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師弟不二アーカイブより 「皆で声を出せ!」池田先生指導

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年 9月 6日(火)15時12分58秒
  【投稿者:河内平野】
投稿日:2015年 3月 4日(水)15時43分2秒

「声仏事を為す」(御書七〇八頁)である。
私たちの「声」が、魔軍を打ち破っていくのである。

罪なき仏子を苦しめる人間。
正しい人を陥れる嫉妬と謀略の人間。

学会を食い物にしようと狙っている私利私欲の人間。
こうした悪い人間が出たならば、放置してはいけない。
早く糾すことだ。

・・・・・(続きは)

http://sgi-shiteifuni.com/?p=5062
 

Re:池田先生の出世の本懐

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月 6日(火)14時40分21秒
編集済
  案外おばちゃん様

素晴らしい問いかけをありがとうございます。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/55700

>>こーゆー事を 地区で語り合いたいものです。<<

全くその通り。賛同します。私の経験ですが、男子部時代に部活でそのような語り合いをしてきました。

ただ現状を嘆いていても仕方がないので、少しでもそのようなことを語り合う同志を身近に作っていくしかないでしょう。
骨の折れる労苦かもしれませんが地区や支部を守っていくには
打ち出しをこなす活動ではなく、本音で語れる地域組織にしていくしかない。その為の人材をどう育てていくかでしょう。

必ず地域には求めている人がいます。お題目を唱えて、池田先生と共に戦える人材よ出でよ。と行動あるのみです。

さて、池田先生の出世の本懐は?との話を学会の最高幹部や副会長クラスからあまり聞いたことがありません。
なぜでしょうか?タブーなのでしょうか?

余談ですが、一番弟子さんはどう考えているのでしょうか?
想像ですが、一番弟子さんは小説人間革命と答えるような気がします。
一番弟子さんは、元原稿を保管したことが唯一の自慢できる功績です。

余談でした。

話を戻します。

>私が覚えている先生の夢は・・・
「日本中の駅を桜の花で彩りたい」<

先生は桜の花が好きですものね。
家族を失った戦争の悲惨な体験と命の儚さ、平和な社会への想いが桜の木には込められているのではないでしょうか。
日本には何箇所か池田先生が寄贈されている桜の木があったかと思います。

>>その先生の思いが詰まった桜の木を廃棄処分した輩が創価に居るのが許せません。<<

嵐桜の件ですね。イケディアン様により明らかにされました。この件をもっと追及していかねばなりません。

さて、学園生が
池田先生の夢はなんですか?と質問されました。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/55704

この時の池田先生のお答えは

「戸田先生の夢を実現することです。」
「私は戸田先生の弟子として恩師の夢をひとつ残らず実現してきました。」
でした。

そもそも、出世の本懐とはどんな意味なのでしょうか。
そこも踏まえて皆さんでいろいろ考えてみたいのです。

私が直感的に思ったのは、出世の本懐って後から決まっているもので、当人が出世の本懐だと認識しているのだろうか?ということです。
もちろん、日蓮大聖人はわかっていたのかもしれません。余は二十七年とありますから。

また、戸田先生の75万世帯はどうだったのでしょうか?
必ず成し遂げる。という強い強い決意と確信による大宣言がありました。戸田先生は獄中の悟脱によりご自身の今世の使命を自覚されていたのは確かでしょう。
しかし、実現できたのは不二の弟子、池田先生がいたからです。会長就任の前年、昭和25年の戸田先生最大の苦境時の様子を池田先生がスピーチで何度もお話をされていますね。


大城さんの忌憚なきご意見募集とともに、
こちらも、皆様の忌憚なきご意見をいただきながら、池田先生の弟子として何をするのか。
この決意を新たにしていければと思います。
答えは沢山あってよいでしょう。

末尾になりすみません。
ジョーカー様もご意見をよろしくお願い致します。
 

八尋様

 投稿者:大城  投稿日:2016年 9月 6日(火)13時57分2秒
  早速忌憚のないご意見ありがとうございます

説明不足でした
陳謝します

八尋様がおっしゃる通り、本幹のメッセージの見出しです

今回のメッセージに感動しました
その事は既に投稿させて頂いています

20世紀に盛んに言われた言葉が
21世紀の広布の山を登れ

今、何故この言葉なのか?
自分は21世紀の山を原田執行部が登れていない
むしろ、逆行しているじゃないか!
しっかり21世紀にふさわしい会にして行きなさい!
かつて、先生と共に21世紀を目指した青年達よ
チャンと21世紀の山を登ってくれ!
20世紀に逆行していてはいけない
との御指摘に感じたのです

しかし、これはあくまでも自分が感じただけで、皆様のご意見を教えて頂きたいと思いました

説明不足ですみませんでした

皆様のご意見はいかがでしょうか?
教えていただけますか?
 

柳原氏は、ブーメラン脳天炸裂自爆の常習者(笑)

 投稿者:ヨッシー  投稿日:2016年 9月 6日(火)12時53分19秒
  「浜の浩ちゃん」の手羽先・柳原滋雄氏とおぼしき人物がこの板に降臨されたようですね(笑)

柳原さんと言えば、八尋みのるさんに
お前な、正体隠してないで、実名でやれよ。卑怯者!
と啖呵を切ったはいいが、八尋さんから
えっ?あなたは、今ここで話題の柳原滋雄さんご本人なんですかぁ~ww
と切り替えされ、沈黙、遁走(笑) あえなく撃沈!!(笑)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/54908

自分は本人であるかどうかを隠したまま、相手には実名でやれと要求するw
自分の大見得切ったことがブーメランとなって脳天に
炸裂することになるという、まるでaaのような話(笑)
全く先が読めない人ですね。

つい最近も、波田地氏に対し、“覆面攻撃”云々などと、口角泡を飛ばし続けている。
ご自身が「中田光彦」、「稲山三夫」などの仮面を被って山友や共産党などを攻撃してきた過去はすっかりお忘れになったようだ・・・(笑)

その柳原さん、今年8月初旬、妙観講との裁判に高裁でも負けて上告を断念。このままではお払い箱になるかもと見るや、宿板批判に飯の種の活路を見いだした・・・。
信濃町に向け愛想笑いを振りまき尻尾を千切れんばかりに振る姿は実に哀れですね。人間、ここまで堕ちたくはないと思ったのは私だけではないと思います。

有名な?コラム日記で波田地氏を攻撃して曰く
http://www.yanagiharashigeo.com/htm/report7.html
「同人は自ら日蓮正宗の阿部日顕などを訴えた民事裁判で、当初意図したような『勝訴』を得ることができていない。阿部日顕や妙観講講頭の大草一男の盗聴関与の事実を裁判所に認めさせることができなかっただけでなく、そうできなかった原因について、自身の責任はすべて棚上げし、いまだに他人のせいにばかりしている。
 仮にまともな信仰者なら、『自分の祈りが足りなかったからこうなった』
などある程度は自省するものだが、同人の口からそんな殊勝な言葉が飛び出すことはまずありえない。なぜならそれが同人の信仰観であり、物事の原因をすべて自分以外の『環境』に転嫁し、自己責任とするだけの基盤が内面に存在しないからだ。所詮は、“未熟な信仰者”の形であり、特に≪退転者≫に共通する姿ともいえる」
と。

要するに、裁判で思うような判決が得られなかった場合は他人のせいにせずに、自分の祈りが足りなかったといったような自省の言葉を述べなければならない等々、言いたい放題だが、当の本人が上告を断念した後、なんと言っていたか?

2016/08/04(Thr)
東京高裁判決  1ページ目に3箇所も“誤記”  とうてい承服できない
2016/08/05(Fri)
ありえない事実誤認
2016/08/06(Sat)
ころころと代わった裁判官
2016/08/07(Sun)
先行訴訟の重み

といった具合で、連日のように裁判所が悪い、裁判官が悪い、先行訴訟が悪いと愚癡と恨み節のオンパレード。

波田地氏に向かって偉そうに言っていたことと完全に自語相違。
他者に放った言葉が自分を切り刻む結果になっている。

このブーメラン脳天炸裂自爆の姿を当掲示板で阿耨多羅さんが、柳原さんの言をもじりつつ皮肉たっぷりに指弾しているので、再掲しておきますね。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/55058

「今回の裁判で大惨敗した柳原は、さっそく同日『コラム日記』を二度も更新し(判決文の)冒頭一ページ目に『(代理人弁護士の名前の誤りなど)三カ所もの誤記』があるから『裁判宮は、いい加減な姿勢で書いた』
『まともな審理などしようとさえしていない』などと、子供だましの裁判所批判を書き殴っている。
 敗訴になった原因について、自身の責任はすべて棚上げし、いまだに他人のせいにばかりしている。
 仮にまともな信仰者なら、『自分の祈りが足りなかったからこうなった』
などある程度は自省するものだが、柳原の口からそんな殊勝な言葉が飛び出すことはまずありえない。
 なぜならそれが柳原の信仰観であり、物事の原因をすべて自分以外の『環境』に転嫁し、自己責任とするだけの基盤が内面に存在しないからだ。
 所詮は、“未熟な信仰者”の形であり、特に≪ゴウカン魔 T川を師匠とする退転者≫に共通する姿ともいえる。
『コラム日記』を言うなれば、“公衆便所の落書き”に等しい。」
 

ジャスダック様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 9月 6日(火)12時38分49秒
  >先生、奥様の写真
先生、奥様も笑顔だが、それ以上に周囲の笑顔が輝いている

言われなき悪口、差別と戦い抜いた同志の苦労、努力を誰よりも分かってくれる人
そんな師匠をお迎えできた勝利の笑顔である

先生の海外渡航は同志のそんな笑顔が溢れた旅だった<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/55709


本当に、その通りです!!
深く同意いたします。

先生の海外訪問は、人間に会いに行かれたのです。
内外、身分や地位を問わず人間に会いにゆき、渾身の激励をされたのです。

だから先生と奥様の周りには民衆の笑顔がある。
心打たれる写真が多いのです。


原田会長、笠貫女史の海外訪問の目的が、本来の広宣流布の目的とは違うように感じます。
ゆえに、写真や記事から何も感動が伝わりません。

一体何人の民衆を激励してきたのだろうか?
なによりも、池田先生と奥様がご健在であることを忘れてはいないだろうか?

