680.久しぶりの憤り
2016.09.05 [ Edit ]
もう、老人になったなあと思うことが多い、このごろ。
先日、公園で、孫をブランコに乗せたり、滑り台で介添えしながら滑らせたりしていた時、
「すいませんが、ちょっとスナップを撮らせていただいていいですか」と若い女性が。
「市民雑誌の取材なんです」と。
「そしたら、母親にかわるわ」と、言うと、
「9月の敬老の日の特集記事なので、オジい様と、お孫さんの写真をお願いします」。
生まれて初めて、じい様デビュウ。
真剣に、じい様扱いされたのは、初めての経験で、ちょっとびっくり。
「でも、父親には、見えないやろうし、しゃあないなあ」と、苦笑い。
そんな私は、丸くなったなあと思うことが多くなり、
怒ることは、ほとんど無くなったようなきがします。
が、しかし、今日は、ちょっと、憤りました。
長女は、この頃、家事をすべて、担えるようになっています。
炊事、選択、掃除、すべて、出来るようになっています。
まあ、そのすべての中で、強迫症状との闘いが解決しているわけではありませんが。
そんな中、今日の夜中、弟の弁当を作り終えて、
ぬか漬けに入れる、瓜を切っていて、
包丁で、ずぶりと小指を切ってしまいました。
「病院へ行くのはいややし、バンドエイド貼っとくわ」
そう言う娘の指からは、血があふれて、流れ落ちて止まりません。
見ると、かなり深く切れており、
すぐにERのある、クルマで10分ほどの、市民病院に連れて行きました。
いつものことながら、難聴の娘は、受付で苦労します。
最近の病院では、お医者様も、職員様も、ほとんどの方が、マスクをされています。
長い難聴での生活で、娘は読唇を自然に身につけています。
唇の動きを見て、言葉を読み取る娘にとって、マスクは、それを遮ってしまう厄介な代物なんです。
「耳が悪いんで」と、説明するのを、娘は嫌がります。
そう言わないと、社会生活が不便なのは、よくわかっているのですが、
娘いわく、
「耳が悪いと説明しても、大きな声で話してくれるのは最初のうちだけ」
「結局、普通の声で話して、辛気臭そうに見られるだけやから、いやなんや」
私が、横で聞いていても、いつも、そのとおりなんです。
「耳が悪いので、すいません」
娘が、そう、申し訳なさそうに説明しても、
結局、聞こえないままに、会話を進めようとする人ばかりなのが、現実です。
これも、娘は嫌がりますが、
私が、横から返事をしてしまうと、
娘は無視されて、会話の相手が、私になってしまうのです。
メガネは、ポピュラーな器具ですが、
補聴器は、まだまだ、好奇な目で見られてしまう対象物なのを、
世間の人は、知らない、気づかないものです。
「そんなこと無いわ」と、
世間は温かいものだと、反論される方が多いでしょうが、
現実は、厳しいものなんです。
今まで、いろんな医療機関で、
何度も、何度も、口には出さず、悔しいなあと思い続けてきました。
この20年間くらいの間で、
たった一度だけ、耳鼻咽喉科のちょっと年配の女医さんが、
娘の、橋本病での甲状腺の手術をしていただいた先生、その方だけが唯一、
「聞こえにくいやろうから、マスク外しますね」と、言ってくださいました。
20数年で、この発言、この行為をしてくださったのは、たった一度だけです。
そんなことで、これには慣れてはいるのですが、
看護師さんに、娘が診察室に呼ばれてから、
やっぱり、横で聞いてやろうと、
「難聴なので、付き添っていいですか」とお願いをしたところ、
「いいですけど、先生には、耳が悪いと言ってありますから」
迷惑そうな返事が返ってきました。
今日の市民病院のERの外科医師、若い方です。
やはり、大きなマスクをされています。
そして、特別に小声で話しているのかというくらい小さな声。
娘は、お医者様が、なにか話してるけど、聞こえない、困った表情でいてました。
「おまえ、耳が悪いと聞いてるんやろ?」
怒鳴ってやりたくなるのを、いつもどおり、ぐっと抑えて、
「血を止めていた、ティッシュがくっついてるから、傷口を水で洗うようにおっしゃってる」
娘に教えてやりました。
娘が強迫性神経症になった、ひとつの要因だと思います。
この難聴。
あきらめていますが、
何度も、娘と話し合ったことなのですが、世間は厳しいです。
お偉いお医者様、なんとか、お願いですから、弱者への気配りも勉強してください。
「研修医の訓練に協力をお願いします」
そんな張り紙をしている、夜中の市民病院のER.
研修医でなくても、ベテランでもない若さの「にいちゃん」。
そんなに、「偉そう」にプライドかけなくても、
ほんとに、思いやりをもって、真摯に診察していただいたら、
周りは、貴方を、尊敬して接しますから、
頭をたれて、稲穂になって生きていっても、悪いことは無いと思いますよ。
ちょっと、老人らしくなく、憤った話でした。
先日、公園で、孫をブランコに乗せたり、滑り台で介添えしながら滑らせたりしていた時、
「すいませんが、ちょっとスナップを撮らせていただいていいですか」と若い女性が。
「市民雑誌の取材なんです」と。
「そしたら、母親にかわるわ」と、言うと、
「9月の敬老の日の特集記事なので、オジい様と、お孫さんの写真をお願いします」。
生まれて初めて、じい様デビュウ。
真剣に、じい様扱いされたのは、初めての経験で、ちょっとびっくり。
「でも、父親には、見えないやろうし、しゃあないなあ」と、苦笑い。
そんな私は、丸くなったなあと思うことが多くなり、
怒ることは、ほとんど無くなったようなきがします。
が、しかし、今日は、ちょっと、憤りました。
長女は、この頃、家事をすべて、担えるようになっています。
炊事、選択、掃除、すべて、出来るようになっています。
まあ、そのすべての中で、強迫症状との闘いが解決しているわけではありませんが。
そんな中、今日の夜中、弟の弁当を作り終えて、
ぬか漬けに入れる、瓜を切っていて、
包丁で、ずぶりと小指を切ってしまいました。
「病院へ行くのはいややし、バンドエイド貼っとくわ」
そう言う娘の指からは、血があふれて、流れ落ちて止まりません。
見ると、かなり深く切れており、
すぐにERのある、クルマで10分ほどの、市民病院に連れて行きました。
いつものことながら、難聴の娘は、受付で苦労します。
最近の病院では、お医者様も、職員様も、ほとんどの方が、マスクをされています。
長い難聴での生活で、娘は読唇を自然に身につけています。
唇の動きを見て、言葉を読み取る娘にとって、マスクは、それを遮ってしまう厄介な代物なんです。
「耳が悪いんで」と、説明するのを、娘は嫌がります。
そう言わないと、社会生活が不便なのは、よくわかっているのですが、
娘いわく、
「耳が悪いと説明しても、大きな声で話してくれるのは最初のうちだけ」
「結局、普通の声で話して、辛気臭そうに見られるだけやから、いやなんや」
私が、横で聞いていても、いつも、そのとおりなんです。
「耳が悪いので、すいません」
娘が、そう、申し訳なさそうに説明しても、
結局、聞こえないままに、会話を進めようとする人ばかりなのが、現実です。
これも、娘は嫌がりますが、
私が、横から返事をしてしまうと、
娘は無視されて、会話の相手が、私になってしまうのです。
メガネは、ポピュラーな器具ですが、
補聴器は、まだまだ、好奇な目で見られてしまう対象物なのを、
世間の人は、知らない、気づかないものです。
「そんなこと無いわ」と、
世間は温かいものだと、反論される方が多いでしょうが、
現実は、厳しいものなんです。
今まで、いろんな医療機関で、
何度も、何度も、口には出さず、悔しいなあと思い続けてきました。
この20年間くらいの間で、
たった一度だけ、耳鼻咽喉科のちょっと年配の女医さんが、
娘の、橋本病での甲状腺の手術をしていただいた先生、その方だけが唯一、
「聞こえにくいやろうから、マスク外しますね」と、言ってくださいました。
20数年で、この発言、この行為をしてくださったのは、たった一度だけです。
そんなことで、これには慣れてはいるのですが、
看護師さんに、娘が診察室に呼ばれてから、
やっぱり、横で聞いてやろうと、
「難聴なので、付き添っていいですか」とお願いをしたところ、
「いいですけど、先生には、耳が悪いと言ってありますから」
迷惑そうな返事が返ってきました。
今日の市民病院のERの外科医師、若い方です。
やはり、大きなマスクをされています。
そして、特別に小声で話しているのかというくらい小さな声。
娘は、お医者様が、なにか話してるけど、聞こえない、困った表情でいてました。
「おまえ、耳が悪いと聞いてるんやろ?」
怒鳴ってやりたくなるのを、いつもどおり、ぐっと抑えて、
「血を止めていた、ティッシュがくっついてるから、傷口を水で洗うようにおっしゃってる」
娘に教えてやりました。
娘が強迫性神経症になった、ひとつの要因だと思います。
この難聴。
あきらめていますが、
何度も、娘と話し合ったことなのですが、世間は厳しいです。
お偉いお医者様、なんとか、お願いですから、弱者への気配りも勉強してください。
「研修医の訓練に協力をお願いします」
そんな張り紙をしている、夜中の市民病院のER.
