新海誠監督が最新作『君の名は。』で新たに紡ぎ出した物語と世界、その生み出された背景とは!?

2016.09.05 12:30

最新作『君の名は。』が8月26日に公開となった新海誠監督。まだフルデジタルアニメーションが珍しかった2002年に『ほしのこえ』をたった一人で作り上げ、ネットを中心に広まり話題となった。その後もデジタル制作の強みを生かした演出や表現を広げ、『言の葉の庭』では一部ムービーも取り入れたビデオコンテの制作を行うなど、常にテクノロジーと共にあるアニメーション監督である。そんな監督の3年ぶりの新作、現在公開中の『君の名は。』について伺った。

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(C)2016「君の名は。」製作委員会

8月25日、最新作『君の名は。』の公開を翌日に控えたこの日、都内にある新海誠監督の仕事場でインタビューをする機会を得た。

■物語や映画を紡ぐ手つきみたいなものが、今までに比べてだいぶ余裕が出てきたような感覚があった

--まず最初に『君の名は。』をこれから観る人へ込めた想いを聞かせてください。

新海:
僕の今までの作品を好きだと言ってくださる方々は、ずっと居てくださるわけですけど、僕の名前を知らずに「面白そうな映画やっているな」とCMで見たり、劇場で予告編を見たりして、それで映画を観てみて「ああ、楽しかった!」「すごく良かった!」と。できればそんな風に思ってもらって劇場を出てもらえるような、本当に普通の映画として、監督名で観るとかではなくてシンプルに映画として劇場で楽しんでもらえるような体験を特に若いお客さんたちに提供できればという気持ちが一番最初に立っていました。

--小説版『君の名は。』の解説にプロデューサーである川村元気さんが「新海監督のベスト盤」にして欲しいとおっしゃったというお話がありますが、実際に映画を拝見すると、ピアニストのベスト盤がバンドサウンドになって帰ってきたかのような変化を感じました。

新海:
前作が『言の葉の庭』という中編の作品だったので、それを観た上で『君の名は。』を見ると、もしかしたら何かジャンプがあるかのように驚かれるかもしれませんが、僕の中ではずっと連続感があるんです。『言の葉の庭』は3年前の公開でしたが、『君の名は。』の制作にとりかかる前の1年間に大成建設の30秒のCMが2本あったり、通信教育のZ会の2分間のCM『クロスロード』であったり、なによりも本の雑誌のダ・ヴィンチで『言の葉の庭』のノベライズを8ヶ月間連載していたんです。それは僕自身にとっては物語を一話一話紡ぐ経験でもあったし、鍛錬でもあったし、その1年間の延長線上に『君の名は。』があるんです。
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(C)2016「君の名は。」製作委員会

--ということは、『君の名は。』のようなエンターテインメントをずっと目指していたという気持ちがあったのでしょうか?

新海:
そうですね。僕は『言の葉の庭』もエンターテインメントのつもりで作っていたし、その前の作品も力が及ぶ範囲でエンタメにしたいという気持ちで作ってはいたんですけど、でも何か足りないという感覚はもちろんあったんですね。個人制作から入ってきたというのもありますし、特に初期の頃はスタッフもあまり多くなかったので、意図的に話というか登場人物の数も少なくして、自分自身の能力と手持ちの環境も限定している中でベストなものを作ろうとやってきたんですけど、「やりたいこと」に追いついていないという感覚はずっとありました。
スタッフについては前作、前々作から力のある人たちがたくさん来てくれていたので、後は自分の問題だと思っていました。『君の名は。』を作り始める2年前、企画書を書き始めた時点で物語や映画を紡ぐ手つきみたいなものが、今までに比べてだいぶ余裕が出てきたような感覚があったんです。
例えば今回コメディ要素などもありますが、今ならば喜怒哀楽も、感情の全方位に向けて刺激できるようなそういう映画ができるかなという実感はありました。なので『言の葉の庭』を見た人が今作を見て何かジャンプがあると感じるのは当然だとは思うのですけど、自分のなかではそういう連続性が進んできたことではあります。
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(C)2016「君の名は。」製作委員会

■中身によって器が決まるのではなくて、むしろ器の形が決まることで中身が規定されることの方が多い

--監督は近年では作品制作でビデオコンテを作られ、iPhoneなども使われていてテクノロジーを駆使していると思うのですが、『君の名は。』では新しい試みなどはあったりするのでしょうか?