今後も厳しく追撃してゆくべきだと思います。





 

2018年について

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 9月 6日(火)12時26分46秒
  どなたか、もしこんな話があったよ~
って聞いてたら差しさわりがない範囲でお願いします
私が聞いていないだけかもしれないので
(^_^*)
 

メッセージ?

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 9月 6日(火)12時07分5秒
編集済
  大城さん
忌憚のない意見ということなので

メッセージだけだとなんのことかわかりにくいが
本幹のことだよね

本幹メッセージの中身を読むと2018年11月18日を目標と定めて
私(池田先生)と一緒に地涌の友を拡大していこう

慈折広宣流布の山を歓喜踊躍して登りゆこう!

とありますよ
そこからタイトルをつけてるだけでは?

16年経ったから今更というほど
青年よ21世紀の広布の山を登れ
は時代錯誤の内容なのでしょうか?

最近読んでないから、そこは、もう一度読んでから考えてみようと思いました

それで
これからが本題
ちょっと前から原田カイチョーが大誓堂完成から5年の
2018年11月18日を目標にって話を新聞に掲載し出していたね

あれ、何か池田先生からそのようなお話があったのだろうか?

半信半疑ながら地元の幹部から何か話が出るかと思ったら何もない

そりゃそうです
原田カイチョーは選挙が終わってから行方知れず

いつの間にか怪しげな南米訪問をしてて

そんなこんなで、今回先生からメッセージが出たわけで
先生のお名前で出てきたメッセージだから受け止めますが

それにしてもちょっと前の

自身と学会の発迹顕本を頼む
が一体なんだったのか学会本部からの公式見解なし

選挙で忙しかったからすっかり頭から抜けてしまい
もう、現場では誰も発迹顕本なんて話はしないし

それでもって
黄金の3年間が終わり
全然黄金の3年間になっていなかった
※黄金の3年って選挙がないから拡大のチャンスってハナシだったよね


学会本部も何を目標にしてやってよいかわからなくなっているのでは?というのが率直な感想です


池田先生のご健康もあるし
教学部レポートにあったSGI会憲、日蓮世界宗への変更を
2018年目指してやるってことなんでは?

池田先生のメッセージには、2018.11.18しかなく
広宣流布の山を登ろうなので

それを利用して
全ては池田先生のご意思によると後付けで
日蓮世界宗と会憲をやってしまえ

というのが裏の見方ね~
 

写真

 投稿者:ジャスダック  投稿日:2016年 9月 6日(火)11時59分25秒
  北朝鮮のアホ息子がいかにも民衆に慕われているか?を装う写真を公開している

その写真を見ると一番笑顔なのは、アホ息子
あとは怯えたように媚びた笑い

南米訪問団の写真を思い出した
最前列で一番の笑顔は原田会長と笠貫女史
周囲はそれほどではない

先生、奥様の写真
先生、奥様も笑顔だが、それ以上に周囲の笑顔が輝いている

言われなき悪口、差別と戦い抜いた同志の苦労、努力を誰よりも分かってくれる人
そんな師匠をお迎えできた勝利の笑顔である

先生の海外渡航は同志のそんな笑顔が溢れた旅だった

それに比べて「謎の訪問団」は
原田会長、笠貫女史のハシャギぶりばかり目立つ写真だった

本幹で「謎の訪問団」の団長の挨拶が聞けるかとばかり思っていた
会員の財務で行ったならば、主人(会員)に報告するのは、当たり前
そんな報告さえ、ないとは?!
会員を舐め過ぎている
会員よ、これ以上舐めさせてはいけない

「会員こそ主役、主人、株主」
ジャスダックでした
 

信濃町の人びと様

 投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2016年 9月 6日(火)11時46分51秒
  ありがとうございます。
こーゆー事を 地区で語り合いたいものです。


私が覚えている先生の夢は・・・

「日本中の駅を桜の花で彩りたい」



その先生の思いが詰まった桜の木を廃棄処分した輩が創価に居るのが許せません。

少し話が逸れました・・・・。

 

わが友に贈る 2016年9月6日

 投稿者:どうしょうてん  投稿日:2016年 9月 6日(火)11時36分48秒
  聖教は地域へ  社会へ
「人間主義の哲学」
「希望の光」を発信!
拡大に挑む新聞長はじめ
全ての皆様に感謝!
 

メッセージ

 投稿者:大城  投稿日:2016年 9月 6日(火)11時27分13秒
  メッセージの上の見出しに
「21世紀の広宣流布の山を登れ!」とあります

この言葉
20世紀には合言葉のようによく聞いた言葉です

21世紀になって15年
え?
と言う感じを受けています

何故、今、この言葉なのか?
質問が集中して申し訳ないのですが、
ジョーカー様、教えていただけますか?
また、皆様もどう思われますか?
忌憚のない意見を聞かせて下さい
 

一方通行はだめだよ。

 投稿者:五分の魂  投稿日:2016年 9月 6日(火)10時56分57秒
  圏クラスの会合になると、その運営手法はほぼ上からの打ち出しオンリーの一方通行で、参加者の声を聞くような姿勢はない。
色々聞きたいことが山のようにあっても、質問会等の場も設けられない。一方通行の会合運営は参加者のフラストレーションを募らせる。
突っ込みどころ満載の人達の話を黙って聞くことは苦行でしかない。
 

かつて関西学園生が

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月 6日(火)10時44分35秒
  池田先生の夢はなんですか?と質問されました。

案外おばちゃん様
ジョーカー様が答える前ですが、少しここから思索をされてみてはいかがでしょうか。

ジョーカー様
割り込みすみません。案外おばちゃん様の真っ直ぐで本質的な質問なので、皆様で共有したいのです。
 

大橋巨泉さんの悲痛な叫び

 投稿者:窮状辞任させられた元?長  投稿日:2016年 9月 6日(火)10時08分26秒
  昨日の 「 偲ぶ会 」 には多数の著名人が集まり想い出を
語っていました。 誰か『 遺言 』 を語り継いで下さい。
自称 一番弟子が一番怪しいのですが。
 

(無題)

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 9月 6日(火)09時55分16秒
  昨日の協議会で、どうやって仏法入門を受けさせるかの話を聞いてガッカリ。
関西在住宿坊メンバーに、「最近の学会員の教学が薄っぺらくなっている」というと、「薄いんじゃなくて、無いんだ」と言われました。水っぽいんじゃなくて、真水だと。
1990年代の終わり、共産党対策で色々調べていると、頭数が増えていっているようだが、実はベテランの有力党員が離れて行っている実態があることが分かりました。
ソフト路線とかで、馴染み易くしていったことが功を奏したかのようだが、薄っぺらく、「あんな一度も論文を書いたことの無い奴が(志位)委員長になった(当事プリンス的な存在)」と現場の濃厚な有力活動家は怒り、ガッカリして去って行ったとのことでした。
学会もそうならないか?
仏法入門とやら。どうなるのか、心配です。
 

ひかり(正義の師子同盟)様

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月 6日(火)09時02分14秒
  ありがとうございます。小生も微力ながら力の限り、頑張ります。

ひかり様の投稿を拝見すると(勿論他の方もですが)幹部の堕落ぶりがよく分かります。
池田先生、池田先生と言いながら、実はわが身を守るために先生を利用している。
許しがたい現実がここにある。
いたずらな権威に騙されることのないよう頑張りましょう!
 

池田先生の出世の本懐

 投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2016年 9月 6日(火)08時52分36秒
  ジョーカー様
いつも 目の覚める投稿 ありがとうございます。
ジョーカー様の投稿に 私自身が悩み、考え、祈っているワードが散りばめられておりましたので 質問させて下さい。

池田先生の出世の本懐は何だとお考えですか?

戸田先生の出世の本懐は75万世帯の地湧の菩薩をこの世に呼び出した事でした。
池田先生はそう捉えて 弟子としての戦いを起こされていました。


ずっと考えています。また 組織の中でそのような事を語れる空気もありませんので・・・。
もし良ければ ジョーカー様のお考えの一端でも教えて頂ければ 幸いです。




 

ジョーカー様に同意します。

 投稿者:同志の歌  投稿日:2016年 9月 6日(火)08時37分40秒
  ジョーカー様のおっしゃる通りと自分も、思います。

自分達が真剣に祈り、知恵を出し、それぞれの使命の自覚で戦い切ることが大事と思います。

やるか、やらないかではなく、やりきる、この一念で戦い続けるこれが弟子を名乗る自分達の戦いであると思います。
 

(無題)

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 9月 6日(火)08時37分12秒
  おはようございます!

カンピースさま、不肖、ひかりです。

カンピースさまが仰る通りです。


幹部の腐れ硬直官僚主義が、悪人どもの跳梁跋扈を許していますよね。
悪人どもを助けるどころか、増長させ、組織を破壊させてでも、悪人どもの指示に拘泥します。

題目の力で撃破、ですね!
 

本日の政教珍聞で~す

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月 6日(火)08時09分41秒
  おはようございます。いまだに災害の爪痕が残る東北・北海道へ原田怪鳥様はご訪問されましたか?

珍聞には災害対策本部を設置とありましたが、災害対策本部長の行動はなぜか報道されない。
ホントに不思議な珍聞デス。


北海道・中国方面の創価班・牙城会大学校大会おめでとうございます。
ところで、あの警察にごやっかいになられた全国創価班幹部サマのかわ○クン。
参加されましたか?


