2014年から、福島第一原発で働いていた作業員の山岸浩さんが今年6月に亡くなった。妻が語った夫の痛ましすぎる死の真相とは?

 先の参議院選挙で圧勝した自民・公明の与党。これにより、憲法改正だけでなく、原発再稼動も着々と進んでいる。あの福島第一原発事故後、非常に厳しい新規制基準が設けられたといわれているが、川内原発(九州電力)、高浜原発(関西電力)に続き、この8月中にも伊方原発3号機(四国電力)も再稼動の見込みだ。

「しかし、この伊方原発の再稼動には、地元の愛媛県民をはじめ、瀬戸内海を挟んだ広島や大分の住民からも運転差し止めを求める訴訟が起きています。また、高浜原発は仮処分が認められ、現在停止中。このように再稼動反対の声も少なくありません」(全国紙社会部記者)

 5年前の悪夢が頭から離れないのも無理はない。フクイチ(福島第一原発)事故の収束作業は現在も続いているからだ。そして、その終わりなき作業に多くの作業員が従事している。

 そんな中、今年6月13日に亡くなったとされる原発作業員・山岸浩さん(享年50)の妻・光子さんが、怒りの声を上げた。「主人は、3畳もない犬小屋のような作業員宿舎の個室で誰にも看取られず死んでいたんです。しかも、具合が悪くなり約1週間前から、その個室で臥せっていたそうです。なぜ、仲間も会社も病院に連れて行ってくれなかったのか。もし気に留めてくれていたら、もっと長生きしていたと思うんです。それが悔しくて、今回お話することを決心しました」(光子さん=以下同)

 山岸さんは13日の朝、亡くなっているのを仕事仲間が部屋を訪ねた際に発見された。死亡推定時刻は13日午前0時とされるが、それはベニヤ板1枚ほどの薄い仕切り越しに、死亡推定時刻の30分ほど前まで人の気配がしていたという隣り部屋の作業員の証言から推測されたものだ。

「私が最後に会ったのは5月末に帰京した際。体調が悪い中、無理して浅草までデートしてくれたのが、最後の思い出となりました」

 山岸さんは死の約2年2か月前から、東京で福島第一原発の作業員集めに従事。それは、復旧作業の元請けである大手ゼネコンから直請けしている土木系派遣会社を通じてのことだった。

「もともと主人は、この会社の社長のつてで人材斡旋の仕事をしていたんですが、人手不足から社長に口説かれ、自分自身も原発作業員になりました。死の約1年8か月前のことです」

 山岸さんは、どんな仕事に従事し、どうして亡くなったのだろうか。話好きの山岸さんは、よく電話やメールで現場の様子も語っていたという。そこから、原発作業員の過酷な労働の現状と、杜撰な雇用実態が見えてくる。

「当初は、建屋外の汚染水タンクをフォークリフトで運ぶ作業をしていたそうです。その後、原子炉建屋の中で、宇宙飛行士が着るような服を着て、かなり放射線量の高い場所の仕事にも携わっていたといいます」

 それほど危険と隣り合わせの仕事なら当然、作業時間にも制限があるはずだが、「そこでは放射線量の関係で20分作業して1時間休むべきところ、実際は作業2時間、休み1時間のサイクルでやらされていると言っていました。“現場が青白く見えるんだ”と電話してきたこともありました」

 この他にも作業現場では安全のために数々の規制が設けられているが、それを守っていたら作業が進まないと、規則破りが恒常化していたと思われる話も、いろいろ聞いたという。

 起床は午前3時半。1時間後には宿泊所の前に集合して現場へ出発。担当する場所によって異なるが、山岸さんが死の少し前までやっていた作業時間は、1日に作業6時間とミーティング2時間の計8時間。午後4時頃には宿舎に戻るが、翌朝が早いので午後8時頃には床に就いていたそうだ。帰京できるのは月に一度、3日だけだったという。

「主人は“肝臓が痛い”などと常々、体調不良を訴えていました。実は5月末に帰京した際、約20キロもやせ、歩行もままならない状態だったんです。当然、私は福島に戻るのを止めましたが、“自分は現場責任者だから休んでいられない”と行ってしまったんです」

