司会者「前回に引き続き、『「アイドル」の読み方』の著者である香月孝史さんとのアイドルシーン談義をお届けします」

 


レジー「前編では主に4846絡みの話をしつつ、アイドル本人の主体性というものに対して受け手としてどうやって向き合っていくかみたいな話題に触れました。後編では個々のグループについてというよりはもう少し俯瞰的な目線で、この先アイドルシーンというものがどうやって続いていくかというような話をしています。僕がリアルサウンドに書いてヤフトピにもなった記事を起点にしてますので、良かったら本文中に貼ったリンクからそちらも読んでみてください。それではどうぞ」

※前編はこちら 

 

 

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アイドルの続け方、人生の続け方(例えば政治家になる、など)

 

---前回の記事の際に香月さんがお話しされていた「この文化は持続可能なものなのか」という視点は僕にとってすごく新鮮だったんですよね。そのあたり意識しながら書いたのが、「アイドルは年齢とキャリアをどう重ねていく? AKB48PerfumeNegiccoが示す新モデル」というリアルサウンドの記事なんですが、PerfumeにせよAKB48の卒業生にせよ、「アイドルを出自として長く活動を続けていく」というフォーマットが少しずつですが整備されつつあるような印象を持っています。

 

Perfumeは「アイドルグループが継続していく」ということに関して、現段階での一番の成功例ですよね。また、AKB48を卒業したメンバーが女優として活躍するケースが増えているのも素晴らしいと思います。ここで気をつけたいのは、Perfumeのような「少人数固定型」のグループとAKB48のような「多人数循環型」のグループだと「活動の継続性」ということの意味がだいぶ違うということです。「少人数固定型」の場合はそこにいるメンバーが基本的にはそのままの構成で芸能界を生き残っていくということになると思うんですけど、「多人数循環型」の場合は「グループそのものは継続する」「メンバーは入れ替わる」「入れ替わったメンバーがそれぞれの場所で居場所を確保する」というような形になるかと」

 

---なるほど、「Perfumeが続く」というのはあくまでもあの3人が変わらずかっこいいパフォーマンスを見せていくことと同義だけど、「AKB48が続いていく」ということになるといろいろなレイヤーの話が混ざってくるわけですね。

 

「そうですね。先ほどお話した「AKB48はこれからメンバーが循環していく」というのをさらに噛み砕くとそういうことなのかなと」

 

---今の分類に沿って話を進めるとすると、「少人数固定型」のグループが活動を続けて年を重ねていくというモデルについては、どこかのタイミングで必ず「それはアイドルなのか?」みたいな問いが発せられますよね。「Perfumeがアイドルか、もしくはアーティストか」という話はインターネットにおいて燃える話題ランキングの上位に入ると思いますし()、音楽的に面白い作品を連発しながらキャリアを積んでいるNegiccoも徐々にそういうフェーズに来ているのかなと思います。正直彼女たちがアイドルだろうがアーティストだろうがどっちでもいい、というかどうでもいいと思ってますが。

 

Perfumeの進んでいる道が本当に前例のないものだから、名前をつけるのが難しいんですよね。少なくとも彼女たちが今の時代における「アイドル」的なものを出自として登場してきているのは事実なので、Perfumeがこれからどうなっていくかというのが一つのモデルケースになることは間違いないとは思います。Negiccoはグループとして成熟しながらも今のアイドルマーケットの作法、接触こみでCDの枚数を売るというようなところにもコミットしているので、Perfumeよりもわかりやすく他のグループの道しるべになるかもしれないですね」



  

 

---「多人数循環型」の話だと、先日公開されていたAKB48のドキュメンタリー映画で「グループを辞めて芸能界を去ったメンバーの充実ぶり」が描かれていたのが気になりました。グループ自体が継続していく中で、「循環した」メンバーが活躍する場所は必ずしも芸能界じゃなくてもいいんだなと。言われてみれば当たり前ですが、目から鱗でした。小森美果さんのママっぷりとか素敵でしたね。

 

 

