現在は大手邦画メジャー3社に数えられる東映の原点は、1947年。まだ戦争の傷跡の残る時代に、マキノ光雄というひとりの映画人が、京都・太秦の使い古された小さな撮影所に乗り込んだことに始まる。現在、一部が「東映太秦映画村」として開放されている、東映京都撮影所の誕生である。
1909年、“日本映画の父”牧野省三監督の次男として生まれたものの、生来の反骨心から名監督の薫陶をほとんど受けることなく19歳で父親を亡くしたマキノ光雄。一度は満州へ渡り、帰国後、松竹での修行を経て、1947年、実兄・マキノ雅弘監督や、光雄と同様に満州から引き揚げた気骨ある職人たちとともに、中古の小さな撮影所を東横映画撮影所(のちの東映京都撮影所)として生まれ変わらせる。そして、いわば「映画の生まれる現場」である撮影所で、企画・脚本・撮影・編集を一貫してコントロールし、それにより映画の大量生産を可能にする「撮影所システム」を確立することになる。
とはいえ、当初は借金を背負っての船出。戦後まもなくは軍国主義への後戻りを懸念するGHQによって大衆受けのいいチャンバラ時代劇の制作が厳しく制限されていたことや、そもそもマイナスから始まったぎりぎりの自転車操業だったこともあり、資金不足で職人たちに給料さえ払えない月も少なくなかった。
それでも撮らなければ映画にならない。映画がなければ、稼ぐことができない。マキノ光雄のカリスマと人脈、そして何より、マキノを支える昔ながらの「カツドウ屋(映画職人)」の矜持と、映画の未来に夢をかけた若いスタッフ(ここから監督・脚本家などのヒットメーカーや、東映中興の祖となる岡田茂元社長が育つ)の不眠不休の働きと工夫によって、東映は作品を生み出し続けた。
数少ないセットをやりくりするための、複雑かつ無理な撮影スケジュール。10日連続徹夜で撮影が行われることもあったという。それでもしのぎを削って作品を生み出し続ける監督たち。大車輪で働く職人たち。撮影所を守り、映画を作り続けるために。ヒット作を生み出すために。その熱量は、作品に反映されていった。
東映がもっとも大切にする「映画は大衆娯楽」という明確かつ徹底したスタンスは、この頃に文字通り必死で「売れる映画」を作り続けた経験から生まれたものと言えよう。
当時の東映が確立した仕掛けとして、「スターシステム」と、シリーズ化による定番化も見逃せない要素だろう。
チャンバラ映画が解禁された後の1950年代。人気俳優・片岡千恵蔵、市川右太衛門を迎え入れたことで、舞台仕込みの彼らの芸を最大限活かす、舞うような美しい殺陣が、大衆の心を掴んだ。奇しくも映画がモノクロからカラーへの変革を遂げた時期でもあり、華麗で豪華な衣装を着こなす姿も、戦後の復興期の観客の目を引いた。大衆がスターに求める強い偶像性と、スターの持ち味を最大限に生かして、俳優がもっとも輝きを放つシリーズ作品を作り続けることで、東映は時代劇ブームを築くことに成功。これにより、専属のスター俳優を何よりも大切にし、優先する東映の方針「スターシステム」が生まれる。
やがて様式美を重んじる時代劇のパターンに大衆が飽きてきたことを感じると、東映は時代の空気を読んでいち早く舵を切る。1963年、尾崎史郎の任俠小説を鶴田浩二主演で「人生劇場 飛車角」として映画化。大ヒットを得たことでシリーズ化され、東映は一気に「任俠路線」へ移行する。
世の理不尽に黙って耐えてきた男が、義理と人情のためドス(短刀)を手に立ち上がる…。男の美学を体現した展開は、1960年代の安保闘争、大学闘争などに揺れる人々の鬱屈と共鳴し、次々にヒット。鶴田は、任俠映画を代表するスターとして多くの傑作を残すことになる。
