国史大辞典
天皇
てんのう
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七世紀以後の日本の君主の公式称号、またその地位についた人。天皇号成立以前の同一家系の君主であったもの、またはあったとされているものにも後世から遡及して用い、封建社会で君主の実を失ったあとの継承者にもこの号を用い、日本国憲法でも「象徴」として天皇の称号を残した。天皇という称号は七世紀以来、今日まで続いているが、その実質をなす政治的権能や社会的役割は時代によって大きく変化している。天皇の存続をささえる国家体制や社会構造を、学問上の用語として天皇制とよぶが、天皇の歴史的性格の変化は天皇制の歴史と不可分の関係にある。現代では、ある集団のなかで強い支配的影響力を及ぼす人物を何々天皇とよぶ場合があり、譬喩の形で用いられる俗語にすぎないけれど、そのような俗語が通用するのも、天皇制が単に公的制度としてでなく、歴史的特質をもつ社会構造と結びついているためにほかならない。
〔天皇号の由来・訓読・同義語〕
天皇の語は中国古典にみえ、大陸文化移植の一環として天皇号を採ったことは明白である。『旧唐書』などの史書や、『枕中記』などの道教経典その他に出典があるが、何によったかは特定できない。いずれにせよ宗教的権威を帯びた君主の称号としてふさわしいものとして用いられたのであろう。七世紀の文章と認められる天寿国繍帳銘・野中寺弥勒菩薩像銘等の所見が現存最古の用例であり、七世紀に入ってからそれまでの「おおきみ(大王)」に代わる公式称号として使用されるようになったのであろうが、『古事記』では歴代名をすべて天皇号で統一してはいない。「すめらみこと」などの国訓が伝えられているが、「てんのう」という音読がいつ始まったかは不明である。後述の漢風諡号が普及してから音読が一般化した。同じ中国風称号としての皇帝・天子なども公式に併用された。大日本帝国憲法下の外交関係詔書・勲記に皇帝の号を用いたのは、Emperorという西洋の君主号への対応を配慮したのであろうが、昭和十一年(一九三六)にこれらにおいても皇帝号の使用をやめ、天皇号に統一した。
〔天皇の人数・代数〕
天皇号使用以前の大王号の時期を含めて、天皇の称号に相当する地位についた人物が全部で何人になるかは、学問上確定できない。『古事記』『日本書紀』が天皇号を用いて記載している人名中、最初から数人ないし十数人は、実在の人物と認めがたいものや、実在に強い疑いのある人名が多いからである。現在、皇統譜で神武天皇を第一代とし、弘文天皇を加えて今の天皇を百二十四代としているのは、学問とは無関係の公的決定にすぎない。そもそも、天皇の代数として一定の数を定めることは、最古の天皇の実在性の問題のほかにも、同時に両天皇の併立した時期があり、天皇の順序を単線で連ねることのできない点からも不可能である。継体と安閑・宣化との両朝併立を推定する学説はしばらく措くとしても、後鳥羽と安徳とが一時期相並んで天皇とされていた事実があるし、南北朝時代には、北朝の光明・崇光・後光厳・後円融・後小松(南北合体以前)各天皇と、南朝の後醍醐・後村上・長慶・後亀山各天皇とが相対立し、双方が天皇であると主張していた。両者の間に正閏の別を立てるのは名分論であって、歴史的事実としては、南北両朝の天皇の併立を認めるべきであろう。三種の神器がいずれにあったかで、一方を正統とすることはできない。神器は皇位に伴うものであって、皇位が神器に伴うのではないからである。ちなみに、皇統譜の弘文天皇と光厳天皇に問題があるので述べておく。明治三年(一八七〇)に大友皇子に弘文の諡号を贈り天皇の列に加えたのは、『大日本史』の説による政治的決定であって、『日本書紀』に即位したと記していないのに、後世の文献で即位を認めるのは、学問的根拠に欠ける。また、後醍醐が光厳に譲位して隠岐に流され、京都帰還後に光厳を廃したのに、光厳の在位を否認したため、混乱が生じているが、本意に反していたにせよ、譲位したあとは光厳が天皇となったのであるから、光厳が天皇でなかったとするのも、光厳・後醍醐の同時併立とするのも、ともに事実に反し、光厳の廃位により後醍醐が再度天皇の地位についたとすべきであろう。なお、生存中天皇の位につかず、死後に天皇の号を贈られた草壁皇子(岡宮御宇天皇)・舎人親王(崇道尽敬皇帝)・施基皇子(御春日宮天皇)・早良親王(崇道天皇)・典仁親王(慶光天皇)があり、また、古文献に「倭武天皇」「宇治天皇」「飯豊天皇」「市辺之天皇」などの私称天皇名が散見するけれど、これらはともに冒頭の天皇の定義から外れるものであるので、単なる称号の流用例として付記するにとどめる。
〔各天皇の名〕
天皇の位についた各人の名には、(一)即位前の命名による名、いわゆる諱
(いみな)
、(二)尊称と思われる名、(三)諡号、(四)追号の各種があり、(三)には(1)国風諡号と(2)漢風諡号とがある。今日、広く用いられている神武・綏靖から光仁に至る漢風諡号名は、聖武・孝謙・称徳を除き、八世紀末に淡海三船が勅により一括撰んだものであり、それ以前に成立した古史には、(一)(二)または(三)の(1)による名で掲げられている。光仁のあと、光孝を最後として諡号の制が絶え、その後は讃美の意がなく、在所その他縁故ある名辞による追号でよぶのが慣行となったが、その期間にも崇徳・安徳・順徳など諡号を贈った特例があり、幕末の光格・仁孝・孝明三天皇にも諡号が贈られたほか、淳仁・仲恭の両廃帝に諡号が追贈されている。明治天皇以後、一世一元の制に応じ、在位中の年号を追号とする慣例が開かれた。
〔皇位継承〕
大日本帝国憲法第一条に「万世一系ノ天皇」とあるが、皇位継承がはじめから「一系」であったか、学問上疑問の余地がある。三輪王朝・河内王朝など別系の王朝の存在を推定する学説や、継体天皇を応神の子孫とする系譜の信用性を疑う学説もあるが、『古事記』『日本書紀』では氏
(うじ)