「良かったですよね。48での活動を踏み台にして芸能界で成功する人もいれば芸能界じゃない場所でちゃんと人生を送っている人もいるということが可視化されるのは、グループが継続していくうえでとても良いことだと思います」

 

---全員が必ずしもスムーズにはいかないにしても、少なからずそういうパスもあるというのが見えているとアイドル当人にとっても外野にとっても安心感がありますよね。「芸能界じゃない場所でも輝ける」ということを考えたときにどうしても言及したくなってしまうのが、先日の参議院議員選挙に立候補していた今井絵理子のことなんですけど。SPEEDが「アイドル」だったのかどうかみたいな話は置いておくとして、10代でスターになった方がいろんな事情はあったんでしょうけど30代前半で国会議員になると。これ、48グループに関しても今後起こり得ることですよね。しかもあのグループには高橋みなみといううってつけの人材がいるわけで。

 

「そうですね。しかるべきタイミングで打診はされますよね、絶対」

 

---ここは特に結論のある話をしたいわけじゃないんですが、僕自身SPEEDの中で絵理子が一番好きだったので、ああいう形で池上さんに嫌味を言われたりするのを見るのは結構しんどかったんですよね。そしてその番組にたかみなも出ていると。で、この前の選挙は18歳から投票が可能になるということもあって、その年代が多い女性アイドルが何かと選挙に関連するネタに担ぎ出されていましたよね。その辺の諸々を眺めながら、今後「アイドルと政治」みたいなトピックも浮上してくるのかななんて思いました。

 

「うーん・・・この辺は、アイドルっていうフレームで語る話でもないような気もしますけどね。たかみなが人物として象徴的すぎるからそこに引っ張られちゃうところはあると思いますが、じゃあ彼女が選挙に出たとしてそれがアイドルの文化のあり方に関係してくるかというとそうでもないでしょうし。「有名人が選挙に出るというのはどういうことか」っていう、より一般的な話題の派生でしかないと思いますよ」

 

 

「アイドル」の歴史は実はまだ短い そして「また松田聖子か・・・」

 

---そう言えば先ほど紹介した僕の記事について「アイドルが年齢を重ねていくモデルとして松田聖子がいるじゃないか」みたいな反応が結構たくさんあったんですけど、それに対してはかなり違和感があって。確かに松田聖子はアイドルだったし今もアイドルのまま年をとっているのかもしれないけど、同じ言葉でも今とは指し示す意味が違いすぎるというか。

 

「そうですね。松田聖子に関しては基本的には「過去にものすごく売れたソロの芸能人がそのままサバイブし続けている」という話ですし、そこで用いられる「アイドル」の語義は到底、今日のアイドルというジャンルにそのまま適用できるようなものではないので、その例を挙げたとしても今のアイドルシーンに対しては何も言っていないと思います。・・・ちょっとこういう言い方はあれですが、そういう話を整理したくて『「アイドル」の読み方』を書いたんですけどね。「またそこからですか?」っていう()

 

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「まだ読まれてないんだな、頑張らなくては、と思いました()

 

---ヤフコメでそういうのが出るのはまあどうでもいいとしても、わりと音楽聴いていそうな人の間でも結構そういう意見が出てきていたりしました。「1980年代のアイドル」と「2010年代のアイドル」は別物だと思うんですけど、そういう認識がなかなか浸透していかないなと。現状の「アイドルシーン」というものは、それこそ松田聖子がアイドルとして全盛期だった時代とは切り分けて考えた方がいいですよね。

 

 

「僕はその方が見やすいと思います。アイドルという言葉自体は昔から変わらずあるにせよ、芸能界で地位を確立した一握りのスターのことだけを意味していた80年代と、「名乗れば誰でもなれる」みたいな状況――以前、「アイドル」という言葉の語義の広さが「バンド」という単語に近くなっているのではという話をしましたが、そうした状況――にますます近づきある10年代を接続させて考えるのは無理があるというか。そもそも、今くらいの規模や裾野の広さでアイドルに関するシーンが成立しているのってたぶん初めてなんですよね。プレーヤーも多いし、メディアで売れている旧来型のアイドルに近い人からライブだけで活動している人までタイプも幅広くて、もっと言えば90年代であれば「アーティスト」という打ち出しで世に出ていたであろう人たちも「アイドル」としてそのシーンに包含されているわけで」