研修医でなくても、ベテランでもない若さの「にいちゃん」。
そんなに、「偉そう」にプライドかけなくても、
ほんとに、思いやりをもって、真摯に診察していただいたら、
周りは、貴方を、尊敬して接しますから、
頭をたれて、稲穂になって生きていっても、悪いことは無いと思いますよ。
ちょっと、老人らしくなく、憤った話でした。
679.偉そうなこと言うてしもたな
2016.06.08 [ Edit ]
先日に投稿した記事のこと、夜中に思い出して、
「解ったように、偉そうなこと言うてしもたな」と。
「あかん、あかん、やっぱり消しとこ」と。
消す前に、もう一回、読んでみて、
「やっぱり、そうやで」と。
でも、この子が死んでしまってたら・・・
いろんな考え方の人がいるやろうに、
俺は、ひとりで、頭の中で考えといて、
答えを出そうなどと考えんでもええんやわと。
アホみたいに、痛みで寝られへん頭で考えて、
言い訳を書き足しとこうと。
実は、サッカーが、まだ、まともには出来ないけれど、
ちょっと出来るようになって、
短い距離のパスなら出せるようになって、
少しのズレなら、少々の早いパスも受けれるようになって、
同じ年代、60歳代の試合に、
「おまえも、出てみろ」
先輩の、何よりありがたい励ましの提案。
調子に乗って、試合に出て、
喜んで、かっくんかっくん走って、
左足に負担がかかっているのにも気づかず、
精一杯、走って、
「出来るやんけ」仲間の声が嬉しくて。
次の日から、歩けなくなって、
診断は、「坐骨神経痛」。
疲労しすぎた筋肉が、神経を挟んでしまって、
坐骨神経痛となり、左足の太ももから膝までの痛みになった。
そんなことらしいけど、もう一月になるのに、
しびれ痛いのが治らない。
寝ていても痛いので、
痛み止めの注射を毎日してもらってるけど治らない。
半年くらいはかかるでしょうと。
そんな痛みがあるので、寝られない中、
先日の俺の意見を頭の中で検証していての話。
娘を病気にさせたのは、きっと俺のせいやのに、
「大きな言い逃れ」してるのと、ちゃうの?
娘の人生、めちゃくちゃにしてしもたんは、俺やのに、
「なにを、偉そうに、人生語ってるんや」と。
行ったり来たりの、痛みの中での考察です。
死んでしもたら、身体の不自由もとれて、
痛みもなくなって、また、自由に走れるんかなあ、なんて。
痛みの中での、ぐちゃぐちゃな、あっちこっちの考えの中。
この世に、いなくなった時に、娘が読んでくれる為の、
遺書としての意味を持たせて書いてきたもんやのに、
娘が納得できんような偉そうな意見は書いたらあかんなと、
ちょっと、言い逃れをしとこうかと思って、
投稿したの文章は消さんと、この言い逃れも書いとこうかと。
アホみたいな反省文でした。
「解ったように、偉そうなこと言うてしもたな」と。
「あかん、あかん、やっぱり消しとこ」と。
消す前に、もう一回、読んでみて、
「やっぱり、そうやで」と。
でも、この子が死んでしまってたら・・・
いろんな考え方の人がいるやろうに、
俺は、ひとりで、頭の中で考えといて、
答えを出そうなどと考えんでもええんやわと。
アホみたいに、痛みで寝られへん頭で考えて、
言い訳を書き足しとこうと。
実は、サッカーが、まだ、まともには出来ないけれど、
ちょっと出来るようになって、
短い距離のパスなら出せるようになって、
少しのズレなら、少々の早いパスも受けれるようになって、
同じ年代、60歳代の試合に、
「おまえも、出てみろ」
先輩の、何よりありがたい励ましの提案。
調子に乗って、試合に出て、
喜んで、かっくんかっくん走って、
左足に負担がかかっているのにも気づかず、
精一杯、走って、
「出来るやんけ」仲間の声が嬉しくて。
次の日から、歩けなくなって、
診断は、「坐骨神経痛」。
疲労しすぎた筋肉が、神経を挟んでしまって、
坐骨神経痛となり、左足の太ももから膝までの痛みになった。
そんなことらしいけど、もう一月になるのに、
しびれ痛いのが治らない。
寝ていても痛いので、
痛み止めの注射を毎日してもらってるけど治らない。
半年くらいはかかるでしょうと。
そんな痛みがあるので、寝られない中、
先日の俺の意見を頭の中で検証していての話。
娘を病気にさせたのは、きっと俺のせいやのに、
「大きな言い逃れ」してるのと、ちゃうの?
娘の人生、めちゃくちゃにしてしもたんは、俺やのに、
「なにを、偉そうに、人生語ってるんや」と。
行ったり来たりの、痛みの中での考察です。
死んでしもたら、身体の不自由もとれて、
痛みもなくなって、また、自由に走れるんかなあ、なんて。
痛みの中での、ぐちゃぐちゃな、あっちこっちの考えの中。
この世に、いなくなった時に、娘が読んでくれる為の、
遺書としての意味を持たせて書いてきたもんやのに、
娘が納得できんような偉そうな意見は書いたらあかんなと、
ちょっと、言い逃れをしとこうかと思って、
投稿したの文章は消さんと、この言い逃れも書いとこうかと。
アホみたいな反省文でした。
678.しつけか、虐待か
2016.06.06 [ Edit ]
私が娘にしてきたこと、小さいときの話。
「いつか、父さんを殺そうと思っていた」
娘に、こう、言われた父親。
娘の、父を許せない理由とする一つのエピソード。
「会社の人から、電話がかかってくるから聞いといて」
「私、聞こえへんから、嫌や」
「聞こえるほうの耳で聞いたら、聞こえるやろ」
何の用事だったかは覚えていないが、
私に出かける用事があって、
娘に用件を聞いておくように言って出かけた時の話。
私は、これから先、難聴の娘が生きる為の訓練と考え、
娘は、無理やりの冷たい命令として受け取ったもの。
今から思えば、
知らない父の会社の人からの電話の声を、伝言を、
聞き取る自信が無かった、
とても不安な命令であったのだと思う。
この時、娘は小学生だった記憶がある。
すごい恐怖だっただろうと、
これを聞かされた時は、
娘が心の病気を発症していたときだから、
よけいに、申し訳なく思って、反省した自分がいた。
私は、厳しいということが、
父親の姿だと信じ込んでいたところがある父親で、
実際に厳しかっただろうから恐怖だったと思う。
これは、”虐待”だったのだろうか?