鶴田は自ら主役スターでありながら、後進の若手俳優を育てるため、若手共演者と肩を並べること、さらには彼らの共演者として二番手に回ることも厭わなかった。鶴田との共演によって転機を得た後輩のひとりが、高倉健である。
「東映ニューフェイス」第2期生として映画界入りしていた高倉がスターへの階段を上るきっかけになったのが、鶴田浩二主演の「人生劇場 飛車角」の準主役の座を得たことだった。着流しが似合い、日本的な色気と人情あふれる鶴田に対し、ストイックなイメージを印象付けた高倉。骨太で漢気あふれる硬派な俳優として、世の男性たちを中心に、共感と憧れをもって受け入れられていった。
仁侠映画は、博徒・侠客と強いコネクションを持っていた俊藤浩滋をプロデューサーに迎えることで、一般大衆が見ることができない、リアルな「任俠の世界」を再現して見せたことも大きな勝因となった。その俊藤プロデューサーの実娘が、藤純子(現・富司純子)である。1963年、マキノ雅弘監督にスカウトされ、18歳で映画界入り。「緋牡丹博徒」など、美しく強い女侠客を演じ、強い印象を残した。
鶴田浩二、高倉健、藤純子の人気に後押しされた任俠映画シリーズは、その作風から映画館に押し寄せるのはほぼ男性客であったものの、東映任俠映画が1965~67年の興行収入ランキングの上位半数を占める人気となった。約10年もの間、ドル箱的地位を守った後、1970年代を過ぎたあたりからそのブームにも少しずつ陰りが見え始める。
そこに登場するのが、「実録路線」と呼ばれるやくざ映画のジャンルである。
1973年に菅原文太と深作欣二監督が組んだ「仁義なき戦い」は、それまでの任侠映画とは明らかに一線を画していた。それまでの任侠映画が、男の理想像としての義侠心を描いていたのに対し、実録路線では実際の事件に基づいたストーリーを描くとともに、作品世界から理想や虚栄を剥ぎ取り、内実に迫ろうとした。裏社会に生きる男たちのリアルな葛藤や生き様を描いた「仁義なき戦い」シリーズは大衆に熱狂的に迎え入れられ、菅原文太の代表作となった。
その後も、「不良番長」や「極道の妻たち」などの人気シリーズ、「鬼龍院花子の生涯」など五社英雄監督による女性映画シリーズなどを生み出した東映。いつの時代にも目指したのは、大衆を喜ばせるための娯楽映画だった。
どの作品においても、「不良」な要素を含むこと。それが当時の東映の映画づくりの指標であった。それは、不安定な現実の世界から離れ、純粋な娯楽として、多くの人に映画の中の世界を楽しんでほしい…そんな東映のサービス精神と、後進の映画会社であったがゆえの「挑戦心」が培ったものと言えよう。
山の手の人々を描いてきた明るく清い東宝映画、下町の庶民目線で作品を作り続けてきた松竹映画に対し、「不良性感度」と呼ばれる東映独自のカラーは時代を超え、男ならきっと誰もが心のどこかで憧れる、“アウトロー”な魅力にあふれている。(文:編集部)
東映任侠路線の先陣となったシリーズ。鶴田の「飛車角」シリーズは、弟分に高倉健を配し、鶴田の義理と人情を貫く親分肌が見もの。特に「人生劇場 飛車角と吉良常」は名作。1作目「人生劇場」のみ三船敏郎が主演。
鶴田が博奕に命をかける男を演じ、掟と義理、人情に生きる博徒の生き様を赤裸々に描写。「博奕打ち 総長賭博」は三島由紀夫に絶賛されたことを機に、それまで任侠映画を軽視していた良識人からも高い評価を得た。
鶴田浩二が親分イメージを確立した不動の人気シリーズ。すべての監督をマキノ雅弘が務め、デビュー間もない藤純子、松方弘樹らが若手として出演。個性的なキャラクターの面白さに加え、股旅映画としての魅力も!
