だから僕らが女の子すなわち顧客の前で振舞うべきは、他にもたくさんの顧客を抱えているという虚勢そのものである。絶対に顧客に寄り添い、なだめ、安心させてはならない。彼女らが真に欲しているのは、皮肉にも「手に入りそうで、手に入ったけど、いまにも手のひらからこぼれて落ちてしまいそうな劣悪なサービスベンダー」なのである。
僕は女の子が好きすぎてどうしょうもないのである。その一方でときどき僕のことを好きで好きでどうしょうもないという激しくwelcomeな女の子が目の前に現れるのである。
女の子を顧客に例えるなら、僕らは需要側でもあり、供給側でもある。僕らが提供できるサービスとその寿命は顧客の評価次第である。しかし「スキスキライフサイクル」を考えた場合、顧客を最大限満足させるには、むしろ満足させないでおくのが最適なのである。以下、これについて考えたい。これは僕の悲しき遠吠えである。ぜひ最後までお読みいただければと思う。
「スキスキライフサイクル」とは
これは女の子すなわち顧客が、諸君という存在に対して興味を抱き、関心をよせ、熱烈なファンとなり、やがて情熱が色褪せていくまでの軌跡を描いた概念である。
縦軸は自身に対する女の子の任意の熱量、横軸は時間の経過を示している。擬似的な「製品ライフサイクル」のグラフの概念に近い。
この顧客の熱量グラフで頂点をいかに長続きさせるか、もしくはライフサイクルを早々に終了させ、いかに顧客の回転すなわちユーザー数を上げていくのかが僕ら男に課された永遠の使命である。
「スキスキライフサイクル」前半の様子
初等経済学で例えるなら、僕の需要曲線はx軸に限りなく近い、かつx軸に平行に走らされている。したがって目の前で女の子が僕に関心を示そうものなら瞬間的に僕らの需要曲線と供給曲線の交点がグラフ上に激しくプロットされる。まずは机の上でもって互いの魂の交わりが産声をあげるのである。
そんな女の子たち(一部の女友達を除く)はほぼ必ずといっていいほど僕を下の名前で「ちゃん」付けしてくるのである。
水分を多く含んだその瞳たちが放つ魅力は、女の子が大好きでたまらない僕を一瞬にして虜にしてしまう。そんな瞳が放つ魅惑的な目線を回避するのは全くもって不可避。あまりの水分量によってその子の瞳の奥に逆さまに映し出されているであろう僕の姿。同時進行で僕は目の前の女の子を脳裏に焼き付けている。机上の空論のその先に互いの存在を確かめるための前座が用意されるのである。
女の子は惜しみないキスをブサメンの僕に浴びせたかと思えば、彼女らは決まって僕にこんなセリフを放つのである。
「どうせたっちゃんは他にも女の子がいるんでしょ?」
これに対する理想的な答えは後述する。
「スキスキライフサイクル」の中盤の様子
諸君、心して聞いてほしい。
ゲリラ豪雨のような接吻の雨を食らった場合、もうその子は僕が提供するサービスにはこれ以上大きな魅力を感じられずに新しい製品サービスへの浮気の準備を整えているのである。
僕は自らのわずかな経験から、帰納的に女の子の「スキスキライフサイクル」を捉えることができたのである。
話を戻そう。この段階で当該女の子は「スキスキライフサイクル」では急激な傾きを抱えたまま、あと一歩まで迫る頂点を目指しているのである。もうてっぺんは見えたものである。最近の女の子の「スキスキライフサイクル」は時間的に著しく短い。そのぶんグラフ上では大きなうねりを見せているのである。そう、激しい感情のうねりがキスとして熱帯雨林に降り注ぐバケツをひっくり返したかの如くのスコールとして僕の肌を打ち付ける。僕らはすでにホテルに逃げ込んだばかりであるから、これ以上は物理的に逃げも隠れもできないのである。しかと受け止めよう。
雨がやんだところでいよいよ目の前の女の子と肉体を超克した魂の叫びをアカペラで奏でるのである。
もし彼女に聞こえしハーモニーの類が不協和音を含んでいようものなら、この段階で交響楽団は活動中止ないしは解散にまで追い込まれてしまう。それを未然に防ぐためにも、ベッドの上では目の前の顧客を注意深く観察する必要が生じるのである。そして顧客の求めに対してひとつひとつ丁寧にサービスとして提供するのである。あくまでベッドの上での話である。
運良く顧客がリピーターになっても気をぬくことはできない。彼女らは僕の提供する製品にさらなるブラッシュアップとアップデートを潜在的に需要しているのである。
「スキスキライフサイクル」の険しい崖と対処法
