|
|
この記事はまだ途中です~とんでもない情報が出てくるかも
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-1021.html
次に、改めて岸信介とジョセフ・グルーの関係を紹介する。
(鈴木啓功氏の書から)
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/library518.html
地球支配階級が仕掛けた
世界統一政府 悪魔のシナリオ
岸信介は「米国のスパイ」となって出世した
1960年、日本列島では安保反対の嵐が吹き荒れた。それを先導したのが左翼勢力であったので話がこじれる。だがその本質は「米国の鉄鎖を打ち破れ」ということだった。
安保反対の本質は「右か左か」「保守か革新か」という小賢しい話ではない。それは「日本人は米国の奴隷でいたくない」という血の叫びだった。その怒号は現代にも響いている。
だが当時の総理・岸信介は彼らを蹴散らして日米安保を改定した。本書の立場からいうならば、彼は米国のスパイだった。それゆえに彼は総理になることができた。正確には米国に祭りあげてもらった。戦後の日本国では米国のスパイが総理になることになっている。
それゆえ日米安保の改定から半世紀以上が経過しても、現代の日本国は「米国の奴隷国家」である。沖縄では日本人女性が繰り返し強姦されてもそれを裁くこともできない。
戦前の日本(大日本帝国)と戦後の日本はどこが違うのか。細かいことをいえば、違いはさまざまにあるかもしれないが、本質的にはなにも変わっていないのだ。
戦後の日本で総理大臣となり、日米安保条約を改定した岸信介は、戦前は満州帝国の高級官僚だった。そして敗戦後には「戦犯」として逮捕され巣鴨プリズンに拘留された。
念のためだが、私は米軍がでっちあげた「戦犯」という概念は認めない。だがここでは当時の情勢を際立たせるためにあえてこの言葉を使用する。そこには他意は存在しない。
さて岸信介は「戦犯」として逮捕され巣鴨プリズンに拘留された。だが彼はまもなくそこから解放されて政治の世界へと進出する。そして総理大臣への階段を駆けあがる。
なぜ「戦犯=岸信介」にこのような芸当ができたのか。その理由は彼の背後には「米国」がついていたからなのである。米軍の戦犯収容所は米国のスパイのリクルート機関だった。
戦犯として収容されても、そこで「米国のスパイ」になることを承諾すると、すぐに収容所から解放される。そして以降は「米国のバックアップ」が得られるのである。
繰り返して述べる。岸信介は「米国のスパイ」たった。多くの日本国民は「そんなことはあり得ない」と思うかもしれない。だがこれは絶対的な事実なのだ。
米国のジャーナリスト(ニューヨーク・タイムズ記者)ティム・ワーナーは(米国CIAの秘密を暴露する書物の中で)次のように書いている。読者は事実を知るべきだ。
「岸は1941年、アメリカに対する宣戦布告時の閣僚であり、商工大臣を務めていた。戦後、A級戦犯容疑者として収監されていた間も、岸はアメリカの上層部に味方がいた。そのうちの一人は、日本によるパールハーバー攻撃があったとき駐日大使を務めていたジョゼフ・グルーだった。グルーは開戦後の1942年、東京の収容所に入っていたが、当時、戦時内閣の閣僚だった岸がグルーを収容所から出してやり、ゴルフを共にしたことがあった。二人は友人になった。岸が巣鴨拘置所を出所した数日後、グルーは『自由ヨーロッパ全国委員会』の初代委員長になった。この委員会は『自由ヨーロッパ放送』などの政治戦争計画を支援するためにCIAが設けた偽装組織だった。(『CIA秘録(上)』ティム・ワーナー/文藝春秋)
岸信介の背後には「駐日大使ジョゼフ・グルー」が立っていた。同時にその背後には「米国CIA」も存在した。このような構造の中で収容所を出た岸はどう動いたか。
「岸は一年ほどの間、隠密にCIAや国務省の当局者と(ハッチンスン家(引用者注/CIAの手先)の居間で会っていた。『彼がアメリカ政府から少なくとも暗黙の支援を求めていたことは明らかだった』とハッチンスンは回想している。一連の会談はその後40年間の日米関係の土台を築くことになった」(同上)
本書では岸信介の動きを詳細に追う余裕はない。だが彼が「米国のスパイ」(CIAの支援で首相になった男)だったことは(日本国民全員が知るべき)「絶対的な事実」なのだ。
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/243.html
『占領日本を支配したダグラス・マッカーサー元帥は,CIAをその草創のころから嫌い,信用していなかった。1947年から50年まで,東京のCIA支局を極力小さく弱体にして,活動の自由も制限していた。元帥には同時のスパイ網があったのだ。広島、長崎に原爆を投下した直後から構築し始めたものだった。CIAはこのスパイ網を,元帥から受け継ぐことになったが,これはいわば毒の盛られた遺贈品だった。
マッカーサーを軍事諜報面で補佐していたのはチャールズ・ウイロビー少将だった。ウイロビーの政治的立場は,米陸軍の将官の間では最も右よりであった。ウイロビーは1945年9月,最初の日本人スパイをリクルートすることで,敗戦国日本の諜報機関を牛耳ることになった。この日本人スパイは,戦争終結時に参謀本部第二部長で諜報責任者だった有末精三である。有末陸軍中将は1945年の夏,戦勝国に提出するための諜報関係資料を秘密裏に集めていた。
それが,敗戦後自分自身の身を守ることになると考えていた。多くの高位にある軍人同輩と同じように,戦争犯罪者として起訴される可能性もあった。が,有末はかつての敵の秘密工作員となることを自ら申し出たのである。それはドイツのラインハルト・ゲーレン将軍がたどったのと同じ道だった。ウイロビーの最初の支持は,日本の共産主義者に対する隠密工作を計画し,実施せよというものだった。
有末はこれを受けて,参謀次長の河辺虎四朗に協力を求め,河辺は高級指揮官のチーム編成にとりかかった。1948年,アメリカの政治戦争の生みの親であるジョージ・ケナンは,日本については政治の改革よりは経済の復興の方がより重要であり,実際問題としても,実現が容易であると主張していた。日本の産業界を解体し,解体した機材を戦争保障のために中国に送る,共産主義者が今にも中国を制覇しようとしているときに,そうした措置をとることにどういう理屈があるのか,とケナンは問いかけた。ケナンの力によって,アメリカの対日政策は1948年までに急転換を遂げた。日本の当局者に対する戦争犯罪訴追の脅威と占領の懲罰的な性格は,緩和され始めた。これでウイロビー指揮下の日本人スパイにとっては仕事がやりやすくなった。