を欠く特定の父系血族の間で継承されたことになっており、継体以後はその限界の破られた疑いをいだかせる事実はない。皇位継承の資格は、前述の父系血族であれば足り、傍系や女性で天皇となった例も少なくない。前近代の皇位継承の順序・原因につき、固定した制度や確立した慣行があったとは考えにくい。古代初期には天皇の死後に新帝が位につくのが常例であったと思われるが、八世紀以後は天皇生前の譲位が原則となっている。そして、それ以前にも、その期間にも、さまざまの力関係による天皇の交替があった。天武が内乱(壬申の乱)の勝者として、先帝天智の子大友皇子を倒して天皇となった例や、淳仁・陽成・仲恭のように、それぞれ太上天皇・摂政・幕府の力で廃帝とされた例もあり、後醍醐・光厳の交替、南北両朝への分裂のように武力抗争に基づく非常事態の発生もある。大日本帝国憲法・日本国憲法とこれに組み合わされた各皇室典範では、皇位継承の順序を、直系子孫を首位に置き、その次に傍系に及ぶ順序を厳密に法定し、女性を排除し、皇位継承の原因を天皇の死のみとし、皇位継承第一順位者が自動的に即時新帝となると定めているが、それは古来の慣行ではない。
〔天皇の起原〕
天皇がいつ、どのようにして成立したかは、天皇を首長とする政権、その支配する国家の成立年代・経過と同様に、現在の学界では学説が多様に分かれていて、最低の共通命題を記すことさえ困難である。ただ、天皇の前身をなす大王が、おそくとも五世紀にはのちの畿内の地の政権の首長として存在したこと、その後、七世紀にかけて逐次勢力圏を拡大し、はじめは毛野・吉備・出雲・筑紫その他の各地政権と並立する一地方政権であったのが、やがて七世紀末から八世紀初頭にかけ律令体制を整えるまでのある時期に、他の諸政権との連合体から日本の広い範囲にわたる統一政権に成長した、という程度のことは認められよう。『古事記』『日本書紀』が伝える「神代」の物語は、素材とする個々の説話に歴史的事実または慣行習俗がいかほどか反映しているにせよ、皇祖天照大神が孫瓊瓊杵尊を日本の統治者と定め、高天原から日向に降臨させたという物語の基本構想は、大王政権が日本の君主としての地位を得たのちに、その支配権を正当化するため造作され、成書としての記紀成立まで潤色が重ねられたものであろうこと、神武天皇が日向から大和に入り、その地の支配者を破って第一代の帝位についたという説話もまた、「神代」の延長線上に造られた物語と思われること、綏靖から開化までの八代は、その名号・相続方式などに徴し実在の人物と認めがたいこと、以上は津田左右吉の研究の輪廓を要約したものであるが、現在の学界でほぼ共通の認識となっていると思われる。ただし、神武以下九代の実在を認める説もないではない。崇神・垂仁・景行の三代の実在を否認する説もあるが、実在説をとる井上光貞は、のちの大王と男系ではつながらない王朝とし、上田正昭も崇神を初代とする三輪王朝とよぶ政権を考えた。井上によれば、成務・仲哀は神功皇后とともに、景行と応神以後を結ぶためあとから挿入された、という。『魏志』倭人伝にみえる「邪馬壹国」(多くの学者は「壹」を「臺」と意改している)の位置については、多年、畿内説と九州説とが対立していて、畿内説によれば、その女王卑弥呼は三世紀にすでに小政権連合の盟主となった畿内大和政権の首長とされるが、九州説によれば、まったく別の政権で、のちに大和政権に征服されたと考えるか、それが東に移って畿内政権となったと考えるか、その一分枝が東に移って畿内政権となり、本流はそのまま九州王朝としてのちのちまで存続したと考えるか、見解が多岐に分かれている。四世紀の倭の状況は中国の正史から窺えないが、『宋書』に五世紀の倭の五王、讃・珍(『晋書』では弥)・済・興・武が順次朝貢したとの記事があり、雄略までの記紀の天皇系譜と大体一致し、紀の紀年を修正すると年代もほぼ合うので、これによって仁徳以後は記紀の天皇系譜を信用するのが学界の大勢であるけれど、仁徳の父応神の実在を認めない説、応神以後は筑紫から畿内に侵入して河内王朝を建てた新しい権力者とする説などがあるほか、五王は畿内の王ではなく九州王朝の王とする説もあって、学説が多様に分かれている。前方後円墳は畿内政権の勢力拡大に伴い全国に普及したと一般に考えられてきたが、『延喜式』によって応神陵・仁徳陵とされてきた最大の規模をもつ河内の前方後円墳をもふくめ、公に比定されているいわゆる天皇陵に対する考古学界からの疑問が近年続出し、最近では、たとえば「伝応神陵古墳」「伝仁徳陵古墳」などの慎重な名称を用いるようになってきた。特定葬主の比定は別にしても、考古学の研究成果、ことに古墳の形態・分布やその出土品から日本における政治権力の形成過程を考え、大王家の成立を推定しようとする試みがあり、その一つに、古墳出土品の騎馬用具の顕著なのに着目し、四世紀初めに大陸から侵入した騎馬民族の立てた征服王朝とする説も唱えられたが、実証に難点が多いとの反対が強い。このように、天皇の起原については、絶対年代や固有名詞をそなえた実情に関する学説は帰するところを知らない状態であるけれど、記紀の素材となっている古代の習俗から出た説話や、『魏志』の三世紀の倭人社会の記事や、古風をある程度伝えている後世の儀礼などから、日本における君主の原初的性格とその成長過程をたどることは可能であり、天皇の起原について推認する材料となる。『魏志』によれば、女王卑弥呼は「鬼道に事
(つか)
へ能く衆を惑はす」とあり、記紀に語られる皇祖神が、最高の神とされる反面、神衣
(かんみそ)
を織る巫女ともされていることなどからすれば、おそらく巫祝magicianとしての呪力magical powerが、物質上の実力と相まって、三世紀前後に民衆の上に立つ支配者を生み出す根源であったと思われる。天皇が近代に入ってからも、祭祀儀礼を掌る権能を保持していたのは、このような成立期君主の原始的機能が変容しながらも保持されてきたからにほかならない。はじめは小集団の指導者として共同行事を主宰するにとどまったのが、階級的分化の進行に伴って次第に民衆から隔絶した地位に上昇し、やがて充実した武器・宝器などをそなえる君主となった経過が、古墳の発達、特に壮大な前方後円墳の築造や、そこからの豪華な出土品によって想定できよう。しかし、このようにして成立した大王が、並立していた各地諸政権を統合し人民に対し支配権を行使するに至る具体的過程を、実年代に即して記述するには、学説状況があまりに多様にすぎる。ただ、七世紀前半ごろまでは、直轄領を除き、天皇が直接に人民を支配したのではなく、かつては地方政権の君主であった諸豪族に従来のまま人民を支配させ、その上に立つのみであったことは認めてよいであろう。記紀の古い部分の説話が、みな、天皇もしくはその祖神と諸豪族またはその祖先との系譜上あるいは説話上の結びつきを語って、諸豪族が天皇との関係で権威づけられるにとどまり、中国の聖天子説話の翻案として新しく造り添えられた仁徳の仁政説話を除き、人民についての説話がほとんどみえないのも、前述の客観的状況によると考えられる。なお、六世紀初頭、武烈の死後、王位継承者が絶え、群臣が越前から迎えて大王に立てた継体は、応神の子孫とされているが、その系譜を疑い、継体は武烈と血縁のない新しい王朝の創始者ではないかと推定する学説もあり、河内王朝などについての学説とともに、前にふれた「万世一系」を疑う理由の一つとなっている。
