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熊おやじの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-09-17

戦争維持装置としての「禅」

(前略)そこで最近、米軍が取り入れつつあるのが「サムライ・トレーニング」と呼ばれる「瞑想、禅の精神修養」だ。特に陸軍では110万人の兵士全員に精神的トレーニングを義務づけ、戦場や期間後の生活において精神の安定を保てるようにするという。(中略)実際に試験的にトレーニングを受けた兵士の7割は「ストレスに対処しやすくなった」など、肯定的に評価しているという(『サンデー毎日』2009年9月27日、p.35)。

 日本が第二次世界大戦用に<発明>した「宮本武蔵」的男性性(拙著「男らしさという病?」参照)が、現在、アフガニスタンイラクの情勢のために、米軍によって<輸入>されつつある、ということでしょう。「米軍のオウム真理教化」が始まったと見ることもできるでしょう。日本の曹洞宗や臨済宗の関係者は、こうした曲解に基づく「禅」という言葉の流用=横領(appropriation)、いわば軍事利用に対して、抗議の声を上げないのでしょうか?

hotarohotaro 2009/09/20 22:36 今「冬の兵士」反戦イラク帰還兵の証言を読んでいるので、戦場の兵士たちの深刻なPTSD に軍も困り抜いて、なんとか安上がりな安定手段として、禅を利用しているとしか思えません。しかし、このような大量な需要があると、簡単に批判できない、宗教側の弱さも感じられます。私は今「気功」エクササイズをやっていますけれど、静功と呼ばれるものは、ほとんど瞑想で、これは宗教的なものです。そして、心身を非常にリラックスさせる作用が確かにあります。なぜ、宗教団体が抗議の声を上げられないか、その弱さの研究というのは、先生のご専門ではないでしょうか?

kkumatakkumata 2009/09/21 12:10 私は宗教学者であって、宗教家ではありません。私たち宗教学者にできることは、宗教家を「誘惑する」ことだけです。

tokyufubaitokyufubai 2009/09/21 17:16 恐ろしいことですし、許しがたいことです

onoono 2009/09/21 19:50 CML経由で覗きました。思わず気になったのでコメントさせていただきます。

> 私は宗教学者であって、宗教家ではありません。

だったら宗教学者として抗議すればいいんじゃないですか。
そういう「〜関係の人は行動を起こすべきだ」みたいなことを示唆するのは卑怯だと思います。
「学者は誘惑する」ことしかできない?そういうのは傲慢だと思います。

kkumatakkumata 2009/09/21 22:47 現実問題として、一宗教学者の私が抗議したところで、黙殺されるだけです。

hotarohotaro 2009/09/22 10:48 自分は、キリスト教界にいる一平信徒ですけれど、キリスト教原理主義がイラク戦争を始めた時のアメリカの宗教的バックボーンであり、良心的なクリスチャンは多かれ少なかれ罪責の念をもっています。でも、歴史を見れば、既存宗教は大勢としては、戦争のような非人間的な事柄に対して、いつもマッチポンプ(片方で戦争を焚きつけ、もう一方で、心の傷をいやす)、説得力がありません。しかも、内部で分裂抗争して、外から見たらまるでわからない内輪もめに終始しています。先生のご本も読ませたいただいて、感じることは、日本人は、宗教者も含めて、自浄作用が全くありません。第二次大戦で負けたときも、その事実を、まるで、天災・天変地異のような受け止め方をしています。その点「冬の兵士」に登場する、イラク帰還兵は、あの地獄のような戦線をくぐり抜けて、人間として再生しています。民主党の「国家戦略局」の面々に聞いてもらいたい、真の人間性に基礎づけられた国家観をもっています。私は、先生のようなアプローチで、アニメや大衆の中の声なき声と意識を拾い上げていく作業を、貴重なものだと思い応援しています。

kkumatakkumata 2009/09/22 12:58 応援ありがとうございます。
曹洞宗・臨済宗→全日本仏教会→国会議員→日本政府→アメリカ政府、というルートで働きかければ、アメリカも無視できないと思います。

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