皆様ごきげんよう。
ロサ・キノンシス・アン・ブトゥン・プティ・スールのキノです。
なんのこっちゃわからない方が速攻で去って行ってしまいそうので冗談はここまでとして早速本題に入るとしよう。
記事タイトルの通り、私は中学高校時代にいわゆるお嬢様学校に通っていた。ごく普通の平凡な家庭だったのだけど、両親はかなり無理をしてくれたのだろう。入学が決まった時は喜んでもらえたし、私自身もお嬢様学校という響きに歯がゆくも、誇りに思ったものだった。
しかし、子供ながらにあまりに場違いな気もして初登校の時はそれはそれは緊張し、前日は一睡もできなかったし、校門前で足ががくがくと震えた。その感覚は今でも覚えている。
案の定、同級生は筋金入りのお嬢様ばかり。日々カルチャーショックを受けながら学園生活を過ごし、それらの一つ一つの経験は思春期真っ盛りな当時の私の人間形成において、大きな影響を及ぼしたと言っても過言ではない。
そもそも中学受験というと、本人よりも親の意思である程度学校が決まる傾向にある。当時の思い出を振り返りつつ、子供から見てどう感じたのか、そして卒業後十数年経った今どう思うのかを書いていくとしよう。
今日はそんなお話。
周りとのギャップに苦しさ半分、楽しさ半分。
Lesson1:周りの学生がどれくらいのお嬢様なのか。
一言で「お嬢様」といっても、人それぞれ「お嬢様の定義」が違うと思うのでまず触れておかねばなるまい。
- 「マクドナルドを利用したことがない」
- 「クレヨンしんちゃんを見せてもらったことがない」
- 「駅のホームにある水飲み場を利用するような人とは、仲良くしてはいけない家庭方針」
など常識では推し量れないレベル(※あくまで個人の感想です)の究極のお嬢様もいたが、それは極一握りといっていい。
- 話し方、立ち振る舞い
- 趣味思考
- 所有物
など判断基準は様々あるかもしれないが、良い意味でも悪い意味でもこれらだけではとてもお嬢様と思えないような人も沢山いた。つまり実際に関わって話をしてみると、まったくもって普通の人が多かったのだ。
そこで、記事を書くにあたってお嬢様の定義の概念を考えてみたのだが「お嬢様の定義=親の仕事がすごい」という結論に至った。確か学生名簿の名前と住所の横に親の仕事内容という欄があった。
当時、正確に統計を取ったわけではないが「医療系」に親が関わっているケースがやたら多い。
内科、外科、皮膚科、歯科、美容外科、獣医などバリエーションも豊富で、仮に通学中何らかの怪我や病気に見舞われてもクラスメイトの誰かに頼めばなんとかしてくれそうな頼もしさがあった。さらにその他経営者、官僚、博士、芸術家、芸能人などそうそうたるメンツがひしめき合っている。
もちろん、私のように上に当てはまらない家庭もあったが、少数派だったのは間違いない。先程も述べたように、いざ話してみると意外と普通な彼女達でもバックボーンはやたら凄かった。
Lesson2:家に遊びに行くと、格の違いを見せつけられる。
一般的に仲良くなると、家にお呼ばれするというのはよくある話だ。私も学生時代、数々の友人の家に遊びにいったものだがここでまず衝撃を受ける。
例えば、初めて遊びに行った友人の家にはエレベーターがついていて驚いた。目的階のボタンを押して扉が開くと、そこが子供部屋だったりリビングだったりするのだ。
我が家においては、部活に疲れ果てた日もどんなに眠くても、階段を上らなければ己のベッドにたどり着けない。全くうらやましい限りだった。
その他にも、珍しいペットを飼っていたり、家にトイレがいっぱいあったり、お手伝いさんがいたり、庭に池があったり、自家用船に乗せてもらったりと、様々なご家庭で目にした経験した事が非常に刺激的なものばかりだった。
「プレイステーションを起動するにはお父様の許可が必要」というハウスルールが存在する家庭もあり、友人と一緒にそのお父様にお願いをしに行った経験もある。
このようなカルチャーショックを受ける一方、平凡な我が家には人を招きづらいという弊害もあった。友人の「遊びに行きたい」という声に対して、何らかの理由をつけて断ることが多かった。
Lesson3:そこに百合は存在するのか。
これに関しては「お嬢様学校だから」という方程式があまり当てはまらないのだが、よく聞かれるので触れておこう。
結論から言えば、同性愛は存在する。そういった人が集まるグループもあれば、憧れの的となるカリスマ性を持った生徒もいた。
平凡な私ですら何度か同性から告白をされたことがある。入学して最初に告白をされた相手は部活の大先輩だった。
彼女は非常にストイックな人物で腹筋がきれいに6つに割れていた。彼女から「腹筋あみだくじ」なる儀式をよくやらされていた事をこの記事を書きながらふと思い出してしまいモヤモヤしているのだが、 「腹筋あみだくじ」のルールについては20分かけ作成した下の図をみて察してほしい。