〔律令国家の君主としての天皇〕
七世紀後半から天皇の君主としての性格が制度上も明確となる。壬申の乱の勝利者として即位した天武を詠じた「皇
(おおきみ)
は神にしませば赤駒の腹ばふ田ゐを都となしつ」(『万葉集』)の歌、「現御神
(あきつみかみ)
と大八嶋国
(おおやしまぐに)
知ろしめす天皇」(『続日本紀』)という文武天皇元年(六九七)の即位の宣命の公式称号(「現御神」は「明神」とも表記された)に、六世紀前後に成立していたと推定される『古事記』『日本書紀』説話の皇祖神の子孫としての天皇の性格が示されている。天命を承けて統治権を獲得する中国の天子に有徳の君主であることが要請され、天命を失えば易姓革命が生ずるとされているのに対し、天皇の地位は皇祖神の意志により確定し、皇祖神の男系子孫のみが継承するとされているのが特色であって、天皇を生んだ日本の社会的基盤と中国のそれとの相違によるのであろう。その形成過程をふくめての律令国家は、天皇を名実ともに君主とするが、統治権行使の実際では、皇太子その他の皇親、太上天皇、その前身をなすものをふくめて太政官の上層を占める貴族らの意志が重きをなしていた場合が多く、天皇個人の独裁を常としていたわけではないから、「天皇親政」が天皇統治の本来の原則と強調された大日本帝国憲法期の観念は学問的根拠を欠くけれど、天皇が国政を親裁するとは限らないという意味での「天皇不執政」の実情は、天皇を包む支配層を一体としてみるかぎり、古代天皇制を君主専制制と性格づける見方と矛盾するものではない。天皇に接触するのは貴族・官人に限られ、一般人民が隔絶したところにいる天皇をどのようにみていたかは、史料がとぼしく明らかでないが、稀少な史料の一つである八世紀の防人歌に、たとえば「大君の命畏
(みことかしこ)
み磯にふり海原渡る父母を置きて」(『万葉集』)とあるのなどは、集団的な忠誠誓約の歌唱とする説があるし、その点は措くとしても、「命畏み」とは君主の苛酷な強制への畏怖にちかい念の表明であって、この類の歌をもって、日本人民が古来忠君の情に富んでいた証左としていた帝国憲法下の理解は、今日では支持できない。
〔摂関政治・院政期の天皇〕
律令制の変容、藤原氏の朝廷における実権の拡大により、九世紀末以来、藤原氏出身の摂政・関白が中央の政治の実権を掌握するようになった。摂政は天皇幼少の時に天皇の権能を代行し、「天子の位を摂す」(『台記』)と記されたように、実質上の天皇にちかかった。万機をまず決したのちに、天皇にこれを聞知させる関白は、摂政よりは権限が狭いが、いずれにせよ、摂政・関白を藤原氏が独占世襲することによって、「天皇不執政」の実態が十世紀以後いっそう常態化した。とはいえ、摂政・関白の権限が天皇の君主権を源泉とするかぎり、天皇の君主としての地位にかわりはなく、天皇を包む「公家」を主体とした古代天皇制の基本的性格が十二世紀半ばまで続き、その間にも宇多(関白藤原基経の死後)・醍醐・村上のように摂関を置かない時期もあったほかに、十一世紀末に白河上皇が院政を始めてから、統治権はほとんど上皇に移り、院政を行う上皇は「治天の君」とされ、「天子は春宮
(とうぐう)
の如きなり」(『玉葉』)という実情さえもみられた。ただ院政開始後も、天皇に直属する摂関の執政権は、比重を著しく小さくしたもののなお存続したから、院政によって天皇がまったく君主権を失ったとまではいえない。武士の勢力が強くなり、平治の乱を鎮定した平清盛とその一族が十二世紀後半期に国政を左右する実権をふるい、院・摂関ともに圧倒されたが、清盛は太政大臣となり、女を高倉天皇の中宮とし、その所生の安徳を天皇に立て、朝廷の高官として、また藤原氏同様、天皇の外祖としての地位を占めることで権力をふるったのであるから、古代天皇制の圏外にあったのではなく、平氏の権力は次の武家政権の先駆となったにとどまる。
〔鎌倉幕府期の天皇〕
平氏と対立する武士団の棟梁源頼朝が平氏を滅ぼし、十二世紀最末期に諸国で軍事警察権を行使する守護の任免権(日本国総守護職)を朝廷から獲得することにより、頼朝の開いた幕府は、天皇統治権の重要な部分を割取することとなったのであって、院政の続いていた京都の公家政権と並立する鎌倉の武家政権が成立したといってよい。鎌倉幕府期は、かように両政権が支配分野を分かち、それぞれの専管範囲に統治権を行使した二元体制であって、天皇は、武家の棟梁の地位としての征夷大将軍その他の旧来の公家法上の官位授与の権をなお保持することにより、身分上、武家政権の上に位置しながら、その君主権は著しく縮小されたのであった。
〔建武新政と南北朝期の天皇〕
このような状況を打破し、天皇の君主権の完全な回復といっそうの強化をめざす企図が、後醍醐天皇の建武新政となって実現した。後醍醐は院政・摂関・幕府をみな廃止した、天皇親政による強力な独裁制を樹立しようとしたが、国司と守護との併立を認めざるをえなかったように、従来の社会勢力を克服できず、足利尊氏が幕府再興をめざして離反したのを契機に、建武新政は短期間で崩壊した。尊氏は、大覚寺統の後醍醐と対立する持明院統の光厳上皇の院宣によって光明天皇を立て、後醍醐に譲位を強要し、京都に足利氏の幕府を開いた。延元元年(北朝建武三、一三三六)後醍醐は吉野に奔って南朝を開き、足利氏の立てた京都の北朝と抗争を始め、明徳三年(元中九、一三九二)まで南北朝対立の内乱が展開した。南朝を支持した地域は狭小で、北朝・室町幕府がはるかに優勢であったが、南朝の天皇が弱体ながら存続したし、幕府の権能によって圧縮されたとはいえ、北朝の統治権も残されていたので、鎌倉幕府期の二元体制にちかい状況が続いた。