 

【永遠性の確立】ジョーカー様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 9月 6日(火)07時51分3秒
編集済
  >これだけ多くのメンバーがいるのだから、誰か一人くらいは、師弟不二を体現した弟子はいるだろうと、他人事の思考であれば、それこそが54年体質である。結局誰もやらないという恐ろしい事態が巻き起こる。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/55681

ジョーカー様、おはようございます。
心より深く同意いたします。

無冠様のご投稿される、全集未収録スピーチにこのようにあります。
(無冠様、日々のご投稿に深く感謝いたします)

>広宣流布を妨げる悪に対して、ずる賢く沈黙したり、傍観したりすることは、それ自体が悪に通じてしまう。
 御書には仰せである。
 「法華経の敵を見て、世をはばかり、世を恐れて黙っていたら、釈尊の敵となってしまう。どんな智人・善人でも必ず無間地獄に堕ちる」(同1412ページ、通解)
 この戒めを、ゆめゆめ忘れてはならない。
 仏法破壊の悪人とは、「言論の剣」で、断じて戦い抜いていくことだ。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/55691

悪と戦わない幹部の多くは「ずる賢く沈黙したり、傍観したりする」人物が多い。
どんなに良い幹部と讃えられている人物であろうと、悪との戦いを、ずる賢く沈黙したり、傍観したりする幹部は、広宣流布の足を引っ張るだけです。
そのような幹部は、幹部としての資質は御座いません。

自分の「創価学会の永遠性の確立」とは、三代の師匠を永遠の師匠として確立してゆく事だと決めております。
そのうえで実際に、現場で妨げになったのが、池田先生の敵(仏敵)と戦わない幹部と、組織権力に迎合する幹部でした。

「池田先生はこのようにおっしゃっています。」と、先生の指導を引用しても聞く耳を持たず、組織の方針を優先する。
池田先生が仏敵から誹謗中傷されても無視どころか、自分が仏敵と戦うことを邪魔さえします。
「何かあったら、どう責任をとるんだ!」と詰め寄り、最後は仏敵と戦うこと自体が組織に迷惑をかける「悪」とさえ言われてしまいます。

不思議ですが組織の顔ぶれを見れば、権力に迎合する幹部がそろってゆきます。
逆に、池田先生の指導を基に声を上げた幹部や会員は組織から外れてゆきます。
不思議な現象です。

54年問題は、池田先生を辞任に追い込んだ最高幹部だけでなく、池田先生の辞任を傍観した幹部も罪があると思います。
ジョーカー様が提議されている「54年体質」。
具体的には、ずる賢く沈黙したり、傍観したりする人物も該当するのではないでしょうか。

「悪は結託する」
そこにずる賢く沈黙したり、傍観したりする人物も糾合されてゆく時代を迎えました。
「誰かがやるだろう」という傍観者も、知らぬ間に悪に糾合されている。

このような創価学会の状況だからこそ総罰を懸念しています。
総罰を回避するためにも、一人でも多くの「気付き」と「信心の目覚め」が必要です。

ジョーカー様のわかりやすいご投稿に感謝しております。
「わかりやすさ」が、多くの「気付き」のきっかけになるからです。



 

時間

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 9月 6日(火)07時44分54秒
  祈るために、時間がたくさん与えられた。

腐った指示の下で疑問にさいなまれながら、打ち出し消化の役職に振り回されずに、
清々と祈る時間が、やっと与えられた。

真心から人間として本気で語り合える時間が、やっと与えられた。


これからは、自分の行動にはウソがない。

池田先生の御指導のままに、最高最善と思える道を、自分の足で歩める。


だから喜悦はかりなし!

そう思っている、最強の人々が増えてきましたね。


除名された、いじめられた、排除されている、
あるいは、
もう腐れ幹部のロボット人生のようなものは、悠々とみおろして生きると決めた人々は、
心から安心立命の歓喜の蘇生の、自分のドラマの中で生きていけるのです。

そして、祈る時間で、勝利の波動の渦を起こし、世界を変えていけます。

それしかないので、そうなったともいえます。

 

秋晴れさんへ

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 9月 6日(火)05時49分52秒
  秋晴れさん

 おはようございます。

 >また、螺髪様の文面を読んでの感想ですが、仏教史を見ると、人本尊時代があって、法本尊時代があり、人即法、法即人(順番は分からない)、人法一箇となっていきます。本尊から人が消える?という表現でいいのか?分かりませんが、これでは、時代に逆行しているように思います。そうか、この際に末法の御本仏、日蓮大聖人を止めて、久遠実成釈迦牟尼仏とする?!?
また、螺髪様のお書き込みは、ゆくゆくは、本覚思想に傾倒していくかのような懸念があります。思想が漫然となりそうな.....。(投稿者:秋晴れ   投稿日:2016年 9月 6日(火)00時52分48秒)<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/55688

 「根本清浄」というところに力点を置き過ぎていることによる錯誤、とのご指摘かと思います。確かな基準がないとのことなのかも知れません。この50年、60年くらいならいいかもしれない。だがそれはやがて、誰しもが仏であるとの本覚思想に陥らないかとのご指摘かと。

 「系譜」を言い表していないことの表現欠落かも知れませんね。ご指摘の言葉をお借りするなら、人即法、法即人の「人」の部分です。別の表現を使えば、「師弟不二」というところになるでしょうか。決して度外視しているわけではないのですが、まったく表現できていないのもまた事実です。それは、別の言葉を使えば、「寛、昇、達には、伝説のご先祖の戒様以来、連綿と続く上野家のDNA……」等々の系譜(この言葉が適当かどうか?)の欠落でもあります。
 池田先生が「私は、仏法を知って創価学会に入ったのではなく、戸田先生という人間を知って創価学会に入ったのだ」(趣旨)とされて見えることからも重要な処かと思います。

 言葉や文化を乗り越えるために、この「根本清浄」は便利な言葉かなぁとも思ってもみましたが、仰るように捉え方によってはどうにでも解釈できる曖昧な言葉です。漫然となりそう、というのもうなづけます。ただ、根本清浄が「久遠の生命」であることには、疑いを持ってはいません。いやー、表現するというのは難しい。

 ところで、秋晴れさんは登場当初、私も絡みましたので記憶に残っているのですが、その時は、初々しい青年(男女は不明)でした。いつの間にこんなに教学力を身に付けてしまったのかと(笑い)。善きかな善きかなです。


 

おはようございます。

 投稿者: チョイとパンツ穿いてます@獅子一匹  投稿日:2016年 9月 6日(火)05時37分48秒
  さぁ、今日も悔いなき1日で仕事を始めましょう。
団結はお題目から始まります。

色あせた虚像の人々
見下ろして
花咲く我が道
悔いなく生きゆけ
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 9月 6日(火)05時19分18秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-4-5 【第2総東京最高幹部協議会 ②】


● 歩きに歩いた
 一、大聖人は、遠方まで、はるばる御供養をお届けした弟子の信心を、こう讃えておられる。
 「たとえ志はあっても、行動にあらわすことは難しい。そうであるのに、今、あなたが志をあらわされたのを見て、その信心が並大抵でないことが、わかります」(同1554ページ、趣意)
 さらにまた、御書にはこう記されている。
 「一切衆生が法華経を誹謗して(不幸の道を)流転するのを見抜いたゆえに、(それをとどめるために)日蓮が日本国を経行して(=歩いて)南無妙法蓮華経を弘通している」(同816ページ、通解)
 釈尊とその弟子たちも、歩きに歩いた。
 大聖人とその門下も、歩きに歩かれた。
 牧口先生も、戸田先生も、歩きに歩かれた。
 「広宣流布のために、常に行動していく人は、まことの大聖人の門下であられる。これこそ、学会にあっては私の真の弟子である」
 この戸田先生の指導のままに、私も、行動に徹してきた。世界中を動き、走ってきた。
 この「行動」によってこそ、太陽の大仏法は、世界190カ国・地域にまで正しく伝えられ、広まってきたのである。
 戸田先生は、「誠意、誠実といっても、行動がともなわなければ、何にもならないぞ」とも、よく言われていた。
 私も「行動」しか信じない。いな、「行動」しか信じられない。
 大聖人は御書の中で、法華経法師品の次の文を何度も引いておられる。
 「よくひそかに一人のためにでも、法華経、乃至はその一句だけでも説くならば、まさに知るべきである。この人は如来の使いであり、和来から通わされて、如来の振る舞いを行じているのである」(同1359ページ、通解)
 妙法を語り、弘めゆく「行動」こそが、仏に連なる道である。これは永遠に変わらざる法理である。

    青春を 悔いなく飾れや
      自らが 人間錬磨の 行動起こして

 清き心で行動を続ける、白蓮グループの友に贈った一首である。

■ 広宣流布を妨げる悪に対して、ずる賢く沈黙したり、傍観したりすることは、それ自体が悪に通じてしまう。
 御書には仰せである。
 「法華経の敵を見て、世をはばかり、世を恐れて黙っていたら、釈尊の敵となってしまう。どんな智人・善人でも必ず無間地獄に堕ちる」(同1412ページ、通解)
 この戒めを、ゆめゆめ忘れてはならない。
 仏法破壊の悪人とは、「言論の剣」で、断じて戦い抜いていくことだ。

● 「同体異心なれば諸事叶う事なし」
 一、仏法の世界が、なぜ美しく、深く、強いのか。それは「異体同心」という究極の団結があるからだ。
 絶対勝利の4原則の第三は、「異体同心」である。これこそ、広宣流布を成就させる要諦だといえよう。
 異体同心の組織は、必ず発展する。反対に"同体異心""異体異心"の組織は、必ず衰退する。
 「異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし」(同1463ページ)とは、永遠に忘れてはならない大法則であり、黄金律である。
 勝負は、ひとえに異体同心の組織をどう築いていくかにかかっていると言っても、決して過言ではない。

