に尽きたりする。その人が持っている興味の性質に依るのだろうか?とか考えたりするけど、このあたりはいまだに消化出来ていない部分だったりするな。
同感。ほんで、でも、面白い人って、面白い人に会いたがってるのよね。だから、頑張れば意外とすんなり会えるのかもしれない。ただ、面白い人は面白い面白くないの見極めも早い。そこでどう頑張るかってことだと思う。
— ズイショ (@zuiji_zuisho) 2016年8月22日
こういう言い方すると「俺みたいなもんが」思考になる人もいると思うんだけど俺はここらへんのことを考える時は、ブルーハーツの歌詞「下手な嘘ならすぐバレて寂しくなっちゃうよ せめて100年はバレない大した嘘をつけ」を信じてる。本物じゃなくていいし、誰も本物なんかじゃないし、みんな本物。
— ズイショ (@zuiji_zuisho) 2016年8月22日
「面白い人は、面白い人に会いたがっている」は本当にそうだよね。で、面白い人に会いたがってるのは間違いないけど、見極めも早い。つながりかけて切れる、みたいな関係性はこれなんでしょうね。
まぁでもさ、ほんまみんな「自分は大したもんじゃない、されど素晴らしい存在」って思えるかどうかだと思うんだよね。自分を大事にすることは必要なのだけど、可愛がりすぎるとロクなことがない。ソースは俺自身とかつて出会った人々です。
もうちょっと言えば、俺らはみんな普通の存在だけど、その人にしかない偏執狂性みたいなものが必ずあって、そこに自覚的になれるかだと思うんだよね。それを上手く飼いならすことができたら、多くの場合は他人に興味を持ってもらうネタになりえるよね。
俺らは他人とつながらないとやっていけない存在だからこそ、自分にとって、相手にとって幸いな「つながりかた」を考え続けていきたいよな。