〔室町幕府・織豊政権期の天皇〕
室町幕府の三代将軍足利義満は、公武二元体制を止揚し、公家の権能をほとんど幕府の手に収めるとともに、十五世紀初頭に国交を結んだ明との外交では、両国の国書ともに義満を「日本国王」と記しており、実質的な日本の君主であることを国際的に認知させたのであった。晩年、「太上法皇」あるいは「太上天皇」の号を贈られたことには疑いがあるが、義満が天皇にちかい地位にあったことはたしかである。地方武士の勢力が時を追って強大となり、十五世紀末以降の戦国時代には、戦国諸大名が領国の支配権を完全に掌握して事実上の独立国の観を呈し、幕府の支配も及ばず、まして天皇の統治権はほとんど空に帰し、日本全国の君主の名に値するものは消滅した。永原慶二は、それにもかかわらず、実質上の君主である諸大名も、領国民の自立的抵抗に対処するために、全国的統一を求め、形骸化しながら名目上の権威を保持している天皇・将軍への志向をいだかざるをえなかった、としている。永原によれば、織田信長・豊臣秀吉も、諸大名を服従させるために天皇の権威をかりているが、両者ともに戦国大名同様に武力をもって実権を獲得したのであり、その地位を正当化するために、衰弱しきっていた天皇の存在と権威を再生させたのである、という。
〔江戸幕府期の天皇〕
江戸幕府を開いた徳川家康もまた源頼朝・足利尊氏の先例にならい、天皇から征夷大将軍に補任される形式をふんだが、それに先立ち慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦に勝って全国諸大名を服従させたとき、すでに日本の君主の実権を握ったのであり、家康をふくめ歴代徳川当主への将軍宣下は、戦国大名や織田信長・豊臣秀吉の場合と同様の事情から、名目上の天皇の権威を利用したにすぎず、実質的な権限の授与ではないと解すべきである。幕末に外交問題が生じたとき、幕府から朝廷に上奏して、朝廷が国政に介入する途が開かれたのち、将軍が天皇から大政を委任されたとの政治的主張が生まれ、慶応三年(一八六七)の幕政廃止にも「大政奉還」の名目が使われたが、天皇が徳川将軍に大政を委任した事実はなく、歴代の徳川当主が家康以来の君主権を自動的に相続してきたのであり、大政委任論は天皇が徐々に国政に関与するようになった幕末期に広がった観念的命題にすぎない。江戸時代の天皇は、幕府の制定した『禁中并公家諸法度』により公私の行動を制約され、国政には一切関与できなかったし、皇室領も小大名程度にすぎず、公家という四民・賤民と区別された特別の身分の最上位を保持するにとどまった。わずかに、(一)名目化した官位の授与、(二)年号の制定、(三)暦の頒布の権能を有するのみで、それさえ、武家の官位は公家のそれと別で幕府の意思によるものであり、年号選定も幕府の同意を必要としたのであるから、これらも実質上の権能といえるほどのものではなかった。オランダ人が、天皇をではなく将軍をKaiserとよんだのは、よく実態に即したものといえよう。
〔封建社会の天皇観〕
呪術儀礼を掌るのを重要な権能とする天皇と民族宗教とは常に不離の関係にあった。世界的普遍宗教の一つである仏教の輸入普及後も、仏教は体制と癒着した寺院仏教として展開したのち、神仏習合の進展により一体化した寺社が、古代後半から中世にかけて天皇・公家と相合して支配体制を形成していた。皇祖神を本地垂迹説により本地仏(大日如来とか十一面観音とかさまざま)の権現とする反面、鎌倉幕府期に顕著となった「神国」思想は、天皇の祖先が神であることを強調して日本の独自性を説くものであるが、寺社が天皇をふくむ支配体制の一環をなしていた状況と無関係ではないであろう。しかし、仏教が現世を超えた宗教的原理を放棄しないかぎり、民族宗教に基づいて「現御神」とされた天皇を必ずしも絶対視しない場合も、時として生じた。『道賢上人冥土記』(『扶桑略記』所引)には、醍醐天皇が地獄に堕ちて苦しむ説話がみえ、謡曲『蝉丸』では、その皇子・皇女が宿業により不具の身に悩む悲劇が語られているし、親鸞は主著『教行信証』で「出家の人の法は国王に向ひて礼拝せず」と公言し、日蓮は天皇を釈迦仏の「所従」であると記して憚らなかった。上級武士は天皇の権威を利用するため表面上敬意を表したが、『太平記』の、高師直が「都に王といふ人のましまして、そこばくの所領をふさげ」、内裏・院で下馬する「むつかしさ」をかこち、「もし王なくて叶まじき道理あらば、木をもて作るか金をもて鋳るかして、生きたる院、国王をばいづこへも皆流し捨てばや」と放言したとの記事は、史実か否かはとにかく、公家と深くかかわらず、おのれの武力のみをたのみとする地方の武士にこの類の意識のあったであろうことを推測させる。中世の一般民衆の天皇観については、今日いまだ明確に語るのはむつかしい。近世の庶民の鑑賞した人形浄瑠璃・歌舞伎には天皇をめぐる伝説に素材を求めたものが多く、それが川柳の題材にまで及んでいるから、庶民も天皇について知識をもってはいたと思われるが、現実の天皇について考える機会はほとんどなかったであろう。川柳の「神代にもいせやは甥を養子なり」という類の句をみれば、必ずしも天皇やその祖神を神聖視していたとは思われない。いわゆる尊王思想は、神道家・国学者・水戸学者らの知識人の間で発達し、幕末になってはじめて政治運動のなかで機能するようになったのである。
〔明治維新期の天皇〕
明治維新が、実質では古代天皇制への復帰ではなく、新しい絶対主義君主制の創立であったにもかかわらず、「王政復古」とよばれたのは、倒幕の志士たちが、「世直し」を求める人民の下からの動きを圧殺して上からの新体制を樹立するために、古代天皇制の権威の回復を標榜するのを有効と考えたからにほかならない。維新政府は、皇族・公家・大名出身の高官のもとで、薩長など旧雄藩出身の士族官僚が実権を握って専制政治を強行したが、明治十年代前半前後に高揚した自由民権運動では、士族知識人・上層農民出身の活動家を先頭に、人民の側から立憲政治への転換を政府に要求し、彼らの構想した私擬憲法草案の大部分は国会に広い権限を与える立憲君主制の立案にとどまったとはいえ、当時はまだ天皇の権力も権威も十分確立していない時期であったため、少数ながら廃帝の条文を設けたものもあり、急進民権家の間では、国民主権説を主張するものや、人民が希望すれば共和制への移行を肯定する考えを述べるものもあった事実は、注目に値する。