● 「水魚の思」で
 一、幾たびも拝してきた御文だが、「異体同心事」の甚深の一節を、重ねて生命に刻んでまいりたい。
 「一人の心なれども二つの心あれば其の心たが(違)いて成ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず、日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同ページ)
 異体同心の団結があれば、必ず広宣流布できる、必ず勝てるとの大確信であられた。
 有名な「生死一大事血脈抄」には、こう説かれている。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(同1337ページ)
 広宣流布は魔軍との戦いである。
 どんな金城鉄壁の城も、1カ所、どこかに隙のある場所、弱い場所があれば、そこから敵に攻め込まれてしまう。
 いわんや、城の中に「異体異心の者」がいれば、魔にたやすく城を撹乱される。
 この御文に続けて、「剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」(同ページ)と仰せの通りだ。
 あの熱願の法難(弘安2年=1279年)の前年に、大聖人が「くれぐれも、駿河の人々は、皆、同じお心でおられるように、とお伝えください」(同1479ページ、通解)と強調されたことを、深く拝していかねばならない。
 戸田先生も、「団結第一でいけ!」と徹して訴え抜いておられた。
 また、「御書にあるように『自他彼此の心なく』異体同心であってこそ、生死一大事の血脈、仏になる血脈を継いでいるのだというのです」とも語られた。

● 「名聞名利」の輩を追い出せ
 一、さらに、「異体同心」を固める重要な点がある。それは「城者として城を破る」動きを許さぬことだ。
 師子身中の虫である「異体異心の者」と徹して戦い、その魔性の根を断ち切っていくことだ。
 戸田先生は厳命なされた。
 「いかなる幹部であろうと、広宣流布を忘れ、自己の名聞名利で、自己の派閥をつくろうとする人間には、断固として、幹部が団結し、自分勝手な利己主義の輩を追放せよ」
 "戸田の命より大切"と言われた、この創価学会の和合を、未来永遠に護り抜く。
 広宣流布の命脈は、この一点にあると訴えておきたい。

    千万の
     誉れも高き
       同志かな
     異体も同心
       永遠に不滅と

●永遠に『弟子の道』『不二の道』を征け
  一、「異体同心」の前進のために、一番、肝心なことは何か。それは「師弟不二」で生き抜くことだ。
 「師弟不二」こそ、「異体」を「同心」たらしめる要諦である。それが絶対勝利の4原則の第四点である。
 日蓮大聖人は、油断ならない状況のなかで信心に励む池上兄弟の二人に、こう教えられた。
 「こう言うと恐縮ですが、お二人がともに日蓮のことを(師匠として)尊いと思い合わせていきなさい。もし二人の仲が不和になられたならば、二人に対する(諸仏・諸天等の)加護がどうなってしまうかと考えていきなさい」(御書1108ページ、通解)
 一人一人が、師と心を合わせ、広宣流布に前進する決意を深めていった時に、初めて異体同心の団結が固まる。そこにこそ、妙法の功力が燦然と発揮されていくのである。
 さらに御書を拝したい。
 「師弟相違せばなに事も成べからず」(同900ページ)
 「日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし」(同988ページ)
 「もし法師に親近するならば、速やかに悟りの道を得るであろう。この師に従って学ぶならば、恒河の沙の数ほどの仏にお会いできよう」(同1070ページ、通解)
 「弟子と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない」(同1151ページ、通解)
 「法華経の大海のような智慧の水を受けた根源の師を忘れて、よそへ心を移すならば、必ず地獄等の六道の迷苦の生死を経巡るという災いにあうこととなろう」(同1055ページ、通解)一つ一つの御金言に明確なように、仏法の極意は「師弟」にあるのだ。

 一、日興上人は仰せである。
 「この大聖人の法門は、師弟の道を正して、成仏していくのである。
 師弟の道を、少しでも誤ってしまえば、同じく法華経を持っていても、無間地獄に堕ちてしまうのである」
 「師弟不二」にこそ、成仏を決しゆく根幹がある。そして「師弟不二」にこそ、広宣流布を永遠たらしめる大道がある。
 これまでも論じてきたように、日興上人と、違背の五老僧を決定的に分けた点が、「師弟不二」であった。
 日興上人は、日蓮大聖人を「末法の御本仏」と正しく拝し、あくまでも自身を「日蓮大聖人の弟子」と誇り高く称されていた。
 それに対して、五老僧は、権力に媚びへつらい、弾圧を恐れて、愚かにも、「天台沙門」と名乗った。さらに、大聖人が庶民のために仮名まじりで記された御手紙などを、師の恥であるといって、焼き捨てたり、すき返したりした。
 日興上人御一人が、この仮名まじりの御書を大切に護り、未来に翻訳して、中国やインドなど世界へ伝えていくことまで、御心に定めておられたのである。
 〈日興上人は「日本の大聖人の金言も、広宣流布する時は、また仮名文字を翻訳して、インド、中国に流通すべきである」(御書1613ページ、通解)と仰せである〉
 「師弟不二」を厳粛に貫き通された日興上人と、師弟に徹しきれなかった五老僧の違いは、あまりに歴然としていた。
 広宣流布は「師弟不二」であってこそ成し遂げることができるのである。
 「師弟」という柱がなければ、たやすく自分の感情に流され、時代の状況に流されてしまうからだ。「師弟」がなければ、難に直面したとき、あまりにも、もろく崩れ去ってしまうからだ。
 大聖人の御入滅後、日興上人の峻厳なる師弟不二の大闘争は、半世紀以上に及んだ。
 その烈々たる執念の破邪顕正の法戦によって、五老僧の邪義は、完壁に打ち破られたのである。
 戸田先生が逝去されて50年──。
 私は、先生の直弟子として、一点の曇りもなく、万年に輝きわたる「弟子の道」「後継の道」「不二の道」の規範を打ち立てることができたと確信している。

    師子王と
     なりて今世を
       勝ち征かむ
     師弟不二なる
       大道歩みて

 創価の師弟不二の完勝を、私は、第2総東京をはじめ全世界の同志とともに、晴れ晴れと宣言したい(大拍手)。

● 「常楽我浄」の生命の旅路を
 一、トルストイの生命観に──
 「生命は死によって滅びるものではなく、形を変えるだけである」(北御門二郎訳『文読む月日』ちくま文庫)
 「もし生が──幸福であるならば、生の欠くことのできない条件である死もまた幸福である」(小沼文彦編訳『ことばの日めくり』女子パウロ会)
 「他者を助け、できる限りのことを為したとの実感があれば、死さえも、苦しみではなく、歓喜となる」と。
 私が、ハーバード大学での2度目の講演(1993年)で論じた「生も歓喜、死も歓喜」という生死観とも響きあっている。
 この私の講演を基軸として、今、アメリカでは、最高峰の知性の先生方が考察を深めてくださっている。
 ともあれ、世界は、大仏法の哲理を志向している。
 この「常楽我浄」の生命の旅路を、さらに誇りも高く、ともどもに、明るく朗らかに、そして、勇敢に堂々と進みゆくことを決意しあって、私の記念のスピーチとしたい。ありがとう!(大拍手)


 

ジャスダック様

 投稿者:天然水  投稿日:2016年 9月 6日(火)04時53分10秒
  南条時光。。。だ、なんてw
お誉めの言葉、ありがとうございます。

そんな、良いものぢゃないんですよね(笑)
そもそも部長の厳しさを目の当たりにしていましたので
部長の役職依頼がきても、受け入れできなかったんです。

でも、ある時 夢の中に池田先生が出てきて
役職を問われ、副部長です。と
答えましたら、先生は
ちょっと考えてから部長になりなさい。と
おっしゃってくださり
部長になったら必ず報告するんだよ。って、そんな夢をみたんです。
それで腹が決まり。後日。。。
マヂで、先生へ お手紙を出しに学会本部へと行きました。

そこからなんですよ。

徹底的に お題目をあげて闘いぬいたのは。。。
青年時代の黄金の思いであります。

今日より また お題目を あげて自分自身への挑戦の日々を開始いたします。

ジャスダック様、激励。。。ホント。。。
ありがとう~ございました。
がんばります。
 

Re.キーワード : 大本尊、パラダイム転換

 投稿者:秋晴れ  投稿日:2016年 9月 6日(火)00時52分48秒
編集済
  お久しぶりです。久々に宿板を拝見させて頂きました。

下記の誰か様の解説者様へのお書き込みを読む上で、戒壇本尊に対する金原説(戒壇本尊は日禅授与の本尊の書写?説でしたっけ?そのように認識しています。)を大雑把には存じておりましたので下記のリンク先の文面の意味は理解が出来ました。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/16104

以下、リンク先、コピペ
〉〉「之」とは今回の
会則改定で受持の対象としないと定めた本尊(本門戒壇の大御本尊)の御内証。
〉〉学会の認めない本尊の写しということはどういうことになる?

解説者様が、「本尊(本門戒壇の大御本尊)の御内証」と、戒壇の大御本尊のそのままの書写でないことを暗黙の前提にされているのは、さすがに際どいコースを突いた球だと思います。受持即○○ですから、今回、受持の対象でないとしたものは、○○ではないことを、言ってしまっている。
なので、私はつぎのように理解しています。(あくまで、私見、試論です。)

働きものの創子ちゃんは、伝説の英雄の戒様(実在した禅様がモデルとも言われる)をご先祖と仰ぐ、没落貴族の上野家の、ぐうたら息子の石夫さんに嫁ぎました。創子ちゃんの至誠の働きで、上野家は昔の繁栄を取り戻し、さらに何倍にも発展しましたが、亭主の石夫さんは、なにかにつけて創子ちゃんに嫉妬して、とうとう三下り半をつきつけました。創子ちゃんは決意を固め、寛、昇、達という子どもを連れて家を出て、昇を当主として、新しく創家を立てました。
寛、昇、達には、伝説のご先祖の戒様以来、連綿と続く上野家のDNAが受け継がれていますが、そのことは、創家の独立の支障ではなく、かえって、創家の歴史的正当性を示すものだと思うのです。

-------------

話しの角度を変えます。
私は以前、曾谷入道殿許御書にある、一大秘法の御本尊様は、どの御本尊とhttp://6027.teacup.com/situation/bbs/51886に書き込みしました。
『大覚世尊仏眼を以つて末法を鑒知し此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう、所謂法華経本門久成の釈尊・宝浄世界の多宝仏・高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て二仏座を並べしこと宛も日月の如く十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬の師子の座を並べ敷き衆星の如く列坐したもう、四百万億那由佗の大地に三仏二会に充満したもうの儀式』を書き込みしました。