この瞬間、私の行為は、精神的虐待だったのだと思う。
ただ、言い逃れではなく、この瞬間のことに限ると考える。
この瞬間から、時間は経過していく。
親子の時間は、止まらないものなのだと思うのです。
この瞬間から、娘の病気の芽が発生したのかと思う。
そして、娘の病気が現実のものとなってしまい、
父と娘の、病気を間にした付き合いが始まり、
何度となく話し合い、言い争い、共に闘い、
心の叫びを、お互いに掛け合ってきた。
「父さんを殺そうと思っていた」娘は、
「やっと、こんなことが言えた」と、言ってくれ、
「この父さんで、よかった」とまで、言ってくれるようになった。
北海道のやまと君の父親の行為を虐待だと言う識者の方の意見。
私は、この親子にも、止まらない時間があると考えている。
賢い方の意見で、
「この行為が、子供に反省を促すことは無い」
「虐待と言える」ものだと。
科学的な考察であったり、
この行為に瞬間的な判断をくだすとすれば、
そうなるのかもしれないし、
私は、それを否定するものではない。
この父親の行為が原因で、心的外傷の為に、
子供が、心身症を発症するかもしれない。
でも、私は、親子の時間が止まらないこと、
失敗を取り返す時間は、無限にあることに期待したい。
いろんな意見があって、
これが正しいとか、これは間違っているとか、
カッコいい言葉を並べて断定するのは簡単なことです。
この、人生のある瞬間の出来事を、
瞬間のニュースでの断定で済まさないほうがいいと思うのです。
この親子が、失敗をしっかり胸に刻み、
その瞬間の出来事のみで終わらず、
親子が共に生きていく中で、共に成長する過程で、
何度も検証し、思い起こしながら、生きていく。
これは、親子の絆の礎にしていけるものだと思うのです。
この出来事が、”しつけ”と認められても、
”虐待”だと断定されても、
お互いが生きていく中で、検証しつづけていけばいいものだと。
にぎやかなニュースを見聞きして、自分なりに考えてみた話です。
「いつか、父さんを殺そうと思っていた」
娘に、こう、言われた父親。
娘の、父を許せない理由とする一つのエピソード。
「会社の人から、電話がかかってくるから聞いといて」
「私、聞こえへんから、嫌や」
「聞こえるほうの耳で聞いたら、聞こえるやろ」
何の用事だったかは覚えていないが、
私に出かける用事があって、
娘に用件を聞いておくように言って出かけた時の話。
私は、これから先、難聴の娘が生きる為の訓練と考え、
娘は、無理やりの冷たい命令として受け取ったもの。
今から思えば、
知らない父の会社の人からの電話の声を、伝言を、
聞き取る自信が無かった、
とても不安な命令であったのだと思う。
この時、娘は小学生だった記憶がある。
すごい恐怖だっただろうと、
これを聞かされた時は、
娘が心の病気を発症していたときだから、
よけいに、申し訳なく思って、反省した自分がいた。
私は、厳しいということが、
父親の姿だと信じ込んでいたところがある父親で、
実際に厳しかっただろうから恐怖だったと思う。
これは、”虐待”だったのだろうか?
この瞬間、私の行為は、精神的虐待だったのだと思う。
ただ、言い逃れではなく、この瞬間のことに限ると考える。
この瞬間から、時間は経過していく。
親子の時間は、止まらないものなのだと思うのです。
この瞬間から、娘の病気の芽が発生したのかと思う。
そして、娘の病気が現実のものとなってしまい、
父と娘の、病気を間にした付き合いが始まり、
何度となく話し合い、言い争い、共に闘い、
心の叫びを、お互いに掛け合ってきた。
「父さんを殺そうと思っていた」娘は、
「やっと、こんなことが言えた」と、言ってくれ、
「この父さんで、よかった」とまで、言ってくれるようになった。
北海道のやまと君の父親の行為を虐待だと言う識者の方の意見。
私は、この親子にも、止まらない時間があると考えている。
賢い方の意見で、
「この行為が、子供に反省を促すことは無い」
「虐待と言える」ものだと。
科学的な考察であったり、
この行為に瞬間的な判断をくだすとすれば、
そうなるのかもしれないし、
私は、それを否定するものではない。
この父親の行為が原因で、心的外傷の為に、
子供が、心身症を発症するかもしれない。
でも、私は、親子の時間が止まらないこと、
失敗を取り返す時間は、無限にあることに期待したい。
いろんな意見があって、
これが正しいとか、これは間違っているとか、
カッコいい言葉を並べて断定するのは簡単なことです。
この、人生のある瞬間の出来事を、
瞬間のニュースでの断定で済まさないほうがいいと思うのです。
この親子が、失敗をしっかり胸に刻み、
その瞬間の出来事のみで終わらず、
親子が共に生きていく中で、共に成長する過程で、
何度も検証し、思い起こしながら、生きていく。
これは、親子の絆の礎にしていけるものだと思うのです。
この出来事が、”しつけ”と認められても、
”虐待”だと断定されても、
お互いが生きていく中で、検証しつづけていけばいいものだと。
にぎやかなニュースを見聞きして、自分なりに考えてみた話です。
677.娘の病気の出口
2016.04.25 [ Edit ]
いつ頃からだったか、
毎日、娘が家事を担うようになっている。
朝起きると、先ず洗濯機を回す。
洗濯物を干すと、
次は、昨日の洗濯物をベランダから取り入れ、
家族それぞれの衣類を、綺麗にたたむ。
朝起きると言っても、
寝るのが朝方なので、起きるのは昼過ぎ。
だから、夜遅く洗濯機を回すときもある。
普通は、夜遅くなのだが、
うちの時間は、世の中の普通とは少し違うので、
世の中の時間だと、朝早くかな。
4時ごろとか、5時ごろかな。
以前は、明るい時に起きていると、
「汚い」に、気づかされるので、
明るいときは無理やり寝ている娘だった。
最近は、その理由が、ありがたいことに、ちょっとボヤケて、
明るいイコール「汚い」の構図は消えてきている。
洗濯物をたたみ終えると、夕食の準備にかかる。
いろいろな献立、
毎日のことなので、レパートリーが増えてきている。
最初は、食事の後片付けや、料理で出るゴミが大丈夫かなと、
ハラハラもしたが、
そこは、回を重ねているうちに、マシになったように感じる。
この部分は、気をつけて会話には出さないようにしてきた。
弟の仕事に持っていく弁当を入れ始めたのが、
家事へのいざないだったような気もする。
とにかく、強迫に対する闘いが自然に出来たことを、
俺の心の中では、密かに大喜びではある。