血なまぐさい欲望が渦巻く中、任侠道を貫く男を演じた鶴田浩二の粋と意気!高倉健との共演作を含む全9作。「日本の首領」の続編には出演していないものの、彼の存在なくしては生まれなかった名シリーズだ。
日本戦史における悲劇「特攻作戦」の全貌と、彼らを見送らねばならなかった家族の愛と悲しみ。自身も特攻隊のいわば“生き残り”だった鶴田浩二がこだわりをもって生み出した作品群。「あゝ決戦航空隊」など全3作。
鶴田浩二が着流しからスーツに衣を変えて挑んだ傑作アクションたち。「日本暴力団」シリーズ、深作欣二監督と組んだ「博徒外人部隊」など、鶴田が壮絶なドス捌きはもちろん、拳銃アクションもこなせることを証明!
東映の救世主であり、第一線で任侠路線を支え続けた鶴田浩二。「昭和残侠伝」シリーズや「日本侠客伝」シリーズなど、鶴田が特別出演として名前を連ねることで、さらに映画に箔を付けることに。これぞスターの証!
1作目のみ役名が異なるが、2作目以降は「花田秀次郎」として不条理な仕打ちに耐え、最後に復讐を果たす生き様に男性陣が熱狂!任侠映画はいわばバディムービー。池部良が演じた相棒「風間重吉」も人気を呼んだ。
1作目は米映画「手錠のままの脱獄」を基に、健さんが手錠を繋がれたまま雪中を逃亡する場面が有名。任侠色よりアクション色が強い。2作目以降は流れ者が全国を渡り歩く設定。健さんの革ジャン&ジーパン姿も注目!
「人生劇場」で演じたキャラクターの"博徒"というイメージから作られたシリーズ。堅気の職人や博徒と、彼らを脅かす新興ヤクザと悪徳業者の対立が軸になっており、健さんは任侠の士を演じて人気を決定づけた。
暴れん坊から渡世人、一匹狼まで、己の信条と生き様を貫く男・高倉健の魅力がぎっしり。高倉健、若山富三郎、鶴田浩二のオールスターキャスト大作に加え、異色の日本製ウエスタン、未ソフト化の「望郷子守唄」も!
「緋牡丹博徒」と並ぶ藤純子の人気シリーズ。匂いたつような艶やか美人でありながら、男勝りの気風と度胸で悪辣の限りをつくすやくざに立ち向かう女傑を熱演。侠客映画の本道をいきつつ、メロドラマ的要素も!
女侠客スターとして藤純子の人気を不動のものにした任侠シリーズ。緋牡丹の刺青を背負い、義理と人情に生きる女やくざ“緋牡丹のお竜”に惚れぬ者はなし!任侠映画ファンの心を虜にした藤純子の艶花が咲き乱れる!
藤純子が拳銃、長ドスをこなすの女博徒を演じ、「緋牡丹博徒」を超える傑作とも名高い「女渡世人」シリーズ。そして、藤純子の引退記念としてオールスターキャストで製作された「関東緋桜一家」。藤の魅力が全開!
菅原文太をスターに押し上げ、実録路線の先駆けとなった不動の人気シリーズ。組織内の裏切りや暴力の連鎖が激しいバイオレンス描写と共に描かれ、戦後の広島で生き抜くために裏社会に入った若者たちの生き様が熱い!
菅原文太と愛川欽也が威勢のいいトラック運転手を演じ、その絶妙なコンビネーションで大ヒット。当時はまだ珍しかった「デコトラ」(煌びやかに装飾された長距離トラック)が社会現象を巻き起こすほど大人気に!
任侠映画にコメディ要素を取り入れた新テイストの東映流バディムービー。菅原文太と川地民夫がチンピラの義兄弟を演じ、悪人相手に派手な立ち回りを見せる。反骨精神に溢れたアウトローたちの暴れっぷりが痛快!
少年院あがりの一匹狼が、ヤクザ組織を相手に血の雨を降らす!ニヒルな男らしさと荒々しいバイオレンスを炸裂させる菅原文太主演の人気シリーズ。第1作目は菅原の初主演映画であり、いわば「仁義なき戦いの」原点!