ここからが運命の分かれ目だ。この顧客に心血注いで優良顧客へと変貌させようにも、時間的なコストと他の顧客との兼ね合いが頭をよぎることであろう。果たして目の前の顧客はふたたび僕のサービスを欲するだろうか。この子のために割くべき時間と労力は他を犠牲にしてでも投じるべきなのか否か。
こんな深き悩みは現実世界における数秒で答えを出さなければならない。先ほどの問いかけ
「どうせたっちゃんは他にも女の子がいるんでしょ?」
これだ。このように問われたとき、諸君はいかに立ち振る舞うべきか。もし諸君が目の前の顧客と末長い取引関係を結ぼうと望むなら、間違いなく、
「ご想像にお任せするよ」
と答えなければならない。
ここで顧客に対するマーケティングを僕は幾度もしくじってきた。決して、
「君しかいないよ」
なんてアホをかましてはいけないのである。
女の子すなわち顧客が太陽フレア顔負けの熱量を諸君に放っている場合はなおさらだ。
顧客に対して「他にもいるよ」感をそことなく匂わせなければならない。
決して顧客とまともに向き合ってはいけないのである。
「スキスキライフサイクル」における考察
これには大きな理由が存在する。
先ほど述べたように、女の子の「スキスキライフサイクル」はベッドインと同時にあるいはベッドアウト直後にピークを迎えることが多いのである。(個人談)ピークを打った後にはあとで減衰していくだけなのである。
そう、ピークとは安心感とも言い換えられる。
顧客は我々自身を安心できるサービスかどうかを常に判断しようとしている。その安心できるサービスと認定されれば最後、顧客は諸君を所詮は替えの効くコモディティだとフォルダ分けしてしまうのである。
なぜか。それは手を伸ばせば届くか届かないか、といった距離感がもっとも彼女らを熱狂させていることにある。追えば追うほど魅力に駆られ、近づけば近づくほどその実体をリアルに捉えたくなるのだ。
ところがである。顧客はなんとぜいたくなことであろう。手に入ってしまえば一気に見劣りがするとでも思っているのである。僕は「スキスキライフサイクル」の罠に幾度も陥り、その子達からの好意の返報がほぼ100%仇となってきたのである。先月もそうであった。
考えてみてほしい。日本の夫婦の現状を。
考えてみてほしい。数年付き合ったカップルに漂うどことない倦怠感と色褪せたシルエットを。彼らに足りないのは新鮮さと、不安なのである。目の前の愛しき想い人が、明日突然いなくなるとしたら。このような緊張感があればいくらでもドキドキ感をプレゼントさせられるではないか。それが各々カップル、もしくはBeneficial relationshipを長続きさせる一つの大きな要素である。
僕らがしなければいけないこと。それはすなわち「スキスキライフサイクル」のピークをいかに長く保ち、熱量減退のタイミングをいかに後ろに持ってくるかである。
僕らは決して顧客を満足させてはいけない。
僕らの顧客は、一度でも満足させてしまえば一気にアップデートと追加サービスを要求してくる。繰り返しになるが、それに応えられなき無知無垢な僕は幾度となく優良顧客たちの奴隷と化してきたのである。
だから僕らが女の子すなわち顧客の前で振舞うべきは、他にもたくさんの顧客を抱えているという虚勢そのものである。絶対に顧客に寄り添い、なだめ、安心させてはならない。
彼女らが真に欲しているのは、皮肉にも「手に入りそうで、手に入ったけど、いまにも手のひらからこぼれて落ちてしまいそうな劣悪なサービスベンダー」なのである。
まとめ
情熱的な想いもその灯火も、すべては諸君の手にかかっている。
ハンドリングをミスれば余計な労力と時間の投下を余儀なくさせられる。
その一方で、上手く立ち回る、すなわち自らを相手の手中に収めることをせずに適度な距離感と温度感で顧客と向き合うのである。決して顧客のニーズに応えようとしてはならない。「手に入りそうで入らない」状態をキープするのである。
しかし、あまりに手の届かない現実を見せつけると、それはそれで顧客の購買欲求を見す見すドブに捨てることになる。なので、このさじ加減こそ、顧客と御社の相互の幸福が左右されるのである。
以上がチャラくありたき彼女いらないよ精神の一片であり、先月顧客を失ってしまった僕の備忘録でもある。情けなきから情け深い教訓を得ようとする僕に哀れみの眼差しを向けてもらえれば至幸である。
「スキスキライフサイクル」の深淵を覗くか否かは諸君の手にかかっているのである。