ウイロビーはその年の冬,暗号名「タケマツ」という正式な計画を発足させた。この計画は二つの部分に分かれていた。「タケ」は海外の情報収集を目的とするもの,「マツ」は日本国内の共産主義者が対象だった。河辺はウイロビーにおよそ一千万円を要求し,それを手にした。スパイを北朝鮮,満州,サハリン,千島に潜入させること,中国,朝鮮,ロシアの軍事通信を傍受すること,それに中国本土に侵攻して制覇したいという中国国民党の夢を支持し,台湾に日本人の有志を送り込むこと,などを約束した............CIAはその実体を知り,驚愕する。日本人スパイは諜報網などというものではなく,右翼団体の復活を狙う政治活動であり,同時に金儲けのためのもの,とうのが結論だった。「地下に潜った右翼の指導者」は諜報活動を「価値ある食いぶち」とみなしていた,とCIA報告は当時の状況を要約している。
アメリカの諜報機関が日本で行った「お粗末な仕事のやり方」の古典的な見本は,政治的マフィア児玉誉士夫との関係だった。児玉は1911年生まれ,21 歳の誕生日を迎える前に,帝国議会議員に対して殺害の脅迫をしたかどで五ヶ月間,投獄された。21歳のとき,暴力団・右翼反動派の集まりである「天行会」とともに政治家と政府当局者に対する暗殺を計画したが発覚,投獄されたが,四年と経たないうちに釈放されて極右青年運動に着手,これが戦前の日本の有力な保守派の指導者の支持を得た。
戦時中は上海に足場を置き,五年間にわたって戦時の最大規模の一つと言われる闇市を取り仕切った。占領中の中国を舞台に数千人の(児玉機関の)工作員が,戦略金属から阿片に至るまで,日本の戦争遂行機関が必要とするあらゆるものを買い付け,盗み取った。戦争が終結したとき,児玉の個人財産はおよそ一億七千五百万ドルに上った................児玉は1948年,アメリカ占領下の拘置所から釈放され,日本の政治の行く末に重要な役割を果たすことになる.......アメリカがその狙いを達成するのを助ける,真に強力な日本人工作員を雇い入れるまでには,さらに数年を要することになる。その任務はまさに,アメリカの国益に資する日本の指導者を選ぶことに尽きていた。CIAには政治戦争を進めるうえで,並外れた巧みさで使いこなせる武器があった。それは現ナマだった。CIAは1948年以降,外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で,将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった』。<LEGACY OF ASHESより一部転載(文芸春秋発行:CIA秘録)]
関連記事:空中起爆できる装置なんてなかった
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3752
地上起爆の中心人物はウオーバーグの庶子とされる白洲次郎とみている
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
北朝鮮のスパイ鬼塚英昭がどうして白洲次郎を馬鹿呼ばわりするのか
白洲次郎とは何者か その1
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/720.html
白洲次郎とは何者か その2
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/721.html
白洲次郎はジグムント・ウオーバーグの庶子(非嫡出子)だった~イルミナティでは庶子を養子に出す習慣がある。こういう例は多くあり名前が変わっても同じ血流ということ。
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1198.html
ウオーバーグの血を引くという権威と人脈 その1
http://markethack.net/archives/51997466.html
その2
http://markethack.net/archives/51997493.html
コミンテルンの陰謀と核実験成功
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1193.html
原爆とヴェノナ文書
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1188.html
ヴェノナ文書~あの田母神論文にもありました。だから嵌められたのです。
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1901
全文は記事にありますが一部抜粋
『さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである』
画像に関して「成甲書房」で検索すると沢山出てきます
http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%90%AC%8Db%8F%91%96%5B&inside=1&x=0&y=0
成甲書房~つまり朴甲東は田布施人脈であったということ
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1161.html
陰謀論者の「リチャード・コシミズ」、「鬼塚英昭」という人物が明治天皇すり替え説の論者としているが、コシミズの本を出版し、鬼塚英昭の書いた本のすべてを出している出版社の成甲書房は朴甲東という、朝鮮共産党機関紙「解放日報」元記者である在日朝鮮人が設立した会社である。鬼塚英昭に影響を与えたのが、鹿島昇ともう一人、松重楊江である。そして鹿島昇の設立した会社を継いだのが太田龍なのである。
太田龍とは、日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)委員長。フリーメーソンやイルミナティのような秘密結社を含む反ユダヤ主義、反国際金融支配論者。
鬼塚はニューデリー放送の原爆投下のブラックプロパガンダを肯定している。これはまさに工作員のすること。
参考:ポツダム宣言現代語訳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80
|
|