好きになる人形
「あーあ、本当にどうしたらいいんだろう」
良夫は都心からもそう遠くないある市で長く続く小さな寺の跡取り息子であった。
彼は今、人生の選択について大きな悩みをかかえていた。
父親に寺を継げと言われて仏教系の大学を卒業したのだが、どうも馴染めなかった。
「うちがもっと裕福な寺ならそれなりに楽しくもやれるのだろうけど、檀家も少ないし、親父があんな風にクソ真面目にやっていたら、儲かりゃしない。お布施も戒名料ももっと高く取らなくっちゃ。それに僕はお経をちゃんと覚えていないし、正座も苦手だ。それに……」
出来のいい後継者とは言えない良夫としては、何とか跡を継がないですむ方法はないかと考えていたが、一方、真面目な性格でもあったので、親父を助けて寺を盛り立てていかなければならないし、檀家を大事にしないといけないこともよく理解していたのだ。
「でも、やっぱり坊主はダサい。このままでは嫁さんもなかなか来ない。でも……」
素直な良夫は父親の期待が分っているので、継ぎたくないとは言い出せないのであった。あてもなく歩き続け、良夫はいつしか、見なれぬ街角のガード下にさしかかった。
良夫がそこを抜けようとする時、電車がゴーッという音を立てて上を走り抜けた。
それと同時に、薄暗いガード下に1人のばあさんが座り、手相見の台のようなものを前にしているのに気付いた。その光景はちょっと異様に感じられたが、もし易者であれば人生を占うのも面白いかもしれない。そんな風に考えた良夫は、ばあさんに近づいた。
近寄ってみるとどうやら易者の類いではないらしい。台の上には小さなフィギュア、つまり人形がいくつか並んでいた。よく見ると横に「好きになる人形」と書いた札が立て掛けてあった。
良夫はその人形に吸い寄せられるように、おばあさんに訊ねた。
「好きになる人形って書いてあるけど、一体どういう意味?」
「それはお買い上げになった方だけが分るのでございます」
「へーこれ、売り物なんだ。いくら?」
「千円でございます」
好きになる人形、良夫はそのネーミングが気に入った。
ちょうど自分も住職と言う仕事が好きになれれば迷いなく跡を継げるのに、と思っていたところだったので、何か強い偶然を感じたのである。警察官の人形、サラリーマンの人形、泥棒みたいな人形まである。そして、なんと坊さんの人形もあったのだ!
「これ、買ってみようかな」
まったくの衝動買いだったが、良夫には何かきっかけが必要だったのだ。もしこの人形のおかげで少しでも坊主が好きになれれば、あとを継ぐ決心も容易になると思えた。
「有難うございます」
おばあさんはさして嬉しそうでもなく、お金を受け取って良夫に人形を渡した。良夫は受け取った瞬間、その坊さん人形が青白く輝いたように感じた。
良夫は何とかしびれる足をごまかしてたち上がると、ゆっくり頭を下げて檀家を後にした。
住職見習ということで父親の手伝いを始めて一ヶ月になる。坊主という仕事は亡くなった人を弔い、ご先祖様を祭る大事な仕事であり、檀家さんに感謝された時、本当に坊主になって良かったと思う。以前、父親のあとを継ぐかどうかで悩んでいたのが嘘のようだ。あの時買った人形のおかげかどうかは分からないが、どうやら本当に坊主が好きになったようである。
しかし、いくつか悩みがない訳でもなかった。その一つは、正座が辛いということであった。葬式や檀家でお経をあげる時は、当然、長く正座していなければならないのだが、直ぐに足がしびれる。いつか、大勢の見ている前でバッタリ倒れるなんてことになりかねなかった。
坊主がきちんと正座できないようではお笑いだ。何かうまい方法を考えないと、早晩ボロが出るのは避けられなかった。
そんなことをいろいろ考えながら歩いていると、またいつかのガード下に立っていた。
そして、以前と同じばあさんが、そこに座っているのを見つけたのだ。良夫は思わず、ばあさんのそばに駆け寄った。
「おばあさん、こないだはありがとう。おかげでこの通り、私も今では坊主ですよ」
「ナンマイダ、ナンマイダ。それはようございました」
「あれっ?今日は前と違うものが並んでいるね。何?「しびれない座布団」?これは一体なんですか?」