普通に読むと、この一大秘法の本尊とは、釈尊の本尊です。が、うちは日寛教学を全面に出し誰か様の、「寛、昇、達には、伝説のご先祖の戒様以来、連綿と続く上野家のDNAが受け継がれていますが、そのことは、創家の独立の支障ではなく、かえって、創家の歴史的正当性を示すものだと思うのです。」という思想に共感致しました。また、信濃町様の思想をお聞かせ頂き尚、やはり、今までの大本尊の認識の方が良かったのではないかと、なるほどと感じた次第です。

また、螺髪様の文面を読んでの感想ですが、仏教史を見ると、人本尊時代があって、法本尊時代があり、人即法、法即人(順番は分からない)、人法一箇となっていきます。本尊から人が消える?という表現でいいのか?分かりませんが、これでは、時代に逆行しているように思います。そうか、この際に末法の御本仏、日蓮大聖人を止めて、久遠実成釈迦牟尼仏とする?!?
また、螺髪様のお書き込みは、ゆくゆくは、本覚思想に傾倒していくかのような懸念があります。思想が漫然となりそうな.....。


---------

最後に、信濃町様の「私が考えているのはニーチェあたりの西洋哲学に見られるあれとそれの本質的な違いにより整理が可能ではないか。という発想です。」ですが、ニーチェは、昔、ツァラトゥストラしか読んでなくまた哲学は一般教養で授業で聞いた程度なのでよく分かりませんが、結果、誰か様の本尊に対する独自性から、確かに、あれとそれの本質的な違いにより整理が可能かもしれないですね。
 

徒然随想

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 9月 6日(火)00時42分4秒
  反宿坊の掲示板。カウンター表示しているみたいだが数字伸びない(笑)さすがバ○板とも称されるくらい、誰が閲覧しているのか?査問豊作関係者と職員ぐらいか。

先日、ある方を介して本部界隈の事情を聞いた。

竹岡親爺、北林忘恩社の蜜月ぶりはいよいよ盛んになり今後の策謀も生き残りをかけて様々な仕掛けを仕組んでいるという。
地方の金城会もそう。方面責任者数名だけ残し、竹入義勝弟時代の連絡局つながりと○石秀○。師匠を護る筈の○金も体制側になり、せっせと報告書を毎回提出しているが、何分にも体育会系揃いなもんで文章も下手。手柄狙いも多くその辺は八尋君も熟知しており法務室もあまりあてにしてない。
反板なんかは、所詮対策室のバイト感覚、委託だからなんら反論にもならず、負け犬の遠吠え以下だと酷評していた。

大山クジラ君、元気?勢いだけはあったのだが。


 

天然水様

 投稿者:ジャスダック  投稿日:2016年 9月 6日(火)00時32分49秒
  こちらこそ、宜しくお願いします

天然水様はまさに、南条時光のようです
部員さんを守る人=南条時光です

自分も頑張ります

ジョーカー様
いつも素晴らしい投稿ありがとうございます

いつも素晴らしいですが、今日の投稿は一段と素晴らしいです

ジョーカー様の師匠に勝利を捧げる!という強い思いが伝わります

自分も頑張ります
ありがとうございます

「会長は会員と同格」
ジャスダックでした
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年 9月 5日(月)23時36分24秒
  今晩は
皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

同盟題目23時開始します。よろしくお願い致します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月 5日(月)22時52分46秒
  どんな戦いも唱題根本です。しっかり祈ります。  

どんなことにも負けない心

 投稿者:魂の炎  投稿日:2016年 9月 5日(月)22時47分1秒
編集済
  ジョーカー 様
熱き心の思い!!ビンビンに伝わってきました!!
ありがとうございます!!
1000パーセント賛成です!!

かって、池田先生は仰いました。
君たちは勝つために生まれてきた。
勝って、勝って、勝ちまくれ!!

師弟不二を体現してみせる!!
 

岡○総京都男子部長へ

 投稿者:迎賓館  投稿日:2016年 9月 5日(月)21時21分36秒
編集済
  松下最近、寂しいそうやん。

ペットはちゃんと面倒み~や

松下から、北村に乗り換えんのも

ええけどな~

職員ちゃうし、漏洩してんで

わしの、モグリは、

お前のペットより、賢いで~

魂は売りよらん

義理の父から、貰ったもんは、

先生に返せ

米○京都長へ

ちゃんと3禁教えてあげや
 

永遠性の確立

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年 9月 5日(月)21時15分31秒
  今の学会のリズムは、2018年11月18日を目指している。この2年間は、とてつもなく重要な期間である。先生の最期の戦いである、「創価学会の永遠性の確立」という総仕上げを、勝ち取れるか否か。すべてが凝縮された2年となる。

永遠性の確立とは一体何か。このことを考え、祈り、行動してこそ、師と同じ視点に立っていると言える。永遠性とは、組織の機構はもちろんのこと、「師弟不二の弟子の出現」によって確立されるものである。大聖人には、日興上人という不二の弟子をはじめ、不惜身命の熱原の農民信徒、そして、日興上人を外護した、南条時光等がいた。それと同じく、三代会長の精神を正しく受け継ぐ、師弟不二の弟子がいなければ、永遠性は確立されないことを肝に銘じなければならない。

54年は、師弟不二の弟子がいなかったからこそ敗北した。どれだけ数がいようとも、師弟不二でなければ崩壊することを証明した歴史である。そして、54年体質を打ち破ることができるのは、師弟不二の弟子だけである。よって、これからの2年間で、師弟不二の弟子であることを体現することが、永遠性の確立の戦いとなる。師と自分の間には、誰人も入れてはならない。あくまでも自分と先生の一点のみだ。

師弟不二の弟子、永遠性の確立の戦いにおいては、抽象論であってはならない。具体的に何をするのか。これが定まらなければ、遊びの域を出ない。どんな立場であろうとも、師弟不二の戦いはできる。そしてそれは、自分で決めなければならない道である。

創価学会は大きな組織である。それは、ともすれば数に頼りがちとなり、「誰かがやるだろう」という安易な思考に陥りやすくなる。これだけ多くのメンバーがいるのだから、誰か一人くらいは、師弟不二を体現した弟子はいるだろうと、他人事の思考であれば、それこそが54年体質である。結局誰もやらないという恐ろしい事態が巻き起こる。

師弟不二を体現するのは自分自身であると自覚しなければ、本当の人間革命はないし、究極に行き着くことはできない。ただ漫然と、学会活動をするのも立派なことではあるが、それで良しとするかどうか。要するに、いつもの戦いを、いつも通りに展開し続けるか、それとも師の本懐に連なる、永遠性の確立への挑戦をするか。ここが問われる2年間となる。

果たして、師弟不二は他人事であり、絵空事か。結局、師弟不二は三代で終結なのか。終結であれば、永遠はない。師に本懐を遂げさせない弟子は、弟子ではない。すべては弟子で決まるのだ。私は、師に本懐を遂げさせる弟子になる。それが私の人生だから。
 

つれづれ断想 9.5

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年 9月 5日(月)21時07分35秒
  平成4年、5年の春先辺りに就職や結婚などで住まいを変えた人は、当然のことながら分所帯で御本尊を頂くことが出来なかった。
御逗子に何も掛かっていない空の仏壇を先に購入し、「いつか必ず御本尊を頂く日がくる」と二人して文字通り入魂の勤行唱題を
励行していた新婚家庭を当時何軒も目の当たりにした。
バブル崩壊の波が大都市圏以上に地方で猛威を振るい、神戸で下宿生活を始めたばかりの学生部員は仕送りが途絶えるも止むなしの
状況で4年間の学業が全うできるかの危機に立つ中、部長の私は訪問先で新入生部員さんと東の方角に向かい祈りを重ねる他、打てる
手はなかった。

平成3年以前に分所帯で頂いていた人たちにすれば「でもこれ日顕が書いたやつじゃん。ステテコ穿いて落語のテープ聴きながらやろ?」とトホホな事態ではあったが。。
教義を変えねばそれを死ぬまで奉じなければならない。。。

一人暮らしであれ、所帯を構えるのであれ、これからさき一生新たに御本尊を頂くことがないかも知れない事情を当時の学会員皆が覚悟し、
改めて「胸中の肉団におはします御本尊」の正しい意味を一人ひとりが考え直す機会を得たのが創価ルネサンスの輝かしい歳月ではなかったか?

そうした時代背景を通過した身体感覚から発しない本尊論は用を足さないばかりか、広布の次世代を担う人たちには百害あって一利無しである。
広宣部・教宣部関係者によく見られる舞文曲筆なレトリックにはいつも激しい違和感を覚える。(ここの人たちのことを言っているのではない)

近年の迷走を続ける信濃町教学の病理は、上記のような過去における現場の懊悩や呻吟を無視した「ただ現在ばかりなり」のつじつま合わせの
一種の修辞学に、創価ルネサンスの封殺と完全否定を目論む宗教貴族が明け暮れている醜態にその本質が露呈している。
 

8/20 横浜レポート ~木村草太教授との質疑応答その3 ~

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 9月 5日(月)21時03分7秒
  Q.自衛隊法95条は、安保法制法案により、外国軍の武器等防護が可能になり、米軍協力の幅も拡大された。
改正新3要件は、歯止めに繋がらないのでは?
実際は武力行使になる?

A.今回加わった、『武器等』には船や飛行機も含む。
武力行使の規定ではない。
アメリカと他の国が戦う場合は、日本は協力できないが、海賊やテロリスト相手ならできる。
しかし、実際はミサイルがどこからくるかなんて分からない。
なし崩しはあり得る。


Q.内閣法制局とは?

A.会社の法務部みたいなもの。
法律を作る時に、これまでの整合性を調べたり、てにをはを直したり、使い分けを監督したりする。
法制局が解釈の手助けをする。


Q.内閣法制局のトップにいた小松さんはどんな人?

A.フランス大使館付の外交官。
国際法の著作はあるが、著名な研究者とは言えない。
 

8/20 横浜レポート ~木村草太教授との質疑応答その2 ~

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 9月 5日(月)21時01分26秒
  Q.日本国憲法は三権分立とある。
司法、立法、行政、だ。
日本の最高裁判事15名は、今回の違憲法案には行動しないのか?