関東の縁日を巡るテキヤの壮絶な縄張り争いを描く異色の任侠シリーズ。義理と人情に生きるテキヤ一家の若衆を演じた菅原文太の男っぷりが粋。従来の任侠映画のテイストを残しつつ、枠にハマらない痛快さが魅力!
ときには伝説の鉄砲玉、またときには悪徳警官となり、激しいバイオレンスに身を投じる!「山口組外伝 九州進攻作戦」や「県警対組織暴力」、「戦後秘話 宝石略奪」など、洗練された菅原文太の魅力をじっくり堪能!
映画界と演歌界が近しい関係にあった60~70年代に誕生した北島三郎主演の任侠映画シリーズ。やくざ渡世における兄弟分の契りをテーマに、北島が歌った主題歌も大ヒット。鶴田浩二ら大物スターたちの特別出演も!
昔気質のヤクザと悪人たちの戦いを描く、若山富三郎主演の任侠映画シリーズ。正義感の強いヤクザの親分が悪を裁いていく勧善懲悪もの。若山が「緋牡丹博徒」で演じたシルクハットの大親分が本シリーズのルーツに!
やくざ抗争ものに刑務所もの、さらにはカーアクションまで!北大路欣也や勝新太郎らのカリスマ性も見逃せない。深作欣二監督の「暴走パニック大激突」は、「いつかギラギラする日」の原点とされており、マニア必見!
梅宮辰夫、山城新伍、安岡力也の不良グループ「カポネ団」が大暴れ!悪事を重ねる不良たちのエネルギッシュな生き方とスピード感あふれるアクション、そして悪ノリぶりも楽しい、カルト的人気を誇る不良映画の原点!
「仁義なき戦い」の大ヒット以降に生まれた実録やくざ映画たち。「仁義なき戦い」シリーズの深作欣二監督作のほか、本物のやくざから俳優になった安藤昇主演作など、凄惨かつ残忍なやくざたちの実態に震え上がる!
篠原とおるの漫画が原作の梶芽衣子主演シリーズ。女子刑務所内での争い、その恨みを復讐に変える女の怒り。ほぼ表情を変えない梶のクールビューティぶりが光る!同じ原作者の「0課の女 赤い手錠」は杉本美樹主演。
70年代、海外で「カラテ映画ブーム」を巻き起こした、千葉真一を中心とするアクションスターたちによる話題作の数々。クエンティン・タランティーノ監督など、欧米の著名映画人にも大きな影響を与えた作品群だ。
任侠路線、実録路線を経て、東映のお家芸でもあった時代劇へと原点回帰。時代劇スターの萬屋錦之介と深作欣二監督が組んだ「柳生一族の陰謀」を筆頭に、真田十勇士の「真田幸村の陰謀」など、娯楽感満載の歴史大作。
任侠路線、実録路線に続く、本格やくざ映画。小林旭の「修羅の伝説」、松方弘樹が戦前・戦後の混乱の中を生き抜く男を演じた「修羅の群れ」など、Vシネマへと続く潮流となった作品たち。
「極妻」の愛称で知られる大ヒットシリーズ。任侠映画では裏方であった、極道の世界に生きる女たちに焦点を当て、自らの手で夫の仇討に挑む強い女たちを描く。岩下志麻ら“姐さん”たちの威勢のいい啖呵も売り!
宮尾登美子原作「鬼龍院花子の生涯」のヒットを皮切りに、女性の生き方を描いた新たな東映カラーを打ち出した作品群。「吉原炎上」など、女性を妖艶かつ美しく撮ることに長けた五社英雄作品が目白押し!
大ヒットした「二百三高地」、海外ロケを敢行した「大日本帝国」など、東映が社運をかけて作り上げた戦争・歴史大作たち。今では絶対に再現できない壮大なスケールで描かれるスペクタクル巨編の数々に圧倒される!