 

---確かにSPEEDPUFFYも当時は「アーティスト」扱いでしたけど、たぶん今デビューしていたら「アイドル」に括られそうですよね。

 




 

「はい。シーンとして、ジャンルとしてものすごく厚みを持った状態になってきていて、それは今までなかった状況と言っていいはずなんです。だからこういう時代に個々のアイドルがどうやって長く続けていくか、もしくはシーン全体としてどうやって持続可能なものになっていくか、とかって問いに対して、「アイドル」という単語に引きずられて過去の事例を当てはめることは無理があると思うし、だからこそ先ほど話題にあがったPerfumeのあり方やAKB48が「循環モデル」をちゃんと作れるかみたいなことがかなり重要になってくるんじゃないかなと。それぞれが今までの世の中になかったことをやろうとしているので」

 

---アイドルに関する文化の層が厚くなっていっている一方で、その根幹には「握手券をつけて同じCDをたくさん売る」というビジネスモデルが存在していますよね。そこに対しての批判は根強く存在するし、そういう話と「若い女性がフロントに立つエンタメ」という性質も相まって、アイドルという文化全般への嫌悪感みたいなものは明確に世の中に存在しますよね。そういう悪意のようなものが一気に噴出したのが、先日小金井であった事件に対する「これだからアイドルは・・・」的な反応だったと思います。その時に出てきた意見にはたくさんの誤解も含まれていましたけど、事実としてそういうネガティブな感情が抱え込まれているというのが可視化されたわけですよね。先ほど香月さんにご提示いただいた「AKB総選挙の内部からの相対化」という話もそういう世間からの風当たりみたいなものも踏まえたうえで出てきているのかなとも思うんですが、改めてこういった風潮に対して香月さんとしてはどのようにお考えですか?

 

「そうですね・・・まず、「握手券つきでCDが売られる」という話はアイドルに関するところからだけでは解決できないというか、音楽業界全体で「音楽を売ることについての特効薬」が出てこない限りは変わらないんじゃないかなと思っています」

 

---確かにそうですね。アイドルとは到底呼べないようなミュージシャンも同じようなことをやっていたりしますしね。

 

「今みたいな対面コミュニケーション至上主義がどこまで続くのかなってのはありますし、どこかで揺り戻しが来るような気もするんですけど、しばらくはこのビジネスの仕方に対する批判は払拭されないんじゃないかなと。そういう前提を踏まえたうえでなんですけど、そもそもジャンルを継続させていかない限りイメージが変わるということも起こりえないと思うので、まずは何であれ続いていくことが大事なんじゃないのかなとは思っていますね。歴史が積み重なっていくうちに受け手も循環するし、時代の潮目も変わる」

 

---「受け手の循環」というのもキーワードですね。「将来の夢はアイドルです」なんて女の子が普通に出てきている中で、そういう人たちが我々くらいの年齢になる20年後にはもはや「アイドルはださい、アイドルファンは気持ち悪い」みたいなイメージを全く共有できないものになっているかもしれない。

 

「当たり前のものとして定着しているかもしれないですよね。新しい世代が受け手側にも入ってくる中でステレオタイプな反感も薄まっていくんじゃないかなと思っています。1年半前にお話しした際にも歌舞伎の例を出しましたけど、歌舞伎って戦後しばらく経った頃でもまだ、近代主義的な観点からは「芸術性の低いもの」として扱われていたんですよね。それが、受け手が循環することで前提とするイメージも変わるし、それに対応して戦略も変わっていって、今ではわりと高尚なものに捉えられている。時代の趨勢が変わっていく中でイメージもどんどん変わっていくと思うので、そういう変化が起こるためにも今の世間からの感情がどうであれとにかく長く続いていくことが重要なんじゃないかと思います」