A.司法は、法律が使われたら判断する。
実際使われなければ判断できない。
三権分立と違憲審査は関係ない。
日本の違憲立法審査は、集団的自衛権が行使されなければできない。


Q.8月19日の東京新聞に、アーサー・ビナードさんの記事が掲載された。
『1947年にトルーマン大統領の下で成立した国家安全保障法を米国憲法のミイラ化の始まりと位置付ける。宣戦布告の権限は議会にあるが、大統領が決断できるようになり憲法が形骸化。米国は朝鮮戦争、ベトナム戦争へと突き進んだ。日本でも昨年安保関連法が成立したわけだが六十九年前に米国がしたことを和訳したにすぎない』
と言っている。
国は、憲法25条をないがしろにした法案を作成した。
これは憲法破壊では?
憲法学者はどう考えている?

A.憲法学者では、憲法破壊の認識を持っている人はいない。
緻密に考えている、学術的に違憲と判断していく。
憲法学者は独立している。
条文、判例に従って、違憲と分かればいいが、過去に照らしても今回のことを違憲とは言い切れない。
 

法華経の智慧勘持品13より

 投稿者:白圭メール  投稿日:2016年 9月 5日(月)20時49分35秒
  ----- Original Message -----
″三類″との戦いに本源的な「人権闘争」
池田 こうして見てくると、「法華経の行者」と、三類の強敵なかんずく「僭聖増上慢」は鮮やかなコントラストを示している。そのポイントは、「人間への尊敬」と「人間への軽蔑」です。その違いが、そのまま「人間のための宗教」と「権威のための宗教」の違いになる。
また、「権力の魔性と戦う宗教」と「権力の魔性と結託する宗教」の違いになる。そして、「迫害を受ける、本物の宗教者」と、「人を迫害する、偽者の宗教者」との違いになる。
「人間への尊敬」の究極は、「万人が仏である」と礼拝する法華経の信念です。
「人間への軽蔑」の究極は、人間をモノとして利用する権威・権力の魔性です。その根底には「元品の無明」がある。
法華経を行じるとは、生命的に言えば、「元品の無明」との対決を意味する。社会的に言えば、権威・権力の魔性との対決を意味する。ゆえに大難は必然なのです。大難を受けないのは、本当の「法華経の行者」ではないのです。
斉藤 人間に対する軽蔑ということで思い出すのは、哲学者のカントの話です。彼は、ルソーの『エミール』を読んで、それまで無知な民衆を軽蔑していた自分を反省したと言います。
須田 毎日決まった時刻に散歩していたカントが、『エミール』に熱中して散歩を忘れてしまったというエピソードは有名ですね。
斉藤 ええ、そうです。彼はこう綴っています。「私は、なにも知らない民衆を軽蔑した。ルソーが私を正してくれた。この眩惑的な特権は消滅し、私は人間を尊敬することを学ぶ」(『カント全集』16、尾渡達雄訳、思想社)。
遠藤 ルソーの『エミール』については、先生もスピーチで紹介し、次の言葉を引かれたことがあります。
「人間はどんな身分にあろうと同じ人間なのだ。そうだとしたら、いちばん人数の多い身分こそいちばん尊敬にあたいするのだ」(今野一雄訳、岩波書店)。「民衆こそ社会の主人である」と訴えられました。
池田 ″私は人間を尊敬することを学んだ″──すばらしい言葉だね。人をどれだけ尊敬できるかで人間の真価は決まる。人を尊敬することが「人権」の出発点です。誰ひとりとして軽んじない。ここに仏法のヒューマニズムがあります。
斉藤 「人権」の確立こそ一番の課題です。それに関して、人権の闘志ブラジルのアタイデ博士が先生に言われた言葉が忘れられません。「人間の内に″聖なるもの″を見る視座がなければ、″人間の尊厳″という思想の根はできないでしょう」(『二十一世紀の人権を語る』本全集第104巻収録)と。その意味で、法華経こそ、最も根本的な人権の思想だと確信します。
遠藤 三類の強敵との戦いは、「人間への尊敬」を貫く人権闘争である、ということですね。
池田 問題は、僭聖増上慢は、つねに″人権の味方″であり″民衆の味方″という仮面をかぶっていることです。だから、その本性を見破ることは決して容易ではない。
遠藤 妙楽大師は「この三類の強敵の中には初めの俗衆増上慢は忍ぶことができる。次の道門増上慢は、俗衆増上慢よりも強い。第三の僭聖増上慢こそ、最も恐ろしい。なぜなら、その正体が見破り難いからである」(『法華文句記』)と述べています。
須田 今の社会も、いかにも人権や平和のために戦っているようなポーズの人間が多い。それだけに、言葉や、つくられた虚像にまどわされず、本質を見抜く眼が大切になってきます。
斉藤 大聖人は「開目抄」に「無眼の者・一眼の者・邪見の者は末法の始の三類を見るべからず」と仰せです。三類の強敵を見破るのは、「一分の仏眼」をもっている者、つまり法華経の行者だけであると。
池田 悪を見抜くのは、行動する人です。戦う人です。かつて、ある青年が、牧口先生に、何が善で何が悪かをどうすれば判断できるようになるかと質問したことがある。
牧口先生は「世界最高の宗教を命がけで修行する、その努力と勇気があれば、わかるようになる」と答えられたといいます。
須田 その僭聖増上慢の正体ですが、「みずから真の道を行ずと謂いて」(法華経四一八ページ)ですから、自分こそ一番偉いと自惚れ、他人を軽蔑するわけですね。その根底には、どのような心理が働いているのでしょうか。
斉藤 自惚れが強い人というのは、一般に、「自己愛」が極端に強いように思えます。ナルシシズム(自己陶酔)というか……。
須田 ″自分自身に酔う″ということですね。一人で鏡を見てうっとりしている程度なら、だれにも迷惑はかかりませんが(笑い)。実際に、世間から最高の存在のように尊敬され、自分もそのように思い込んで振る舞う。


 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 9月 5日(月)20時47分39秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-4-5 【第2総東京最高幹部協議会 ①】

■ 新しい年度が始まった。
 フレッシュな新入生も、新入社員も躍動している。
 新しい人材群を大いに励まし、育て、伸ばしながら、皆が生まれ変わった息吹で、新しい大前進を開始したい。
 焦点は、「青年」である。青年の陣列を築いた分だけ、広宣流布は未来へ発展する。それが方程式である。
 青年とともに、青年のために、青年の心で、朗らかに拡大のスクラムを広げ、大勝利の5月3日を堂々と勝ち飾ってまいりたい!(大拍手)

● 勝つための信仰
 一、今や、創価学会は、皆様のおかげで、世界190カ国・地域へと拡大した。仏法の人間主義の哲学を基盤とした、平和と文化の大連帯を築くことができた。
 世界の一流の指導者や識者が、創価の思想・哲学に希望を見いだし、絶大な期待を寄せてくださっていることは、ご承知の通りである。
 いよいよ、これからが大事な時である。私はあらゆる分野で総仕上げをしていく決心である。
 仏法は勝負である。
 人生も勝負である。
 断じて勝たねばならない。勝たなければ不幸である。
 ゆえに世界中、どの社会でも」どの家庭でも、皆、頑張っている。戦っている。
 勝つための信仰なのである。
 我々の前進は、自分自身の生命を変革しながら、他者をも幸福にしていく戦いである。
 この自他ともの「人間革命」の道にこそ、絶対的な幸福があり、絶対的な勝利がある。

■ 一、広宣流布は「人」で決まる。
 リーダーが真剣で一生懸命であれば、全体が生き生きと発展の方向へ進む。
 反対に偉ぶって、自分は動かないで、人にやらせるばかりでは、歓喜は生まれない。皆、疲れるだけである。
 「善き人は、自分の身に何が起きるかということよりも、自分のなすべきことをなすことに、より心を配る」(同)
 これも、トルストイの言葉である。
 たとえ、状況がどうあれ、私は私自身のなすべきことを断じてなす!──これが、「勝ち抜くリーダー」の心である。

■ 一、きょうは、新時代の創価学会を建設していくために、最も基本であり、最も根幹となる4点を確認しておきたい。
 ◆第一に「祈り」。
 ◆第二に「行動」。
 ◆第三に「異体同心」。
 ◆第四に「師弟不二」。
 これこそが、無上の人生を勝ち開いていく力である。

 ◆◆ 絶対勝利の4原則「祈り」「行動」「異体同心」「師弟不二」 ◆◆

● 「祈り」が根本
 一、まず、第一に「祈り」である。
 正しき祈りほど、強いものはない。
 「祈りとして叶わざるなし」の信心である。
 「法華経に勝る兵法なし」の妙法である。
 いかなる戦いも、まず「祈ること」から始まる。そして「祈り抜くこと」である。「祈り切ること」だ。
 この素晴らしき模範を示してこられたのが、わが第2総東京の婦人部の皆様方である。
 まことに有名な「祈祷抄」の一節であるが、あらためて大聖人の御確信を深く拝していきたい。
 「たとえ、大地をさして外れることがあっても、大空を結びつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなることがあっても、太陽が西から昇ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことはないのである」(御書1351ページ、通解)
 ここで大事なのは、「法華経の行者の祈り」との仰せである。
 「法華経の行者」とは、いうまでもなく、大難を越えて妙法を行じ、正しく弘めゆく人のことを指す。
 現代でいえば、日蓮大聖人に直結して広宣流布を進めゆく私たち創価学会員である。
 創価の父・牧口先生は、「行者」と「信者」を厳格に立て分けておられた。
  ──自分だけの利益を願い、三障四魔との戦いのない者は、ただの「信者」にすぎない。広宣流布のための菩薩行に励み、三障四魔と戦っていく人こそ、真の「行者」であり、これこそ誉れの学会員である──と教えられたのである。