〔大日本帝国憲法期の天皇〕
このような人民側の構想を無視し、官僚政府が上から一方的意図のもとに制定したのが、明治二十二年公布の大日本帝国憲法であり、これが昭和二十年八月十四日連合国に降伏するまでの半世紀余にわたり、前後に類をみない強大な天皇の権力確立と権威の全国民への浸透をもたらしたのである。この憲法では、民選の衆議院をふくむ帝国議会が設けられたものの、議会の協賛を必要としない天皇専管の大権事項が多く、天皇に代わり責任を負う国務大臣のほかに、天皇の最高顧問としての枢密院とか、憲法上の機関外に憲法制定以前に設けられた常侍輔弼を職とする内大臣、軍の統帥につき最高幕僚長として天皇に直属する軍令機関、本来優遇の趣旨で与えられた名であるのに内閣の組織や開戦など重要国務の決定に関与する元老とか、議会にも国民にも責任を負わないものが天皇統治権の行使に大きな役割を演じていて、制度の面だけからみても、立憲君主制にはほど遠い君権中心の体制が成立したのであった。天皇が議会の議決した法律案に対し不裁可権を行使したことは一度もなく、政府・軍の上奏にも、意見を述べることはしばしばあるが、おおむね裁可するのを常とし、国務・統帥に関し、稀れに天皇個人の意志を実現させた場合があるにすぎず、必ずしも天皇個人の独裁が行われたわけではないが、すべての最高国家意志の決定は天皇の允裁なくしてはなしえなかったのである。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」という憲法第一条は、法的に天皇主権を規定するにとどまらず、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という第三条が君主無答責の規定に終るものでなかったのと同様に、『古事記』『日本書紀』の説話によって皇祖神の子孫とされる天皇が「天壌無窮」の永遠の将来にわたって、絶対無上の神聖な権威を背景に「臣民」に君臨する意志の宣言でもあった。憲法発布の翌年に出された教育勅語は、憲法のこれらの条項と相まち、天皇が統治権の総攬者であると同時に、道徳的にも「臣民」の忠誠の対象としての精神的権威を有することを示した。これが天皇・皇族および皇祖神に対する作為もしくは不作為の不敬や反逆を、刑法により特別に厳罰に処する根拠ともなっている。このような天皇を頂点とする体制の尊厳と、この体制への無条件服従の道徳とが、「国体観念」の名で天皇制維持の思想上の支柱となった。その典拠が記紀の天皇起原説話にあるとされたからには、その説話は全国民に疑うことなく受容される必要があり、学校での歴史・修身などの教育はその方針に従って行われたのである。特に全国民が小学校児童の期間に、祝日の儀式ごとに天皇・皇后の「真影」への最敬礼、教育勅語「奉読」の謹聴、「君が代」合唱といった動作を反覆させられることを通じて、天皇への畏敬の心情が肉体的に植えつけられるという、画期的な国民意識操作の効果が生じた。徴兵制によって軍に徴集される国民は、大元帥である天皇を頂点とする上命下服の階層秩序のなかで、上官の命令は「直
(ただち)
に朕が命」(軍人勅諭)と心得よという絶対服従を強いられ、戦場で「死は鴻毛よりも軽し」(同)として天皇のために喜んで命をささげるように訓練された。天皇が軍を率いて出陣した七世紀以前と、武力行使に積極的な後鳥羽・後醍醐のような特異の天皇とを別にすれば、摂関政治期以後は公家社会に属して軍事から遠ざかっていた天皇が、通常、軍服を着用し、平時には観兵式・観艦式・大演習などで、戦時には大本営などで大元帥の任にあたる武人の外観を国民に示すようになったのも、この時期の新しい天皇の姿であった。また、天皇の巫祝としての機能が祭祀大権として近代国家体制のなかで法定されたのと関連し、民衆の民俗信仰とは別次元の国家神道が国教として創設され、神社への崇敬が「臣民ノ義務」として信教の自由の圏外に置かれた。帝国憲法の創出した天皇制は、このような法・権力・思想が相合して成立したのであるが、義務教育制度・徴兵制度などの全国民を画一的に教化する機構の整備の力で、史上に前例のないほどに深く国民を把握し、支配層・知識人から社会の底辺に至るまでの国民が、おおむね「国体観念」の忠実な信奉者となり、例外的にこれに批判的否定的な言動を示すものがあれば、権力の制裁を受けるにとどまらず、民衆の間から「国賊」「非国民」などの非難を浴び、社会的迫害を免れなかったのである。この時期にも木下尚江のような共和主義者が出ているし、二十世紀に入ると、無政府主義者・共産主義者が出現して天皇制廃止を唱えたが、彼らは少数の「異端」にすぎず、幸徳秋水ら無政府主義者十二人が死刑にされた大逆事件の発生があり、のちには多数の共産主義者が、「国体変革」を企てる結社関係者を処罰するための治安維持法によって刑事弾圧を加えられた。帝国憲法期の天皇制は、華族(華族は「皇室ノ藩屏」とされた)・高級官僚・資本家・地主などの特権身分・階級を基盤とするだけでなく、地主支配の家父長支配的村落共同体、さらにその細胞となる家父長家族が、いわば天皇制的構造によってその母胎の役目を果たしていたと考えられ、それ故に天皇制は単なる権力支配のみによってでなく、家父長的精神的権威をもって全国民の服従をかちとったのであって、家族制度が「国体の基礎」といわれたのは、その間の事情を物語るものであろう。
〔日本国憲法期の天皇〕
