最近ハイハイができるようになってきて、日々の成長スピードに驚かされることが多くなってきました。 そして、そんな息子を見ていてふと考えたことがあります。
それは「子供に費やす時間について」なのですが、休日や平日の夜など、妻が家事をしていて手が離せないときは、僕が息子の寝かしつけをすることが多いです。 その時間帯は絵の仕事をする時間でもあるので、息子の寝かしつけをすることで、その貴重な仕事時間が削られることになります。
妻は「仕事を中断して寝かしつけしてくれてありがとうね」といつも言ってくれますが、この息子の寝かしつけに費やす時間というのは、自分にとってどんな時間なのか考えてみました。
子供に費やす時間は将来絶対後悔することのない時間
そして、わが子に費やす時間というのは
「きっとどれだけ子供と関わる時間が増えて、自分のやりたいことができなくても、子供に割いた時間のことを将来後悔することはないだろう」
という結論に達しました。
自分は後々後悔することがすごく嫌なので、後悔の無いようやりたいことはやるタイプなのですが、子育てに関していえば、極論「もっと一緒に遊んであげればよかった」とか「もっと育児に対して協力的になればよかった」という後悔をすることはあっても、「あんなに子供と遊ぶんじゃなかった」とか「育児よりももっと仕事を優先させた方が良かった」とはならないんじゃないかと思っています。
妻の手が離せない時に子供が泣くと、自分が仕事中でも中断してあやしに行きますし、そのせいで仕事がはかどらないことも無くはないですが、将来的にこの数十分の時間が絶対愛おしくなる時がやってくるのを、容易に想像できます。
どんだけ息子に時間を割いても、抱っこじゃなきゃ泣き止まない頃の息子を懐かしく思って「もっと抱っこしてあげれば良かったかなぁ」なんて懐かしみながら思い出す日が来るんです。
毎日の息子の成長を目の当たりにしていると、今一瞬一瞬がどれだけ貴重な物か身に沁みます。過ぎ去っていく毎日が本当にあっという間で、何もできない赤ちゃんだった息子の状態を記憶にとどめるのが追いつかなくなってきています。
これはあくまで、僕自身の「将来後悔するかどうか」という物差しでの考え方なので、育児に割く時間についての考え方のほんの一つでしかありませんが「息子に時間をどれだけ割いても割き過ぎることはないし、将来的にもそれによって後悔することはない」と考えることによって、毎度夜泣きしている息子のもとに駆けつけるときにやさしい気持ちで寝かしつけをしてあげることができています。
それでも、僕がこうやって余裕を持ちながら自宅で絵の仕事ができているのも、本当に大事な所は僕の仕事の邪魔にならないように妻が息子の面倒をみてくれているからなんですけどね。
ホント妻には感謝です。
過ぎた時間を取り戻すことはできない。だからこそ意識的に今を楽しむ
このような考え方になるのは、自分ではごく自然なのですが、妻もすんなりと理解してくれます。
妻が看護師をしていた経験からよく言うのが、
「体を壊して入院してくる患者さんたちは、自分の健康が害されて初めて健康の大切さに気が付いて、野菜ジュースを飲んだり、タバコをやめたりする」
ということ。
取り返しがつかなくなってから気が付いて行動する人が本当に多いこと多いこと。
僕自身も学生時代の病院実習で同様の経験がありますが、「過ぎ去ってから大切だったと気付く」のは嫌だな、何とかしてその時に大切なことはその時に気付いて後悔しないようにしたいな、と常々思っています。
阿久悠さんの作詞した曲に、
夢は砕けて夢と知り愛は破れて愛と知り時は流れて時と知り友は別れて友と知り
という言葉があります。
何かを失ってから知るという事は、やっぱり悲しいですね。
「あの頃は自分は幸せだったんだな」と振り返ることでOKならばそれもありなのかもしれませんが、やっぱり自分は失う前に気づきたいです。
「あの頃は自分は幸せだったんだな」と振り返ることでOKならばそれもありなのかもしれませんが、やっぱり自分は失う前に気づきたいです。
人生、後悔することなく全てをやりきるというのは難しいですが、子育てに関しては、今がどんなに貴重で幸せな時間なのかをしっかりと噛みしめながら、日々過ごすようにしたいなと感じてます。
前述した詩になぞらえると、「赤ちゃんは成長して赤ちゃんと知り」とでもなるのでしょうか。
独りでは何にもできない赤ちゃんを育てるから大変なのですが、独りで何もできないからこそ赤ちゃんなんですよね。赤ちゃんが成長して、それまでできなかったことが少しずつ無くなっていくスピードは本当に早いです。
「息子が夜泣きして、仕事部屋から駆け付けて寝かしつけるという事を、あとどれくらいの回数やるんだろう。もしかしたら、今回が最後かもしれないな」
いつもそう思いながら、息子の寝かしつけに必須のバランスボールに乗りながら、ボヨボヨと寝かしつけをしています。
そして、また次の日に息子の泣き声が寝室から聞こえてくると「早く寝てくれないかな、、」と思いながらも「まだ寝かしつけが必要なんだな、まだうまく寝れないんだな」と寝かしつけが必要な息子の姿を見て安堵する自分がいます。
何かがうまくできていない姿を、どうにか少し記録に残しておきたい、、
最近ではそんなことも思い始めています。
<過去記事>