「お買い上げになった方だけが分るのでございます」
良夫はその座布団に強く引かれるのを感じた。ちょうど足のしびれに悩んでいる時に、このばあさんが「しびれない座布団」を売っているなんて。
「いくら?」
「五千円でございます」
正直言って、良夫は薄っぺらな座布団一枚に五千円は高いと思った。しかし、もしこれで本当に足がしびれなくなるとしたら安い買い物だ。自分が坊主を好きになったのと同じで効果があるかもしれない。
「じゃあ、これ下さい」
「毎度、有難うございます」
こうして、しびれない座布団を良夫は手に入れた。
そしてまさしくこの座布団は良夫の期待を裏切らなかった。この座布団に座っている限り、どんなに長い時間正座をしていてもちっともしびれないのである。このあいだは長い読経の後、平気で立ち上がる息子を驚いたように見つめた父親のほうがちょっとふらついたのに気づいてニヤリとしたくらいだ。
良夫は仕事で出かける時は常に座布団を持ち歩くようになった。
良夫がまた浮かない顔で歩いていた。良夫には実はもう一つ、悩みがあったのである。
それはお経をなかなか覚えられないということである。坊主の自分が言うのも変だが、お経を読んだり、聞かされたりしているとすぐ眠くなってしまう。おかげでさっぱり、お経が覚えられなかったのだ。
これまでのところは、父親の手伝いが多かったのでごまかしが通じていたが、いつボロが出るかと一人のお勤めの時はヒヤヒヤし通しだった。
良夫はその時、あのガード下のばあさんを思い出した。これまで二度、自分がまさに必要としたものをタイミングよく売ってくれた不思議なばあさん、良夫はばあさんを探すことにした。
しかし一体どこを探せばいいのだろう?ばあさんと出会ったのは、どこのガード下だったのだろうか、良夫には思い出せなかった。それで仕方なく、良夫はガード下というガード下を残らず廻ったのである。
そして、ヘトヘトになってもう諦めるしかないと思い始めた時、ばあさんを見つけた。
「ばあさん、探したんだよ」
その老婆は良夫を見て、黙って小さく頭を下げただけだった。
「おばあさん、助けてよ。お経がなかなか覚えられなくて……」
良夫の声がそこで止った。ばあさんの前に並んでいる物に気づいたのである。
「眠らないCD?何、これは。あ、分った分った、これもらいます」
「十万円でございます」
「えっ?そんなにするの」
すぐに買うつもりで出しかけた良夫の手が止まった。
良夫にはそのCDの効果が想像できた。きっと、どんな退屈な講義でもこれで録音してしまえば聞いても眠くならないのに違いない。これを使えばお経も簡単に覚えられるのだ。
しかし何枚かのCDに十万円は高い。ばあさんは黙って目を伏せているだけである。効能を訊ねてもばあさんの返答は分かっていた。買った人間にだけ、分かるのだ。
「買うよ。いずれにしても何とかしてお経を覚えないといけないんだから」
覚悟を決めて良夫は「眠らないCD」を買った。
結論から言えば、良夫はいい買い物をした。これも注文通りの効果を発揮したのである。
CDにお経を録音してそれを繰り返し聞いたが、こうするといくら退屈なお経を聞いても全然眠くならなくて、すぐ覚えられたのだ。
父親は息子の急速な成長を心から喜んで、良夫に住職を譲った。良夫も今では自分の仕事に生きがいを感じ、充実した毎日を過ごしていた。
そんなある日、となり町の檀家を廻っての帰り、川のそばに大勢の人たちが集まって騒いでいるのに出くわした。
何事が起こったのかと彼らの視線の先を見て、良夫は驚いた。1台の乗用車がガードレールを突き破って川に落ちていたのである。しかもその車の屋根には若い女性がすがりついて助けを求めていたのだ。今にも流されそうな様子だった。
しかし、やじ馬たちはワイワイ言うだけで、誰も助けに行こうとしない。
「どうしたんです?何故、誰もあの人を助けにいかないのですか」
不審に思って問いかけた良夫に隣の男は黙って川の中の車の横を指さした。
「あれだよ。車が飛び込んだ時に電線を切ってしまったんだ。あの電線が水に浸かったら間違いなく感電して御陀仏だよ。それで誰も川に入れないんだ」