 

 

「楽曲派」から考える 「アイドルの存在が“当たり前”な世界」

 

---今回お話しさせていただくにあたってここ数年のアイドル周りのことをいろいろ反芻していたんですけど、3年前にB&Bで柴さんとさやわかさんと一緒に「アイドルとロックの蜜月」っていうトークイベントに出演したことを不意に思い出したんですよね。2013年のロックインジャパンにPASSPO☆とかアプガとかがどさっと出て、その中にベビメタも含まれていたりして。その辺を踏まえて「この先アイドルはどういう形でロックフェスに関わっていくのか」みたいなテーマだったんですけど・・・今考えると、ああやってわざわざイベントやったのはなんだったんだろう?ってくらい賞味期限の短い話だったんだなって。

 

「確かにそういう話題もありましたね、くらいの感じになっちゃいましたね」

 

---ロックインジャパンに関して言えばそうやって売出し中のアイドルを出したのは2013年と2014年だけ、今年出演したアイドルはベビメタ、でんぱ組、しゃちほこ、℃-ute4組。結局アリーナクラスの動員が見込めるグループしか呼ばれなくなったと。

 

 

「ジャパンとしても試行錯誤だったんでしょうね。「大きいの以外はなくてもいい」って判断をドライにしたというか、もともとこのジャンルそのものにそこまでコミットする必然のあるイベントではないってことなんでしょうけど」

 

---そうですね。で、それに関連してお話ししたいのがいわゆる「楽曲派」みたいな言葉で称されるムーブメントについてなんですけど、2013年とか2014年とかって「アイドル“も”聴きます」っていうスタンスがすごく持てはやされた時代だったと思うんですよね。フェス側もそういう姿勢を見せようとしていたし、早耳であることを示したいリスナーもそういう行動をとった。僕自身もそういう波に乗っていた部分っていうのはやっぱり少なからず、正確に言えばかなりあったと思います。で、そういう行為がファッショナブルだと思われていた時代っていうのがあっという間に過ぎ去ってしまったんだなあという実感があるんです。先ほどまでの「シーンの層が厚くなってきている」という話の一方で、少し前までアイドルシーンにたくさん存在した「音楽好きです!語りたいです!」みたいなタイプのリスナーは実質的にかなり離脱しているような感触があって。そういうゾーンとも親和性のあるリリスクのことが好きな香月さん的に、そのあたりどう見えているのかなということを最後にお話ししたいんですが。

 

 

「そうですね・・・個人的には「楽曲派」みたいなことにフォーカスして話をしてもそこまで実りはないような感じもしますけど()、最初に指摘したいのはこの「楽曲派」という言葉ですよね。そもそもこの言葉自体、使われ始めた当初から「()」がついていたものだと思うんですよ。「そのグループが好き・そのメンバーが好き」と「そのグループの曲が好き」っていうのは完全に切り離すことはできないと思うんですけど、そこをあえて「曲だけ好き」というポーズをとることのおかしみも含めての「楽曲派」という呼称なんじゃないかなと思うんですよね。逆のベクトルで「ガチ恋」もそういうことなのかもしれないですけど」

 

---「楽曲派」という言葉は「()」がつくものだっていう感覚なんですが、「アイドル“も”聴きます」「それってわかっているよね」みたいな価値観が一時的にでも浸透していく中で意外と剥がれちゃっていた感じもするんですよね。そういうアイロニー抜きにして、「センスの良いアイドル楽曲を感度よく摂取する層」みたいなベタな意味になっていた局面が少なからずあったような・・・

 

「なるほど。「()」の意味合いは自称じゃなくて他称の方で残っていたんですかね」

 

---で、たぶんアイロニーなくこの言葉を使っていた層、言葉を使わないにしてもそういう意識を共有していた層が、根こそぎいなくなったのが今の状況のような気がしているんですけど。その人たちは今は必死にフリースタイルダンジョンを見ている、的な。

 