新海:
「最新のテクノロジーで」というわけではないんですけど、『君の名は。』ではビデオコンテを書くための専用のソフトを使い始めたんです。Toon Boom社のStoryboard Proというソフトで、これにはずんぶん助けられました。これまではバラバラのソフトで行っていた作業が一つのソフトで全部できるんです。絵が描けて時間軸に並べて声も録音できて、ト書きを書くとPDFで出力して印刷もできる。一つにまとまっていることで単純に効率が上がったり、トライ&エラーがすごくやりやすくなる。書きながら時間軸をいじれるというのは相当大きいですね。しかも作ると同時にビデオコンテになっているから、再生すれば誰に見せてもわかる。最終的に絵コンテで重要なのは映画の時間軸で、今回の映画で言えば107分のコンテを読んで映画の流れが停滞していないのか、速すぎないのか、そういうことを正確に読むということだと思うんですけど、ビデオコンテを作ることで、それが誰にでもできる。書き手以外の人でも客観的に評価をしてもらえる。そこがたぶんすごく大きなところで、意見は作品に反映していきました。

--最近では『シン・ゴジラ』など実写映画でもプリヴィズなど動画のコンテが作られていて、そういう時代になっているのだなと感じています。

新海:
当然、同時代に作っているので、別に歩調を合わせるわけではないけれども、外から見たら同じような変化があるとは思います。
僕は『君の名は。』のビデオコンテでは効果音も全部入れているんです。仮の効果音なんですけど足音とかも入れていて、どちらかというと絵を書くというよりは、音のトラック、音のリズムでどうやって107分間聴かせるかということをやっていきました。そこは他の方々と同じソフトを使っていてもアプローチは違うとは思います。僕はどちらかといえば映像で流れを作るタイプではなくて、音のリズムで流れを作るタイプだと思うので、そういうところの差は出てきますね。

--新海監督は『ほしのこえ』などはほとんどお一人で作られ、時に「文学的」とも評されてきましたが、その背景にはそれを可能にしたテクノロジーがあったかと思います。そうした作品制作のためのテクノロジーが物語自体に影響を与えることはあるのでしょうか?

新海:
あると思います。テクノロジーというか制作環境ですね。デジタルでやるのか、どのソフトを使うのか、あるいは紙に一人で描くのか、それはそれぞれの人の選択なのでしょうけれども、でもその環境というのは当然作る物語を規定するわけです。中身によって器が決まるのではなくて、むしろ器の形が決まることで中身が規定されることの方が実際多いと思います。僕は個人制作から始めたということがミニマムな物語を作りがちだったということに直結していると思いますし、一人で作るということは手間を最小限にしなければいけないから「君」と「僕」のような1対1の世界の物語とどうしても繋がっているのでしょう。
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(C)2016「君の名は。」製作委員会

新海:
あるいは空のビジュアルが多いのですけど、この辺は背景をアナログで描くのではなく、最初からデジタルで描き始めたというのが空や光の表現を多用している大きい理由の一つだと思います。デジタルというのは光の絵の具なわけです。アナログの絵の具は反射色や吸収色だったりして、周囲が明るくないと見えないし、塗れば塗るほど暗くなっていくんですけれど、デジタルは逆にRGBで絵を描くので塗れば塗るほど明るくなるので、光の表現というのがすごく得意なんです。そういう道具を使いはじめたことで空のグラデーションが一発で描けるようなツールがあるから空を描きやすく、「光を描くのが楽しい」と思えた。そういう形で出した作品がお客さんに「新鮮だ」「光が綺麗」というフィードバックがあり、「ああそうなのか」と思ってそこはもっと先鋭化していくという、そういうお客さんとのコミュニケーションもあって、自分の作る映画のカラーが10年ぐらいかけて決まってきたような気がするんです。道具の影響は確実にありますよね。