男の指さす先には切断されてブラブラになり、今にも水に浸かりそうな電線が揺れていた。このままではあの女性は力尽きて流されてしまう。とてもレスキュー隊が着くまで耐えられるとは思えなかった。
そう思った次の瞬間、良夫はそのままの格好で川に飛びこんでいた。亡くなった方をお弔いするのは坊主の大切な務めだが、今生きている人を救うのは、もっと大切な人間としての務めである。
かさばる僧衣のままだった上、腰には大切な座布団を縛り付けていたので動きにくかったが、水深は思ったより浅く、何とか近寄っていくことができた。良夫は大きく息をついた。あと少しで女性に手が届く。
「アッ!」「危ない!!」
やじ馬の間から叫び声があがった。
突然、たれていた電線が大きく揺れ、川面を叩いたのだ。
川の中の二人は感電死する!と誰もが目を閉じた瞬間、良夫の周りで青白い光が瞬いた。
人々が目を開いた時、そこにはしっかりと娘を抱き抱えた僧侶がいた。しびれない座布団がその効果を発揮して、電気にもしびれないよう二人を守ったのであった。
良夫は何とかその若い女性を押し上げ、手を伸ばす人々に渡した。女性はあとから上がってきた良夫の手を握って何度も何度も頭を下げたが、良夫は少しボーッとしていた。
どうやら、座布団は完全に効果を発揮したわけではなかったようだ。良夫は彼女にしびれてしまったのである。
良夫は命の恩人ということで、その女性の誕生パーティに招待された。
彼女、姉小路麗佳の家は代々、大学教授や教師を輩出する学者一家でしかもお金持ち、さらに彼女が飛びきりの美人とあって、パーティの席は彼女を狙っている男たちで一杯だった。その殆どは若手の大学教授や医者たちで、僧侶の良夫はまったく居心地の悪い思いをしていたが、それでも彼が途中でパーティを抜け出さなかったのは、彼女を好きになっていたからである。
やがて宴もたけなわとなり、彼女を射止めようとする男たちが彼女に誕生プレゼントを渡し始めた。誰もが豪華なプレゼントで彼女の気を引こうとしていた。
良夫にもようやくその順番が来て彼女の前に立った。彼女も命の恩人に対してニッコリと微笑んだ。彼は勇気を振り絞って、持ってきていたプレゼントを差し出した。
「開けてもいいかしら?」
麗佳は丁寧に包みを解くと、中から一つの人形を取り出した。
それは、この華やかな場にはおよそ不釣合いな作りの、粗末なお坊さんの人形であった。
周りで良夫のことを冷ややかに見ていた男たちから失笑が起こった。何てセンスのないプレゼントなんだと皆はせせら笑った。これで奴は消える。
しかし、彼女の目にはその人形は違って映ったのだ。
「まあ、とても素敵な人形だわ」
彼女はその人形を胸に抱きかかえた。その時、人形が青白く輝いた。
「私もあなたが好きよ」
彼女は良夫の手を握りささやいた。
そう、その人形は「お坊さんを好きになる人形」だったのだ。そして人形はもう一度、効果を発揮したのである。
しかし、愛し合うようになった二人の前に彼女の両親が立ちはだかった。
両親から娘の婿は教育関係の人でないと駄目であると言われたのだ。しかも娘を不幸にする結婚は絶対に許さないと念を押されたのだ。娘を幸せにできる結婚、つまり愛だけでなくお金も必要と条件を出されたのである。
良夫はこの難題に頭を抱えたが、その時一つのアイデアがひらめいた。
「わかりました。まかせてください」
一年後、二人は多くの人々に祝福されて結婚した。
彼のアイデアとは「眠らないCD」を活用することであった。
彼は学習塾を開いた。そして「眠らないCD」を使って授業を行ったので効果は抜群、塾は大成功して良夫は金持ちになったのだ。
良夫は見事に彼女の両親の条件をクリアして、彼女との結婚を許されたのである。大学教授ではなかったが、塾も教育関係の仕事であるのは間違いなかったのだから。
そして良夫は坊主も続けていた。それは愛する妻が「あなたがお坊さんを辞めたら、私あなたを嫌いになるかもしれないわよ」と笑ってささやくからである。
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