十五年戦争の末期に敗戦が何びとにも明らかとなり、国内から怨嗟の声の生ずるのに接した支配層は、戦争継続によって「国体の護持」が危険に瀕すると判断し、軍の反対をおしきって降伏した。降伏にあたり連合国は、「最終的の日本国の政府の形態はポツダム宣言に遵ひ日本国国民の自由に表明する意思により決定せらるべきものとす」との条件を示し、政府はこれを受けて降伏したのであるが、宮沢俊義らは、これによって主権が国民に移行し、帝国憲法の天皇主権原理が廃棄されたと解している。帝国憲法の改正が論議されたなかで、民間の私的憲法草案には、高野岩三郎や日本共産党の君主制廃止案を除き、君民共治の構想が多く、政府は天皇統治権の維持に執着したが、日本国憲法が主権在民を明記し、天皇を「象徴」とし、天皇は憲法に定める限定的で形式的な「国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(第四条)と定めたのは、連合国の間に天皇の戦争責任を追及し、あるいは天皇制廃止の主張もあったのを、天皇制の温存を有利とみたアメリカの政策による立案に日本政府が応じた結果であった。日本国民の間でも、天皇を象徴として存置することに賛成の意見が多く、国際的・国内的条件が相まって象徴天皇制への移行が実現したのである。法制上は、象徴天皇はすでに君主でも元首でもなく、もとより神の子孫としての神聖な権威は消滅し、これに伴って不敬罪・大逆罪の廃止、名誉毀損を除く天皇・皇室についての言論の自由、教育勅語の失効、『古事記』『日本書紀』の神代説話からではなく、石器時代から始まる科学的歴史教育の開始などの、画期的な変革が生じた。憲法の信教の自由の保障と政教分離の規定により、天皇の祭祀大権と神社国教制は廃止され、天皇の神宮・宮中神殿などでの祭祀行為はすべて皇室内の私事とされることになった。帝国憲法では皇室自治が大前提とされ、憲法と同時に定められた皇室典範には議会の関与を許さなかったのに対し、日本国憲法下の皇室典範は国会の制定する法律に改められ、国の官吏と区別されていた宮中の官吏も、私的使用人を除き、国家公務員として国民主権の下に立つことになった。しかし、この改革を法制上「国体の変革」とする法律学者の説が有力であるけれども、前近代からの同一家系の世襲により同一人物が同一称号「天皇」の名で存続しているところから、社会心理においては明暸な「変革」感の自覚のとぼしい実態のあるのは否めない。帝国憲法的天皇制の主たる社会基盤であった地主勢力の没落、共同体的規制の弱体化、核家族の激増による家父長制の衰退、帝国憲法期の「国体観念」の感化を受けていない純戦後世代人口の圧倒的優位など、帝国憲法期とは歴史的条件が激変したものの、個人の独立、社会的平等の自覚が、先進民主主義諸国に比べて弱い日本社会の深層心理には、「国体の変革」の原理的認識は稀薄のようである。日本国憲法を改正して天皇の権能を再強化しようとする政治的企図や、天皇・天皇制批判論者を脅迫する動きなどがあとを絶たないのも、そのような社会心理状況と無縁ではないが、他方、天皇を再び元首とすることに反対し、象徴天皇制を支持する人口が多数を占めていること、天皇・天皇制についての歴史学・社会科学的究明が言論と学問の自由の保障のもとで、まだ不十分ながら着々と進んでいることなども事実である。
→院政
(いんせい)
,→王政復古
(おうせいふっこ)
,→神世
(かみよ)
,→共和思想
(きょうわしそう)
,→継体・欽明朝の内乱
(けいたい・きんめいちょうのないらん)
,→建武新政
(けんむのしんせい)
,→皇位継承
(こういけいしょう)
,→皇室制度
(こうしつせいど)
,→皇室典範
(こうしつてんぱん)
,→国体論
(こくたいろん)
,→諡号
(しごう)
,→壬申の乱
(じんしんのらん)
,→摂関政治
(せっかんせいじ)
,→尊王攘夷論
(そんのうじょういろん)
,→大政奉還
(たいせいほうかん)
,→大日本帝国憲法
(だいにほんていこくけんぽう)
,→追尊天皇
(ついそんてんのう)
,→天皇機関説
(てんのうきかんせつ)
,→統帥権
(とうすいけん)
,→南北朝正閏論
(なんぼくちょうせいじゅんろん)
,→南北朝の合体
(なんぼくちょうのがったい)
,→南北朝の内乱
(なんぼくちょうのないらん)
,→日本国憲法
(にほんこくけんぽう)
,→年号
(ねんごう)
,→明治維新
(めいじいしん)
,→両統迭立
(りょうとうてつりつ)
,→倭の五王
(わのごおう)
[参考文献]
帝国学士院編『帝室制度史』、石井良助『天皇』、津田左右吉『神代史の研究』、同『古事記及日本書紀の研究』、同「天皇考」(『日本上代史の研究』所収)、井上光貞『神話から歴史へ』(中央公論社『日本の歴史』一)、水野祐『日本古代の国家形成』(『講談社現代新書』一二八)、古田武彦『よみがえる九州王朝』(『角川選書』四〇)、上田正昭『大和朝廷』(同六二)、永原慶二『日本封建社会論』、黒田俊雄『日本中世の国家と宗教』、佐藤進一『南北朝の動乱』(中央公論社『日本の歴史』六)、歴史学研究会編『天皇と天皇制を考える』、田中伸尚『ドキュメント昭和天皇』、家永三郎『歴史のなかの憲法』、久野収・神島二郎編『『天皇制』論集』、三一書房編集部編『『天皇制』論集』第二輯、宮沢俊義「日本国憲法生誕の法理」(『日本国憲法』附録四所収)、『天皇制の現在』(『法学セミナー増刊・総合特集シリーズ』三三)、藤田省三「天皇制」(中村哲他編『政治学事典』所収)
(家永 三郎)
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1. すべら‐ぎ【天皇】
デジタル大辞泉
《「すべらき」とも》「すめらぎ」に同じ。 「―の天の下知ろしめすこと」〈古今・仮名序〉
...
2. すめら‐ぎ【天皇】
デジタル大辞泉
《「すめらき」とも》
天皇
(てんのう)。すめろぎ。 「―の近江の宮に作りおきし時のまにまに御世もたえせず」〈日本紀竟宴和歌〉
...
3. すめら‐ぎ【天皇】
日本国語大辞典
〔名〕「すめろき(
天皇
)」に同じ。*書陵部本類聚名義抄〔1081頃〕「
天皇
スメラギ〔宣〕」*良寛歌〔1835頃〕「すめらぎの千代万代の御代なれや花の都に言の葉
...
4. すめら‐ぎみ【天皇】
日本国語大辞典
〔名〕「すめろき(
天皇
)」に同じ。*日本紀竟宴和歌‐天慶六年〔943〕「琴の音のあはれなればや数梅羅機瀰(スメラキミ)ひだのたくみの罪をゆるせる〈葛井清鑑〉」
...
5. すめら‐みこと【天皇】
日本国語大辞典
〔名〕
天皇
(てんのう)を敬い尊んでいう語。すべらみこと。*日本書紀〔720〕皇極元年二月(岩崎本平安中期訓)「還使に付(さつ)けたまはむと請(まう)す。天朝(ス
...