僕は十代二十代のころからアニメーション監督になろうと思っていたわけではなく、何かを作りたいという気持ちだけがあって、その時にあった道具がコンピューターで、それで一人で作り始めたので、その道具に規定される部分も大きかった。最初は仕事としてではなく一人で作り始めたのもあり、自分の内面風景のようなものがダイレクトに出ているのもそれが理由だったのでしょう。僕が仮にアニメーションスタジオに入ってスタッフとしてキャリアをスタートしたら、監督になれたとしても今とは全然違う作品を作る人間だったのではないかと思います。良し悪しはどちらかわかりませんけれど。

--新作では、そうした使える道具が変わったことで物語への影響などはあったのでしょうか?

新海:
映画のテンポ感とか語り口、映画全体のトーンみたいなものはビデオコンテというツールによってだいぶ追い込むことができたというか、あるべき姿、よりベターなものを探し続けることができたと思いますけれども、物語そのものが変わったかというとそんなことはないと思います。
それはむしろRADWIMPSとのコラボレーションの中で彼らが作ってくれた音楽というものが、物語の形を少しずつ変えていったというのはあります。今回音楽はすごく大きな要素だったので、彼らの疾走感というものが物語に出ています。例えば主人公の2人がお互いにスマホでやりとりをするだけではなくて、体に何かを書くというコミュニケーションは最初の脚本では無かったんです。RADWIMPSからあがってきた曲を聴いていたら、勢い的にスマホだけじゃおさまらずもっと外側に刻み付けるような行為をやらないとこの絵に音楽が乗らないという気持ちにさせられて、シナリオが変わっていきました。
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(C)2016「君の名は。」製作委員会

■遠い「こだま」みたいなものが戻ってくるのを少し待ちたい

--今作では、これまでの新海作品へのセルフオマージュ的な部分が多数ありファンには嬉しいところだと思いますが、総決算のようにも思えます。この次については何か考えているものなどあるのでしょうか?

新海:
いやいやいや、無いです。まだ今作を作り上げたばかりですから(笑)。
でも『君の名は。』という映画で自分が何が出来たのか?自分たちが何ができたのか?というのは、やっぱり作り終わっただけじゃ分からないんですね。お客さんに届いてその瞬間に分かるものでもなくて、でもきっと一部のお客さんはもしかしたらこの映画によって少し変わるところがあるかもしれない、気持ちの持ちようであったりとか、将来の目標が少し変わったというような人もいるかもしれないですし、観客のカタチを少しだけ変えれば良いなと思うんです。それでその人たちを取り囲んでいる世の中のカタチも少し変わって、すると自分たちのカタチも少し変えてもらえるんじゃないかという期待はあるんです。それによって作る作品というものも変わってくれば嬉しいし長い時間の掛かるコミュニケーションだと思うので、作品は観客と観客が属している社会とのコミュニケーションによって出来上がっていくものだと思うので、その遠い「こだま」みたいなものが戻ってくるのを少し待ちたい気持ちが大きいですね。
例えば神木くんは高校生の時に『秒速5センチメートル』を観て、作中のセリフをつぶやきながら歩いていたことがあるとおっしゃっていましたが、もしかしたら『秒速』という作品が彼の声なり芝居を少しだけ形作ることになったのかもしれない。今回、神木くんがこの作品に加わってくれたことで、やっぱり作品は少しカタチが変わったと思うんです。そういうことがこれからも起きていけば良いなと思います。
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『ほしのこえ』や『秒速5センチメートル』で新海監督が遠くへと投げかけた想いは、やがて多くの人々の心を共鳴させ、そのハーモニーの中から現れた『君の名は。』は、音のリズムでビデオコンテが作られ、サウンドトラックを担当したRADWIMPSの音楽によって物語はさらに疾走感を増していったという。より多くの人々の手によって大きなうねりとなった今作、その音の流れに注目すると新たな発見があるかもしれない。

取材・文:サイトウタカシ

TV番組リサーチ会社を経て、現在フリーランスのリサーチャー&ライター。映画・アニメとものすごくうるさい音楽とものすごく静かな音楽が好き。
WEBSITE : suburbangraphics.jp

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