但し、思い込みというか、テレビで見たものを作ったりする時、
ちょっと味がおかしい時がある。
長く外食をしていないので、
ほんとの味がわからないところがあるというのもある。
今日も、酢豚を作ったのだけれど、
酢がききすぎて、味が濃過ぎて、
酢の味を弱めるために醬油の量が多くなりすぎ、
酸っぱくて辛いものになりすぎていた。
料理の味に、ちょっと自信のある俺は、
以前なら、
「酢がきつ過ぎるから、酢の量を抑えた方がええで」
こんなふうに言ってしまい、
もっといくと、自分で作り直して、
「これなら、美味いやろ」と、どや顔をしていたものだと思う。
歳が、気を長くさせているものなのか、
黙って、「美味しいな」と、食べるようになっている。
小さい話ではあるが、
俺の、こういうところが、
無言のうちの抑えつけみたいな作用をして、
娘に、「いつか、父さんを殺す」
的な発想を呼んだのかもしれないと思う。
なにもかも、知らないうちに、
抑えつけていたような気がする。
若い父親の、気負い過ぎ、みたいなものだったような。
それを、今は、気をつけ、気をつけ、
努力するようにしている。
それでも、失敗することは多いのだけれど。
娘の病気の、大きな原因は、きっと俺にある。
そんなことを、娘の料理を食べながら、思い知っている毎日だ。
でも、娘のトンネルの出口の灯りが、ぼんやりと、
娘の家事の中に見えはじめているような気がする。
焦らずに、あきらめずに、歩いていこうと思う。
毎日、娘が家事を担うようになっている。
朝起きると、先ず洗濯機を回す。
洗濯物を干すと、
次は、昨日の洗濯物をベランダから取り入れ、
家族それぞれの衣類を、綺麗にたたむ。
朝起きると言っても、
寝るのが朝方なので、起きるのは昼過ぎ。
だから、夜遅く洗濯機を回すときもある。
普通は、夜遅くなのだが、
うちの時間は、世の中の普通とは少し違うので、
世の中の時間だと、朝早くかな。
4時ごろとか、5時ごろかな。
以前は、明るい時に起きていると、
「汚い」に、気づかされるので、
明るいときは無理やり寝ている娘だった。
最近は、その理由が、ありがたいことに、ちょっとボヤケて、
明るいイコール「汚い」の構図は消えてきている。
洗濯物をたたみ終えると、夕食の準備にかかる。
いろいろな献立、
毎日のことなので、レパートリーが増えてきている。
最初は、食事の後片付けや、料理で出るゴミが大丈夫かなと、
ハラハラもしたが、
そこは、回を重ねているうちに、マシになったように感じる。
この部分は、気をつけて会話には出さないようにしてきた。
弟の仕事に持っていく弁当を入れ始めたのが、
家事へのいざないだったような気もする。
とにかく、強迫に対する闘いが自然に出来たことを、
俺の心の中では、密かに大喜びではある。
但し、思い込みというか、テレビで見たものを作ったりする時、
ちょっと味がおかしい時がある。
長く外食をしていないので、
ほんとの味がわからないところがあるというのもある。
今日も、酢豚を作ったのだけれど、
酢がききすぎて、味が濃過ぎて、
酢の味を弱めるために醬油の量が多くなりすぎ、
酸っぱくて辛いものになりすぎていた。
料理の味に、ちょっと自信のある俺は、
以前なら、
「酢がきつ過ぎるから、酢の量を抑えた方がええで」
こんなふうに言ってしまい、
もっといくと、自分で作り直して、
「これなら、美味いやろ」と、どや顔をしていたものだと思う。
歳が、気を長くさせているものなのか、
黙って、「美味しいな」と、食べるようになっている。
小さい話ではあるが、
俺の、こういうところが、
無言のうちの抑えつけみたいな作用をして、
娘に、「いつか、父さんを殺す」
的な発想を呼んだのかもしれないと思う。
なにもかも、知らないうちに、
抑えつけていたような気がする。
若い父親の、気負い過ぎ、みたいなものだったような。
それを、今は、気をつけ、気をつけ、
努力するようにしている。
それでも、失敗することは多いのだけれど。
娘の病気の、大きな原因は、きっと俺にある。
そんなことを、娘の料理を食べながら、思い知っている毎日だ。
でも、娘のトンネルの出口の灯りが、ぼんやりと、
娘の家事の中に見えはじめているような気がする。
焦らずに、あきらめずに、歩いていこうと思う。
676.心の中の慟哭
2016.04.22 [ Edit ]
末娘に息子ができ、
俺の家の中でも、やっと一つ、普通ができたなと喜んでいるところもある。
姉娘が、これをきっかけに、電車に乗れるようにもなり、
妹の子供の面倒をかいがいしくみているところは、微笑ましい光景で、
ひそかにうれしい気持ちにもなってはいるのだけれど、
つらい現実を突きつけられているところもある。
「ええなあ」
「私も子供、欲しいなあ」
笑顔で、そう言いながら、
涙ぐんでいる姉娘を見るたび、
なんというか、胸をかきむしられるような苦しみを感じてしまう。
心の中の慟哭を見せないように我慢している俺がいる。
今日、共に仕事をしていた元の同僚が、
鹿児島から大阪に来ているということで、
昔の仲間が、難波に集まって、大いに笑い、
懐かしい話で、大いに盛り上がった。
俺の身体を皆が心配してくれて、
皆の生活を自分のように、共に気にしあって、
時間を忘れたひと時だった。
その時に、鹿児島から来た、元同僚が、娘はどうなんやと聞いてくれた。
彼は、息子が不良をやっていて高校を中退した時に、
「最近は、高校中退なんて普通のことやから、気にするな」と言ってくれた奴。
その時、俺が、
「お前の息子が高校を辞めても、そう思えるか?」
そう言った時に、
「すまん」と謝ってくれた奴。
今日は、末娘の子供の面倒をみている姉娘を見ていると、
複雑で、苦しくなる話をした時に、
「自分の娘も、結婚せずに、40近いんやけど、孫なんて程遠いわ」、と。
「それぞれの家庭に、不幸、幸福は、入り混じっているものやと思うぞ」、と。
なんか、息子の時と、同じような話やなあと思いながら、
息子の時とは違って、素直に同調できる俺がいた。
それぞれの人生があって、
その中の個人として生きて死ぬ、
そんな中にあって、ここに、こうして仲間と集える、
誘ってくれる仲間がいて、忘れ去られずに、笑い合えていることを喜ぼう。
そう言いあって、納得しあっている、俺と奴がいた。
胸をかきむしられて、心の中で慟哭していても、
なんとか生きていけるものや。
悲しい刹那、嬉しい刹那、
それぞれが交じり合いながらの人生がある。
歳をとって、終盤が近くなった感想だろうか?