6. すめろ‐き【天皇】
日本国語大辞典
*万葉集〔8C後〕一三・三三一二「隠口(こもりく)の 泊瀬小国に よばひ為す 吾が
天皇
寸(すめろき)よ〈作者未詳〉」(2)皇祖である
天皇
。すめらぎ。*法隆寺伽藍
...
7. すめろ‐ぎ【天皇】
デジタル大辞泉
《「すめろき」とも》「すめらぎ」に同じ。 「―の食(を)す国なれば命(みこと)持ち立ち別れなば後れたる君はあれども」〈万・四〇〇六〉
...
8. てん‐こう【天皇】
デジタル大辞泉
中国古代の伝説上の帝王。天地人の三皇(さんこう)の一。
...
9. てん‐こう[:クヮウ]【天皇】
日本国語大辞典
三皇のはじめ。*愚管抄〔1220〕一・漢家年代「漢家年代〈略〉三皇
天皇
地皇 人皇」*神皇正統記〔1339〜43〕上・序論「
天皇
、地皇、五龍等の諸氏うちつづき
...
10. 天皇
画像
日本大百科全書
現代の象徴
天皇
制に及んでいる。村上重良
天皇
の称号
天皇
という称号は、中国から取り入れたもので、スメラミコト、スベラギ、スベロギなどと訓(よ)んだ。古代中国では、神
...
11. 天皇
画像
世界大百科事典
。阪下 圭八
天皇
号の成立 《日本書紀》は第1代の
天皇
を神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)
天皇
と称し,前660年に即位したと伝えるが,もとより事実ではない(神
...
12. てん‐のう【天皇】
デジタル大辞泉
も多く、その地位は著しく低下したが、江戸時代末に尊王論が盛んとなり、王政復古、明治憲法における
天皇
制へとつながった。
...
13. てん‐のう[:ワウ]【天皇】
日本国語大辞典
の御時、文徳
天皇
の御むすめ」*今昔物語集〔1120頃か〕五・二「我は此、此の国の
天皇
の娘也」*読本・椿説弓張月〔1807〜11〕拾遺・付言「その事絶て考(かんが
...
14. てんのう【天皇】
画像
国史大辞典
う。なお、生存中
天皇
の位につかず、死後に
天皇
の号を贈られた草壁皇子(岡宮御宇
天皇
)・舎人親王(崇道尽敬皇帝)・施基皇子(御春日宮
天皇
)・早良親王(崇道
天皇
)・典
...
15. 天皇
(てんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 170ページ
...
16. てんのう【天皇】
プログレッシブ和英
an emperor 明治
天皇
the Emperor Meiji; the Meiji Emperor
天皇
陛下His Majesty the Emperor
...
17. てんのう【天皇】
ポケプロ和独
Kaiser 男性名詞 Tenno 男性名詞
天皇
制 Kaisertum 中性名詞
...
18. てんのう【天皇】
ポケプロ和仏
empereur 男性名詞
天皇
制 régime impérial 男性名詞
...
19. てんのう【天皇】
ポケプロ和西
emperador [男性名詞]
天皇
制|sistema m imperial
...
20. てんのう【天皇】
ポケプロ和伊
imperatore [男性名詞]
...
22. てんのう【天皇】
ポケプロ日中
天皇
tiānhuáng.
...
23. てんのう【天皇】
ポケプロ日韓
천황,일왕(日王)
...
24. 天皇
法律用語辞典
現行憲法においては、
天皇
は日本国及び日本国民統合の象徴で、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づくとされ、また、憲法の定める儀礼的、形式的な国事行為のみを内
...
25.
tiānhuáng
【
天皇
】
ポケプロ中日
[名詞]天子;(日本の)
天皇
.
...
26. すめら‐みこと【皇尊/天皇】
デジタル大辞泉
天皇
(てんのう)を敬い尊んでいう語。すべらみこと。 「天朝(すめらみこと)許し給はず」〈皇極紀〉
...
27. emperor 【天皇】
Encyclopedia of Japan
The title tenno was first assumed by Japanese rulers in the 6th or 7th century a
...
28.
천황
〔
天皇
〕
ポケプロ韓日
[名詞](日本の)
天皇
.
...
29. すめらみこと【天皇】
国史大辞典
⇒てんのう
...
30. 上皇上
二
天皇
一
表
(見出し語:天皇)
古事類苑
政治部 洋巻 第1巻 379ページ
...
31. 内親王薨去天皇不
レ
視
レ
事三日
(見出し語:天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 228ページ
...
32. 后妃妊娠之時天皇結
レ
帶
(見出し語:天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第1巻 326ページ
...
33. 大嘗祭天皇御服
(見出し語:天皇)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 1539ページ
...
34. 大行天皇
(見出し語:天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 954ページ
...
35. 天皇上
二
上皇
一
表
(見出し語:天皇)
古事類苑
政治部 洋巻 第1巻 377ページ
...
36. 天皇位袍
(見出し語:天皇)
古事類苑
服飾部 洋巻 第1巻 277ページ
...
37. 天皇元服
(見出し語:天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第1巻 637ページ
...
38. 天皇元服蠲免
(見出し語:天皇)
古事類苑
政治部 洋巻 第2巻 1005ページ
...
39. 天皇出家【併入】
(見出し語:天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 895ページ
...
40. 天皇出
二
御大極殿
一
(見出し語:天皇)
古事類苑
居處部 洋巻 第1巻 130ページ
...
41. 天皇即位【篇】
(見出し語:天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 317ページ
...
42. 天皇受戒
(見出し語:天皇)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 670ページ
...
43. 天皇受
二
灌頂
一
(見出し語:天皇)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 416ページ
...
44. 天皇可
レ
違
二
凡賤
一
事
(見出し語:天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 571ページ
...
45. 天皇山陵【篇】
(見出し語:天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 963ページ
...
46. 天皇御讀書
(見出し語:天皇)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 258ページ
...
47. 天皇新嘗祭親祭
(見出し語:天皇)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 254ページ
...
48. 天皇服喪【篇】
(見出し語:天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 391ページ
...
49. 天皇束帶
(見出し語:天皇)
古事類苑
服飾部 洋巻 第1巻 191ページ
...
50. 天皇歌人
(見出し語:天皇)
古事類苑
文學部 洋巻 第1巻 820ページ
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ポケット判ながら中型辞典に匹敵の語彙数!難文法や語法も簡明に解説。
ポケットプログレッシブ韓日・日韓辞典
小学館
「読む」「書く」「話す」を可能にする充実の内容。フレッシュな用例も満載!