 妙法は、大宇宙の根源の法則である。何よりも大切な妙法を唱え、妙法を行じ、妙法のために戦う人の祈りは、まっすぐに大宇宙の根本の律動に合致していくのである。
 したがって祈りが叶わないわけがない。諸天善神も、仏菩薩も、必ず必ず護るのである。

■ 一、大事なのは、広宣流布のための祈りである。
 すなわち、広宣流布を成し遂げゆく創価学会を護り、強く勝ち栄えさせていくための「誓願」の祈りである。
 妙法の偉大さを、わが人生で実証しゆく「仏法勝負」の祈りである。
 また、広宣流布を阻む強敵を打ち破りゆく「破邪顕正」の祈りがなければならない。
 御本尊には「若悩乱者頭破七分(若し悩乱せん者は頭七分に破れん)」と峻厳にお認めである。苦しみの罪果から救うためにも、断じて邪悪を打ち砕くのだ。
 そして、わが同志が一人ももれなく幸福にと願う、「慈悲と勇気」の祈りを貫くのだ。
 御本尊には「有供養者福過十号(供養する有らん者は福十号に過ぐ)」ともお認めである。妙法の功徳は、あまりにも大きい。
 御書には「法華経を信ずる人の現世の祈りは必ず叶い、後に善処に生ずることは疑いないことである」(同1352ページ、通解)と記されている。
 広宣流布を断行しゆく、わが創価学会員の祈りこそ、「法華経を信ずる人」の祈りである。そこに、「現当二世」にわたる永遠の幸福境涯が築かれていくことは絶対に間違いない。

■ 一、御聖訓には、「禍も転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか」(同1124ページ、通解)と、絶対の御約束である。
 法華経の行者の祈りは必ず叶う。どんなことがあろうとも、強盛な祈りのある人は「変毒為薬」することができる。何も恐れるものはない。
 「南無妙法蓮華経は師子吼の和し・いかなる病さは(障)りをなすべきや」(同ページ)とも仰せである。病魔をはじめ、あらゆる魔を打ち破り、退散させていく根源の響きこそ、題目の師子吼なのである。
 御金言には、こうも記されている。
 「ひとたび南無妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵天・帝釈・閻魔法王・日天・月天・衆星・天神・地神、乃至、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性を、ただ一声に呼びあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である」(同557ページ、通解)
 深遠なる「一念三千」の法理にのっとって、題目は、あらゆる人々の生命に仏性を呼び覚ます。

 わが国土に、仏天の加護の働きをみなぎらせていく原動力である。
 さらに大聖人は、教えてくださっている。
 「題目を唱えたてまつる音声は、十方の世界に届かない所はない。我々の小さな声でも、題目の『大音』に入れて唱えたてまつるゆえに、宇宙の中で到達しない所はない。
 例えば、小さな音声でも、ほら貝に入れて吹く時、遠くまで響くようなものである。また手の音はわずかでも、鼓を打てば遠くまで響くようなものである。一念三千の大事の法門とはこれである」(同808ページ、通解)
 題目の力が、どれほど偉大であるか。それは、大宇宙を動かしていく究極の力である。題目の音律は、わが生命の仏性を脈動させながら、大宇宙へと轟きわたっていく。
 題目を朗々と唱えゆく人は、わが生命力を満々とわき立たせながら、あの友、この友の生命を変え、そして、わが地域、わが社会、わが世界を、平和へ、繁栄へと向かわせていけるのである。

■ 婦人部が一番、祈っている。婦人部が一番、戦っている。大事なのは婦人部の皆様である。
 この尊き方々に対して、いかなる男性も、威張ってはならない。どこまでも尊敬し、感謝していかねばならない。
 ここに、これからの学会が、さらに栄えていけるかどうかの重大な急所がある。
 リーダーが、第一線で最も戦っている同志を大切にすれば、学会は、ますます伸びていく。それでこそ、学会は光る。
 反対に、立場や肩書にへつらい、虚名ばかりを追えば、必ず失敗する。陰険な悪い人間に威張られて、友の幸せが踏みにじられることがあってはならない。
 ともあれ、女性を下に見るような人間は、リーダー失格である。この一点を徹底するしかない。
 婦人部・女子部こそ、希望の太陽なのだ。
 大聖人御自身が、女性の門下を最大に讃え、大切にしておられた。
 仏法は、平和と幸福のための戦いである。戦っていない人間の声には、重みがない。
 広布のために戦ってくださっている方々の切実な声、真剣な声に、誠実に耳を傾ける。ただちに応える。実行する。
 ここに、万年の発展への道があることを、絶対に忘れてはならない。
 世界一の婦人部・女子部を最大に尊重し、これまで以上に女性が輝く広布第2幕を、晴れ晴れと築いてまいりたい(大拍手)。

■ 一、戸田先生は、よく語っておられた。
 「御本尊への強い願いは、必ず通ずる。それには、条件が三つある。一つ、題目。二つ、題目。三つ、題目である」
 「題目を唱え奉ることが、仏の境涯を開発することである」
 「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命が、あたかも美しい花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化するのである」
 題目の力用は、万人が直ちに実感し、そして体得できる仏法の真髄なのである。
 時代は深く病んでいる。この最極の大良薬を、一人でも多くの友に伝え広めていきたい。
 さらに、戸田先生は強調しておられた。
 「先輩は、後輩にヤキモチを焼いたりしないで、成長を祈っていけ! 社会のため、日本のため、人類のために活躍する若い人を育てるのだ。これが、学会の目的である」
 ともあれ、誠実に友の幸福を祈る人は、自分自身の生命が歓喜に満ちてくる。
 破折の剣をもって祈る人は、正義の心が躍動してくる。
 広宣流布の大願に立って祈る人は、境涯が大きく広がっていく。
 そして、師弟共戦の誓いをもって祈る人は、師と同じ大生命力をわき立たせゆくことができる。
 「日々、題目をあげ、信心強く生き抜いていることは、毎日、ダイヤモンドの注射を生命に打っているようなものだ」
 これも、戸田先生の指導である。
 白馬がさっそうと大草原を駆けゆくような、凛然たる祈りで、我らは、すべてを強く強く勝ち開いてまいりたい(大拍手)。

●心とは幸福への行動
 一、組織を発展させていく要諦は、何か。
 それは中心者の一念である。どこまでも「師弟の精神」を根本に、学会とともに、まっすぐに生き抜くことだ。
 そして、大事なのは真剣さだ。行動である。
 リーダーが必死に祈り、動いている組織は発展する。反対に、中心者が内では威張ってばかりいて、外に打って出ないような組織は発展できない。
 自らが率先して、人と会っていく。新しい友情を結んでいく。そして、学会の偉大さ、師弟の素晴らしさを堂々と語り抜いていく。それでこそ、新しい時代は切り開かれていくのだ。
 中心者が本当に真剣に戦って、充実した一日一日を送っていれば、周りにも勢いが伝わる。歓喜の波動が広がっていく。皆も幸せになる。
 組織といっても、中心者で決まる。この一点をあらためて訴えておきたい。
 もちろん「真剣」といっても、怖い顔ばかりしていたら、皆、逃げていってしまう。心には闘志をたぎらせながら、友に会うときはニッコリと微笑んで、温かく励ましていくことだ。
 ともあれ、信心とは「幸福への行動」である。仏法の生命は、どこまでも「行動」の中にこそあるのだ。
 絶対勝利の4原則の第二は「行動」である。

■ 行動なくして仏法は存在しない。広宣流布のために、どれだけ動いたか──そこに本当の信心が現れるのである。
 求道の道、弘通の道。この「道の遠さ」は、そのまま深い「志」の現れである。
 「心こそ大切」(同1192ページ)である。真実の志は、必ず「行動」として現れる。逆に見れば、「行動」なき信心には真の「志」はない。
 役職や立場ではない。「行動」という姿そのものに、その人の信心の厚薄が端的に現れるといえる。
 広宣流布のために現実に行動している人こそが最も尊いのだ。その人を大切にすることを、リーダーは決して忘れてはならない。

【第2総東京最高幹部協議会 ②】に続く

 

『査問』のような行為はネット上のあちこちでありますね~

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 9月 5日(月)20時34分49秒
編集済
  このほんの数年というごく短期間で激変といえる変化。
学会を外から見てる僕からでも「一大事!」と感じるほどに。
この激変ぶりは単に主導的立場の人物が指導力が無いという次元ではない。
それならばこれだけの巨大組織なんだから、実力のある人材を抜擢して任せればここまで酷い状態になりようがないからね。

そして現在「学会員同士の潰し合い」が横行しだしている。
それはネット上からでもハッキリ確認できる範囲。
さながらそれぞれが「ご意見無用」とばかりに。
いや、それだけに留まらず、意見した人に対し、極楽寺良観の如く相手を陥れる画策がネット上からでも顕著になってきてますね。

『体曲がれば影ななめなり』

ネットはリアルの「影」に相当するでしょう。

こないだの参議院選挙。
支援したのはあまりわからない人が実際のようだし、「騙せる人はそのままでよい」という判断?
騙したまま学会の弱体化と破壊に貢献させる目的?
騙されない人は共産党を支援するよう画策?

イケディアンの住人さんの推論が自然と感じてるのは「どっちに転んでも得する状況」が作り出しやすいからだ。
学会員同士で潰し合いをしてくれれば共産党が得することになるね。

この掲示板に登場した工作員らしきコメントは「同士討ち」を狙ったものがかなりあることからそういう推察をしている。
また、こういう手段を用いてるのは、最高幹部の騙しの常套手段として普通に横行して常識的であるからではないかと。
掲示板の撹乱をしてきたのは、どうやら特定のネット対策だけではないようであるし。
それでも手口は似たようなもののエンドレステープ状態ですもんねぇ。
今も。

利己になるよう誘導し、『利己』を刺激して利用しようというのがミエミエでしたもんね。
そういう感じで、この掲示板上だけでなく、池田先生の側近が目覚めないよう誘導してた人物がいるんじゃないのか(特に秋谷会長時代に)。

「騙しの常套手段」として布教するように誘導していた人物がいるんじゃないのか?
おそらくは秋谷元会長も誘導されてた人物なんじゃないかと。
「騙して利用してる人」によって、発心する機会が得られなかったのではないのか。

今の原田会長にしても、性分を見透かされて目覚めないよう利用されてきてるように見えてしまうんだが?
まるで批判の「弾避け」の役割。

目覚めてしまわないよう、誘導してきてる人物が谷川主任副会長とみると、これまでのいろんな事象がごく自然に感じられるんですよね。
そういう意味では、正木さんの事実上の更迭は、正木さんは学会に寄与する人物であったことを逆に裏付けてるんじゃないかと。
少なくとも『学会を破壊したい人』にとっては、正木さんは騙せる人とは見えなかったということでしょうか。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

(無題)

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 9月 5日(月)20時31分46秒
  「池田先生の御指導と違うではないか!」と大音声で叫ぼう!