いや、そうやない。
そういうものなんやろうと思う。
山あり、谷ありの人生が、それぞれに与えられるものなんやろうと・・・
俺の家の中でも、やっと一つ、普通ができたなと喜んでいるところもある。
姉娘が、これをきっかけに、電車に乗れるようにもなり、
妹の子供の面倒をかいがいしくみているところは、微笑ましい光景で、
ひそかにうれしい気持ちにもなってはいるのだけれど、
つらい現実を突きつけられているところもある。
「ええなあ」
「私も子供、欲しいなあ」
笑顔で、そう言いながら、
涙ぐんでいる姉娘を見るたび、
なんというか、胸をかきむしられるような苦しみを感じてしまう。
心の中の慟哭を見せないように我慢している俺がいる。
今日、共に仕事をしていた元の同僚が、
鹿児島から大阪に来ているということで、
昔の仲間が、難波に集まって、大いに笑い、
懐かしい話で、大いに盛り上がった。
俺の身体を皆が心配してくれて、
皆の生活を自分のように、共に気にしあって、
時間を忘れたひと時だった。
その時に、鹿児島から来た、元同僚が、娘はどうなんやと聞いてくれた。
彼は、息子が不良をやっていて高校を中退した時に、
「最近は、高校中退なんて普通のことやから、気にするな」と言ってくれた奴。
その時、俺が、
「お前の息子が高校を辞めても、そう思えるか?」
そう言った時に、
「すまん」と謝ってくれた奴。
今日は、末娘の子供の面倒をみている姉娘を見ていると、
複雑で、苦しくなる話をした時に、
「自分の娘も、結婚せずに、40近いんやけど、孫なんて程遠いわ」、と。
「それぞれの家庭に、不幸、幸福は、入り混じっているものやと思うぞ」、と。
なんか、息子の時と、同じような話やなあと思いながら、
息子の時とは違って、素直に同調できる俺がいた。
それぞれの人生があって、
その中の個人として生きて死ぬ、
そんな中にあって、ここに、こうして仲間と集える、
誘ってくれる仲間がいて、忘れ去られずに、笑い合えていることを喜ぼう。
そう言いあって、納得しあっている、俺と奴がいた。
胸をかきむしられて、心の中で慟哭していても、
なんとか生きていけるものや。
悲しい刹那、嬉しい刹那、
それぞれが交じり合いながらの人生がある。
歳をとって、終盤が近くなった感想だろうか?
いや、そうやない。
そういうものなんやろうと思う。
山あり、谷ありの人生が、それぞれに与えられるものなんやろうと・・・
675.「頑張らないと」「ひとりだから」
2016.04.13 [ Edit ]
かなさんのコメントを読み返して、深く思う。
昔、1度メールさせていただきました。
今日、そう言えば娘さんどうなったかな?っと思い、検索で辿り着けました。
私は娘さんより1つ歳上で、やっぱり治っていません。
子供が欲しかったです。
子供を通して、友達と遊んだり、家族と笑ったり、
やり直せるかもと思ったけれど、人との繋がりもないし、
自分でもいつ不安定になるのか判らない状態で、
まして男性を受け入れることが出来ないから夢物語です。
自分は甘いんだろうなって思います。
でも、もっと無邪気に甘えて良いときに必死で我慢して結局は今、
脳みその中だけで生きて、何も生産せず、
ぐるぐる思考に振り回されて疲れはてて寝る。
自分が気持ち悪いです。
普通に恋愛して付き合って結婚して子供産んで・・・
特に今の社会は子供のいない独身者に厳しいです。
普通にしたかったことが出来ません。
家族のなかですら、躓いて、
人間関係を築けず病気になる自分が外で誰とどう繋がれるのかも判りません。
毎日、一人で走ってる間だけしんどくて、
頭のなかで色々考えなくて済むけど、身体はきついです。
お孫さんがいて良いですね。
私の愛し、憎悪してる両親にも孫ちゃん抱かせてあげたかったです。
母も私を愛し、今は狂った私を憎悪もしてるんでしょう。
ただただ、怖くて不安で精一杯家族のために動いた結果、
迷惑者になって幼い自分に教えてあげたいです。
逃げて自分の人生を存分に生きて、
自分を幸せにしたら、家族も幸せにする力もつくからって。
意味不明な文になってると思います。
娘さんとお父さん。私と母。共依存ってやつでしょうか。
40歳の誕生日にしねなかったです。
でも、死にたかった。
頑張らないと。
一人だからって思います。
死ぬことなんか考えんといてくれ。
「一人だから」
現実、これは、そうなのかもしれん。
でも、小さな喜び、小さな幸せを待て。
きっと、きっと、いいこともあるから。
痛々しい便りでした。
うちの娘も、こういうふうに考えてるんやろうなと思います。
というか、この”かなさん”が書いてきてくれたようなことを、
私に話すこと、訴えることが、よくあります。
いつまでも若いままだと思っていました、娘も私もです。
何も変わらず、日々を過ごしていて、気がつけば、
62歳の私と、38歳の娘になっていました。
どんな人と結婚しよるんやろ?なんて考えていたら、
「恋もせず、男の人と付き合うことなく40になる」
と、恨み言のような、寂しそうな訴えをしてくる娘がいました。
妹の息子を可愛がる娘、
「私も子供が欲しいなあ」
妹娘が、
「お姉も、まだまだできるやん」と、
励ましともつかない言葉を投げると、
「こんなに薬ばかり飲んでる私には、怖くて子供なんて無理」
諦めとも、自分への慰めともつかない言葉が出てきていた。
かわいらしい、優しい、思いやりのある娘やのに、
かわいそうになあ。
まあ、でも、思いなおして考える。
「かわいそう」なんて思わないでおこう。
きっと、これから、幸せがくる。
漠然と、
漠然とではあるが、この思いを信じていようと思う。
昔、1度メールさせていただきました。
今日、そう言えば娘さんどうなったかな?っと思い、検索で辿り着けました。
私は娘さんより1つ歳上で、やっぱり治っていません。
子供が欲しかったです。
子供を通して、友達と遊んだり、家族と笑ったり、
やり直せるかもと思ったけれど、人との繋がりもないし、
自分でもいつ不安定になるのか判らない状態で、
まして男性を受け入れることが出来ないから夢物語です。
自分は甘いんだろうなって思います。
でも、もっと無邪気に甘えて良いときに必死で我慢して結局は今、
脳みその中だけで生きて、何も生産せず、
ぐるぐる思考に振り回されて疲れはてて寝る。
自分が気持ち悪いです。
普通に恋愛して付き合って結婚して子供産んで・・・
特に今の社会は子供のいない独身者に厳しいです。
普通にしたかったことが出来ません。
家族のなかですら、躓いて、
人間関係を築けず病気になる自分が外で誰とどう繋がれるのかも判りません。
毎日、一人で走ってる間だけしんどくて、
頭のなかで色々考えなくて済むけど、身体はきついです。
お孫さんがいて良いですね。
私の愛し、憎悪してる両親にも孫ちゃん抱かせてあげたかったです。
母も私を愛し、今は狂った私を憎悪もしてるんでしょう。
ただただ、怖くて不安で精一杯家族のために動いた結果、
迷惑者になって幼い自分に教えてあげたいです。
逃げて自分の人生を存分に生きて、
自分を幸せにしたら、家族も幸せにする力もつくからって。
意味不明な文になってると思います。
娘さんとお父さん。私と母。共依存ってやつでしょうか。
40歳の誕生日にしねなかったです。
でも、死にたかった。
頑張らないと。