用語・情報 》
情報・知識 imidas 2015
集英社
最新の用語を約140の分野別に分類・解説し、カラー図版を用語解説とリンクさせた現代語事典。
現代用語の基礎知識 2015
自由国民社
基礎語から専門語まで約300分野を詳細に解説した伝統の現代語事典。「新語・流行語大賞」などの特集記事も充実。
会社四季報(2016年1集・新春号)
東洋経済新報社
日本国内の全上場企業の特色や業績・財務内容などを網羅。
法律用語辞典(第4版)
有斐閣
一般的な用語から、学習上・実務上必要となる専門的な用語まで収録。
デジタル大辞泉プラス
小学館
さまざまな商品、小説、映画、マンガなどの「固有名詞」の世界をフォロー。
人名・文化・宗教 》
日本人名大辞典
講談社
7万5,000人を超える収録数を誇る日本最大規模の人名辞典。
JK Who's Who
小学館
あらゆる分野で、今もっとも注目される人物をピックアップして、その基礎情報を速報するデータ・コラム。
デジタル版 集英社世界文学大事典
集英社
非西欧圏も重視し地球規模の世界文学の足跡を集大成した最大級の文学事典。総項目数1万6,600余。
日本人物文献目録
平凡社
古代~現代の人物3万名に関し、関連文献12万余の文献名・著編者名などを付した伝記資料集。
新版 日本架空伝承人名事典
平凡社
歴史上の人物から架空世界のヒーローまでを網羅した、異色の人名事典。
新版 能・狂言事典
平凡社
能と狂言500曲余の解説、歴史や演技に関する事項、人名までを網羅。能楽研究の基礎資料として必携の書。
新版 歌舞伎事典
平凡社
400年にわたる歌舞伎の歴史、常に新鮮な現在の舞台、その豊かな伝承の技と梨園文化を最新の研究成果をふまえて集大成した歌舞伎総合事典。
例文 仏教語大辞典
小学館
日本仏教の関連資料などから集められた約3万項目の仏教語を収録した大辞典。
科学 》
デジタル化学辞典(第2版)
森北出版
幅広い科学分野を網羅する実学重視の専門辞典。
法則の辞典
朝倉書店
自然科学分野の法則を4,400以上集め、簡潔に解説。
記事・コラム 》
週刊エコノミスト 2015-2016
毎日新聞出版
創刊90年以上の歴史を持つ経済誌。最新号から前年刊行分までの全文検索が可能。
NNA:アジア & EU国際情報 2015-2016
NNA
アジア・欧州の経済、金融情報、市場マーケット情報、企業情報、社会情勢、安全情報、生活情報などの最新情報を毎日配信。
平成ニッポン生活便利帳
自由国民社
日本古来の文化・伝統・マナー・常識などを集約。
叢書 》
東洋文庫
平凡社
アジア全域にわたる諸分野の古典・名著の一大集成。平易な現代文の完訳と詳細な注を完備。全文での検索が可能。692冊を収録。
新編 日本古典文学全集
小学館
珠玉の古典を網羅し、作品背景にも充実した解説を施す。全88巻。原文・現代語訳・頭注の全文検索が可能。
文庫クセジュ ベストセレクション
白水社
「文庫クセジュ」から、編集部で精選した354冊を『文庫クセジュベストセレクション』として公開。
2万冊以上の膨大な辞書・事典や高価で貴重な書籍が使い放題なのは、ジャパンナレッジだけ!家にいながら欲しい情報がすぐ手に入る。
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ジャパンナレッジは大河ドラマ「真田丸」の時代考証に大いに役立っています。
丸島 和洋
1977年大阪府生まれ。博士(史学)。国文学研究資料館特定研究員、慶應義塾大学文学部非常勤講師。2016年NHK大河ドラマ『真田丸』の時代考証を担当する。
NHK大河ドラマ『真田丸』の時代考証をつとめていますが、その際、ジャパンナレッジをフル活用しています。iPhoneでも検索できるというのがありがたい。
例えば、脚本の中に、使われていた時代があいまいな言葉を見つけると、ジャパンナレッジの『日本国語大辞典』(以下、『日国』)で初出を調べるようにしています。気になる単語を調べて、用例欄をチェックするのです。そして、「江戸初期には使われているから、これならいいな」、「これは用例のなかで一番古いものが坪内逍遙の小説だから使わないほうがいい」などと、判断していくわけです。
『日国』の次によく利用しているのが、『日本歴史地名大系』です。大河ドラマでは、地名が多く登場しますが、ヨミについても頭を悩ませます。そこで、『日本歴史地名大系』を用いるのです。「『日本歴史地名大系』での読み方」というものが、ひとつの根拠になるわけです。
『国史大辞典』や『古事類苑』、『東洋文庫』も重宝しています。
歴史研究においても、ジャパンナレッジは有用です。特に、横断検索によって、普段、調べる機会のない辞書や叢書を目にすることができます。研究はどうしても特定分野に偏りがちなのですが、横断検索の結果に目を通すことで、視野が広がります。ひとつの辞典だけでなく、複数の辞典から調べることが、研究者には重要になってきます。
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歴史学研究の新たなツールとしてジャパンナレッジのコンテンツを活用することで、効率よく文献を調べることができる
安藤 優一郎
1965年生まれ。歴史家。文学博士(早稲田大学)。江戸をテーマとする執筆・講演活動を展開。JR東日本大人の休日・ジパング倶楽部「趣味の会」、東京理科大学生涯学習センター、NHK文化センターなど生涯学習講座の講師を務める。
私は江戸時代をテーマに執筆・講演活動を展開しております。
江戸の歴史に限らず、歴史学は膨大な文献を駆使することで新たな史実を明らかにしてきました。
日本史を執筆する際の基本史料集とも言うべき『古事類苑』。明治政府が古代から江戸時代の終わりまでに記された無数の文献からセレクトした官撰の歴史史料集です。30の分野別に収録されていますが、原本が355冊。書籍化された本でも51冊に及ぶ分量です。一冊も片手で掴めるかどうかという分厚さです。
よって、その利用に際しては不便さがつきまとうのが常でしたが、ジャパンナレッジに収録されたことで、不便さが一気に解消されました。検索機能を活用することで、膨大な資料から一瞬にして関係記事を抽出することが可能となったからです。
自分の関心に合致する全ての文献を読み込むことは到底無理ですが、ジャパンナレッジのコンテンツを活用することで、その手間がかなり減ることは間違いありません。
歴史学研究の新たなツールとして、是非ともお試しください。
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