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---そう考えないと女子流があそこまで苦しんでいるのは説明しづらいし・・・もちろん曲とか見せ方の問題はあると思いますけど。あと今年で言えばWHY@DOLLGemini』とかわーすた『The World Standard』とか、そういう層が喜びそうなアルバムも結構出ているのにちょっと前のような盛り上がり方をしていなかったり。



 

 

「うーん・・・ざっとした言い方をしてしまうと、「アイドルにもいい曲あるじゃん!」っていう「発見」をすることが旬だった時代があったんですよね。で、おそらく数年前は「そういう人たちはこの辺を聴いておけばOK」みたいな範囲があったと思うんですよ」

 

---とりあえずTパレ祭りに出ている人聴いとけば大体カバーできる、みたいな。

 

「それが今はどこをおさえておけば良いという感じでもなくなってきているというのはあるんじゃないですかね」

 

---それはあると思います。「この辺おさえておけば大丈夫」があったからそこに人が呼びこまれたけど、いい作品がいろんな場所から生まれてくる中でそれを網羅することができなくなった。「できなくなった」には「そこまでして聴かなくてもいいや、労力かけなくてもいいと思った」というニュアンスも含まれてくると思いますが。

 

「そんなに出てこられたら逆に困る、みたいな感じですかね。・・・難しいんですけど、この辺の話はある意味ではアイドルというものの位置づけが「正常なもの」に向かっているという言い方もできると僕は思います。「アイドルのいい曲を発見する」っていうスタンス自体が、暗黙のうちにアイドルのことを下位に見ているとも言えるじゃないですか」

 

---確かにそうですね。そう考えると、「アイドル“も”聴いている」が差別化にならない時代の方が健全だという言い方もできるのか。

 

「どこかをおさえておけば良いという感じではなくなっているのも、アイドルというジャンルを使った表現の質量それぞれでの向上の帰結でもありますよね。何年か前は「アイドルとロックバンドや若手の注目株が絡む」ということ自体がものすごくフレッシュに見えていましたけど、今はそこまでではない。それを「シーンとして盛り上がってない」「気にする人が減ってしまった」って捉えることもできなくはないですが、そもそもそういうことがやたらと話題になっていたこと自体がイレギュラーだったという言い方もあり得ると思うんです」

 

---なるほど。

 

「「アイドル×有名ミュージシャンでかっこいい楽曲!」みたいなものが話題になっていた背景には、「アイドルの曲がかっこいいことが珍しい」「何も知らないアイドルがそんなセンスのいい人と絡むなんて素敵」みたいな、言ってしまえば鼻持ちならない感情が少なからずベースにあったわけですよね。ちょっと見方として穿ちすぎなのかもしれないですけど、そういうトレンドが消滅しつつあるっていうのは、ある意味では「アイドルがいい曲を歌う」ということが当たり前のものとして認識されるようになってきている証拠なのかもしれないし、希望的観測ではありますけどそれはつまりアイドルシーンというものが「見下したり、その裏返しで持ち上げたり、という対象ではない、普通に存在する場所」になろうとしているということなんじゃないかなと思います」

 

 

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司会者「以上になります」

 

レジー「「循環」っていうのが一つのキーワードだよね。今のアイドルシーンというものはまだまだ新しいものだし、これがどうやって続いていくのか、もしかしたら続いていかないのかみたいなことをはちゃんと見届けていきたいと思います。まあここで出てきてる話だけでいろんな話題を網羅できているとは思っていないけど、何かしらのガイドにはなっていれば嬉しいです。香月さんの『「アイドル」の読み方』はほんとに今のシーンを考えるうえで必須の一冊なので、未読の方はこれを機会に読んでみてはいかがでしょうか。というわけで香月さん改めてありがとうございました。今回はこんな感じで」

 

司会者「わかりました。次回はどうしますか」

 

レジー「ちょっと未定なんですけど、少し大きめのやつを仕込んでいるのでもしかしたら若干間隔が空くかもです。しばらくお待ちいただけますと。タイムリーなネタがあればそれはそれでまた」

 

司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」