一人だからって思います。
死ぬことなんか考えんといてくれ。
「一人だから」
現実、これは、そうなのかもしれん。
でも、小さな喜び、小さな幸せを待て。
きっと、きっと、いいこともあるから。
痛々しい便りでした。
うちの娘も、こういうふうに考えてるんやろうなと思います。
というか、この”かなさん”が書いてきてくれたようなことを、
私に話すこと、訴えることが、よくあります。
いつまでも若いままだと思っていました、娘も私もです。
何も変わらず、日々を過ごしていて、気がつけば、
62歳の私と、38歳の娘になっていました。
どんな人と結婚しよるんやろ?なんて考えていたら、
「恋もせず、男の人と付き合うことなく40になる」
と、恨み言のような、寂しそうな訴えをしてくる娘がいました。
妹の息子を可愛がる娘、
「私も子供が欲しいなあ」
妹娘が、
「お姉も、まだまだできるやん」と、
励ましともつかない言葉を投げると、
「こんなに薬ばかり飲んでる私には、怖くて子供なんて無理」
諦めとも、自分への慰めともつかない言葉が出てきていた。
かわいらしい、優しい、思いやりのある娘やのに、
かわいそうになあ。
まあ、でも、思いなおして考える。
「かわいそう」なんて思わないでおこう。
きっと、これから、幸せがくる。
漠然と、
漠然とではあるが、この思いを信じていようと思う。
674.春の渓流に思う
2016.03.21 [ Edit ]
息子が、解禁になった渓流で、岩魚、アマゴを釣って帰ってた。。
脳梗塞発症後、もう数年、渓流には行けていない私。
春は、渓流での釣り、
夏は、海に潜って、サザエ、アワビを採り、
子供たちと、自然を相手に遊ぶことが大好きでした。
渓流では、笛を持って、息子が見えなくなったら、
その笛を吹いて、居場所を確認しながら、
「危ないところに、一人で行くなよ」と声をかけ、
海の岩場に潜っているときは、息継ぎのたびに、
岸近くで貝を探している娘、息子の安全を確認し、
厳しいリーダーとしての父親だった。
脳梗塞前までは、息子が一人で渓流に入ることはありませんでした。
ほんの数年前までは、リーダーの父親だったものが、
「危ない所へ行くな」を、声に出すことも無く、
もう一人前の息子なのだからと、
安心はしていませんが心の中で静かに心配しているだけ。
麻痺の残る左足に、いろんなことを変えてしまわれたなあと、しみじみ。
まだ、年老いたとは思ってないのですが、
渓流の岩場を動き回り、勢いの強い渓流を、滑らず横切る自信はありません。
渓流の澱みに潜む岩魚を釣り上げたい望みはありますが、
麻痺の残る左足、バランスのとり難い身体では仕方の無いこと。
この間、末娘の息子を連れて娘姉妹とレストランで食事をした時、
まだ話せない孫が、奇声を上げて喜びを表せる時に、しみじみ思ったこと。
子供が幼かったころ、レストランで走り回ったり、
大声ではしゃぐこと、絶対に許すことなかったなあと。
「静かにしとけ」
きっと、鬼の形相で、押さえつけていた私がいたのだろうこと。
子供ははしゃぐもの。
笑顔で見といてやればいい。
そんな考え方が出来なかった若い父親だった。
厳しいことが、カッコいいこと。
そんな考え方だったような気がする。
そんな厳しい父親だったので、
娘に、「いつか、父さんを殺そうと思っていた」
そんなふうに思わせてしまったのだろうなあ。
とにかく、弱くなったわけではないと思うが、
考えが優しくなったという表現が正しいのか、
私も、爺さんになったものだなあと、
一人で夜明け前の渓流に出発する息子を見ながら、
少し寂しいような、穏やかでもあるような感慨に浸っていた。
厳しい海の生活を乗り越え、
生まれ故郷の川を、傷だらけになって溯上し、
産卵行動を終えた鮭の一生を、どこか思い出し、ダブらせてしまう。
鮭の一生を思い浮かべながら、
朽ち果ててしまう鮭ではなく、
熊の母親の子育てに、頭の中の映像を切り替えたりしながら、
じっと、静かに考えている自分を見ている。
最後は、孫にサッカーを教えている自分をみながら、
もうちょっと生きたいなあと。
人は、皆、終盤には、こんなことを思うのかなあ・・・
行き着かない思考、未練。
娘が強迫にならなかって、
普通に大人になって、結婚して、子供を産んで、
家庭を持っていたら・・・
終盤は、こういうふうに揺れないで、
自分自身に、もっと、目を向けていたのだろうか・・・
定まらない思考。
・・・の多い自分に苦笑してしまう。
脳梗塞発症後、もう数年、渓流には行けていない私。
春は、渓流での釣り、
夏は、海に潜って、サザエ、アワビを採り、
子供たちと、自然を相手に遊ぶことが大好きでした。
渓流では、笛を持って、息子が見えなくなったら、
その笛を吹いて、居場所を確認しながら、
「危ないところに、一人で行くなよ」と声をかけ、
海の岩場に潜っているときは、息継ぎのたびに、
岸近くで貝を探している娘、息子の安全を確認し、
厳しいリーダーとしての父親だった。
脳梗塞前までは、息子が一人で渓流に入ることはありませんでした。
ほんの数年前までは、リーダーの父親だったものが、
「危ない所へ行くな」を、声に出すことも無く、
もう一人前の息子なのだからと、
安心はしていませんが心の中で静かに心配しているだけ。
麻痺の残る左足に、いろんなことを変えてしまわれたなあと、しみじみ。
まだ、年老いたとは思ってないのですが、
渓流の岩場を動き回り、勢いの強い渓流を、滑らず横切る自信はありません。
渓流の澱みに潜む岩魚を釣り上げたい望みはありますが、
麻痺の残る左足、バランスのとり難い身体では仕方の無いこと。
この間、末娘の息子を連れて娘姉妹とレストランで食事をした時、
まだ話せない孫が、奇声を上げて喜びを表せる時に、しみじみ思ったこと。
子供が幼かったころ、レストランで走り回ったり、
大声ではしゃぐこと、絶対に許すことなかったなあと。
「静かにしとけ」
きっと、鬼の形相で、押さえつけていた私がいたのだろうこと。
子供ははしゃぐもの。
笑顔で見といてやればいい。
そんな考え方が出来なかった若い父親だった。
厳しいことが、カッコいいこと。
そんな考え方だったような気がする。
そんな厳しい父親だったので、
娘に、「いつか、父さんを殺そうと思っていた」
そんなふうに思わせてしまったのだろうなあ。
とにかく、弱くなったわけではないと思うが、
考えが優しくなったという表現が正しいのか、
私も、爺さんになったものだなあと、
一人で夜明け前の渓流に出発する息子を見ながら、
少し寂しいような、穏やかでもあるような感慨に浸っていた。
厳しい海の生活を乗り越え、
生まれ故郷の川を、傷だらけになって溯上し、
産卵行動を終えた鮭の一生を、どこか思い出し、ダブらせてしまう。
鮭の一生を思い浮かべながら、
朽ち果ててしまう鮭ではなく、
熊の母親の子育てに、頭の中の映像を切り替えたりしながら、
じっと、静かに考えている自分を見ている。
最後は、孫にサッカーを教えている自分をみながら、
もうちょっと生きたいなあと。
人は、皆、終盤には、こんなことを思うのかなあ・・・
行き着かない思考、未練。
娘が強迫にならなかって、
普通に大人になって、結婚して、子供を産んで、
家庭を持っていたら・・・
終盤は、こういうふうに揺れないで、
自分自身に、もっと、目を向けていたのだろうか・・・
