北朝鮮拉致、無人島拠点か 鹿児島・吹上浜、市川さんら被害 [鹿児島県]
鹿児島県で起きた北朝鮮による吹上浜拉致事件で、実行犯が浜の西約8キロに浮かぶ面積約3千平方メートルの無人島「久多(くた)島」を拠点にしていた疑いが浮上している。全国の拉致現場を再調査している被害者支援団体「救う会全国協議会」(東京)は今年6月、「工作員が船を久多島に隠していた可能性がある」とする見解を表明。地元住民によると、久多島周辺で当時、灯火を消した不審船の目撃が相次いでいたという。
「事件前日の夜9時ごろ、久多島の北約5キロで無灯火の船が後ろを付いてきた」。当時、1人で操業していた地元の漁業男性(75)は語る。船舶は夜間、航海灯の点灯が義務付けられている。男性は気味が悪くなり港に逃げたという。
地元の女性(70)は、複数の漁師から無灯火の不審船を見たという話を聞いたが、乗組員の情報については「聞いたことがない」。商店経営の男性(79)は漁師の弟(故人)が「海上で航海灯を消した船が別の光を点滅させていた。吹上浜でも点滅する光が見え、互いに合図をしているようだった」と話したのを覚えている。
捜査関係者によると、鹿児島県警もこうした不審船の目撃情報を把握。事件の約1年前から確認されていたとの情報もある。
1978年7月に地村保志さん、富貴恵さんが拉致された福井県小浜市も、1キロ沖に蒼(あお)島という無人島がある。協議会の西岡力会長によると、地村さんは2002年に帰国後、拉致の状況を「袋をかぶせられてボートに押し込まれた後、船を2回乗り換えた」と話したという。
西岡会長は「実行犯は拉致後にボートで、島に隠した『子船』に沖で乗り換え、さらに沖で大型の『母船』に乗り換えた」と推測。「吹上浜でも久多島に子船を隠したり待機したりし、同じ手順で拉致したのではないか。地元で目撃されたのは子船と考えられる」と分析している。
会が拉致現場を再調査する狙いは、事件の経緯を解明して把握することで、北朝鮮に「うそやごまかしは通用しない」と認識させ、被害者の早期帰国を促すことにある。被害者の市川修一さんの兄健一さん(71)は「久多島の話は知らなかった。当時の手口が明るみに出ることで、救出が早まることを期待したい」と語る。西岡会長は「さらに解明を進めるため、当時の情報があれば県警などに寄せてほしい」と呼び掛けている。
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■早期救出協力、鹿児島知事に要請へ
北朝鮮による拉致被害者や、拉致の可能性がある特定失踪者の鹿児島県内に住む家族らが5日、三反園訓(みたぞのさとし)知事に早期救出への協力を申し入れる。1978年に同県日置市の吹上浜から拉致された増元るみ子さんの弟、照明さん(60)=東京=は「鹿児島は他県に比べ、世論喚起などが遅れていると感じる。県を挙げて取り組んでほしいと訴えたい」と話している。
他に申し入れるのは、特定失踪者で71年に不明になった園田一さん=失踪当時(53)=と妻のトシ子さん=同(42)、93年にいなくなった田中正道さん=同(44)=の家族。知事が交代したのを機に、あらためて訴えることにしたという。
●吹上浜拉致事件
1978年8月12日、鹿児島県日置市の吹上浜に夕日を見に出かけた交際中の市川修一さん=拉致当時(23)=と増元るみ子さん=同(24)=が、北朝鮮の工作員に拉致された事件。北朝鮮は2002年9月の日朝首脳会談で2人の拉致を認めたが、「市川さんは79年9月、海水浴中に死亡。増元さんは81年8月、心臓病で死亡」と説明した。しかし、北朝鮮の元工作員は05年7月、衆院拉致特別委員会で「市川さんとは91年まで直接話をした。増元さんも90年ごろまで目撃」と証言している。
=2016/09/04付 西日本新聞朝刊=