庶民には到底理解できない戯れが、そこには存在していた。
くれぐれもオリジナル腹筋あみだくじをツイッターやインスタグラムに投稿するなどしてはならない。
Lesson4:夏休みの課題がいちいち優雅。
時期的に触れておきたいのが夏休みの課題である。特に、同級生の作成する自由研究では毎年度肝を抜かれていた。
「世界を一周して気付いた日本人の特性」「アフリカ縦断中に見た動物の写真集」などタイトルからして非日常感が漂っており、そのクオリティも高かった。ブログ記事であればおそらくホッテントリ入りしていたことであろう。
アサガオの成長研究ではとても太刀打ちできなかった。
また、書道では「6文字以上使用して何か書け」という課題に対して「モルディブの紺碧」やら 「沈魚落雁閉月羞花」といったように無駄に優雅だった。
一方私は不覚にも「6文字以上」のルールを無視して「平和」としたため提出し、そのいびつな2文字は翌朝から全校生徒の目に触れるように掲示されるという辱めを受け、心に傷を負った。
Lesson5:勉学の成長スピードが異常。
これは、同じ境遇にある人にはぜひ注意喚起したい点である。ついこの前まで同レベルの成績だった友人が、受験シーズン前になると恐ろしいスピードで成長するのだ。
もちろん基本的には本人の努力による賜物なのだが、そこには予備校に通いつつ・通信教育をこなし・家庭教師で総仕上げをするといった完全無欠なチートが存在する。
本当にあっという間において行かれるので、決して同じ感覚でのんびり過ごしてはいけない。ここは私自身失敗してしまったのだが、常日頃からコツコツと努力をしておくことが重要だと思う。庶民がどうあがこうと時間は戻せないのだ。
Lesson6:何が本当で何が嘘なのかよくわからなくなる。
お嬢様学校においては噂が嘘なのか、真実なのかよくわからなくなる。
- 「Aさんって芸能人の●●と友達なんだって」
- 「Bさんの別荘は各都道府県にある」
- 「Cさんって宇宙人らしいよ」
- 「Dさんを怒らせると、退学になるらしい」
などどれも嘘っぽくも聞こえるし、どれも真実だとしてもおかしくない環境だったのでその見極めがすごく難しかった。
中には「キノさんのお父さんは893」という謎の噂もあったのだがそれが嘘だということは唯一わかった。
Lesson7:グレる人は一人もいなかったが、いじめは存在した。
売春や薬に手を染める人や、事件を起こすような人は少なくとも同学年にはいなかった。悪い事といえば、せいぜい校則では禁止されている、学校帰りにカラオケやゲームセンター、喫茶店に遊びに行く程度の事で、当時世間で流行っていたルーズソックスは誰一人身につけていなかった。
一方、残念ながらイジメは存在した。カツアゲや暴行というものはなかったが一番多い内容は「無視をする」という内容だったと思う。結果として途中でリタイアしてしまう同級生は何人かいた。
中には入学して三日で来なくなり、転校した人もいた。
そして、そこはお嬢様学校。転校先が海外だったりとスケールは大きかった。
Lesson8:人脈は凄い。
親の仕事もさることながら、結果として本人もすごい経歴になっている人が多い。
配偶者を含めればその人脈力は相当なものだ。私にはその気概も実力もないけれど、やる気と能力のある人ならその人脈を利用し、起業や既存のビジネスに活用するというのも有りだと思う。その為かどうか知らないが、公式のOG会はかなり年齢層の広い集まりとなる。
当時を振り返って考えてみると
正直な話、これほどまでに場違いな学校になぜ私をいれてくれたのだと親に怒りをぶつけたこともある。学校に行きたくなくなった時期もあるし、現実逃避からアンダーグラウンドな知識も増えた。
しかし卒業して十年以上経った今振り返ってみれば、貴重な経験をさせてもらえたし、勉強にもなったし、精神的に成長もできたと思いたい。その世界を知らなければ、私は井の中の蛙になっていたかもしれない。
お嬢様学校とはいえ、私と同じように普通の家庭出身の同級生もいた。卑屈になり学校に来なくなってしまう人もいれば、張り合おうとして嘘をつき続けた人もいる。この世にはどんなに逆立ちをしようとも敵わない相手がいること、そして全ては本人の気持ちの持ちようなのだということを身をもって学ぶことが出来た。
もし、今同じような環境にいる人、これから同じ境遇になる人。そしてご自身の子供をこのような道に進めようとしている人の参考になれば幸いだ。
そして最後に、苦労してまでこのような環境を用意しようと、並々ならぬ努力をしてくれた親には本当に頭が下がる思いだ。