定まらない思考。
・・・の多い自分に苦笑してしまう。
673.娘の誕生日での気づき
2016.02.09 [ Edit ]
最近、娘の気持ちの調子が絶不調。
以前によく口にしていたフレーズ
「私が邪魔なら殺して欲しい」
「産んで欲しくなかった」
「誰も、何も解ってくれへん」
こんな言葉が次々出てくる。
外の世界、すなわち社会と繋がれていないことからの、
苛立ち解消の手法が見えないところからの焦燥であると思う。
社会との接点が見えない上に、
年齢が、その意識を倍加させているようにも思う。
誕生日までは、まだ2週間ほどあるのだが、
外に連れ出そうと考え、
「ちょっと買い物に付き合ってくれへんか?」
「お父さんの、リハビリ用のトレーニングシューズ欲しいから」
誕生日プレゼントを買いに行こうと言うと、
「いらん」と断られそうなので作戦を考えての誘いだった。
機嫌が悪いので、来るかなあと思っていたが、
黙って、準備をしだした。
車で出発してから、
「父さんの靴と、お前の散歩用のスニーカーも買うわ」
「誕生日プレゼントの先だしにしとくからな」
この会話まで行くと、外の景色を目にした開放感もあり、
ちょっと機嫌が良くなっていた。
助手席から、娘の発言。
「もう39歳にもなるのに、毎年、誕生日プレゼントくれるなあ」
「他の父さんも、39の娘にプレゼントするんやろか?」
ちらっと、娘の表情を確認した上で、
「父さんは、もう63歳になるのに、ほんまは、プレゼントもらう方やで」
「父さん、海外旅行プレゼントするわ」
「こう言われるのが、普通の歳やで」
笑いながらの私の答え。
「そうやなあ」
「まあ、働いてへんから許しといて」
娘も、笑顔で終わったので、一安心。
スポーツショップに着くまでの車中、
しばらく無言で考えていたこと。
ついでに孫の歩行器、買ってやろうかな、
孫への、その思いから続いて、
孫には、文句なしに、孫が喜ぶことを考えるけど、
子供には、これを買ってやるのは、
甘やかしていることになるかなあとか、
贅沢すぎるぞとか、
我慢させたほうが子供の為やとか、
いろいろ面倒な理由付けしていたなあと。
なにも考えずに、優しくしてやるということが無かったなあ。
無条件で可愛がるということ、
笑顔だけで接すること、
甘やかすという意味でなく、そういうふうに出来る人もおるのに、
俺は、粋がった父親やったなあ。
体罰も与えたし、厳しい父親すぎたなあ。
孫が喜ぶことは、無条件降伏やのに、
62歳、年とったということなんかなあ。
時すでに遅しかもしれんけど、今からでも、
穏やかな、笑顔のみで接してやれる父親になってやろう。
せめて、病気を精一杯理解してやろう。
そんなことを、39歳の娘の誕生日に気づき、考えたものでした。
以前によく口にしていたフレーズ
「私が邪魔なら殺して欲しい」
「産んで欲しくなかった」
「誰も、何も解ってくれへん」
こんな言葉が次々出てくる。
外の世界、すなわち社会と繋がれていないことからの、
苛立ち解消の手法が見えないところからの焦燥であると思う。
社会との接点が見えない上に、
年齢が、その意識を倍加させているようにも思う。
誕生日までは、まだ2週間ほどあるのだが、
外に連れ出そうと考え、
「ちょっと買い物に付き合ってくれへんか?」
「お父さんの、リハビリ用のトレーニングシューズ欲しいから」
誕生日プレゼントを買いに行こうと言うと、
「いらん」と断られそうなので作戦を考えての誘いだった。
機嫌が悪いので、来るかなあと思っていたが、
黙って、準備をしだした。
車で出発してから、
「父さんの靴と、お前の散歩用のスニーカーも買うわ」
「誕生日プレゼントの先だしにしとくからな」
この会話まで行くと、外の景色を目にした開放感もあり、
ちょっと機嫌が良くなっていた。
助手席から、娘の発言。
「もう39歳にもなるのに、毎年、誕生日プレゼントくれるなあ」
「他の父さんも、39の娘にプレゼントするんやろか?」
ちらっと、娘の表情を確認した上で、
「父さんは、もう63歳になるのに、ほんまは、プレゼントもらう方やで」
「父さん、海外旅行プレゼントするわ」
「こう言われるのが、普通の歳やで」
笑いながらの私の答え。
「そうやなあ」
「まあ、働いてへんから許しといて」
娘も、笑顔で終わったので、一安心。
スポーツショップに着くまでの車中、
しばらく無言で考えていたこと。
ついでに孫の歩行器、買ってやろうかな、
孫への、その思いから続いて、
孫には、文句なしに、孫が喜ぶことを考えるけど、
子供には、これを買ってやるのは、
甘やかしていることになるかなあとか、
贅沢すぎるぞとか、
我慢させたほうが子供の為やとか、
いろいろ面倒な理由付けしていたなあと。
なにも考えずに、優しくしてやるということが無かったなあ。
無条件で可愛がるということ、
笑顔だけで接すること、
甘やかすという意味でなく、そういうふうに出来る人もおるのに、
俺は、粋がった父親やったなあ。
体罰も与えたし、厳しい父親すぎたなあ。
孫が喜ぶことは、無条件降伏やのに、
62歳、年とったということなんかなあ。
時すでに遅しかもしれんけど、今からでも、
穏やかな、笑顔のみで接してやれる父親になってやろう。
せめて、病気を精一杯理解してやろう。
そんなことを、39歳の娘の誕生日に気づき、考えたものでした。
672.当たり前が「出来た」喜び
2016.01.15 [ Edit ]
末娘から、姉娘への電話。
「おねえ、あいまる、子守してくれへんか」
末娘の旦那は、脱サラして、
銀の装飾品を製作して販売しているのだが、
こんな趣味みたいなことしてて家族を養えるのかなあ?
私の、これまた不安要因になっている。
そんな銀細工のホームページを見て、
台湾から、大量に注文が入ったらしい。
一回目の注文が入ったと聞いたとき、
嬉しいことではあったが、心配で、
「金が振り込まれたのを確認してから納品しいや」
「コピーされんように、自分のロゴみたいなもの彫っておきや」
いらないお節介かもと思いながら。
無事に納品した後、追加のオーダーが入ったことを聞いて、
ちょっと安心していたところに、
台湾から、買ってくれた会社の役員が日本に来て、
工房を見にくるので、中国語が出来る末娘が接待係り兼、通訳として、
同行するのに、息子の子守を、姉娘に頼んできたものであった。
私がクルマで送って行かなかったら、電車で行く以外にない。
私は、電車に乗れない娘が、これで、電車に乗れたらと考え、
聞こえないフリを通していた。
「父さん、送ってや」ということになったら仕方ないけど、
妹からの頼みを聞く姉として、
自分で行動してくれたら、ありがたいと、
妹から姉への依頼は、妹娘から聞いていたが、
「父さんには、言ってないことにしといてや」と、
妹娘には言っておいた。
台湾からの来賓、その当日になって、
娘が早めに起きてきた時。
前立腺癌の放射線治療を終えてから、
小便がとても近くなってしまって、
今までは、会社時代なんか、
「なんで会議中に何度もトイレに行くねん」
なんて、人に言っていたほど、
トイレに行くことが少なかった私からは考えられないほど、
小便が近くなってしまっている私が、
トイレに行きたいなあを我慢しながら、寝たフリを続けていた。
薄目を開けて見てみると、娘が化粧をしている。
行くのかなあ?