池田先生の御指導と違うのではないか、とか、それは人権侵害というものではないのかと、
問うた者が、査問を受け、排除される組織なんて、絶対に間違っているのだ。

これこそが「21世紀の法難」というべきものだ。

そんなことを密かに続けている原田よ、何をニヤついて写真に収まっていられるのか、
本物の悪党でなければ、できないことだ。

原田は、権力の魔性にたぶらかされて、悪鬼が入ったのだ。

賢い庶民の方々、
強い一念の団結、強い祈りの団結で、悪の執行部一派を追い出そう!
必ず、できる。
 

池田先生の御指導から

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 9月 5日(月)19時54分9秒
  ルソーは、次のような真理の言葉を記している。

「正義の人は悪人をけっして許すことができない」

悪とは絶対に妥協しないことだ。そうでなければ、バカにされ、そのうえ、悪い方向に
引っ張られる。

情けないことだ。悪を鋭く見破るのだ。

「悪人に対して恐るべき人間になりえないとしたら、どうして彼は善良な人間でありえようか」

これも、ルソーが書き残した箴言である。

「わたしは、真理のために受難するということほど偉大で美しいことを知らない」

妙法のため、大善のために難を受ける。これ以上に偉大なことはない。

「正義と真理、これこそ人間の第一の義務である」

その通りだ。仏法に通じる。これを胸に刻んで私は生きてきた。


中略
ルソーは、こうも述べている。

「傲慢さの生む錯覚は現代の最大の悪の源泉である」

傲慢な人間は、すぐに ”自分は偉くなった”と勘違いする。

これまで反逆していった人間は皆、そうだった。


中略
民衆が一番強い。どんな権力者も、民衆にはかなわない。

この民衆を育てたのが、仏法であり、日蓮大聖人である。仏意仏勅の創価学会なのだ。

戦おう! 偉ぶり威張る人間を、見おろして生きよう。



 

大御本尊の位置

 投稿者:琵琶の音  投稿日:2016年 9月 5日(月)19時43分26秒
  弘安二年の大御本尊は象徴的な意味合いとして、創価教学に残して欲しいです

創価学会の歴史から大御本尊、日蓮正宗を消し去るのはかえって不自然で後生にしこりを残すと思います。

学会ホームページにも正確に歴史を記してほしいですね、明らかに無かったと事にしようとしているのに嫌悪感がわきます。

執行部は説明なしに人本尊を捨て去る決断をしてますね。20年もすれば一大秘宝の法本尊、南無妙法蓮華経で定着してることでしょう
これでよいのでしょうか?
 

ジャスダック様

 投稿者:単なる野次馬改め天然水  投稿日:2016年 9月 5日(月)19時09分53秒
  確かに。。。キチンと信心
勤行や お題目あげて折伏に歩くと
顔色が良い。っつ~かw所謂 如是相?になってゆきますよね。。。
まだ登山会を やっていた時に創価班の輸送担当で任務に就いていた時
当時の所属する支部婦人部長に『如是相になったね』
と、言われたことが ありました。

無事故で、登山会を終わらせるんだ!と、お題目 あげぬきました。。。

太田青の前って野崎では?
こいつも タカリ屋で、そのせいで当時の茨城県男子部長は
自殺しちゃったらしいと。。。真相は 定かではないので
当時を知る先輩に 今度 確認とってみますね。

こうして、何回か?ジャスダック様と
レスのやり取りをさせて頂きますと なんか。。。
生命力っつーのかな?
お題目あげよう~って気がおきるんで不思議です。

これからも
よろしく お願い致します。
いつまでも 仲良しでいてください。
 

大本尊のパラダイム転換論

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月 5日(月)17時47分56秒
編集済
  この板での初発は、誰か私を呼んだ?様です。

以前に、秋晴れさんにその辺りの論議を読まれることをお勧めしました。金原さんの本を読んでいないとわかりにくいかもしれませんが。
私が考えているのはニーチェあたりの西洋哲学に見られるあれとそれの本質的な違いにより整理が可能ではないか。という発想です。感覚的にしか考えていないので未整理につき詳細は語りません。悪しからず。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/51766

http://6027.teacup.com/situation/bbs/51886

 

パラダイムの転換!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 9月 5日(月)17時03分53秒
   ジャスダックさんといい、ルネッサンスさんといい、のび太さんといい、随分、ハイレベルの投稿者が増えてまいりました。アーカイブでお馴染みのヨッシーさんも、投稿を再開されて見えますし、きっと、たくさんの投稿者によって、この板も充実していくに違いありません。

 「生命の世紀への考察」を主題にしている私が注目したのは、やはり、「システムの崩壊現象/パラダイムの転換期」を取り上げた「のび太」さんですね。
 そういうグループがあるのですね。素晴らしい。どんどん投稿してください。

 >御本尊と言っても解釈を誤れば御本尊という偶像崇拝になる。うちのグループでの仮説のひとつとして先生の仰られた『黄金の三年間、創価学会の発迹顕本をたのむ』とは、弘安二年十月十二日からのイノベーションなのかもしれない。(投稿者:のび太   投稿日:2016年 9月 5日(月)13時50分5秒)<

 まったく、その通りだと思います。個人的に私は、「弘安二年十月十二日の本尊」は、「広宣流布の暁には」という“創作された本尊”だと捉えています。外からも、内からも、そういう指摘が出ています。ことの是非は、今後の研究に委ねるとしても、“偶像崇拝になりかねない”という指摘は、まさに我が意を得たりです。

 常々、思っていることは、「御本尊」と言っても、私たちがそれを“体内”に取り入れているのは「意味」でしかありません。根本尊敬の当体として「御本尊の意味」を取り入れているのです。それが「一念(即)三千」の御本尊です。これを別の言葉で言い表せば「信心」です。「根本清浄」です。その意味で、先般、「根本清浄」の考察を投稿させて頂きました。御義口伝の第三段でさかんに出てくる「清浄」です。
 それはつまり、御本尊と言っても、それを崇拝する人間の側に「御本尊」があるということになります。厳密にいえば、御本尊を根本尊敬の当体として崇め敬う人間と、「一念三千」の当体の御本尊とのその間、あるいはその全体に御本尊があるということです。だから、主題は、それを信じるむしろ人間です。人間のための宗教です。

 根本尊敬ですから、一点の曇りがあってもいけません。例えば、マジックで墨の薄いところを補修したというのもいけません(笑い)。「意味」ですから、「事」も「儀」もありません。その「南無妙法蓮華経を中心にした十界本有」の当体の「意味」だけが意味を持ちます。

 以前に投稿させて頂いた本幹終了後の先生の言葉の「それは難しく言うと意味連関といって……」(そこまでしか本幹では流れませんでした)の「意味連関(いみれんかん)」です。「言葉」は国によって違うことはありますが、「意味」は万国共通です。「清浄」も、「生命尊厳」も、共通であるはずです。

 >高等宗教として万人に通用する普遍性を堅持して、一宗一派の灰汁を抜く<
 ためには、この「御本尊」の“意味”をいま改めて整理しておく必要があるのではないでしょうか。むろんこれは、私めのモノローグではありますが。


 

収穫終わっんだ?

 投稿者:ぶどう畑で捕まえて  投稿日:2016年 9月 5日(月)16時33分28秒
  今日の作業は終わり?藁  

名代代筆の意味

 投稿者:通行します  投稿日:2016年 9月 5日(月)16時28分17秒
  書いた方によります。弟子が責任を持って書いているが人によりさっぱりの場合もあるし、わざと直弟子なんて無理に文言を入れ込んでみたり。一庶の決裁者の差配ですから。
あとは聞いた側の捉え方ですね。長年に渡り先生の文をみていればこんなことは語らないとか分かりますから。迷うことはありません。
 

パラドクス

 投稿者:琵琶の音  投稿日:2016年 9月 5日(月)16時22分8秒
  先生のメッセージを本物ととれば歓喜も生まれ、勇気も湧いてきます。

しかしそれでは極悪人とされる執行部を放置され、新人間革命の代筆も容認(追認)されていることになります。

また先生の意志が聖教新聞に反映されてないとすると、メッセージも空々しく思えてしまいます。
珍聞と揶揄する方が多いので、宿坊板ではこちらの考え方が主流のようですが

私は少なくとも先生の名前を出してあるものは追認されていると信じて拝してます。
 

先生のメッセージ

 投稿者:大城  投稿日:2016年 9月 5日(月)16時00分39秒
  昨日の先生のメッセージに熱原の法難が言及されていた

まるで、粛清された同志へのエールに感じるのは自分だけだろうか?
師子王の心
異体同心

これらの先生の言葉は壇上で高給もらい、ふんぞり返っている南米訪問団の会長と女史には分からない世界ではないか?

正義故に迫害されている人にしか分からない言葉ではないか?

出来上がった組織で、文化祭だ幹部会だと出来上がった会合で最前列に座り、現地で幾多の迫害、困難を乗り越えて広布を開拓して来た現地メンバーを押しのけて、最前列で記念撮影するおかしなコンビには、絶対に分からない言葉ではないか?

先生のメッセージ
それは正義故に迫害されている同志にしか分からないメッセージである

そう思うと「喜悦はかりなし」ではないか!
 

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