 そうなると、当然ながら真っ先に気になるのは、山岸さんの死因だろう。ところが光子さんは、いまだにはっきりとした説明を受けていないという。

「主人は帰京時、毎日、作業終了時に計る放射能測定結果の紙を束ねて持ち帰っていたんですが、それを見ると、数値のほとんどがゼロだったんです。それに、遺体を引き取りに行った息子たちの話では、地元警察で解剖して放射能測定をした数値もゼロだったと説明を受けたというんです。いくらなんでも、そんなわけないでしょうと、葬儀の際に、派遣した会社の社長に問い質そうとしたんですが、不信感を抱いた息子と睨み合いになり、社長は線香の1本も上げず、“休日に亡くなったから労災は下りない!”と一方的に言い残して帰ってしまった。以来、互いに連絡を取っていない状況なんです」

 本誌が光子さんから見せてもらった山岸さんの「死体埋火葬許可証」の死因欄には「一類感染症等」と記されたところが消され「その他」となっていた。ちなみに、一類感染症とはエボラ出血熱、天然痘、ペストなど感染力や死亡率が極めて高い感染症を指す。光子さんによると、この他にも今回の山岸さんの死亡時の対応に関しては不可解な事実があるという。

「息子たちが警察から宿舎に戻ってくると、すでに主人の部屋は勝手に片づけられ、返してもらえたのは時計と携帯電話ぐらい。主人は几帳面な性格で、給与明細を束にして持っていたはずなんですが、その明細も放射線管理手帳も、戻ってきていません」

 亡くなった作業員の遺族としてみれば、こういった点に不信感を抱き、感情的になるのは当然のことだろう。実際、“隠蔽”とも思われるような事実は常に横行していたと、生前の山岸さんが証言していたという。

「たとえば熱中症で仲間が倒れた際、チームの仲間が倒れた者を大きな布で覆って隠し、作業が中断しないようにしていたそうです。また、救急車やドクターヘリで急病人が搬送されることもあったそうですが、その際、自分が福島第一原発で働いていることは絶対に伏せるように指導されていたそうなんです。主人も入社時、福島第一原発で働くことを部外者に口外しないように誓約書を書かされたと、漏らしていました」

 それだけではなく、これだけの作業に従事しているにもかかわらず、その雇用環境も決して好条件とは言えないものだった。

「主人の日当は2万1000円。でも、1万5000円前後の仲間も多く、自分はまだ恵まれているほうだと言っていました」 その他の収入としては、人手不足が慢性的なため、作業員が知り合いを紹介すると毎月、1万円程度の“紹介料”が入る仕組みになっているとの話もあった。

 だが、条件に関しては、この業者だけの話ではない。「2015年に除染作業員から福島県労連労働相談センターに寄せられた相談には、“賃金や残業代の未払い”“解雇・雇い止め”などのほか、“賃金明細をもらえない”“放射線管理手帳を返してくれない”といった訴えも多かったといいます。請け負った仕事の間に入るブローカーが後を絶たず、ピンハネなどの手口が悪質化するケースも多いようです」(前出の社会部記者)

 また、福島労働局が福島第一原発の廃炉作業に当たる724事業者につき監督指導した最新結果(15年9月末現在)によれば、実に56.5%に当たる409業者で割増賃金の未払い、放射線量の測定をしないなどの違反があったという。

 一方、宿舎の住環境についても、地元でこんな話を聞けた。「同じような宿泊所は原発周辺にいくつもあります。事故当初は、いわき市内の旅館を借りるなどしていましたが、山間の遊休地に安い中国製プレハブを建てたほうが安上がりだし、管理もしやすいですからね。今回の話も、1週間も寝込んでいる人を病院に行かせないなんて、第三者の目がないからできること。実態は昔の“タコ部屋”と同じでしょう」(地元事情通)

 最後に光子さんは言う。「主人は、地元の方が作業頑張ってとの思いで折ってくれた鶴を大切に保管していました。福島に行くとき、“未来の子どもたちのために放射能浴びて来るんだ”とも言っていました。だから納棺の際、その鶴を入れてあげました。主人なりに誇りを持って作業員をしていたんです。でも、こんな野垂れ死にのような形で……。他にも、同じように亡くなった方はたくさんいると思います。そんな犠牲のもと、事故になれば将来の子どもに責任を負えない放射能が出る原発の再稼動を目指していいのか、もう一度、考えていただきたい」

 東京電力が毎年公表しているデータによれば、今年3月末までの1年間の作業員の死傷者数は26人、うち死者は1人に過ぎない。だが、今回の山岸さんのような、作業中でない死はカウントされておらず、こうしたケースを含めれば、かなりの犠牲者が出ているとの見方もある。

 放射能が原因かは分からないが、危険を覚悟した50歳作業員の早すぎる死。こんな状況が、震災から5年以上経った今も起きていることを、原発再稼動に邁進する政府は、はたして知っているのだろうか。

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