送って行けと声がかかるのを知らんフリで通そうと、
近い小便を我慢しながらのコタツでの寝たフリだった。
化粧が終わって、着替えて出て行った。
玄関が開いて、閉まる音を聞いて、トイレに走った。
「行きよった」
「電車、乗れるかなあ?」
すごい不安感。
急いで支度をして、妹娘のマンションへクルマで出発したものの、
電車に乗れないで、泣きながら電話がかかってくるかもと、
家に戻ってきた。
そわそわしながら、
「落ち着け」と自分に声をかけて、
風呂に入ってから行くことにしようと。
風呂に入っている間に、娘から電話が入っていた。
折り返し、電話をかけたけれど、留守電になる。
三度、間をおいてかけたけれど、留守電なので、
「電車に乗れたんやろ」
と、思って、出発した。
妹娘のマンションに着く直前に、姉娘からメールが入り、
「妹の家に来てます」
「電話したのは、電車が遅れてて、野洲行きが来たんやけど、
近江八幡は、野洲より遠かったのか聞きたかっただけやし」
ということだった。
「ああ、よかった」
37歳の娘が電車に乗れたことに対して、
これだけホッとする親父。
アホみたいな話やろうなあ、普通の人から見たら。
解らへんわなあ、普通の生活を送れてる人にはなあ。
「おねえ、あいまる、子守してくれへんか」
末娘の旦那は、脱サラして、
銀の装飾品を製作して販売しているのだが、
こんな趣味みたいなことしてて家族を養えるのかなあ?
私の、これまた不安要因になっている。
そんな銀細工のホームページを見て、
台湾から、大量に注文が入ったらしい。
一回目の注文が入ったと聞いたとき、
嬉しいことではあったが、心配で、
「金が振り込まれたのを確認してから納品しいや」
「コピーされんように、自分のロゴみたいなもの彫っておきや」
いらないお節介かもと思いながら。
無事に納品した後、追加のオーダーが入ったことを聞いて、
ちょっと安心していたところに、
台湾から、買ってくれた会社の役員が日本に来て、
工房を見にくるので、中国語が出来る末娘が接待係り兼、通訳として、
同行するのに、息子の子守を、姉娘に頼んできたものであった。
私がクルマで送って行かなかったら、電車で行く以外にない。
私は、電車に乗れない娘が、これで、電車に乗れたらと考え、
聞こえないフリを通していた。
「父さん、送ってや」ということになったら仕方ないけど、
妹からの頼みを聞く姉として、
自分で行動してくれたら、ありがたいと、
妹から姉への依頼は、妹娘から聞いていたが、
「父さんには、言ってないことにしといてや」と、
妹娘には言っておいた。
台湾からの来賓、その当日になって、
娘が早めに起きてきた時。
前立腺癌の放射線治療を終えてから、
小便がとても近くなってしまって、
今までは、会社時代なんか、
「なんで会議中に何度もトイレに行くねん」
なんて、人に言っていたほど、
トイレに行くことが少なかった私からは考えられないほど、
小便が近くなってしまっている私が、
トイレに行きたいなあを我慢しながら、寝たフリを続けていた。
薄目を開けて見てみると、娘が化粧をしている。
行くのかなあ?
送って行けと声がかかるのを知らんフリで通そうと、
近い小便を我慢しながらのコタツでの寝たフリだった。
化粧が終わって、着替えて出て行った。
玄関が開いて、閉まる音を聞いて、トイレに走った。
「行きよった」
「電車、乗れるかなあ?」
すごい不安感。
急いで支度をして、妹娘のマンションへクルマで出発したものの、
電車に乗れないで、泣きながら電話がかかってくるかもと、
家に戻ってきた。
そわそわしながら、
「落ち着け」と自分に声をかけて、
風呂に入ってから行くことにしようと。
風呂に入っている間に、娘から電話が入っていた。
折り返し、電話をかけたけれど、留守電になる。
三度、間をおいてかけたけれど、留守電なので、
「電車に乗れたんやろ」
と、思って、出発した。
妹娘のマンションに着く直前に、姉娘からメールが入り、
「妹の家に来てます」
「電話したのは、電車が遅れてて、野洲行きが来たんやけど、
近江八幡は、野洲より遠かったのか聞きたかっただけやし」
ということだった。
「ああ、よかった」
37歳の娘が電車に乗れたことに対して、
これだけホッとする親父。
アホみたいな話やろうなあ、普通の人から見たら。
解らへんわなあ、普通の生活を送れてる人にはなあ。
671.娘と見た初日の出
2016.01.12 [ Edit ]
今年は、比叡山に行かなかった。
毎年の根本中堂参拝への気力が、娘にも私にもなかった。
「比叡山、行こうか?」
「う~ん、やめとくわ」
こんな娘との短い会話で、恒例の行事は取り止めに。
新年を迎えた午前0時、近所の神社に娘が一人で参拝。
2時ころ、お守りを買って戻ってきた。
黙ってお守りを差し出す娘が、どことなく寂しそうなので、
猫のようにコタツに、すっこんでいた私は、
「三井寺に行こうか?」
娘を誘ってみた。
「行ってみよか」
「開いてるのかな?」
娘が行く気になったので、着替えて出発。
一月一日とは言え、午前五時の三井寺は、
除夜の鐘、その他の年越し行事も終了し、
真っ暗で、駐車場に停まっている車も一台もなかった。
「この時間に、初詣は初めてやなあ」
「夜が明けたら、また、たくさんの人が来るんやろう」
ほぼ二人きりの、真っ暗な初詣。
本堂だけに明かりが灯っていて、年越しの次の読経なのだろう、
僧侶の読経を聞きながら、蜀を灯し、香をたいて、お参りさせていただいた。
そして、薄明かりになってきた空を眺め、
初日の出、見て帰ろうかと娘が言うので、
病気がひどかったころ、会社に出勤しなければと思いながら、
琵琶湖に浮かんでくる日の出、よく見たなあと、
しみじみ思い出しながら、
あれから比べると、マシになったなあと、
これも、しみじみと考えていた。
泣き叫ぶことも、ほぼ無くなったし、
暴れることも無くなった。
とは言え、安心はしていないけれど、
娘が大人の歳になったからかなあ?
毎年の根本中堂参拝への気力が、娘にも私にもなかった。
「比叡山、行こうか?」
「う~ん、やめとくわ」
こんな娘との短い会話で、恒例の行事は取り止めに。
新年を迎えた午前0時、近所の神社に娘が一人で参拝。
2時ころ、お守りを買って戻ってきた。
黙ってお守りを差し出す娘が、どことなく寂しそうなので、
猫のようにコタツに、すっこんでいた私は、
「三井寺に行こうか?」
娘を誘ってみた。
「行ってみよか」
「開いてるのかな?」
娘が行く気になったので、着替えて出発。
一月一日とは言え、午前五時の三井寺は、
除夜の鐘、その他の年越し行事も終了し、
真っ暗で、駐車場に停まっている車も一台もなかった。
「この時間に、初詣は初めてやなあ」
「夜が明けたら、また、たくさんの人が来るんやろう」
ほぼ二人きりの、真っ暗な初詣。
本堂だけに明かりが灯っていて、年越しの次の読経なのだろう、
僧侶の読経を聞きながら、蜀を灯し、香をたいて、お参りさせていただいた。
そして、薄明かりになってきた空を眺め、
初日の出、見て帰ろうかと娘が言うので、
病気がひどかったころ、会社に出勤しなければと思いながら、
琵琶湖に浮かんでくる日の出、よく見たなあと、
しみじみ思い出しながら、
あれから比べると、マシになったなあと、
これも、しみじみと考えていた。
泣き叫ぶことも、ほぼ無くなったし、
暴れることも無くなった。
とは言え、安心はしていないけれど、
娘が大人の歳になったからかなあ?